Saturday, August 18, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


三 アレンジメント → 死者 → 時間形式

 舞踏の表現は、踊り手のからだに立ち現れるアレンジメントの連続で構成されています。そして、それらのアレンジメントを配列する操作においてこそ踊り手固有の技能がある、と考えられます。さらに、目前の素材である「写真」対象を踊り手のからだにおいて主体化するという仕方からすれば、そこに立ち現れてくるアレンジメントは、踊り手の自己に関わるものではありえません。からだのアレンジメントとして織り成された「写真の意匠」は、自己を逸脱する「物語の意匠」に支えられて、初めて幾重にも抽象的な意味が付与された線としてからだに立ち現れてくるからです。要するに、踊り手は自己とは無縁の位置で踊ることになり、そう要請されるのです。こうした点において、舞踏表現は他の身体表現と異なっていると思われます。舞踏を他の身体表現と峻別するために、以上の点を、舞踏表現を成立させている三つの要件として挙げておきたいと思います。

一)からだのアレンジメントで構成されている。
二)自己とは無縁の位置で表現する。
三)幾重にも抽象的な意味が付与された線をからだにおいて実現させる。

 その表現に際して、踊り手は他者から振付けられる場合があるわけですが、基本的には踊り手は自身を自ら振付けなくてはいけません。自らを振付ける際には、他者から指導されることなく、からだの現前性に直に関わることになります。当然そこには、衝動や「線の過程」といった見知らぬもの、潜在的なものが立ち上がってきます。そうした局面にあって、「写真の意匠」と「物語の意匠」への線の分岐が取り上げられ、一方が他方を多様なものとして相互に際立たせ合うような仕組みが見出されているわけですが、自身を自ら振付ける場合には、そうした線の分岐を見定め、確かな表現へと導いていくのは容易なことではないと思われます。そこには、見知らぬもの、潜在的なものがまた別の様相で踊り手に迫ってくるのではないでしょうか。そのとき、どのようなことが注目され、どのように対処されているでしょうか。振付けとは一つの表現形式であり、舞踏の表現においてはからだの現前性を扱う形式と言い換えることができますが、そのいっぽうで、そこにはさらに別の仕方で注目し対処する何らかの形式があるように思われます。こうした観点に沿って、三つの要件をあらためて検討したいと思います。
 まずアレンジメントについて言えば、ここで言うアレンジメントは「配列」の意味であり、言葉に反応してからだに組織される「神経の配列」のことを指し示します。とはいえ、からだのアレンジメントは単に「神経の配列」としてそこに見えてくるのではありません。「神経の配列」に伴ってからだを全体として提示する働きがそこにはあり、それゆえ、からだのアレンジメントを、「神経配列」によってからだを全体として補いつつ立ち現れてくる現象、そうしたものとしてまず理解する必要があります。要するに、からだのアレンジメントは何らかの分節としてからだに立ち現れてくるのではないのです。それがどのように現れていようとも、それはあくまでも全体的なものとして立ち現れてくるのです。何らかの言葉に対応して現れてくるにもかかわらずそれが分節として現れるのではないのは、からだのアレンジメントが、踊り手によって神経が組織されることにより、何もかもが一体となったものとしてそこに現れることになるからです。言い換えれば、からだのアレンジメントとは何かを表そうとするのではなく、おのずとそこに立ち現れてくる、といった性質のものなのです。それは分割的でなく、解離的でもない。それゆえ、それは反照的作用さえもたらすことがありません。それは、外部から要因が与えられるとはいえ、からだからからだへと内部において完結される、何の不足ももたらすことのない現象なのです。からだのアレンジメントが部分的なアレンジメントに見えるときがありますが、その場合においてもアレンジメントが全体的なものであるのは、ある部分の強調に伴ってその他の部分が消されるという作業がなされているからです。消すことのアレンジメントがあって、そのとき、あくまでも全体が前提とされている部分が際立たせられることになるのです。
 したがって、舞踏符が指示する言葉の内容とは別にアレンジメントとして見えてくるものがある、ということになります。そのことは、言葉に反応してアレンジメントが成り立つという現象は一方通行的な過程であり、アレンジメント側からそれに対応する言葉へという逆の方向、すなわち、アレンジメントがあって、それを名付け分類するといった方向はありえない、ということを意味します。舞踏符の言葉とアレンジメントの関係について言えば、舞踏符が指示する言葉の内容はできるかぎり分節的でないよう慎重に選ばれてはいるけれども、それは言語という性格上否応なく分節されています。とはいえ、舞踏符の言葉はあくまでも分節的でないものに関わろうとするのであり、そうした言葉が指示する内容にからだ(神経)を適合させることで、言葉が示すものとは別に全体としてからだに組織されて見えてくるもの、すなわちアレンジメントがあるといった、言葉を契機にして逆にからだが言葉を包み込んでしまうような過程があるわけです。そこには、からだを仲介にして、部分から全体へと変換される確かな作用があることがみてとれます。言うならば、心的抱握はつねに身体的抱握によって統合されるのであり、踊り手はそうした体験を目前にすることになるのです。要するに、そのように統合するものとして、からだのアレンジメントを自ら扱うことになるわけです。
 いっぽう、からだのアレンジメントとは、本来的に言えば、私たちのからだが日常的に構成している神経組織による綜合的な関係設定でもあります。その日常的なアレンジメントは、社会生活する上で必要とされるために、反復を基にしています。そのことは、私たちにとってはふだん認知しにくいものとしてからだに浸透していることを示しています。こうした観点からすれば、舞踏符の技法とは、からだをめぐる現実的で日常的なアレンジメントにあえて虚構のアレンジメントを嵌め込ませる作業である、と言えるでしょう。そうすることで、踊り手のからだにある種の宙吊り状態をもたらす、といった意図があると考えられます。舞踏符によるからだのアレンジメントが偽のアレンジメントであるのは、その偽のアレンジメントが、現実のアレンジメントの存在をあらかじめ想定し、それに対抗させるものとして用意されているからでしょう。現実のアレンジメントとは、人類社会をめぐる記号の体制が私たちのからだの末端にまで及んでいる現象、すなわち個人における思考、行為、発話等といった諸々の現象をめぐる何らかの型を指し示しているわけですが、舞踏符を振付けられることで、踊り手は、現実に身につけているアレンジメントに偽のアレンジメントを否応なく対抗させることになるわけです。そこに宙吊り状態がもたらされるのであり、それというのも、からだに宙吊り状態がもたらされることで、舞踏の表現が踊り手の自己の枠内にとどまることがないよう目論まれているからなのです。
 以上、からだのアレンジメントについて急いで述べましたが、それが虚構であるとはいえ、舞踏の表現を支えるからだのアレンジメントは、踊り手のからだにおいて現実に立ち現れてくるものに変わりありません。それは、想念と捉えられるものではないし、また表面的なかたちとして捉えられるものでもありません。それ自体の成り立ちが真実であるか偽物であるかは別として、それは実際にからだに起きている現象として立ち現れてくるのです。舞踏の表現がアレンジメントで構成されるとは、こうしたアレンジメントの連続、すなわち踊り手のからだに次から次へと新たなアレンジメントが、それも全体としてからだに組織されるものが連続的に現象することで表現が成り立っている、ということです。踊り手のからだに次から次へとアレンジメントが立ち現れては消え、消えては新たに立ち現れる。そのように変動するものを扱うことにおいて表現が成り立つがゆえに、そうした位置における何らかの描写に踊り手の技能が試されることになるでしょう。すなわち踊り手は、からだに次から次へと現象するアレンジメントを効果的に操作しなければならないのです。そしてその操作は、からだのアレンジメントという、踊り手自身からは見えにくい身体的抱握といった現象を扱うことからして、決して容易なことではありません。その技能は、踊り手自らアレンジメントそのものを操作するというよりは、もっぱらアレンジメントをそこに立ち現させる要因に関わることで操作する、といった性格のものなのです。「アレンジメント—配列」とは、からだのアレンジメントとして「配列される」と共に、「配列する」ことでもあります。したがって、アレンジメントそのものにではなく、アレンジメントの構成される手前で、アレンジメントを生み出す要因に次から次へと関わることの操作がなされようとするのですから、その位置からして、何らかの描写することにおいて否応なく、からだに関わることの現前性に向き合うことになるでしょう。その表現内容が表現者自らの行為を通じて即座に対象化される表現形式においては、その対象化された内容は逐一反省されつつ表現化されていますが、そうではなく、作品が構成され、その構成を抱えていったん舞台に立てば、表現内容が対象化されることを経ずして、すなわち表現内容が一瞬も反省されることなく、その内容が表現化されようとするのです。
 からだに関わることの現前性をめぐって、土方は次のように語っています。

