Saturday, November 03, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 五 死者と少年

「病める舞姫」というテキストには、舞踏の表現形式を考察するうえで参照すべき文章展開が散見されます。たとえば、「舞踏の欲望」でも引用しましたが、以下のような展開があります。(引用文の末尾括弧内の数字はテキストの相当箇所を示す。)

 確かに私にも、サイダーを飲んだりしてはしゃぎ踊ることもあった。しかしめりめり怒って飯を喰らう大人や、からだを道具にして骨身を削って働く人が多かったので、私は感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつくようになっていた。あんまり遠くへは行けないのだからという表情がそのなかに隠れていて、私に話しかけるような気配を感じさせるのだった。この隠れた様子は、一切の属性から離れた現実のような顔をしていたが、私自身も欠伸されているような状態に似ていたので、呼吸も次第に控えめにならざるをえなかった。私のからだは喋らなかったが、稚いものや羞じらいをもつものとは糸の切れているところに宿っている何かを、確かに感じとっていたらしい。からだは、いつも出てゆくようにして、からだに帰ってきていた。額はいつも開かれていたが、何も目に入らないかのようになっていた。歩きながら躓き転ぶ寸前に、あっさり花になってしまうような、媒介のない手続きの欠けたからだにもなっていた。そういうからだを手術しようとも私は思わない。手術できるものでもないだろうが。あまり楽しいときは、踊らないことにしているのだ。(一)

 楽しいときに「はしゃぎ踊ることもあった」子供時代の記憶から、「あまり楽しいときは踊らないことにしている」という現在のからだの言及へと移行しているのがわかります。むろん「踊り」の意味内容も前後で異なっていますが、その文章展開はどうなっているでしょうか。
 まず、土方である「私」と少年である「私」との差異を念頭においてみなければならないわけですが、行為と評価の入り組みという観点からすれば、「病める舞姫」では主に、少年である「私」が行為し、土方である「私」がその行為もしくはアレンジメントを評価する、といった仕方で文章が展開されているとみなすことができます。
 少年は楽しいときに「はしゃぎ踊ることもあった」が、周囲にはからだをモノのようにさせ、モノのように操作する人たちがいたので、感情が形成される手前の抽象力だけに関わるようになっていた。この少年のすがたに、「あまり遠くへ行けないのだから」という、時間を見透かすような表情が疼いているのに土方は注目しています。すなわち、少年の表情として現れているアレンジメントにそうした評価を与えているわけです。そうした評価がすぐさま土方の方に反射してきますが、抽象力のうちに疼いているその表情に注目することで、そこから「一切の属性から離れた現実のような顔」が少年のアレンジメントとして立ち現れてきます。そうしたアレンジメントに立ち会う土方の方はといえば、そのときもう主客が逆転する一歩手前といった状態です。その後の展開は、少年のからだのアレンジメントに少しずつ差異がもたらされながら、「一切の属性から離れた現実のような顔」という一貫した内容をめぐって立ち現れながらも異なるアレンジメントの反復となっています。そして、反復によって生じる土方による評価の差異を示すことで、そこに変動する身振りと共に、からだをめぐる変換が示されようとしているのでしょう。最初の「私」は「少年」ですが、次第にその「私」のからだは土方の現実のからだに移行していくという展開になっています。すなわち、少年の自然的からだは、最終的に、土方の現在における「媒介のない手続きの欠けたからだ」へと変換されているのです。その変換は、少年の自然的からだに特有なものが抽象されて、現在の土方のからだにおいて別のかたちで表面化している、すなわち裏返しされている、といった過程であるとみなすことができます。
 舞踏の<主観性>に沿って言えば、子供時代の記憶、すなわち少年のアレンジメントの萌芽として立ち現れる抽象力が、行為と評価を介して、その抽象力が保持されつつ土方の現在のからだに抱握されて、内部が外部へとめくられるようにして、(神経配列であるところの)事物性として表面化しようとしている、という展開となっているわけです。その裏返しの過程において「踊り」の内容が暗に展開され、変換され、結果的に別物になっているようです。
 また、次のような展開があります。

