Wednesday, May 30, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>    

 六 舞踏の欲望  

2. 肉体はレジスタンスする    
 
 土方が舞踏表現を開始したそのとき、土方の「闇」が抗するものとされた資本制社会は、それから一時も休むことなく飢え続け、今や新たな段階に達しています。状況は、規律社会から管理社会へと移行しています。「指令のメカニズムが市民たちの脳と身体のすみずみにまで行われている」(「帝国」)ような、社会的な生のあらゆる局面が人工的なものとみなされる、そうした実質的な管理社会へと包摂されようとしているのです。社会の諸制度は、今やあからさまに規律を求めようとはしません。規律に服するよう求められないことで、からだが記し記されているというそのことは曖昧となり、いっぽう、管理されている状況にあるがゆえにますます自己が不明瞭であるという、自己に関して一種の幻想にさらされているかのようです。それというのも、規律に服する、もしくは規律に抗することで主体性を自覚するというよりも、目前の身体に実際に傷を記すことで主体を確認しようとする現象が広く伝播しているからです。こうした現象には、主体をめぐる倒錯があるように思われます。こうした状況下にあって、土方が、「闇」という別種の認識活動を目前の肉体で語らせようとして暗黒舞踏という表現形式が開始したものは、その前提からして、現在もはや機能しなくなっているかにみえます。
「この異常な明るさは光じゃありませんよ、もう闇ですよ、昼間だって闇なんですから。…夢の中まで光が差し込んできてね、闇はもうすっかり食いつぶされて、光の方が闇に進入してきている時代ですから…」。(「極端な豪奢」)このように土方は、何ものかに抗するようにして主体が形成されるのではなく、外部の光が一方的に差し込んでくることでつくられているような主体をめぐる状況を語っています。こうした主体をめぐる新たな環境が、あらゆるメディアを包み込む情報のネットワークとして私たちの目の前にあらわれているものであるわけです。この情報のネットワークは、生産された物でありながら同時に社会的生を生産するという、社会的生産の同時性を実現しようとするものとして私たちの目前にあらわれているのです。こうした環境が一方的に、私たちのからだをめぐる暗く特異な視線を、そしてその視線の逸脱を、それゆえ非等質であるものの見知らぬ局面を切り開く明晰であるはずの視線を、その光で消してゆくようにみえます。最初に、私たちの生は何よりも社会的な生であるけれどもむろんそれのみではないと言いましたが、今や簡単にそう言うことはできません。社会的な生産物にめぐまれた社会においては、社会的な生産と人間の生とは、見る見るうちに一致してゆく傾向にあるからです。「生産はたんに主体のために対象を生産するだけではなく、対象のために主体をも生産する」(「経済学批判要綱」木前利秋訳)という、芸術作品を例にあげて肯定的に語るマルクスの言葉が、今や反転して不気味に響いてくるのです。権力が、自身が何よりもまず生産する現象であることをわきまえているいっぽうで、人はただ自然を欲望しているだけにみえます。そのため、情報のネットワークがその欲望を権力の生産に都合のいい対象へと入れ換えることで、絶えず相対的な人間を生産しようとしているわけです。そこで、そのように対になった生産と欲望に抗し、あらかじめ与えられている視線の形式を際立たせることによってそれから逸脱し、そして視線を入れ換える、そうした視線の変容こそが、舞踏が欲望するものとして知られなければならないように思われます。具体的には、現在、情報のネットワークという「環境・媒体」に否応なく直面する私たちのからだが知られることになるわけですが、社会的生産形態がいかなる段階にあろうとも、身体経験として反復し反復されるようにして連綿と受け継がれるアジールとしての視線を身体的次元においてはっきりと自覚する、そのようにして生が欲望するものに関わるという意味において、肉体がレジスタンスする、そうした事態を想定してみたいと思います。土方はかつて「肉体の叛乱」の舞台上で、自身のからだに批判的に接近しようとして、おのずと肉体を扱う視線へと回帰してみせました。そのように、肉体はレジスタンスする、そう言っていいでしょうか。
 肉体はレジスタンスする。この場合のレジスタンスとはよく知られるように、第二次世界大戦中に繰り広げられた全体主義に対する抵抗運動をいいます。全体主義は、生産するというよりは、物凄い速度で社会的生をその主権力に服従させようとします。その力は、社会的生のみに及ぶのではありません。それは、いかなるアジールをも暴力的に消滅させようとするのです。それゆえレジスタンスとは、何よりもアジールを死守することの抵抗であると言えるでしょう。それゆえ、肉体がレジスタンスするとはまず、私たちのからだをめぐる暗く特異な視線が、そしてその視線の逸脱が、それゆえ非等質であるものの見知らぬ局面を切り開く明晰であるはずの視線が、からだに採集されることから始まっているはずです。それゆえ、肉と魂、死と生、言葉とからだ、社会と個体といった、非等質であるものにつねに関わるからだが見出されていることで、社会的な生産が同時に人間の生とされるような光をからだに侵入させない、そのように闇の充実を強情に守ることから始まっているはずなのです。この強情なからだは、けっして情報として伝達—指令し合うのではありません。このからだは、あくまでも事物性としてコミュニケートしようとするのです。「原子は直接的な落下を〈逸れる〉ことによって、はじめてたがいに衝突する」(マルクス「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」中山元訳)ように、私たちは自然を欲望する直線運動から逸れることで相対的な生へと落下することをまぬがれ、そのことによってはじめて社会的生という存在形式にかかわらず、事物としてコミュニケートし合うことになるのです。それゆえ、アジールとしての視線は、何よりもまず共通して数えることのできない場として採集されることになります。それぞれが特異な場であることで、からだが事物であることの普遍性が際立ち、それゆえに事物性として相互に感応し合うことになるからです。
 肉体はレジスタンスする。かつてもレジスタンスし続けてきたように、現在もなおレジスタンスする。その抵抗運動は、占領者の執拗な監視をすり抜けるようにして、日々の生活の中で淡々と物資を、また暗号を受け渡しするのです。万が一発覚した場合でさえも、拷問の苦しみに耐え、連帯への愛ゆえに、また人としての尊厳を守るために、けっして自身を情報として売り渡すことがありません。あるいはまた、インド人による対イギリス反乱前夜、農民が主食のチャパティーを大量に反乱地に向けて淡々と、かつ続々と手渡ししていったという話が伝えられています。無名の農民たちによるその抵抗運動は無言にして、それゆえ歴史の闇にまぎれる運命にありながらも、実はそのとき、手と手による途方もない連絡が交わされることになったのです。このようにレジスタンスとは、その身に強情に守るものがあるために、敵に悟られないよう抵抗することをいうのです。現在、私たちのからだが直面しているものは、いわば具体的な「普遍」と呼ばれる、それぞれの環境との関係変化をなくし、自己の成り立ちを相対化しようとする視線を無効にし、非等質であるものを見えなくしてしまう、そのような力であるでしょう。そうした「普遍」に抗するために「普遍」がけっして知ることのない、すなわち目前のからだに誰のものとも知れない生を際立たせ、それゆえ未生なままで立ちつつも、何かしら渦巻くような富を与える原理を手渡ししてゆく、そのような、肉体による「人間の自己活動」が考えられるでしょう。土方の舞踏表現とは、こうした肉体がレジスタンスすることの絶えまないプロセスなのです。土方が初期に書いた「素材」というテキストからは、そのようにレジスタンスする姿勢があふれかえるのがみてとれます。
「この素材と私の隔絶の真中に、原初体験の危機を伝統とした肉体の相互につくるめくるめき出合いの祭典が進行する。それは一切の肉体の象徴性の背後にあるものにちがいない。鮮明な標識に私と素材は殉ずる汗ばんだ投企に、様々なものを予知し乍ら、動きの処理場へ第一歩をふみ出す。戦は、私の芸術の母体である。知性はすでに縊死している。そのそばを私は走ってすぎる。直感像の最短距離に私と少年は立つ。一つの概念の前に黙して一つの現象を置く。素材が汗ばみ素材が縮まる。私は伸びる。先ず私は、一切の芸術教養を抹殺しなければならないと思う。」 (「素材」)
 こうして、土方の抵抗は開始され、そのプロセスは従来の舞踊表現からの逸脱に始まり、前衛的パフォーマンス、暗黒舞踏の宣言、舞踏符の技法化、「病める舞姫」執筆、そして「衰弱体の採集」へと、止まることなく変貌し続けたのでした。さらにその表現は、雑踏から劇場表現へ、そして劇場に内蔵された視線に抗することのために、「肉体の闇」をアクチュアルに示すことの表現へとその形態を限定させることなく試行し続け、そしてその成果は、「肉体の闇」が抱え込むテンションから、めくられ包み込む皮膚の明滅へと、さらに非在を介することによるコミュニケーションへと、より開かれたすがたへと技法化してゆくもののうちに示されることになったのです。
 人は生産し生産されるのみでなく、肉であることの素材性を内包しようとしてつねに表現しているものであるはずだ、そのことを土方はまず語り、そして舞踏表現としてあくことなく示し続けたのです。土方が「舞踏」を掲げて表現し続けたそのプロセスを、「肉体はレジスタンスする」と言い換えて、からだが語るという無言にして連絡し続けるものを示したいと思います。そしてそうしたものであることで初めて舞踏表現は、現在もなお生きた表現となるにちがいありません。
 忍び寄る管理社会に抗するようにして、土方は「私が作品だ」と言い放ったのでした。この「作品」は、ただの「作品」ではありません。それはありうべき土方巽であるという、明らかに理念的な姿勢を示すものなのです。

               土方巽研究<舞踏の欲望> 了

Tuesday, May 29, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>    

 六 舞踏の欲望  

1. 視線は逸脱する         

 最後に、以上の考察をもとにして、土方が「舞踏」の一語に託したと思われる生の欲望という視点から、本稿の最初に掲げた「土方巽と舞踏」の主題についてあらためて考えてみたいと思います。舞踏表現の枠から大きくはぐれることになりますが、舞踏表現が「生のかたち」であるとすれば、そうした「かたち」になろうと欲して「あらわれ」ようとする、生が表現するものの方に見当をつけるという意味で、今一度考えてみたいのです。
 私たちの生は、無意識的であることをも含めて何よりも社会的な生なのですが、むろんそうと知れるばかりではないと思われます。たとえば、私たちの生が社会的諸関係の網目にかけられるようにしてその対象となるとき、社会的諸関係が個々の人をつくりだしているという事態が見出されることになるわけですが、そうした局面のみで目前の具体的な人というものを語ることができないのは誰もが知るところです。それは今まで繰り返し述べてきたように、確かに私たちの生を条件づけている身体が社会的諸関係にあって記し記されたものとして目前に知られはしますが、そうした社会的な生としての身体、あるいは政治的構成と言っていいような身体を強力につくりだそうとする力があるいっぽうで、そうした威力を脱するようにして、もしくはその威力に抗するようにして、生がおのずと欲望し、そして表現するような経験として私たちのからだに継承されているものがきっと知られているからではないでしょうか。人間というものの現実を社会的諸関係の総体としてみたカール・マルクスは、こうした生が欲望し、表現するような経験を知っていればこそ、いっぽうで古代の芸術文化の力が、社会的諸関係の発展形態がいかなる段階にあろうとも人間の生の規範となりうる、その語ることの困難な身体感覚の次元を、子供と大人の比喩によって語ろうとしているように思われます。
「…だがそれにしても子供の素朴なさまが大人を喜ばせることはないだろうか。大人が子供より高い段階に立って、もう一度自身で子供の真実を再生産することに励んではいけないのだろうか。子供の性質(自然)には、どの時代にもその時代に固有の特徴が自然の真実のかたちをとってよみがえりはしないだろうか。」(「経済学批判要綱」木前利秋訳)
 マルクスは、「子供の真実」を古代ギリシア自然哲学として熟知していましたが、おそらく土方が舞踏表現する姿勢にあっても、そのからだが強情に抱える内容は異なるとはいえ、こうした「子供の真実」が「自然の真実のかたち」となってよみがえることの身体感覚と無縁ではないように思われます。かりに私たちの生を社会的な生へといたらせるものが、その時代の政治的構成にあるというよりは、むしろその時代の社会的な生とは非等質であるような「子供の性質(自然)」に由来すると考えられるとすれば、今までみてきたように土方は、私たち人間に連綿と継承されているような「子供の性質(自然)」としての生の地点を自覚することによって、その身体表現を開始しているのです。初期の土方は、そうした地点から資本制社会に抗議しています。
「文明化された道徳の全勢力は、資本主義的経済体制や政治体制と手を結んで、肉体を単に享楽の目的や手段、あるいは道具として使うことに強い反対を唱えている。いわんや、ぼくが舞踊と名づける無目的な肉体の使用は、生産性社会にとっての最も憎むべき敵であり、タブーでなければなるまい。ぼくの舞踊が犯罪や、男色や、祭典や、儀式と基盤を共通にしていると言い得るのも、それが生産性社会に対して、あからさまに無目的を誇示する行為だからである。この意味で素朴な自然との闘い、犯罪や男色をもふくめた人間の自己活動に基礎を置いたぼくの舞踊は、資本主義社会の『労働の疎外』に対する、ひとつの抗議でもあり得るはずだとぼくは考える。」(「刑務所へ」)
 土方はこのとき、当時の資本制社会が組織しようとした規律のための諸制度に抗するようにして、もしくはフーコーが描き出しているような規律社会を形成するものに抗する地点から、「舞踊」を開始したのです。そして、土方をそのようにさせる、身体感覚としてよみがえるものを強情に守ることの表現は、たとえ資本制社会に抗するとはいえ、「子供の性質(自然)」をそのまま再生産することの表現へと後戻りするのではありませんでした。土方はむしろ労働の現場で、エロティシズム思想にみられるような、労働によって規律される肉体がその規律を侵犯するようにしてあらわにする「裸である」ものを、自身の表現の素材としてまず見出しているのです。
「彼等の昼の労働の彼方にそれこそみたこともない多彩な舞踊を発見していたから。此の様な素材が私を興奮させる。素材が従来の私の作舞法に激しく挑戦する。」(「素材」)
 従来の舞踊表現に挑戦する土方の「舞踊」は、疎外された人間のからだがみずからを侵犯する、そのことを素材として扱うその作業がそのまま表現となる、そうした行為に向かおうとしているのです。みずからを侵犯するようなからだに関わる視線がそのまま表現となる、いわば、からだに関わる視線の逸脱をそのまま表現とするその身体表現は、表現の同時性において、他の表現に比べて何よりも交換価値に還元し難い面があるように思われます。こうした何ものにも換え難い表現形態であるからこそ、「舞踊」の表現には大きな可能性が孕まれているとみなされたのでしょう。その可能性に身を賭するようにして新たに創造されたのが土方の舞踏表現であり、そしてその表現は何よりも規律社会に抗することのできるような、「人間の自己活動」による武器たるべき行為として開始されているのです。
 舞踏は、からだに関わる視線の逸脱をそのまま身体表現する同時性の表現であることを自覚することにおいて、他の表現形態とは格段に異なっています。それは、身体を貫く神経感覚が目感覚や耳感覚といった他の諸感覚とずれを生じさせ、そのずれの反復が思考へと綜合されるようにして生み出される表現ではないのです。言い換えれば、それは思考を表現するのではなく、目前のからだが事物のようにしてそのまま語ることの表現を欲しているのです。そしてまた、目前のからだが何ものかを生み出すというのではなく、目前のからだが無媒介に何かであるという、表現することの速度を扱おうとするような表現なのです。この速度がなければ、「愛」すら示されないにちがいありません。それゆえ連帯も示すことができない、そう土方は考えていると思います。諸感覚のずれが綜合されるようにして思考の眼差しが呼び出されるそのことに、土方が執拗に抗することの理由が、この速度としてのコミュニケーションを扱い、そして欲することにあると思われます。
 内なる声が「語り」、それを「聞き」、そして「考える」。こうした作用の反復が私たちの思考を構成するとされるのに対して、土方は、「飢える」、「食べる」、「むしる」という仕方でからだに関わることにより、あくまでも事物としてのからだに関わる認識(視線)をすばやく採集しようとしています。思考が、たとえば「規定は否定である」ことを契機にして弁証法的なダイナミズムを示してみせるのに対して、目前の肉体、すなわち自身が肉であることに関わる認識は、その認識の条件であるものを扱うことにおいて自己言及的であり、それゆえ堂々巡りに終始するとふつうは考えられてしまいがちです。しかし、からだに関わる視線(認識)そのこと自体は、自己言及的であることとは別のことです。むしろ、その視線を強いて対象化しようとする認識作業にこそ、自己言及的な作用とされるものがつきまとうことになると考えられます。からだに関わる視線自体は、非等質であるものを絶えず内包しようとする視線であることによって、実はどこまでも見知らぬ局面を切り開いてみせるのです。目前のからだという事物をめぐるこうした経験にこそ、自己を解体することで「自明でない自己」が懐胎されるような視線の逸脱、その視線の変容、そして視線の入れ換えがもたらされているからです。
 こうした、からだに関わる視線が内包するその内容は、おのずと強度を伴うとはいえ、いたって不明なものです。したがって、からだに関わる視線が内包するその内容を成熟させることのために、何らかの形式が必要とされ、そして編み出されたのだと考えられます。そしてその形式は、あくまでもからだが主体であるという条件下にあって、徹底して受け身的な考察によって見出されることになったのです。それが、「舞踏」という形式です。
 その「舞踏」の形式の根拠とされるような考え方について繰り返せば、たとえば、土方が「食べる」と言うとき、「食べる」ことによって、外部を内部へと転倒させることでもたらされる内部があることを言い表しています。私たちの意識は、自然が疎外された内部として働いていると考えられますが、外部が内部となるその飛躍の事態を疎外として示すのではなく、外部を内部へと転倒させるそのときおのずと自己を不明にしている、そうした機会があることを指摘するため、そのように言い表していると考えられます。このとき、自己が不明であるとは、認識不明であったり、また恍惚体験といったものではありません。それは今まで述べてきたように、社会的な生としてまとめ上げられている自己という皮膚をいったん解き、むしろ自己とは非等質に潜在するものを組織化しようとして、そのことを自律的に表現する契機となるような別種の認識活動(視線)を想定しているのです。外部を内部へと「食べる」という言い回しによって、私たちはつねにそうした自己とは別種の認識活動に触れる機会をもっている、そのことが注目され、そうした視線の逸脱にこそ注意を払うよう土方は繰り返し呼びかけているのです。「真空というものが本当は人間の生理の八十パーセントを占めている。あとの二十パーセントは経験とか体験とか、そういうふうなものにすぎない…」(「白いテーブルクロスがふれて」)と語られているように、土方は、この別種の認識活動が現代にあって未開な状態にあることに注目し、それゆえ通常の体験よりも重要視しているわけです。
 思考にとって「真空」にみえる、この別種の認識活動とされるものが、「飢え」という言い方でまず想定されています。この「飢え」は、自己が欲するのではなく、文字通りの意味で、生が欲するような事態を言い表そうとしています。そしてその生は、からだの外と内とを分節しようと欲するのではなく、たとえば「夢の中で叫ぶ子供」が向き合っているような、生が志向するものがからだの表現へとただ欲している、そのように知られているのです。そのからだが傍から見ると、強い情動を発するようにしてからだの捩じれとなってあらわれている、そのことに土方は注目しています。生が志向するものが肉で断たれるようにして発せられるその叫びが、行方を失ってからだの捩じれとなってあらわれているのです。言い換えれば、生の表現が「かたち」へと切断されることで、そこに生が「非在」するようにして身を落としているのです。こうした、生が欲し、からだが叫びを発し、捩じれるその表現を、一転して誰のものでもない生が表現する重さのない事物性としてからだに再生させることで、そのとき、生が表現する仕方が別種の視線として具体的にからだで捉え直されようとするわけです。
 土方の舞踏表現は、こうした別種の視線を認識として示すのではなく、視線が逸脱するといったような、あくまでもからだが語る生の表現として捉えられているために、そのとき表現する仕方はからだであらわされるとはいえ、あとには何も残さない表現の仕方となっています。身体が思考を表現する場合は、表現する主体が思考そのものをまず超越論的に扱い、そして身体技術を駆使することでその思考を描くことができるのでしょうが、舞踏表現が目前の肉体を扱う際に、その別種の視線は肉体を扱う主体が表わすものとして示されるのではなく、目前のからだに関わる視線が逸脱する作用として示されようとするのです。それゆえその視線は、私たちのからだにあらかじめ社会的な生として記し記された事態が錯誤する、そうした現象として再生されることになります。その視線(認識活動)は錯誤する生として経験され、そうした経験として「むしられ」る、すなわち表現されることになるのです。ただし、起源からはぐれていることを自覚するゆえに起源を「むしる」ことのこうした表現は、その錯誤の内容が表現されるというよりも、そのとき錯誤する生が、錯誤であるゆえにそこにはぐれるものを非在させる、その非在を介して外へとコミュニケートしようとする、そうした仕方をしているのです。
 こうした非在をめぐる表現を仕掛けることに不可欠なのが、具体的には、言葉とからだの執拗なやりとりです。私たちのからだはすでに記し記されたものとして目前にありますが、そのように限定されたからだを必要条件としながら、そうしたからだにみずから批判的に接近することが、舞踏の表現を成り立たせているからです。からだに記し記された事態をめぐるこのアンビバレンツは、からだに記し記されたそのことが錯誤する生として経験され、そして目前に「非在するもの」として立ちあらわれることにより、よりアクティブな現象となってからだで捉えられることになります。そして最終的には、言葉とからだの無限的なやりとりを操作し、からだにすでに記し記されたそのことを宛先不明にすることで、記し記されたその内容が生き生きと空回りさせられることになり、その自己の不明のさなかに「非在」に見舞われた、それゆえ外へと開かれたからだが知られることになるのです。
 以上のような、自己を不明にするようにしてみずからの肉体に関わる、絶えまないその視線の逸脱が、その暗さ(内部)の経験が、そしてその経験へと汲み上げられる生が、思考に対して「闇」という言葉でひとくくりにして示されているわけです。こうしたからだをめぐる未整理であるような経験をこそ、土方の「少年」は「口に碍子をくわえて」守り続けているのであり、それゆえそれは、土方が強情に「子供の性質(自然)」とみなしている、そう言っていいようなものに思われるのです。土方にあっては、「少年」の手に握られている風呂敷包みのその中身は、それについて語るいとまが与えられないほど「それは発見されつづけている状態」にある、そのような「自然」なのです。