 踊っている時の状態をいまわたしは喋ろうとしているわけなんだけど、喋ろうとしている時にすでに構築しなおそうとしている瞬間が見舞ってますね。じゃ、踊っている時は何もわからないのかというと、…灯りとかですね。その灯りが必ずしも、こういう目の中に入ってくる光でもないし、反射と言えばいいかな。その反射が、どんどん忘れていくという方向のメカニズムに入らなければいけない。ばっちり覚えたものを舞台の上に立ってから新たに役づくりする。それも忘れるという役づくりです。その忘れる最中の忘れ方は一回忘れたことには手を触れたくないというメカニズムです。
           (「欠如としての言語=身体の仮説」現代詩手帖1977年4月号所収)

「反射」の語は、reflectionといったん置き換えて解釈した方がわかりやすいかもしれません。「反照」、「内省」といった意識作用を含むからです。しかし、その意識作用は「灯り」とか「光」と言及されて、あたかも物質作用のようにして捉えられているように、そこには主客の視点が入る余地がありません。そして重ねて、そうした作用が、忘れていくことに向かうメカニズムに入らなければならない、そう土方は指摘しています。とはいえ、「忘れる」というのは、その内容が消滅することではありません。そうではなく、「どんどん忘れていく」その内容は、主客の視点に捉えられずに、物質のように「灯り」のようにして、踊り手において作用することに変わりはないのです。したがって、「反射」の語は正確な言い回しなのです。そうであれば、「忘れる」ことのメカニズムとは、逆説的にも、主客の視点に拘束されることなしに内容を「反射」させる、という意味になりはしないでしょうか。とすれば、からだに関わることの現前性に向き合うとは、畢竟、意識作用の由来としての、神経組織の事物性に立ち会うこととも言えます。
「忘れる」ことで、すなわち、主客の視点を逸脱させることによって逆にその内容を作動させることで、次から次へとアレンジメントが操作されるメカニズムがあるのではないかと考えられるように、からだに関わることの現前性に向き合うことは、「自己とは無縁の位置で表現する」という、もう一つの要件と縁を結んでいるのです。「自己とは無縁の位置」とは、土方が「自明でない自己というものは、先見的にとらえられた自己や反省する自己などに関わっていけるものではないだろう」(「包まれている病芯」)と語る、「自明でない自己」の位置と同義です。主客意識の宙吊り状態(判断停止ではない)を示唆するその位置は、からだのアレンジメントという、外からは見えるが踊り手自身には捉え難い現象を執拗に操作しようとすることで踊り手に知られることになると考えられますが、しかしそれ以前に、アレンジメントの連続を支える「物語の意匠」の未生にして変動的であることが、そうした位置取りを要求しているでしょう。「物語の意匠」という思考の力動を代表するものが消えることで有象無象の群れとしての「写真の意匠」がアレンジメントとしてからだに立ち現れてくる仕方は、自己とは無縁である位置において操作されることで、あえて折り畳まれた思考の線をアレンジメントの統合的な線へと展開することになる、と考えられるからです。それに対して、もっぱらアレンジメントが自己のみによって操作されるのであれば、アレンジメントを生み出す要因に関わることの操作を欠いているがゆえに、そこに立ち現れてくるものはおそらく自己という限定に付き従うものでしかないでしょう。そこには幾重にも意味が付与されたアレンジメントへと展開されていくための契機はなく、それゆえ単にアレンジメント操作が見えるだけの表現になってしまうのです。「物語の意匠」である思考の線が対象へと具体化しようとするのに対して、「写真の意匠」であるアレンジメントはそうした対象を抽象化してからだにおいて主体化しようとします。ここには相対立する作用がありますが、「自明でない自己」という主客の曖昧な宙吊り状態の場へと開いてやることで(つまり、「忘れる」ことで)、そこに思考の線に支えられつつ幾重にも意味が付与されたアレンジメントが成立する契機があるのではないかと考えられるのです。具体的には、自己に関わらないようにするために自己に先回るようにして次々と指令を与えるものがあり、それが「物語の意匠」の役割となります。自己という粗大な位置取りでは、「物語の意匠」が内容とする微細な働きが要求するのに応じてアレンジメントの連続を操作することは到底できない、そう考えられてきたのではないかと思います。
 折り畳まれたものが質の異なる次元へとふたたび展開されるといった仕方で、幾重にも意味が付与されたアレンジメントをからだにおいて立ち現せようとする舞踏の表現は、自己とは無縁の位置において何らかの描写をしようとすることで、ややもすれば主客の視点が介入して「忘れる」ことを忘れさせようとする、そうした表現の現在の脆さに対処して、意図的にからだの現前性を押し開くようにしてなされているのだと考えられます。「反射」という言い回しは、そうした表現の現在をさらに開いていこうとするところに見出される事実上のからだの働きに言及しているのです。しかし、土方はそれだけではだめだと言います。