 二つの存在であるかのように、亀を持った一人の少年が私のそばに立つことがあった。私のまわりでは灰はいつも素直に崩れていた。私は、まわりのものをつなぎ止めるかのように口から霧を吹く大人のそばで、紙袋に入った明かりを透かしたり、持って歩いたりしていた。私の痩せたからだを品評しているような空気が、そこいらにはあるのだった。いろいろなものがめくられ、そこには洞もできていたが、その洞に包まれてあるものは死ぬようにできている、というかすかな微笑を私は察知するのだった。麻糸の臭いを嗅ぐ獣が彷徨っているように私は蚊帳を出たり入ったりしている。私はまだ聞こえていない音の、そのまわりに崩れていったが、ときにわけの解らない、形をもっていないようなものが、判然とした事物の姿を示してくるようにも察知された。お日様が昇ると、何人もの言葉になって、見えなくなるからと、一人で夜気を吸っているようなところもあった。(二・冒頭)

「二つの存在であるかのように」というのは、土方の中での少年の判別化を示しています。そのように少年の存在が際立たせられるいっぽうで、同時に立ち現れる少年の周囲は、立ち現れたかと思えばすぐに崩れるといった、薄暗い光景として描写されています。その周囲は薄暗いが、死者の気配があり、そこには時空の萌芽さえ察知されているようです。土方は、少年とその周囲を出入りしようとします。すなわち、その判別の仕様は異なるけれども、少年と少年の周囲とが土方から判別されており、土方が、少年の行為とその周囲の時空萌芽との両方を評価しようとするのです。したがって、「二つの存在であるかのように」というのは、少年の判別化であると同時に、結果的に少年の周囲の判別化となっていることにもなるわけです。とすれば、少年の周囲には「洞もできて」、「その洞に包まれてあるものは死ぬようにできている」というのは、少年は周囲(である)死者を連れ添い、周囲(である)死者は少年と縁を結ぼうとして立ち現れるといった意味で、両者はセットになっているということなのでしょう。そして、こうした少年と周囲(である)死者との親密な関係において立ち現れるものを、すなわち「微笑を」、「私は察知する」その「私」とは土方であり、そのことを描写して、「私は蚊帳を出たり入ったりしている」ということになります。「獣が彷徨っているように」、土方は少年とその周囲を出入りするのに動物的な感覚を駆使しています。それは闇に親しむ感覚でもあり、闇に親しむようにして自ら崩れることで、逆に周囲(である)死者が「事物の姿を示してくるようにも察知され」るのです。
 要するに、ここでは、土方である「私」から少年が判別されると同時にその周囲が判別される手順が示され、土方はその両方に関わろうとすることで、ことに少年の周囲として立ち現れるものの特異性が提示されているわけです。周囲が特異であるのは、それが立ち現れるかと思えばすぐに崩れる、すなわち変動するからであり、その変動を判別する仕様が少年の判別とはまったく異なるからです。両者の判別の差異に関わるのに、「蚊帳を出たり入ったりする」という比喩がなされていますが、それは蚊帳をめぐる体験が、蚊帳の内から外の暗い光景を見るのと、蚊帳の外から中にいる人のその「洞」のような表情を見るのとでは、異なった様相を示すからです。言い換えれば、少年という素材としての主体に関わるのと、その素材としての主体に付き添ってくる抽象的諸力に関わるのとでは異なる仕様であることで、そこには「蚊帳を出入りする」、すなわち、蚊帳をめくって内部に入り(内部の視線をもち)、また蚊帳をめくって外部に出る(外部の視線をもつ)といったようにして、視線においてすばやく裏返しされる仕方が展開されている、と考えられるわけです。

 春先の泥に転んだ時の芯からの情けなさが忘れられない。喋ろうとしているのに喋られたような、泥に浸されて下腹あたりにひっ付いた木の瘤が叫びを上げているような、自分という獲物がそこに現われているのだった。癇癪玉も、破片のように考えられるものも泥で湿ってしまっていた。転んでいるからだは確かにえじきのようでもあったし、飛びかかってやりたいようなものでもあった。しかしそれもまた心の中の出来事がかたちをおびて見えてきているのではなく、ただ泥にまぶされた切ない気分となってそこに現われているのであった。
 泥の中で床上げされているようなからだに薄い泥の皮膜がひっ付いていた。泥の中でからだがすっかり振り出しに戻ってしまったように変わっていったのだった。目を醒ましていながら眠っているような赤子が一つの穴を見つめている、そんなふうに自分のからだを覗き込む私は、泥溜まりの中でからだをずらしたり、しきりに泥溜まりの中で赤子の顔をいじくったりしているのだった。こんな泥の中にどうして赤子の顔が転がり込んできたのか。ともかくそれはもて遊ぶようなものではなかった。その頃の私の周りには火薬の臭いがいつも漂っていて、姫鏡台の前にお膳を運んで、そこで食事をするようなことをしていた。(三・冒頭)