 しかしながら、闇と言い表されている、目前の肉体とやりとりするこうした視線の逸脱に関わる経験は、思考の明晰さに比べてつねに暗く、それゆえ曖昧な感覚に終始しているようにみなされてきたことも確かです。その経験は、往々にして無規定なものとみなされがちです。肉体に関わる経験のこうした漠とした感覚に培われた身体表現が、どうして社会的生を強力につくりあげることになる規律社会に抗するものとなるでしょうか。
 土方が規律社会に抗するということについて言えば、おそらく土方の「闇」が土方ひとりのものではなく、土方が闇の系譜というものを継承している、そうした考えが拠り所となっているように思われます。この闇の系譜について、たとえば「闇の歴史」は、みずからの歴史に還元不可能な声を探査した果てに、私たち人間が自然を逸脱しようとする身体経験の場において、からだに原型的な経験として継承されているような作用が私たちの生の表現を仲介している、そう語っていました。そして、そうした作用はけっして陽の下にあらわれるのではなく、土方が説く肉体史と同じように、私たちの身体経験のうちに埋没する「闇の歴史」としてしか示され得ないものである、そうした闇の系譜として知られることになりました。それというのも、人間の限界を超えて自由であろうとする人間の欲望が、まさにその同じ身体的な経験の場でみずから形態的な逸脱を生んでしまうことになる、つまり欲望が生じると共におのずと隠されてしまうことになるからです。それゆえ、こうした闇の系譜を、むしろ「欲望する主体の系譜」としてあらためて見出すこともできるように思います。そこで、こうした欲望の系譜と社会的な生とを繋ぐことのできるような、前に「肉体に見出されたアジール」として比喩的な意味で使いましたが、もともと歴史概念である、アジールについてしばし考えてみたいと思います。
 アジールとは場所のことですが、しかし、それよりもまずアジール権として、それはきわめて西洋史的な概念です。「アジールとは、俗世界の法規範とは無縁の場所、不可侵の場所という意味。ギリシア語に由来するフランス語Asyleに由来する。通常、神殿や寺院、教会などがこれにあたる。宗教的、呪術的に特殊な聖域と考えられ、俗世間で犯罪を犯しても、アジールに逃げ込めば聖的な保護を与えられ、世俗権力による逮捕や裁判を免れうるという、一種の治外法権のような性質を持った…」(ウィキペディア)。しかし、アジールに居る間は保護を受けられるのですが、いったんその外に出ると保護を受けられなくなり、そのため罪を犯した者は、外に出て処罰されるのをよしとしない場合には、アジールでの幽閉生活を余儀なくさせられたといいます。アジール権とは必ずしも自由を保証されることの権利ではなく、いっぽうでは自由のために制限されるという現実を抱えていたのです。このアジール権と称されるものが、古代エジプト、ギリシア、ヘブライ人社会にすでにあったことが知られています。そうしたことから、中世日本にも「縁切り寺」のようなかたちでアジール権が発生する場所があった、そう日本の歴史学でも考えられるようになっています。また戦国末の動乱期には、寺社や聖所、山林へ罪人が逃げ込めば、領主の追補の手は及ばなかったとされています。しかし、近代化の波と共に中央政権が強化され、領土の隅々にまでその支配が及ぶと、「権力は真空を恐れ、嫌悪する」とおり、そうしたアジール権はすぐさま廃棄されていったと考えられます。
 いっぽう人類学では、アジールはまた違ったふうに語られることがあります。聖なるもの、すなわち圧倒的で何か物凄い力、人間を激しく拒絶するような力に支配された領域、それがアジールとしての場とされます。その神域では、動植物の殺傷さえ禁じられています。というのも、アジールを支配する聖なるものの掟に服することで、人は自由であるとみなされるからです。それゆえこの自由は、人間であることによって自由なのではありません。たとえば日本の場合で言えば、山伏は山というアジールに入るとき、社会的な自己の生を葬り去り、未生の者となってふたたび山(アジール)に育ててもらうと考えられています。というのも、人間という生の根源には、日常生活では抑圧されてはいますが、それを捨て切ってしまえば人間としての全体性が失われるような戦慄すべき非人間的な部分、すなわちアジールを支配する聖なるものの力に通底するような力があると考えられているからです。人類学の場合、アジールは場所やその場所に発生する権利というよりも、場所を支配するその力に重点がおかれ、なおかつその力が、私たち人間が自然を逸脱しようとする欲望に通底するようなものとして言い表されているようです。
 歴史学者網野善彦は、アジールについて、歴史学と人類学の視点を共に兼ね備えた、とてもユニークなアプローチを試みています。その著作「無縁・公界・楽」のなかで網野は、中世日本における「無主」・「無縁」の性格をもった様々な避難場(アジール)を例示しながら、平民百姓の間で領主の私的所有下におかれることを拒否する力が生き続けていたことを強調しています。そして、その力に強情な原理のようなものが受け継がれていることを認めて、次のように語っています。「アジール(避難所)は、『無縁』の原理の一つの現れ方にすぎない。これまで見てきたように、この『原理』は、きわめて多様な形態をとりつつ、人民生活のあらゆる分野に細かく浸透しているのである。子供時代の遊戯から、埋葬され墓場に入るまで、人間の一生は、この原理とともにある、といっても過言ではない」。どういうことかと言えば、ここで前提とされている「無縁の原理」より以前に「原無縁」という未分化な事態が想定されており、「無縁の原理」は「その自覚化の過程として、そこ(原無縁)から自らを区別する形で現れる」と考えられているのです。そして、無縁の状況が現れるそのときおのずと、無縁に対立するかたちで有縁・有主の状況も現れるとされるのです。すなわち、「私的所有は無所有の原理に支えられて、はじめて成立しえた」ことになるわけです。このとき、アジールという場も、「無縁の原理」を自覚する過程で、「無縁の原理」に倣って、場というものが示す未分化な事態から自らを区別するようにして現れることになります。そして、アジールという場がもつ自覚的な無縁・無主性が、結果的にそれに対立するかたちで、有縁・有主の場というものをもたらすことになる、そう考えられているのです。
 おそらく、無縁の原理というものが、主権的社会の発生と共に、その社会の内に自覚的に現れてくる、そう考えられているのだと思います。それというのも、主権的社会がそれ固有の社会制度を伴って現実的な威力を発することにより、社会の諸制度とその社会の成員として諸制度に服する個々人の体験とが、鋭く交錯するような時点があると想定されるからです。社会的な生と、それを求めながらそれから逸脱しようとする個々の身体的経験があって、その関係が問題として際立ってくるような時点があると考えられるわけです。無縁の原理とは、その質の異なるものを共に抱えようとして、主権的社会の隙間に自覚的に現れてくるもののようです。とすれば、そのときその原理の内には、それ以前の、社会的な生と個々の生とが未分化であった際に知られていたような、身体的経験の変容であるような現象を抱えていることになりはしないでしょうか。たとえば、一時的な形式ではありますが、祭礼という現象に、そのような痕跡を認めることもできます。
 したがって、こうした無縁の原理はけっして遠い過去にのみ現れたものとみなされているのではなく、それはかたちを変えて、たとえば主権が暴力的に交代する際に伴う、指令機構の空白期にさえ現れることになる、そう考えることができるものとして提示されているように思います。たとえば、近代では明治維新後に、現代では第二次大戦後に、そうした原理が働こうとしたと考えることもできるのです。しかし、主権的社会を脅かす裂け目は、それは開かれたと思うとすぐさま覆われようとします。主権的社会という肉はつねに一つのものとして現れようとするために、そこに開かれる裂け目を覆うことに全力を注ぎ、そして終には、裂け目があったという事実さえ見えなくしてしまうのです。 
 こうした事情のゆえに、「無縁・公界・楽」という著作は、結果的には、「無縁の原理」、すなわちアジールを生み出すものを、あたかも逃げ水を追うようにして捉えようとする作品にみえるかもしれません。確かにあるとされるけれども、それを確証するのはつねに不可能と思われるような状況にあるからです。アジールというものの優先性がすぐれて言い表されていますが、その状況を正当に把握するのはとても難しいことです。アジールという場は、それが塞がれている時代には、つねに想像力のうちにしか現れてこないもののようにしてあるからです。しかし、歴史上の記録からありありと立ち上るアジールの陽炎が示されることで、私たちはその存在を疑いたくない、そう思うのです。アジールは空間としてすでに「ない」、そのことを私たちは知っています。それは有主の場に優先して生まれたとされながらも、有主の場に抗するために現れたとしか考えることができない、そうした矛盾する場としてしか現れてこざるをえません。だから、こうしたアジールという概念自体が、とても不思議な概念なのです。アジールについて考えれば考えるほど、逆にアジールに見つめられるかのように、むしろからだに切り開かれるようにして、何ものかが立ちあらわれてくるような気さえします。それゆえ、とりわけ現在において、アジールという視線が、メディアという普遍にしてスペクタクルな装置に抗するようにして、すぐれてはぐれている視線として現れているように思います。そして、そのはぐれるものが非在することで、私たちの自由を求める感覚に力強く訴えてやまないのです。アジールの視線は、その原理性が強情に指摘されることで、「ない」と「ある」との境界面にありありとあらわれてくる、そうした矛盾を孕む場として、私たちの経験の内に新たに再生されようとしているのではないでしょうか。
 もともとアジール権として厳密に定義されていたアジールを、「無縁の原理」という、歴史的というよりも、構造論的な概念を背景にして形式化しようとする仕方には、むしろ視線の逸脱が感じられます。視線が逸脱することによって、矛盾を孕む場といった内部が伴っているように思われます。さらに言えば、こうした視線の逸脱にこそ、「深く遠い文化層」が現在にあっても伝えられているといっていいような欲望が示されている、そのように思われてなりません。その欲望は、仮構された構造論的な欲望というのではなく、たとえば土方が次のように語るような、犯されにくいものとして知られる欲望、そう言ってみたい気がします。
「日本人の肉体というのは独特の空間をもっていて、犯されにくいですね。…人間というのは、自分の一個の肉体の中にはぐれているものにであえないばっかりに、何か外側に思想でも欲望でもいいから外在化して納得したい。しかしそういうとき、日本人の肉体というものは、けんめいにこらえながら熟視すれば、そのはぐれたものにであっていたのではないか、ということをマジメに考えるんです。」(「暗黒の舞台を踊る魔神」)
 概念に犯されにくいゆえに鍵のかからない日本人の肉体、その肉体が熟視する超越性をはぐれている視線に、土方の「日本人」が立ち上がり、そのからだに舞踏の欲望が起動することになるわけです。いわば、そうした身体次元として、視線は逸脱するのです。この視線の逸脱は、超越的に振る舞うものが強いる相対性の視線を逸れるようにしてあらわれるのであり、そうした逸脱が、アジールの身体化とでもいうべき、アジールの日本的解釈にももたらされているように思われるのです。それゆえ、網野善彦が示そうとするアジールを、マルクスが語ろうとする「子供の真実」のように、いかなる社会的形態にあっても私たちの身体経験が受け継いでいる、むしろそう示唆されるような原理として受け取りたいと思うのです。彼が、「無縁・公界・楽」を子供時代に経験した遊びから語り始めているのは、そうすることの理由が強情にあるからなのでしょう。
 さて、「あらわれ」がつねに「かたち」を欲するようにして、社会的な生を実現しようとしてそれとは非等質である「子供の真実」を内包しながら表現する生というものを考えるならば、その生にはおそらく、「闇の歴史」の緊張が示すがごとき、現在の社会的な生と交錯する個々のからだの現実というようなものに向き合うような視線が際立たされているのにちがいありません。そして、そうした視線を抱えるからだが、もしも生が自己表現するような「犯されにくい」欲望に忠実であるならば、からだの現実を変容するような視線の逸脱へと、一歩踏み出すことになるやもしれません。こうしたことから、具体的な避難場所であるよりも、むしろ「無縁・公界・楽」が示唆するような、私たちのからだに反復し反復されるようにして連綿と受け継がれ、超越的に振る舞うものに抗するようにして絶えず逸脱する視線としての、アジールとしての視線を考えてみることができるように思います。そして、そう考えることができれば、土方の闇は暗く曖昧なものであるよりもむしろ、「原始・未開以来の自由の流れをくむ」(「無縁・公界・楽」)ような、生の強靭さが表現するようなものとして見出されることになりはしないでしょうか。土方の「闇」を、アジールとしての視線という、土方のみならず私たちのからだに経験的に受け継がれているものとみなすことで、それは強情に自由を守るがゆえにその時代の社会的な生としてつくられる身体に抗し、生の自己表現を規制しようとするあらゆる装置に鋭く対立して逸脱する、そうした身体次元の視線として捉えることができるのではないかと思うのです。
 土方は実際、舞踏という同時性の表現において、視線が絶えず逸脱し、そして入れ換えられるような、そうした生が自己表現すると言っていいような普遍的で特異な内部に敏感であり続けたわけです。それが何よりも「土方の少年」というすがたが、土方のからだに仮構されていることの理由でもあります。その少年が「口に碍子をくわえて」、内部の視線に偽りの質料を与えようとして何にでもかじりついていくのです。初期の土方は、こうした視線の逸脱を、バタイユのエロティシズム論理にまず見出しています。死刑囚は、死に面接することで生の極北である現在しか知らない。そうした無主の生であるものを土方は一時期熱望し、自身の肉体表現の土台と考え、思考や幸福に抗するようにして、無知と悲惨とを自身の避難所(アジール)とする、そう主張したわけです。しかし、おそらく三島由紀夫による割腹事件が、パフォーマンスというものの遊びを骨抜きにしてしまったのでしょう。土方は、その避難所を無知や悲惨といった疎外認識から、目前の肉体に記し記されているそのことを際立たせるようなさらに暗い(内部の)視線へ求め、そこにたちあらわれてくる肉体批判の視線へと回帰したのだと思われます。その視線の逸脱に、土方の肉体(認識)が背負うはずの歴史性が立ちあらわれてくることになりました。そのとき肉体の闇という、異質であるものを内部へと転倒させることでもたらされている経験(視線)を、誰のものでもない「聖なる土地(アジール)」であると主張し、そうと自覚したわけです。さらに、視線を絶えず逸脱することで要請される差異的経験につねに応答するようにして、「肉体の埋没史」、「包まれた病芯」、「衰弱体」といった内部が見出され、そうした「脆さの精粗」が最初から「ある」とされ、舞踏表現の核心とは、こうしたアクチュアルになるかならないような「あらない(アジール)」の視線を、からだそれ自体が扱うことにある、そう考えられたわけです。その脆さは「適合性の妖精」とみなされるがゆえに、表現的にはたとえばスペクタクルのような強い形式が求められるいっぽうで、それはあくまでも「飢え」ていることで「ある」とされたのであり、そして、この「飢え」がアジール権を明白に主張して「痛いぞ」という叫びを外に向けて発することになる、そうしたことが知られるようになったわけです。

 とはいえ、こうしたアジールとしての視線を掲げてみるだけでは、まだ曖昧なものに終始している感があるように思われます。というのも、「子供の性質(自然)」をよみがえらせようとしてただ戦略的であるだけでは、闇に関わることの表現がつねに状況の困難さに直面していることに変わりはないからです。土方の言葉でいえば、「危機」が、闇に関わることの表現につねに要請されねばならないのです。

Monday, May 28, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

  五 新しいモデル 

3. 衰弱体はコミュニケートする     

 土方の語る言葉は意味を表すというよりも、言葉が自己との関係を断つことで、事物を連れ出して来ます。夢という自己の不明な現象が非記憶的なものの物質性を事物として際立たせるようにして、土方は、重さのないからだの事物性を立ち上がらせようとして言葉を語るのです。土方のからだをめぐる混有という事態が、けっして意味へと繰り延べされることのない事物性として捉えられ、その事物性のままに言葉へと中継されようとしているかのようです。「風だるま」のすがたは、猛烈な風、吹雪、死、寒さ、かじかんだ肉、意味のない声といった物質性によって、土方のからだに痛いほど際立たせられているのです。認識の混乱、自己の不明は、その暗い背景を背負う原理を駆動させて、その物質性をより際立たせることになります。かつて感性の粒子がからだに霧散していると語られたこの非記憶的なものの物質性が、「病める舞姫」のパフォーマンスにおいて十分に確かめられた非記憶的なものの物質性が、観衆の前で語り演じるすがたとして際立たせられようとしているのです。風、吹雪、死、寒さ、泥、虫の噛む音、意味のない声、火のついたような泣き声といったものの物質性が、言葉がからだに連れ出して来る事物性の微粒子となって、土方のからだにおいて恋愛するようにして結ばれ、結ばれたと思うとすぐさま離れる、そうした「分子活動が恋愛している」(「極端な豪奢」)すがたとしてみえてくるのです。
 こうした、事物性の微粒子が恋愛しているかのようなその舞踏表現は、「風だるま」のすがたが「その場で再生されて」と言い表されているように、ばらばらになった事物であるような死者に、土方が面接することから開始されています。それゆえ、「衰弱体の採集」を語りながら土方は、死に頻繁に言及することになります。死が直接言及されないまでも、死が示唆されています。衰弱体を語り演じることとは、死の力を借りて語り演じることのようにさえみえます。衰弱体という、語り演じることがそのままからだの事物性に関わろうとする表現とは、死をめぐる経験であることで、からだがみずから表現するその非記憶的なものの物質性が、そこに微粒子のまま再生されようとしている、そんなふうにみえるのです。
 たとえば、土方は戦死した兄のことに触れて、「ああ、形ってものは、消えるから現れるんだな、消えることによって形ってものははっきり鮮明になるんだな」と、死が与える非在感を語っています。死はけっして取り戻すことのできない、「ない」ものとして目前にあらわれているけれども、その死が、「ない」ことでかたちを鮮明に残すという、錯誤する表現となってからだに再生されているわけです。この錯誤する表現は、量・質・ベクトルといった生が示す強度を伴っていることで、それはけっしてかたちへと「立つ」ことはないのだけれども、かたちになろうとしてあらわれるモノとして、からだに知られることになるのです。こうした、死が与えるモノであるような非在感が、それが行き場なく断たれていることで、衰弱体を語る土方のからだに事物性の微粒子となって再生されているかにみえます。それは、死者という誰でもないものの身振りがからだに立ち上がる身体表現というよりは、病がからだに事物として知られているように、死の非在感が事物としてからだという事物に関わってくる、その間を無限に翻訳する、そうした働きを原因とする表現となっているように思われます。死が与える非在感そのものは、別段特異なものではありません。それは、親しい人の死に際して誰しもが経験することです。その非在感が、事物としてからだという事物に関わってくるそのことを無限に翻訳するという、こうした特異な事態が考えられるのは、土方の舞踏表現がけっして「想像の肉」を繰り広げるのではなく、目前の肉であることに関わろうとして、肉にあらわれるものを肉が切断するという、執拗なほどに重さのないものをめぐる身体表現であることに由るのだと思われます。とはいえ、そこにあらわれる非等質なものを包摂し、中継しようとする目前のからだの感覚なしには、死が与える非在感によって私たちのからだがコミュニケートし合う、まさにそのことの条件が失われてしまうのも確かなことなのです。特異な事態ではあるのですが、コミュニケーションの条件であるこうした事物性として再生される非在感は、とりわけ強調するまでもなく、私たちのからだにすでに知られているものなのです。それにもかかわらずここで強調しようと思うのは、それとは性格を異にする非在感から区別しようと思うからです。それは「想像の肉」、もしくは思考や剰余としてあらわれる非在感のことです。
 たとえば、土方が示す非在とは異なる、もうひとつの非在を例にとってみましょう。ジャック・デリダが死に際して語った言葉が、テキストとして構成されています。そのテキストの中で、死の間際に死について考えることが、生の根源的な意味を際立たせ、生きることを終に学ぶことになる、そうデリダは死の向こう側から語ることになります。
「私が『私の本』を残すとき、私は、出現しつつ消滅してゆく。けっして生きることを学ばないであろう、教育不能のあの幽霊のようなものになるのです。私が残す痕跡は、私に、来るべき、あるいはすでに到来した私の死と、そしてその痕跡が、私より生き延びるという希望とを、同時に意味します。それは不滅を求める野心ではなく、構造的なものです。」(「生きることを学ぶ、終に」2005)
 ここで「すでに到来した私の死」とみずから述べているように、テキストが読まれる時点では、デリダはすでに死んでいるわけです。死んでいるデリダの声が死の彼方から生きているように語る、そのことを予告するようにしてデリダの死が残すとされる、テキストに生き残るこの非在感。この生き残りを執拗に語る声は、生と死が面接し、互いに照らし合うようなところで生まれる、不思議に透明な光に染め上げられているかにみえます。デリダは、自身を見舞う死、その事態をまるごとテキストに向けて語ろうとすることで、死に面接する意識の光学といったようなパフォーマンスを残しているかにみえるのです。しかし、この非在は、いったい何をもってしてコミュニケートしようとするのでしょうか。
 コミュニケーションという視点からすると、この非在を示そうとする位置には、どこか奇妙なところがあるようにみえます。死に見舞われるとは、言うまでもなく誰しもにとって初めての、そしてただ一回の体験であるはずです。そのことを、このテキストは侵犯してはいないでしょうか。現実の死は切断であり、切断によって非在感は生まれるのです。反対に、非在感をもたらすことで、その切断を跨ぎ超えることなど誰にもできないことなのです。そこに、いかなる連続性も保たれることはないはずです。それにもかかわらず、テキストを通じてデリダが死の彼方から生き残りを求める声をかけてくるのです。それは、デリダの死後に発表されるはずのテキストから届けられることになるわけです。死とテキストの絶妙なずれが、企まれたものとして、デリダの意図にかかわらず、テキストとなって仕掛けられてあるからです。そのことがあらかじめ構造的であるとされているがゆえに、いっそう死の倒錯を引き起こさせるその企て、すなわち、コミュニケーションを求めてつねに未来から輝こうとする、死を跨いであえて記そうとするような主体が示されること、ここに異様さがあるのです。厳粛であるはずの死を侵犯しようとするものがあるとすれば、それは未来から光をかざすようにして、けっしてコミュニケートするのではなく、一方的な指令を伝達しようとする、こうした非在による主体の観念を提示するものであるように思われるのです。
 死が与える非在感について言えば、「死は、死者の生をモンタージュする」(ピエル・パオロ・パゾリーニ)のであり、その非在の微粒子はけっして痕跡するわけではありません。それははぐれ、はぐれていることで再編集され続ける、すなわち変動するのです。それゆえ、その生は生き残りすらしないはずなのです。同様に、土方は、消えるからかたちが残ると言います。さらに、踊りは「出現しつつ消滅してゆく」ゆえに、そこにある種の痕跡が残されるというよりは、非在が示されることになるわけです。からだに記し記されているそのことが、非記憶的なものの物質性へと翻訳されようとし、そのときそのつど再生されるものがかたちになろうとしてはぐれ、そして肉に切断されることで、初めて非在がそこに示されることになるのです。それゆえ、切断が非在をもたらすそのかたちは、無媒介な生と言っていいもののように思われます。というよりは、生が錯誤するという意味で、それは生の現象と言うべきかもしれません。
 最後に述べますが、土方は新たな舞踏表現によって、この非在がもたらすような生を、舞台上で示そうとしています。そのとき、生が錯誤する現象は、幻想になるはずのものの微粒子が採り押さえられるような仕方で、からだに記し記されてあるままの物質性として処理されているかにみえます。この事物性の微粒子としてからだに再生される非在は、たとえば「病める舞姫」において明るさとして示されようとするよりも、肉であるからだにおいて錯誤する、そうしたすがたとして初めて際立つものとなるのです。そうでなければ、目前の肉体を介してコミュニケーションするという、そのこと自体が成り立たなくなることになるわけですから。
 こうして、生という現象にはけっしてずれがないという土方が強情に守るものが、コミュニケーションの場に解き放たれ、身体経験を介する仕方で明らかにされることになったわけです。からだ自体にはそのことはもとより知られていたわけですが、後から説明する言葉がそのことを覆い隠しているゆえに、言葉を宛先不明なままにしてからだの事物性を明示するような表現であれば、生という現象は非在としてコミュニケートするのに違いない、そう考えられたわけです。このとき、事物性の微粒子のようにして再生される非在は、生という現象としてとらまえられており、そうした視線からしか生という現象には力が与えらないかのようです。そしてそのこと自体は、私たちが目前にするからだにおいて、最初から完結しているはずだ、そう知られているのです。
 一人一人のからだが完結したものとみなされ、そこに埋没するようにして継承されているものが知られ、そしてそのことが肯定されていればこそ、土方は、舞踏の未完であることにこだわっているようです。おそらく、舞踏がいまだかたちをなさないものであることを、もしくは発見され続けている状態にあることを、晩年の土方は「舞踏の青田刈り」という言葉を掲げて、周囲を牽制していたように思われます。それゆえ「衰弱体」でさえも、それを語り演じることで舞踏表現における新しいモデルとして提示されながらも、それはいまだ実りのヴィジョンを描いているだけかもしれません。土方にしてみれば、舞踏はまだ実りの穂をつけてさえいないのです。闇に遡行しようとすれば、闇の強情さが、未完にして何ものにも拘束されないことを要請するのです。その未完であることの要請が、逆に舞踏のすべてを呼び込むことになるはずなのです。

 さて、以上のまわりくどい話は、実は以下に記す舞台の光景を説明したいがためでもあります。時間的に前後しますが、「衰弱体の採集」を語り演じる以前に、土方はすでに舞台において、非記憶的なものの物質性についての、注目すべき舞踏表現を実現してみせています。それは、衰弱体が事物性の微粒子として再生するものを目前にあらわにし、そしておのずとコミュニケートする、そうした見事な例なのです。もう四半世紀も前のその舞台を、私は実に鮮明に思い出すことができます。
「鯨線上の奥方」以来、土方が芦川羊子を実に七年ぶりに演出するという「景色へ一瓲の髪型」と題する舞踏公演が、1983年四月の八日間にわたって催されました。「景色へ一瓲の髪型」とは、それ自体が舞踏演目というよりも、舞踏イヴェントの総合的な名称で、このとき土方が演出・構成する四つの異なる作品が発表されました。公演チラシには、芦川羊子による「スペインに桜」、多彩な男性舞踏手で構成される「plan Β寺模写」、芦川羊子と田中民による「非常に急速な吸気性 ブロマイド」の、三つの演目が記されているだけですが、それに加えてもう一つ、最初から最後まで芦川羊子による独舞の舞台が発表されました。(ただし、そのタイトルは失念した。)
 その舞台はあとうかぎり、かつて白桃房公演で土方が厳密につくりあげた舞踏表現を脱しようとするものでした。まず、その裸の舞台。むきだしのコンクリート壁のほか、何の舞台背景もしつらえられていません。そして、即物感覚といっていいような舞台照明。さらに、暗転してもその暗転の中に、舞台上手奥に設置された舞踏手の着替えが観客にさらされる現場、すなわち、脱衣しそして着衣するすがたがぼっと灯される仕掛け。そして、轟音がかぶさるさなかでやりとりされる、舞踏手が踊りながら次の振りを求める声と、舞台裾からプロンプターが次の振りを叫ぶ声。さらに、舞踏手に向けて放たれるカメラフラッシュの連続。あのくっきりとした黒のプロセニアムと、一筋の光も漏らさない厳密にして深い闇の中で見せたものとは異質な、雑多なものであふれかえる舞台がそこに展開されたのです。けれども、そうした雑多なものを逆に舞踏が吸収して、舞踏手が操る異様な力へと収斂させてしまっているのです。いっさいの装飾をかなぐり捨て、すべてがむきだしのまま、外に脱するようにして内部がもたらされているような、そんな新たな舞踏表現がそこに示されたのです。
 舞踏手の皮膚は古い瘡蓋をむしりとられ、新たな皮膚がむきだしになってまだ青みがかっている。たとえば、「火気厳禁体」というのがあります。その名称から想像すれば、わずかな火の気にもぼっと幻想が炎となって燃え出すような、危うい表現体を扱っているのでしょう。その体からは、火を点けるだけで、すなわち条件を与えるだけで、幻想へと燃え上がるものがもうもうと揮発しているわけです。(開場前に目にした)土方が今さっき振り付けした振りが、舞踏手によって今にも火が点くところでとどめられています。その幻想へと燃え上がるはずのものが、次々とただ空回るようにして揮発してゆくそのとき、幻想になるはずのものの微粒子が、舞踏手のからだへと採り押さえられているかにみえます。
 最終場面のクライマックス、舞踏手が「幽霊の縄跳び」をする。ますます軽々と立ちのぼるからだの揮発性と、それと対照的な髷の重さ、そのかたちがひときわ際立ってくる。人間であることの原型のようなものと、それがからだに形態的にあらわにしようとするものとの激しいやりとりが、内部と外部とが嵌入し合うかのようにして暴かれ、そしてみえてくる。そのとき、目の前の舞踏手は芦川羊子でありながらも、芦川羊子ではない何ものかに変容してみえたのです。芦川羊子というからだに記し記されたイメージまでもが「火気厳禁体」となってもうもうと揮発し、そこに虚構を支える虚構が、何かしらエネルギーのようなものが、それは必ずしも力というものではないのですが、何か軽々と揮発するエネルギーのようなものが芦川羊子という人のかたちをしている、そうしたむきだしのすがたとなって目の前にあらわれたのです。そのすがたに、判断する間も与えられることなく、ただ心を動かされたのでした。
「忘却のただなかで再発見されるようなものの客観的な本性」(「差異と反復」)、舞踏がその表現を通じてコミュニケートさせるからだの事物性とは、感覚的に言えば、こうしたもののように思われます。

「衰弱体の採集」の講演の後にも、土方は舞踏表現の新たな段階を示そうとしています。同じ年の五月、実に封印から九年目となるアスベスト館開封記念公演として、芦川羊子による独舞作品「親しみの奥の手」が発表されました。そのチラシに書かれた檄文を、最後に掲げておきます。
「物件としての肉体をわたしは考えていたのではない。親しい友だちである肉体を切断すること、夢をさらなる切断にかけてみること。夢の底の痺れた回路がたなびくことはあっても。このたびは痩せた光や、淋しい肉の取り扱いは決していたさぬ。切断が提出されたのにすぎない。髷四のΝΟ3の構造は、アスベスト館に抱蔵されている、きわめて初源的な知識に触れた証左なのである。」