 反射だけじゃだめなんですよ。(中略)
 しらこみたいな、睫毛に埃をかぶっているような、光の蜘蛛の巣みたいなものをパッと捉えないとまぶしがることがどうも正確に出てこない。むかしは、霞かけたり、日暮れ時に日本人の肉体を捉えたりですんだけれど、そういう断層だけじゃだめだ。日本人の体をもっと剥製体にすべきだと。かつて飛んでいたものをさらに飛ばせるために、一度体を剥製にして、それには日本人はうってつけの体だと思うんですね。
                                     (同前)

 舞踏の表現が踊り手のからだにまつわる歴史性を積極的に展開させようとするのは、こうした位置取りからであるように思います。「しらこ(白子・albino)」、「睫毛に埃をかぶっている」、「光の蜘蛛の巣」といった用語は、「反射」作用に替わって見出されているものでしょう。土方は、「反射」の事物性から翻って、ともすればその事物性に付き添ってくる「まぶしがること」の作用の、その能動的な内容を正確に取り出したいと考えているのです。
 からだの現前性に向き合うことで、そのとき現在的なものである脆弱な即自性と共に、その即自性を支える歴史性といったものが否応なく付き添ってくることになります。「まぶしがること」とは、「自明でない自己」のうちに展開されるからだのアレンジメントと共に浮上してくる、個人を超えて連綿と伝えられる何らかの主体的な「灯り」の作用なのです。その「灯り」を詳細に検討すると、そこにはalbinoのように遺伝的に隠れた微細なものの連続性が保持され(自然は隠れることを好む)、その反射というよりは放射は、蜘蛛の巣のように部分が全体と即座に連動するホリスティックなものが示す拡がりとして捉えられようとします。それゆえ、単なる意識の「断層」といった個人の時空ではなく、さらなる時空の拡がりを印しづけられたからだを捉えようとするために、土方は「剥製体」を持ち出しているのです。
 この「剥製体」は、中身を異物で詰めて復元され、無時間の空間にさらされた展示物を言うのではありません。たとえば、目の前に鳥の剥製が今にも飛び立とうとしている。その鳥は、現在は剥製であるが、すなわち死体であるが、それにもかかわらず、かつて飛んでいたすがたをそこにありありと保持しているのです。そのように時間の錯誤を伴ってかつての存在様態が現在において生き生きと迫ってくるようなあり方、それが「剥製体」なのです。土方は剥製を前にして、錯誤ではあるが(錯誤であるゆえに)、現在のうちに過去が生き生きと呼び込まれるその時空に、からだにまつわる歴史—記憶が奔流の如く流れ込み、多層に展開してくる可能性をからだで読みとろうとしているのです。からだにまつわる歴史性は、私たちにとって拘束と知られるものでもありますが、その実、その拘束は私たちの自己を織り成しているものの背景となるものでもあるのです。その暗い背景の拡がりは自己には到底知られることがありませんが、厳然としてそこにあるものなのです。それがなければ、私たちの現在とていっかな成立し得ないでしょう。それゆえ、その拡がりは、事実としての私たちのからだは歴史—記憶の層を成したものであるという意味で、むしろ私たちが自ら拘束を評価するところにからだの事実性として立ち現れてくる、と言っていいでしょう。
 事実として、私たちの身振りは自身で産み出したと言える代物ではありません。それは私たちが本能的に習得してきたものとはいえ、身辺に体感される者の身振りを模写するものであったり、記憶を奪われるようにして身を任せたものであったり、また動物の動きや身辺のモノの気配に魅入られるようにして成ったものに彩られてさえいます。他者の身振りの模写や、記憶が否応なく支配された状況や、動物やモノの気配に魅入られるようにして構成された私たちのからだは、そうした模写する対象自体の記憶や微細な感情、その環境、モノ自体がもつ多様な情報が層になってそこに堆積しているという意味で、何らかの歴史性を示しているのです。そして、その歴史性はといえば、それは私たちのからだが事実としてそうであるその内容を支えているという点からすれば、私たちが自ら客観化し得るといった性質のものではありません。それは背景へと埋没し、埋没してはいるが、私たちの身振りの即自性のうちに決定的に与えられているのです。それゆえ、それは「死者」と呼ばれることになります。
 私たちの歴史とは、当然ながら死者を積み重ねてきたことで成り立っているものです。それゆえ、からだにまつわる歴史性の認知はおのずと、かつて見知った死者の身振りを「採集する」こと、すなわち死者の身振りを自らからだで何度も振り返ることへと繋がっていくようです。その振り返り方はといえば、実は「死者」がこちらを振り返ることだ、そう土方は言います。

 こういうことは私の身体の中で死んだ身振り、それをもう一回死なせてみたい、死んだ人をまるで死んでる様にもう一回やらせてみたい、ということなんですね。一度死んだ人が私の身体の中で何度死んでもいい。それにですね、私が死を知らなくたってあっちが私を知ってるからね。(中略)…私は私の身体の中に一人の姉を住まわしているんです。私が舞踏作品を作るべく熱中しますと、私の体のなかの闇黒をむしって彼女はそれを必要以上に食べてしまうんですよ。彼女が私の体の中で立ち上がると、私は思わず座りこんでしまう。私が転ぶことは彼女が転ぶことである。という、かかわりあい以上のものが、そこにはありましてね。そしてこう言うんですね。「お前が踊りだの表現だの無我夢中になってやってるけれど、表現できるものは、何か表現しないことによってあらわれてくるんじゃないのかい。」と言ってそっと消えてゆく。だから教師なんですね、死者は私の舞踏教師なんです。
                     (「風だるま」現代詩手帖1985年9月号所収)

