Sunday, December 23, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 六 仮面と表情

 舞踏の表現の特徴として、ことに<白桃房>の諸作品における特徴として顔の表情があります。たとえば、異様にデフォルメして造作された表情、そして白眼があります。それ以前の舞踊表現にはない意図的な顔の造作があり、土方の言葉でいえば、汚れたものを拾い集めて舞台にもってきたということになるのでしょうが、とはいえ、その内容は美醜の範疇を越えて、むしろ踊り手が強度を帯びる表現をもたらしているように思います。こうした顔の表現は決して恣意的なものではありません。それは舞踏符による厳密な振付けに則っているのです。
 和栗由紀夫の手になる「舞踏譜(私家版)」には、様々な舞踏符によって構成された舞踏譜が記録されています。その中には、<ベーコンの顔>、<ゴヤの顔>、<ルドンの一つ目>、<花子の顔>といった、絵画—写真から抽出された、表情の造作に関わる舞踏符もまた記録されています。たとえば、<ベーコンの顔>とは、ベーコン画の筆タッチをそのままからだで模写するものであり、その際の一連の神経配列が表情の造作、および操作にまで及ぶものであるとみえます。また<ルドンの一つ目>は、<ルドンの螢>として、次のような土方の指示があることが記されています。
「地中に伸びた細い根から光を吸い上げている。その光がお尻の下に溜った。身体の茎を通って光が上がってくる。顎の下に溜った光。眠っている顔がだんだんと明るくなってゆく。顔から光が洩れ出してくる。その光がだんだんと強くなって、顔から外に拡がってゆく。」
 こうしことから知られるように、<ベーコンの顔>や<ルドンの一つ目>といった表情は、からだのアレンジメントと一連のものとしてある、というよりもむしろ、からだのアレンジメントの先端が表情の造作となって現れてくる、そう言っていいものでしょう。その表情はからだ全体の神経配列から押し出されてくるように現れているのであり、表情だけが造作されているのではありません。ただし、<ベーコンの顔>として、その表情だけが取り上げられて残りの部分は消されたり、他の舞踏符に顔の部分のみ<ベーコンの顔>がコラージュされるようにして振付けされる場合もありますが、その場合にも、その表情はからだ全体の神経配列から導き出されている、そう前提とされているのではないかと考えます。
 また<額の渦巻きの僧侶>という舞踏符が記録されていますが、それは土方自身によって次のように解説されています。

そこ(仏像の顔)に浮かんでいる表情が、言葉が堕胎された形で言葉になっているものだとか、言葉が相手に伝わる前に自分の頭にしみ込んだ言葉になってしまったとかというのがある。小鳥の声を聴きますと、聴きとる寸前に鼓膜に針で穴をあけられて、その瞬間に響きを頭に全部沁みこませた顔だとか、何かを喋ろうと思って、音声よりも舌が先にダラーッと出てきて顔が重なったらしいだらしない中途半端な顔になって、見事に固定されたとか、あんまり考えることに考えられて、額に渦巻きみたいなものができて鼻から下がすっかり留守になって耳まで垂れ下がっているようなものもあった。言葉というものがからだから発生される瞬間がある、その響きを包み込んだ顔もあるというふうにみてきますと、ずいぶんと言葉というものが舞踏家の身辺にもあるんです。
          (「欠如としての言語=身体の仮説」現代詩手帖1977年4月号所収)
                         ※()の中の語は筆者による捕捉

「言葉というものがからだから発生される瞬間がある、その響きを包み込んだ顔もある」と言われているように、表情の造作にも言葉が関わっているわけです。しかし、それは言葉というよりは、「言葉が堕胎された形」のそれは意味へと分節化されることなく、むしろからだの内に折り畳まれることでみるみるうちにからだのアレンジメントと化してゆく展開を促進する、といった過程が指摘されています。このように、言葉を契機としてアレンジメントの先端として立ち現れてくる顔の表情が注目されて、そこに操作という技芸が編み出されることで表情の舞踏符が舞踏の表現に取り入れられていると考えられるわけですが、そのいっぽうで、見た目には、こうした顔の表情に伴う相乗効果として、たとえば例で示した<ベーコンの顔>や<ルドンの一つ目>がそうであるように、そこには踊り手のすがたを人でなくするような働きがあるように思います。ふたたび和栗由紀夫の「舞踏譜(私家版)」から引用するならば、
「馬の首のゆくえ。ゆくえが塗り込められて、不能の顔になる。ベーコンの顔、ベーコンの顔で馬の首の淀み。子供をくわえた幽霊が俯瞰されて、軟体動物。水に染みてゆく。」とあります。
 これは「怪物」と名付けられた舞踏譜、つまり踊りのフレーズとされています。<馬の首>のアレンジメントはゆくえ(行方)を現すものですが、その行方が内に折り畳まれて<不能の顔>となり、そこから<ベーコンの顔>が導かれています。そしてそこに最初の<馬の首>が、それも行方を封じられた<馬の首>が重ねられます。するとそのすがたは俯瞰されて<子供をくわえた幽霊>となり(何故なら<馬の首>は口に何かをくわえる様態を示すと考えられるから)、<軟体動物>となり、みるみるうちに人間でないものとなってゆきます。また、
「顔の重層した土塊の人の中から一つの仮面が出る。その仮面が粒子で崩れる。また土塊になり、風に吹かれてヒヒになる。その状態から仮面の裏側が出て来る。顔の重層化、ひきつり、テレジア仮面の裏側をさまよう。ゆくえ、雷、雷の神経を末端まで辿る。」
「カサカサのドライフラワーの顔、内部に塗り込められる顔、前方にぶれてゆく顔、ミショーの三つの顔が内部へ。」
「クレヨン、幻想的な少女の顔。クレヨンで殴り書きされている顔。顔の左半分は石膏、口の左半分は溶けている。右耳の上下、右目は斜め上。ぶれている顔。」
「木炭画で書かれた顔。三つの顔が髪の毛で繋がっている。柘榴歯の顔、白い顔、右目と左半分が溶けている顔が繋がっている。」、といった例が記録されています。
 こうした例からもわかるように、顔の表情として、人間ばなれした造作が土方によって意図的に選択されていると考えられるのです。人間ばなれしたとはまず顔の造作から受ける印象ではありますが、とはいえ、必ずしも形態的にそうであることから受ける印象ばかりではないように思います。顔の表情は造作であるから、そこに踊り手の行為があることになります。それに対して即座に踊り手の評価が働きかけます。その評価を介してまた即座に踊り手のからだのアレンジメントが変動することに、土方はことさら注目していると思われます。「言葉が堕胎された」その未分節な音が、否応なくそうした行為と評価の運動を促進することになるのでしょう。ですから、むろん踊り手によるからだの動きも人間ばなれしたものではありますが、要するに、人間ばなれしたとは、舞踏手が変動に関わり続けるそのすがたから受ける印象なのです。とはいえ、ことに顔の表情が現すものが人間ばなれしていることで、その特異な相貌が踊り手のすがたを代表するようにして、かえって全体的な印象を人間ばなれしたものへと強めているように思います。踊り手が変動に関わるための条件とは決して何らかの固定的な役柄に関わることではなく、表情も含めてことさら人間ばなれした造作に関わるような条件づけがあるのであって、そうした条件が方法的に選択されているように思われます。踊り手は役柄を踊るのではなく、つねに変動のさなかにあり、いわば変動を踊るのです。変動のさなかにあることが踊り手に強度を帯びさせているのです。こうした変動をつぶさにする表現は「ひとがた(1976年) の舞台で見事に実現されていますが、その一条件として、顔の表情を操作するという舞踏の技芸があるように思います。
 
 顔の表情をめぐっては様々な問題群が語られてきました。それは、人は自分の表情を自身で見ることができないということに原因しています。自身の顔はどうやっても、せいぜい鼻先と頬の先ぐらいしか見えません。そのため、顔はからだのうちで特異な部位であることを私たちはつねに意識下に抱え込んでいるように思います。顔、すなわち顔の表情は私たちの意識にとって対象となりにくいものです。それで、顔の表情を意識するとき、表情と意識との間にはつねにずれが生じているのです。そういうわけで、私たちは、顔の表情をめぐってつねに表情の現前性につきまとわれているということになります。ことに他者を前にしては、表情の現前性が鋭く意識されています。(いっぽうで他者は表情の現前性を見つめている。それゆえ、現前性に見つめ返されている、という考えも成り立つ)。表情と意識の間にずれがあるという観点からすれば、自らの表情の現前性が意識されるとき、それは他者に面するアレンジメントとして感覚され、そう意識されている、と言っていいでしょう。しかし、こうした感覚や意識は習慣となりがちで、表情の現前性の感覚を薄めるものでもあります。いっぽう、表情の現前性の感覚を少しでも抑えるための、化粧があります。化粧は一種の仮面—衣装であり、それゆえ、作為された物語であるモードに左右されているわけです。
 踊り手においても、顔は特異な部位と感覚され、意識されているでしょう。からだの動きはそのつど、ある程度には対象化できるでしょうが、顔の表情は対象化が難しいと思われます。ことに舞踏符の指示により次から次へと変動に関わることにおいて、表情の造作はかえって自己の不明へと押し出される条件となっているようにも思われます。舞踏の表現に特徴的な白眼にも、自己を不明にさせるような効果があるだろうと考えます。
 このように顔の表情をめぐっては、顔の造作、表情の現前性、他者に面するアレンジメントの感覚および意識といった差異があると考えられますが、こうした差異を土方はどう見ているでしょうか。また表情の舞踏符と重ねてどう考えられているでしょうか。
 
 たとえば、能面ひとつ見ても、表情じゃなくて面というものが、空間をどのくらい従えて、喉の下のあたりにどのくらの戦争を何人にやらせているかというふうな催ってるもの、スケールの大きいものですね。その面だってよく見れば、神経が全部上に上がって鼻から下は激昂を噛んでおりますよね。人間なら涎を流すけれど月光の涎を流していますよ。というふうになまなましく見てしまうんです。そして仮面の裏側に廻っちゃうんです。すると火傷の跡のようなぶれた面がありますね。しょっちゅう裏と表を往き来してるわけです。そうすればやっと自分が、ああいうふうに様式化されたものから見たものが、現実に移しかえられてそこで納得できるというふうにみるわけです。
           (「欠如としての言語=身体の仮説」現代詩手帖1977年4月号所収)

 能の仮面をめぐって、仮面が従える時空間、仮面の意匠、仮面の裏側すなわち演じ手の表情と仮面が接する場といった要素が差異化されて、その果てに仮面の裏側と表とを往き来するといった内容が語られていますが、能面(以下、仮面とする)をめぐるこの解説を、以下の四つの局面に分けて考えてみたいと思います。
一 仮面をめぐっては、仮面の形態とは別に、仮面が従えている時空間が注目されている。すなわち、仮面には物語が前提されているのであり、逆に物語が仮面の形態を生み出していると考えられる。その物語とは「戦争」であり、また「物狂い」のような霊的な場での戦いである。そうした歴史の時空と霊的時空とが混淆して、能の時空のスケールは大きく広がり、その広大さを仮面が従えている。その時空の広大さは、能の技芸が舞台において喚起すべくものである。それも一個の<ひとがた>を軸にして喚起されなければならないのであり、そのための核心的素材としての仮面があるだろう。言い換えれば、仮面とは、人をめぐるからだの歴史性をいっきに舞台上に喚起するものであると考えられる。
 ちなみに私見をいえば、一部の<風流能>をのぞいて、シテの時空の広がりが舞台上でスペクタクルとならないのは、その時空の広がりが仮面をつけないワキという一個の人間の想いのうちに入れ子状態として示される、という能特有の表現形式があるからではないかと思う。 
二 仮面が前提としている物語とは別に、仮面の意匠がある。それは仮面の形態において現れている。その内容はあたかも「神経」の配列を示しており、いわば仮面自らのアレンジメントといっていいものを露にしたなまなましいものである。物語の広大さが仮面を生み、そして仮面が物語の広大さを従えるという有機的観点からか、仮面は一個のモノではあるが、その形態に自らアレンジメントを生み出してくるモノとなる、といった錯綜した考えが土方によってなされている。「激昂を噛む」神経が、すぐさま「月光の涎を流す」行為へと変動するように…。
三 仮面には裏側があり、そこは物語と意匠を携えた仮面と演じ手による表情とが戦う場となっている。「火傷の跡」とは、時代を経た仮面の裏側の黒々とした情景であるが、それは凄惨さを尽くした幾つもの戦いの跡でもある。すなわち、一個の人間である演じ手が、いかにして時空の広大さを従え、また物語を背景にしたアレンジメントを演じるその場で仮面上に生み出すことができるかをめぐって、一個のモノである仮面と相対する戦いがあるわけである。その戦いが、仮面の裏側で、仮面と演じ手による表情との間、その寸分の隙間で行なわれるのである。戦いに敗れれば、舞台に広大な時空を従えることも仮面にアレンジメントを立ち現せることもできない。つまり、能の舞台は成立しない。能という芸能は時の権力の後ろ盾に影響されていた。そうした意味で、この戦いは危機を背負った戦いなのである。そうした危機感にも、土方は想いをめぐらしているのではないだろうか。
四 戦いの場を想定することで、仮面の表と裏側を往き来するといった論理が見出される。その論理によって初めて、土方は能の技芸を理解できるという。「しょっちゅう裏と表を往き来する」とは、「六 死者と少年」において、<蚊帳の内と外とを行き来する>例で示した土方特有の論理であり、また実践的な方法でもある。ここでは、仮面と表情との戦いを想定して、仮面の裏側での戦いの様子と仮面の表に立ち現れているなまなましいアレンジメントとを往き来しているのである。その往き来の仕方はおそらく、演じ手の立場になって裏で表情の戦いをしながら、翻って表に現れているアレンジメントを確認する、といったものであると推測される。そうした実際的な技芸を仮に自ら反復してみることで、能の舞台として様式化された表現を理解できるというのだろう。
 さて、これはどういうことでしょうか。つまり、舞踏の表現とどう関係づけられて語られているのでしょうか。
 能の表現は広大な時空の出現を主題としています(ただし世阿弥の能は一個の人間の知覚と感情の動きに注目した)。そうした主題を提示するのに、一個の人間の顔をもってしては不十分であるだろうと思われます。そのために仮面が使用され(仮面芸能はそれ以前からある)、シテの顔は仮面の裏に隠されているのです。それゆえ、仮面の裏での戦いが想定されているわけです。具体的には、戦いをめぐって、仮面が従える広大な時空およびその意匠と、演じ手による表情が生み出すアレンジメントとを、その間にモノとしての仮面が介在していながらも一つのものとする、といった技芸があると考えられていることです。仮面が広大な時空を従え、物語の意匠を立ち現せるとはいえ、それはたやすく実現される事象ではありません。それは厳密な技芸によるのであり、とりわけ仮面の意匠をなまなましく立ち現せることができるのは、仮面の裏で戦う演じ手による表情のアレンジメントなくしてはありえない、そう考えられているように思います。要するに、観客の視線から隠れてはいるが、演じ手の表情をもたらしているアレンジメントこそ、仮面を通じて立ち現れるすべての現象を引き連れて来ることになるだろう、ということです。観客と演じ手との間には仮面が立ち塞がっていますが、そのことを埋め合わせる技芸が、仮面は時空の広大さに釣り合っているがそれを一個の人間が演じるという表現形式において、逆に絶大な効果を生み出している、そう考えることができるでしょう。そのために、能の表現にあっては、仮面の裏側が戦場となっているのです。その戦いのあり方は「激昂を噛む」といった仮面の意匠が強烈に意識されたものである、そう考えられているように思います。
 こうした戦いのあり方をふまえて、舞踏符による表情の造作とその操作を、仮面の裏での戦いに相対させてみることにします。
 舞踏符による顔の表情は仮面に通じるものです。その造作は、見た目に人間ばなれした印象を与えるからです。しかも、その仮面のごとき表情の内側では、ことさら人間ばなれしたものに関わる神経配列が操作されているわけです。表情がそのように仮面に似せられ、一個の踊り手のすがたを逸脱させるような状況へと押し出していくことが目論まれているとすれば、踊り手の表情の操作において、表面としての仮面と内側の神経配列との間での戦いがある、そうした事態を想定することができます。すなわち、皮膚と神経の戦いです。神経を操作するものとその配列を裏側とすれば、皮膚は表として意識されます。するとその戦いにおいて、顔の表情を踊り手自身では確認できないけれども、土方の考え方からすれば、表面の皮膚と裏側の神経配列とを往き来するという実践的な仕方が想定できるでしょう。こうした裏と表の往き来を、舞踏の<主観性>に沿って考えれば、裏側の神経配列、すなわち内部の事物が、事物のままで外部へ、すなわち表面の皮膚へと、潜在的なものが現実態へとめくれるようにして展開してくる、といったあり方を想定できます。こうした裏返しの展開を考えるためには、裏が表へとめくられる際に仲介的に働く、神経配列であると同時に神経配列の現れであるからだのアレンジメントの性格を見逃すわけにはいきません。つまり、裏と表があり、そして両者を繋ぐアレンジメントが意識されることになるわけです。
 さて、能の表現にあっては、仮面というモノと一個の演じ手の表情とによる戦いの場を介して、あくまでも時空の広大さを舞台上に立ち現せるという表現の意図があるために、一個の演じ手の顔ではなく、あえてモノとしての仮面が使用されています。いっぽう、舞踏の表現にあっては、内部の事物とその事物に関わる神経操作およびその配列とによってその内容が展開されることで、一個の人間が変動のさなかにあるその現前性に関わる表現を目論むがゆえに、その表現の焦点はもっぱら人間内部で展開する事物性に当てられています。両者の表現意図には大きな違いがあり、それゆえ、舞踏の表現において仮に皮膚が仮面であるとすれば、仮面の意味は、能の仮面のもつ意味とは大きく異なってくるでしょう。
 舞踏符による顔の表情をめぐっては、仮面に通じる人間ばなれした表情の造作(それは踊り手に強度を帯びさせるだろう)、表情の現前性が自己の不明へと押し出してゆく、といった効果があると考えられますが、そもそも何故そうした操作が必要とされるのかといえば、私たちはもう一つ別の仮面をつけている、と考えられるからなのです。すなわちそれは、他者に面するアレンジメントの感覚および意識に由来すると考えられるものですが、というのも、そうした感覚および意識が表情の現前性の感覚を薄め、さらに私たちの顔を日常性の表情へと収束させてしまう傾向にあると思われるからです。したがって、舞踏符の顔の表情をめぐってはもう一つの戦いの場があることになります。それは日常性の仮面と、舞踏符による神経配列の操作との戦いです。この戦いにおいて、舞踏符による、踊り手に人間ばなれした顔の表情をもたらすアレンジメントが有効であるように思われます。というのも、舞踏符の「言葉が相手に伝わる前に自分の頭にしみ込んだ言葉」は、神経配列であると同時に神経配列の現れであるからだのアレンジメントとなって、仮面としての表面と裏側の神経配列とを即座に繋げる働きをするものとなる、と考えられるからです。そうして、日常性の仮面を人間ばなれしたものへと変換させることで、表情として構造化する意識および感覚を宙吊り状態にすることになるわけです。そこにはいわば、皮膚に挑む神経の戦いがあることになります。
 このようにして、土方の能面解釈を通じて考えられるのは、土方は自らの舞踏の表現に仮面を前提としているのではないかということです。踊り手の顔の表情をめぐって仮面が意識される。しかし、モノとしての仮面に替えるわけにはいかない。舞踏の表現は物語の広大な時空を示すわけではないし、そのような時空を示すことが現代的に差し迫った表現主題となるわけではないからです。とはいえ、仮面はそこにある。仮面は意識されなければならないのです。それは別の仕方で意識されなければならないのです。それは日常性という仮面であり、それによってからだの歴史性が埋没させられているという意味での、いわば構造としての仮面です。こうした仮面を前提とすることで、舞踏の表現にあっては、表面である顔の表情と内部であると同時に外部として立ち現れるアレンジメントは差異化されるわけです。それは、日常性の仮面をして裏側の事物性へと繋げ、翻って仲介的に働く内なるアレンジメントによって表面に変動がもたらさなければならないという意図があるからである、と考えられます。仮面をめぐる裏と表の論理は、能面をめぐってその表現形式であると考えられたものと同じですが、戦いのあり方は異なっているのです。それゆえ、能の表現形式を認めながらも、仮面は一個のモノではあるがその形態に自らアレンジメントを生み出してくるモノとなる、といった独自の考えが生まれてくるのでしょう。土台となる技芸の類似性に喚起されて現代的な関わり方へと技芸を変換させているわけですが、こうした時代の要請による表現内容とそのための技芸の変化については、伝統的表現のあり方とははっきり区別して考えなければいけないと思います。
 舞踏の表現が仮面を前提としている、それも日常性の仮面を前提としているならば、そのことを拡大解釈して、私たちの日常性のからだ、その表面である皮膚はそのまま衣装—仮面である、という考えを引き出すことができます。とすれば、舞踏とは、わかりやすくいえば、(内なる)からだのアレンジメントを介してからだの表面を意匠として表す技芸である、ということになるのではないでしょうか。舞踏符による顔の表情は舞踏の表現に特徴的なものであり、おそらくそれは不可欠なもののように思います。それなしでは、舞踏の表現は一個の人間の表現となってしまうおそれがあるからです。そうであれば、舞踏の表現は伝統的表現から喚起されたものを失ってしまうでしょう。表情の舞踏符は土方がことに振付けにおいて重要視していると考えられ、その手法は踊り手を振付ける振付け側の視線が強く関与するものであり、そこには大きな問題があるわけですが、もし踊り手自らがからだの表面すべてを仮面—衣装とする前提で戦いに臨めば、その限りではない、と考えます。