Sunday, May 27, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 五 新しいモデル 

2. 衰弱体は翻訳する        

 衰弱体が自己を不明にするという事態について言えば、それは具体的には前に述べたような、舞踏符に次々と指示されている踊り手のからだの状態をそのまま示していると考えられますが、このとき、言葉にして示された外部を「食べる」ことでもたらされている内部があることになりますが、衰弱体にあっては自己が不明であるとはいえ、むしろその内部の自律的な視線をからだに採集している、そう考えられるわけです。
 繰り返して言えば、「飢え」によってからだが「ある」ことを知る。そして「むしる」ことで、この「飢え」を表現的に際立たせようとします。「むしる」は、目前に構成されたものをめぐって、構成されない事態を欲して、それを別のすがたで際立たせようとするからです。すなわち目前の「ある」をめぐって「あらない」ものを、非在感を際立たせようとするわけです。このとき目前に「ある」ものとは、言葉にして示された外部を「食べる」ことで際立たせられている内部、すなわち肉体の闇とみなされています。けれども、肉体の闇は次々と変動することはするのですが、それ自体は自律的な働きをするわけではありません。この肉体の闇はむしろ、言葉へと中継されることで差異化され、微分化され、その果てに言葉と等質になろうとして身のほど知らずに膨れあがってくる傾向があります。「飢え」を際立たせようとして「むしられ」ているはずの肉体の闇が、「飢え」を見失うほどに言葉の瘡蓋をつくり上げようとする、そうした傾向があるのです。こうした問題に直面して、土方は「衰弱体の採集」を語り演じることで、翻訳という作用を導入しているように思います。というよりは、自己の不明な事態に立ちあらわれる余白を、声へと模写するようにして中継する際に知られていたその認識活動を、「翻訳する」と自覚しているのです。そう自覚することで、このとき翻訳するべく、目前の非等質であるものの間の自律的な関係性をこそ採集することになります。肉体の闇として「ある」ものを差異化させ、微分化させることなく、非等質であるままに、「あらない」ようにして翻訳するのです。このとき、非等質であり続けるものを翻訳するという、無限の翻訳行為に関わることの特異性が知られることになるわけです。それゆえ「翻訳する」とは、字義通りの翻訳を意味するわけではありません。それは、何から何へと翻訳する(還元する)というよりも、目前の非等質であるものの関係を示そうとするために、翻訳作業を示しつつ、しかし翻訳されたその構成は忘れられる、そういった働きを示していると考えられます。この「翻訳」について、土方は次のように語っています。
 まず、からだで採集する事例として、例のごとく食べることが引き合いに出され、そのまま食べることの中断が語られ、そして、
「…こんなふうに、食べるということも、貴重なレッスンになっていくし、これがそのまま舞踏につながっていくのですね。自分に振付けているわけですよ、舞台で。ところが食べられるほうが、食わしている方を食ってしまう。するとなくなりますよ、この無化の運動のさきに無尽蔵な世界が拡がってくる。舞台があって、自分という舞台もある。しかしそれだけでは終わらなくて、その二つの関係をもう一つの肉体が見ている。両方翻訳しているわけですね。」(「極端な豪奢」)
「食べられる方が、食べさせている方を食べる」という面妖な言い回しで、土方は非等質であるものを中継する事態を語っているようです。要するに、このとき非等質であるもののいっぽうが、「食べる—食べられる」の間に際立たせられている、「食べさせている方」のことなのです。この「食べさせている方」とは、「食べる」という行為、すなわちモノを咀嚼するという行為をさせることになる、前に記憶として「配列されている事物」と述べられていた、からだに記し記された事態というものを示唆していると思われます。土方は、「食べる」という行為の中断のさなかで、行為とそれをさせるものとを腑分けしているのです。そして、その「食べさせている方を食べる」ことで、「食べる」ことをさせるものさえもが一瞬対象化され、そして主体化される、そうした事態を自覚しているようです。このとき「食べさせている方」は、土方には富であるような事態としてすでに知られているようです。おそらく、からだに記し記された事態を「事物」と自覚することで、自己の不明という背景に「無尽蔵な世界が拡がってくる」、そうみなされているからだと思われます。こうして、いっぽうにからだに記し記された事態が際立たせられ、もういっぽうでその背後の「無尽蔵な生」、すなわち「柔らかすぎる生」に「振り付ける」という介入の仕方で、土方は翻訳するものを自覚しているようです。
 また、次のようにも語っています。
「本当に無救済的な、刹那に於いて即救済的なものが舞踏家をみまうのであって、最初からその劇場に生まれたようなエクスタシーというのは、原価計算、差し引き残高、肉体というようなかたちでただの泥になってしまう。そこも私は警戒しているんですがね。それが言語の機能で、そういうものによって肉体がとりつけられたイメージの難点ですよ。それをたちまち食べて失くしてしまう。食べさせられる方が飛躍だというようになると、その二つの間を咀嚼する、デリダで言えば、『翻訳する肉体』、アルトーの『器官なき身体』ですね」。(「極端な豪奢」)
 同じ内容を繰り返しているようですが、ここでは身体表現における即興という問題に関連させて、自己の不明な事態に知られる認識活動と、からだに記し記された事態との間を「咀嚼する」ものを、「翻訳する肉体」という言葉で説明しようとしています。自己の不明な事態に知られる認識活動から、「飛躍」してからだに記し記された事態が見出されているのであり、その「飛躍」という表現から、からだに記し記された事態というものが、認識活動とは非等質であるものとして自覚されていることがわかります。
 デリダの「翻訳する肉体」が具体的に何か知られませんが、つとに知られたアルトーの「器官なき身体」との関連で言えば、土方はからだに記し記された事態というその身体を、超越的な視点をもってして眺めるのではなく、その身体へと蹲るようにしながら、その身体が人間の生の叫びに重なるようなモノとみなしている、そのことが強調されているように思います。したがって、「翻訳する肉体」とはいえ、何が「翻訳する」かは明らかにされえないことになるでしょう。それゆえ「翻訳する」とは、たとえば前意識を意識へと還元するというようなことであったり、何かから他の何かへと置き換えるといった作業ではありえないわけです。
 ここでデリダの名が言及されていますが、「翻訳する」は、デリダ的な「転移」に由来しているのでしょうか。「転移」とは、もともとフロイトが掲げた言葉で、精神分析の治療過程において、被分析者が、その幼児期に経験した主体—対象間に交わされた関係を再現しようとして、過去に抱いたその感情を目前の分析者に対して向けるようになる、そのことだとされています。これを、被分析者が分析者に向ける感情転移といいます。いっぽうこの転移は、被分析者側の病理によって、逆に分析者の側に引き起こされる場合もあるとされます。デリダ的な「転移」は、こうした精神分析の現場で起こる対称的な現象から敷衍されて、デリダ自身がみずから主体—対象間に交わされる関係を反復することで、この場合は対称的ではありえませんが、主体—対象間のその関係を転移する、すなわち位置関係のずれを示してみせることになります。このとき反復するものは、同一のものとして反復されるわけではないのです。反復の身振りだけが同じであって、反復するものも反復されるものも、反復する前と同じであることがないのです。このように「着衣の反復」(ジル・ドゥルーズ)は、必ず反復する主体—対象の位置関係のずれをもたらしているのであり、いわゆるデリダの脱構築は、こうした反復による位置関係のずれと共に実践されると考えられています。こうした、デリダ的転移—転位を考慮に入れると、たとえば土方は、最初は肉体の闇という暗い視線の反復それ自体を際立たせていただけですが、舞踏表現が鍛えられていくにつれて、からだに棲むとされる死者である姉と交わす関係を反復することで、死者との関係において、容赦ない位置のずれをからだにもたらそうとする方に向かっているようにみえます。そして、そうした死者との関係における位置のずれこそが、土方に、何かしら無尽蔵なものを与えているように思われます。そのとき土方は、死者というモノと、死者というモノを抱えて自己が不明である事態との関係を絶えず咀嚼—反復することで、「翻訳する肉体」というものを見出していることになりはしないでしょうか。とすれば、デリダ的な転移—転位が、たとえば「病める舞姫」で繰り返し操作されている、土方が土方の少年と関係する位置のずれを差異の航跡として示すような身振りにはっきりとあらわされている、そうみなすこともできるように思います。デリダ的転移—転位は、「それが表れたものとして、アパリシヨン(幽霊—あらわれ)となってわかる」(「極端な豪奢」()内は筆者の補足)と語られていることから、土方が舞踏表現する際の一方法として、すでに自覚的に扱われてきたもののように推測されます。それゆえ、「二つの間を咀嚼する」という仕方で反復され、そこに行き来するものをたどることが土方のからだにはすでに知られており、その作業をデリダ的転移—転位と了承し、それを「翻訳する」、そう土方はみなしているかもしれないわけです。しかも、このときからだにアパリシオン(亡霊)のようにして立ちあらわれるものが、「からだの入れ換え」という、肉体の闇とは別種の視線として、土方によってすでに提示されてもいるわけですから。
「翻訳する」とは、そこに亡霊のように立ちあらわれるもの、その誰のものでもない別種の視線をからだに際立たせることで、混有のまま混有に内包されようとする非等質であるものの中継、そうした事態へとより明瞭に関わろうとする作業だと思われます。その非等質であるものの中継という局面からすれば、「翻訳する」とは、かたちからあらわれへと変動する、その変動に注目することで、結果的に言葉へと中継され、言葉が採集される事態に関わることではなく、むしろ、あらわれがかたちを志向するその非等質であるものの間を、言葉を断つことであえて横断するような事態を、その現場を、採集するものとして示されているようにみえます。そのとき、肉体の闇というヴァーチャルなものは、それとは非等質な言葉という事態へと置き換えられてしまうのではなく、ヴァーチャルなそのあらわれがかたちへと志向するままに、比喩的に言えば、手元にありながら掴むことのできない彼方にあるといった、非在するまま際立たせられる事態へと受け渡されることになるのでしょう。というのは、このときその非在感はからだに緊張として際立たせられつつ、翻訳不能のまま採集されることで言葉は断たれ、言葉へといっさい対象化されない事態として制御されるからです。そのとき、その非在感は、土方のからだに「死んだ身振り」として採り上げられているのです。たとえばそれは、「夏場でも冬の間に下駄の間にはさまった雪を落すわけです、玄関で。夏に、ガタガタガタガタっと下駄を鳴らして、冬場のそういうしぐさが夏場になっても抜け切れない」(「衰弱体の採集」)、そうした身振りとして採り上げられるのです。夏場にどうして下駄に雪がはさまっているのでしょうか。むろん、足に冬場の仕草がどうしようもなく記されているからにほかなりません。が、そうではなく、いや、それ以上に、無主であるはずのはぐれた足が生き生きと雪を想うからです。こう語りながら、おそらく新宿文化ホールにいる土方の足下には、誰の記憶ともされない、亡霊のような雪原が一瞬広がったに違いありません。
 無主であるはずのはぐれたその足が生き生きと雪を想い、足下に暗い背景としての雪原を亡霊のように広げて見せるかのような、からだがかつてみずから記したそのことをからだで語らせる仕方が、「翻訳する」ことの効果であるように思われます。こうした翻訳効果によって、土方は、肉体の闇がインフレ状態になるのを抑制するのではなく、その膨張する性格によって、かえって肉体の闇そのものの価値を高めようとしているかにみえます。非在感とは実は、こうしたはぐれるものの価値がいっそう高まるところに際立つもののようにみえるのです。からだに記されたというよりは、からだがみずから記した事態を語らせるという、土方の舞踏表現の核心であるようなひとつのすがたがここに見出されていると思います。したがって、衰弱体とは、非在を際立たせようとして、非等質であるものをそこに中継(翻訳)する視線を採集するという意味での、新たな表現体なのです。それは、みずから記した事態へと遡ろうとするからだが、そのまま表現する体としてあらわれてくるのです。「飢え」、「食べる」、「むしる」という闇の構造に大きな変化が起きています。中継としての「翻訳する」という、非等質であるものに関わろうとする、いわば複眼的な視線が採集されているからです。

「衰弱体の採集」という、自己を不明にすることでその余白に立ちあらわれるものを主題として語り演じられる表現は、肉体の闇、すなわちからだに関わる単眼的な視線を、からだと言葉が混有するような事態として、土方が翻訳するという中継地点を軸にしてあらためて複眼的に捉え直そうとする作業だと考えられます。もともと身体表現である舞踏が、からだの側から言葉とからだの関わりへと、そのようなひとつの視線へと、その視線を重ねようとするものであったとすれば、そうではなく、言葉の側からその視線をからだの視線に重ねるようにして、言葉とからだのまるごとの関わりに複眼的に関わろうとする作業として示されているように思うのです。このとき土方は、舞踏する主体をとりまとめているような時間に、言葉の側から相対するように(翻訳するように)して舞踏表現している、そう言うことができるかもしれません。その背景には、からだが健康という幻想によって整理—管理されてゆくいっぽうで、言葉もまた情報と化してゆく、そうした社会状況が土方には察知されているからなのではないかと推測されます。それゆえ土方は、言葉をからだと混有させるようにして言葉と自己との関係を断ち、非等質であるもの、すなわちからだの事物性へと言葉を意識的に関わらせつつ、そうすることで言葉が意味する剰余を伝達するような事態に抗し、むしろ言葉が示す事物を連れ出して来ようとするのです。
 言葉という明晰なものが薄暗い肉に預けられ、その非等質であるものが中継される現場を翻訳という仕方で複眼的に採り押さえることで、このとき言葉によってからだに染め上げられる抽象力を、土方は外に向けて表明しようと企てているかにみえます。闇がこぼれるというよりも、より明瞭な仕方で、舞踏のエロティシズムのその抽象力が外に向けて示されようとするのです。そうであれば、言葉で語り演じるパフォーマンスがそのまま、からだという事物に意識的に関わることの表現として、土方自身によって示されていることになります。からだの事物性、それはすでに述べたように肉のことではありません。それは、感性の粒子が「恋愛」するようにして群がることで、からだに錯誤としてあらわれるものが量・質・ベクトルといった強度を伴って際立たせられる、そのような「立たない」事物性のことなのです。たとえば、からだがみずから記したはずの、言葉で語ろうとしてもとうてい語りえぬその行方不明にあるものをめぐる非在感を、はぐれたからだが語ることになるというそのことが、そしてその体験が、そうした事物性というものをよく表していると思います。「翻訳する」は、それ自身の差異を解消することなく、差異そのものの運動として扱おうとすることで、からだに非等質であるものの関係を際立たせながら、こうした「立たない」事物性を、いわば重さのないからだの事物性としてその身を立たせようとするのです。したがって「翻訳する」は、生が錯誤することのあらわれを非在感として示してみせること、それのみを効果として際立たせるのではありません。それは重さのないからだの事物性を示そうとするという意味で、表現として極めて実践的な効果をもたらすものとなっているのです。「翻訳する」ことで、非在感が事物性としてその身を立てることによって、外のからだに向けてはっきりとコミュニケートする、そうした特筆すべき効果を伴っているのです。

Saturday, May 26, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 五 新しいモデル 

1. 衰弱体を採集する         

 ともかくも「病める舞姫」において、土方がかつて「聖なる土地」と呼んだものがその性質上内容として示されるのではなく、「染まるだけ」の表現として展開されたわけです。言葉によるその表現は、極度の緊張状態に染め上げられています。しかしその反面、1969年の「肉体の叛乱」の表現の時点から振り返って眺めた場合、他者の肉体を介することで肉体の闇を差異化し微分化する舞踏符の技法を確立し、闇があらわすものをいっそう充実させ、そして「病める舞姫」という言葉にしてあらためて表現されるにいたって、おそらく舞踏家として土方がからだに関わる視線は、差異そのものが極度に差異化させられているような事態となって大きく膨れあがっている、そうみえるのです。そのため土方は、舞台で踊れなくなっている自分自身を見出しているようです。「肥大化していって自分で自分の重みを支えきれなくなってしまった」(「極端な豪奢」)、そう土方は晩年に語っています。それゆえ、土方が舞踏の表現体として最後に掲げた「衰弱体」についてみる前に、「衰弱体」を語るにいたる、その前提としての土方がからだに関わる視線(認識)についてみておこうと思います。
 土方唯一の独舞作品「肉体の叛乱」は、その正式なタイトルを「土方巽と日本人」といいます。その衝撃的な舞台印象を独文学者の種村季弘が言い表したのが、そのまま通称となっているようです。この「肉体の叛乱」という賛辞がいかなる光景を言い表しているかは、記録されたわずかながらの舞台映像からもはっきりと知れます。肉体という器に叛旗を翻すかのようにして肉体を暴力的な支配下におくことで、その肉体をめぐって迸るものがある。その戴冠せるアナーキー…。いっぽう、「土方巽と日本人」というタイトルは舞台タイトルとしては散文的すぎ、またどちらかといえば正統的な響きが感じられます。そもそも土方の意図は、「土方巽」と「日本人」を繋げる「と」にあったと思われます。しかし、その意図を舞台内容から振り返ると、この「と」はたちまち異様な響きに変わってしまうでしょう。「土方巽」はその反西洋的な姿勢をもってして、「土方巽」を背負い、そして「土方巽」へと収斂させようとしている「日本人」をこそ、大きく逸脱させようと試みているかのようにみえてしまうからです。それゆえ土方は、この「土方巽と日本人」というタイトルを捨てて、パフォーマンスの後からという奇妙な事例ではありますが、この作品に「肉体の叛乱」というタイトルを採用したと思われます。このとき「肉体」という言葉は、その意味を変えていると思います。舞台を観る者は、暴力的な支配下におかれた目の前の肉体が表すものをそのように形容したのでしょうが、そのように見える肉体を舞台で操る者には、その肉体は、あくまでも肉体を扱う視線として捉えられているだろうからです。つまり、このとき土方は、みずからの肉体を扱う視線へと回帰しているのです。みずからの肉体に批判的に接近しようとする、この視線の回帰にこそ、おのずと「日本人」が立ち上がってくる、そう考えられます。したがって、土方が採用した「肉体の叛乱」とは肉体そのものが叛乱するわけではなく、縛められた肉体を凝視しようとする、肉体を扱う視線における叛乱でなければならないでしょう。
「肉体の叛乱」以前、土方がまだ実験的なパフォーマンスを試みていた段階にあっては、肉であるからだにほのめくような「中の素材」を示そうとして、土方は「肉体」の語をことさら強調しています。「肉体」という言葉は生活上あまり使われません。ふつう「からだ」や「身体」という言葉で言い表されている対象が流通し、土方はそうした対象の流通に抗するようにして、肉であるからだに知られる暗い感覚や認識により手ごたえを感じていたからだと思われます。このことは、最初から土方が言及する「肉体」が、肉体そのもの、つまり即物的な肉ではないことを示しています。土方が「肉体」と言うとき、その「肉体」は肉体という対象ではありません。肉体とはまず、肉であるからだに関わることの視線なのであり、それは舞台表現に際して初めて、肉体に関わるその視線が肉においてあらわしてみせるモノ、土方の言葉で言えば「叫び」として示されることになるものであると言えるでしょう。
 いっぽう、弟子たちに舞踏の稽古をつける際には、土方は終始「からだ」という言葉を使っているようです。それは他者のからだを扱うようになって、目の前のからだが肉体に関わる視線である以上に、それはまず肉であることの感覚を示し、そしてその肉であることの感覚が肉を染めあげ、そのとき魂のようにみえるものが肉に重なり合う、そうした包摂的なものとして捉えられるようになったからだと思われます。舞踏符が指示するものによって、目の前に切り開かれるようにして語るからだはそうしたものとして見えてくるわけです。また「身体」についても同様に考えられ、それは身体であると共に身体をめぐる意識であって、身体組織や身体機能として対象化されるものを言うのではありません。犬のからだは身体ではありませんが、人のからだはすでにからだに記し記された事態と意識されていることで、身体なのです。その身体が幼年期に記し記されていることで、いつもすでに、言葉に一歩遅れたまま凍結されているような事態として知られることになるわけですが、そうした事情があるゆえにこそ、逆に言葉によってからだが亀裂に見舞われる、そうした経験が知られることになるのです。少なくとも、土方にはそう考えられているように思います。
 そこで、「病める舞姫」という言葉による表現をも土方の舞踏表現とみなすとすれば、土方が自身の肉体に関わる視線を扱うからだがそこにも示されている、そう考えられます。それは前の章で述べたように、肉体に関わる視線が際立ち、そこに構成されようとしている肉体の闇をめぐる現場として示されているのです。その肉体の闇は、最初から特異な現場として提示されています。その特異な現場が言葉へと断続的に中継されることで、そこに構成されるものが異常に膨れあがっているのがわかります。土方が肥大化して自分の重みを支えきれないでいるそれとは、「病める舞姫」において明度を異常に増している、この肉体の闇のことにほかならない思われます。それはからだ(肉体の闇)というよりも、むしろ言葉が織り成す空間へと等質化されていくことで、おのずと膨れ上がっているもののようにみえます。肉体に関わるその特異な視線があたかもインフレを起こして、自身のからだで表現的に扱えない状態にある、そのことを土方は告白しているように思われます。新たな表現モデルとしての「衰弱体」を示すことで、土方はこのインフレ状態にあるからだに応答しているかにみえます。その衰弱体とは、いかなるからだであるのか。

 さて、ここから、土方巽の舞踏表現における最終局面に入ることになります。「病める舞姫」執筆後、土方は様々な舞踏手による舞踏作品を、構成・演出するというかたちで手がけていますが、待望されていた土方自身が全面的に表に立つような機会はついにありませんでした。おそらく、最後に土方が自身を際立たせることになる機会は、死の前年の二月、「衰弱体の採集」と題して初めて観客を前にしてなされた講演であったろうと思います。この講演は、日本文化財団が主催する「舞踏フェスティバル八五」(1985)において、土方が「舞踏懺悔録集成—七人の季節と城」の舞台を構成した際に、その前夜祭というかたちでなされています。舞踏を日本が生み出した独自の芸術表現として広く認知させようと企画されたこの催しは、土方を中心とした舞踏イヴェントであるにもかかわらず、例外的に、土方みずからが核となって実現されたものではありませんでした。
 このとき、講演の冒頭で語られているように、体調をくずしていたせいで、土方が当初意図した「衰弱体の採集」という題目については多く語られなかったようです。とはいえ、講演記録を読むかぎり(「衰弱体の採集」は声の記録も残っている)、そこには土方が舞踏表現をめぐって鍛え上げてきたテーマが縦横に語られていることがわかります。「病める舞姫」の執筆を終えて以来、土方がまともに文章を書いた形跡はありません。みずから構成・演出する舞踏公演のチラシに掲載された檄文以外は、対談やインタビューに答えるかたちで活字になっているものはすべて語りからおこされています。「病める舞姫」後の土方は、みずから文章表現を禁じ、語りの表現へと意図的に移っていったかのように思われます。この年の十一月にも、すなわち死の二ヶ月前、「土方巽舞踏行脚・其の一」と名打って、全国五つの場所を巡って講演を行っています。その際、前に引用した「鼬の話」と共に、多少異なったニュアンスの部分がありはしますが、「風だるま」というタイトルのもとに、「衰弱体の採集」とほぼ同じ内容が繰り返し語られています。こうしたことから、最初の「衰弱体の採集」の講演で、土方は衰弱体について可能なかぎり語り尽くしていると考えられます。土方が語るその語りの意匠をみると、あたかも自身で自身に振りつけた踊りを踊るかのごとく、自家薬籠中の表現と化しているのがわかります。「衰弱体の採集」は講演であり、それゆえ「病める舞姫」のようなテキストと異なり、そこにいかなる修正も加えられることがないし、その場で構成し直すこともできません。とはいえ、語りがおのずと紡ぎ出すその構成は、テキストの雰囲気にかなり通じているようです。土方の語りがそもそもパフォーマンス的なのであって、おそらく語りのポジションを守るようにして、逆に土方のテキストは構成されているのでしょう。土方の語る言葉は意味を示すというよりは、事物を連れ出してきます。夢という現象がそうであるように、土方は事物を立ち上がらせることで、言葉が意味するものの剰余を逆に言葉で操っていくのです。ですから、「衰弱体の採集」に耳を傾ける際には、語るその内容に注意を向けるだけでなく、言葉を介してそこに言葉とは非等質なものとしてあらわれようとする、土方のからだがおのずと表現するものにこそ注目したいと思います。

「衰弱体」について、土方は「衰弱態」でもよいとしています。これまでも土方は、…体という語を頻繁につくり出し、その時々に応じて、からだについての様々な原理のようなものを示そうとしてきました。たとえば、童貞体、願望体、印鑑体、併合体、人形体、記憶体、病体、朦朧体、剥製体といったものがあります。おそらく死体も、この部類に入るものだろうと思います。こうした表現が何を示しているかは、一概に言うことができません。すでにみた例でいえば、たとえば童貞体は、未生のものにこだわり、現実の個体性に反してからだに記し記されたそのことの未熟性をからだに要請するものとして示されている、そう言っていいと思います。印鑑体は、記し記されたからだそのものを示す際に使われているようです。また併合体は、からだに記し記された事態が錯誤を形成する働きと、そのとき主客へと構成されないままにあるものとが際立ち合うような、そうしたからだを示すものとして考えられています。そして死体には、からだに記し記されたその内容を風化させると共にオブジェクト化するような、死体であることの技法が言い表されていると考えられます。こうした解釈からすれば、…体という表現によって、からだに記し記された事態というものを素材として扱おうとする、土方の姿勢をうかがうことができるように思います。
 ところが、衰弱体は衰弱態でもあることで、他の…体が、からだに記し記された事態を素材として扱おうとする際に方法的に与えられるにすぎないと考えられるのに対して、衰弱という、からだが具体的に関わる態勢を示しつつ、かつそのことが具体的に表現を伴ってくる、そうした様態として考えられているふしがあります。たとえば、衰弱体としての具体的なすがたを、土方は少年期に見たとされる「風だるま」のすがたを借りて語り、かつ「風だるま」のすがたをみずから演じています。そのとき土方は、衰弱体とは、からだに記し記された経験へと遡ろうとするからだがそのまま表現するすがたとなる、そう考え、そう語り演じようとしているかにみえるのです。
 衰弱の様態をこうして考えてみると、舞踏符の技法による表現の頂点に立つ「鯨線上の奥方」を最後に白桃房の活動をいったん中断した後、土方は、衰弱によって立ちあらわれるもの、および衰弱によって立ちあらわれることのプロセスへと、その関心をみずからの衰弱へといっそう深めているのがあらためてわかります。おそらく「病める舞姫」を執筆する際に、衰弱と共に立ちあらわれるもの、およびその手順を、自己の衰弱を手がかりにして土方は逐一みているのだろうと思います。テキストに向き合うパフォーマンスのさなかで、衰弱によって立ちあらわれる「見慣れぬもの」を模写するようにして自己をめぐる声へと中継する、そうした「自明でない自己」を土方は体験しているのです。この「自明でない自己」が「見慣れぬもの」を中継するというその体験が、土方に衰弱体を語らせ、そして演じさせているように思われるのです。その際に、手がつけられないほど言語化し、それゆえ肥大するものがあるのですが、そのことを自覚しつつ、ふたたび肉体の闇を扱う作業に、というよりは肉体の闇を中継する作業に、土方のからだは新たな戦略をもって挑戦しているかにみえるのです。
「衰弱体」の「衰弱」とは、「自己を不明にする」事態であるとまず考えられますが、むろんそのことが目的とされているわけではありません。衰弱の企みとして、土方は次のように語っています。「私は何か、衰弱というメートル原基でもって、人間というのを、柔かすぎる生の寸法を計ってみたい」。ここで「メートル原基(器)」を持ち出しているのは、土方が、衰弱に対して健康というメートル原器を想定しているからです。健康とは病を遠ざけている状態ですが、そのことよりも、むしろここでは都会における市民社会(すなわち管理社会)的な原理を示唆しているように思われます。土方が既定のメートル原器を疑い、自分なりのメートル原器を持ち出してくるのには、土方なりの戦略があるからです。土方は衰弱を提示することで、それと換算されることになるもう一方の健康というものの、その原器性を曖昧にさせようと企んでいるわけです。土方は衰弱というメートル原器を提示することで、市民と呼ばれる人のかたちを棚上げにすることからまず始めているのです。土方の考えからすれば、市民とは、目の前に想像の肉が用意されている人のかたちにほかなりません。その市民による社会が、みずから生み出しているはずの犯罪の暗さを嫌い、その暗闇を堕胎児のようにして隠滅しようとするのです。というのも、健康という死を繰り延べする原理こそが、市民社会が用意する存在についての最強のメートル原器となっているからだ、そう考えるのです。こうした状況に抗するかのように土方は、「自分の健康を衰弱させて、衰弱した物差で健康と称するものの幻想をじっと測って」みる、そう語っています。このとき土方のからだを現実的な衰弱が襲っている、そのことがそうさせているのは疑いありません。が、そうであると共に、衰弱それ自体は「自己を不明にする」という解体的な事態でありながらも、それは「柔らかすぎる生の寸法を計る」という、健康という幻想に抗するための、生を肯定的に捉えようとする事態として企てられているはずなのです。たとえば、「病める舞姫」の表現を通じて、私たちの目の前に明らかにされたことがあるように思います。それは、病の不安(暗さ)が自己の危機を呼び込み、それゆえ自己の外に向けてコミュニケートするよう自己に関わりなく生(明るさ)が強く要請する、というものです。おそらく、「闇の歴史」が示そうとしている死の体験というものも、そうしたもののように思われます。病にあってこそ、むしろ生の事物性が泡立ち、それゆえ衰弱自体が人と人とを事物的に繋げることになる、そうした考えを土方は抱いているようにさえみえるのです。
 さらに土方は、「衰弱」は古典芸能における「翁」のようなすがたとは何の関係もない、そうあらかじめ断わっています。というのも、「衰弱」はからだの構えであるような身体表現の形式に関わるのではなく、自己を衰弱させることで、からだという包摂的なものがみずから表現するその内容に関わろうとする、そうした方法的な経験として考えられているからだと思われます。こうした方法的な経験として自己を衰弱させることのうちに、「柔らかすぎる生」と言い表されるものが目前に中継されることになるのでしょう。そのとき、その中継するものを介して、目前の生が自己という幻想に関わることなく表現するものであることを見定める方へと向かうのです。この「柔らかすぎる生」とは、具体的には、「病める舞姫」のポリフォニーとして歌われていたそのことを示唆していると考えられますが、「衰弱体の採集」とは歌うのではなく、そのとき生の「寸法を計る」もの、すなわち、自己とは非等質であるものを仲介するその翻訳する働きに注目し、また翻訳するその作業に止まることのようにみえます。
 衰弱体を示そうとして、土方が演ずる「衰弱体の採集」の大部分は、かつて幾度も語られてきた土方の少年期にまつわる話が繰り返されています。冒頭の「風だるま」の話も少年期に見たとされる光景で、それが衰弱体に関わる体験であることが示唆されながら、まずその具体的な様態から語り始められています。その後、今まで何度も語られてきた少年期の話が、一見とりとめもなく、しかも幾度も折れ曲がるようにして語られていますが、実のところ、その神経は真っ直ぐに貫かれているのです。

 まず「日本霊異記」に記されている話から、作者である僧景戒が、自分が死んで、自分の死体を自身で火葬するという夢の話を土方はとりあげています。火葬されて、自分の死体が骨もろともばらばらになって焼け落ちてしまうのを目にして、思わず景戒は参列者に向かって大声で叫んでしまいます。ところが自分は死んでいるので、いくら声を出しても他の人には自分の叫び声が聞こえない。そして、死者の魂には声がないから、自分の叫ぶ声も人には聞こえないのだろうと思った、そう記されているといいます。そんな話にこれから語る主題を重ねながら、土方はその話の内容に異を唱えているのです。何が不満かと言えば、そこに時間のずれがあるじゃないか、というのです。自分が死んでいる光景を夢で見たときと、それを記したときにはすでに時間のずれがある、というわけです。そして、そうではなくて、「風だるま」にはそうしたずれがない、土方はまずそう言いたいのです。