 からだの事実性とは、時空の拡がりを印しづけられたからだの地層と言っていいものですが、それが「死者」と呼ばれるとき、そこには未だ地層化されていない微細な記憶も埋没していることが示唆されています。そして、その「死者」の側から、からだに配列されようとする幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントが指し示され、からだの事実性に素手で向かい、微細なアレンジメントを捕獲しようとする舞踏者を表現へと導いてゆくのだ、そう考えられているのがわかります。すなわち、からだの事実性はそれ自体では何も意図してはいません。それは純粋に潜在的なものにとどまっています。こうした潜在性に意味を与え、ベクトル的なものとして示されようとするときに、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるわけですが、そのようにからだの潜在性を方向付ける局面にあって、「死者」の方が何らかの仕方で関わってくるわけでuu面にあって、「死者」が関わってくるのでsuいかと考えられますuu面にあって、「死者」が関わってくるのでsuいかと考えられますす。「死者」は私たちの見知らぬ微細なものに関わるいっぽうで、なおかつアレンジメントに意味を与え、方向付けすることになります。「死者」は徹底的に自己の外部にあって自己を指導するのです。この「死者」は歴史性に関わり、それゆえ多数的なものであるとはいえ、きわめて特異なものなのです。舞踏の何たるかを語る際に土方は頻繁に「死者」に言及することになりますが、というのも、それが「自己とは無縁の位置」という宙吊り状態において、宙吊り状態を宙吊り状態のままで新たに統合するようなものとしてもたらされているからではないでしょうか。
 からだのアレンジメントという全体的なものに意味が与えられるとき、それは分節的であってはなりません。そして「死者」の側からアレンジメントに意味が与えられるとき、それは分節的ではないのです。というのも、その関わり方は、土方が「死者」の身振りをからだで振り返る仕方において、おそらく「死者」は過去であり、現在であり、未来である、といった意図的な仕方でなされているからではないかと思われます。どういうことかと言えば、舞踏の表現においては、あくまでも表現の現在において「死者」が立ち現れる場が開かれるのであり、その「死者」は、過去の時空の拡がりを、その潜在的なものを、生き生きとからだに呼び込む契機となり、そして、そこに成立する表現は「死者」によって意味が与えられることで、未来に向けて何らかの意図が果たされようとするのです。「死者」が未来に向けて意図するのは、土方の語る「死者」が生の連続性の別名であることを示唆していると考えられるからです。一般的に死者は想起に関わるものですが、土方の示す「死者」は単なる記憶の形式におさまるものではありません。「死者」は想起とその実現に関わるのですから、具体的には想起を要因とするからだの現象に、すなわちからだのアレンジメントに意味を与えることになるわけですから、むしろそれは自己を成り立たせている全体的なもの、すなわち時間形式に沿うものとして考えなければならないと思うのです。
 一般的に、どんな表現も何らかの時間形式に則っています。ここまで述べてきた舞踏表現を成立させている三つの要件に関しても、それぞれが時間形式に沿うものとなっている、と考えることができます。繰り返して言えば、アレンジメントで構成されるその表現は、からだの現前性、すなわち絶えず変動する目前のプロセスを素材にすることで、舞踏表現の現在性を前面に打ち出しています。また自己とは無縁の位置でなされるその表現は、自己の制約を解いて表現の場をいっそう拡げることで、錯誤の力を借りて、そこにからだにまつわる歴史性、すなわち遠い過去から連綿と伝わる記憶の堆積を、奔流の如く呼び込むことになるのです。そして、幾重にも抽象的な意味が付与された線をからだにおいて実現させるその表現は、からだの事実性、すなわち時空の拡がりを印しづけられたからだの地層に意味が与えられることで、過去から未来へ向けて連続するものを明確に意図しているのです。
 このように、三つの要件それぞれが時間形式に沿って独自の役割を果たしながら舞踏表現を支え、意味のあるものにしているわけですが、土方はことさらそれらを区分するわけではありません。むしろそれら三つの要件は、からだの事実性に意味を与え、方向付ける「死者」において集約されているように思われます。それゆえ、あえて言えば、過去・現在・未来に通じた「死者」に関わることが、舞踏表現を時間形式に則った表現たらしめていることになる、そう考えることができます。そして、その時間形式は、「死者」が生の連続性の別名であると考えられることから、生命が意図するものにおいて要請されているのです。からだの現前性に関わることでそこに際立つ差異に向き合い、そうすることでおのずと分岐してくる二重の線をめぐる多様な現象は、土方にあっては「死者」との関わりを見出すことにおいて一つとなり、そして、そのような多様性を孕んだ一であるマトリックスとしての「死者」を仲介として、土方の舞踏表現は逆に「生命の線」へとまっすぐに繋がっていこうとするのです。
 そうした「死者」と「生命の線」として語られるもの、すなわち、からだの現前性に関わることで立ち現れるからだの歴史性や事実性といった潜在的なもの、そこに連続するものを扱うには、むろん素手では不可能です。からだという現象の背後に渦巻くその内容をベクトル的に示し、生という連続体に触れようとするには、それ特有の表現形式が当然に用意されていなければならないのです。私たちの目前にはまず連続するものとしてのからだの成り立ちがあると考えるわけですが、それをからだの事実性として多様な変動を抱えているものとして把握するためには、自己を不明にすることの形式がまずなければならないでしょう。次いで、自己を解かれた場に舞踏符の意図を機能させるためには、からだに変動を抱えたままで、一貫性をもったからだのアレンジメントを構成することの形式がなければならないでしょう。さらに、そのアレンジメントが「物語の意匠」に染め上げられることで、幾重にも抽象的な意味が付与されたものとして、すなわち個人を超えた時空的な拡がりをもったものとして立ち現せるためには、未来への方向性をもった何らかの表現形式がなければならないのです。ここまで見てきたように、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントをからだにおいて実現させようとするとき、そこには当然ながら厳密な形式が課されてきたわけです。その形式はおそらく、土方の言葉に沿って言えば、「死者」というマトリックスをからだに採集することの時間形式に裏打ちされているのです。
 時間について、土方は一般的な形式に異議を唱えています。

 人は時間を、過去があり、現在があり、そして、未来があると言う。しかし、そうじゃないよ。まず未来があって過去がでてきて最後に現在にいたる。
                          (中村文昭「舞踏の水際」2000年)

 とすれば、土方には、その表現の意図においてまず未来への意識があることになります。すなわち、舞踏の表現形式は、まず未来が意図され、過去が動員されることで、そこに現在が開かれる、という時間をめぐる運動形式のうちにあると考えられることになるでしょう。
 とはいえ、こうした時間をめぐる形式はむろん舞踏の表現に限られるわけではありません。時間をめぐるその表現形式は、ここでは検討する余地はありませんが、おそらく他の様々な表現とその形式を共有していることでしょう。土方は他の表現に見られる同様の表現形式を、逆に「あれも舞踏、これも舞踏」と、ある意味では傲慢とも言える態度で表現形式の同類性を指摘しているわけですが、それというのも、土方にはこうした表現形式を、からだの表現、すなわちからだの現前性自体を素材とする表現において、何らかの価値を得ることで満足することなく、ひたすら未来へと推し進めているという自負があったからであるように思います。表現の意図においてまず未来が意識されるいっぽうで、その未来を意図する局面にあって「自己とは無縁の位置で表現する」ことに執拗にこだわるのが、土方の舞踏表現における際立った特徴であるように思います。というのも、自己に囚われていれば、表現の現在を時間形式に関係なく固定してしまうことになるだけですが、自己が自明でないことで自ずと未来への方向が意図されることになるからです。
 こうした「自己とは無縁の位置」にあって、いったい何が注目されているのでしょうか。