Saturday, November 03, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 五 死者と少年

「病める舞姫」というテキストには、舞踏の表現形式を考察するうえで参照すべき文章展開が散見されます。たとえば、「舞踏の欲望」でも引用しましたが、以下のような展開があります。(引用文の末尾括弧内の数字はテキストの相当箇所を示す。)

 確かに私にも、サイダーを飲んだりしてはしゃぎ踊ることもあった。しかしめりめり怒って飯を喰らう大人や、からだを道具にして骨身を削って働く人が多かったので、私は感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつくようになっていた。あんまり遠くへは行けないのだからという表情がそのなかに隠れていて、私に話しかけるような気配を感じさせるのだった。この隠れた様子は、一切の属性から離れた現実のような顔をしていたが、私自身も欠伸されているような状態に似ていたので、呼吸も次第に控えめにならざるをえなかった。私のからだは喋らなかったが、稚いものや羞じらいをもつものとは糸の切れているところに宿っている何かを、確かに感じとっていたらしい。からだは、いつも出てゆくようにして、からだに帰ってきていた。額はいつも開かれていたが、何も目に入らないかのようになっていた。歩きながら躓き転ぶ寸前に、あっさり花になってしまうような、媒介のない手続きの欠けたからだにもなっていた。そういうからだを手術しようとも私は思わない。手術できるものでもないだろうが。あまり楽しいときは、踊らないことにしているのだ。(一)

 楽しいときに「はしゃぎ踊ることもあった」子供時代の記憶から、「あまり楽しいときは踊らないことにしている」という現在のからだの言及へと移行しているのがわかります。むろん「踊り」の意味内容も前後で異なっていますが、その文章展開はどうなっているでしょうか。
 まず、土方である「私」と少年である「私」との差異を念頭においてみなければならないわけですが、行為と評価の入り組みという観点からすれば、「病める舞姫」では主に、少年である「私」が行為し、土方である「私」がその行為もしくはアレンジメントを評価する、といった仕方で文章が展開されているとみなすことができます。
 少年は楽しいときに「はしゃぎ踊ることもあった」が、周囲にはからだをモノのようにさせ、モノのように操作する人たちがいたので、感情が形成される手前の抽象力だけに関わるようになっていた。この少年のすがたに、「あまり遠くへ行けないのだから」という、時間を見透かすような表情が疼いているのに土方は注目しています。すなわち、少年の表情として現れているアレンジメントにそうした評価を与えているわけです。そうした評価がすぐさま土方の方に反射してきますが、抽象力のうちに疼いているその表情に注目することで、そこから「一切の属性から離れた現実のような顔」が少年のアレンジメントとして立ち現れてきます。そうしたアレンジメントに立ち会う土方の方はといえば、そのときもう主客が逆転する一歩手前といった状態です。その後の展開は、少年のからだのアレンジメントに少しずつ差異がもたらされながら、「一切の属性から離れた現実のような顔」という一貫した内容をめぐって立ち現れながらも異なるアレンジメントの反復となっています。そして、反復によって生じる土方による評価の差異を示すことで、そこに変動する身振りと共に、からだをめぐる変換が示されようとしているのでしょう。最初の「私」は「少年」ですが、次第にその「私」のからだは土方の現実のからだに移行していくという展開になっています。すなわち、少年の自然的からだは、最終的に、土方の現在における「媒介のない手続きの欠けたからだ」へと変換されているのです。その変換は、少年の自然的からだに特有なものが抽象されて、現在の土方のからだにおいて別のかたちで表面化している、すなわち裏返しされている、といった過程であるとみなすことができます。
 舞踏の<主観性>に沿って言えば、子供時代の記憶、すなわち少年のアレンジメントの萌芽として立ち現れる抽象力が、行為と評価を介して、その抽象力が保持されつつ土方の現在のからだに抱握されて、内部が外部へとめくられるようにして、(神経配列であるところの)事物性として表面化しようとしている、という展開となっているわけです。その裏返しの過程において「踊り」の内容が暗に展開され、変換され、結果的に別物になっているようです。
 また、次のような展開があります。

 二つの存在であるかのように、亀を持った一人の少年が私のそばに立つことがあった。私のまわりでは灰はいつも素直に崩れていた。私は、まわりのものをつなぎ止めるかのように口から霧を吹く大人のそばで、紙袋に入った明かりを透かしたり、持って歩いたりしていた。私の痩せたからだを品評しているような空気が、そこいらにはあるのだった。いろいろなものがめくられ、そこには洞もできていたが、その洞に包まれてあるものは死ぬようにできている、というかすかな微笑を私は察知するのだった。麻糸の臭いを嗅ぐ獣が彷徨っているように私は蚊帳を出たり入ったりしている。私はまだ聞こえていない音の、そのまわりに崩れていったが、ときにわけの解らない、形をもっていないようなものが、判然とした事物の姿を示してくるようにも察知された。お日様が昇ると、何人もの言葉になって、見えなくなるからと、一人で夜気を吸っているようなところもあった。(二・冒頭)

「二つの存在であるかのように」というのは、土方の中での少年の判別化を示しています。そのように少年の存在が際立たせられるいっぽうで、同時に立ち現れる少年の周囲は、立ち現れたかと思えばすぐに崩れるといった、薄暗い光景として描写されています。その周囲は薄暗いが、死者の気配があり、そこには時空の萌芽さえ察知されているようです。土方は、少年とその周囲を出入りしようとします。すなわち、その判別の仕様は異なるけれども、少年と少年の周囲とが土方から判別されており、土方が、少年の行為とその周囲の時空萌芽との両方を評価しようとするのです。したがって、「二つの存在であるかのように」というのは、少年の判別化であると同時に、結果的に少年の周囲の判別化となっていることにもなるわけです。とすれば、少年の周囲には「洞もできて」、「その洞に包まれてあるものは死ぬようにできている」というのは、少年は周囲(である)死者を連れ添い、周囲(である)死者は少年と縁を結ぼうとして立ち現れるといった意味で、両者はセットになっているということなのでしょう。そして、こうした少年と周囲(である)死者との親密な関係において立ち現れるものを、すなわち「微笑を」、「私は察知する」その「私」とは土方であり、そのことを描写して、「私は蚊帳を出たり入ったりしている」ということになります。「獣が彷徨っているように」、土方は少年とその周囲を出入りするのに動物的な感覚を駆使しています。それは闇に親しむ感覚でもあり、闇に親しむようにして自ら崩れることで、逆に周囲(である)死者が「事物の姿を示してくるようにも察知され」るのです。
 要するに、ここでは、土方である「私」から少年が判別されると同時にその周囲が判別される手順が示され、土方はその両方に関わろうとすることで、ことに少年の周囲として立ち現れるものの特異性が提示されているわけです。周囲が特異であるのは、それが立ち現れるかと思えばすぐに崩れる、すなわち変動するからであり、その変動を判別する仕様が少年の判別とはまったく異なるからです。両者の判別の差異に関わるのに、「蚊帳を出たり入ったりする」という比喩がなされていますが、それは蚊帳をめぐる体験が、蚊帳の内から外の暗い光景を見るのと、蚊帳の外から中にいる人のその「洞」のような表情を見るのとでは、異なった様相を示すからです。言い換えれば、少年という素材としての主体に関わるのと、その素材としての主体に付き添ってくる抽象的諸力に関わるのとでは異なる仕様であることで、そこには「蚊帳を出入りする」、すなわち、蚊帳をめくって内部に入り(内部の視線をもち)、また蚊帳をめくって外部に出る(外部の視線をもつ)といったようにして、視線においてすばやく裏返しされる仕方が展開されている、と考えられるわけです。

 春先の泥に転んだ時の芯からの情けなさが忘れられない。喋ろうとしているのに喋られたような、泥に浸されて下腹あたりにひっ付いた木の瘤が叫びを上げているような、自分という獲物がそこに現われているのだった。癇癪玉も、破片のように考えられるものも泥で湿ってしまっていた。転んでいるからだは確かにえじきのようでもあったし、飛びかかってやりたいようなものでもあった。しかしそれもまた心の中の出来事がかたちをおびて見えてきているのではなく、ただ泥にまぶされた切ない気分となってそこに現われているのであった。
 泥の中で床上げされているようなからだに薄い泥の皮膜がひっ付いていた。泥の中でからだがすっかり振り出しに戻ってしまったように変わっていったのだった。目を醒ましていながら眠っているような赤子が一つの穴を見つめている、そんなふうに自分のからだを覗き込む私は、泥溜まりの中でからだをずらしたり、しきりに泥溜まりの中で赤子の顔をいじくったりしているのだった。こんな泥の中にどうして赤子の顔が転がり込んできたのか。ともかくそれはもて遊ぶようなものではなかった。その頃の私の周りには火薬の臭いがいつも漂っていて、姫鏡台の前にお膳を運んで、そこで食事をするようなことをしていた。(三・冒頭)

 二つの段落になっていますが、最初の二行はそれぞれ同じ内容を言い換えています。
 前の段落では、子供時代に経験した、春先に泥にまみれた「自分という獲物」が見出されている感覚が、現在の土方のからだにあくまでも「切ない気分となって」現れている、そう言い表されています。いっぽう、後の段落ではそうではありません。「泥の中に赤子の顔が転がり込んで」います。そのことを土方も不思議がっているわけですが、すばやく「火薬の臭い(—癇癪玉)」や「姫鏡台」へと展開されています。すなわち、後段では何らかの気分となって現れているのではなく、泥の中での確かな視線が立ち現れているのです。「赤子の顔」というよりは、「目を醒ましていながら眠っているような赤子が一つの穴を見つめている」その視線を言うのですが、土方は「赤子の顔が転がり込んできた」と、その視線をあたかも事物のように描写しています。いっぽう、その視線は、「そんなふうに自分のからだを覗き込む私は」と言われているように、土方の視線とも重なっています。ここには錯誤があります。錯誤があるけれども、そこには土方のからだが少年のからだの現前性に関わろうとする成り行きがみてとれるでしょう。
 泥と少年と赤子という要素が分かち難く土方のからだに立ち現れているわけですが、そのうちの泥と少年とは「喋ろうとしているのに喋られたような」表裏の関係にあり、そこに招き入れられる赤子には「もて遊ぶようなものではない」抽象的諸力が漲っています。この泥という無形にして何もかも呑み込むものを、土方が少年のからだの現前性に関わる感覚を言い表していると考えてもいいでしょう。そこに赤子が招き入れられることで、少年と表裏一体のからだの現前性に関わる視線を土方に与えることになるのです。その視線が、「目を醒ましていながら眠っているような」と、具体的に言い表されています。要するに、赤子とは、土方が少年を判別し、そのアレンジメントだけではなく、そのからだの現前性をも感知しようとする際に体験されている純粋状態のようなものを言い表しているのではないでしょうか。
「癇癪玉」とか「<姫>鏡台」というのは、主客の逆転というカタストロフィックな状態が生じる前のすれすれの感覚を示唆しているように思われます。こうした状態は、最初に引用した箇所でも見られたように、幾度か繰り返されています。このことから、土方は自身の状態を制御しながら、慎重に文章展開をしていると考えられます。

 耳から入った音が、口から旅に出ていくようなことはなかった。浮かぶ女、飛ぶ男、ガラリと障子を開ける大人、こうしたいくらか予診めいた動作には、答えようもない質問が匂っているのだった。そんな人達には、あまりにも、やさしい皮膜がついていたから、視覚だけではとらえられないのだった。その人達はみんな、くるりと裏返しされたばかりの人で、裏返されたばかりの世界に住んでいたから、あのようにはっきりと配列されていたのかもしれない。欲していることが、抱きすくめられるような暗がりにさしかかって、ようやく動きが少なくなっていることに私は気付いた。こんな暗がりに、しぼしぼした老婆がもぐり込んできて「どこの兄ちゃかね。」と聞かれもするのだった。私のからだが、私と重なって模倣しているような、ちらちらしたサインにとらえられていた。そこでくびれた私はひとまず雲の形でそこに潜んでいた。(三・末尾)