 …その風だるまは自分の体を風葬してる、魂を。風葬と火葬だ、それがいっしょくたになって何とかして叫ぼうと思うけれども、その声は風の哭き声と混ざっちゃうんですね。風だるまが叫んでるんだか、風が哭いているのか混ざっちゃって、ムクムクと大きくなっちゃって、やっと私の家の玄関にたどりついたのです。どんな思いでたどり着いたのか? 今喋った坊さんの話と風だるまが合体して、そこに非常に妖しい風だるまの有様がひそんでいるのです。風だるまは座敷にあがって来ても、余り物を喋らない。囲炉裏端にペタッと座っている。そうすると家の者が炭を、これもまた何も聞かないで、長いこと継いでいるんですね、私は子供の時にそういう人を見て、何と不思議なんだろう、何となく薄気味悪いけど親しみが持てないわけでもないし、一体何が起ったんだろうかと思いました。すると、よくこういうことがあるでしょう。最初に荷物がチッキで届いて後から手紙が来る、そんなふうに自分の身の上に起ったことを、喋るんですよ、雪ダルマは。
 おーおーてーはー。
 (ああ、「おおっ」てあんたが叫んだんだね。)
 ビュービュー。
 (ああ、って風吹いていたのか。)
 すると「おーおてー」、「びゅうーびうてー」、「はー」と、そこでそのうちわけがちょっとわかるわけですね。どんなにひどかったのか、そしてその顔は何か、死んだ後の異界をのぞいて来た顔なんですね。お面みたいになってるわけです。生身の身体でもないし、虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなくて、身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人なんです。

 自身の死体を見る自分とそれを言い表す自分にずれがない、というのが「風だるま」です。その「風だるま」を説明するのに土方は、「最初に荷物がチッキで届いて後から手紙が来る」という、あえて転倒した譬えを引き合いに出しています。ふつうは荷物が届くという手紙が郵便で先に届けられて、その後で手紙が指示するものと一致する荷物がチッキで届くのですが、ときにはその逆で、手紙という言表なしに先に荷物であるモノが届き、その後を追うようにして知らせが来ることがあると。この二つの郵便システムのずれとして示そうとされるのが、土方が提唱する、からだは初めから知られているという認識であり、目の前の「風だるま」があらわにしているものなのです。その「風だるま」とは、大風に見舞われて身も心も風葬された人であり、「座敷にあがって来て…、囲炉裏端にペタッと座っている」だけだといいます。そして、風葬されたその身に起こったことを、すぐさま後追いして言い表すのです。いっぽうの景戒が自分の死体を表現する仕方は、そこにすでにない死体を思い起こし、死体であることの記憶として、さらにその記憶の構成として言い表していますが、それは土方からすれば、先に手紙で知らされた荷物を受け取るとされるような、からだとその認識の手順が逆さまなのです。それだからこそ、自身が発したはずの叫び声さえ自身で抹殺しているのです。「風だるま」は記憶を構成することなく、からだに記し記されている事態をそのまま後追いして自身の現在を言い表そうとしている、つまり自身を表現しているのです。その「風だるま」が現在を表現する有様に、実に妖しいものが潜んでいる、そう土方は言います。現在を表現するその言葉といえば、まったく「もうそれはドブドブ」で、意味をなすかなさない寸前の声なのだ。そして表現しているのだから、むろん「風だるま」は生体だ。ところがその有様といったら、まるで「身体がその場で再生された」死者だ、そう言うのです。これが「風だるま」だ、このような「風だるま」の有様が「それだけで舞踏だ」、そう土方は言うのです。その「風だるま」のすがたは、それは生身の身体ではなく、風葬されてばらばらになった「身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった」すがたが物を言うという有様なのですが、要するにそれは、死者が再生されるという仲介を施されてそこに生きた現在を表現しているような、そうしたすがたをしているのです。
 そしてさらに、「これはまだいい方です。一緒に入って来るのがいるんですね。おーおーてビュービューってェー、と言って入って来る」。このとき「風だるま」が発する声、すなわち「風だるま」の現在の表現は、後追いではなく、もうほとんど死者が再生されるのと同時なのです。
 こうした、からだとそれを告知する手紙とが同時に配達されているような表現は、むろん「風だるま」のすがたにあらわれているものなのですが、むしろ土方が自身のからだに際立たせようとするその視線において起こっている、そう考えられます。というのも、現在を表現することと死体であることとが併合される、いわばエロティシズム論理であるような、死が生に棲みつくことで生を際立たせようとする形式に則った身体表現が、土方によってこれまで執拗に試みられてきたからです。とはいえ、土方がみずから衰弱体というものを語り演じようとするこのとき、この語ることの表現は、それまでの「死体であること」の試みを引き継ぎながらも、何かしら別のすがたを示唆するもののようにしてあらわれているように思われてなりません。そのことについて知るためにも、土方が語る話の流れをざっとみてみなければならないでしょう。
 冒頭の「風だるま」の話は、その有様が「それだけで舞踏だ」と土方が言うように、土方自身が舞踏の原点的光景に向けて「深く潜行する」、そのことの開始のようにして語られていると思われます。その土方が語るすがたは、あたかも「風だるま」のすがたと重なり合うがごとく、死者であることで生きた現在を表現するかのような、ある種の力に染め上げられているようにみえます。言い換えれば、「風だるま」のすがたに孕まれた力を借りて土方は、死者に関与されることで自己の不明となる経験のうちに際立たせられるような、衰弱態というまぎれもなく抽象力を帯びたからだからその語りを開始しようとしている、そんなふうにみえるのです。自身に起きている衰弱とも重ね合わせれば、その抽象力はけっして幻想性に陥ることがない、そうした考えが働いているかもしれません。
 こうして、「風だるま」といっしょくたになって吹く妖しい風に吹かれて、この後土方は、語りのその内容を微塵も内省することなく、話をすばやく風に移していきます。風に吹かれるままに、土方はずんずんと少年期の記憶に触れ、それをすばやくかたちにしたかと思うと、またすばやく消してゆくのです。そのとき、またしても土方の四季が背後から浮かび上がり、忍び寄ってくるのです。季節は冬から春となり、「病める舞姫」でも季節の最初に語られた、春先に泥の餌食になった話が語られます。泥の中に転がってくる赤子の頭が、次いで幼児がからだをまるでモノのようにあつかう話が、そしてからだをどんどん景色に拡張させる遊びが、近所の人たちの身振り立ち居振る舞いを盗み見ている少年時代が…。

 そういうふうな動きの身振りが私の身体の中にバラバラになって、浮かれいかだですね、バラバラになったいかだになって浮いているんです。ところが時々そのいかだが集まって、何か物を言ったりするんです、身体の中で。そして私の身体の中の一番貴重な食べ物を闇を食ったりする。或る時にはその身体の中に採集した身振りや手振りが私の手に繋がって、表へ出て来ることがある。私が物をつかもうとすると、つかもうとする手にまた次の手がすがって、手が手を追って手ボケになってしまってなかなか物に到達しない。

 ときおり、こうした自身の話を自身で解説する時間が挿み込まれています。このことは、少年期に深く潜行する土方と共に、それを同時に語りとして表現する土方があることで、そのとき両者を翻訳するような土方が、組まれた「いかだ」と知られている、語るにつれてそこに同時進行するものに注目している、そう考えられるのです。このとき土方のからだに、いわば、相異なる局面となる視線が混有しているわけです。たとえば、少年期に潜行するというのは、衰弱態という抽象力を帯びた、土方のからだに緊張をもたらすような視線をあらわしています。そして翻訳する土方は、翻訳することで、ここで語られているような、ばらばらになった身体がその場で再生されるという、いわば少年期の記憶が形成される、まさに自身の「闇が食われる」その局面(視線)を示すことになります。そして表現する土方は、そうした抽象力を帯びたからだと「闇が食われる」局面とを、まるごとの現在として語ろうとする視線を駆使しているわけです。こうした複数の視線を抱えたからだの事情をまるごと示そうとすることで、言葉による表現に拍車がかかることなく、おのずと制御がかかることになる、そう考えられます。
 たとえば続けて、抽象力を帯びた土方のからだに、夏という季節が忍び寄って、蚕が葉を噛む音として再現されます。その蚕が葉をジャリジャリ噛む音に眠っている男がギリギリ歯ぎしりする音が繋げられて、その男の着ている浴衣が、今脱皮したばかりの成虫の翅ように青ざめているという、そんな話が語られます。そんな幻想に火が点くすれすれの光景を前にして、こんなふうになれば「踊りの稽古なんかいらないんじゃないか」、そうすばやく土方は解説するのです。こうした幻想の制御によって、かえってこの眠っていた男が、どうやら今、土方のからだでばらばらだったものが再生されて立ち上がった、かつての死者の身振りのようにしてみえることになります。

 こういうことは私の身体の中で死んだ身振り、それをもう一回死なせてみたい、死んだ人をまるで死んでる様にもう一回やらせてみたい、ということなんですね。一度死んだ人が私の身体の中で何度死んでもいい。それにですね、私が死を知らなくたってあっちが私を知ってるからね。

 この翻訳は明快です。ここで語られている、からだの中で死んだ身振りをもう一回「死なせる」というのは、ただ「死なせる」ことではありません。逆にそれは、「生かす」ことを示唆しています。「死なせる」ことで、「生かす」ことが言い表されているのです。そう考えられるのは、エロティシズム論理を通じてであるよりも、土方がさらに独自に考えを進めて、「ある」ことが「ない」ことへと埋没する「あらない」について、次のように書き記しているからです。
「日本語では存在を示す動詞『ある』の反対語は、『ない』という形容詞になっているから、非在感が、はっきりしないのです。非在感がはっきりしないから、存在自体もあいまいになるという人もいる。そうだと思いますよ。『ない』という言葉を用いる時でも『ある』の反対は本来『あらない』であるとたえず意識していなければならないのだと。この『あらない』という構造のなかに、舞踏がひそんでいるのです。つまり、存在の根源は存在そのものだということの解析です。あらわれているも、押し出されてくるのは、表現でなく表現のための技術でなくということも、この存在論のはなしの中に含まれているはずです。」(土方巽全集二「舞踏に関する覚え書き」)
 死んだ身振りを死んでいる様にもう一度死なせるということには、ここで言われている「あらない」という構造のうちに押し出されてくるものに関わりがあります。「ある」ことが「ない」ことへと埋没するとき、「ある」と「ない」とがそこに「喰べ合う」ようにして際立たせられる「あらない」事態が、存在に対して「非在感」であると言われています。この非在感が際立つことで、存在も際立つとされるのです。土方はその非在に伴って際立ち、あらわれる仕掛けを指して、それを「あらない」という構造として示しているわけです。もともとからだの中の死んだ身振りには、「ない」ものが「ある」という非在感が付き添っています。その非在感を身体表現としてもたらす際には、そうした非在として「ある」ものを、「ない」ことへともう一度切断させることで際立たせられることになるのです。すなわち、死んだ身振りとしてからだに記し記されているものをもう一度「死なせる」ことで際立たせる、そうした仕方が要請されるというのです。要するに、からだに記し記された事態を(死んだ)素材として(死んでいるように)扱うことで、その素材として働く力だけをからだに取り戻すことができる、すなわち「生かす」ことになるのです。たとえば、具体的な表現に則して言えば、あらわれは、あらわれると共にかたちを求め、そのときかたちが消してくれることで、そこに非在としてあらわれている、ということになります。(「ない」が形容詞であるのも、形容詞とは、それ自体で存立しえないものだからです。それは、発せられた途端に必ず背景を連れてくるのです。)
 この「あらない」の構造は、続けて「私のからだの中の姉」の話が語られる際にも、繰り返されることになります。いつもと同じ調子で語られた姉の話に、次のような文言が付け加えられているのが注目されます。「お前が踊りだの表現だの無我夢中になってやってるけれど、表現できるものは、何か表現しないことによってあらわれてくるんじゃないのかい」、そう死者であり、かつからだに棲みつく姉が言うというのです。ここにはっきりと「あらない」の構造が示されているのがわかります。土方が考える舞踏表現とは、「あらない」という仕方で、非在を際立たせることで存在を際立たせようとするものなのです。そうであれば、存在を「ある」もののようにして問うことそれ自体は、氷解するでしょう。表現に関して言えば、「存在は非存在の衰弱体」なのです。
 こうして土方は、「死者は私の舞踏教師なんです」と死者を称え、「死者を身近に寄せて、それと暮らさなきゃならない。今はもう光ばっかりでしょ。光を背負うと、光を背負って来たのは私たちの闇の背中じゃないですか」と語り、死者が教える「あらない」の構造が、闇に繋がるものであることを示唆しています。
 そして、最後にこの闇は、土方に「飯詰めの話」を語らせています。「飯詰めの話」ほど、土方によって語られてきた話はありませんが、ここで語られる「飯詰めの話」は、今まで土方が語ってきた断片をすべてとりそろえた、いわば「飯詰めの話」完全版といったものになっています。その話は省略しますが、この「飯詰めの話」を語る地点が、土方が期して最後に行き着くところのように思われてなりません。そこには、土方が抱え込んでいるからだの秘密が隠されているのであり、それゆえそれは、土方の舞踏が生まれ、そして潜む場所でもあるはずなのです。

 子供は最初から泣き声の届かない仕掛けの中に置かれている。そこで自分の身体を玩具にして遊ぶことを覚える、闇をむしって食うことを覚える。

 飯詰めに入れられたまま、秋の田んぼにぽつんと日がな一日放って置かれ、火のついたように泣く幼児の泣き声は、土方にとって、ただ泣くという仕掛けにあるものをあらわしています。幼児にはその泣いているからだが開かれた傷口のようにして知られるのみならず、このとき幼児は、泣くというその仕掛けをからだと知るのです。すると、幼児は泣くことをあきらめて、代わりに「涙をむしって食う」といいます。そのとき、幼児はからだの外へと向かうようにして「闇をむしり」、それを「食う」ことでそのままからだの内へと入り込んでしまうのです。おそらく、このとき幼児が飯詰めの外に出て歩こうと熱望する、その「飢え」が熱烈に夢見る足の行方が、ここに非在しているのです。からだに記し記されている、言葉で語ろうとしてもとうてい語りえぬからだをめぐるこの埋没が、土方の言う純粋な意味での「あらない」の構造を示しているように思います。そして、こうした埋没においてこそ「存在そのもの」が際立つ、すなわち、からだが語るとされるのです。
 この飯詰めの体験が、土方のからだに実際に記されているかどうかという問題については、本稿の冒頭で「土方の少年」について述べたとおりです。この体験は実際の身体感覚というよりも、むしろ仮構されたからだとして、とはいえそれは「病める舞姫」の「少年」のように無意識的次元にまで深められているわけですが、そうした、いわば東北の無意識的次元として戦略的に強調されているのです。この仮構は、錯誤を起させるべく仮構である、そう言ってもいいようなものなのです。記憶をめぐる錯誤、そしてその反復こそが、からだがはぐれるような非在感をその反復の内に連れて来るからです。そして、仮構されたからだであればこそ、からだに記し記されているという事態に批判的に面接することのできる、またそれにとって代わることのできる、言うならば、つねにそこに復権させることのできるようなイコンのようなからだとして内に抱え込まれるものとなるわけです。そうであれば、身がちぎれるような熱烈さでもって非在をあらわにするその幼児の特異なからだは、最初は舞踏を喧伝する土方の戦略によって示されたもののようでありますが、最終局面において、からだが語ることの原理を示すすがたとして、それはむしろ誰にでも受け入れることのできるような事態として語られていることになるでしょう。そして、それゆえにこそ、土方は「少年体」について、次のように打ち明けることができるのです。「踊りの場合は、本能をつくろうとした少年体そのものがカンヴァスなわけです。それで、ときどき、そのカンヴァスを見失うわけです。」(土方巽全集二「白いテーブルクロスがふれて」)
 いっぽう、土方の少年時代を想像してみると、やり場のないからだをもてあましている子供を思い浮かべることができます。そのすがたはといえば、「生まれ変わりの途中の虫」という、いまだ生の途上にあるもののすがたとして「病める舞姫」の冒頭で語られていました。この生の途上にあるとは、生をわざと遅らせているような実感であり、そうした遅延を意識した「からだのくもらし方」で、子供はからだを、すなわちその存在をもてあましているのです。秋田の冬は暗く、寒い。風は冷たく、からだは寒さに「しばれる」。大人はみな頬っかぶりして労働せざるをえませんが、子供のからだは寒さの中に縮こまって、空虚な時間をやり過ごすだけなのです。そうやって子供は、寒さに身を隠すようにして熱烈に「飢え」、幻想を「食べる」からだをつくり上げることになるのです。土方が東北という風土によってあらわそうとする経験とは、そのことにしかないように思われます。そして、そうした子供の経験はそれだけですでに、非在をそのからだから「むしり」とろうとする、どんな子供のからだにも通ずる素地となっているわけです。土方が「飢え」を主張するとき、それはかつての東北の飢饉を訴えているのではありません。それは、からだが「ある」ことの拠り所のなさを端的に示しているのです。どんな生命も、「飢え」ていることに変わりありません。こうした言いまわしによって、言葉がからだを扱う仕方を土方は示そうとしています。「食べる」は、からだが「ある」ことのその飛躍的なあり様を示しています。そして「むしる」は、その「ある」ことをめぐって非在をあらわそうとする、すなわちからだが表現するそのことをこそ示しているでしょう。
 こうして、土方の語りは飯詰めの場面にいたって、ライトが溶断されるようにして終えられることになります。

 死の前年、土方巽待望論に答えて土方は、「出来れば寝床のまま劇場に運ばれていって、寝床のまま帰ってきたい」(「極端な豪奢」)、そう自身の表現願望を語っています。要するに、土方の寝床では、深い潜行と翻訳と表現とが混有しており、その混有がそのまままるごと表現のかたちになることが望まれていたのです。そのことを示すように、「衰弱体の採集」を語り演じる土方のすがたには、自身のからだに緊張として見出されているものを翻訳しながら、そのまま語りとして表現しているすがたが見出されます。土方は、「風だるま」という衰弱態をからだに帯びるようにして表現を開始し、からだに肉体の闇としてあらわれる緊張を翻訳しながら、そうした事態をまるごと現在として語り演じているのです。その際に、衰弱を帯びることで自己が不明となる事態に余白として立ちあらわれ、際立つもののプロセス、すなわち「あらない」としての非在をそのまま示すことで、おのずとからだが語ることになる、そう土方は考えているようにみえます。混有をそのまま表現とし、そこに亀裂としての余白を表現しようとする仕方は、今まで見てきたことから明らかなように、土方が舞踏表現するに際しての一貫した方法となっています。衰弱に対立するとされる健康とは、この混有を整理し、余白を見えなくしてしまう理不尽な力のことなのです。幻想へと整理されることなく、衰弱体によって「柔らかすぎる生の寸法を計る」とは、混有を混有のまますがたへと中継する際に、非在感という、言葉にはとうてい還元されえない、それゆえ言葉とは非等質であるものを、からだに関わる視線へと翻訳するその翻訳の働きを見定めることなのであり、それが「衰弱体の採集」の「採集」の意味なのだと思います。したがって、衰弱体とは、自己の不明という事態をもたらしつつ、そのとき自己の不明に立ちあらわれる余白としての別種の認識(視線)であるようなものを扱うからだである、そう想定することができると考えます。
 衰弱体のこうした内容は、舞台作品やテキストという厳密に構成された表現とは異なり、衰弱体を語るというパフォーマンスであることでより明確に示されることになり、講演記録からもそのことがはっきりとみてとれるように思います。観衆を前にしたパフォーマンスであることで、「病める舞姫」にあっては次々と立ちあらわれる余白がおのずと言葉に染まり、結果的に異常に膨れ上がった肉体の闇に、このとき「採集」というかたちである種の制御が施されているのがわかります。「衰弱体の採集」にあっては、肉体の闇という差異的な経験そのことよりも、自己とは非等質であるものを内包する闇そのものが、そしてその非等質であるものと自己との関係が、さらにその関係を翻訳するという「見慣れぬもの」の作業が、まるごと注目されているからなのでしょう。

Friday, May 25, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 四「病める舞姫」と差異的意識 

2.「病める舞姫」印象

6) 冬の景一
「この冬場に身籠った鳥のように、妖しい虹を眼に流している男が、まわりの人に嫌われながら現われてくることがあった。」
 この「冬場の虹男」の登場は、重要な転換を予告しているようです。その男は、人に馴染むようなことをしない「だめな男」とみなされていますが、土方は、「その男に不用意に近づきたい」と考えています。近づくばかりか、その男と一つになりたいと考えているのです。この男は何者か。「この冬場の虹男は、まわりから作図された大きな幼虫のようなもの」とみなされているように、生まれ変わりの予感をはらんでいるのです。その男は、「自分のからだを潜り抜けようとして苦しんでいる」のです。パフォーマンス冒頭の「生まれ変わりの虫」が、男のすがたに重ねられて登場しているようです。この生まれ変わりの予感が、「身籠った鳥」と言い表されているようです。土方と微妙な関係を抱えたこの男が、土方のからだに関わる仕方は次のようなものです。
「この男のからだはいつも何かを防御しているふうなのに、こちら側の見方の位置をずらすと、私達のからだが調べられているような翳りが射すこともあった。」
 外はいつしか淡雪で明るくなった。「虹男は嫁も貰わないで家の中でただ発情していた」。いっぽう、少年は、家の入り口で鳥のように佇んでいます。するとまた一人、「鳥のように浮きでてきている」男が、山の方からあらわれるのですが、「おそらくこの男は体重計の上になぞ乗っかったこともあるまい」。その男は、湯気の気配のうちにふっといなくなってしまうけれども、そのすがたをいったん隠しただけなのです。

 薄目をして眠っている少年のそばに、「可愛い」埃が幽かに笑っている。「その笑いには音も月日もなく、いろいろな思いが含まれていた」。この埃の笑いには粉のように微細な聴覚が隠れていて、鼓膜に「聞きなれない振動」が伝わってくるのです。この埃の笑いには、「記憶ばかりになったもの」も見えるようです。すなわち、粉のように微細な視覚も隠れているのです。埃の笑いとはいわば、少年がモノのようにして抱え続けている、微細な感覚の動きなのでしょう。この微細な感覚は様々に変化し、いろいろな態勢をとることができるようです。いったん、「この埃のなかに降参しよう」。
 埃に替わって、雪が降り始めます。と、どこからか女がしゃべる声がします。
「なにかしら彼女のからだが写しとっていたものは、夏を過ごしてきた草や虫や鳥や、溶けかかったような蛾が競い合っている空気の一断面だったのか。」
 女のからだは白い画用紙のようになって、これまでの少年の記憶を写しとっていたもののようです。いっぽう少年は、ガラス戸に吹きつけられた粉雪の画用紙に、「変な鳥」の絵を描こうとしています。「だがまだその鳥を描くにはちょっと間があるのだ」。「せっかく私のからだにも翼のようなものが付きはじめているのに」、そう言って、これまでの傷の治療をするといいます。
「私はさまざまな病気をもった人の姿を草や木の根っこの風から嗅ぎ出し、その病の網の目にさまざまなものをひっかけて、こうしてしだいに手に負えなくなってくるのだった。」
「病の網の目」が、ここで「蜘蛛の巣」という少年の微細な神経の網から引き剥がされて、手に負えなくなった土方の病芯として示唆されているようです。そして、「私がどんなに響くような鳥を鋳造しようとしても、みんなこの蜘蛛の巣のようなものに、鳥が発する谺は捕獲されてしまうのだった」と、「蜘蛛の巣」とその病芯とのあまりに密接な関係に懸念を抱いています。この「蜘蛛の巣」は、つい先ほどまでは「埃の笑い」になろうとしていたはずなのです。
「こうして私は、もうどんな昼間の明かるさを持ってきても手術ができなくなっている。」
 しかし、傷の治療や手術がどのようなものであれ、土方のからだは何かしらの予感を提示しようとして、ただ紆余曲折しているだけのようにみえます。というのも、
「私のまわりには、にがりのきいた時空がひしひしとせまっている。」
 からだが抱える流動したものを、土方は新たな態勢へと凝集させようとしている、そんな気配がひしひしと感じられるからです。
 冬になり、土方の感覚は鋭く凝集し始めているようです。かなり微細な神経の震えにまで、その「蜘蛛の巣」を伸ばそうとしているのです。「眠りに逆らうこと」と「眠りに落ちる仕掛け」とが葛藤して、緊張をもたらしているのです。鳥のヴィジョンもまた、今まさに生まれようとしているところです。そこに少年が抱える「埃の笑い」という微細な感覚が、土方のゲル状の事態に介入しようとして重要な要素となってはいるのですが…。

「布海苔でも煮ているのか、ひさしぶりに土間の大釜に湯がたぎっていた。」
 この充実感はどうでしょう。この湯気に浸っていさえすれば幸せなのです。「この幸せの心をなんとか明きらかにしたいものだ」、そう言って、少年はその湯気に首まで浸かっているのです。湯気ほど変幻自在なものはありません。その速度は自在です。そこにからだを差し入れても、湯気はまったく動じない。湯気を見つめることは湯気に見られていることであり、その魅入られたような時間を誰もが知っているはずです。その速度、その変幻自在さ、繰り返しのないその瞬間瞬間の現在に、人はつい見つめられてしまう。そして、その速度、その変幻自在さ、瞬間瞬間の現在を、自分のからだに抱えたいと思う。湯気には、そうした充実感を与える魔力があるのです。
 湯気、すなわち蒸気は一瞬にして爆発する。その爆発するような蒸気が、実は氷のすがたをとっているもののうちにも内在しています。
「軒先に吊り下がったあのつらら鳥、その透明な芯にいつかは齧り付かねばならない。それには相当の我慢が必要だ。」
 つららはけっして鳥のすがたをしているわけではないけれど、土方には飛ぶすがたとして捉えられているのです。鋭利なつららのかたちにではなく、つららの周囲に軋む力の跡に注目しているのです。その力跡とは、大小の渦巻く周囲の冷えた風の牙がつららをかたちづくる、いわば変動するものの痕跡なのかもしれません。
「つらら鳥の芯が飛んでいるのだ。私にも飛べと叫んでいるのかも知れない。」
「埃」ではうまく果たせないでいることが、「湯気」ではうまくいっているようです。しかも、「湯気」と「つらら鳥」の正体はいっしょなのですから。少年と土方は共に、異様に活気づいてきた。湯気の中でいよいよ大胆になり、「釜の湯と、湯掻いた蕗の匂いと、私の信心のようなものがどこかでつながっていた」。
 もう遠くまですっかり雪野原です。何もかも真っ白になって、外のことは何も考えなくてすむのです。
「ふわりと顔が湯気のなかに舞い降りた気がする。すると湯気のなかに大きな明かりを点した灯籠がぼおっと浮かんだ。」
 その浮かび上がる光景のうちに、様々に衰弱したすがたが見えてきます。そして、これまで土方が幾度も繰り返してきた、湯気の中にあらわれくるものとの格闘が始まろうとします。それは土方が挑む、幻想との最後の格闘といっていいような光景です。
「用心に用心を重ねても用心しきれない湯気のなかから私は逃げ出した。」
 土方は、幻想の餌食からいったんは逃れるのですが、ふたたび幻想の罠にはまりかかってしまいます。湯気の中に男が構えていて、土方を幻想に誘い込もうとするのです。すると、「そばで誰かが釜の湯に水でも足したのであろう」、状況は一変します。
「低くたなびく湯気に、古ぼけた運命みたいなものと向き合っている脳味噌が流れて、白い湯の表面に着物を着終わった子供がサッと立ち上がった。」
 さきほどの男が、湯気から逃げてゆくのが見えます。今や土方は、釜の湯に向かって叫び続けている。「そのとおりだ。そのとおりだ」と。というのも、そこに母親のすがたがあらわれるからです。そして母親は、土方に向かって呪文のような言葉を投げつけるのです。「お前には力がない」と。
「そこに水が注がれた瞬間釜の様子が一変した。さっと冴えない蒸気が湯の表面を流れ、すぐさま薄い蒸気が一斉に羽をつけて白く立ち昇り、淋病のような霧が抉られて大口を開けた湯気になって、あやふやに崩れ落ちてくる。曖昧に消えてゆく湯気のなかから、負け蒸気が釜の縁にひっからまったり、除け者にされたり、やや遅れてゆうゆうと殺し屋風な濃密な湯気に混じりあい、あっという間に空気と出会っては立ち去ってゆく。この曖昧なぶつかり合いのなかにいまだかつて見たこともないような親類が棲んでいる。」
「釜の底はがらがら、湯の表面がぐらぐらで、がらがら、ぐらぐらと渦巻くなかに、一切の病が白い浮腫を浮かべては沈み、巻き込まれては浮かび、桁はずれの絶妙なお化け湯となって湯玉を産卵しながら怒り合い、泡の除け者を巻き込み、たちまち一つの輪を作り、霧の雨を覆い被せては、またその輪のなかに戻ってくる。…はっと息を呑むと湯煙にむせんでしまい、暗く見交わしているような草や年月も、犬の魂や私の足も、一切合切掻き集めてガラガラ湯のなかに入っていった。」
 すると不思議にも、湯の渦の中心に、一本の「つらら鳥」があらわれ、湯を掻き回している。
「私はこのつらら鳥と湯の間の明かりに包まれていた。尻に矢が刺さっているような気分もするが、ともかくあたりは大きな灯籠のように明かるい。その明かるさの大きな玉のなかに、いろいろのものを結合させたり、不安定なものをありったけ抱き込んだりして、どんなものが飛び込んでも驚かぬ程そのつらら鳥にくっついて私は火傷していたのだ。」
 このテキストに向き合うパフォーマンスの中で、最も劇的な光景です。土方の「病の芯」に、劇的な転換が起きている。その転換によって、今や土方のからだは「明るさ」に直に触れ、「明るさ」に火傷しようとしているのです。幾度かの幻想に遮られながらも、辛抱強く耐えた結果でした。
 あらゆるプロセスに名前がないように、蒸気や湯気の一瞬々にも名前がない。いっぽう、そのとき湯気を経験するからだには、言葉で言い表せない実に精妙な事態が懐胎されている。言葉で言い表せない事態であるにもかかわらず、それにいっさい名づけることなく、その事態を私たちは生き生きと語ることができる。それは、言葉は錯誤を示そうとするけれども、その錯誤のまさに中心で「火傷」を負うことで、どんな錯誤もプロセスの「明るさ」として示すことができるからなのです。