Friday, August 17, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 二 物語・写真・配列

 舞踏家・芦川羊子は、「火気厳禁体として」(「現代詩手帖」1987年4月号所収)という文章で次のように語っています。

 何が舞踏的かと言いますと、踊りは踊るだけでは、なかなか外からからだが見えにくいので、土方巽は舞踏家が踊り始めると消えてしまう物語を、幾つも組み立てて踊りを作ってきました。一枚の写真を手に取る時も、この物語の側からの眼ざしで見ない写真は一枚もありませんでした。その時写真は舞台の記憶を離れて、幾つかの意匠を写し出した物語として出現します。その写真を一枚一枚丁寧に並べてゆくのは、もう一度踊るのと似て、楽しい作業です。こうして踊るときに消えた物語が再び組み立てられ、配列が決まると、また物語の意匠が消えて、写真の意匠がはっきりと見えます。このようにしてこの文章を組み立てました。

 ここに取り出したのは文章の最終部分であり、文章のほとんどは土方巽の言葉によって組み立てられています。土方の言葉とは、その多くが、土方が踊りの稽古をつける際に発した指導言語と言っていいものです。芦川はそれらの言葉の内容を扱うのではなく、かつて土方が発した言葉を新たに自身で組み立て、そうすることで、土方の発した言葉を支えているものをふたたびそこに立ち現させる仕方について、最後にいっきょに説明しているわけです。文章を組み立てる作業に伴うものがあって、それが「舞踏的」と言い表されているわけですが、それは踊ることとは異なり、反省的にしか示すことができない性格のものであるからでしょう。とはいえ、「舞踏的」と言われているように、ここには舞踏表現の成立過程といったものが示されているように思います。
 引用文を基にして、以下のような手順を考えることができます。

一)踊りだけでは、からだ(のアレンジメント)が外から見えにくい。
二)それゆえ、踊りをつくる際には、踊り手が踊り始めると消えてしまう物語を用意する。
三)たとえば、一枚の写真と共に物語が用意される。
四)その写真は、舞台の記憶を離れた現在においても、幾つかの意匠を写し出す物語として立ち現われる。
五)それらの写真を並べるのは、もう一度踊る作業に似ている。
六)こうして、踊るときに消えた物語がふたたび組み立てられ、からだの配列(アレンジメント)が決まる。
七)からだの配列(アレンジメント)が決まると、踊りを踊るときのように物語の意匠が消えて、写真の意匠がはっきりとそこに立ち現れてくる。
八)そうした仕方で、土方の指導言語を組み立てることができる。

 土方は、踊りの構成要素となる舞踏符をつくるに際して、まず素材を用意しました。そのうちの一つが「写真」です(それは様々な絵画作品の写真を含んでいます)。ここでは、最初はその写真が「幾つかの意匠を写し出した物語として出現する」が、「配列が決まると」、「物語の意匠が消えて写真の意匠がはっきりと」立ち現れる、と言い表されています。このことを、舞踏符がつくられ、そして振付けられるにいたる現場に沿って言えば、最初は、すなわち舞踏符をつくる際には、写真は「物語」としてそこに立ち現れているのですが、最終的に、すなわち振付けられた舞踏符を踊る際には、踊り手にとって「物語の意匠」と「写真の意匠」とが区別されている、ということになります。このことは、「意匠」をめぐるある種の変換過程がそこにあるとみなされているからではないかと思われますが、その変換の契機となる「配列」を、ここでは「からだのアレンジメント」と解釈しました。「からだのアレンジメント」とは、土方が舞踏符を振付ける際に、踊り手のからだに滲み入るようにして発せられる指導言語に応じて、踊り手のからだに具体化される神経の配列—関係設定というべきものがあるわけですが、そのことを指し示すこととします。
 何らかの「物語」を介して「写真—絵画」に立ち現れている意匠が、土方の言葉によって踊り手のからだに伝えられ、指導されると、踊り手のからだに配列—アレンジメントとしての意匠が立ち現れるのです。言葉を介して、「写真—絵画」から踊り手のからだへと移植されるような、「意匠」をめぐるある種の変換過程が舞踏符を振付ける現場で起きていると考えられますが、芦川の説明によれば、それはそれほど単純な過程ではありません。
 説明を繰り返しますと、まず「幾つかの意匠を写し出した物語として出現」する写真が目前にあり、その写真を並べることで「物語が再び組み立てられ」る。「意匠」はまだ目前にあります。このとき「配列—アレンジメント」を介することで(実際には舞踏符が振付けられ、舞踏符を踊ることで)、「物語の意匠」が消えて「写真の意匠」がそこに立ち現れる。このとき「意匠」は、踊り手において(むろん振付ける側においても)、両者へと差異化されていることになります。
 この「意匠」とは何か。辞書を繰れば、「意匠」とは「デザイン」であり、「工夫をめぐらすこと」とあります。それは何らかのかたちにおいて見えるものですが、その実、かたちとしてであると同時に、思考もしくは線として立ち現れているものでもあるのです。いわば、具体物のかたちを支えることにおいて際立つ抽象と言えるようなものでしょう。
「意匠」をめぐるこうした現象を、舞踏符が振付けられる現場に適用するならば、事情はかなりはっきりするのではないでしょうか。要するに、踊り手において「物語の意匠」と「写真の意匠」とが差異化されるとき、その「意匠」は抽象でもあり具体物でもあるものとして知られることになるのです。舞踏表現、すなわち踊りの内容として具体的に示されることになるのは、最後にはっきりと立ち現れるところの「写真の意匠」であり、それゆえ「写真の意匠」とは他でもない、舞踏者のからだにおいて具体的に際立つものであります。「写真の意匠」がからだにおいて際立つとすれば、すなわち、からだのアレンジメントとして立ち現れるのだとすれば、いっぽうの「物語の意匠」はある種の思考の線として踊り手のうちに際立っていることになります。そして、そのとき「写真の意匠」は、踊り手が個人として関わるところの単なる「配列—アレンジメント」ではなくなっているのです。それは「物語の意匠」が消えると共に立ち現れると言われていますが、その実それは、抽象ともいえる思考の線となった「物語の意匠」に支えられることで、踊り手の自己を解きほぐすようにして、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるのです。そうでなければ、舞踏表現は成立しないでしょう。
 こうして、最終的に踊り手のからだに際立つことになる「写真の意匠」、すなわち幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるその線は、「物語の意匠」である踊り手の思考の線と重なり合いながらも、その次元がはっきりと区別されることになるのです。踊り手はつねにそうした二重の線に立ち会っているわけです。言い換えれば、「線が線に似てくる」と言われているような、自らの線が他者(死者)の線と重なり、おのずと差異化してゆくところで、踊りは成り立つことになるのです。
 それでは、最初は目の前にあった「写真の意匠」、すなわちその対象—線は、具体的にどのようにして、幾重にも抽象的な意味が付与された線となって踊り手のからだにおいて主体化されることになるのでしょうか。このことについて考える前に、舞踏符を実現するためにここで取り上げられている三つの要素、すなわち「写真」、「物語」、「配列—アレンジメント」について簡単に述べておきます。
 まず「写真」とは素材のことです。それは通常の写真であり、また絵画作品等を撮影した写真も含められますが、そうした写真が、舞踏符をつくる際に素材として利用されるわけです。素材となった「写真」は、たとえば「土方巽全集二」に掲載されている、土方の手になる「スクラップ・ブック」のうちに見ることができます。そこでは一つの素材を介して様々な言葉が抽出され、舞踏符を振付ける際の指導言語となっています。たとえば「火気厳禁体として」の文章には、