 二つの段落になっていますが、最初の二行はそれぞれ同じ内容を言い換えています。
 前の段落では、子供時代に経験した、春先に泥にまみれた「自分という獲物」が見出されている感覚が、現在の土方のからだにあくまでも「切ない気分となって」現れている、そう言い表されています。いっぽう、後の段落ではそうではありません。「泥の中に赤子の顔が転がり込んで」います。そのことを土方も不思議がっているわけですが、すばやく「火薬の臭い(—癇癪玉)」や「姫鏡台」へと展開されています。すなわち、後段では何らかの気分となって現れているのではなく、泥の中での確かな視線が立ち現れているのです。「赤子の顔」というよりは、「目を醒ましていながら眠っているような赤子が一つの穴を見つめている」その視線を言うのですが、土方は「赤子の顔が転がり込んできた」と、その視線をあたかも事物のように描写しています。いっぽう、その視線は、「そんなふうに自分のからだを覗き込む私は」と言われているように、土方の視線とも重なっています。ここには錯誤があります。錯誤があるけれども、そこには土方のからだが少年のからだの現前性に関わろうとする成り行きがみてとれるでしょう。
 泥と少年と赤子という要素が分かち難く土方のからだに立ち現れているわけですが、そのうちの泥と少年とは「喋ろうとしているのに喋られたような」表裏の関係にあり、そこに招き入れられる赤子には「もて遊ぶようなものではない」抽象的諸力が漲っています。この泥という無形にして何もかも呑み込むものを、土方が少年のからだの現前性に関わる感覚を言い表していると考えてもいいでしょう。そこに赤子が招き入れられることで、少年と表裏一体のからだの現前性に関わる視線を土方に与えることになるのです。その視線が、「目を醒ましていながら眠っているような」と、具体的に言い表されています。要するに、赤子とは、土方が少年を判別し、そのアレンジメントだけではなく、そのからだの現前性をも感知しようとする際に体験されている純粋状態のようなものを言い表しているのではないでしょうか。
「癇癪玉」とか「<姫>鏡台」というのは、主客の逆転というカタストロフィックな状態が生じる前のすれすれの感覚を示唆しているように思われます。こうした状態は、最初に引用した箇所でも見られたように、幾度か繰り返されています。このことから、土方は自身の状態を制御しながら、慎重に文章展開をしていると考えられます。

 耳から入った音が、口から旅に出ていくようなことはなかった。浮かぶ女、飛ぶ男、ガラリと障子を開ける大人、こうしたいくらか予診めいた動作には、答えようもない質問が匂っているのだった。そんな人達には、あまりにも、やさしい皮膜がついていたから、視覚だけではとらえられないのだった。その人達はみんな、くるりと裏返しされたばかりの人で、裏返されたばかりの世界に住んでいたから、あのようにはっきりと配列されていたのかもしれない。欲していることが、抱きすくめられるような暗がりにさしかかって、ようやく動きが少なくなっていることに私は気付いた。こんな暗がりに、しぼしぼした老婆がもぐり込んできて「どこの兄ちゃかね。」と聞かれもするのだった。私のからだが、私と重なって模倣しているような、ちらちらしたサインにとらえられていた。そこでくびれた私はひとまず雲の形でそこに潜んでいた。(三・末尾)