 前の引用では、「私はまだ聞こえていない音の、そのまわりに崩れていった」と、少年の周囲に添い寝するような仕方がみられたわけですが、ここでは、今や「耳から入った音」が分節化されることなく、少年の眼差しを抱握した土方のからだに折り畳まれていることになります。そうしたからだを診断するようにして、様々な人物が立ち現れてくるのです。未だ地層化されていない死者(からだの事実性)が、土方によってとらえられようとしているわけです。死者には「やさしい皮膜がついていた」というのは、前の「泥の皮膜」と同じと考えられることから、死者は少年のからだの現前性と密接な関係にあるのでしょう。「視覚だけではとらえられない」のは、少年のからだの現前性が土方においてつねに変動しているからです。
 さらに、死者は「くるりと裏返しされたばかりの人で、裏返されたばかりの世界に住んでいたから、あのようにはっきりと配列されていた」。死者は、土方のからだにアレンジメントとして立ち現れているのです。すなわち、死者というからだに埋没している事実が土方のからだに抱握されて、事物として土方のからだに立ち現れているのです。ここでは土方と少年は判別されていないかのようですが、アレンジメントとして立ち現れる死者は、少年の眼差し、すなわち少年のからだの現前性が仲介している、と考えられます。たとえば、次の章で描写されている田植えの光景には、そのことが鮮やかに示されています。それゆえ、その少年の眼差しの仲介にこそ、「裏返されたばかりの世界」が立ち現れてくる仕組みが見出せるでしょう。そして、そこにもまた、死者の行為もしくはアレンジメントが立ち現れ、それに対する土方の評価があるのです。土方がただ欲する仕方では、そういうわけにはいかないのにちがいありません。少年の眼差しに連れ添って来る周囲の薄暗がり、それは死者(からだの事実性)であるわけですが、それが土方のからだで「抱きすくめられる」ように裏返しされることで、土方のからだにアレンジメントとして立ち現れるのです。土方は、そうした死者(からだの事実性)と自身のからだが重なるアレンジメントに、自分の欲するものの徴候を認めています。

 以上に展開の例を示したわけですが、その文章展開において、少年・死者・土方はいったいどういう関係にあるのでしょうか。ここではテキストの最初の部分を取り出しただけですが、これら三者が織り成す関係性をみるために、展開のその内容を、少年・死者・土方の絡み合いの観点から再検討してみることにします。まずは展開の内容を、少年・死者・土方の関係に沿ってまとめてみます。
一)少年のアレンジメントの萌芽として土方のからだに立ち現れる抽象力が、少年の行為とそれに対する土方の評価を介して、その抽象力が保持されつつ土方の現在のからだに抱握されて、土方のからだにアレンジメントとして表面化してくる、という展開がある。
二)土方である「私」から少年とその周囲が判別され、土方はその両方に関わろうとして、少年の判別と同時に少年の周囲—死者が特異性を帯びて描写される、という展開がある。周囲—死者が特異性を孕んでいるのは、それが絶えず変動し、その判別の仕様が少年の判別とは異なるようにしてなされているからである。
三)泥という無形にして何もかも呑み込むものを、少年のからだの現前性を言い表していると考えることができるが、そこに赤子という純粋状態的な視線が招き入れられることで、少年と表裏一体のからだの現前性に関わる視線を現在の土方に与えることになる、という展開がある。その視線の特徴は、「目を醒ましていながら眠っているような」と言い表されている。
四)少年のからだの現前性が仲介することにおいて立ち現れる「裏返されたばかりの世界」(である)死者があり、そこにも死者の行為と土方の評価が働いている。すなわち、少年の眼差しに連れ添って来る周囲の暗がり、それは死者(からだの事実性)であるが、それが行為と評価を介して土方のからだに抱握されることで、土方のからだにアレンジメントとして立ち現れる、という展開がある。

 ここに抜き出した例だけから判断するのは不十分であるとはいえ、こうしてみると、テキストの早い段階で、少年と土方のあいだで展開される二極間の関係が、少年を仲介として死者と土方のあいだで展開される三極間の関係へと変換されようとしている、と考えられはしないでしょうか。土方が努めて自身を制御しながら文章展開しているのは、おそらく土方にとって容易に陥ることになる少年と土方との間で生じがちな主客転倒に終始しないよう、ことさら配慮しているからではないかと思われます。というのも、土方にとって少年とのやりとりも大切ですが、それ以上に、少年の周囲に立ち現れる死者(からだの事実性)とのやりとりが肝要であるからです。そしてそのためには、少年とのやりとりは、少年の眼差しを仲介とすること、すなわち少年のからだの現前性に関わる視線へと、その仕様が変換されなければならないのです。そうした意図があることから、もとより死者と少年と土方は三身一体であるわけですが、それぞれの局面が厳密に差異化されている、そう考えることができます。ことに少年の眼差しは、土方のからだの現前性に替わるものとして土方を死者へと仲介する働きをしていると考えられ、「病める舞姫」の表現を実現させるのに不可欠な役割を担っています。こうしたことから、ここで土方が志向する、表現における素材であり主体であるものは少年である、そうみなすことができるでしょう(「病める舞姫」の最終場面直前に少年は雪中深く埋没し、埋没することで場面はいっきに転換するが、そのことはテキストにおける少年の意義をよく示している)。
 その少年の性格についていえば、少年は絶えず周囲と交感しています。そして、周囲はいまだ対象ではありません。周囲とのあいだにイメージさえも介在させることなくその繋がりが保持されているのです。一般的に子供は成長するにつれて周囲はモノとしての対象、そしてイメージへと捉えられていきますが、少年はまだ周囲とのそうした人間中心の関係を形成してはいないのです。そのように未成熟な少年を素材としての主体とすることで、言い換えれば、少年のからだの現前性が土方の現在のからだに抱握されることで、そこに特異な周囲が連れ添ってくるのです。
 まず、少年の眼差し、すなわち少年のからだの現前性を自らのものとするために、事物性としての少年が差異化されています。少年は土方のからだにおいて事物性として立ち現れてくるのであり、要するに、少年はアレンジメントなり行為を伴っているのです。そのアレンジメントは、土方の反射的な評価と共に即座に変動します。そうしたやりとりから、少年の事物性は粒子の流動状態として感知され、そうした変動状態にある少年が、少年のからだの現前性として土方に体験されることになります。
 そして、次なる段階において、少年は仲介者として判別されます。少年が判別されると、それと同時にその周囲である死者が判別されるという局面があるからです。少年の判別と周囲である死者の判別の仕様は異なっています。要するに、踊り手はまず踊りの素材としての主体を判別するのであり、判別することで、その素材としての主体の周囲にそれとは質の異なる抽象的諸力がおのずと連れ添ってくるのを感知するのです。そして、素材としての主体と抽象的諸力の両方に、異なる仕様で関わろうとするのです。異なる仕様は、蚊帳の例で説明されています。それは、蚊帳の内部と外部を行き来する仕方として示されています。すなわち、蚊帳の内部から見れば外の暗さに面するばかりであるが、そのまま外部に出て暗さに面している内部の表情に接すれば、そこに見慣れぬ形相を見ることになる。その表情はおそらく、「一切の属性から離れた現実のような顔をして」いるでしょう。そして、すぐさま内部に戻ってその顔(からだの事実性)に重なれば、そこに周囲の暗さが連れ添っているのを、身をもって判別することができるのです。
 ここには、見知らぬ形相になること(内部から外部を見る)、その形相を外部から見ること、そして見知らぬ形相の抽象力を保持したまま、少年のからだに重なること、という三つの手続きがあります。こうした手続きを経るのに、少年という素材としての主体が必要とされている、と考えられるわけです。たとえば、身近な例でいえば、夢を夢の体験のままに伝えようとするとき、これと同じような手続きが必要とされるでしょう。まず夢の体験があり、夢の想起があり、そして夢の描写があります。これを言い換えれば、まず内部から外部を(対象として)眺める夢の体験があり、それを今度は夢の体験の外から見ようとする想起があり、そして内部から外部を眺める夢の体験の抽象力を保持しながら夢の体験に重なるようにしてなされる、何がしかの描写がある、ということになります。夢を描写するには、夢の想起という、夢の外部から夢の体験を捉えようとする視点では不十分です。あたかも「目を醒ましていながら眠っている」ような状態で、それはなされなければならないのです。
 こうしたことから、まず少年を判別し、少年のからだの現前性が自らのからだに抱握され、そこに立ち現れるすがたをいったん外から確認する手続きを経て、そのまま少年のからだの現前性に舞い戻ってそこに自らのからだを重ねるといった、少年と死者をめぐる表現を実現させるための具体的な過程があると考えられるのです。要するに、そのような内外の出入りの手順を踏むことで、土方の現在のからだに死者が連れ添ってくるのです。抽象的諸力としての死者が、少年のからだの現前性を仲介にして、事物へと裏返しされるような手続きを経て土方のからだに表面化してくるのです。すなわち、土方のからだに具体的な神経配列として立ち現れてくるのです。
 少年が仲介者であるとは、内外の出入りを可能にするという意味で二重の働きが重ねられたからだの現前性を示唆している、ということになります。少年は、「目を醒ましていながら眠っている」ようにして、つねに変動しているのです。少年と私との行為と評価の入り組みが周囲の薄暗い光景を連れてくることになりますが、どちらかといえば、少年の周囲は、少年の事物性であり流動性である線と縁を結ぼうとして立ち現れるのではないかと考えられます。少年という変動する線が、変動する周囲を連れてくることができるのです。そして、少年は周囲を連れ添うことで二重の働きをすることになり、そこに連れ添う抽象力を保持したまま、具体的なアレンジメントを伴うようにして変動することになるわけです。こうして抽象力としてのアレンジメントが踊り手のからだに表面化されることで、すなわち踊り手のからだの現前性が何らかの具体性として立ち現れまた消えることの連続において、はじめて私たちはその現前性に息を合わせることができるのではないでしょうか。
 少年とその周囲の現象は、過去をめぐる記憶の想起を逸脱しています。その想起は錯誤かもしれません。とはいえ、その想起には少なくともからだの現前性という確かなプロセスが反射しているでしょう。差異がいったん際立つと、想起の作用は止まることがありません。想起は、記憶の記録化、記憶の統制、記憶の同一性といった、外部から把握し、記憶を凝固させる視線に抗するようにして、その変動をやめないからです。そして、まさにそこにからだの現前性に面接する契機があるわけです。記憶を単なる記録に還元することには問題があるのです。変動する想起からすれば、記録には想起の作用とは別種の意図があるようにみえるのです。少なくとも言えるのは、想起の現前的かつ動的な局面が、私たちのからだの現前性を反射することになるだろう、ということです。
 さらに言えば、私たちの過去をめぐる記憶は、想起としてのみでなく、想起よりもすばやいからだのアレンジメントとしても立ち現れるのです。それは、自己の意に沿うことなく、いきなりにして立ち現れることがあり、そのとき私たちは、具体的神経配列として立ち現れることになる〈からだの事実性〉が自身のからだに潜在するのを知らされることになるのです。しかもその神経配列は、しばしば新たな体験として感知されるのです。こうして、内部から生まれながら自己の外部のようにして知られるゆえに、それは<死者>と名付けられているわけです。自己に統御されたからだは、自己をめぐる記憶しか想起しないでしょう。それに対して、からだの事実性として立ち現れる神経配列は、自己とは無縁なのです。
 私たちはこうした神経配列をからだに知る者であるかぎり、自らのからだの現前性の具体的な局面に注意を向けることができるのです。踊り手のからだの現前性に息を合わせることができるのは、観る者のからだの現前性です。からだのアレンジメントには、からだのアレンジメントによって息を合わせることができるのです。
 夢が、欲動、感情、想起、感覚的なものといった多様な位相から構成されているように、からだのアレンジメントも、幼年、死者、そして現在の私といった位相から構成されています。同じように、「病める舞姫」というテキストも、様々な位相の提示とそれらの横断で成り立っているのです。それゆえ、そのアレンジメントの変動に息を合わせて読めば、「病める舞姫」というテキストが、舞踏の<主観性>の成立に立ち会いつつ様々な位相を縦横に出入りしている、驚くべきテキストであることがわかるでしょう。

 少年と死者との関係を説明的に言えば、変動する少年が形容詞であるとすれば、死者は形容される主体、という関係として言い表すことができるかもしれません。もし少年が変動することなく確固たる対象であれば、その周囲を連れ添うことがなく、形容詞としての少年が示そうとする主体もないことになるでしょう。少年は、死者を形容するというかたちで死者を連れ添い、そうした関係において死者と少年は対になっている、そう考えることができます。私たちは、いわばこうした形容詞的少年の、その現前性であり変動性である線に、自らの線を合わせることができるのです。では、主体である死者についてはどうでしょうか。舞踏の表現の主体はあくまでも死者である、と考えられます。ここまで少年がそこに連れ添ってくるという関係において死者を見てきたわけですが、表現の主体としての死者という観点に立つとき、死者はどう提示されているでしょうか。
 周囲としての死者は、次のように描写されています。

 幾重にも重なった段の上で、夥しい白い顔が嵌め込まれたように、正面を向いていた。崩れるということをぼんやりと知りながら立った記憶の始まりを、しっかり外側から取り押さえているような白い顔が、こちらを向いて停止しているのだった。その選り好みできない白い顔に、捲かれている写真のように、私のからだは包まれてしまうのだった。私のからだの疼きの中に病芯のようなものが感じられる。病芯の震えにふれているのは、尻をはしょって首に手拭いを巻いた小柄な老人や、お日様をよぎる蝙蝠傘、ゴムの短靴をはいた固い額を持っている半島女の、もうもうたる塵埃をあびている姿だった。その埃の中を、板の上に乗せられ日本手拭いを額にあてがわれたうんうん唸っている人が、運ばれてきた。紫色の風呂敷にも埃がかかっている。その包みをほどく時の風呂敷のすべり具合の感触は、厳粛な日本泳法のように思われたのだった。青い顔に白いマスクをつけ、下駄をはいた男が理髪店から出て来た。親しい死者達の貎。歩くことが仕事みたいな人達や、屋根の上で髭をはやした大人が頬被りして腕を組み、遠くの空を眺めたりしているのだ。説明しにくい視線を保ちながら、すばやく手が相手に届くような配慮が、白い顔の中にびっちりと詰まっていた。私のからだに描かれた絵は、こうして現われて、私の毛並みの衰えを思い知らされたり、犬の目付きに変えてしまうのであった。(三)

 まず、土方のからだが死者に「包まれて」いると言い、そのことが病であるとされるのか、からだの疼きがあり、疼きの中に病芯が感じられるといいます。その病芯の震えに、死者が今度は具体的なかたちを伴って立ち現れてきます。その死者は土方の「からだに描かれている」、すなわち神経の配列として立ち現れているのです。そして、からだのアレンジメントとして立ち現れるものが、土方を衰弱させ、動物の表情、すなわち見慣れぬ形相にしてしまいます。こうした視点とその視点から見られた内容は、蚊帳の外から見る眼に映じる仕様での自身のアレンジメントと、そのアレンジメントが現在の土方のからだに重なってもいる、という二重性を示しているでしょう。これまで検討してきた内容を前提とすれば、ここでもきっちりと手順が踏まれつつ、死者と土方の関係が語られているのがわかります。とはいえ、死者はここではまだ表現的な主体になってはいないようです。「崩れるということをぼんやりと知りながら立った記憶の始まり」が、当面の手続きを介して、「説明しにくい視線を保ちながら、すばやく手が相手に届くような配慮が、白い顔の中にびっちりと詰まっていた」、という何かしらの経緯として語られているだけです。そこには、いまだに判然としない表現内容があるようです。
 いっぽう、もうひとつの死者をめぐる描写はこれとは異なっています。

 ところがその風だるまは自分の体を風葬してる、魂を。風葬と火葬だ、それがいっしょくたになって何とかして叫ぼうと思うけれども、その声は風の哭き声と混ざっちゃうんですね。風だるまが叫んでるんだか、風が哭いているのか混ざっちゃって、ムクムクと大きくなっちゃって、やっと私の家の玄関にたどりついたのです。どんな思いでたどり着いたのか? 今喋った坊さんの話と風だるまが合体して、そこに非常に妖しい風だるまの有様がひそんでいるのです。風だるまは座敷にあがって来ても、余り物を喋らない。囲炉裏端にペタッと座っている。そうすると家の者が炭を、これもまた何も聞かないで、長いこと継いでいるんですね、私は子供の時にそういう人を見て、何と不思議なんだろう、何となく薄気味悪いけど親しみが持てないわけでもないし、一体何が起ったんだろうかと思いました。すると、よくこういうことがあるでしょう。最初に荷物がチッキで届いて後から手紙が来る、そんなふうに自分の身の上に起ったことを、喋るんですよ、雪ダルマは。
 おーおーてーはー。
 (ああ、「おおっ」てあんたが叫んだんだね。)
 ビュービュー。
 (ああ、って風吹いていたのか。)
すると「おーおてー」、「びゅうーびうてー」、「はー」と、そこでそのうちわけがちょっとわかるわけですね。どんなにひどかったのか、そしてその顔は何か、死んだ後の異界をのぞいて来た顔なんですね。お面みたいになってるわけです。生身の身体でもないし、虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなくて、身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人なんです。
                   (「風だるま」現代詩手帖一九八五年九月号所収)
 