 粉の身体、腹に目玉、粉の平面で見たことのない馬を描いた少女、色彩が通過する粉体としての色、きりや、かすみや、もやや、けむりの身体。ぶれる、なだれる、ずれる、ぼやける、にじむ、かすむ、霧の酔っぱらいが、霧のなかを抜けきれない状態、非常に急速な吸気性の怪

といった土方の言葉が記されています。こうした言葉の内容に沿って、素材のかたちや質感等、ひいては素材から抽象される「意匠」が、からだで模写されようとするのですが、このことから、写真はそのまま素材となって恣意的に模写されるのではなく、いったん土方の眼を通すことで素材となっていることがわかります。
 次に「物語」とは、「一枚の写真を手に取る時も、物語の側からの眼ざしで見ない写真は一枚もありませんでした」と語られているように、それは素材を見る土方の眼ざしのうちにすでにあるものと言えるでしょう。それは素材を具体的な表現へと組み立て、かつ表現の内容を支えることになるものと考えられますが、踊りを支えるものでありながらも踊りにおいてはその「意匠」は「消えて」見えることがありません。たとえば「火気厳禁体として」の文章では、

〈千畳敷きの畳の上で、大の字になって死にたい。無一物の世界へ入居せよ。それは今、現実から遙かに遠い聖地であり、楽園なのだ、私はそこに棲むべき人間だ。〉

といった短い「物語」が挿入されています。ここで語られている「物語」は、踊りを支えるものとして留意されながらも、決して踊りの内容として示されるものではないのです。
 最後に「配列—アレンジメント」とは、実際的に踊りを成り立たせている、踊り手のからだの全神経による配列—関係設定です。それは、舞踏符による振付け、すなわち素材から抽出された言葉による指導や、素材の「意匠」を模写すること等によって生じています。それは、外見的なかたちや動きを伴って私たちの眼に見えるものですが、実際にはからだの内部で瞬時に起きている粗大にして微細な現象なのであり、そのような二重性として見えてくるものです。「火気厳禁体として」の文章では、

 眼でしゃべる/耳の側の口でしゃべる/放物線、額の口でしゃべる/掌の口、首の後ろの口でしゃべる

と記されている箇所がありますが、ここには「配列が決まる」、すなわちからだにすでに了解されている「神経配列」が、さらに、そうした「神経配列」をさせる要因が、具体的に示されているわけです。ここでは「配列」として眼に見えるものを示すことはできませんが、というのも、「配列」させる要因は一定のものとして与えられるのに対して、その帰結としての「配列」は多様であるからです。とはいえ、「配列が決まる」という了解は恣意的なものではありません。それは、要因から帰結へと導く確かな過程としてもたらされているのです。
 こうして三つの要素を取り出してみると、「火気厳禁体として」の文章では、まず「配列」が決まり、次いで「写真」の意匠が示され、「物語」の意匠が示される、という順で導入部の文章が組み立てられていることがわかります。つまり事の次第が反省的に言い表されているわけですが、しかし、踊りをつくる際には、実際には土方の側から素材が用意されるわけであり、それはすでに「物語の側からの眼ざし」で特異化されていると考えられることから、まず「物語」がある、そう考えなければいけないでしょう。
 まず「物語」がある。「物語」とはいえ、それは通常の物語と異なり、そこには例で示したような、無時間的な、と言っていい内容が用意されています。いっぽう、踊りを踊る際には、「物語の意匠」は踊りの内容としては消えつつも、それは何よりも踊りを支える思考の線として欠かせないものであると考えられることから、そこには何らかの時間性があるだろう。というよりは、それが無時間性の「物語」であるとはいえ、「物語の意匠」には、思考の線の際立ちが連続するという意味で、ある種の「持続」がある、と考えられます。「物語」と「物語の意匠」とでは、その次元が当然異なっているはずです。それは、踊りを構想するのと実際に踊りを踊るのとでは次元がまったく異なるのと同じです。
 この「物語の意匠」とは何か。ある種の「持続」と言いましたが、このことに関連して考えられるものに、土方の「肉体の闇」という動的概念があります。それは概念というよりも、からだの現前性に向き合うことで際立つ「それ自身における差異」、そう言い換えることができる内容を指し示しています。すなわちそれは、からだに関わる視線がその視線とは異質なものを絶えずそこに内包する現象であり、そのように思考と体験へと分岐する線に同時に立ち会おうとする状態とその内容、そう言っていいものなのです。それは私たちにとって通常の視線を逸脱するものではありますが、とはいえ、たとえばそれは、日常私たちが夢の中で体験する強い気分のような、からだにある種の主題として立ち現れてくるようにして経験される思考のようなものに似ているかもしれません。夢に立ち現れるそうした主題—線は、夢として立ち現れるがゆえにそれは未生であり、また絶えずそれは変動していますが、いっぽうそれは夢という現象を一貫した体験として制御しているのです。そのように「持続」するものとしてからだに際立とうとする主題—線を、「物語の意匠」に比べることのできるものとして理解できるように思います。むろん、その主題—線を言葉にして表そうとするや否や、すぐさまそこに「物語」が紡がれることになります。言葉になろうとする手前で、夢がそうであるように、未生にして変動する思考の働きがある種の一貫性としてからだにおいて示してみせるような、そのように主体的に立ち現れる線を、「物語の意匠」を考える際に、私たちはそれに類するものとして想像することができるのではないでしょうか。それゆえそれは、夢と同じように、何よりも自己とは無縁の働きなのです。私たちは、ある種の夢の体験のさなかで、自己が不明であるところにこそ、様々な抽象力を具体的なかたちにして捕獲してみせます。そのとき、(夢見る者にとって)自己であるはずのものが次々と変動するに応じて目の前の対象をも変動させてゆくその線は、そこに決して具体物を生み出しているのではないけれど、あくまでも具体的な感覚を伴って示してみせるのです。
 踊りを踊る際には、言葉にすれば矛盾することになりますが、そうした未生にして具体的な思考の線が少なくとも必要とされているように思います。芦川羊子は、自ら踊るその踊りの主題をめぐって次のように語ってみせます。