 前の引用では、「私はまだ聞こえていない音の、そのまわりに崩れていった」と、少年の周囲に添い寝するような仕方がみられたわけですが、ここでは、今や「耳から入った音」が分節化されることなく、少年の眼差しを抱握した土方のからだに折り畳まれていることになります。そうしたからだを診断するようにして、様々な人物が立ち現れてくるのです。未だ地層化されていない死者(からだの事実性)が、土方によってとらえられようとしているわけです。死者には「やさしい皮膜がついていた」というのは、前の「泥の皮膜」と同じと考えられることから、死者は少年のからだの現前性と密接な関係にあるのでしょう。「視覚だけではとらえられない」のは、少年のからだの現前性が土方においてつねに変動しているからです。
 さらに、死者は「くるりと裏返しされたばかりの人で、裏返されたばかりの世界に住んでいたから、あのようにはっきりと配列されていた」。死者は、土方のからだにアレンジメントとして立ち現れているのです。すなわち、死者というからだに埋没している事実が土方のからだに抱握されて、事物として土方のからだに立ち現れているのです。ここでは土方と少年は判別されていないかのようですが、アレンジメントとして立ち現れる死者は、少年の眼差し、すなわち少年のからだの現前性が仲介している、と考えられます。たとえば、次の章で描写されている田植えの光景には、そのことが鮮やかに示されています。それゆえ、その少年の眼差しの仲介にこそ、「裏返されたばかりの世界」が立ち現れてくる仕組みが見出せるでしょう。そして、そこにもまた、死者の行為もしくはアレンジメントが立ち現れ、それに対する土方の評価があるのです。土方がただ欲する仕方では、そういうわけにはいかないのにちがいありません。少年の眼差しに連れ添って来る周囲の薄暗がり、それは死者(からだの事実性)であるわけですが、それが土方のからだで「抱きすくめられる」ように裏返しされることで、土方のからだにアレンジメントとして立ち現れるのです。土方は、そうした死者(からだの事実性)と自身のからだが重なるアレンジメントに、自分の欲するものの徴候を認めています。

 以上に展開の例を示したわけですが、その文章展開において、少年・死者・土方はいったいどういう関係にあるのでしょうか。ここではテキストの最初の部分を取り出しただけですが、これら三者が織り成す関係性をみるために、展開のその内容を、少年・死者・土方の絡み合いの観点から再検討してみることにします。まずは展開の内容を、少年・死者・土方の関係に沿ってまとめてみます。
一)少年のアレンジメントの萌芽として土方のからだに立ち現れる抽象力が、少年の行為とそれに対する土方の評価を介して、その抽象力が保持されつつ土方の現在のからだに抱握されて、土方のからだにアレンジメントとして表面化してくる、という展開がある。
二)土方である「私」から少年とその周囲が判別され、土方はその両方に関わろうとして、少年の判別と同時に少年の周囲—死者が特異性を帯びて描写される、という展開がある。周囲—死者が特異性を孕んでいるのは、それが絶えず変動し、その判別の仕様が少年の判別とは異なるようにしてなされているからである。
三)泥という無形にして何もかも呑み込むものを、少年のからだの現前性を言い表していると考えることができるが、そこに赤子という純粋状態的な視線が招き入れられることで、少年と表裏一体のからだの現前性に関わる視線を現在の土方に与えることになる、という展開がある。その視線の特徴は、「目を醒ましていながら眠っているような」と言い表されている。
四)少年のからだの現前性が仲介することにおいて立ち現れる「裏返されたばかりの世界」(である)死者があり、そこにも死者の行為と土方の評価が働いている。すなわち、少年の眼差しに連れ添って来る周囲の暗がり、それは死者(からだの事実性)であるが、それが行為と評価を介して土方のからだに抱握されることで、土方のからだにアレンジメントとして立ち現れる、という展開がある。