 これはテキストと異なり、講演記録ですが、ここでは、「耳から入った音」が分節化されることなく少年のからだのうちに折り畳まれていたものが、土方の現在のからだにアレンジメントとして立ち現れている、そのことが語りのうちによく示されています。まさに過去をめぐる記憶が想起としてのみでなく、想起よりもすばやいからだのアレンジメントとして立ち現れているわけです。
 土方は<風だるま>を語るにあたって、自らが死者となった夢の体験を想起という仕方で記述する時間感覚に違和感を訴えています。それに対して、自らが死者であることの現在的描写の例証として<風だるま>を持ち出しているのです。死者は想起において見定められるのではなく、あくまでも現在のすがたに重なるようにして、すなわちからだのアレンジメントとして示されなければならないのです。そのことを土方は、「風葬」という言葉にして提示しています。「風葬」とは、死体が時間をかけてゆっくりと白骨化される過程のことをいいます。そして、「自分の体を風葬している」とは、そのような死を死に続けるといった長い死の過程に見舞われること、言い換えれば、死の現前性を生きるといった、逆説的な時間に見舞われていることを言い表しています。ここには、からだが通常の時間にではなく、別種の時間形式に見舞われる感覚が示唆されているように思います。
 そして、表現的主体としての死者を検討するうえで注目されるのは、「(死者の)身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人」という、<風だるま>をめぐる説明です。「死んだ後の異界をのぞいて来た顔」が生身の顔に「お面みたいに」重ねられてと、ここでも蚊帳の例と同じ内外の出入りの手続きが踏まれているのがわかります。異なっているのは、表現的主体としての死者が、ここでは<風だるま>となって土方のからだにこそ立ち現れている、そう考えられることです。死者のからだが「再生」されると説明されていますが、それは記述による描写ではなく、死者を生きたアレンジメントとして示そうとするその場において「再生」されているのです。「虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなく」、死者をその場において示すこととは、他者を前にして生きたアレンジメントをその場に連れて語ることであり、そのように死者の再生を他者と共にその場で意図する仕方が、死者を「再生」させることになるのです。「死者のからだが生きた身体に棲む」ことのアレンジメントとは、そのような条件と意図をもって語るからだにおいて成立するのではないでしょうか。すなわち、少年のからだの現前性に立ち現れるアレンジメントが内外の出入りの手順を踏むことで土方の現在のからだに連れ添ってくるのですが、抽象的諸力としての死者が表現主体となって土方のからだに具体的なアレンジメントとして立ち現れてくるのは、他者を前にして、他者を介して実演する、からだの現前的な表現において実現されるのです。からだの現前的な表現は、他者なしでは成立しません。他者が、からだの現前性をめぐる表現の証左となるからです。
 死者の形相を「のぞいて来た」アレンジメントは、死者の現前性が現在のからだに「再生されて」、すなわち、からだの現前的な表現となって立ち現れているのです。このとき、死者を主体とする表現は、からだの現前性が棲むところの時間形式に見舞われることになるのでしょう。それは、死者が生きたアレンジメントとしてからだに現前するという通常の時間を錯誤した事態にあるわけですから、現在のからだに再生される死者は、想起という偽の時間形式に沿うのではなく、想起も現在も一体となって再生されるより包括的な時間形式に沿うことになるのではないでしょうか。描写されたその内容がすぐさま過去の形式にくるまれていくいっぽうで、再生と再生に向かう意図だけが前を向いているのです。このとき、時間は量的なものでも指標的なものでもありません。時間は、生がその中で未来を意図することのできるという意味で、生をまるごと包摂したものとなっているのではないでしょうか。
 このように、土方にとって死者とは、表現の内容であると共に表現をもたらす主体であるといった、表現に関して包括的な働きをするものであるように思います。それはそうした意味で、線の分岐以前に関わるものなのでしょう。

Friday, September 14, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 四 舞踏の<主観性>

 わたしは、踊っているときに「自分」が踊るというふうな主体はないと思うんです。じゃ何によって踊るかというと、いろんな物の中に棲んでいるもの、動物だって同じです。舞台に立っている最中の子供はすぐにふけこんでいきますから、本当の意味の子供っていません。子供だって演じていると途端に成立しなくなるんではないかと思うんです。わたしはいろんなものにときほぐされていくのであって、「わたし」というふうなものは、舞台の上ではないように思うんですね。
                              (「新劇」1978年12月号)

 これまで推論を重ね、そのうえで「自己とは無縁の位置」と曖昧な物言いをしてきただけに、芦川羊子がこのように踊りの主体をめぐって明瞭に語るとき、今さらながら驚かざるをえません。舞台上で「<わたし>というふうなものはない」という発言は、舞踏の表現形式を考察するうえで傾聴に値する内容だと思います。さらにまた、この発言から、「自己とは無縁の位置」をめぐるわずかな情報を読みとることもできます。すなわち、踊りの現場にあってはいかなる客観的指示対象も自己とは無関係に自ずと変動するのであり、このことから、自己の不明とは主客が不分明になることによる主体の宙吊り状態である、と考えられます。そしてさらに一歩踏み込んで、自己は「いろんなものにときほぐされ」、その「いろんな物の中に棲んでいるもの」によって踊りは踊られる、そう語られています。このことを能動的に言い表せば、自己という主体形式が衰弱することでその時々に優位に立つものがあり、その優位に立つものが踊りの新たな「主体」となっている、ということになりはしないでしょうか。
 では、踊りの現場に見出されるこうした「主体」の位置取りは、土方にはどう考えられているでしょうか。その一端を、舞踏符の技法がほぼ確立された頃に書かれた「包まれている病芯 (1977)」から引用します。

 通常、具体的なフォルムと名づけられているものでも、裏返しされてそこにあるという世界ならば、ぬきさしならぬ時間ともどもに一種のサインとして、既に配列されている事物にすぎない。また、空間と呼ばれているものが時間そのものと化して「私」なる存在になっている―そういうことも起こりうるだろう。そういう仕ぐさや身振りによって浮かびあがってくる現象は、想うことが即座に征服されるように体に行き届き、それを解読した時間に体が結ばれ、また即座に解かれるように、溶解した現実の内側から内部の自己と連れ合って出てくる一種のよみがえりとしてあらわれてくる姿に違いない。こういう姿のまわりには「無」ですらちぎられるような熱気が漂っているものだ。どんな幻想も、極端にいえばこのような肉体を離れることはできない。

 難解な文章ですが、両者を照らし合わせてみましょう。芦川の発言は、踊りの現場を振り返って、踊る主体の位置を、その体験を、反省的に言い表していることになりますが、いっぽうの土方の語る内容は細部にわたっており、反省的なものを論理的に咀嚼したうえでの言表となっていることがわかります。その細部に迫るために、まずは語るその内容を追ってみることにします。
 通常からだのフォルムとして見出されているものがあってそれ自体が表面と思われていますが、舞踏の表現においては、実はそうではありません。それは、裏返しされて表面に立ち現れているという仕組みもしくは過程において、通常フォルムと認められるものとは別のものとしてそこに現れているのです。どういうことかと言えば、裏側と思われているもの、すなわちからだの現前性(ぬきさしならぬ時間)へと開かれてくる徴(サイン)となるものが内部に兆し、それが裏返しされて、すなわちアレンジメント(配列されている事物)となって表面に立ち現れているのであって、こうした意味で、フォルムはからだの現前性を徴しづけているアレンジメント(配列されている事物)を伴っている、というのです。
 この入り組んだ内容を理解するには、「包まれている病芯」の文章の冒頭に引用されている〈でんぐり〉という紙製のおもちゃを参照する必要があります。それは紙で花を模した遊具で、手で操ると、「めくられてゆく花弁が包み込んでいるようにも、包み込まれているものが包み込んでいるようにも描写」するといいます。要するに、その紙の花弁を閉じ開くことで、「包むものが包まれている」ように、すなわち、外部の働きかけを契機として外部が内へと埋もれると、内部が外部へと裏返されたようにして内部が見えることになるのです。こうした「包まれるものが包み込む」、すなわち表面が「裏返しされてそこにある」という視点から、内部が外部へと裏返ったものとして見えるフォルム、すなわちフォルムを裏付けながら内部から表面へと立ち現れているものに、土方は注目しているわけです。そのとき、すなわち裏返しされるその過程において、空間が時間化する、すなわち時間が新たに綜合されることで成立する「私」がありうる、そう語られています。そして、その新たな「私」の成立を説明して、裏返しされたものとしてのアレンジメントがそこに連れ立ってくるものは、心的なものがすぐさま身体的なもののうちに抱握され、そのように身体的なものへと統合されたからだが時間形式と絡み合うようにして連れ立ってくることで、よみがえりの姿をしている、といいます。このよみがえりの姿には、今生を受けたばかりのような熱気が孕まれている。そして、(自己を解かれた)どんな想起も肉体に条件付けられていることで、こうしたよみがえりの姿に伴う熱気と共にある、そう指摘しています。
 込み入った内容ですが、要点は、裏返しそのものでありまた裏返しされたものとしてからだに立ち現れるアレンジメント、その裏返しの過程に伴う時間形式、時間が新たに綜合されることで成立する新たな主体、そして新たな主体の内容です。さらに、こうしたことの関係を検討するならば、裏返しそのものであり裏返しされてそこに立ち現れる事物としてのアレンジメントは、からだの現前性を徴しづけている。言い換えれば、事物としてのからだのアレンジメントは、時間が新たに綜合されることで成立する主体の徴となるものである、そう言い表されています。そして、その新たな主体の内容は、新たに綜合された時間に沿っているがゆえに、「<無>ですらちぎられるような熱気が漂っている」。この新たな主体の内容は、「自明でない自己」と言い表されたものから連想させられるような、冷めたものでは決してないのです。
 芦川の発言と照らし合わせてみれば、芦川が反省的に語る、舞台上の「わたし」はないという状態は、土方の見方からすれば、そこに別の「私」があるだろう、ということになります。それは熱気すら漂わせており、また「よみがえりとしてあらわれてくる姿」と言い表されているように、それは土方の舞踏表現の核心であると考えられるものです。その新たな主体の成立過程とその把握は、踊り手が「<わたし>というふうなものはない」という経験的断言と比べれば、ある種の論理的な明晰さを保持しているように思われます。いっぽう、芦川の場合は、主体形式の衰弱が新たな「主体」をもたらしていると経験的にはっきり言い表していますが、土方の場合は、新たな「主体」が成立するそのプロセスを問題とする意識が濃厚です。ここに舞踏表現に関わる局面の違いを見ることができますが、「自己とは無縁な位置」の語の使用は、この二つの位置取りが背中合わせになるようなポイントを見定めようとしてきたのです。とはいえ、ここでは舞踏の表現形式を考察するうえで、経験を執拗に反芻することで打ち出されている土方独特の論理を検討し、そこに注目されているものに焦点を合わせていきたいと思います。
 まず、からだのアレンジメントが裏返しそのものであるのは、それが心的抱握を身体的抱握へと統合することでからだに立ち現れているからです。すなわち、舞踏符による指導言語が踊り手によって心的に抱握されるのを契機として、以下のようなからだに関わる展開が見られるからです。踊り手は、心的抱握の内容を具体的に神経に関わらせることで結果的に身体的抱握へと展開させることになりますが、その過程において、身体的抱握という心的抱握にとって内部と考えられていたものが、からだのアレンジメントという仕方で逆に心的抱握を統合することで表面化するのです。身体的抱握が心的抱握にとって内部であるのは、それが心的抱握にとって通常は知られない、あるいは見えない働きであるからです。それは、心的抱握を逆に抱握することで初めて全体的なものとして表面化するのです。すなわち、事物的なものが事物性へと裏返しされて表れるのです。そのとき、その全体的なものは、事物性を示していることで、徹底的に内部と知られるからだの現前性を徴しづけているのです。こうした身体的抱握への統合とアレンジメントとしてのその現れは、たとえば人に接するときにその人の内心を見抜く仕方においても知られていることです。その内心が身体的抱握を引き起こしていることに注目すれば、目の前にからだのアレンジメントとして現れているものがその人の内心であるからだの現前性を徴しづけている、そう知られるからです。土方は、舞台において踊り手の身体的抱握への統合が表面化し、からだの現前性を徴しづけているものが垣間見える現象を「(時空が)めくれる」という言い方をして、そこに内部であるものが外部へと展開される表現を示唆し、その踊りを評価する条件としています。
 では、こうした裏返しの過程において時間が綜合されるとはどういうことなのでしょうか。空間の時間化とは、逆に空間をめぐる意識の変動と変動の方向性を示しているでしょう。それゆえ、空間の時間化とは、そうした空間把握する意識の変動とその変動の方向性が、新たな統合形式、すなわち時間の形式に沿うようになることを意味している、と考えられます。この時間形式は、自己および自己をめぐる心的抱握を内に包み込むものへと開かれた、新たな時間形式なのです。たとえば、私たちはつねに時間を計測可能なものとしているのでそれを外部と考えていますが、そうではなく、私たちの意識の方が時間の内部において立ち現れている、ということになります。言い換えれば、時間は私たちの内部に流れるのではなく、私たちの意識が時間の内部に包み込まれ、時間の内部において変動しているのです。私たちはその変動を生きていることになるのです。とすれば、こうした時間に関わる視野の転換においても、「裏返しされてそこにある」過程がある、と考えることができます。要するに、からだのアレンジメントと新たな時間形式は共に「裏返しされてそこにある」という過程のうちにある、そう考えることができるわけです。こうしたことから、舞踏の表現において、からだのアレンジメントが配置される裏返しの過程において、同じ裏返しの過程である、時間が新たに綜合されるという事態が伴ってくる、と推測することもできるでしょう。そして、そのように時間が新たに綜合され、新たな時間形式と身体的抱握による統合が重なり合うところに、踊りの新たな主体である「私」も成立する、そう解釈することができます。
 土方によれば、この新たな主体はかなり生々しいすがたとして描写されています。それがいかなるものなのか、手順を踏んで検討することにします。
 裏返しそのものとしてのからだのアレンジメントが表面化するものは、からだの現前性を徴しづけるものを伴っています。というよりは、アレンジメントと共に内部が外部へとめくられる段階以前に、からだの現前性を徴しづけるものがすでに内部に兆している、と考えられています。「サイン(徴)」の兆しとは、「包まれている病芯」という文章の主題となっている「病芯」を言い換えたものですが、その「病芯」はといえば、「疼き」のうちにある、そう描写されています。「疼き」とは、陰にこもっているが何がしかの熱を帯びた事象であるように、それは特異なものです。それが特異であるのは、「疼き」とはその事物性が心的に抱握されている状態であるからです。しかし、そのいっぽうでそれは、からだのよみがえりのすがたを発信するものとして、ある種の方向性を孕んだ現象と知られてもいます。その方向性の兆しが、「疼き」という言い回しにおいて主体的に言い表されていると考えられます。そして、「病芯(疼き)がめくられていく花弁の構造を促している」と語られているように、この「疼き」という方向性をもった一つのものにおいて、からだのアレンジメントと時間形式という二つの裏返しされる過程の線が分岐してくるのではないかと考えられています。この主体的な響きをもち、分岐する現象をも左右しようとする「疼き」に、焦点を当ててみたいと思います。
 まず、そこから分岐する二つの線の関係を検討してみましょう。事物としてのからだのアレンジメントがかならず行為を伴って立ち現れるとすれば、新たな時間形式は未来を意図して、行為の評価を促すことになります。そして、行為と評価が相対し、お互いに入り組むところに、それ自身における差異が展開します。土方は、「食べる」という行為を例にあげて、そこに評価が入り組んでくる際に差異がどのように展開するのかを具体的に語っています。

 例えば、食べるとき、歯が途中で休息するんです。物を咀嚼する途中で歯が単独に止まっちゃう。しかしストローで吸い上げていく生理は残っている。歯でかみくだくというのはすごい労働で、歯がホコリのようになってしまう、もうかまない。こんなふうに、食べるということも、貴重なレッスンになっていくし、これがそのまま舞踏につながっていくのですね。自分に振付けているわけですよ、舞台で。ところが食べられるほうが、食わしている方を食ってしまう。するとなくなりますよ、この無化の運動のさきに無尽蔵な世界が拡がってくる。舞台があって、自分という舞台もある。しかしそれだけでは終わらなくて、その二つの関係をもう一つの肉体が見ている。両方翻訳しているわけですね、…。
                              (「極端な豪奢」1985年)