「フサ 死ぬときの夢」というのは、「フサ」という人物が、死ぬ間際に見た泣いている杭だとか、食べたかった果物、底光りのする青いゴム長靴、まあ、あの世の淵に立っているいろいろな人や物と交感していくというようなものです。
                           (「新劇」 1987年12月号所収)

 踊りに際して「フサ」を主題とするとはいえ、芦川は「フサ」その人を踊るのではありません。「フサ」という変動する線がからだに抱握され、その変動に立ち会いつつ、踊るのです。そうしたことができるのも、ここで見られるように、「フサ」をめぐる「物語の意匠」が、私たちの思考の線に沿うことのできる、あくまでも具体性をもったものとして抽出されているからではないでしょうか。
 いっぽう、「物語」の具体性に対して(「物語」にも抽象性はありますが)、素材としての「写真—絵画」には抽象性が孕まれています。というよりは、人の手によって描写された「写真—絵画」には、目前の具体物を介して抽象を取引するという意味で、抽象性を交換した跡が示されている、と言っていいでしょう。それゆえ、抽象性を交換する場としての素材、というものを考えることができます。そして、その抽象性を交換する場においてこそ「意匠を写し出した物語」として立ち現れてくるものがあり、またそれを見出す視線も存在することになるでしょう。土方には、素材としての「写真—絵画」を、抽象性を交換する場とみなす感覚がつねに働いているように思われます。そして、「踊りの場合は、本能をつくろうとした少年体そのものがカンヴァスなわけです」と言われるように、おそらく、抽象性を交換する場に注目する感覚というのはきわめて身体的な感覚なのです。そうであれば、そこに「意匠を写し出した物語」が立ち現れてくるとき、すでにからだに「写真の意匠」が萌芽しているのです。というよりは、「物語の側からの眼ざし」でもって抽象性を交換する場に立ち会うとき、からだにはもう抽象的諸力が渦巻くようにして張り詰めている、そう言っていいでしょう。したがって、そのときにはもう、「物語の意匠」の線が重ねられるだけで、踊りを用意する者のからだに抽象的諸力が主体化される準備はすでにできていることになります。「意匠を写し出した物語」が「物語の意匠」へと展開されてゆくという手順があるのではなく、まず「物語の意匠」があり、「物語の意匠」を介することで、抽象的諸力が多様なものを帯びて、具体的に素材から捕獲されようとするわけです。
 しかしながら、「写真の意匠」は最終的に踊り手のからだに際立つものです。多様なものとして抽象力を孕んだ「物語の意匠」が初めから土方のものであるのに対して、「写真の意匠」は踊り手のからだにおいて主体的に立ち現れるのでなければなりません。「火気厳禁体として」ではこのあいだの事情は語られていませんが、そのことはどうなっているでしょうか。要するに、土方の思考の線から踊り手のからだへと、「物語の意匠」が「写真の意匠」として主体化されるその移植はどのようになされるのでしょうか。
 舞踏符を振付けることでからだに生じる「配列—アレンジメント」が移植の手続きとしてある、と考えられます。「物語の意匠」に支えられて「写真—絵画」から抽出された指導言語が踊り手のからだと突き合わせられるとき、そこにおのずと「配列—アレンジメント」が生じます。その「配列—アレンジメント」は、踊り手のかたちや動きに伴うものとして見えると同時に、かたちや動きの要因となるものでもあります。つまり、「配列—アレンジメント」とは、からだのアレンジメントとして「配列される」のであると同時に、「配列する」ことなのです。それゆえ、目の前の素材としての「写真—絵画」を「物語の意匠」に沿って配列することは、踊り手のからだにそうした要因を想起させることになり、それは「もう一度踊る作業に似ている」と言われています。そこに、いったん「配列が決まる」。すると、「物語の意匠」は消え、「写真の意匠」が具体的なアレンジメントとしてからだに際立つことになり、ここに移植が成立しています。
 とはいえ、「配列が決まる」というだけで移植を成立させることにはならないでしょう。それは、それほど単純な過程ではありません。しかも、このとき「物語の意匠」が「消える」のはなぜでしょうか。「消える」ことの意味、あるいは「消す」ことの操作のうちに、「配列が決まる」ことによる、移植をめぐる重要な手続きがあるように思われます。
「物語の意匠」は踊り手のうちに「持続」する主題—線となるものと考えられますが、その内容は、からだに渦巻く抽象的諸力を多様なものとして具体的に捕獲しようとする際に、思考の働き、あるいは思考のダイナミズムと言っていいでしょうか、そうした思考の力を代表するものと考えられます。それに対して、「写真の意匠」として立ち現れようとする幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントは、代表としての思考の線が「消える」ことで、あたかも代表を失って喪に服するかのように、有象無象の群れとしてからだに立ち現れることになるのです。線が(他者の)線と重なり合い、差異をおのずと示す場にあっては、からだに縁を結ぼうとするものの方がかえってはっきりと立ち現れてくるのです。そしてそのとき、差異を示す場を操作する仕方、実践する仕方が、「配列が決まる」という能動的な契機のうちにありはしないでしょうか。すなわち、「配列が決まる」とは、思考の力動の高まりをその高まりにおいて「消す」ことで、背後に渦巻く抽象的諸力をからだのアレンジメントにおいて実現させる、そうしたある種の技能なのではないでしょうか。そのとき、「物語の意匠」という代表するものは潜在化することで、土方の言葉で言えばそこに「あらない」という仕方で、抽象的諸力の具体化に身を捧げることになるのです。そうした仕組みにおいて、幾重にも意味が付与された抽象力をからだのアレンジメントとして供給することができるのではないでしょうか。このように、「写真の意匠」と「物語の意匠」とは、一方によって他方を多様なものとして相互に際立たせ合う、といった仕方で密接に重なり合っているのです。両者は思考による扱いにおいて差異化されることになるとはいえ、からだの現前性に向き合う局面にあっては分ち難いものと知られているのではないかと思います。そして、そうした位置取りにおいて「配列」を操作する技能があり、技能を駆使することでそこに立ち現れるアレンジメントの連続、すなわち踊りは、各自において主体化される、そう考えることができるのではないでしょうか。
 舞踏の表現においては、「写真の意匠」こそ、からだのアレンジメントとして踊りの主体となるものです。それは単なるアレンジメントではなく、「物語の意匠」に沿って「配列」を操作する技能により、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくることになります。それゆえ、注目すべきは、踊りが成立するときには「物語の意匠」は「消えて」いるという指摘です。すなわち、このとき「物語の意匠」がアレンジメントを支え、アレンジメントに幾重にも意味を供給しているにもかかわらず、それを実体とみなしてはならないのです。というのも、舞踏の表現において、からだのアレンジメントが多様なものとして変動しうるのは「物語の意匠」が変動するからなのであり、したがって「物語の意匠」が実体化されるや、変動するからだのアレンジメントを支えられなくなってしまうからです。
 言い換えれば、舞踏符の連続によるからだのアレンジメントの構築は「物語の意匠」に支えられているわけですが、その「物語の意匠」はといえば、からだのアレンジメントを支えるとはいえ、踊り手自らの抽象的諸力を描写するものとなるために、あらかじめ捏造されたものなのです。この捏造は、舞踏表現の手続きにおいて重要な役目を果たしていると思われます。というのも、思考の線としての「物語の意匠」を手だてにしてそれに沿った「配列」を操作する技能が能動的に駆使されるのは、「物語の意匠」が捏造であることで、逆に踊り手のからだを素材にして、いかなる抽象的諸力をも扱うことが可能となるからです。そして、一転してその内容が潜在化することで、幾重にも抽象的な意味を付されたアレンジメントが、それがいかなる内容であれ、踊り手のからだにおいて主体化されることになるわけです。「物語の意匠」が捏造であろうとも、個々のからだが表現するものは踊り手のもの、すなわち表現者による具体的な所産であるからです。このように、移植の手はずを考えることができます。