 ここに抜き出した例だけから判断するのは不十分であるとはいえ、こうしてみると、テキストの早い段階で、少年と土方のあいだで展開される二極間の関係が、少年を仲介として死者と土方のあいだで展開される三極間の関係へと変換されようとしている、と考えられはしないでしょうか。土方が努めて自身を制御しながら文章展開しているのは、おそらく土方にとって容易に陥ることになる少年と土方との間で生じがちな主客転倒に終始しないよう、ことさら配慮しているからではないかと思われます。というのも、土方にとって少年とのやりとりも大切ですが、それ以上に、少年の周囲に立ち現れる死者(からだの事実性)とのやりとりが肝要であるからです。そしてそのためには、少年とのやりとりは、少年の眼差しを仲介とすること、すなわち少年のからだの現前性に関わる視線へと、その仕様が変換されなければならないのです。そうした意図があることから、もとより死者と少年と土方は三身一体であるわけですが、それぞれの局面が厳密に差異化されている、そう考えることができます。ことに少年の眼差しは、土方のからだの現前性に替わるものとして土方を死者へと仲介する働きをしていると考えられ、「病める舞姫」の表現を実現させるのに不可欠な役割を担っています。こうしたことから、ここで土方が志向する、表現における素材であり主体であるものは少年である、そうみなすことができるでしょう(「病める舞姫」の最終場面直前に少年は雪中深く埋没し、埋没することで場面はいっきに転換するが、そのことはテキストにおける少年の意義をよく示している)。
 その少年の性格についていえば、少年は絶えず周囲と交感しています。そして、周囲はいまだ対象ではありません。周囲とのあいだにイメージさえも介在させることなくその繋がりが保持されているのです。一般的に子供は成長するにつれて周囲はモノとしての対象、そしてイメージへと捉えられていきますが、少年はまだ周囲とのそうした人間中心の関係を形成してはいないのです。そのように未成熟な少年を素材としての主体とすることで、言い換えれば、少年のからだの現前性が土方の現在のからだに抱握されることで、そこに特異な周囲が連れ添ってくるのです。
 まず、少年の眼差し、すなわち少年のからだの現前性を自らのものとするために、事物性としての少年が差異化されています。少年は土方のからだにおいて事物性として立ち現れてくるのであり、要するに、少年はアレンジメントなり行為を伴っているのです。そのアレンジメントは、土方の反射的な評価と共に即座に変動します。そうしたやりとりから、少年の事物性は粒子の流動状態として感知され、そうした変動状態にある少年が、少年のからだの現前性として土方に体験されることになります。
 そして、次なる段階において、少年は仲介者として判別されます。少年が判別されると、それと同時にその周囲である死者が判別されるという局面があるからです。少年の判別と周囲である死者の判別の仕様は異なっています。要するに、踊り手はまず踊りの素材としての主体を判別するのであり、判別することで、その素材としての主体の周囲にそれとは質の異なる抽象的諸力がおのずと連れ添ってくるのを感知するのです。そして、素材としての主体と抽象的諸力の両方に、異なる仕様で関わろうとするのです。異なる仕様は、蚊帳の例で説明されています。それは、蚊帳の内部と外部を行き来する仕方として示されています。すなわち、蚊帳の内部から見れば外の暗さに面するばかりであるが、そのまま外部に出て暗さに面している内部の表情に接すれば、そこに見慣れぬ形相を見ることになる。その表情はおそらく、「一切の属性から離れた現実のような顔をして」いるでしょう。そして、すぐさま内部に戻ってその顔(からだの事実性)に重なれば、そこに周囲の暗さが連れ添っているのを、身をもって判別することができるのです。
 ここには、見知らぬ形相になること(内部から外部を見る)、その形相を外部から見ること、そして見知らぬ形相の抽象力を保持したまま、少年のからだに重なること、という三つの手続きがあります。こうした手続きを経るのに、少年という素材としての主体が必要とされている、と考えられるわけです。たとえば、身近な例でいえば、夢を夢の体験のままに伝えようとするとき、これと同じような手続きが必要とされるでしょう。まず夢の体験があり、夢の想起があり、そして夢の描写があります。これを言い換えれば、まず内部から外部を(対象として)眺める夢の体験があり、それを今度は夢の体験の外から見ようとする想起があり、そして内部から外部を眺める夢の体験の抽象力を保持しながら夢の体験に重なるようにしてなされる、何がしかの描写がある、ということになります。夢を描写するには、夢の想起という、夢の外部から夢の体験を捉えようとする視点では不十分です。あたかも「目を醒ましていながら眠っている」ような状態で、それはなされなければならないのです。