「食べる」ことをめぐる評価が「食べる」行為のさなかでなされています。さらに、その行為と評価が入り組む局面は絶えず変動している、そう言っていいでしょう。具体的には、行為のさなかに「休息」と「労働」という評価がなされています。そして、そのあいだに行為を「生理」と呼ぶ評価が介入しています。おそらく、まず「歯が止まる」感覚が注目されて、それを「休息」と呼び、次に食物を吸い上げる「生理」が注目されて、そこに「労働」という観念が入り込んできます。こうした過程は心的展開であるというよりも、おそらく「止まる」、「吸い上げる」、「かみくだく」、「ホコリのようになっていく」といった、からだのアレンジメントを伴う展開となって現れているでしょう。つまり、行為のさなかに評価に先立ってまず心的な磁場が立ち現れるわけですが、それがつねに次の行為を志向するのであり、そこに土方は注意を払っていると考えられるからです。それゆえ、土方はこうした行為と評価が入り組むところに、「自分に振付ける」という舞踏の稽古を認めているのです。すると、ある時点で行為の主体と客体が逆転して、主客関係が無化してしまうのだといいます。要するに、そのとき内部が外部へとめくられたようになって、内部であるところの主客の不明な事態にさらされている、という体験報告をしているのです。主客関係の不明さへと裏返しされることで、自身に振付けること、すなわち行為と評価が交互に入り組みながらなされるさらなる展開の可能性が無限に拡がると語られていますが、そのとき、舞台という表現形式である現場と、自身が裏返しされる現前性の現場とを、「もう一つの肉体が見ている」、そう土方は報告しています。すなわち、さらに別の仕方で評価するものがからだに際立ってくるのですが、その別の仕方の評価を、土方は特に「翻訳」と名付けているのです。
 重ねて解釈すれば、まず行為のさなかになされるその行為の評価と行為との無限のやりとりがある。行為と評価は次々と交互に入り組み、あたかもそれは、現れそして消えるアレンジメントのように連続する事態となっています。そのとき、主客関係の不明さという事態へのめくれは、行為と評価の入り組みと共に連続して起こっている、そう考えられるわけです。そうした過程を「自分に振付ける」という言い方をしていますが、そうすることで、土方は行為と評価の入り組むところに際立ってくるからだの現前性を捉えようとしているかのようです。それゆえ、行為と評価が相互に入り組むところにこそ、からだの現前性を徴しづける「疼き」が示唆されているでしょう。具体的には、そのとき他者の視線において裏返しの過程が見出される形式である「舞台」と、自身の視線が自らの内部が裏返しされる過程を見出している「自分という舞台」、すなわちからだの現前性がそこに重なってくると言われていますが、その両方の関係を見て、「翻訳」する「肉体」があるといいます。要するに、表現の形式と表現する内容とを差異化して、差異を見るものを指摘しているわけですが、このとき「翻訳」する「肉体」とは、表現の形式と表現する内容の両者に通ずるものとして、踊りという表現の「主体」を示唆するものだと考えられますから、そしてそれは事物性であると考えられていることから、すなわちそれはからだの「疼き」である、そう考えていいように思います。では、そのとき何から何へと翻訳されるというのでしょうか。
「包まれている病芯」から先に引用した文章の後に続けて、土方はまたしても食事の例をあげてそのことを打ち明けています。

 食事の際には食事の記憶というものが、咀嚼行為自体のなかに溶解しているのだなと気づいたりする。そしてそれも夢にしゃぶられて漂流している姿のように思えてくる。名づけえぬものに私たちが最終的に同化する際、私たちを襲うものは、見慣れぬものだ。それが自分の体のなかに入ってくるとき、私は微笑としてあらわされた存在になっている。この微笑は、目論まれた表情ではない。しかしそこにも時間は介入している。このぬきさしならぬ時間に自己を重ねることが最大の難関事であると思う。

 行為と評価の入り組みが、ここでは行為と記憶の入り組みとして言い表されています。その入り組みの果てに自身が「見慣れぬもの」へとめくられるというそのプロセスは、前の語りと同じ内容です。そして、その「見慣れぬもの」が身体的抱握へと統合されると、そこに「微笑」という主体が立ち現れることになるといいます。この「微笑」は新たな時間形式に沿ったものでもあり、それゆえそれは、新たにそこに生まれた主体と言っていいものです。この主体は翻訳に関わっているはずです。つまり、何から何へと翻訳されるのかということですが、最終的にはここで語られているように、「微笑」と共に立ち現れているからだの現前性に自己を照らし合わせることのようです。この自己について言えば、土方は「自己を懐かしがる」という例をこの「包まれている病芯」の中でいくつか示していますが、そのため、自己に対してとる距離を対象化することで自己をその中心からはずし、かえって自己を多様なものとしています。翻訳とは二つの観念が重なることなく無限に照らし合わせられることの評価ですから、その一方には必ず潜在的に多様なものがあります。舞踏の表現の場合、それは最後まで表現の現場に付き添っていなければならないために自己として仮設されると考えられますが、その自己は中心としてではなく多様なものとしてあるから、それは具体的には舞踏表現の舞台において駆使させられる、あくまでも潜在的なものが現働する場となるものでしょう。したがって、自己という多様性のギアにからだの現前性を噛み合わせる、そのことの困難さが問題となっているのでしょう。つまり、一般的なかたちで言えば、表現形式へとその表現内容を一致させる問題があるということになりますが、舞踏の表現の場合、確固たる表現形式(すなわち舞台形式)がまずあって、それに沿って表現する内容が示されるというわけではないのです。むしろ「疼き」が内容と形式の両方に通じていて、表現の方向を示そうとするのです。
 少し廻り道をしましたが、新たな主体についていえば、特異的である「疼き」は、行為と評価(記憶)の入り組みの果てに、裏返しされて「微笑」となって立ち現れています。この「微笑」は、その命名から時空の萌芽であるものと考えられることから、それは踊り手にとって主体的に立ち現れているものであるのに違いありません。主体的な響きをもった「疼き」が、主体的な表れである「微笑」へとめくられたのです。表現の内容と形式の両方に通じるものとして、方向性を兆した「疼き」はそもそも事物性に起原があります。それが「微笑」へと裏返しされたのであれば、「微笑」は事物性に裏づけられ、事物性を伴っているのです。「裏返し」の過程とは、心的なものが身体的なものに抱握されて、事物性としての内部が表面化することだと言えますが、その結果、心的なものと身体的なものとの関係が、通常の関係を逆転させて認識されることになるのです。「疼き」の事物性は、たとえば、「食べられるほうが、食わしている方を食ってしまう」という事態としてからだに際立ってくるのであり、そして、そのからだに伴っている具体的な時空の萌芽が、「微笑」と呼ばれているのです。
「疼き」が「微笑」へと転換する「疼き」に始まる過程が考えられるわけですが、こうした行為と評価の入り組みを介して、結果的に内部が「裏返しされてそこにある」ものとしてあらわになるその過程を、自らを(事物のうちに事物性として)立ち現わせる眼差しという意味で、<主観性>と言い換えてみたいと思います。通常「主観性」とは初めから表面に立ち現れているものと考えられているようですが、そうではなく、通常の「主観性」へ裏返しされるところへ向けて始まる過程、その始まりをも含めて〈主観性〉と呼びたいのです。要するに、「疼き」が「微笑」へと裏返しされるその過程を、舞踏表現における新たな「主体」が働く過程であるという意味で、舞踏の<主観性>、あるいは、舞踏家の<主観性>と考えてみたいのです。その過程において、<主観性>という舞踏家の眼がその舞踏表現を主導している、そう考えるのです。ということは、「疼き」を<主観性>の前身とみなすことです。そこに<主観性>への「曲がり角」を見ることになりますが、それはこれまで述べてきたように、意識を抱握する事物の配列があたかも意識の抱握となって全体として見えてくるような、裏返しされてそこにある<主観性>の過程というものが考えられ、そのような仕方で、半ば事物の配列である「疼き」が<主観性>へと展開する過程があるだろうと考えるからです。「裏返しされてそこにあるもの」がつねに事物に始まり事物性に裏づけられているのであれば、舞踏の<主観性>はつねに事物性に裏づけられているのです。「疼き」を契機として事物性としてまず立ち現れる<主観性>、その事物性が「疼き」と共に励起し、心的なものを抱握するのです。こうした過程は、からだのアレンジメントや新たな時間形式と同じ型に沿ってそこに現れていると考えられますが、同じ型ではありますが、むろんそこには差異もあるでしょう。ただし、「裏返し」というトポロジーはあくまでも便宜的な見方であることを言い添えておきます。なぜかといえば、「裏返し」は身体的抱握に伴うものであり、それについては、心的な表現においてはその概要をいっさい判断することができないからです。
 この舞踏の<主観性>について、すなわち、裏返しされてそこにあるものとしての<主観性>について、具体的に考えてみたいと思います。
 まず、行為と評価の相互的なやりとりがどうして舞踏の稽古になるのか、そのことをからだのアレンジメントを例にとって示してみたいと思います。たとえば、「背中で、グラスに入った氷の音を飲む」という指示があり、そうすることの神経の「配列」があるとします。通常の主観性ではなしえませんが、舞踏の表現形式に沿えば、そうすることができる<主観性>が介在することになります。この場合、「背中で飲む」という心的抱握と「音を飲む」という心的抱握の両方を、身体的抱握へと統合しなければなりません。どちらもイメージだけの把握で済ませてしまうと、抱握は空回りすることになるでしょう。その場合は、通常の主観性に捉えられていることになります。「背中で、音を飲む」という心的抱握とそのことを実践する神経の関係設定に「命がけで」関わらなければならないのです。すなわち、関わる神経が疼きとして励起し、そこに舞踏の<主観性>が起動し、神経に関わる行為と疼きによる方向性をもった評価が入り組み、何かしらの身体的抱握への統合へとめくれることで主客不明な事態がからだに際立ち、「微笑」という時空の萌芽へと表面化するようでなければならないのです。
 たとえば、暑い夏の盛りには、氷の音にすぐさまからだで反応する。氷をすぐに口に含むことのできる環境であればすぐにそうするにちがいないが、そうでない場合は、その音にからだがまず何らかの対処をするだろう。立ち止まって氷を求めに行くだろうか。いや、暑さのあまりに、氷の音に反応してすぐさまからだはその音を飲んでいる。まずうなじ辺りに、その氷の音を沁み入らせているだろう。風鈴の音が耳に聞こえるというよりも、あたかも後頭部に滲み入るようにして暑さを和らげるように…。そのため、微かな喜悦が表情にもうあらわれているかもしれない。いや、それは見慣れたフォルムにすぎないかもしれない…。逆に氷の音に喜悦を吟味されて、からだの細部に別種の喜悦が…。
 こうした評価は心的抱握に過ぎませんが、その評価は身体的抱握へと統合されることで、少なくとも事物性の現れとして、すなわちからだのアレンジメントとして反射されて、からだに際立つことになるでしょう。このとき働く<主観性>を、疼きに関わる神経から身体的抱握への統合、そして微笑へのめくれへと、表面への展開を実現するものとして一貫性のあるものと考えることができます。そのとき働く<主観性>のその具体的な経緯やその内容にはとうてい言及できませんが、それは内部を外部へと裏返しする過程を主導する眼として働いているに違いありません。
 さらに言えば、舞踏符の言葉に触発されて神経の関係設定に関わる行為は、そこにとうてい実現することのない内容が心的抱握されるために、たえず何がしかの評価にさらされることになります。そのことはたとえば、「死者」が与えるものが分節的でないのは「死者」が実在的でないからというのと同じ局面にあることになります。こうした行為と評価の無限に入り組む過程であることで、初めて心的抱握は身体的抱握へと統合され続けるのです。そして、そこにどのような線であっても招き入れる余地をからだに開くことになるのです。さらに付け加えれば、「背中で、音を飲む」ことをめぐる行為と評価の入り組みは、「飲むことによって背中は音に飲まれ、音に背中を聴かれている」、といった主客の逆転した関わりを孕むことになるでしょう。その逆転の徴は、氷の音を背中で飲む人の微かな喜悦のうちに現れているでしょう。(もし氷を口にしてしまえば、たとえ喜悦の表情が浮かべられてもそれは評価なしの単なる行為に止まり、からだは通常のアレンジメントのうちに解消されることになります。つまり、その表情は内部が外部へと裏返しされて現れたものではない)。この主客の逆転は、おそらく何がしかの評価においてあるわけです。その評価のうちに、内部であるものがめくれて立ち現れることになりはしないでしょうか。すなわち、<主観性>が「疼き」に裏づけられながら「微笑」となって立ち現れるとき、主客の逆転も何がしかの評価においてあるとすれば、評価のカタストロフィックな局面のうちに、「疼き」の事物性が裏返しされて「微笑」という時空の萌芽があるだろう、そう考えることができるのではないでしょうか。またさらに言えば、「疼き」は方向性を孕んでいます。この「疼き」が行為を、すなわちからだのアレンジメントを絶えず方向性を帯びながら評価し、「微笑」へと裏返される連続があるとすれば、その方向性に(アレンジメントの連続である)踊りとして表現されるものがあるわけですから、裏返しの過程としての<主観性>において、踊りの表現が操作されることにもなる、そう考えることができはしないでしょうか。
 たとえば、「裏返しされる」ことの観点からすれば、<物語の意匠>が消えて<写真の意匠>が際立つ過程を、二つの線の相反する過程としてではなく、表裏の連続したものの展開とみるならば、それは「裏返しされてそこにある」過程、すなわち<物語の意匠>が<写真の意匠>へとめくれる過程、そうみなすこともできるでしょう。要するに、<物語の意匠>が身体的なものへと抱握されることで、<写真の意匠>は抽象的諸力を帯びることになるのです。そうみなすには、二つの線が表裏をなしていること、そして表裏であることで、二つの線に関わる操作を表裏するものの抱握に関わる操作へと、その視点を転換しなければならないでしょう。線をめぐる心的抱握を、線をめぐる身体的抱握へと「入れ換える」操作から、心的抱握を身体的抱握へと統合する「裏返しされる」ことの操作へと置き換えることができるだろう、そうみなすわけです。
 ともあれ、主観性とは何らかの時空把握をいう現象ですから、そこには身体的抱握が関与しているはずなのです。こうした主観性のプロセスを検討することで初めて、客観的指示対象の変動や、主体の衰弱による何らかの優位に立つものの浮上について検討することができるのではないかと思います。舞踏の<主観性>とは通常の主観性ではなく、それは舞踏の表現形式にその内容を照らし合わせようとする際の、その内容であるところのからだの現前性に立ち会っている主観性です。こうした舞踏の<主観性>を想定することで、日常の主観性とは異なる働きをする<主観性>の線について考えることができるわけですが、考えるだけでなく、それについてさらに見極め、その結果、それとなく操作することも可能かもしれないのです。そうすることで、私たちの日常におけるからだの現前性に少しでも理解を深めることができるかもしれないのです。そして、そうすることができれば、たとえば、舞踏の舞台表現を評価するに際して、舞踏家の<主観性>に、観客自身が自らの<主観性>の波長を合わせる、といった取組みも可能となるでしょう。つまり、観客は自らの<主観性>に沿って、目前の踊りに息を合わせるといった仕方で、舞踏の表現を評価することができるようになるのです。心的抱握と通常のアレンジメントによる表現では、その表現が個別・具体化に傾き、そういうわけにはいかないように思います。その表現内容が目の前で対象化されて、観客は表現の現前性に立ち会うことがないからです。この点については、次の章であらためて検討したいと思います。
 以上に述べてきたように、「自己と無縁である」とは、自己と離れて、そこには何もないと言うのではありません。また、たとえば土方がセザンヌの絵画をめぐってそのキャンバス上の空白について指摘するように、そこに神が入り込んでくるわけでもありません。そこには神秘的なものはまったくありません。「自己と無縁である」ことで、かえってそこには、自己組織的に入り組んだ生命の過程といっていいような局面が、「よみがえりとしてあらわてくる」のです。
 土方はつねに自身の内部の展開に注目し続け、他の何も借りずに、身辺にあるものを材料にしたブリコラージュのようにしてその論理を展開してきました。そのせいか、具体物を伴って、その具体物に迫られて、とてもうまい言い方をするなと思わされることがあります。この章の最後に、論考の冒頭にあげた文章の続きの部分を引用しておきます。

 本来表情というものは、表情の起源を忘れたものの呼称であった。それはおのずから分泌したものであるから、何かのため(例えば襖に対する襖の絵)模様として表わされる類のものではない。しかしまた、行為は息のむひまもなく私共を貫通してしまうことがある。するとそこに、打ち抜かれた空虚のように、いきいきとして私達は—、私達の舞姫は実在している。こういう場合の叫びは、還るところへ還ったのであろう。このうすい平板な踊り子の誕生に私は大変な愛着を持っている。この踊り子はずれて動く。その分度器に似たような踊り子の動きを支えている留め金は、精神の留め金に似ている。
               (「線が線に似てくるとき」現代詩手帖1974年10月号所収)

「舞姫」が「うすい平板」なのはその事物性を描写しているからであり、「分度器に似た踊り子の動き」と「留め金」については、多様に変動するものを自己に噛み合わせようとする感覚を描写しているのでしょう。

Saturday, August 18, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


三 アレンジメント → 死者 → 時間形式

 舞踏の表現は、踊り手のからだに立ち現れるアレンジメントの連続で構成されています。そして、それらのアレンジメントを配列する操作においてこそ踊り手固有の技能がある、と考えられます。さらに、目前の素材である「写真」対象を踊り手のからだにおいて主体化するという仕方からすれば、そこに立ち現れてくるアレンジメントは、踊り手の自己に関わるものではありえません。からだのアレンジメントとして織り成された「写真の意匠」は、自己を逸脱する「物語の意匠」に支えられて、初めて幾重にも抽象的な意味が付与された線としてからだに立ち現れてくるからです。要するに、踊り手は自己とは無縁の位置で踊ることになり、そう要請されるのです。こうした点において、舞踏表現は他の身体表現と異なっていると思われます。舞踏を他の身体表現と峻別するために、以上の点を、舞踏表現を成立させている三つの要件として挙げておきたいと思います。