7) 冬の景二
 最終景が、二つの場面に分けて示されています。一つは黒マントの女の道行きであり、もう一つは黒マントの女が白マントの女の霊と交わす対話であり、踊りです。このことからもわかるように、最終景はこれまでの景と全く違ったものとなっています。少年の記憶と交錯するようにして見出されていた差異の光景は退き、土方の声はいっきに対話の形式へと解き放たれています。そして、そこに色々な声が呼び出されてきます。また、これまで曖昧に変動していた視線はくっきりと見分けられるものとなり、それぞれが明確に展開され、紆余曲折していた語りはまっすぐに進行することになります。そのことによって、全体の光景がひとかたまりになって思い浮かべることのできる唯一の景となっています。
 まず、母親のすがたをした黒マントの女の語りがあり、少年の視線がそれに付き添うようにしてあり、かつて土方が体験したであろう、雪の道行きの光景をまるごと説明する土方の視線があります。黒マントの女の語りはポリフォニーのように、その中にいろいろな声を呼び出し、また呼び出された声がまた別の声を呼び出しています。それとは対照的に、少年は黙し、いつしか脱け殻のようなすがたと化してゆきます。そうしたなかで、土方の気分は静かに高まっています。
 黒マントの女の語りは、言葉の即興です。その内容は、からからに乾いたモノのようにみえます。語りの中に終始、赤のイメージがつきまとっているのがわかります。その赤が、何かしら悪気を払うように感じられます。しだいに、鳥のイメージもあらわれてきます。その声は吹雪の中を歩いています。その語るのを最初に少年は聞いているのですが、しだいに雪の上に取り残されたようになって、そのまま雪の中に沈み込んでしまいます。少年は雪穴を堀りすすめ、ついに雪の洞にみずからを埋葬するようにして、埋もれてしまいます。
 白マントの女が登場すると、黒マントの女との対話はいっきに祝祭的なものになります。白マントの女が歌を歌うと、おそらくいろいろな人物を抱えたすがたに変容している黒マントの女の声もいっしょになって、少年を埋葬しにかかります。よみがえった霊のような白マントの女は、黒マントの女に踊りの極意を語ります。夜の底に浮かぶ白い雪景色の中で、二人の踊りが繰り広げられていきます。それはあたかも、闇そのものが織り成す霊的な光景のようにみえます。
 最初に、白マントが黒マントの踊りに注文をつけます。
「いまあなたが動いたところから三歩さがって一回出ていって、大きく七回りほどして私に明かす胸のうちを嘘偽りなくしゃべってくれ。気など失ってならね、新しい家の棟上げのすまないうちはな。あなたのおどりは生まれたままの重さが残っているから、骨の棒で叩かれねばいけない。そのついでにそこいらの雪の羽ひき毟って、からだにくっつけないと疲れてしまって足ばかりこまごまして、何となくおどりが窮屈になる。だまされるな。」
 黒マントが答えます。
「いまさ、なんだか空気の流れはかってたの、その音聴いてたの。からだの仕掛けが風の洞のなかにポーンと置かれたようになってさ。」
 白マントが注文つけます。
「それにしても身の寄せ場が近すぎたぞ。もっと背中の方から気絶してみせなくちゃ。それだって加減ものだぜ。」
 最初の注文を、土方は自分に言い聞かせているようです。そしてその答えは、自身の状態を見つめる素朴な気持ちということになるでしょうか。そしてもう一度、自戒する。そうしてみると、この対話の中の「気を失う」ことの内容が注目されます。新たな態勢を得るまでは、「気など失って」はならない。「気を失う」ことは、「からだの仕掛けが風の洞のなかに置かれて」、ただ「空気の流れをはかること」にすぎないとされています。しかし、そうだとしても、「身の寄せ場が近すぎ」てはなりません。だから、「もっと背中の方から気絶」してみせることが大事なのです。自己を不明にするとは自己を失うことではありません。そこには暗い背景との距離を自覚した、精妙なやりとりがなされなければならないのでしょう。
 次に、白マントがみずから歌い、踊り、見本を示してみせます。
「からだのなかでぬくめたことを、そこいらの雪にばら撒くように、持ちこたえられなくなったように散ってな、ばら撒くことが肝心なのよ。細かい気持ちなどさらさらいらないんだよ。あなたはまさぐっているからすぐ降参したようなおどりをするが、それはただ、からだがあなたにせがんでいるもので、溺れた男にまだ騙されるようなとこがあるよ。気をつけなきゃ。酒の上澄みをみがくような心得はな、ほらこうやって。」
 しかしこれも、土方が自身を戒めているようにみえます。土方は、からだがせがんでいるものに、それが結果的に「溺れた男」となる幻想に「騙されて」きたわけです。そうではなく、「からだでぬくめたことを」、「からだに持ちこたえられなくなったように」してばら撒かなければならない。それには、「酒のうわずみをみがくような心得」、たとえば行為のさなかの中断にあらわれる、あるかなきかのものをそのまま仲介するような作業が必要とされるようです。
 黒マントが答えます。
 私はそんなふうには踊れない。「おどってる足許深く掘ってくと、雪底に白い葱や牛蒡や湿気た黒い土が注意深くちゃんと生きていた。明かるい色だして、いい色艶だして、ちゃんと眼さましてたよ。それで私も、眠ることで見つけることができたあの場所へさっさと走っていってな、小さな牛蒡や蛙つかまえて戻ってきて、また眠りの続きを見ればいいんで、あまり疲れないようにして、からだの貯えだけで氷のむろに眠っていたいもんだ、とついつい思っちゃうの。」
 要するに、からだに記し記されている作用が生きているものだけを見つけて、あとはからだに蓄えたものの中に眠るように表現すればいいと…。
 白マントが忠告します。
「そいじゃ喉から糸垂らして春先の縁側に座っている爺様と同じだ。毛穴ふさいで冷えたまんま、まわりと何の縁故もなくなってしまうのがおどりのコツだよ。始めのうちは粉肉に帯しめろと言ったが、この二つが絡まって好きなところに向かうようにならなければいけない。」
「つらら鳥」のように、今にも飛ぶような冷えた死体であることが踊りの極意である。このことと「粉肉に帯しめろ」、すなわち粒子状の肉体をそのまま採り押さえること、この二点を絡めて自由自在にならなければならない。
 ふたたび、白マントが忠告します。
「…それにこれはただの風ではないがな。やっぱりダメだった。とてもダメだった。そんな空気の声やらが隠れているあなたのあばら骨はね、いつもじろっと横目で見られている不安というやつさ。そんなあばらと親しく口を聞けるのは、馬車引きの影ぐらいのものだよ。だから、ひとまず風を横に移してな、光の外に立たなきゃいけない。ただ反射しているだけじゃ、病気で人欺くおどりとあまり違わないものね。」
 鏡のように、ただ反射させているからだだけではだめだ。それでは今までの踊りと変わらない。光を反射させるその光の外に、からだの視線を立たせなければならない。
 そのとき、黒マントが「あなた誰だ」と白マントの声を疑うので、白マントが答えます。
「何を言うのだ。あなたが覗いているのは私の顔だよ。私の顔はきれいじゃない、が、井戸の底に映せば、怖がることはお互いさまで、だから腰紐たらしておけと私はあなたに言ったのだ。」
 白マントと黒マントは、違うところにいる一つのものの二つの顔なのです。そして、白マントの方が深く暗いところにいるようです。というのも、黒マントが白マントに面と向かうには、からだに梯子を降ろし、命綱をつけて降りていかなければならないからです。そうでないと、恐怖を感ずるらしい。そして今二人がいるところは、その深く暗いところなのです。
 今度は、黒マントが注文つけます。
「あなたの自来也にはまだ山菜の匂いがついているからそれを全滅させねばならぬ。あなたのからだからは、いい青物を出しすぎるところがあるからね。雪のなかには、にごり鳥もいれば、だらしない蝦蟇もひっかかってる。私はね、雪崩も気持ちの崩れももう一つのものに見えてるし、そういうことは供養済みだから。」
 白マントが踊ってみせます。
「白マントの女は、顎をはずしたビッコの縄跳びをしはじめた。迷い子よけの匂いを嗅ぎにいっていたような鼻が戻ってきて、その縄跳びの顔にひっついた。すると顔の皺や、うっすらと生えた産毛が一緒によじれ、よじれて飛んでいる縄と一つのものになった。」
 見事な踊りです。次いで、黒マントが踊ります。
「黒マントの女はなんだか額のあたりがむず痒く、どうしたらいいかわからないまま、雪の上に四つん這いに這い出して、這い這い幽霊のようになった。」
 これも面白い。その踊りを白マントが批評します。
「身の上話や打ちあけ話など人にくれてやればいい。だってみんな自分のことだもの。だがね、暗い耳の穴を覗くようにさ、昏れかかるようで昏れかからない生半可でやるおどりも捨てたものではないがね。これぞという時にはな、あばら骨から崖が飛んでいってもいいという気持ちになって、やらにゃあ駄目なんだよ。…外見にはだまされるな。」
「あなたのおどりにはねえ、ただひきずられて楽しんでいるようなところがあるからあぶない。表情の一人歩きが多すぎるよ。私を悩ましているのはね。髭をつけたドクロでなあ。その響きが耳にさわるのよ。赤子を凍らせるにはまだ早すぎるさ。もっと紙切れのように赤ん坊捨ててしまわねば、鏡台の鏡掛けに笑われるよ。」
 黒マントが自戒します。
「たしかに私を悩ましているものはそのようなものだと黒マントは思った。いつも畳の点から退いて、あの子の後ろにぴったりくっついているところが私にはありすぎるかも知れない。ただ成り行きにまかせていたら死んでいくのだ。ここであの子のためにも一つがさっとした幽霊にならねばなと思った。」
 白マントが忠告します。
「頭の上に氷の板のっけるところはなあ、ちっとも面白くなくなった気持ちで扱わねばいけないよ。そこが大事なところでな。情けなくなっても、恥ずかしくなっても、中身がなくては着物はつけられね。元々中身がないところに出てゆくのだから、まあ、言ってみればこれがまとめ幽霊とでも言えばいいかな。」
 白マントが語る、踊る心持ちについての最後の忠告を聞くと、黒マントは雪の中に自身の小便の痕をしっかりと残し、「たいそう大切ね」という声をしっかりと残し、ふっとすがたを消してしまいます。一人残された白マントの上を、「情け容赦ない風が素知らぬ顔で」吹いて、どこからか黒マントの歌う、「きれぎれだが力のはいったしっかりした」声がします。このとき黒マントは、白マントのいる深く暗いところから、こちら側に戻ってきたのでしょう。その黒マントの歌う歌は、「病める舞姫」というパフォーマンスをいっきに振り返るような内容になっています。すなわち、「暗がり」のサナギの一生に身を捧げ、眠りをしぼり、そこに朝日を忍ばせ、尿で描かれた鳥…。この尿で描かれた鳥、それがパフォーマンスによって最終的に土方が示す自身のすがたと言えるでしょう。パフォーマンスによって描かれたその鳥は、ただ「染まるだけ」の鳥、そのようなものとして示されているのです。
 こうして黒マントは、白マントと実は重なり合いながら、からだの深く暗いところから戻ってきたのです。そこで羊羹を手にもった、黒マントの歴史が確認されます。その羊羹の切り口には、「形容し難い倒錯した空が小さく映っていた」。「お互いを呼吸していた二人は固く口をつぐんだまま、しだいに青みがかかっていった」。この青みは、羽化したばかりの成虫の、まだ濡れている翅の色のようにみえます。

                ※

「病める舞姫」というテキストに面接する体験には、自身の身体的体験に見つめられるような官能、すなわち感動があります。その体験には、季節が大きな力を発揮しています。季節というものには、「かじかんで何の祖先かもわからなくなっている遠いわたくし」を、すぐそこに息づかせるような力があるのです。季節とは、自己と無関係に私たちのからだをめくり、そして包み込むものなのです。この季節に私たちの「少年/少女」は息づけられ、たとえば周囲の物との感情交換、そしてそのとき活動していたはずの感性の粒子等が生き生きと復権されるのです。しかし、その復権は、はぐれたままにあるのです。すなわち、それは夢のような、非現実的な感覚ではあります。しかし、夢とは、夢を構成する非記憶的なもののその物質性に通じているものなのであり、そこに意味としての現実などはなからありません。ただこの物質性に通じているものの復権には、何という「明るさ」が見出されていることでしょうか。
 土方は、この「明るさ」と、記憶の堆積する「暗がり」との葛藤から始まり、「暗がり」に息づく「明るさ」の抽象力を見出しつつ、そのことを尾行する過程において、その抽象力がすばやく幻想性を帯びる問題にまず向き合っています。抽象力としてのあらわれがかたちを欲するのは「飢え」の本性なのですが、自己をめぐる皮膚とは、この「飢え」の本性に止まり続けることで知られるものなのです。そこで土方のパフォーマンスは、「明るさ」の抽象力のうちに自己の不明にいたるまで滞留するそのことによって、自己をめぐる皮膚が強度に「染まるだけ」という事態へと、道行きを演じようとするのです。この長く、忍耐を要する道行きを「土方の少年」と共に歩ませるものが、「病める舞姫」というヴィジョンなのだと思われます。この「病める舞姫」というヴィジョンは、今見てきた印象からすれば、死に通じるものであると同時に母なるものであり、言い換えればそれは、非記憶的なものの物質性と無意識であるものとが、非等質のまま相互に内包し合うことで表現されているような、土方のからだに懐胎されようとしている「初心」の次元をこそ示唆しているでしょう。
 こうした土方の道行きはそのまま、肉体の闇がいかなるものであるかを示すことになります。闇は、「病める舞姫」が連れて来る「誰もが知らない向こう側の冥さ」、そう見当づけられています。すがたを容易にあらわさないその闇をめぐって、かつて起きた「食べる」ことの作用が「むしられ」、そして「食べる」ことに伴う構成が回収されることなく、ただその作用が再現されようとしているわけです。土方はことに、「食べる」作用がその内容を伴って自己をたちまち構成してしまう「暗さ」に陥らないよう、「食べる」ことの「明るさ」、すなわち主客の転倒する現場を素手で捉えようとすることで、そのとき捉える者が捉えられる、そうした事態を目論んでいるようです。そのようにして土方は、「飢える」ままのからだに接近しようとしているのです。このとき「飢え」は、かたちになろうと欲するままの、すなわち「食べる」に染まるだけの表現として示されようとします。具体的には、土方はこのとき、「土方の少年」という、「食べる」ことの作用を再現すべく時間だけに関わろうとしているようです。そしてその時間の内容とは、「病める舞姫」の印象からすれば次のように言っていいでしょうか。かつて自身に体験された、周囲のモノとの交感において外部が内部として構成されたその現場が、情動、感覚、気分といった量・質・ベクトル共々に備えた強度として今なお捕獲されようとする現在として、土方の主客の不明な事態に再発見されるようにして流れる、そのような時間として示されようとしていると。そしてさらに言えば、こうした時間に関わる表現のさなかにこそ、からだに記し記されたその経験が生の現在として復権されている、そう考えることができるのではないかと思うのです。
 表現という錯誤する働きのさなかにこそ、生が復権されている。そのとき「病める舞姫」を語る土方の声には、土方がおのれのからだに見出している差異に関わることで起きている、特異な現象がみられます。土方の声は、土方が発していながら、そこに次々と自分のものではない声を引き寄せてゆくのです。またその声が別の声と恊働しつつ、新たな声を生み出してゆくと、そのからだに多くの声が響いてきます。それは、死者や人間の声ばかりではありません。物質の声、暗がりの声、埃の声、湯気の声といったものが混じり合い、その論争は、人獣植物物質自然といったものの混有合唱にいたっています。「病める舞姫」のこのポリフォニーは、不思議といえば不思議ですが、土方の肉体の闇という、特異なモノローグに端を発して生じているのです。おそらくこのとき、からだという、肉とモノと霊とが非等質のまま恊働し、そしてやり取りし合う、そうした原理に視線が向けられることで、そこにおのずと変動し、そして声を発するものがポリフォニーを奏でることになる、そう考えられます。このポリフォニーは、何を歌っているのでしょうか。土方は、「舞姫」という始原的であるものと自身の舞踏表現とを繋ぐ関係をより強めることにより、舞踏を受け入れる器、その受容器がいかなるものであるかということを歌い、そして演じているように思われます。「舞姫」とは、人格も顔貌ももたない何ものかです。それを母なるものと言っていいかわかりませんが、そう示唆されているのは、その始原的であるはずのものが、舞踏を受け入れる器が人間を包み込む裸の自然と直面する際に必要とされ、また拠り所とされるものだからではないでしょうか。舞踏を受け入れる器とは、人間的な感情はもとより、個的なものをようようまとめあげようとする主体さえ拠り所としない器なのです。それは、からだに意味なく与えられるものをただ受け入れる器、このむきだしの自然の中にただ人間がいさせられているような冷酷な環境にあってさえ、自然の驚異を黙って受け入れ、そしておのずと表現することのできる器なのです。この器は単独のからだでありながらも、「舞姫」との関係を強めることで、多くの声を響かせるものとなるのです。
 こうしたことが、「病める舞姫」の場合、春には「食べる」ことがアンビヴァレンツなまま際立たせられ、夏の衰弱から秋へとよみがえり、冬にいたって「飢え」が際立たせられることでふたたび始まりにいたるといった、春から冬へと、肉体の闇をゆっくりと移調させるようにして歌われているのがわかります。要するに、この「病める舞姫」というパフォーマンスは、主客の不明な事態にあって演じられているとはいえ、テキストへと厳密に構成された、精妙さの表現と言えるでしょう。

Thursday, May 24, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 四「病める舞姫」と差異的意識 

2.「病める舞姫」印象

3) 夏の景
「風に引っ張りまわされた髪の毛のなかにも温もった臭いをかこった人が腐った甕のそばに立っている。」
 こんなふうに衰弱した人が、忽然とあらわれます。「その人のからだの崩れが活発になってきている」ことから、それはおそらく、土方自身のすがたなのでしょう。夏の炎天下に、「自分の影を耕したり掘り起こしたり」するようにして自身が自身を語る、そのすがたを言うようです。
 夏は、春に張りつめ、そして食べていたものを、徐々に気が抜けたようにさせてしまいます。夏の空気は臓腑を腐らせ、あらゆるモノを呆けさせてしまうのです。そのため土方は、長十郎梨にかぶりつく少年を思い浮かべるだけで安心しています。いっぽう、夏という季節は、なぜか外国風と関係しているようです。夏には、「目には見えない色情がねばついた影に隠れて、表を一人歩きして」いるせいなのでしょうか。それとも外国風には、コロニアリズムに見られるような、暑さに崩れる美学が隠されているからでしょうか。この崩れる仕掛けを抱えた「芯まで腐ったような」外国の風に、土方の病も関係しているふうにみえます。
 一瞬、夏の葉影の奥に雪の光景が繰り広げられ、突然、その雪原が鯨となって泳ぐ光景は実にすばらしい。その雪の切身を切り出している覆面をした男は、癩病者だ。こうして炎天下に「闇が腐りきると、そこに懐かしい洞ができ」、ふたたび少年が活気づくのです。

「縁の下から這いあがってくる湿り気を含んだ風は、私とそっくりの出生を持っていて、その風の中に蜘蛛や蜘蛛の巣もひっからまっていた。」
 少年のからだの「縁の下」から風が吹き上げ、「蜘蛛の巣」、すなわち少年の神経網のようなものが、土方の顔に絡みつくようにして見出されています。その蜘蛛の巣には、記憶を堆積させた、その堆積作用も絡みついているはずなのです。
 脊椎動物の神経細胞は、その個体の一生を通じて変わることがありません。内臓器官のように、細胞の交替がないからです。だから、神経系には反復としての記憶が記されたままにある、そう知られているわけです。記されたその記憶が空間系を構成するいっぽうで、神経網がニューロン発火によって一瞬一瞬の記憶局面を描き出す、その一瞬一瞬の記憶作用の局面こそが、その個体にとっての、むきだしの現在でもあるわけです。それは、空間系と違ってはかない。はかないけれども、その一瞬一瞬に描かれる独自の記憶作用として、それは特異なものなのです。そうした記憶作用を、土方は「あがりぶちに座ってその風に足の裏を浸す」ようにして、頭ではなく、あくまでも足の裏で捉えようとするかのようです。実際、足の裏には神経網が集まっています。この足裏の感覚を出発点にして、記憶作用をたどろうとする風が、土方のからだの隅々を貫通してゆくのです。
「足が足に話したがっているのだった。足はうすい羽をつけた蛾のようなものになって縁の下の谷底に降りていったりした。」
 この「縁の下」とは、意識下のことでしょうか。とにかくそれは、臓腑を腐らせる「炎天下」と対照的な場所であることは確かです。
 夏の暑さは、永遠のごとく続くようです。次から次へと夏の光景があらわれては消え、夏の記憶や印象が消えてはあらわれ、土方は「炎天下」から「縁の下」へと、少年のからだを見定めようとしているかのようにみえます。犬に幽霊、黴に乾燥鮫。こうした脈絡のなさと変幻が、夏に食べられることの正体かもしれません。ここには行方も見つからないし、よみがえりもありません。とはいえ、いっきに語り尽くそうとするこの緊張の高まりは何だろうか。ちなみに乾燥した鮫は、三日も水につけないと、かたくて食べられないしろものです。

4) 晩夏の景
「わざわざ考えるまでもない箸が、もしかして私をいつも呼び続けていた声だったとしたら、という知恵の欠けた不安が、そのまま私の頭に沁みていっていた。」
 箸は、いわずと知れた食事の道具です。が、それは「食べる」ことに介入していて、そのことを曖昧にする役目を引き受けているかもしれないのです。それが美しい塗箸であればなおさらです。箸は食事作法に関わり、「食べる」行為を矯正するものなのです。だから、箸に対しては様々な戦いがからだで演じられ、そのことがからだに刻印として残されているはずなのです。「食べる」ことの欲望に介入し続け、そのことを曖昧にしている箸は、こうして未解決の問題として私たちのからだの前にあらわれてくるのです。しかし、「食べる」ことにおいては、「食べる」ことを中断させてその痕跡や刻印を検証することよりも、何はさておいて、「食べる」現在の欲望が先行しがちになります。だから、この「食べる」ことの一寸先、欲望の鼻先にある「虫の髭の迅さ」、この「虫の髭より迅い」欲望には用心しないといけないのです。もしくは、「からだを衰弱させて」、粗大な自己を暗くさせれば、かつてのからだの神経に触れるような微妙な迅さを、そのとき見てとることもできるのかもしれません。「暗がり」に隠れている鼠捕りや鳶といった、でたらめの空想の罠や餌食になることから逃れさえすれば、「もう二度と見ることもあるまいと思われた少年の私が、犬の動悸をつけて帯を垂らして、今そこの手の届く暗がりにぼんやりと立っているのだ」。
 こうして、夏にかけてとうに忘れかけていた少年のからだの微妙さが、ふたたび見出されようとしています。少年はいつものように「暗がり」に立っていますが、しかしこの少年は、今まで何度も「暗がり」に見出されてきた少年とはちょっと雰囲気が違っているようです。土方は、少年のからだに記し記されているものを見定めるかのように、意識の速度を異常に緩め、スローモーションの光景をつくりだしています。そのため、この少年は、変な光を宿した流体に仕上がっているかのようにみえます。その流動状態を失わぬよう、土方は目に入ってくるものをかたっぱしから歌うようにして語っていきます。そうやって土方は、「私の少年」という流動体を激励するのです。それは少年が流動体であることで、少年が「ものの形を真似る」ことの変動が土方自身のからだにかなり親しげに重なってくる、そのことが大切とされているからにちがいありません。
 少年は「暗がり」の中にあって、周囲に透明な神経をはり巡らしています。その神経はあたかも蜘蛛の巣のように、そこに死者のすがたが捕えられるのを待ち構えているのです。ある記憶作用が、蜘蛛の糸に絡まった虫のようにしてひっかかる。その記憶作用は乾いて透明のままです。そしてその記憶作用は、誰のものでもないようにして扱われなければなりません。そこにけっして「私」が介入してはならないのです。そうでなければ、透明ではなくなるでしょう。そうした「私」という汚染から脱している事態を、「足の裏の闇に私の足が飼われ始めている」、そう土方は言い表しています。この足裏の闇とは、思考の光に対立するもののことでしょうか。そのとき、「もう少しだ、もう少しだ、と励ますのは誰なのか」。それは思考ではないから、ひょっとして記憶作用に隠れている、何かしら生のエネルギーのようなものなのかもしれません。
 こうした記憶作用そのものを回収するために、土方は「私の少年」を核にして、記憶作用であるものならば何でも磁石のようにからだに吸い付けてゆくのですが、今は、「竹製のおもちゃの蛇」が何にでも噛みついてゆきます。このおもちゃの「蛇の関節は滑るように伸び」たり縮んだりするのです。蛇は「白い骨」となり、その骨の仕掛けによって、少年でさえ気づくことなしに、周囲のモノにかたっぱしから噛みついてゆくのです。この蛇は、暗いものに勝手に飛びかかっていきます。たとえばそれは、捨てられた枕です。「この枕から激励が生まれた」。この蛇は土方の思考を離れて、少年を独自に活動させる働きがあるようにみえます。すると、土方と少年との関係に一瞬の変化がみられます。
「未発達の霊の働きによってか、空中で燃えている無花果の砂糖漬、その壺のせいでか。私の向こう側で嵌め込まれたような動物になって、私の少年は私を不審そうに覗き返しているようだ。」
 少年が独自で活動する様子がみられはしますが、「不審そうに」という表情に、何かしら曖昧な雰囲気がみてとれます。逆に少年は今、土方の声を待っているようです。少年が動物のように独自に活動するという事態に、土方は一歩遅れをとっていると感じているのでしょう、土方はいっきにそのずれを埋めようとします。けれど、「そこへおまえの蛇は飛びかかってきたのか。そこは淋しい場所なのかどうか判ったら教えてくれ。」
「少年を照らす明かりは、光そのものか、光に絡んだ幽子のようなものか。」
 竹製の蛇を介した土方と少年のこの関係は、かなり曖昧なものになってゆく傾向にあります。しだいに「視界が霞んできた」。土方は何もかも手放して、少年の息になってしまいたかったのだけれど、「急に私は、思い出に息切れしてきたようだが、もうとうに息はなくなっていたのだ」。
 この顛末は最後に行き場のないものとなり、「手にしているのは始めから蛇などではなかったかも知れない」、そう土方は自分を言いふくめています。「竹製であっても空気の殻であっても、脱出を願っていたのには変わりはない」わけですが…。
 記憶作用そのものを回収するに際して、土方は色々な実験を始めているようです。「蜘蛛の巣」や「竹製のおもちゃの蛇」といったものは、そうした実験道具と言っていいでしょう。それは、少年という錯誤のあらわれを生き生きと活気づけるべく、おのれのからだに記憶の形成作用を呼び出すための道具なのです。そして、そうした実験の結果、土方のからだにおのずと「ものの形を真似る」事態を招くものとなっているようです。