 こうしたことから、まず少年を判別し、少年のからだの現前性が自らのからだに抱握され、そこに立ち現れるすがたをいったん外から確認する手続きを経て、そのまま少年のからだの現前性に舞い戻ってそこに自らのからだを重ねるといった、少年と死者をめぐる表現を実現させるための具体的な過程があると考えられるのです。要するに、そのような内外の出入りの手順を踏むことで、土方の現在のからだに死者が連れ添ってくるのです。抽象的諸力としての死者が、少年のからだの現前性を仲介にして、事物へと裏返しされるような手続きを経て土方のからだに表面化してくるのです。すなわち、土方のからだに具体的な神経配列として立ち現れてくるのです。
 少年が仲介者であるとは、内外の出入りを可能にするという意味で二重の働きが重ねられたからだの現前性を示唆している、ということになります。少年は、「目を醒ましていながら眠っている」ようにして、つねに変動しているのです。少年と私との行為と評価の入り組みが周囲の薄暗い光景を連れてくることになりますが、どちらかといえば、少年の周囲は、少年の事物性であり流動性である線と縁を結ぼうとして立ち現れるのではないかと考えられます。少年という変動する線が、変動する周囲を連れてくることができるのです。そして、少年は周囲を連れ添うことで二重の働きをすることになり、そこに連れ添う抽象力を保持したまま、具体的なアレンジメントを伴うようにして変動することになるわけです。こうして抽象力としてのアレンジメントが踊り手のからだに表面化されることで、すなわち踊り手のからだの現前性が何らかの具体性として立ち現れまた消えることの連続において、はじめて私たちはその現前性に息を合わせることができるのではないでしょうか。
 少年とその周囲の現象は、過去をめぐる記憶の想起を逸脱しています。その想起は錯誤かもしれません。とはいえ、その想起には少なくともからだの現前性という確かなプロセスが反射しているでしょう。差異がいったん際立つと、想起の作用は止まることがありません。想起は、記憶の記録化、記憶の統制、記憶の同一性といった、外部から把握し、記憶を凝固させる視線に抗するようにして、その変動をやめないからです。そして、まさにそこにからだの現前性に面接する契機があるわけです。記憶を単なる記録に還元することには問題があるのです。変動する想起からすれば、記録には想起の作用とは別種の意図があるようにみえるのです。少なくとも言えるのは、想起の現前的かつ動的な局面が、私たちのからだの現前性を反射することになるだろう、ということです。
 さらに言えば、私たちの過去をめぐる記憶は、想起としてのみでなく、想起よりもすばやいからだのアレンジメントとしても立ち現れるのです。それは、自己の意に沿うことなく、いきなりにして立ち現れることがあり、そのとき私たちは、具体的神経配列として立ち現れることになる〈からだの事実性〉が自身のからだに潜在するのを知らされることになるのです。しかもその神経配列は、しばしば新たな体験として感知されるのです。こうして、内部から生まれながら自己の外部のようにして知られるゆえに、それは<死者>と名付けられているわけです。自己に統御されたからだは、自己をめぐる記憶しか想起しないでしょう。それに対して、からだの事実性として立ち現れる神経配列は、自己とは無縁なのです。
 私たちはこうした神経配列をからだに知る者であるかぎり、自らのからだの現前性の具体的な局面に注意を向けることができるのです。踊り手のからだの現前性に息を合わせることができるのは、観る者のからだの現前性です。からだのアレンジメントには、からだのアレンジメントによって息を合わせることができるのです。
 夢が、欲動、感情、想起、感覚的なものといった多様な位相から構成されているように、からだのアレンジメントも、幼年、死者、そして現在の私といった位相から構成されています。同じように、「病める舞姫」というテキストも、様々な位相の提示とそれらの横断で成り立っているのです。それゆえ、そのアレンジメントの変動に息を合わせて読めば、「病める舞姫」というテキストが、舞踏の<主観性>の成立に立ち会いつつ様々な位相を縦横に出入りしている、驚くべきテキストであることがわかるでしょう。