一)からだのアレンジメントで構成されている。
二)自己とは無縁の位置で表現する。
三)幾重にも抽象的な意味が付与された線をからだにおいて実現させる。

 その表現に際して、踊り手は他者から振付けられる場合があるわけですが、基本的には踊り手は自身を自ら振付けなくてはいけません。自らを振付ける際には、他者から指導されることなく、からだの現前性に直に関わることになります。当然そこには、衝動や「線の過程」といった見知らぬもの、潜在的なものが立ち上がってきます。そうした局面にあって、「写真の意匠」と「物語の意匠」への線の分岐が取り上げられ、一方が他方を多様なものとして相互に際立たせ合うような仕組みが見出されているわけですが、自身を自ら振付ける場合には、そうした線の分岐を見定め、確かな表現へと導いていくのは容易なことではないと思われます。そこには、見知らぬもの、潜在的なものがまた別の様相で踊り手に迫ってくるのではないでしょうか。そのとき、どのようなことが注目され、どのように対処されているでしょうか。振付けとは一つの表現形式であり、舞踏の表現においてはからだの現前性を扱う形式と言い換えることができますが、そのいっぽうで、そこにはさらに別の仕方で注目し対処する何らかの形式があるように思われます。こうした観点に沿って、三つの要件をあらためて検討したいと思います。
 まずアレンジメントについて言えば、ここで言うアレンジメントは「配列」の意味であり、言葉に反応してからだに組織される「神経の配列」のことを指し示します。とはいえ、からだのアレンジメントは単に「神経の配列」としてそこに見えてくるのではありません。「神経の配列」に伴ってからだを全体として提示する働きがそこにはあり、それゆえ、からだのアレンジメントを、「神経配列」によってからだを全体として補いつつ立ち現れてくる現象、そうしたものとしてまず理解する必要があります。要するに、からだのアレンジメントは何らかの分節としてからだに立ち現れてくるのではないのです。それがどのように現れていようとも、それはあくまでも全体的なものとして立ち現れてくるのです。何らかの言葉に対応して現れてくるにもかかわらずそれが分節として現れるのではないのは、からだのアレンジメントが、踊り手によって神経が組織されることにより、何もかもが一体となったものとしてそこに現れることになるからです。言い換えれば、からだのアレンジメントとは何かを表そうとするのではなく、おのずとそこに立ち現れてくる、といった性質のものなのです。それは分割的でなく、解離的でもない。それゆえ、それは反照的作用さえもたらすことがありません。それは、外部から要因が与えられるとはいえ、からだからからだへと内部において完結される、何の不足ももたらすことのない現象なのです。からだのアレンジメントが部分的なアレンジメントに見えるときがありますが、その場合においてもアレンジメントが全体的なものであるのは、ある部分の強調に伴ってその他の部分が消されるという作業がなされているからです。消すことのアレンジメントがあって、そのとき、あくまでも全体が前提とされている部分が際立たせられることになるのです。
 したがって、舞踏符が指示する言葉の内容とは別にアレンジメントとして見えてくるものがある、ということになります。そのことは、言葉に反応してアレンジメントが成り立つという現象は一方通行的な過程であり、アレンジメント側からそれに対応する言葉へという逆の方向、すなわち、アレンジメントがあって、それを名付け分類するといった方向はありえない、ということを意味します。舞踏符の言葉とアレンジメントの関係について言えば、舞踏符が指示する言葉の内容はできるかぎり分節的でないよう慎重に選ばれてはいるけれども、それは言語という性格上否応なく分節されています。とはいえ、舞踏符の言葉はあくまでも分節的でないものに関わろうとするのであり、そうした言葉が指示する内容にからだ(神経)を適合させることで、言葉が示すものとは別に全体としてからだに組織されて見えてくるもの、すなわちアレンジメントがあるといった、言葉を契機にして逆にからだが言葉を包み込んでしまうような過程があるわけです。そこには、からだを仲介にして、部分から全体へと変換される確かな作用があることがみてとれます。言うならば、心的抱握はつねに身体的抱握によって統合されるのであり、踊り手はそうした体験を目前にすることになるのです。要するに、そのように統合するものとして、からだのアレンジメントを自ら扱うことになるわけです。
 いっぽう、からだのアレンジメントとは、本来的に言えば、私たちのからだが日常的に構成している神経組織による綜合的な関係設定でもあります。その日常的なアレンジメントは、社会生活する上で必要とされるために、反復を基にしています。そのことは、私たちにとってはふだん認知しにくいものとしてからだに浸透していることを示しています。こうした観点からすれば、舞踏符の技法とは、からだをめぐる現実的で日常的なアレンジメントにあえて虚構のアレンジメントを嵌め込ませる作業である、と言えるでしょう。そうすることで、踊り手のからだにある種の宙吊り状態をもたらす、といった意図があると考えられます。舞踏符によるからだのアレンジメントが偽のアレンジメントであるのは、その偽のアレンジメントが、現実のアレンジメントの存在をあらかじめ想定し、それに対抗させるものとして用意されているからでしょう。現実のアレンジメントとは、人類社会をめぐる記号の体制が私たちのからだの末端にまで及んでいる現象、すなわち個人における思考、行為、発話等といった諸々の現象をめぐる何らかの型を指し示しているわけですが、舞踏符を振付けられることで、踊り手は、現実に身につけているアレンジメントに偽のアレンジメントを否応なく対抗させることになるわけです。そこに宙吊り状態がもたらされるのであり、それというのも、からだに宙吊り状態がもたらされることで、舞踏の表現が踊り手の自己の枠内にとどまることがないよう目論まれているからなのです。
 以上、からだのアレンジメントについて急いで述べましたが、それが虚構であるとはいえ、舞踏の表現を支えるからだのアレンジメントは、踊り手のからだにおいて現実に立ち現れてくるものに変わりありません。それは、想念と捉えられるものではないし、また表面的なかたちとして捉えられるものでもありません。それ自体の成り立ちが真実であるか偽物であるかは別として、それは実際にからだに起きている現象として立ち現れてくるのです。舞踏の表現がアレンジメントで構成されるとは、こうしたアレンジメントの連続、すなわち踊り手のからだに次から次へと新たなアレンジメントが、それも全体としてからだに組織されるものが連続的に現象することで表現が成り立っている、ということです。踊り手のからだに次から次へとアレンジメントが立ち現れては消え、消えては新たに立ち現れる。そのように変動するものを扱うことにおいて表現が成り立つがゆえに、そうした位置における何らかの描写に踊り手の技能が試されることになるでしょう。すなわち踊り手は、からだに次から次へと現象するアレンジメントを効果的に操作しなければならないのです。そしてその操作は、からだのアレンジメントという、踊り手自身からは見えにくい身体的抱握といった現象を扱うことからして、決して容易なことではありません。その技能は、踊り手自らアレンジメントそのものを操作するというよりは、もっぱらアレンジメントをそこに立ち現させる要因に関わることで操作する、といった性格のものなのです。「アレンジメント—配列」とは、からだのアレンジメントとして「配列される」と共に、「配列する」ことでもあります。したがって、アレンジメントそのものにではなく、アレンジメントの構成される手前で、アレンジメントを生み出す要因に次から次へと関わることの操作がなされようとするのですから、その位置からして、何らかの描写することにおいて否応なく、からだに関わることの現前性に向き合うことになるでしょう。その表現内容が表現者自らの行為を通じて即座に対象化される表現形式においては、その対象化された内容は逐一反省されつつ表現化されていますが、そうではなく、作品が構成され、その構成を抱えていったん舞台に立てば、表現内容が対象化されることを経ずして、すなわち表現内容が一瞬も反省されることなく、その内容が表現化されようとするのです。
 からだに関わることの現前性をめぐって、土方は次のように語っています。

 踊っている時の状態をいまわたしは喋ろうとしているわけなんだけど、喋ろうとしている時にすでに構築しなおそうとしている瞬間が見舞ってますね。じゃ、踊っている時は何もわからないのかというと、…灯りとかですね。その灯りが必ずしも、こういう目の中に入ってくる光でもないし、反射と言えばいいかな。その反射が、どんどん忘れていくという方向のメカニズムに入らなければいけない。ばっちり覚えたものを舞台の上に立ってから新たに役づくりする。それも忘れるという役づくりです。その忘れる最中の忘れ方は一回忘れたことには手を触れたくないというメカニズムです。
           (「欠如としての言語=身体の仮説」現代詩手帖1977年4月号所収)

「反射」の語は、reflectionといったん置き換えて解釈した方がわかりやすいかもしれません。「反照」、「内省」といった意識作用を含むからです。しかし、その意識作用は「灯り」とか「光」と言及されて、あたかも物質作用のようにして捉えられているように、そこには主客の視点が入る余地がありません。そして重ねて、そうした作用が、忘れていくことに向かうメカニズムに入らなければならない、そう土方は指摘しています。とはいえ、「忘れる」というのは、その内容が消滅することではありません。そうではなく、「どんどん忘れていく」その内容は、主客の視点に捉えられずに、物質のように「灯り」のようにして、踊り手において作用することに変わりはないのです。したがって、「反射」の語は正確な言い回しなのです。そうであれば、「忘れる」ことのメカニズムとは、逆説的にも、主客の視点に拘束されることなしに内容を「反射」させる、という意味になりはしないでしょうか。とすれば、からだに関わることの現前性に向き合うとは、畢竟、意識作用の由来としての、神経組織の事物性に立ち会うこととも言えます。
「忘れる」ことで、すなわち、主客の視点を逸脱させることによって逆にその内容を作動させることで、次から次へとアレンジメントが操作されるメカニズムがあるのではないかと考えられるように、からだに関わることの現前性に向き合うことは、「自己とは無縁の位置で表現する」という、もう一つの要件と縁を結んでいるのです。「自己とは無縁の位置」とは、土方が「自明でない自己というものは、先見的にとらえられた自己や反省する自己などに関わっていけるものではないだろう」(「包まれている病芯」)と語る、「自明でない自己」の位置と同義です。主客意識の宙吊り状態(判断停止ではない)を示唆するその位置は、からだのアレンジメントという、外からは見えるが踊り手自身には捉え難い現象を執拗に操作しようとすることで踊り手に知られることになると考えられますが、しかしそれ以前に、アレンジメントの連続を支える「物語の意匠」の未生にして変動的であることが、そうした位置取りを要求しているでしょう。「物語の意匠」という思考の力動を代表するものが消えることで有象無象の群れとしての「写真の意匠」がアレンジメントとしてからだに立ち現れてくる仕方は、自己とは無縁である位置において操作されることで、あえて折り畳まれた思考の線をアレンジメントの統合的な線へと展開することになる、と考えられるからです。それに対して、もっぱらアレンジメントが自己のみによって操作されるのであれば、アレンジメントを生み出す要因に関わることの操作を欠いているがゆえに、そこに立ち現れてくるものはおそらく自己という限定に付き従うものでしかないでしょう。そこには幾重にも意味が付与されたアレンジメントへと展開されていくための契機はなく、それゆえ単にアレンジメント操作が見えるだけの表現になってしまうのです。「物語の意匠」である思考の線が対象へと具体化しようとするのに対して、「写真の意匠」であるアレンジメントはそうした対象を抽象化してからだにおいて主体化しようとします。ここには相対立する作用がありますが、「自明でない自己」という主客の曖昧な宙吊り状態の場へと開いてやることで(つまり、「忘れる」ことで)、そこに思考の線に支えられつつ幾重にも意味が付与されたアレンジメントが成立する契機があるのではないかと考えられるのです。具体的には、自己に関わらないようにするために自己に先回るようにして次々と指令を与えるものがあり、それが「物語の意匠」の役割となります。自己という粗大な位置取りでは、「物語の意匠」が内容とする微細な働きが要求するのに応じてアレンジメントの連続を操作することは到底できない、そう考えられてきたのではないかと思います。
 折り畳まれたものが質の異なる次元へとふたたび展開されるといった仕方で、幾重にも意味が付与されたアレンジメントをからだにおいて立ち現せようとする舞踏の表現は、自己とは無縁の位置において何らかの描写をしようとすることで、ややもすれば主客の視点が介入して「忘れる」ことを忘れさせようとする、そうした表現の現在の脆さに対処して、意図的にからだの現前性を押し開くようにしてなされているのだと考えられます。「反射」という言い回しは、そうした表現の現在をさらに開いていこうとするところに見出される事実上のからだの働きに言及しているのです。しかし、土方はそれだけではだめだと言います。

 反射だけじゃだめなんですよ。(中略)
 しらこみたいな、睫毛に埃をかぶっているような、光の蜘蛛の巣みたいなものをパッと捉えないとまぶしがることがどうも正確に出てこない。むかしは、霞かけたり、日暮れ時に日本人の肉体を捉えたりですんだけれど、そういう断層だけじゃだめだ。日本人の体をもっと剥製体にすべきだと。かつて飛んでいたものをさらに飛ばせるために、一度体を剥製にして、それには日本人はうってつけの体だと思うんですね。
                                     (同前)

 舞踏の表現が踊り手のからだにまつわる歴史性を積極的に展開させようとするのは、こうした位置取りからであるように思います。「しらこ(白子・albino)」、「睫毛に埃をかぶっている」、「光の蜘蛛の巣」といった用語は、「反射」作用に替わって見出されているものでしょう。土方は、「反射」の事物性から翻って、ともすればその事物性に付き添ってくる「まぶしがること」の作用の、その能動的な内容を正確に取り出したいと考えているのです。
 からだの現前性に向き合うことで、そのとき現在的なものである脆弱な即自性と共に、その即自性を支える歴史性といったものが否応なく付き添ってくることになります。「まぶしがること」とは、「自明でない自己」のうちに展開されるからだのアレンジメントと共に浮上してくる、個人を超えて連綿と伝えられる何らかの主体的な「灯り」の作用なのです。その「灯り」を詳細に検討すると、そこにはalbinoのように遺伝的に隠れた微細なものの連続性が保持され(自然は隠れることを好む)、その反射というよりは放射は、蜘蛛の巣のように部分が全体と即座に連動するホリスティックなものが示す拡がりとして捉えられようとします。それゆえ、単なる意識の「断層」といった個人の時空ではなく、さらなる時空の拡がりを印しづけられたからだを捉えようとするために、土方は「剥製体」を持ち出しているのです。
 この「剥製体」は、中身を異物で詰めて復元され、無時間の空間にさらされた展示物を言うのではありません。たとえば、目の前に鳥の剥製が今にも飛び立とうとしている。その鳥は、現在は剥製であるが、すなわち死体であるが、それにもかかわらず、かつて飛んでいたすがたをそこにありありと保持しているのです。そのように時間の錯誤を伴ってかつての存在様態が現在において生き生きと迫ってくるようなあり方、それが「剥製体」なのです。土方は剥製を前にして、錯誤ではあるが(錯誤であるゆえに)、現在のうちに過去が生き生きと呼び込まれるその時空に、からだにまつわる歴史—記憶が奔流の如く流れ込み、多層に展開してくる可能性をからだで読みとろうとしているのです。からだにまつわる歴史性は、私たちにとって拘束と知られるものでもありますが、その実、その拘束は私たちの自己を織り成しているものの背景となるものでもあるのです。その暗い背景の拡がりは自己には到底知られることがありませんが、厳然としてそこにあるものなのです。それがなければ、私たちの現在とていっかな成立し得ないでしょう。それゆえ、その拡がりは、事実としての私たちのからだは歴史—記憶の層を成したものであるという意味で、むしろ私たちが自ら拘束を評価するところにからだの事実性として立ち現れてくる、と言っていいでしょう。
 事実として、私たちの身振りは自身で産み出したと言える代物ではありません。それは私たちが本能的に習得してきたものとはいえ、身辺に体感される者の身振りを模写するものであったり、記憶を奪われるようにして身を任せたものであったり、また動物の動きや身辺のモノの気配に魅入られるようにして成ったものに彩られてさえいます。他者の身振りの模写や、記憶が否応なく支配された状況や、動物やモノの気配に魅入られるようにして構成された私たちのからだは、そうした模写する対象自体の記憶や微細な感情、その環境、モノ自体がもつ多様な情報が層になってそこに堆積しているという意味で、何らかの歴史性を示しているのです。そして、その歴史性はといえば、それは私たちのからだが事実としてそうであるその内容を支えているという点からすれば、私たちが自ら客観化し得るといった性質のものではありません。それは背景へと埋没し、埋没してはいるが、私たちの身振りの即自性のうちに決定的に与えられているのです。それゆえ、それは「死者」と呼ばれることになります。
 私たちの歴史とは、当然ながら死者を積み重ねてきたことで成り立っているものです。それゆえ、からだにまつわる歴史性の認知はおのずと、かつて見知った死者の身振りを「採集する」こと、すなわち死者の身振りを自らからだで何度も振り返ることへと繋がっていくようです。その振り返り方はといえば、実は「死者」がこちらを振り返ることだ、そう土方は言います。