 魔法瓶の内部に煌めく光にすがるようにして、またもや「暗さ」からの脱出を願っていると、「蝉男はいつの間にか少年骸骨になっている」。
「夏風から抜けた少年骸骨のまわりで、薄ぼんやりとした人の輪郭が、何だか物の生涯を見せ始めていた。」
 この少年骸骨は、「死んだ人の眼鏡のようなものに取り憑かれている」。それは、骸骨として生まれた、というようなすがたをしているのです。骸骨がからだの始まりで、そこに後から肉がついたのだ、そう考えられているわけです。後からつけた肉からは、肝腎なものを何も得ることがありません。だからこの少年骸骨には、「初心」のからだが重ねられているように思われます。それゆえ、少年骸骨の周りで「吹きゆれているのは」、純粋な自然なのです。というよりは、少年骸骨とは、死者も含めた少年の周囲の自然を純粋に映し出す、そのための道具なのです。少年を包む自然を映し出すのに、透明でありたいという土方の願いが骸骨に込められているわけです。とはいえ、その少年骸骨にもいつしか肝腎な肉がついてくるようです。その肉は、不透明な肉ではなく、光の肉といったモノになっているようです。光の肉をつけた「子供達は、もうお互いに見ることのできなくなった表情の起源に触れている」。その子供たちのまわりの光が特徴的です。「寝小便のしみの光」、「ぽっかりと忘れられた光」、「とろとろとした光」、「ひからびた光の杭」、それらはすべて、少年骸骨についた光の肉なのです。光の肉を骨につけて、「みんな行方不明になりたがっていた」、そんな子供達のすがたで終えられるこの場面は、ことに美しい。記憶に延々とすがっていたからだが壊れて、そこから純粋な鏡が出現するかのようにみえます。少年をプリズムのようなものに入れ換えようとする土方の実験は、ここでかなりのぼりつめているようです。

5) 秋の景
 冒頭、少年は小鯰となる。
「からだの裏表をゆったりと歩いている人の姿とこの小鯰の関係は、特に秋には取り押さえることが辛気臭い。この小鯰には耳がついていて、その耳はすぐに毀れてしまうのだ。」
こうして小鯰になることで土方は、少年のすがたとの関係にことさら神経を使う必要がなくなったようにみえます。この小鯰は、五感が人間のようでないからです。たとえば、「何も見ていないし、聞いてもいない」。もちろん、「何も考えていない」。土方は、そうした事態に立ち入ることができるのです。小鯰であることで、逆に「からだの裏」のような記憶作用に遠慮なく耳を傾けることができるというわけです。気がつくと、その小鯰に「影」がまとわりついているようです。
「いったい影は、何を容れたり何に触れたり会いたがったりして吹き揺れているのか。その影は何を耕しているつもりなのか。」
 この影とは、たちまち変動する、気分としての微細な渦のようなものでしょうか。それは息のように捉えどころがありません。結局、小鯰の正体は、「自分の口のなかの泡に浮かんで消えていく巡礼の姿」だった。小鯰を通して土方は、少年の息のようにからだを巡るモノの微かな気分を見定めようとしたのかもしれません。
 夏が去って、土方の「からだは籾殻のようになっていた」。そして、棺のようなものになって、「梨がわりに水っぽい風邪を土のなかから吸い上げている少年像がそこにあった」。この少年像は蹲ったまま、小さな棺と親しく関わっているようです。ところが土方の方は、「その湿った土からくる痛い注射のせいで、嘘だらけなのにもう嘘もつけなくなったからだになりかけて」いるようです。
 籾殻も棺も空っぽのからだを表していますが、要するに土方のからだは、少年像を介して、剥製のようなものになりたがっているようにみえます。その剥製が動くとそこに隙間ができて、「よそ者の風が挟まる」ことを土方は心配しています。
「やがて私は、土のなかの風をすっかり吸い上げる形で立ち上がったが、それは私を吹き抜けていく風とは別の形になっていた。」
 風は激しく吹き、ときに湿り、また陰気臭い。秋になって、土方をとり巻く風の質が変わったのでした。風、それは気圧配置によって起きる空気の移動です。皮膚が、その移動を外的な空気の圧力と感覚するわけです。皮膚に接触してはいるけれど、風は目には見えません。しかし、確かに皮膚を圧しているし、その圧力はさらに皮膚の内部に感覚を与えてもいるのです。風とは、そうした大きな運動を原因にもつものを、内部に感じることの現象とみなすことができます。風は、止まることなく地球表面上を移動し続けています。それゆえ、「風が気分を変える」という事態には、マクロな局面とミクロの局面が共に含まれていることになります。風は自己の変化だけでなく、世界の変化をも言い表しているのです。だからたとえば、「風は出鱈目に吹いていた」、「釣竿で夜風をたたいていた」、「夜風がからだを啜るように吹き倒れていた」、「お腹のあたりに夜風がすうっと入っていった」、「頭の中に陰気臭い風が痛いほど沁みていった」といった表現は、マクロな圧力を想定することで、からだに変動を起こそうとする試みでもあるように思われます。土方は風だけでなく、外から吹きつけられる人声にも、そうした風の役目をさせているようです。
 こうした風と奮闘するすがたを、「誤魔化すこともわすれてただ前を見たまま立っている私は、夜風の湿気を吸い取ってそこに現われた姿とも言えようか」、そう言い表しています。夏の生命力が支えていた、良い意味でも悪い意味でも明暗の強度が消えて、土方のからだは夜風に沁みてへたへたになっています。そこに風を吹かせて、どうやら土方は少年のすがたをようよう支えているようです。
「あんまり夜風にあたっていると、変な熱をまわりの暗がりから吸い取って、陰気臭いがおもしろいことを言う子供に育っていくものだ。秋場には得体の知れない熱に私はやられるのだった。」
 この熱は、少年に様々なものを幻想させるのですが、いつしか「まわりの闇に取って変わられて」しまいます。そして、ふたたび「暗がり」ですが、その「暗がり」のあらわれ方は、今までとはっきりと異なっています。
「その時蒲団の衿のあたりをすっと風が掠めて、急に寒い風の亡骸が蒲団のなかに入ってきて、私を抱いたような気がした。線香花火の残りがシュッと水につけられた程度の暗がりがその次にやってきた」のです。その一瞬の命のような「暗がり」のうちに、「蝋燭の火に焙られた蛾のようなものもじゅっと焼かれている」。この得体の知れない風の亡骸に抱えられて、続けて、吸物椀と蛾をめぐる、幻想的な話が語られることになります。
「吸い物椀に浮かんでいる蛾や、醤油瓶の間に張った蜘蛛の巣や、蚯蚓に吹きつけている乾いた秋風のせいで、まるで蚊帳のなかに入った私の顔を蚊帳の外側から見た時のように、その貌はもう私の顔ではなくなっているのだった。それに吸い物椀に浮かんでいる蛾はその椀にとても似合っていた。不思議な話だが、こうして蝋をたらした蛾のあたりから何か幼い尊い子供が現われてくるような感じを持っていたのである。蛾が持っている仄かな記憶のようなものを私が覗いたのか。椀のなかにはまだ明けきれぬ朝の霧が残っているようでもあり、浮いた蛾からその尊い子供に乳のようなものが流れているかにも眺められるのだった。」
 この話は、春先の泥の中に転がってきた赤子の頭の話と良く似ているけれども、その展開速度に大きな違いがみられるようです。最初に語られた蝋燭の火に焙られた蛾が、吸物椀に浮かぶ蛾とその鱗粉に関係づけられています。すると、そこにすばやく、蚊帳の中の少年の顔を「私の顔ではない」ように外から見る少年の目が介入することで、蛾と吸物椀の関係に異様な変動を起こさせています。ここに介入してくる蚊帳の中の光景は、単に記憶を呼び出している作業ではありません。おそらく土方は、少年の顔を記憶としてたどると同時に、「私の顔ではない」少年のそのすがたになっているはずなのです。次いで、その少年のすがたと顔の記憶との関係が、吸物椀とそこに浮かぶ蛾の関係にそのまま転移されています。つまり、少年のすがたと顔の二重性という抽象性が注目されて、蛾と吸物椀の関係に変動が起きたのです。その変動が、蛾に蝋をたらすというかたちを生み、そしてそのかたちから「何か幼い尊い子供」があらわれてくるという、強い気分を土方のからだに起こさせているのです。その変動の間には、おそらく蛾の鱗粉から蝋を経て、「乳」が介入しているのでしょう。この蛾と吸物椀の関係に隠されている気分はそれだけではありません。この後、蚊帳の出入りと吸物椀の光景との間の、絶妙な仕掛けが描かれています。先の吸物椀の光景は、この蚊帳の出入りと切り離せません。すなわち蚊帳が、というよりは蚊帳を出入りするその所作こそが、土方に視線を向けさせている一連の仕掛けの軸となっているのです。蚊帳は、外から中にいる人がよく見える場合には、中にいる人にとって中から外を見ると外が暗く不明に感じられ、その際の不安な表情がまるで別人のように見えることがあります。そのことの仕掛けがそのまま強い気分となって土方のからだにあらわれ、その変動を模写するようにして中継されているのです。すなわち、「蚊帳を出ていっては、椀を破ったり、腕をはずしたりして蚊帳に戻る」。こうした椀と交錯した蚊帳との格闘に、おそらく土方は、蚊帳の出入りの仕掛けがあらわすことになる強い気分を伴った、皮膚のようなものを重ねているにちがいありません。めくられ包み込むものが強い明滅を伴った皮膜となってあらわれる、そうした現象に関わることが、蚊帳の出入りを語る土方の身振りとしてあらわれているのです。ここで土方は、確かに踊っているようにみえます。
 夏から秋への、劇的なからだの転換が感じられます。からだの表から裏へ、裏であったものが表になる。そのことは足の裏、白い腹、湿った夜風、蚊帳といったものに示されています。ことに足の裏は、神経の末端が集中する大切な場所であり、外から隠されています。ふだんは外から見えませんが、しかしつねに大地に接し、光に無縁なために、それは白くなったままなのです。

 少年のからだの、その感覚の所在やその作業があやふやになる、そんな「冷えた空気のなかにからだが晒されてしまう」と、何でもいいからからだに食べさせてやりたくなると言います。菓子袋は、「子供心を何とも救いがたいもの」にするこうした事態を「明るさ」へと荒治療してくれるところがあって、少年は「菓子袋を生け捕りたくなるのだった」。逆に菓子袋が思い描けないと、「昏い模型少年」になってしまいます。菓子袋がないせいで、からだを偽の手足であるかのように疑ってしまうのです。しかし、眼の前に菓子袋が投げ出された場合には、慎重にならざるをえません。菓子袋に対しては、「つかず離れず」に鼻歌まじりで接することが肝要なのです。こうした菓子袋との距離を保つには工夫がいります。菓子袋が向こうから訴えてくることはまずありません。どちらかといえば、「菓子袋を懐に抱いている私は、白い毛のついた筆の先にぼやっと溜っている明かりのようなものを見つけたりしている」のでした。こんなふうに、菓子袋を抱えているのにも注意がいるようです。「菓子袋を抱いた私を追っかけるような私が、やがて一緒に走り出してくる」からです。そのとき、少年を餌食にしようといつも狙っている鳶があらわれるのですが、少年は「とんび」の歌を歌って、鳶に追われる気分を追い払っていました。菓子袋を抱いていれば、「もう何も心配するものもないからだ」になるけれど、菓子袋の中の菓子の食い方にも工夫がいります。その工夫は菓子袋の中身を長持ちさせようとする試みからでしたが、「その中身が何であったか、今ではさっぱりわからない」。こうした菓子袋とは、その中身のために、少年の飢えを「ぼやっと」活気づけてくれるもののようです。それがないと、少年はからだを捏造せざるをえなくなるのです。「食べる」ものが入った菓子袋を抱えて、活気づいた少年のからだの内部の明るさが、不思議と、餌食、すなわち「食べられる」感覚と親しく繋がっているようです。言い表しがたいものでいっぱいになっているこの菓子袋とは、少年のからだの明るさ、いわば生というもののアジール性を確かに保証してくれるようなものであることで、からだの「荒治療」に関わっているわけです。菓子袋とは、少年期の「肉体の闇」を示唆するものであり、それはあの掌に握った風呂敷と同じで、言い表し難い中身で膨れ上がっているのです。

「急に風に閉じられたような老婆は喘ぎ喘ぎ私に何かを知らせているようでもあった。吹きつけている風がぴたりと止むと、その小柄な人は、ごおうっという音をたてている竈のように見えてくる。その竈の音はあまりに私の耳もと近くで聞こえるせいか、聴覚がぬくもりに化けたような音になり、また、まるっきり聞こえない音に化けてしまうのだった。耳のなかに寝せたまま忘れていたものが、急にごおうっと音をたてたのかもしれない。」
 風の音が止んで、老婆が竈の「ごおうっという音」共にあらわれています。この音は音でありながら、何かしらよみがえるような空間としてあらわれてくる、そんなふうに聞こえてきます。そして、老婆はすがたというよりも、「今、あの老婆はどんな地点にたどりついているのか、あれはもう人間というものではなくなっている、飛ばない一つの軽さのようなものではないか」、そんな強度として示されています。この強度量が、「ごおうっという音」になっているようです。
「まるで私を迎えに来ているように再びごおうっという竈の音が聞こえてきた。その竈のおかげでか、私はたくさんのものを貰い過ぎているくらいだった。竈の前に立っているだけでもう何もかにもよくなるのだった。…竈のなかには特別の哀史が詰まっていたためだと思われる。そこから湧き上がるごおうっという音から私は沢山のものを授かったのだ。」
 竃は人間に火を与え、生のものを調理して「食べる」ことを授けてくれました。人間は煮られたものを「食べる」ことで、生(ナマ)の人間でなく、生(ナマ)のものが煮られた人間となります。だから竃には人間になることをめぐる、良きにつけ悪しきにつけ「食べる」歴史が詰まっていることになります。その竃は、老婆と親しいものなのです。老婆と竈が「ごおうっという音」で重ねられることによって、土方は解放されているようです。
「遠景の老婆は、そのとき、空気のなかでアアアアと叫んで溺れ死にするようによろめきながら、風に喰われた筏のようにすすすっと傾いていった」。そういう「ばあさん達は、いつも安っぽい虹をつかんでいる人達だった。」
 老婆は「なんだか、まわりの空気を撥ねつけるようなことをして、まぶしがって泳ぐような、踊っているような恰好も見せている」。この老婆は老婆のすがたをしていますが、そればかりではありません。「老婆はどこに隠れたのか。その隠れたところをどこまでもどこまでも追っかけていけば、赤子の頬についている涙腺のようなところに出て行きそうな気がする」。
 菓子袋と竈は同じものを土台にしてあらわれているようにみえますが、そうではありません。菓子袋という言い表し難いものの抽象性に関わり、そこから注目が竈へと転移することで、土台へとアプローチする際の土方のフォーカスの方が変動にさらされているのです。そこから「ごおっと」あらわれる老婆のすがたは、パフォーマンス冒頭の、老人が少年の「明るさ」を誘い出す秘密に繋がっているかにみえます。いや、この老婆は「明るさ」よりもさらに向こう側に繋がっているかにみえます。老婆が「踊っているような格好」をし、赤子の涙腺にたどりつかせるような予感を抱かせるように、それは「舞姫」の始原的空間がそこに顕現しようとする、そうしたすがたのようでもあります。
「この明かるい秋の空の下で一匹の蛔虫が天に昇っていった。家のなかでは大きな牡丹餅を喉のなかに沈めて、じっと座っている人もいた。」
 この景の終わり方には、確かな手応えを握りしめている土方の余裕が感じられます。

Wednesday, May 23, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 四「病める舞姫」と差異的意識 

2.「病める舞姫」印象

2) 春の景
「春先の泥に転んだ時の芯からの情けなさが忘れられない。喋ろうとしているのに喋られたような、泥に浸されて下腹あたりにひっ付いた木の瘤が叫びを上げているような、自分という獲物がそこに現われているのだった。…転んでいるからだは確かにえじきのようでもあったし、飛びかかってやりたいようなものでもあった。しかしそれもまた心の中の出来事がかたちをおびて見えてきているのではなく、ただ泥にまぶされた切ない気分となってそこに現われているのであった。」
 第三景から、季節が繰り広げられます。その始まりに、よく知られた「春」の場面が再現されています。春先の泥にはまり込んで獲物となった少年のすがたで、その少年のからだを喰らうように、包み込むように、多方面から泥が繰り返し流れ込み、泥と少年は組んづほぐれつとなっている。「情けなさ」で空回りしているその少年のからだの隙間を、逆に泥が埋めようとする。すると泥は、少年を包み込む両生類の被膜となってからだと一体化し、皮膜の外も内も流動状態となる。この泥は、私たちがそこで何度も食べ/食べられ(記し/記され)、そのことによって私たちが生まれているところであり、そうした意味で、人間であることの始まりのような場所と言ってもいいでしょうか。そしてその泥は、同時に蓮の花が生まれる場所でもあり、すなわちそこには宝物さえ埋まっているのです。この泥の中に、「目を醒ましていながら眠っているような赤子」の頭が忽然と転がってくるのを、土方は目にしています。すると、たちまち少年の周りに今にも爆発しそうなものを抱えている雰囲気がぴんと張りつめる。「破裂して実ったもの」が、「病弱の舞姫」の暗さであった。また乳呑児の「ふにゃふにゃとした笑い」は、「姫君」を包み込むものであった。これらの光景は、泥が「赤子」を抱いているのと同じすがたをしているようにもみえます。これらの光景は、かたちをなさないものが集まったその圧力によって、そこに今にも爆発しそうなものが張りつめる、といった共通のゲシュタルトをあらわしているようにみえるのです。

 春は、生き物のからだから赤を滲み出させます。気がつくより先に、すでにからだは春に反応しているのです。すなわち、春を思うより先にからだはすでに春を食べているのです。花粉症の赤、蕁麻疹の赤、扁桃腺炎症の赤、眼の充血の赤、微熱の赤。春の光は赤く、それはほんのり疼くように赤い。しかしそれは、赤になるための赤ではありません。春先のからだは、疼くようなアンビバレンツを抱えてしまっているのです。湿っていながら爆発するような状態や、とろんとしていながら走り出したいような気分を抱えているのです。春という季節に特有のこのアンビバレンツな感覚は、皮膚一枚を境にしてからだがすでに泥を食べて、その流動状態を抱えていることに原因しているのでしょう。生きとし生けるものは息を吹き返し、過剰な生がその薄皮一枚の下に渦巻いているのに、そのとき生の過剰さに一歩遅れをとっていると感じられるような、泥に食べられたからだを見出しているもう一つのからだがあるからです。こうした春先の感覚の餌食になったからだを、土方は犬に託して走らせようとしています。泥を抱えるからだにいっそ火をつめて走り出したくなる。この「犬」とは少年のことですが、するととたんに犬が犬を呼び、犬が追いかけ追いつかれるようにして、イメージが生まれたはなからイメージに追いかけられる土方がそこにいます。そうやって、「踊らされて」くたくたにされた土方に、「踊り」をする少年のからだがやっと見出され、そのからだの詳しい絡繰りが注目されることになります。
「からだを知らない所へ連れて行こうと、怪しい火照りが、空のつくりをはずしたり、骨で風の関節を折るような真似をさせていた。顔も造花のようにたたまれていた。独楽を廻して、その場から忍び足で遠ざかる際の、念ずるような切なさと対になって、この花嫁には、もしかしたら誰も知らない所へ、からだを隠しにいこうとする魂胆があったのだ。癖になったようにこんなことに熱中していると、からだがなんだか、濾されたようになっていたのだろう、下腹の辺りから雪が降っているような、空模様を着込んでしまうのだった。」
 はらはらするような春先のアンビバレンツな事態が、少年の踊りをするからだの絡繰りにも引きずられているのがわかります。まず「からだを知らない所へ連れて」いく、あるいは「からだを隠しに」いくといった表現にみられるように、からだをモノとする感覚が語られています。そこに「怪しい火照り」、「からだが濾された」といった肉の感覚がついてきます。さらに「忍び足で…念ずるような切なさ」、「下腹の辺りから雪が降っている」といった変な気分もついてきます。「踊り」は、こうした少年のからだと肉の感覚が重層的に変動するような場で生まれているのです。いっぽう、このからだの絡繰り自体は、春先の泥の餌食となって解体されたような少年のからだから始まり、そのからだから血の色をした新芽が萌え出るような、からだに疼くようにして出現するものに触発されているふうにもみえます。土方のからだはその変動をとらえて、
「われとわがからだに怪しまれるような困難を感じていた。私は、その怪しむところに踏み込んでいっては、変な時空を抱いていた」、そう言い表しています。そして、この土方のからだに疼くようにしてあらわれた「変な時空」に、ようやく死者たちのすがたが、見出されることになるのです。
「幾重にも重なった段の上で、夥しい白い顔が嵌め込まれたように、正面を向いていた。…その選り好みできない白い顔に、捲かれている写真のように、私のからだは包まれてしまうのだった。私のからだの疼きの中に病芯のようなものが感じられる。」
 死者の顔が並ぶ写真館。それは、かつて土方が登場した「すさめ玉」(「四季のための二十七晩」第二部)の舞台の一場面でもあります。死者の写真に「私のからだは包まれてしまう」と語られているように、その死者のすがたは、写真のようにして少年のからだに印刷されているようです。するとその死者に「包まれ」た土方のからだが疼き、そこに「病芯」が感じられる。土方のからだは少年のからだに印刷された死者のすがたをたどることで、自身のからだに変動するままにあらわれるものの痕跡をたどろうとしているかにみえます。「病芯の震えにふれている」死者のすがたを具体的に次々と映し出し、それら死者の刻印をからだに次々とたどり、そしてその死者の刻印に次々と触れることで、このとき少年の神経は確かに活気づいているようです。その活気は、土方を犬にしてしまうほどです。この少年の活気と土方との、その差異を映し出す関係は、「よく見ると、うるうるした少年の目玉はその少年の目玉に覗かれて廻っている」と見事に言い表されています。この少年の目玉に映る光景に、突然、癇癪玉が破裂する。
 少年の目玉に映る長々とした光景は記憶の光景でありながら、同時に死者に触れるような光景でもあるのですが、
「私が見たその人達には何か怖ろしいものがあり、彼らの忍んだものは、みんな死んだかたちで現われていたのだった。」
 土方のからだと少年のからだは犬のようになってお互いにじゃれつき合い、追いかけたり追いついたりしながら、記憶とモノの交錯する光景の中をずんずん息せき切って進んでいく。進み続けた果てに少年は、家の押し入れの暗がりに「やっと漂着」するのでした。
「じっと息をころしていると、溶ろけていく私のからだは、変に蘇ったような姿になって現われてくるのだった。私がわからなくなっても、わかってくれているようなものが、からだの内側から現われてきていた。私のからだの着換えが始まっていた。」
 ここで「からだの着換え」が語られていますが、それは、春先のアンビバレンツを抱えたからだが薄皮一枚破って、その正体のまま、次元を一枚抜け出てくるような事態にみえます。泥の中に転がってくる赤子の頭と、からだの疼きにあらわれる死者たち、そのあらわれ方と、あらわれに伴う「破裂して実ったような暗さ」が、ここにきて何と共通しているものと知れることか。春先の泥に食べられ、そして変態する虫の緊張を匂わせるような少年のからだが、土方のからだに裸であらわれようとしているようです。土方のからだは、虫であり、少年であり、犬であり、死者であり、土方であるといった複数の細胞が出現するなかに「溶ろけ」、小さな爆発寸前の予感を抱えているのです。
「私のからだが、私と重なって模倣しているような、ちらちらしたサインにとらえられていた。」
 からだに刻印されている記号が解け、そして二重化するようにして土方のからだに感覚され始めているようです。

 水田で農作業する人々の光景を、土方は何か恐ろしいもののように語っています。
「苗代の底の水の光を嘲笑っているような恐ろしい人が、畦を歩いている…。その人たちをじっと見ていると、とても変な気がするのだった。知っていることを話そうともしない死人が、水田の光の中で腰を曲げ、場所をかえては泥のように動きながら、お日様や、風や、水の照り返しを受け止めているようだった。ほつれた髪をくわえた人達のからだの中で、声がすっかり変わって出てくることもあった。からだに遭難が起こったのだろうか。かたい甲羅の虫を踵で踏みつぶして歩いて来る人もいた。熱っぽい冷気がからだを襲っているのだ。変な能力を出すようにすっかり変わったそういう人を見るのは、恐ろしい眺めなのだった。つぶされたように目を閉じ、すげられたように両腕を垂らして近づいてくる男は、義眼を嵌め込んで畦に立って、大きな蛾のようなものを払っていた。ひび割れた種類の泥男には変な陽も当たっていた。水っぽくなって田からあがってくる女のそばで、男たちがどうして後向きになって濡れた着物を乾かしていたのか、私には今でもはっきりわからない。」
 おそろしく異様にデフォルメされた、田植えの光景です。まるで夢の中か、もしくは何も知らない幼児の視線がそのまま捉えたかのような光景です。しかもこの水田の光景は、すぐに変動しがちな土方の語りにしては異様に長く、そこに持続力が感じられます。どうやら、視線がそこに釘付けされているようです。そこに見える人は人のすがたをしているけれど、まるで死んだ人のようです。そのすがたや動きは異様にくっきりしているけれど、見た目には生気が感じられない。しかし、モノに何かしら別種の命が吹き込まれて、その動きが再現されているかのような、抽象力を帯びたすがたをしています。そのすがたは、
「私が呼びかけたにもかかわらず、どんな奈落にその人たちはいたのか。その人たちのからだが隠しているものが私には見えてこないのだった。」
 それまで折りに触れて、少年の記憶の「暗がり」と対照的に語られてきた大人のすがたの不思議さ、そして「彼らの忍んだもの」が、ここに凝結しているようにみえます。そしてその光景は、かつて土方が舞台上につくりあげた、群舞の光景に似ているのです。
「夜通し寝ずにいた鏡のような恐ろしい感じが、私のからだの中に入ってくることがあった。」
 この鏡は、水田の光景に釘付けされている土方の視線を形象化したもののようです。この「恐ろしい感じ」は、実は土方が抱えている視線の方にあるのです。こうした視線がそのまま水田の遠景から家の中の近景へと移されると、そこに変化が起きることになります。大人がまとっていた重い空気がもうすぐそこにまで感じられ、少年は「竦みあがって物陰に潜ん」でしまうと、その「暗がり」から見える光景が以前にもまして異様なものとなるのです。彼らの首はつくりもののようで、死が寸前にあらわれた、幻想人体といったものとなるのです。近景にあって、土方の鏡は、死者をより幻想的なものに仕立てているようです。

 一息入れるかのように、川の中に水揚げポンプが漬けられている。それは、少年たちの「遊びの匂い」を一瞬際立たせるために挿入された、大人たちの農作業とは対照的な光景のようです。
 それもつかのま、ふたたび「幻想人体」が、生きた鶏を少年の目の前で殺して、肉をさばいてみせる大人として見出されています。このとき「荒療治に生け捕られた」少年が、「今しがた捻られた鶏の首の亡霊」の模写をしてみせるのですが、そのとき、土方の鏡、すなわち土方の視線が変質したのでしょう。
「鏡の向きを変えてうしろの景色を浮き沈みさせたりしていると、翳った鏡の表面に、醒めたり睡ったりして歩いている夜道が探れるような感じがしてくるのだった。」
 この鏡はもう、恐ろしい感じをもった硬質な鏡ではなくなっています。そこには、何かしら奥深いものが示されているように思います。鏡と、そこに映し出された光景との間を「老人のようにして往き来」すると、「一匹の精子がふらふらと鏡の中に落ちたような気がする」のです。「幻想人体」の餌食となって模写をしてみせたことで、土方の鏡に命が注がれたのです。古来、鏡に映るそのすがたは、死者と同等とみなされました。鏡には、魂がとりこまれると考えられたのです。土方の鏡は、最初からそうした、「何の混じりけもない」ものをからだに映し出そうとしていたようです。鏡は対称性を写し出すことでそこに緊張を生み出す、という意味で正確無比なものです。それは、像を転倒させている眼球とは違った仕掛けを持っているはずなのです。