 少年と死者との関係を説明的に言えば、変動する少年が形容詞であるとすれば、死者は形容される主体、という関係として言い表すことができるかもしれません。もし少年が変動することなく確固たる対象であれば、その周囲を連れ添うことがなく、形容詞としての少年が示そうとする主体もないことになるでしょう。少年は、死者を形容するというかたちで死者を連れ添い、そうした関係において死者と少年は対になっている、そう考えることができます。私たちは、いわばこうした形容詞的少年の、その現前性であり変動性である線に、自らの線を合わせることができるのです。では、主体である死者についてはどうでしょうか。舞踏の表現の主体はあくまでも死者である、と考えられます。ここまで少年がそこに連れ添ってくるという関係において死者を見てきたわけですが、表現の主体としての死者という観点に立つとき、死者はどう提示されているでしょうか。
 周囲としての死者は、次のように描写されています。

 幾重にも重なった段の上で、夥しい白い顔が嵌め込まれたように、正面を向いていた。崩れるということをぼんやりと知りながら立った記憶の始まりを、しっかり外側から取り押さえているような白い顔が、こちらを向いて停止しているのだった。その選り好みできない白い顔に、捲かれている写真のように、私のからだは包まれてしまうのだった。私のからだの疼きの中に病芯のようなものが感じられる。病芯の震えにふれているのは、尻をはしょって首に手拭いを巻いた小柄な老人や、お日様をよぎる蝙蝠傘、ゴムの短靴をはいた固い額を持っている半島女の、もうもうたる塵埃をあびている姿だった。その埃の中を、板の上に乗せられ日本手拭いを額にあてがわれたうんうん唸っている人が、運ばれてきた。紫色の風呂敷にも埃がかかっている。その包みをほどく時の風呂敷のすべり具合の感触は、厳粛な日本泳法のように思われたのだった。青い顔に白いマスクをつけ、下駄をはいた男が理髪店から出て来た。親しい死者達の貎。歩くことが仕事みたいな人達や、屋根の上で髭をはやした大人が頬被りして腕を組み、遠くの空を眺めたりしているのだ。説明しにくい視線を保ちながら、すばやく手が相手に届くような配慮が、白い顔の中にびっちりと詰まっていた。私のからだに描かれた絵は、こうして現われて、私の毛並みの衰えを思い知らされたり、犬の目付きに変えてしまうのであった。(三)

 まず、土方のからだが死者に「包まれて」いると言い、そのことが病であるとされるのか、からだの疼きがあり、疼きの中に病芯が感じられるといいます。その病芯の震えに、死者が今度は具体的なかたちを伴って立ち現れてきます。その死者は土方の「からだに描かれている」、すなわち神経の配列として立ち現れているのです。そして、からだのアレンジメントとして立ち現れるものが、土方を衰弱させ、動物の表情、すなわち見慣れぬ形相にしてしまいます。こうした視点とその視点から見られた内容は、蚊帳の外から見る眼に映じる仕様での自身のアレンジメントと、そのアレンジメントが現在の土方のからだに重なってもいる、という二重性を示しているでしょう。これまで検討してきた内容を前提とすれば、ここでもきっちりと手順が踏まれつつ、死者と土方の関係が語られているのがわかります。とはいえ、死者はここではまだ表現的な主体になってはいないようです。「崩れるということをぼんやりと知りながら立った記憶の始まり」が、当面の手続きを介して、「説明しにくい視線を保ちながら、すばやく手が相手に届くような配慮が、白い顔の中にびっちりと詰まっていた」、という何かしらの経緯として語られているだけです。そこには、いまだに判然としない表現内容があるようです。
 いっぽう、もうひとつの死者をめぐる描写はこれとは異なっています。

 ところがその風だるまは自分の体を風葬してる、魂を。風葬と火葬だ、それがいっしょくたになって何とかして叫ぼうと思うけれども、その声は風の哭き声と混ざっちゃうんですね。風だるまが叫んでるんだか、風が哭いているのか混ざっちゃって、ムクムクと大きくなっちゃって、やっと私の家の玄関にたどりついたのです。どんな思いでたどり着いたのか? 今喋った坊さんの話と風だるまが合体して、そこに非常に妖しい風だるまの有様がひそんでいるのです。風だるまは座敷にあがって来ても、余り物を喋らない。囲炉裏端にペタッと座っている。そうすると家の者が炭を、これもまた何も聞かないで、長いこと継いでいるんですね、私は子供の時にそういう人を見て、何と不思議なんだろう、何となく薄気味悪いけど親しみが持てないわけでもないし、一体何が起ったんだろうかと思いました。すると、よくこういうことがあるでしょう。最初に荷物がチッキで届いて後から手紙が来る、そんなふうに自分の身の上に起ったことを、喋るんですよ、雪ダルマは。
 おーおーてーはー。
 (ああ、「おおっ」てあんたが叫んだんだね。)
 ビュービュー。
 (ああ、って風吹いていたのか。)
すると「おーおてー」、「びゅうーびうてー」、「はー」と、そこでそのうちわけがちょっとわかるわけですね。どんなにひどかったのか、そしてその顔は何か、死んだ後の異界をのぞいて来た顔なんですね。お面みたいになってるわけです。生身の身体でもないし、虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなくて、身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人なんです。
                   (「風だるま」現代詩手帖一九八五年九月号所収)
 