 こういうことは私の身体の中で死んだ身振り、それをもう一回死なせてみたい、死んだ人をまるで死んでる様にもう一回やらせてみたい、ということなんですね。一度死んだ人が私の身体の中で何度死んでもいい。それにですね、私が死を知らなくたってあっちが私を知ってるからね。(中略)…私は私の身体の中に一人の姉を住まわしているんです。私が舞踏作品を作るべく熱中しますと、私の体のなかの闇黒をむしって彼女はそれを必要以上に食べてしまうんですよ。彼女が私の体の中で立ち上がると、私は思わず座りこんでしまう。私が転ぶことは彼女が転ぶことである。という、かかわりあい以上のものが、そこにはありましてね。そしてこう言うんですね。「お前が踊りだの表現だの無我夢中になってやってるけれど、表現できるものは、何か表現しないことによってあらわれてくるんじゃないのかい。」と言ってそっと消えてゆく。だから教師なんですね、死者は私の舞踏教師なんです。
                     (「風だるま」現代詩手帖1985年9月号所収)

 からだの事実性とは、時空の拡がりを印しづけられたからだの地層と言っていいものですが、それが「死者」と呼ばれるとき、そこには未だ地層化されていない微細な記憶も埋没していることが示唆されています。そして、その「死者」の側から、からだに配列されようとする幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントが指し示され、からだの事実性に素手で向かい、微細なアレンジメントを捕獲しようとする舞踏者を表現へと導いてゆくのだ、そう考えられているのがわかります。すなわち、からだの事実性はそれ自体では何も意図してはいません。それは純粋に潜在的なものにとどまっています。こうした潜在性に意味を与え、ベクトル的なものとして示されようとするときに、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるわけですが、そのようにからだの潜在性を方向付ける局面にあって、「死者」の方が何らかの仕方で関わってくるわけでuu面にあって、「死者」が関わってくるのでsuいかと考えられますuu面にあって、「死者」が関わってくるのでsuいかと考えられますす。「死者」は私たちの見知らぬ微細なものに関わるいっぽうで、なおかつアレンジメントに意味を与え、方向付けすることになります。「死者」は徹底的に自己の外部にあって自己を指導するのです。この「死者」は歴史性に関わり、それゆえ多数的なものであるとはいえ、きわめて特異なものなのです。舞踏の何たるかを語る際に土方は頻繁に「死者」に言及することになりますが、というのも、それが「自己とは無縁の位置」という宙吊り状態において、宙吊り状態を宙吊り状態のままで新たに統合するようなものとしてもたらされているからではないでしょうか。
 からだのアレンジメントという全体的なものに意味が与えられるとき、それは分節的であってはなりません。そして「死者」の側からアレンジメントに意味が与えられるとき、それは分節的ではないのです。というのも、その関わり方は、土方が「死者」の身振りをからだで振り返る仕方において、おそらく「死者」は過去であり、現在であり、未来である、といった意図的な仕方でなされているからではないかと思われます。どういうことかと言えば、舞踏の表現においては、あくまでも表現の現在において「死者」が立ち現れる場が開かれるのであり、その「死者」は、過去の時空の拡がりを、その潜在的なものを、生き生きとからだに呼び込む契機となり、そして、そこに成立する表現は「死者」によって意味が与えられることで、未来に向けて何らかの意図が果たされようとするのです。「死者」が未来に向けて意図するのは、土方の語る「死者」が生の連続性の別名であることを示唆していると考えられるからです。一般的に死者は想起に関わるものですが、土方の示す「死者」は単なる記憶の形式におさまるものではありません。「死者」は想起とその実現に関わるのですから、具体的には想起を要因とするからだの現象に、すなわちからだのアレンジメントに意味を与えることになるわけですから、むしろそれは自己を成り立たせている全体的なもの、すなわち時間形式に沿うものとして考えなければならないと思うのです。
 一般的に、どんな表現も何らかの時間形式に則っています。ここまで述べてきた舞踏表現を成立させている三つの要件に関しても、それぞれが時間形式に沿うものとなっている、と考えることができます。繰り返して言えば、アレンジメントで構成されるその表現は、からだの現前性、すなわち絶えず変動する目前のプロセスを素材にすることで、舞踏表現の現在性を前面に打ち出しています。また自己とは無縁の位置でなされるその表現は、自己の制約を解いて表現の場をいっそう拡げることで、錯誤の力を借りて、そこにからだにまつわる歴史性、すなわち遠い過去から連綿と伝わる記憶の堆積を、奔流の如く呼び込むことになるのです。そして、幾重にも抽象的な意味が付与された線をからだにおいて実現させるその表現は、からだの事実性、すなわち時空の拡がりを印しづけられたからだの地層に意味が与えられることで、過去から未来へ向けて連続するものを明確に意図しているのです。
 このように、三つの要件それぞれが時間形式に沿って独自の役割を果たしながら舞踏表現を支え、意味のあるものにしているわけですが、土方はことさらそれらを区分するわけではありません。むしろそれら三つの要件は、からだの事実性に意味を与え、方向付ける「死者」において集約されているように思われます。それゆえ、あえて言えば、過去・現在・未来に通じた「死者」に関わることが、舞踏表現を時間形式に則った表現たらしめていることになる、そう考えることができます。そして、その時間形式は、「死者」が生の連続性の別名であると考えられることから、生命が意図するものにおいて要請されているのです。からだの現前性に関わることでそこに際立つ差異に向き合い、そうすることでおのずと分岐してくる二重の線をめぐる多様な現象は、土方にあっては「死者」との関わりを見出すことにおいて一つとなり、そして、そのような多様性を孕んだ一であるマトリックスとしての「死者」を仲介として、土方の舞踏表現は逆に「生命の線」へとまっすぐに繋がっていこうとするのです。
 そうした「死者」と「生命の線」として語られるもの、すなわち、からだの現前性に関わることで立ち現れるからだの歴史性や事実性といった潜在的なもの、そこに連続するものを扱うには、むろん素手では不可能です。からだという現象の背後に渦巻くその内容をベクトル的に示し、生という連続体に触れようとするには、それ特有の表現形式が当然に用意されていなければならないのです。私たちの目前にはまず連続するものとしてのからだの成り立ちがあると考えるわけですが、それをからだの事実性として多様な変動を抱えているものとして把握するためには、自己を不明にすることの形式がまずなければならないでしょう。次いで、自己を解かれた場に舞踏符の意図を機能させるためには、からだに変動を抱えたままで、一貫性をもったからだのアレンジメントを構成することの形式がなければならないでしょう。さらに、そのアレンジメントが「物語の意匠」に染め上げられることで、幾重にも抽象的な意味が付与されたものとして、すなわち個人を超えた時空的な拡がりをもったものとして立ち現せるためには、未来への方向性をもった何らかの表現形式がなければならないのです。ここまで見てきたように、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントをからだにおいて実現させようとするとき、そこには当然ながら厳密な形式が課されてきたわけです。その形式はおそらく、土方の言葉に沿って言えば、「死者」というマトリックスをからだに採集することの時間形式に裏打ちされているのです。
 時間について、土方は一般的な形式に異議を唱えています。

 人は時間を、過去があり、現在があり、そして、未来があると言う。しかし、そうじゃないよ。まず未来があって過去がでてきて最後に現在にいたる。
                          (中村文昭「舞踏の水際」2000年)

 とすれば、土方には、その表現の意図においてまず未来への意識があることになります。すなわち、舞踏の表現形式は、まず未来が意図され、過去が動員されることで、そこに現在が開かれる、という時間をめぐる運動形式のうちにあると考えられることになるでしょう。
 とはいえ、こうした時間をめぐる形式はむろん舞踏の表現に限られるわけではありません。時間をめぐるその表現形式は、ここでは検討する余地はありませんが、おそらく他の様々な表現とその形式を共有していることでしょう。土方は他の表現に見られる同様の表現形式を、逆に「あれも舞踏、これも舞踏」と、ある意味では傲慢とも言える態度で表現形式の同類性を指摘しているわけですが、それというのも、土方にはこうした表現形式を、からだの表現、すなわちからだの現前性自体を素材とする表現において、何らかの価値を得ることで満足することなく、ひたすら未来へと推し進めているという自負があったからであるように思います。表現の意図においてまず未来が意識されるいっぽうで、その未来を意図する局面にあって「自己とは無縁の位置で表現する」ことに執拗にこだわるのが、土方の舞踏表現における際立った特徴であるように思います。というのも、自己に囚われていれば、表現の現在を時間形式に関係なく固定してしまうことになるだけですが、自己が自明でないことで自ずと未来への方向が意図されることになるからです。
 こうした「自己とは無縁の位置」にあって、いったい何が注目されているのでしょうか。

Friday, August 17, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 二 物語・写真・配列

 舞踏家・芦川羊子は、「火気厳禁体として」(「現代詩手帖」1987年4月号所収)という文章で次のように語っています。

 何が舞踏的かと言いますと、踊りは踊るだけでは、なかなか外からからだが見えにくいので、土方巽は舞踏家が踊り始めると消えてしまう物語を、幾つも組み立てて踊りを作ってきました。一枚の写真を手に取る時も、この物語の側からの眼ざしで見ない写真は一枚もありませんでした。その時写真は舞台の記憶を離れて、幾つかの意匠を写し出した物語として出現します。その写真を一枚一枚丁寧に並べてゆくのは、もう一度踊るのと似て、楽しい作業です。こうして踊るときに消えた物語が再び組み立てられ、配列が決まると、また物語の意匠が消えて、写真の意匠がはっきりと見えます。このようにしてこの文章を組み立てました。

 ここに取り出したのは文章の最終部分であり、文章のほとんどは土方巽の言葉によって組み立てられています。土方の言葉とは、その多くが、土方が踊りの稽古をつける際に発した指導言語と言っていいものです。芦川はそれらの言葉の内容を扱うのではなく、かつて土方が発した言葉を新たに自身で組み立て、そうすることで、土方の発した言葉を支えているものをふたたびそこに立ち現させる仕方について、最後にいっきょに説明しているわけです。文章を組み立てる作業に伴うものがあって、それが「舞踏的」と言い表されているわけですが、それは踊ることとは異なり、反省的にしか示すことができない性格のものであるからでしょう。とはいえ、「舞踏的」と言われているように、ここには舞踏表現の成立過程といったものが示されているように思います。
 引用文を基にして、以下のような手順を考えることができます。

一)踊りだけでは、からだ(のアレンジメント)が外から見えにくい。
二)それゆえ、踊りをつくる際には、踊り手が踊り始めると消えてしまう物語を用意する。
三)たとえば、一枚の写真と共に物語が用意される。
四)その写真は、舞台の記憶を離れた現在においても、幾つかの意匠を写し出す物語として立ち現われる。
五)それらの写真を並べるのは、もう一度踊る作業に似ている。
六)こうして、踊るときに消えた物語がふたたび組み立てられ、からだの配列(アレンジメント)が決まる。
七)からだの配列(アレンジメント)が決まると、踊りを踊るときのように物語の意匠が消えて、写真の意匠がはっきりとそこに立ち現れてくる。
八)そうした仕方で、土方の指導言語を組み立てることができる。

 土方は、踊りの構成要素となる舞踏符をつくるに際して、まず素材を用意しました。そのうちの一つが「写真」です(それは様々な絵画作品の写真を含んでいます)。ここでは、最初はその写真が「幾つかの意匠を写し出した物語として出現する」が、「配列が決まると」、「物語の意匠が消えて写真の意匠がはっきりと」立ち現れる、と言い表されています。このことを、舞踏符がつくられ、そして振付けられるにいたる現場に沿って言えば、最初は、すなわち舞踏符をつくる際には、写真は「物語」としてそこに立ち現れているのですが、最終的に、すなわち振付けられた舞踏符を踊る際には、踊り手にとって「物語の意匠」と「写真の意匠」とが区別されている、ということになります。このことは、「意匠」をめぐるある種の変換過程がそこにあるとみなされているからではないかと思われますが、その変換の契機となる「配列」を、ここでは「からだのアレンジメント」と解釈しました。「からだのアレンジメント」とは、土方が舞踏符を振付ける際に、踊り手のからだに滲み入るようにして発せられる指導言語に応じて、踊り手のからだに具体化される神経の配列—関係設定というべきものがあるわけですが、そのことを指し示すこととします。
 何らかの「物語」を介して「写真—絵画」に立ち現れている意匠が、土方の言葉によって踊り手のからだに伝えられ、指導されると、踊り手のからだに配列—アレンジメントとしての意匠が立ち現れるのです。言葉を介して、「写真—絵画」から踊り手のからだへと移植されるような、「意匠」をめぐるある種の変換過程が舞踏符を振付ける現場で起きていると考えられますが、芦川の説明によれば、それはそれほど単純な過程ではありません。
 説明を繰り返しますと、まず「幾つかの意匠を写し出した物語として出現」する写真が目前にあり、その写真を並べることで「物語が再び組み立てられ」る。「意匠」はまだ目前にあります。このとき「配列—アレンジメント」を介することで(実際には舞踏符が振付けられ、舞踏符を踊ることで)、「物語の意匠」が消えて「写真の意匠」がそこに立ち現れる。このとき「意匠」は、踊り手において(むろん振付ける側においても)、両者へと差異化されていることになります。
 この「意匠」とは何か。辞書を繰れば、「意匠」とは「デザイン」であり、「工夫をめぐらすこと」とあります。それは何らかのかたちにおいて見えるものですが、その実、かたちとしてであると同時に、思考もしくは線として立ち現れているものでもあるのです。いわば、具体物のかたちを支えることにおいて際立つ抽象と言えるようなものでしょう。
「意匠」をめぐるこうした現象を、舞踏符が振付けられる現場に適用するならば、事情はかなりはっきりするのではないでしょうか。要するに、踊り手において「物語の意匠」と「写真の意匠」とが差異化されるとき、その「意匠」は抽象でもあり具体物でもあるものとして知られることになるのです。舞踏表現、すなわち踊りの内容として具体的に示されることになるのは、最後にはっきりと立ち現れるところの「写真の意匠」であり、それゆえ「写真の意匠」とは他でもない、舞踏者のからだにおいて具体的に際立つものであります。「写真の意匠」がからだにおいて際立つとすれば、すなわち、からだのアレンジメントとして立ち現れるのだとすれば、いっぽうの「物語の意匠」はある種の思考の線として踊り手のうちに際立っていることになります。そして、そのとき「写真の意匠」は、踊り手が個人として関わるところの単なる「配列—アレンジメント」ではなくなっているのです。それは「物語の意匠」が消えると共に立ち現れると言われていますが、その実それは、抽象ともいえる思考の線となった「物語の意匠」に支えられることで、踊り手の自己を解きほぐすようにして、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるのです。そうでなければ、舞踏表現は成立しないでしょう。
 こうして、最終的に踊り手のからだに際立つことになる「写真の意匠」、すなわち幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるその線は、「物語の意匠」である踊り手の思考の線と重なり合いながらも、その次元がはっきりと区別されることになるのです。踊り手はつねにそうした二重の線に立ち会っているわけです。言い換えれば、「線が線に似てくる」と言われているような、自らの線が他者(死者)の線と重なり、おのずと差異化してゆくところで、踊りは成り立つことになるのです。
 それでは、最初は目の前にあった「写真の意匠」、すなわちその対象—線は、具体的にどのようにして、幾重にも抽象的な意味が付与された線となって踊り手のからだにおいて主体化されることになるのでしょうか。このことについて考える前に、舞踏符を実現するためにここで取り上げられている三つの要素、すなわち「写真」、「物語」、「配列—アレンジメント」について簡単に述べておきます。
 まず「写真」とは素材のことです。それは通常の写真であり、また絵画作品等を撮影した写真も含められますが、そうした写真が、舞踏符をつくる際に素材として利用されるわけです。素材となった「写真」は、たとえば「土方巽全集二」に掲載されている、土方の手になる「スクラップ・ブック」のうちに見ることができます。そこでは一つの素材を介して様々な言葉が抽出され、舞踏符を振付ける際の指導言語となっています。たとえば「火気厳禁体として」の文章には、

 粉の身体、腹に目玉、粉の平面で見たことのない馬を描いた少女、色彩が通過する粉体としての色、きりや、かすみや、もやや、けむりの身体。ぶれる、なだれる、ずれる、ぼやける、にじむ、かすむ、霧の酔っぱらいが、霧のなかを抜けきれない状態、非常に急速な吸気性の怪

といった土方の言葉が記されています。こうした言葉の内容に沿って、素材のかたちや質感等、ひいては素材から抽象される「意匠」が、からだで模写されようとするのですが、このことから、写真はそのまま素材となって恣意的に模写されるのではなく、いったん土方の眼を通すことで素材となっていることがわかります。
 次に「物語」とは、「一枚の写真を手に取る時も、物語の側からの眼ざしで見ない写真は一枚もありませんでした」と語られているように、それは素材を見る土方の眼ざしのうちにすでにあるものと言えるでしょう。それは素材を具体的な表現へと組み立て、かつ表現の内容を支えることになるものと考えられますが、踊りを支えるものでありながらも踊りにおいてはその「意匠」は「消えて」見えることがありません。たとえば「火気厳禁体として」の文章では、