「こういう女の人の髪には空洞ができていた。顎骨の張ったでっちりしたその人が、赤い四角な頭の魚を握ってふっている姿は、完成されたフォルムにも見えたし、落魄した女獅子のようにも見えたりした。またこういう女の人は、すぐ、誰も尋ねない場所に立って、鍋釜の墨を包丁で削ったりしていた。そのありありとした、鍋釜の音こそ、人の手が鍋釜に触れている何の混じりけもない音のように聞こえた。」
 こうした母親、あるいは母親以上のすがたを示唆する光景がしばしば挿入されています。また母親ではないけれど、異様な女のすがたが景ごとに必ずあらわれ、きまって周囲に緊張を生み出しています。それは、何ものかを示そうとして示されることがない、そうした事態に潜んでいるような緊張、そんなふうに感じられます。
「こうしてすぐに消え去るものによって繋がれて現われてくる正体を、私は掴まえたような気がしていた。」
 ここにあらわれてくる正体とは、土方がもう少しで捉えることができると考えている、少年のからだでしょうか。というのも、「もう一つのからだが、いきなり殴り書きのように、私のからだを出ていこうとしている」、そう土方に感じられているからです。土方のからだに、ある確信が芽生えているようです。
「取り消す力がない。ただ野放しになっている変化が隅々まで行き渡っている。大きな風景の中を歩いてきたが、私はからだの装置をはずしているのではなかった。」
 土方は一見、記憶を「野放し」にして語っているふうですが、そうではなく、その手続きには極めてはっきりしたものがあります。からだに変動するものを「隅々まで行き渡っている」と感覚しているのであり、漠然とした光景の連なりであるけれども、記憶とその堆積作用という私たちの謎であるような働きに、あくまでも忠実であるようにみえます。その「からだの装置」を「取り消す力がない」ほどに、何か大きな光景に触れているのです。

Tuesday, May 22, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 四「病める舞姫」と差異的意識 

2.「病める舞姫」印象

1) 冒頭の景
「病める舞姫」は、どこからともなく聞こえてくる声と共に始まっている。
「そうらみろや、息(イキ)がなくても虫は生き(イキ)ているよ。あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな。」(括弧の中は筆者による補足)
 何ものが発している声なのか示されないが、この声は土方のすがたを言いあて、そのすがたを浮かびあがらせている、そうみていいように思う。そのすがたはといえば、「生まれ変わりの途中の虫」という、いまだ生の途上にあるもののすがたとして示されているのです。この生の途上にあるという実感は、生を遅らせているような事態として捉えられており、したがって、そうした遅れを信じ、そしてそれに従うような「からだのくもらし方」で、何ものかによって自分は「育てられてきた」、冒頭そのように表明されているわけです。
 次いで、「私の少年」が、「ただ生きているだけみたいな異様な明るさ」という、ぴちぴちとした神経の高まりを帯びたすがたで見出されます。それは、その前に語られている、「からだの無用さを知った老人」の気配に触れることに原因しているにちがいありません。老人の気配に触れることに伴うこの「明るさ」の感覚は、重要であると思います。おそらくこの「明るさ」の感覚は、老人だけでなく、たとえば死者、さらにいえば、モノと交感する際の神経の高まりをも示していると考えられるからです。そのことについて言う前に、冒頭、土方がみずからを虫になぞらえ、「虫の息」するすがたとして示されていることに触れておきたいと思います。
「虫の息」とは、肺呼吸をしない昆虫類特有の気管呼吸のことです。昆虫は全身にはりめぐらされた気管を通じて酸素を器官へ供給するから、昆虫には脊椎動物のように肺呼吸に伴うからだの活動が見られません。そのため、昆虫は生きていながら何か冷たく、生命をもたない機械のようなモノに見えることがあります。まさに「息がなくても虫は生きている」のです。また昆虫は見事に機能的なからだをしており、無駄な肉がなく、要所要所でからだがくびれ、「そげた腰」を持っていることも付け加えておきます。この機械であるかのような昆虫の特性はといえば、幼虫からさなぎ、さなぎから翅をもった成虫へと、内部の変容によって劇的にそのすがたを変えてみせることであることは、子供でさえ知っています。そうであれば、周囲の何の変哲もない「鉛の玉」さえ今は「休んだ振り」をしているけれど、何かしらの機会にそのすがたを変身させてみせるにちがいない、そう思っても不思議ではありません。少年は、周囲のそうした見えない変容への注意力でいっぱいになっているのです。変容を内に隠した気配をもつモノに関わることで、逆に「私の少年」は異様な明るさに活気づくのです。こうした神経の「明るさ」はだから、モノであることの感覚にからだを沿わせるようにしてモノと交感する、そうした神経に生じている事態のようにみえます。「私の少年」は、内に変容を忍ばせているモノに「脈をとられ」て「明るさ」に活気づいている、そうしたすがたとしてまず登場したのです。しかし、この「脈をとられる」感覚は、いっぽうでは少年に危機の感覚をもたらすものでもあります。主客の不明な生は子供に特徴的なものですが、放っておけば、「単調で不安なもの」がからだに乱入し、空虚なものの構築がすぐさま始まるからなのでしょう。そのとき、少年は「事物を捏造する機会」をもつことで危機から逃れようとしていたのだろう、そう声にしたかと思うと、土方はもう次の光景を目にしている。
 少年はしょっちゅう発熱しながら、「何かに守られている」と感じている。そうした感覚を覚えれば覚えるほど、「虫の息に近づける」と感じているのです。冒頭の自身のすがたと繋がっているこの「虫の息」とは、おそらく生が空虚なものの構築となることなく、「何かに守られている」事態と知られているその拠り所を与えるもののようです。こうした拠り所となる「虫の息」するすがたからすれば、発熱状態にありながら「守られている」という確かな感覚が、人間というすでに用意されたすがたに不信感を抱くことに始まっているだろうことは容易に察することができるでしょう。というのも、虫の生は驚異的な現象を抱えているからです。
 昆虫のうち完全変態するものは、最初はみなイモムシのような幼虫のすがたをしているけれど、そのうち動きが凍りついたように止まり、たちまちのうちにさなぎと化します。このさなぎの内部で変態が起きるのですが、外からはこの変態のプロセスを見ることができません。さなぎは、内部で変態するあいだ、外見的にはずっと凍りついたままだからです。このミイラのように皮膜に包まれたからだの中で、何が起きているでしょうか。そこに起きている何かを体験すれば、変態の何であるかがきっと知れるでしょうが、それはおそらく客観的に捉えることのできるような事態ではありません。変態のあいだ、さなぎの内部では物凄い変化が起こっているのです。体内の細胞は流動状態になり、新たな組織へと再編成されようとしています。今までイモムシのかたちを支えていた細胞は壊れ、代わって成虫になる細胞が活動しているのです。その際、成虫になる細胞は、幼虫を支えていた細胞を栄養分として「食べる」のです。こうして新旧の細胞が「入れ換え」を果たすことで、食べる器械であるイモムシが、生殖器械の成虫へと変身するわけです。それは、あまりに特異な成長過程です。この変態の体験を、おそらく主観的に捉えることなど不可能にちがいありません。なぜならばそれは、主体さえもが入れ替わる過程だからです。それは、主体も含めたからだ全体を貫く変容プロセスであり、そのとき展開されるプロセスは、プロセスが目前にするプロセスを呼び寄せるようにして繰り広げられるような、徹底して自己の不明な事態にあるからです。仮に変容の速度を落とせばこのように考えることもできますが、さなぎの内部で起こっているこの変態の強度は、実際それは、私たちには測り知れないものなのです。
 こうした「虫の息」するすがたが抱えているような抽象力が、土方が「私の少年」を見出し、そして語るに際しての、極めて明晰な衝動となっているようにみえます。

「誰でも、甘い懐かしい、そして絶望的な憧憬に見舞われたことがあるにちがいない。ずかずかと自分から姫君に近づき彼女と舞踏する決心をし、姫君の体温を自分の血管の中に抱きしめた経験を持っていることだろう。」
 姫君が、暗がりの中に一瞬そのすがたをあらわします。が、そのすがたはすぐに「ふにゃふにゃとした笑いのみを残して」、乳呑児のすがたに還ってしまうのです。この「ふにゃふにゃ」の身体感覚は、甘く懐かしい。そしてこの感覚は、私たちが「絶望的な憧憬に見舞われる」ことの原因でもあるにちがいありません。なぜならそれは、私たちがかつてそうであった、乳呑児を囲む時空であるからです。乳呑児は自分が何者かわからないし、自分が人間であることさえ知りません。あるかなきかの初心が芽生えてはいるが、いまだ外部も内部もいっしょになって区別がないのです。乳呑児とは、今まさにからだに記し記されようとしている、純粋なる意味の活動なのです。私たちは、そうしたところに生命の充溢を感じているのです。土方が折りにつけて語る「少年の種子」とは、そうした時空をいまだ「自分の血管の中に抱きしめ」ているもののことなのでしょう。
 姫君はこうした「ふにゃふにゃ」からそのすがたをあらわし、つかのま「ふにゃふにゃ」のうちに隠れてしまう。乳呑児のようにかつて私たちがそうであったもの、その気配を今も私たちのからだが残しているものが「姫君の体温」なのですが、そのことを見つめて土方は、「見定め難いまやかしの雰囲気」とか「脱臼したかたち」としか、今は言い表すことができないでいるようです。
「私の姫君は煤けていて、足に綿を巻いていたが、ときおり、額で辺りを窺うような恰好で手には包丁を持っている。」
 姫君が「煤けて」いるのは、おそらく竈の火の番をするのでそうなのでしょう。この「姫君」は、「灰かむり娘」に繋がるすがたをしているのです。すなわちそのすがたは、人類のはるか太古の記憶を繋ぎとめているような、生と死を行き来する者のすがたをしているのです。「足に綿を巻く」という異形の足が、そのことの印です。しかし、土方の前にあらわれる「灰かむり娘」はシャーマンとしてではなく、それは乳呑児のすがたをしています。この乳呑児とは実は、この世に誕生したばかりの存在ですが、そのことによって今まで死の世界に浸されていた存在のようにもみえるのです。死をくぐりぬけてきたこの乳呑児の生が示すものの底知れぬ豊かさに向けて、土方はただ「飢餓感」を訴えるばかりです。それは、かつて自分がそうであったがゆえにの飢餓感であり、またおのれのからだがはぐれるような事態にのみ掴みがたくあらわれているはずのものを、乞い願うような飢餓感なのです。土方は、この飢餓感を強情に守っているようです。煤けて汚れている方が美しく見えるのも、この「飢え」が際立つからなのでしょう。

「しかしめりめり怒って飯を喰らう大人や、からだを道具にして骨身を削って働く人が多かったので、私は感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつくようになっていた。あんまり遠くへは行けないのだからという表情がそのなかに隠れていて、私に話しかけるような気配を感じさせるのだった。この隠れた様子は、一切の属性から離れた現実のような顔をしていたが、私自身も欠伸されているような状態に似ていたので、呼吸も次第に控えめにならざるをえなかった。」
 土方は、「(少年の)私は感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつくようになっていた」と言い、その少年のすがたに時間を見透かすような表情が隠れていて、その表情が、私(土方か少年か?)に話しかけるような気配を感じさせる、と言い表しています。そして、その「隠れた様子」、すなわち、少年のすがたを仲介にしてあらわれてくる土方の中に隠れているものの様相について、「一切の属性から離れた現実のような顔をしていた」、そう土方自身が証言しているわけです。しかし、こうした判断を下すことを、つまり、そのことが現実であるかのように示すことを、「呼吸も次第に控えめにならざるをえなかった」と言って、土方もしくは少年が、即座に押しとどめています。いかにも人を惑わすような言いまわしですが、すでに述べたように、土方である「私」と、少年である「私」との差異を念頭において言い表されていると考えれば、そうした光景として見出すことができるのです。
 土方は、ここにあらわれるすがたはすべておのれであると承知しながら、おのれに見出される差異としてのその変動をそのまま語っているようにみえます。そうした変動に沿うようにして土方の声を追えば、次のような事態が見えてくるでしょう。「感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつく」少年のすがた、すなわち、感情として育まれることのない、感情の手前の状態にある抽象力だけに関わっているそのすがたに、「あまり遠くへ行けないのだから」という、時間を見透かすような表情が隠されているのに土方はまず注目しています。そして、その抽象力のうちに逸脱としてあらわれている表情に注目することで、そこから、「一切の属性から離れた現実のような顔」が変動としてあらわれてくるのです。その変動の軌跡について具体的に解釈することはできないけれど、想像に縛られないようなからだを存立させる神経として痕跡しているはずの、心的な過程としてあらわれている変動であることだけはわかります。が、そうした心的な過程の内容についてさしたる注意を払う必要はないでしょう。見落とせないのは、この心的過程に関わる変動が、土方が「少年」に見出す気分のようなものに関わることに始まり、次いで、すぐさまそこにあらわれる感覚を土方がおのれのからだに見出す、という経緯で言い表されていることです。土方はこのとき、誰のものでもない気分に始まり、そこにあらわれる感覚が注目され、そして感覚からかたちへと変動する時空にあらわれている、その変動の身振りのようなものを際立たせようとしているかにみえます。その心的過程は内容としてよりも、むしろ身振りとして捉える方が興味深く感じられます。心的な磁場があらわれとなり、そのあらわれがつねにかたちを志向するそのプロセスにこそ、土方は注意を払っているようにみえるからです。
 土方は、こうした敏捷な身振りを、「私」であり、そして「少年」であることの、差異にあずけることで示していることになります。それゆえ、テキスト上には、語る土方と、語られる少年との関係のナイーブさがつねに生じているわけです。たとえば、続けてこう語られています。
「私のからだは喋らなかったが、稚いものや羞じらいをもつものとは糸の切れているところに宿っている何かを、確かに感じとっていたらしい。からだは、いつも出てゆくようにして、からだに帰ってきていた。額はいつも開かれていたが、何も目に入らないかのようになっていた。歩きながら躓き転ぶ寸前に、あっさり花になってしまうような、媒介のない手続きの欠けたからだにもなっていた。」
 一つのフレーズに少しずつ差異がもたらされながら、異なるヴァージョンとして反復させているだけのようです。反復によって生じる土方の位置のずれを示すことで、そこにグラデーションという変動する身振りが示されているのです。最初の「私」は「少年」のニュアンスですが、次第にその「私」のからだは、土方の現実のからだに移行してゆくという言いまわしになっているわけです。こんな曖昧さによって変動としての身振りを示すことが可能なのは、声が文字になることによって見出される逸脱を、土方が精確に見つめているからです。いや、逸脱に見つめられているからです。

 一瞬、漬け物を嗅ぐ、いかにも懐かしげな少年のすがたが浮かび上がります。このからだは、前の「媒介のない手続きの欠けたからだ」とは異なって、むしろ記憶に呼び出されたからだ、そう言っていいようなものです。漬け物を嗅ぐ、この「茫とした姿こそ大事なもの」だとされていますが、大事なのはそのすがたではなく、からだに記憶として堆積するものを嗅ぎ出すようにして、少年のからだに隠れている記憶の形成作用に関わる、そのことでしょう。おのれのからだの臭いを嗅ぐという土方のアプローチが最初にあって、そのことが「漬け物」を呼び出している、そう考えられるからです。
 こうした、少年のからだが覚えていると思われる、少年が見た様々な光景を、土方は自身のからだの界面に映し出すようにして次々と描写してゆくのですが、「私は何者かによってすでに踊らされてしまったような感じにとらわれた」という地点に行き着いて、はたと止まってしまいます。この「私」とは、少年が見た様々な光景を自身のからだの界面に再現させて、「踊らされてしまった」からだを感じている土方自身です。ここで土方は、「何者かによって」と指摘していますが、土方が少年のからだに関わるそのとき、この「何者か」が関わっていることに注目したいと思います。この「何者か」は決してすがたをあらわさないのだけれども、影のようにつねに土方の所作に付き添っていて、土方をはたと止まらせるものなのです。この「何者か」はだから、自分がつねに目前にしていながらも、そのくせ果てしないところにある、そう知れるものなのでしょう。この「何者か」を、土方は尾行するのです。すなわち土方は、「私」を語ることで見出されている差異の局面で、声が文字になることでおのずと差異を抱えることになる局面を活用しながら、自分と少年とのからだの差異として見出される変動において、自身のからだに記し記された事態としてどのようなことが起きているのかを、差異が示す混乱のまま示そうとするのです。そしてそのことは、かつて起こったはずの「食べる」ことの(主客構成)作用を、現在として回収するような作業である、そう言ってもいいでしょう。さらに、そうした作業にはいくつかの相があって、そのことは、からだに起きたはずの現象を遡るようにして触れられてきた、様々な事態としてすでに示されています。
 たとえばそれは、すでに述べた、「私の少年も、何の気もなくて急に馬鹿みたいになり、ただ生きているだけみたいな異様な明るさを保っていた」と言い表されているような、わけもなく活気づいた事態として示されているものです。あるいはまた、少年のすがたにあらわれるものを始まりにして、おのれのからだに変動としてあらわれてくる心的過程が、敏捷な身振りとして際立たされようとする事態として示されているものです。そしてさらに、これもすでに述べた、「饐えた昼飯の臭いなどを嗅ぎながら、粉を吹いている酸っぱい茄子の漬け物の色のまわりで吸いあげていった」すがたに言い表されているような、記憶として堆積するものが浮かびくる事態として示されているものです。
 とはいえ、こうした事態は、截然と区別されているわけではなく、それぞれが「喰べ合う」ようにして、混然と示されています。なかでも敏捷な身振りとして際立たされようとする事態は、記憶として堆積するものを出発点とする変動としてあらわれながら、結果的には、他とは異なる局面を示すことになるわけです。土方は、記憶として堆積するものが浮かびくる事態を、からだの「暗がり」と言い表しています。とすれば、わけもなく活気づいた事態は、からだの「明るさ」なのです。土方は、この「暗がり」にことのほか愛着を抱いているのですが、いっぽうの「明るさ」の後を尾行したいと考えているようです。しかし、尾行しようにも、それはそれとして捉えられるものではありません。「明るさ」の事態とは、死者やモノと交感する際の神経の高まりとして、おのずとあらわれてくるものだからです。こうした事情から、からだの「明るさ」に注意を払いながらも、すぐに「暗がり」に転じてしまうことで葛藤する土方のすがたが浮かび上がってきます。そのため、「暗がり」について、土方は次のような観察をすることになります。
「ぼやぼやと立ち昇る湯気の中には、私を笑っているような盲や獅子が隠れていたのだろうか。手で水を縛る思いのようにうまくゆかないもの、難儀なものが湯気の中にも混じってもいた。いまにして思えば、濡れ雑巾に刺さっている魚の骨を懐かしがっているようなところにしか、たどりつけぬ行方がひそんでいたのかもしれない。」
「湯気」は、土方がからだに記憶として堆積するものに関わる際に、呪文のような働きをするものです。それは、パフォーマンス終盤になって土方に重要な転機を与えることになりますが、ここでは、「湯気」を見つめる少年のからだを仲介にしてたどられる神経はうまくゆかない、そう告白しています。そこに力の予感が隠されてはいるけれど、注意しないと、その抽象力はすぐに幻想性の方に傾いてしまうからでしょう。そして続けて、「暗がり」と「明るさ」の関係について次のような分析がなされています。
 少年の記憶の「暗がり」に関わる長々とした光景が語られた後に、
「そういうものを食べているとどういうわけか、家の中から痩せた男がちょろちょろ出てきて、裏の畑に鍬を入れ、葱を抜いたりしていた。木通や李、巴旦杏、茱萸、すぐりなどを喰っているそばを、青い貌をした人が非常に早く走り去っていったのも不思議であった。」
 少年のからだにあらわれている「不思議」の感覚を土方が敏感に見てとっていますが、この事態にいたるまでの少年の記憶の「暗がり」に関わる細々とした光景よりも、この「不思議」の感覚の方にこそ「明るさ」があらわれていることを、土方はここではっきり見てとっているのです。このときこの「不思議」の感覚は、記憶の「暗がり」に呼び出されているモノの光景を通じて生まれているのであり、このモノの光景がつねに少年の注意を引きつけているそのことによって、「明るさ」の気配として連れられて来るのです。
「物も恋する機会をもてないのかと察せられる日が続いた。そんなとき私は、身を捩り地団駄踏んで暴れ騒ぐのだが、からだの中を蝕む空っぽの拡がりの速さに負けてくるのであった。」
 モノと交感する機会がないままからだが放っておかれると、からだはどんどん虚ろなものとして構築されてゆく。その虚ろな自己は、からだに記憶として堆積するものを残留させるばかりで、そのときからだは、からだに起きる生き生きとした現象を見出してはいない。すると、
「どこの家へ行ってもズタズタに引き裂かれた神様の一人や二人はいたし、どこの家の中にも魂の激情をもう抑えきれない人が座っていて、あの懐かしい金火箸を握って金切声を出して叫んでいた。腑抜けになる寸前のありったけの精密さを味わっているこれらの人々を、私は理解できるような気がして、眺めていたのだろう。」
「腑抜けになる寸前のありったけの精密さ」が、からだの「明るさ」に触れている事態として注目されているわけですが、土方は、少年が眺めていた光景を仲介にして、それをおのれのからだの現象として見つめようとしているわけです。そして、この「腑抜けになる寸前のありったけの精密さ」に比べれば、「暗がり」などは「型の亡骸」でしかない、そう考えるのです。
「茄子をもいでいる静かでひょろらっとした人や、ぶぁぶぁ飛んでいる蝶や、あの確かな太さを持っている醤油瓶や、豆炭の重さや金槌の重さだって、寒いところから帰ってきたような浴衣だって、人間の激情をそそのかしているものなのだった。こういうわずかばかりの道具類に接した解剖の場で、疑わしいような惑わされているような不透明なからだはヒステリーを起こしていたのだろう。しかしもしこういう物達の物腰に脅かされている関係から醒めたら、息の方が、ひとりでにからだのなかからでていくようなことが起こるかもしれないと思い、警戒しいしい暮らしを暗く仕立てていたはずだ。」
 モノ(死者)と交感するようなからだの「解剖の場」が、「腑抜けになる寸前のありったけの精密さ」を誘発していることを、土方は確認しようとしています。そうしたモノとの交感がもしなかったら、逆に人の魂のありかがわからなくなるから、そのことが失われないよう、かえって暮らしに「暗がり」が育てられている。ヒステリー、すなわち病は、「明るさ」として息づいている「暗がり」として、かつて共同体においてそれとなく認められていたはずだ、そう言うのです。自己を用意するだけではかえってからだはどんどん空白になっていく、そうした環境がある。自己を用意しながら自己を欺くようにしてからだの空白を埋めているのが、狂気寸前の精密な神経なのだ。そのことはすなわち、記憶の堆積から逸脱するようにして、堆積作用そのものを際立たせているからだがあることを、その神経は示しているのでしょう。
「人間を驚かすキラッとした眼の介入を、無意識のうちに一種の疾病として片付けていたのかも知れない。」
 病は驚異的なものである。病にかかると、人間であるにもかかわらず、超自然力のようなものを示すことになるからです。それゆえ病は、魂を示唆することのできる肉体、すなわち「明るさ」として息づいている「暗がり」として、昔から認められてきたのです。こうして「明るさ」と「暗がり」の二重性が知られることのうちに、「病」、すなわち「病める」ことの内容が示されるにいたります。

「寝たり起きたりの病弱な人が、家の中の暗いところでいつも唸っていた。畳にからだを魚のように放してやるような習慣は、この病弱な舞姫のレッスンから習い覚えたものと言えるだろう。彼女のからだは願いごとをしているような輪郭でできているかに眺められたが、それとてどこかで破裂して実ったもののような暗さに捉えられてしまうのだった。誰もが知らない向こう側の冥さ、この暗い甦りめいた始まりを覚えていなかっただろう。」
「病弱な舞姫」が、少年のからだの「暗がり」から低い声を発している。この「病弱な舞姫」は、土方のからだを、手足のない乳呑児のように解いてくれるようだ。この「病弱な舞姫」は、「願い」というヴァーチャルであるものを包むフォルムでできているようにみえますが、すぐさまそれは、「明るさ」と「暗がり」が一体となったような、「破裂して実ったもののような暗さ」に還ってしまいます。この「暗さ(冥さ)」は、「誰もが知らない向こう側の冥さ、この暗い甦りめいた始まり」であるという始原的な性格を帯びていて、あの乳呑児と死者が重なる時空のようにして目の前に浮かびくるのです。この時空は「病弱な舞姫」の気配と重なって、異様な緊張感と共に出現しています。この「向こう側の冥さ」の始原的な深さを、土方は強調しているのでしょう。そこは、死者との交通路なのか。死者は、「誰もが知らない向こう側の冥さ」にいて、そこに触れようとする者に不思議と輝くような息づかいをさせてくれるのです。その息づかいを求めて、土方は冥さの深みへと降りてゆこうとします。
「何にでも噛みつかれるからだを、構成し捉え直したいと思わぬでもなかったが、この寝たきりの病弱な舞姫の存在の付け根にそって靡いてしまい、私はすぐにこの舞姫に混有されてしまうのだった。」
 こうした告白から、この「病める舞姫」が、「舞姫」という暗い背景に照準を定めようとして、肉体の闇から遡行するようにして語られている、そのことがわかると思います。

「飴の中に巣ができているものを舐めては、私はよく舌を切った。目を患っているアイスクリーム売りの涼しさを、ひやっとする医者よりも際限がないと眺めたりしていた。そして、そういう涼しいところにさしかかると、不意に動きを止めて強張ったりするのである。そのまわりには煤けた思いや蝕まれた影なども棲んでいたが、心配ごととして見ていたようなものが、ふっと安心ごとに変わりもする。そういうものを、ほどいたり消したりする必要がない息の明暗が、私のからだにつながってしまっているのであろう。」
 飴を舐めて舌を切る少年の感覚が、「ひやっと」した「暗い」時空に変動してゆくのがわかります。その「暗がり」にとどまり、その変動に注目していると、影がほどけて安心するような現象がからだに起きてくるといいます。それを「息の明暗」と呼んで、自分のからだに繋ぎ止められていることを土方は確認しているようです。今や、からだの「暗がり」に近づく神経がからだの「明るさ」の神経を呼び出すようにして、おのずとその糸を手繰り寄せているのです。
「暗がりのなかに隠れることを好んだり、そこで壊されたがったりしているものがなければ、どうして目をあけて視ることなどできるだろう。」
 からだの「暗がり」と「明るさ」の二重性はますます緊密となり、「明るさ」と「暗さ」とはそれぞれ相手なしには見出されることがない。そうした「病める」次元の視線で見ると、
「どんな人の寝顔も言い表わし難い化粧をしているように覗かれる。寝床には神様も潜り込むのだろう。からだの寸法も決まるようだ。」
「寝顔」と「化粧」の間に、死が想起されます。この「死」は、乳呑児がくぐりぬけているような「死」であり、「暗い甦りめいた始まり」に交通しているものように思われます。眠っている人を起こしてならないのは、眠りが、魂が裸の状態であり、赤子であり、死に顔であり、私たちが人のすがたから逸脱しようとする際の化粧だからです。その眠りの深みに「神様」が潜り込むようにして、土方のからだは降りてゆこうとしています。
「あの見えているものは確かに馬や牛だが、あれは暗い穴そのものなのか、その穴の中に入って見えなくなってしまうものだろう。」
 目の前の像は、私たちの眼球を通して網膜に逆さまにその像を結んでいる。その像が脳の視覚域へ伝達される過程で、像はあるがままに復元されていると私たちは考えていますが、その復元の過程に何が起きているかはわからないままなのです。眼に見えるものが、眼の働きを隠しているのでしょうか。