Thursday, August 16, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 一 生命の線

 表現には、文学、絵画、造形、音楽、舞踊、演劇、映画など、様々な表現形式があります。舞踏は、舞踊一般と同じくからだを素材とする表現形式ですが、表現する者が自らのからだに関わることの即自性においてその表現が成立しているという点で、他の舞踊表現とは異なっているように思われます。舞踏は、からだの現前性を素材にしているのです。どういうことかと言えば、舞踏は、からだに関わる視線の逸脱をそのまま身体表現として示そうとするのです。そして、そのことによって、舞踏の表現には何よりも、他の表現と比べて具体的な価値に還元し難い面があるように思われます。
 たとえば、「舞踏」の名のもとにその技術上の探求が着手されたとき、土方巽は次のように語っています。

 するするとつながっていく生命の線は、線が線として現れてくるような滑走のしかたで、そういう衝動や過程も含めて生きのびるのであろう。が、そういう過程も含めて、本来形というものは到達不能なものとして薄ぼんやりと表れてくるものではないだろうか。それは、逆に形を表そうという意図のもとに必死に線そのものに立ち合っている姿と、いかなる関わりあいをもつものか。そのあからさまに意図された形、またそのための過程と、何らかの形を表そうというのではない線の過程とは、どう違うのか。その違いは、一体何によって覗かれているのか。この過程の介入を、どう覗きかえしているのか、という興味がずるずると介在してくるわけだ。
               (「線が線に似てくるとき」現代詩手帖1974年10月号所収)

「舞踏家の眼玉はどこについているか」という詩人の瀧口修造の問いに対して土方が提出しているのは、舞踏の稽古をする際にからだに立ち現れてくる「形」と「線」に向けられた特異な視線です。からだに関わるこうした視線には、形が見える視点と見えなくなる視点とが混淆しているわけですが、からだの現前性を素材にしようとする表現に際しては、そのように形と線が入り組むところにどうしても注目せざるをえないのではないかと思います。そこでは、「あからさまに意図された形、またそのための過程」と「何らかの形を表そうというのではない線の過程」、すなわち形を導いてくる線の過程とそうではない線の過程というふうにして、否応なく差異が生じてしまうのです。そうした過程の差異はどのように生じているかと土方は問うているわけですが、からだの現前性に向き合おうとする視線にあっては差異はおのずと生じるのであり、というのも、両過程は、土方が「生命の線」に焦点を当てようとするときそこに分岐する現象としておのずと知れる、そう見当づけられているものだからではないでしょうか。
 こうした分岐があるのは、からだに関わる視線が、それとは非等質であるものを絶えず内包してゆくからです。たとえば、からだの現前性に向き合うことで、現在をめぐる即自的な形(それは「到達不能なものとして薄ぼんやりと表れてくる」)があらわになるばかりでなく、その即自的な形を支える歴史性の線が、「それ自身における差異」の働きのうちに否応なく、薄ぼんやりとした灯りのうちに連れ出されてくることになります。こうした分岐する現象を他者があらわにするもののうちに見るのではなく、自らその分岐の現象に関わってゆくことは、すでにして逸脱です。そして、そのようにからだに関わる視線がおのずと逸脱してゆくとき、言い換えれば、土方がからだの現前性に向き合うことで際立つ差異のうちに「覗かれ」そして「覗きかえす」とき、「衝動」すなわち現在的なものと、「過程」すなわち現在を支える歴史的なものとを伴うことで、逆に「生命の線」がからだに生きのびようとする、そうした体験を、その経緯を、土方はここで反芻しているように思われます。
 そうだとすれば、舞踏の表現には、からだの現前性に関わることでそこに際立つ差異に向き合い、そうすることでおのずと分岐してくる二重の線の現象を従え、そのことによってからだに「滑走」してくる「生命の線」を捉えようとする、そうした確かな意図がある、と考えることができるのではないでしょうか。はたして、そのことは舞台上で具体的にどう実現されようとするのか、舞踏の表現形式を検討することによって、以下に考えてみたいと思います。
 ちなみに、舞踏の表現形式として認められるものに舞踏符による振付けがありますが、それについて言えば、たとえば同一の舞踏符が振付けられる場合であっても、土方巽の踊りと芦川羊子のそれとではおのずと異なった印象を与えています。むろんそこに立ち現れてくる形には違いがあるし、質的にも異なる線が際立たせられることになります。したがって、ある舞踏符が振付けられることで、それに相当する形を表し、相当の質を際立たせることができるはずだ、といった意味での表現形式は存在しないと考えられます。いかなる表現においても、その表現形式は鋳型のように存在しているのではありません。舞踏の場合も同様です。価値に還元し難いことにおいて他の表現と異なると思われる舞踏のその表現形式は、もっと別のところに重点を置いているはずです。それは、踊り手に立ち現れてくる「意図された形」ではなく、形を表すことにおいて踊り手が「必死に線そのものに立ち合っている姿」にまず注目しているのです。