〈千畳敷きの畳の上で、大の字になって死にたい。無一物の世界へ入居せよ。それは今、現実から遙かに遠い聖地であり、楽園なのだ、私はそこに棲むべき人間だ。〉

といった短い「物語」が挿入されています。ここで語られている「物語」は、踊りを支えるものとして留意されながらも、決して踊りの内容として示されるものではないのです。
 最後に「配列—アレンジメント」とは、実際的に踊りを成り立たせている、踊り手のからだの全神経による配列—関係設定です。それは、舞踏符による振付け、すなわち素材から抽出された言葉による指導や、素材の「意匠」を模写すること等によって生じています。それは、外見的なかたちや動きを伴って私たちの眼に見えるものですが、実際にはからだの内部で瞬時に起きている粗大にして微細な現象なのであり、そのような二重性として見えてくるものです。「火気厳禁体として」の文章では、

 眼でしゃべる/耳の側の口でしゃべる/放物線、額の口でしゃべる/掌の口、首の後ろの口でしゃべる

と記されている箇所がありますが、ここには「配列が決まる」、すなわちからだにすでに了解されている「神経配列」が、さらに、そうした「神経配列」をさせる要因が、具体的に示されているわけです。ここでは「配列」として眼に見えるものを示すことはできませんが、というのも、「配列」させる要因は一定のものとして与えられるのに対して、その帰結としての「配列」は多様であるからです。とはいえ、「配列が決まる」という了解は恣意的なものではありません。それは、要因から帰結へと導く確かな過程としてもたらされているのです。
 こうして三つの要素を取り出してみると、「火気厳禁体として」の文章では、まず「配列」が決まり、次いで「写真」の意匠が示され、「物語」の意匠が示される、という順で導入部の文章が組み立てられていることがわかります。つまり事の次第が反省的に言い表されているわけですが、しかし、踊りをつくる際には、実際には土方の側から素材が用意されるわけであり、それはすでに「物語の側からの眼ざし」で特異化されていると考えられることから、まず「物語」がある、そう考えなければいけないでしょう。
 まず「物語」がある。「物語」とはいえ、それは通常の物語と異なり、そこには例で示したような、無時間的な、と言っていい内容が用意されています。いっぽう、踊りを踊る際には、「物語の意匠」は踊りの内容としては消えつつも、それは何よりも踊りを支える思考の線として欠かせないものであると考えられることから、そこには何らかの時間性があるだろう。というよりは、それが無時間性の「物語」であるとはいえ、「物語の意匠」には、思考の線の際立ちが連続するという意味で、ある種の「持続」がある、と考えられます。「物語」と「物語の意匠」とでは、その次元が当然異なっているはずです。それは、踊りを構想するのと実際に踊りを踊るのとでは次元がまったく異なるのと同じです。
 この「物語の意匠」とは何か。ある種の「持続」と言いましたが、このことに関連して考えられるものに、土方の「肉体の闇」という動的概念があります。それは概念というよりも、からだの現前性に向き合うことで際立つ「それ自身における差異」、そう言い換えることができる内容を指し示しています。すなわちそれは、からだに関わる視線がその視線とは異質なものを絶えずそこに内包する現象であり、そのように思考と体験へと分岐する線に同時に立ち会おうとする状態とその内容、そう言っていいものなのです。それは私たちにとって通常の視線を逸脱するものではありますが、とはいえ、たとえばそれは、日常私たちが夢の中で体験する強い気分のような、からだにある種の主題として立ち現れてくるようにして経験される思考のようなものに似ているかもしれません。夢に立ち現れるそうした主題—線は、夢として立ち現れるがゆえにそれは未生であり、また絶えずそれは変動していますが、いっぽうそれは夢という現象を一貫した体験として制御しているのです。そのように「持続」するものとしてからだに際立とうとする主題—線を、「物語の意匠」に比べることのできるものとして理解できるように思います。むろん、その主題—線を言葉にして表そうとするや否や、すぐさまそこに「物語」が紡がれることになります。言葉になろうとする手前で、夢がそうであるように、未生にして変動する思考の働きがある種の一貫性としてからだにおいて示してみせるような、そのように主体的に立ち現れる線を、「物語の意匠」を考える際に、私たちはそれに類するものとして想像することができるのではないでしょうか。それゆえそれは、夢と同じように、何よりも自己とは無縁の働きなのです。私たちは、ある種の夢の体験のさなかで、自己が不明であるところにこそ、様々な抽象力を具体的なかたちにして捕獲してみせます。そのとき、(夢見る者にとって)自己であるはずのものが次々と変動するに応じて目の前の対象をも変動させてゆくその線は、そこに決して具体物を生み出しているのではないけれど、あくまでも具体的な感覚を伴って示してみせるのです。
 踊りを踊る際には、言葉にすれば矛盾することになりますが、そうした未生にして具体的な思考の線が少なくとも必要とされているように思います。芦川羊子は、自ら踊るその踊りの主題をめぐって次のように語ってみせます。

「フサ 死ぬときの夢」というのは、「フサ」という人物が、死ぬ間際に見た泣いている杭だとか、食べたかった果物、底光りのする青いゴム長靴、まあ、あの世の淵に立っているいろいろな人や物と交感していくというようなものです。
                           (「新劇」 1987年12月号所収)

 踊りに際して「フサ」を主題とするとはいえ、芦川は「フサ」その人を踊るのではありません。「フサ」という変動する線がからだに抱握され、その変動に立ち会いつつ、踊るのです。そうしたことができるのも、ここで見られるように、「フサ」をめぐる「物語の意匠」が、私たちの思考の線に沿うことのできる、あくまでも具体性をもったものとして抽出されているからではないでしょうか。
 いっぽう、「物語」の具体性に対して(「物語」にも抽象性はありますが)、素材としての「写真—絵画」には抽象性が孕まれています。というよりは、人の手によって描写された「写真—絵画」には、目前の具体物を介して抽象を取引するという意味で、抽象性を交換した跡が示されている、と言っていいでしょう。それゆえ、抽象性を交換する場としての素材、というものを考えることができます。そして、その抽象性を交換する場においてこそ「意匠を写し出した物語」として立ち現れてくるものがあり、またそれを見出す視線も存在することになるでしょう。土方には、素材としての「写真—絵画」を、抽象性を交換する場とみなす感覚がつねに働いているように思われます。そして、「踊りの場合は、本能をつくろうとした少年体そのものがカンヴァスなわけです」と言われるように、おそらく、抽象性を交換する場に注目する感覚というのはきわめて身体的な感覚なのです。そうであれば、そこに「意匠を写し出した物語」が立ち現れてくるとき、すでにからだに「写真の意匠」が萌芽しているのです。というよりは、「物語の側からの眼ざし」でもって抽象性を交換する場に立ち会うとき、からだにはもう抽象的諸力が渦巻くようにして張り詰めている、そう言っていいでしょう。したがって、そのときにはもう、「物語の意匠」の線が重ねられるだけで、踊りを用意する者のからだに抽象的諸力が主体化される準備はすでにできていることになります。「意匠を写し出した物語」が「物語の意匠」へと展開されてゆくという手順があるのではなく、まず「物語の意匠」があり、「物語の意匠」を介することで、抽象的諸力が多様なものを帯びて、具体的に素材から捕獲されようとするわけです。
 しかしながら、「写真の意匠」は最終的に踊り手のからだに際立つものです。多様なものとして抽象力を孕んだ「物語の意匠」が初めから土方のものであるのに対して、「写真の意匠」は踊り手のからだにおいて主体的に立ち現れるのでなければなりません。「火気厳禁体として」ではこのあいだの事情は語られていませんが、そのことはどうなっているでしょうか。要するに、土方の思考の線から踊り手のからだへと、「物語の意匠」が「写真の意匠」として主体化されるその移植はどのようになされるのでしょうか。
 舞踏符を振付けることでからだに生じる「配列—アレンジメント」が移植の手続きとしてある、と考えられます。「物語の意匠」に支えられて「写真—絵画」から抽出された指導言語が踊り手のからだと突き合わせられるとき、そこにおのずと「配列—アレンジメント」が生じます。その「配列—アレンジメント」は、踊り手のかたちや動きに伴うものとして見えると同時に、かたちや動きの要因となるものでもあります。つまり、「配列—アレンジメント」とは、からだのアレンジメントとして「配列される」のであると同時に、「配列する」ことなのです。それゆえ、目の前の素材としての「写真—絵画」を「物語の意匠」に沿って配列することは、踊り手のからだにそうした要因を想起させることになり、それは「もう一度踊る作業に似ている」と言われています。そこに、いったん「配列が決まる」。すると、「物語の意匠」は消え、「写真の意匠」が具体的なアレンジメントとしてからだに際立つことになり、ここに移植が成立しています。
 とはいえ、「配列が決まる」というだけで移植を成立させることにはならないでしょう。それは、それほど単純な過程ではありません。しかも、このとき「物語の意匠」が「消える」のはなぜでしょうか。「消える」ことの意味、あるいは「消す」ことの操作のうちに、「配列が決まる」ことによる、移植をめぐる重要な手続きがあるように思われます。
「物語の意匠」は踊り手のうちに「持続」する主題—線となるものと考えられますが、その内容は、からだに渦巻く抽象的諸力を多様なものとして具体的に捕獲しようとする際に、思考の働き、あるいは思考のダイナミズムと言っていいでしょうか、そうした思考の力を代表するものと考えられます。それに対して、「写真の意匠」として立ち現れようとする幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントは、代表としての思考の線が「消える」ことで、あたかも代表を失って喪に服するかのように、有象無象の群れとしてからだに立ち現れることになるのです。線が(他者の)線と重なり合い、差異をおのずと示す場にあっては、からだに縁を結ぼうとするものの方がかえってはっきりと立ち現れてくるのです。そしてそのとき、差異を示す場を操作する仕方、実践する仕方が、「配列が決まる」という能動的な契機のうちにありはしないでしょうか。すなわち、「配列が決まる」とは、思考の力動の高まりをその高まりにおいて「消す」ことで、背後に渦巻く抽象的諸力をからだのアレンジメントにおいて実現させる、そうしたある種の技能なのではないでしょうか。そのとき、「物語の意匠」という代表するものは潜在化することで、土方の言葉で言えばそこに「あらない」という仕方で、抽象的諸力の具体化に身を捧げることになるのです。そうした仕組みにおいて、幾重にも意味が付与された抽象力をからだのアレンジメントとして供給することができるのではないでしょうか。このように、「写真の意匠」と「物語の意匠」とは、一方によって他方を多様なものとして相互に際立たせ合う、といった仕方で密接に重なり合っているのです。両者は思考による扱いにおいて差異化されることになるとはいえ、からだの現前性に向き合う局面にあっては分ち難いものと知られているのではないかと思います。そして、そうした位置取りにおいて「配列」を操作する技能があり、技能を駆使することでそこに立ち現れるアレンジメントの連続、すなわち踊りは、各自において主体化される、そう考えることができるのではないでしょうか。
 舞踏の表現においては、「写真の意匠」こそ、からだのアレンジメントとして踊りの主体となるものです。それは単なるアレンジメントではなく、「物語の意匠」に沿って「配列」を操作する技能により、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくることになります。それゆえ、注目すべきは、踊りが成立するときには「物語の意匠」は「消えて」いるという指摘です。すなわち、このとき「物語の意匠」がアレンジメントを支え、アレンジメントに幾重にも意味を供給しているにもかかわらず、それを実体とみなしてはならないのです。というのも、舞踏の表現において、からだのアレンジメントが多様なものとして変動しうるのは「物語の意匠」が変動するからなのであり、したがって「物語の意匠」が実体化されるや、変動するからだのアレンジメントを支えられなくなってしまうからです。
 言い換えれば、舞踏符の連続によるからだのアレンジメントの構築は「物語の意匠」に支えられているわけですが、その「物語の意匠」はといえば、からだのアレンジメントを支えるとはいえ、踊り手自らの抽象的諸力を描写するものとなるために、あらかじめ捏造されたものなのです。この捏造は、舞踏表現の手続きにおいて重要な役目を果たしていると思われます。というのも、思考の線としての「物語の意匠」を手だてにしてそれに沿った「配列」を操作する技能が能動的に駆使されるのは、「物語の意匠」が捏造であることで、逆に踊り手のからだを素材にして、いかなる抽象的諸力をも扱うことが可能となるからです。そして、一転してその内容が潜在化することで、幾重にも抽象的な意味を付されたアレンジメントが、それがいかなる内容であれ、踊り手のからだにおいて主体化されることになるわけです。「物語の意匠」が捏造であろうとも、個々のからだが表現するものは踊り手のもの、すなわち表現者による具体的な所産であるからです。このように、移植の手はずを考えることができます。

Thursday, August 16, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 一 生命の線

 表現には、文学、絵画、造形、音楽、舞踊、演劇、映画など、様々な表現形式があります。舞踏は、舞踊一般と同じくからだを素材とする表現形式ですが、表現する者が自らのからだに関わることの即自性においてその表現が成立しているという点で、他の舞踊表現とは異なっているように思われます。舞踏は、からだの現前性を素材にしているのです。どういうことかと言えば、舞踏は、からだに関わる視線の逸脱をそのまま身体表現として示そうとするのです。そして、そのことによって、舞踏の表現には何よりも、他の表現と比べて具体的な価値に還元し難い面があるように思われます。
 たとえば、「舞踏」の名のもとにその技術上の探求が着手されたとき、土方巽は次のように語っています。

 するするとつながっていく生命の線は、線が線として現れてくるような滑走のしかたで、そういう衝動や過程も含めて生きのびるのであろう。が、そういう過程も含めて、本来形というものは到達不能なものとして薄ぼんやりと表れてくるものではないだろうか。それは、逆に形を表そうという意図のもとに必死に線そのものに立ち合っている姿と、いかなる関わりあいをもつものか。そのあからさまに意図された形、またそのための過程と、何らかの形を表そうというのではない線の過程とは、どう違うのか。その違いは、一体何によって覗かれているのか。この過程の介入を、どう覗きかえしているのか、という興味がずるずると介在してくるわけだ。
               (「線が線に似てくるとき」現代詩手帖1974年10月号所収)

「舞踏家の眼玉はどこについているか」という詩人の瀧口修造の問いに対して土方が提出しているのは、舞踏の稽古をする際にからだに立ち現れてくる「形」と「線」に向けられた特異な視線です。からだに関わるこうした視線には、形が見える視点と見えなくなる視点とが混淆しているわけですが、からだの現前性を素材にしようとする表現に際しては、そのように形と線が入り組むところにどうしても注目せざるをえないのではないかと思います。そこでは、「あからさまに意図された形、またそのための過程」と「何らかの形を表そうというのではない線の過程」、すなわち形を導いてくる線の過程とそうではない線の過程というふうにして、否応なく差異が生じてしまうのです。そうした過程の差異はどのように生じているかと土方は問うているわけですが、からだの現前性に向き合おうとする視線にあっては差異はおのずと生じるのであり、というのも、両過程は、土方が「生命の線」に焦点を当てようとするときそこに分岐する現象としておのずと知れる、そう見当づけられているものだからではないでしょうか。
 こうした分岐があるのは、からだに関わる視線が、それとは非等質であるものを絶えず内包してゆくからです。たとえば、からだの現前性に向き合うことで、現在をめぐる即自的な形(それは「到達不能なものとして薄ぼんやりと表れてくる」)があらわになるばかりでなく、その即自的な形を支える歴史性の線が、「それ自身における差異」の働きのうちに否応なく、薄ぼんやりとした灯りのうちに連れ出されてくることになります。こうした分岐する現象を他者があらわにするもののうちに見るのではなく、自らその分岐の現象に関わってゆくことは、すでにして逸脱です。そして、そのようにからだに関わる視線がおのずと逸脱してゆくとき、言い換えれば、土方がからだの現前性に向き合うことで際立つ差異のうちに「覗かれ」そして「覗きかえす」とき、「衝動」すなわち現在的なものと、「過程」すなわち現在を支える歴史的なものとを伴うことで、逆に「生命の線」がからだに生きのびようとする、そうした体験を、その経緯を、土方はここで反芻しているように思われます。
 そうだとすれば、舞踏の表現には、からだの現前性に関わることでそこに際立つ差異に向き合い、そうすることでおのずと分岐してくる二重の線の現象を従え、そのことによってからだに「滑走」してくる「生命の線」を捉えようとする、そうした確かな意図がある、と考えることができるのではないでしょうか。はたして、そのことは舞台上で具体的にどう実現されようとするのか、舞踏の表現形式を検討することによって、以下に考えてみたいと思います。
 ちなみに、舞踏の表現形式として認められるものに舞踏符による振付けがありますが、それについて言えば、たとえば同一の舞踏符が振付けられる場合であっても、土方巽の踊りと芦川羊子のそれとではおのずと異なった印象を与えています。むろんそこに立ち現れてくる形には違いがあるし、質的にも異なる線が際立たせられることになります。したがって、ある舞踏符が振付けられることで、それに相当する形を表し、相当の質を際立たせることができるはずだ、といった意味での表現形式は存在しないと考えられます。いかなる表現においても、その表現形式は鋳型のように存在しているのではありません。舞踏の場合も同様です。価値に還元し難いことにおいて他の表現と異なると思われる舞踏のその表現形式は、もっと別のところに重点を置いているはずです。それは、踊り手に立ち現れてくる「意図された形」ではなく、形を表すことにおいて踊り手が「必死に線そのものに立ち合っている姿」にまず注目しているのです。