Monday, May 21, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 四「病める舞姫」と差異的意識 

1.「病める舞姫」というパフォーマンス

 土方巽著「病める舞姫」(1983)は、かつて前例のない、そう言っていいような日本語のテキストです。内容においてもそうですが、文字による表現そのことが、他には見られない特異な形式に貫かれています。その特異性は、テキストが執筆される時点からすでに際立っていたようです。
 土方が「病める舞姫」を執筆する経緯に関しては、様々な証言があります。たとえば、土方はこの作品をまず口述筆記させたということですが、それも部屋の押入れの中に炬燵を持ち込み、その暗がりの中に弟子の筆記者と共に入り、口述筆記させたというものです。その真偽はわかりませんが、土方が「病める舞姫」という特異なテキストを生み出す、その現場の雰囲気が妙に伝わってくる話です。土方が、夫人や身辺の世話をする人たちに口述筆記させたのは事実です。が、テキストのすべてにわたってであるかどうかはわかりません。また土方は当時、執筆場所にしていたアパートの部屋に複数の机を配置し、一つの机で執筆するのではなく、気が乗るままに手元の机を選び執筆していた、そんな証言もあります。さらに他の証言によれば、口述筆記させた文章を部分ごとに並べ、あるいは弟子に並べさせ、つぎはぎのようにして一つの章にまとめあげていったといいます。いわばカットアップの手法をとったわけです。しかし、どちらかといえばこの手法は、まず断片としてつくり上げられた踊りを、最終的に一編の踊りに構成し上げる作業に似ているような気がします。とはいえ、この手法が一貫して用いられたのかどうかはわかりません。が、そのつぎはぎの形跡は、テキストにはっきりとみてとれます。そうしてできたひとまとめの文章を、今度は詩人の三好豊一郎の目を通してチェックさせたといいます。ここからは事実です。三好は、文章の主語を定めるのに苦労したと証言しています。書かれた文章に主客の不明な部分が数カ所にわたってあったのですが、それについて土方に確認しようにも、土方本人が戸惑っていたそうです。これは重要な証言で、意識のオートマティックな状態で口述されたかのような文章には、頻繁に主客の逸脱があったのです。それは現在残るテキストにも、そうした箇所がいくつか見られるとおりです。
 こうして雑誌「新劇」に、1977年四月から翌年の三月までの一年間のあいだ、十回にわたって連載されました。連載は十月号の時点までは規則的になされていますが、その後やや変則的になされています。その理由については後で述べることにします。そして、1983年に単行本にして出す際には、今度は鶴岡善久に手を入れさせています。鶴岡は、以前にも土方の依頼によって、「犬の静脈に嫉妬することから」を編集しています。鶴岡の手によって、このときテキストの冗長な表現や繰り返しの部分が取り除かれています。土方は、この鶴岡の手になる修正作業にいっさい口を挟まなかったといいます。鶴岡に全幅の信頼を寄せていたのでしょうか。そうでもあるでしょうが、どちらかといえばこのことには、いったん自動記述された自分の声にあらためて自分の手が入ることを断固として排除したという、土方の強い姿勢がうかがわれます。つまりそれは、こういうことなのではないでしょうか。舞台で踊りを踊る現場では、私には私が踊るからだを人が見るようにして見ることはできません。だからそのとき、踊りながらその踊るからだに自分で手を入れられるはずがないのです。それと同じようにして、いったん声にしてあらわしてみせたテキストをあらためて作品として世に出すに際して、声を発している現在以外の時点からその声の主でないようにして自分が手をつけることはできないとされたのでしょう。
 そうだとすれば、土方が(自動)口述筆記の方法をとり、またなぜカットアップのような手法をとったのかおのずと腑に落ちてきます。土方は、みずから踊りを踊る神経で語り、すぐさまおのれの声を、踊りの舞台と同じようにおのれで構成してみせようとしたのです。むろん「病める舞姫」はテキストという形式で残されており、それは踊りではありません。が、このテキストは通常のテキストと呼べるような代物ではありません。その読みづらさには格別なものがあります。だからむしろ、土方のからだに経験されている何かしらの変動が声として文字に跡づけられ、その個々の変動を抱える声が舞台を構成するごとく構成されてテキストとして残されている、そうした異例の形式に貫かれた表現と考えた方がよいと思われます。そう考えれば、テキストの字面をそのまま理解しようという試みに伴う問題も氷解するのです。「病める舞姫」に記された言葉は文字というよりも、土方のからだに経験されている変動を示すような声なのです。その声は声ゆえにすぐさま変動し、その声を聞くことで内省し、剰余を生み出すような展開は何も示されません。したがって、主客が明らかでない部分が頻出する理由も明白となるでしょう。土方にとって、主客を明確にして、語る現在から遠のくようにして定着する光景を残すことが求められていたのではなかったからです。土方はただ、主客も定かでない薄明のからだに経験され、変動としてあらわれている、目前の生き生きとしたものを掴むことしか念頭になかったのです。夢に限りなく近い意識の薄明状態のまま、土方はからだに梯子を降ろし、からだの起源であるはずの闇というものの構造に向かって降りてゆく。そのとき土方のからだは闇というよりも、からだに記し記されているものが止まることなく変動するような、肉体の闇という界面現象として経験されているかのようです。その変動するあらわれを、声というモノに中継させることで掴もうとする。土方が目前にする、生きた現在を掴もうとするその声を、実際に私たちはテキストを通して聞くことができるのです。録音されたライブパフォーマンスのように、聞くことができるのです。こうしたパフォーマンスはすでに、「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」(1976)において実験済みです。したがって、「病める舞姫」は文字に表されているとはいえ、そもそもこのテキストは音であり、一読すればわかるように、音の要素を強く引きずるものとなっています。音ばかりではありません。いたるところに敏捷な身振りさえみてとれるのです。さらに暗転があり、溶明があり、素早い舞台転換があります。視線を着換えるための小さな場面の挿入もあります。土方は明らかに、テキストと向き合うパフォーマンスを目論んだのです。
 そのことは、「病める舞姫」というタイトルにも見てとれないことはありません。この時期の土方は、舞踏家と称しながらもう長い間舞台に立つことがなく、周囲では土方はもう踊れないのではないかとまで噂されていました。そうした自身をめぐる状況を逆手にとって、自分は病という事物に絶えずこうして踊られているじゃないか、そのような衰弱したすがたが、土方自身によって「病める舞姫」と名づけられている、そう考えることもできるでしょう。しかし、その命名は、みずから舞踏する事態を象徴的に示そうとしているだけではないでしょう。それは、土方にパフォーマンスの疼きをもたらす、その病芯をも言い表そうとしていると考えられます。たとえば、「病める舞姫」らしき像が、テキストの冒頭の章にかぎって、二箇所にわたって描写されています。が、冒頭にわずか二回しか描写されていないとはいえ、「病める」女性像に関していえば、彼女たちはテキスト全編にわたって間欠泉のごとく繰り返し登場しています。また「舞姫」に関していえば、最終景で二人の女が舞踏する情景が劇的に語られています。こうした内容をみれば、「病める舞姫」という潜在的なヴィジョンのようなものが、土方がパフォーマンスするその病芯として、不可視ではあるがテキストの舞台全体に臨在しているのがわかると思います。そのヴィジョンは病の床に伏せったまま、けっして立つことがない、そう配慮されているのです。すでに述べたように、土方は「病」の語に闇を受け継がせているようです。肉体の闇とは、肉体に関わる認識がそれ自身に見出しているような差異的な経験でしたが、土方が自身の「内部」を差異として見出そうとする志向性は、この「病める舞姫」を語る作業において著しいものがあります。そのことからすれば、奇妙にもといいましょうか、むしろ土方の意図するとおりといいましょうか、この「病める」というタイトルには両義的な意味合いが示されているように思います。それは、いっぽうでは踊れない状況にある土方の衰弱を示し、他方では自身の「内部」を差異として見出すからだの疼きとして、積極的に機能するものとなっていることです。この両義性はそのまま、テキストに向き合うパフォーマンスが目論んでいるもののようです。すなわち、衰弱は衰弱のままでそのすがたを損なうことなく、その衰弱のうちに差異が見出されているというような現在の明晰な仕掛けがおのずと際立たせられる、そのように土方がパフォーマンスするすがたとしてあらわれてくるものを目論んでいる、そう考えられるのです。
 さらに、テキストがパフォーマンスであることは、あらかじめ構成がはっきりと決められていることからもわかります。すなわち、四季という構成です。土方はかつて、「四季のための二十七晩」の舞台で四季を構成しています。その際に四季とは、四季が一挙に舞台化されているように、まるごとの四季なのです。この四季は、土方のパフォーマンスを考える際に見逃せないものです。「病める舞姫」では、四季は以下の通りに配分されています。テキストのパートごとに掲げられた数字を、便宜的に「景」と考えることにします。
 三景 春
 四景 春または初夏
 五景・六景 夏
 七景・八景 晩夏
 九景・十景 秋
 十一景・十二景・十三景・十四景 冬
 ちなみにこのテキストの四季は、土方が現実に執筆した季節と同じくしているようです。すなわち、土方は春の景を春に記述し、冬の景を冬に記述したのです。連載が後半に変則的になっているのは、執筆時の季節とテキストの季節を合わせるように努めたからだと推測されます。このことから、夢を見るのに近いその語り口、あるいは自動口述するに際して、語るその内容が現実の季節と少なくとも一致するという環境が、土方のからだにとって重要な要件であったろうと考えられます。おそらく、現実の四季を通じてからだに変動としてあらわれる事態に、あくまでも忠実であらねばならないとされたのでしょう。
 とはいえ、その四季の配分を見てもわかるように、春は短く、冬は長い。夏はいっきに高まり、いつのまにか秋が深まります。それは、現実の四季とは異なる、土方の少年が棲まう東北の四季でもあります。が、この東北の四季は、けっして東北の現実であるとはかぎりません。夏の中に一瞬冬があらわれ、冬の中に夏が瞬く。それは、土方の少年が見るままの、いわば季節というものの重層的な光景なのです。この四季が、おのおのの光や温度、湿気や風といったものを伴ってくるのですが、そうした空気の体感は、少年のからだを通じて自在に変動しているようです。それゆえ、四季は土方の記憶というよりも、少年のからだに繰り拡げられているもののように語られています。この四季は、ただの四季ではありません。たとえば、光は一見かつて射していた自然の光のようではありますが、それは実は、土方が現在のからだに見出しているだけのどこにもない光のようです。その光はどこにもないもののように射していますが、少年のからだには確かに感じられているもののようです。このように、四季は単なる四季の光景などではなく、土方と少年のからだを行き来させることを可能にさせるような、そうした確かな時空として設定されているように思います。
 テキストの舞台の中で一貫して語られるこの「土方の少年」が、単に回想の少年ではないことは本稿の冒頭で述べたとおりです。「土方の少年」が抱える虚構性とは、土方の現在がつねに抱えている、少年という未生のままのものを示そうとする姿勢に由来するのです。その少年のすがたは記憶のすがたというよりも、土方のからだに経験されている、未生にして変動するすがたとしてあらわれているのです。この変動するすがたが土方自身と重なり、ときおり誰が何をしているのかわからなくなるという事態をつくりだしているわけです。この不明な事態は、土方と土方のからだに棲む姉との関係によく似ています。が、姉の場合は、死者としての姉であることで、自己の不明な事態を呼び起こしていましたが、「土方の少年」は死者という他者ではありません。それは、からだから自己を解こうとして土方がそのすがたにすべてを託している、土方のからだに仮構された、未生に関わろうとするもののすがたなのです。この特異な事態が、土方である「私」と、少年である「私」との差異に土方を関わらせているようです。土方は、「少年」という変動するすがたとしておのれにあらわれているものと、自身との差異に関わり続けているのです。その関わり方は、実に微妙なものです。土方はその変動するすがたを素直に見つめ、そのすがたを身に重ねたり、また身をずらしてみせたり、またそれから離れてみたり、さらに変動するそのすがたを命名したり、すがたを操作しようとして逆に過ちを指摘されたりといったふうに、様々な仕方でそうした差異を操ろうとしているのです。土方はこうした差異に関わりながら、関わることですぐさまそこに変動する時空をぐんぐんと身に呼び寄せていくのです。その変動は、たとえば、「生えてくるのは、ちょうど妖精が立ち止って他の精霊を呼び寄せるような症状」(「人を泣かせる…」)に見舞われて、次々と呼び寄せられてくるのです。
 土方である「私」と、少年である「私」との差異は、土方の声が文字になることで、もう一つの差異を浮かび上がらせています。このことが、土方と少年とを区別し難いものにしている原因ですが、しかしこの不明な事態にあっても、土方は実に精妙な神経を働かせています。主客の逸脱は、確信犯的な逸脱なのです。土方が少年である「私」を語るその声の調子は、最初は記憶をたどるふうにしていかにも明瞭なものなのですが、次第にその明瞭さはためらいがちとなり、暗さの中に溶け入るようにして朦朧となり始めます。この朦朧さは逆に、もう一つの差異が見出されている事態を示しているわけです。このとき土方は、「私」という主語に、少年とも土方とも見分けのつかないすがたを重ねながら、いかにも土方と少年とがぶれて重なるような「私」のすがたを示しています。ただぶれて重なるだけではなく、少年である「私」が何の手続きもなくいつのまにか土方の「私」になっていた、という事態さえ示されています。こうした文章表現に伴う差異は、そのまま精妙に見つめられる方へと展開されてゆくことになります。たとえば、朦朧とした土方の「私」が不安定な速度をもった少年を抱えながら、ときおり「私」の調子が少年に定まるかと思えば壊れ、そこに少年が定まったと思いきや次には朦朧とした土方の「私」のうちに解消される、といったような事態にあらわれています。こうした、土方の「私」が声にした途端に「私」から逸脱するようなその声の航跡は、土方がテキストに向き合うパフォーマンスをすることで密かに目論んでいる、舞踏する身振りのようにさえみえるのです。
 そしてさらに、もう一つの差異の次元が示されています。それは容易には見定めがたいのですが、「私」のからだと、「少年」のからだとの差異です。土方は、おのれのからだに経験としてあらわれては消えるもの、すなわち、からだに記し記されたものが形成するその痕跡を報告するのに最初は難儀しているようです。しかし、少年のからだに折り畳まれていたと思しき、蜘蛛の巣のように微かで巧妙な神経網に逆に自身のからだを絡みとらせるようにして、その形成するものの痕跡を自分の声にしようとするのです。その報告は、ときおり嘘をつくこともあります。が、少年のからだにあずけられた土方の願いは、あくまでも誠実なものです。少年のからだに折り畳まれていたものが拡げられたときに、そこに黴のようなものがうっすらとかかっていて、土方のからだを闇に繋ぎ止めておいて欲しいと願うときもあれば、骸骨の骨をした少年のからだに映る純粋なものを、おのれのからだにそのまま映し出したいと願うときもあります。少年のからだに託しておのれのからだに折り畳まれているものを拡げようとするその作業には、何よりも生のよみがえりに関わろうとする、土方の熱烈な身振りが示されているような気がしてなりません。冒頭、「からだの無用さを知った老人」の気配に土方の神経が関わることが、いきなり「土方の少年」を生き生きと明るく活気づけているように、そこにはひょっとして生というものの秘密が隠されているのかもしれません。
 衰弱に関わりながらも、「病める舞姫」というテキストに向き合うパフォーマンスにおいて、土方が語る声の身振りは生き生きとしています。そのぴちぴちとしたものをとらえて、私たちはこうだと解釈することはできません。が、目前のパフォーマンスに立ち会いながら、土方がおのれの差異的意識に関わろうとするそのすがたを示すことはできるはずです。目の前に浮かびくるその敏捷な身振りを、あくまでも個人的印象として示してみたいと思います。

Sunday, May 20, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 三 舞踏のテクネー 

4. 自明でない自己          

 舞踏表現として「立つこと」の新たな様相を、「四季のための二十七晩」そして「静かな家」の舞台と土方は立て続けに、みずからのからだで実現させようとしました。しかし、この短い期間のうちに稲妻のごとく一瞬垣間見せたかと思いきや、死者をおのれのうちに立ちあがらせようとするその表現はそれっきり立ち往生してしまいます。いっぽう、「裸である」ことの新たな様相をからだに切り開こうとする舞踏符の手法は、他者のからだを借りてその後のアスベスト館連続公演において縦横無尽に展開されることになりました。その結果、未生なものの変動する神経に操作された身体による舞踏は、かつてないほどユニークな、西洋のものでも東洋のものでもない、独自の身体表現を提示するものとなったのです。舞踏符に条件づけられたからだを素材にして、舞台空間というキャンバスに展開されたそのマニエリスム的な舞台は、そのとき、舞踏符という技法の性格上、図像になる寸前のイメージ身体というようなものの群を生み出しています。そのイメージ身体群は、未生なものの変動する神経に支えられて、生き生きとした装飾的な光景として見る者を魅了しました。しかし、その光景自体は、土方の意図するものではなかったように思われます。あくまでも土方は、舞踏符の技法によってからだに切り開かれ、むすばれることでそこにあらわれるものを見つめていた、そう考えられるからです。舞踏符は、踊り手の神経操作によって際立たせられた途方もない身体空間を提出するとともに、踊り手の肉体の闇という「内部」を表現するかのような技法として確立されるにいたったのですが、そのことに土方は満足しなかったように思われます。その後も土方は、舞踏する主体について新たな考えをめぐらしているからです。
 ここでふたたび、「包まれた病芯」の時点に戻ろうと思います。この文章の中で土方は、「病芯」を語ることから、一転して自己を問題にしているからです。土方が自己を問題にするのは、「裸である」ことを身体化しているのが自己だからです。つまり、このからだは社会的な生としてすでに条件づけられている、すなわち身体化されているけれども、「裸である」ことで、自己とは異質である「内部」という素材をあらわにすることになる、そう土方には確認されているからです。たとえば、土方はかつて、おのれの身体が犬のからだに敗北感を感じたことを告白しています。動物には自己がない。それは「想像の肉」をもたない裸のからだをしているのです。土方が自己をとりあげるのは、自己というものが、一方的に仕つけられたような主体を形成するばかりでなく、否応なく私たちのからだにまとわりつき、その果てに「想像の肉」をつくりあげるものでもあるからです。
 すでに述べたように、舞踏符は、自己という同一化を駆り立てるものに裂け目を入れようとするばかりでなく、自己を不明にするような神経を操作させることになります。そこで土方は、「自明でない自己というもの」に注意を向けています。注意を向けながら、「自明でない自己というもの」が個体をようようまとめあげるようにして「外側からとりおさえていく時間」、その時間をとらまえようと試みているのです。例のごとく土方は、自己を扱うのに自己の側からではなく、自己というものが生まれるその起原とされる側から、もしくは自己という皮膚を生み出す「疼き」(それは事物として見出されていた)の方から、自己を問題にしようとしています。けれども、この問題をめくろうとする土方の思弁が土方の肉体から剥がし難くあり、それゆえ、すぐに「自己を懐かしがる」という言い方に解消されてしまっているかのようです。とはいえ、その「自己を懐かしがる」事例、すなわち「自己を懐かしがる」時間を採り上げてゆくその作業によって、自己の起原というものに相対しようとしているようにもみえます。その作業の身振りを支える衝動を推測すれば、おそらく土方は、からだに根付いてしまっている自己というものと、からだに事物として見出される時間とを相対させようとしているのです。そのとき、自己の起源に近づこうとするものは何だろうか。

 通常、具体的なフォルムと名づけられているものでも、裏返しされてそこにあるという世界ならば、ぬきさしならぬ時間ともどもに一種のサインとして、既に配列されている事物にすぎない。また、空間と呼ばれているものが時間そのものと化して「私」なる存在になっている︱そういうことも起こりうるだろう。そういう仕ぐさや身振りによって浮かびあがってくる現象は、想うことが即座に征服されるように体に行き届き、それを解読した時間に体が結ばれ、また即座に解かれるように、溶解した現実の内側から内部の自己と連れ合って出てくる一種のよみがえりとしてあらわれてくる姿に違いない。こういう姿のまわりには「無」ですらちぎられるような熱気が漂っているものだ。どんな幻想も、極端にいえばこのような肉体を離れることはできない。感覚的な事柄の一例をあげれば、食事の際には食事の記憶というものが、咀嚼行為自体のなかに溶解しているのだなと気づいたりする。そしてそれも夢にしゃぶられて漂流している姿のように思えてくる。名づけえぬものに私たちが最終的に同化する際、私たちを襲うものは、見慣れぬものだ。それが自分の体のなかに入ってくるとき、私は微笑としてあらわされた存在になっている。この微笑は、目論まれた表情ではない。しかしそこにも時間は介入している。このぬきさしならぬ時間に自己を重ねることが最大の難関事であると思う。

 土方は食事という行為を例にあげて、自己(という幻想)をめぐるものとからだとが持ち合っている時間について語っています。食事をするという行為、それはモノを咀嚼する行為なのですが、そのとき食事の記憶が、その「咀嚼行為自体のなかに溶解している」ことに、まず注目しています。この注目は、注目することで、行為のかたちとその行為にあらわれるものを見分けているのではありません。それは、行為しながら、しかも行為の中断のさなかに行為させるものを見分けていると言っていいような、自身の行為に向けられた特異な注目なのです。そうした行為の中断のさなかに、言い換えれば、主客を見分ける自己の働きが中断されるような事態に、咀嚼の記憶、すなわち咀嚼をさせるものが「配列されている事物」として浮かび上がってくる、そう言います。このとき土方は、事物が浮かび上がってくるその時間にこそ注目しているようです。そうすることで、行為のさなかに行為を中断することで事物として浮かび上がってくるそのことを自覚する、そうした自己(という幻想)とは無縁であるような別種の認識を示そうとしているかのようです。こうした別種の認識が、自己の起源をめぐる「ぬきさしならぬ時間」、そう言い換えられています。そのときその時間は「裏返しされてそこにある」、あるいはまた、「空間と呼ばれるものが時間そのものと化してなる私という存在」とも言い表されています。言い表された、その内容をみてみましょう。
 咀嚼行為は生物本能にしたがっている、そう私たちは考えます。しかし、土方はそうした理性の規定にはしたがいません。理性が本能を扱う際には、錯覚が働くからです。私たちは右手で右手を握れないのです。また土方は、咀嚼行為を機械とも呼んでいません。機械という生命システムではなく、人間的な見地からすればこそ、「食べる」という行為のさなかに行為を中断して、今しているその行為に注目し、その行為をさせるものを際立たせようとする、そんな特異な内省があるはずなのです。そのとき、行為のさなかに行為が中断されることで浮かびくる、「自明でない自己」があるとされているのです。それは、行為の中断のさなかで、記憶として配列されている事物が、幻想し「漂流している」自己のすがたよりも先行しているという意味で、「自明でない自己」なのです。事物が自己より先行するというこの「裏返し」された視線において、「見慣れぬもの」、すなわち「自明でない自己」が自己を襲うことになるわけです。この「自明でない自己」がかりそめの主体となるとき、そこに「よみがえりとしてあらわれてくるすがた」がある、そう語られています。この「微笑」と言い表されたあらわれは、もはや事物でもなく、また空間でもありません。それは裂け目でもなく、ただ「時間」と示されているように、連続するもの、止まることのないようなもの、そう考えられるようなものです。このぬきさしならぬ連続するものに「自己を重ねること」、つまり、そうした「時間」を仲介するような自己が無私の経験として見出されること、そのことが知られなければならない、そう土方には考えられているのです。仮にもし「自明でない自己」という経験の場にも時間が流れるとすれば、それが「微笑」と呼ばれる、そこに不意にすがたをあらわす、連続し、止まることなく、明滅しているはずの現在というすがたであるのでしょう。その目論まれたものではない「微笑」という現在を仲介するような、見慣れぬものとしての自己が見出されること、土方はそうした作用をするものとしての、舞踏する主体を見出そうとしているかのようです。
 土方が舞踏する主体についてこうした考えをめぐらすのは、自身のからだに闇を立ち上がらせることのないまま抱えている、そうした断絶についての切迫した認識があるからだと思われます。おのれの肉体表現と劇場表現との齟齬と断絶を抱えたまま、土方のからだは、舞台キャンバスを見つめるその視線をひるがえって踊り手の踊る状態へと喰い入らせ、踊り手の身体空間に見合った舞踏する主体の時間を捕獲しようとする、そうした活路を要請しているのです。
 この時点で土方は、舞踏の表現についてことさら謎めかして語るわけではなく、新たな語彙を駆使しつつ、かえってその手の内を明かしているように思います。ここで語られているその航跡から、二つのポイントを押さえておきたいと思います。一つは、「包まれた病芯」を語ることで、自己の起源に接近しようとする作業によって知られるプロセス、その航跡が、同時に舞踏する主体の原理のようなものとして示されるはずなのでしょうが、それは航跡として示すことができるとはいえ、それ以外のものとして示すわけにはいかないことを、土方はこの折り畳まれてゆくような文体に託しながら示そうとしていることです。まず、「病芯」として疼くものが主体ならざる主体として見当づけられ、さらに熱を帯びた肉体を先行させて自己を懐かせしめる、その「裏返し」された事態にあらわれるぬきさしならぬ時間、そこに異質なものを仲介する「見慣れぬ」自己を見出すこと、そうした舞踏する主体があるだろう、そう考えられている自己の解体を示すようなそのプロセスは、航跡として示すことができるとはいえ、けっして形式に還元することができないないものであるわけです。視線を絶えず入れ換え、そうすることで自己とは非等質であるものを内包しつつ、そして視線を切断し、埋没させることで、その内包を非在として表そうとするその航跡、すなわち土方の身振りは、最終的に時間を示すことになります。そしてその時間もまたすぐさま「包まれ」るのであり、けっしてあらわなかたちで捕獲されているわけではありません。最終的に、土方がこうした仕方で踊り手の時間を際立たせようとするそのことは、裏返せば、舞踏する主体は自己を足場にしては見出せないことの表明であると考えられます。むろん、どんな身体技芸にあっても、表現する主体はそのつど形式をすり抜けていくものですが、舞踏の場合、それはたとえば病の事物性に見出されているような、生というものの闇として絶えず見当づけられているはずのものなのです。そして、そのように示唆することで、からだを条件づけることでそこに立ちあらわれるものを尾行する舞踏符の技法は、からだという非等質であるものをまるごと包摂する事実に関わることの技法へと、その役割が換えられているように思います。すなわち土方は、舞踏符という、肉体の闇を差異化し、微分化することで、結果として幻想性を生み出してしまう技法から脱しようとしている。これが二つめです。
 こうして土方は、最終的に、「今のところ私の日常は、…一時しのぎの薬局派タイプよりも、地味な夜尿症的タイプを嗅ぎ分ける作業に力を入れている」ことを明らかにしています。舞踏符が次々と指示する言葉の作用は、踊り手の神経を差異化し、微分化することによる、病に向けられた対処療法的な技法であるよりも、むしろその技法は、踊り手を自己の不明である事態、すなわち「自明でない自己」の経験へと導き、そこに不意にすがたを漏らすものを踊り手みずからが嗅ぎ出すことにあるとされるのでしょう。舞踏符という技法によって肉体を操作する踊り手は、その自己の不明な事態にあってけっして認識不明であるのではなく、舞踏符の言葉が示す外部を次々と内部へと「食べる」ことでもたらされるようなヴァーチャルな「内部」がもたらすテンション、すなわち、自己に先行するような事物性を、事物性のままに見出していることになるのです。「時間」と呼ばれる、そのヴァーチャルな事物のはじけるような微笑性が、この時点では強調されているわけです。
 こうした考えは、土方が舞踏する主体をめぐる最終地点、すなわち「衰弱体の採集」まであと一歩となっているようです。その「衰弱体」は、土方が断絶させたまま抱えている、自身のからだに闇を立ち上がらせようとして展開させてきた「死体であること」の技法を、土方自身が新たなかたちで引き継ごうとするすがたとみることもできます。しかし、そこにいたる前に土方は、自己をめぐる作業のうちに立ちあらわれるものを、舞踏の内容そのものとしてみずから表そうとしています。「病める舞姫」の執筆です。舞台による表現ではなく、言葉による表現に賭けるその経緯は、やむにやまれぬものであったらしい。