 これはテキストと異なり、講演記録ですが、ここでは、「耳から入った音」が分節化されることなく少年のからだのうちに折り畳まれていたものが、土方の現在のからだにアレンジメントとして立ち現れている、そのことが語りのうちによく示されています。まさに過去をめぐる記憶が想起としてのみでなく、想起よりもすばやいからだのアレンジメントとして立ち現れているわけです。
 土方は<風だるま>を語るにあたって、自らが死者となった夢の体験を想起という仕方で記述する時間感覚に違和感を訴えています。それに対して、自らが死者であることの現在的描写の例証として<風だるま>を持ち出しているのです。死者は想起において見定められるのではなく、あくまでも現在のすがたに重なるようにして、すなわちからだのアレンジメントとして示されなければならないのです。そのことを土方は、「風葬」という言葉にして提示しています。「風葬」とは、死体が時間をかけてゆっくりと白骨化される過程のことをいいます。そして、「自分の体を風葬している」とは、そのような死を死に続けるといった長い死の過程に見舞われること、言い換えれば、死の現前性を生きるといった、逆説的な時間に見舞われていることを言い表しています。ここには、からだが通常の時間にではなく、別種の時間形式に見舞われる感覚が示唆されているように思います。
 そして、表現的主体としての死者を検討するうえで注目されるのは、「(死者の)身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人」という、<風だるま>をめぐる説明です。「死んだ後の異界をのぞいて来た顔」が生身の顔に「お面みたいに」重ねられてと、ここでも蚊帳の例と同じ内外の出入りの手続きが踏まれているのがわかります。異なっているのは、表現的主体としての死者が、ここでは<風だるま>となって土方のからだにこそ立ち現れている、そう考えられることです。死者のからだが「再生」されると説明されていますが、それは記述による描写ではなく、死者を生きたアレンジメントとして示そうとするその場において「再生」されているのです。「虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなく」、死者をその場において示すこととは、他者を前にして生きたアレンジメントをその場に連れて語ることであり、そのように死者の再生を他者と共にその場で意図する仕方が、死者を「再生」させることになるのです。「死者のからだが生きた身体に棲む」ことのアレンジメントとは、そのような条件と意図をもって語るからだにおいて成立するのではないでしょうか。すなわち、少年のからだの現前性に立ち現れるアレンジメントが内外の出入りの手順を踏むことで土方の現在のからだに連れ添ってくるのですが、抽象的諸力としての死者が表現主体となって土方のからだに具体的なアレンジメントとして立ち現れてくるのは、他者を前にして、他者を介して実演する、からだの現前的な表現において実現されるのです。からだの現前的な表現は、他者なしでは成立しません。他者が、からだの現前性をめぐる表現の証左となるからです。
 死者の形相を「のぞいて来た」アレンジメントは、死者の現前性が現在のからだに「再生されて」、すなわち、からだの現前的な表現となって立ち現れているのです。このとき、死者を主体とする表現は、からだの現前性が棲むところの時間形式に見舞われることになるのでしょう。それは、死者が生きたアレンジメントとしてからだに現前するという通常の時間を錯誤した事態にあるわけですから、現在のからだに再生される死者は、想起という偽の時間形式に沿うのではなく、想起も現在も一体となって再生されるより包括的な時間形式に沿うことになるのではないでしょうか。描写されたその内容がすぐさま過去の形式にくるまれていくいっぽうで、再生と再生に向かう意図だけが前を向いているのです。このとき、時間は量的なものでも指標的なものでもありません。時間は、生がその中で未来を意図することのできるという意味で、生をまるごと包摂したものとなっているのではないでしょうか。
 このように、土方にとって死者とは、表現の内容であると共に表現をもたらす主体であるといった、表現に関して包括的な働きをするものであるように思います。それはそうした意味で、線の分岐以前に関わるものなのでしょう。