Wednesday, December 18, 2013

土方巽研究二 <舞踏の表現形式について>

七. 「感覚の論理」


  2.「感覚の論理」と舞踏符の方法

 「白桃房」の表現
「白桃房」の舞台はたった三年の間に十六作品が制作されています。一つの作品の公演期間は平均して一周間前後であり、最後の「鯨線上の奥方」は二週間にわたって公演されました。アスベスト館の狭いスペースで観客人数が制限されたことから公演期間が長くなった点を考慮しても、この時期に土方が作品制作に集中していたのがよくわかります。これらの作品に土方は出演していませんが、作品の隅々にまでその神経を行き届かせています。それまでの自ら舞台に立った舞踏の表現とはうって変わって、土方にとってそれらは純然たる作品制作としての舞踏表現であったでしょう。「静かな家(1973)」に至るまでの公演を通じて、土方は舞踏符の技法を自身のからだにおいてかなりのレベルで把握していると考えられます。土方自身は「静かな家」のレベルにあるわけですが(「土方巽全集Ⅱ」所収〈「静かな家」ソロ覚書〉参照)、一転して作品制作という意図において踊り手を振付ける側に身を置き、自ら表現しようとするものを目の前のかたちにする作業に関わっているのです。それゆえ、「思考は起こり、あるいは自ら展開し、感覚はそこにある」といった、思考の動きと感覚作用とのずれが、眼と言葉とからだを駆使して踊り手を振付ける過程に、すなわち作品を制作する過程においてあったと思われます。そのずれはどのように扱われたのでしょうか。
 まず「白桃房」の舞台とその演出形式について簡単にみておきたいと思います。その舞台は、自前の劇場「アスベスト館」に設えられた、高さ七尺余、横四間の長方形に区切られた空間で、その周囲は暗幕で囲まれ、あまつさえ床面全域に黒色の布「地がすり」が張られていました。公演時には観客席にもいっさいの外光が入らないよう暗幕で封をされ、そのため、暗転時には真っ暗で自分の手さえ見えないほどの闇が出現するほどでした。公演開始と共に照明が差すと、舞台の輪郭があたかも闇の中から浮かび上がるようにして現れるのです。そして、奥行き二間ほどの舞台の奥にはいつ頃からか知れませんが、高さ十寸ほどの上がり台が設えられました。資料写真を見ると、一九七五年三月の「バッケ先生の恋人」の舞台にはすでにあるようです。またこれもいつからか知れませんが、舞台の上下両脇に、半間四方、高さ五寸ぐらいの踊り場が設えられるようになりました。
 舞台奥には背景画パネルが横四間にわたって並べられるようになり、照明の当たる角度、光線の広狭、光の強弱などによって各々の背景画は多彩な表情を浮かべ、舞台上に様々な空間を出現させていました。また暗転時にはパネルがすばやく入れ換えられ、見事な舞台転換をして見せました。さらに、暗転前の溶暗時には、調光の妙によって背景画とその前に立ちあるいは座る踊り手を周囲の闇へと散逸させる、絶妙な時間感覚をもたらしていました。
 踊り手は、色鮮やかな衣裳と凝った飾り物をつけて登場します。さらに、場面ごとに踊り手は衣裳と飾り物を替えて現れ、その際に背景画や音楽の転換と共に一瞬にして舞台の空気を換えてみせるのです。また舞台奥の上がり台上に数人の踊り手が列をなして登場し、その群舞は背景画と共に重層的な空間をつくりだすことになります。さらに、左右の踊り場で演じる場面ではそこだけ照明が当てられて、舞台空間に分離効果を与えていました。
 音響は様々なジャンルにおよび、その順列と繋がりが精妙に配慮されていたようです。百人ほど客が入れば肩を擦れ合うといった狭い空間に轟々と音響が鳴り響き、その音の充満は客席と舞台とを一体化させる効果をもたらしました。舞台と観客との距離は近く、観客は視覚と聴覚に訴える表現に包み込まれ、次々と展開する舞台空間をあたかも絵巻物がスクロールするのを見るかのように体験したわけです。土方は、踊りとその構成だけでなく、これら背景画、衣裳、照明、音響といったすべての舞台効果を自ら演出し、その表現を実現させていたのです。
 こうした観客の視覚と聴覚とを突出的に働かせる額縁的ともいえる舞台空間において、微細な表情変化やからだの細部の動きが特徴的な踊りが展開されたのです。その表現内容は、踊り手の動きによってもたらされる空間が重要視されたという点からすれば、いかにも絵画的です。たとえば、合田成男の「舞踏の動詞」(「現代詩手帖1985.5)によれば、踊り手による、「沈む」、「浮く」、「漂う」、「顕われる(現われる)」、「消える」といった表現によって、「暗黒舞踏の空間を押さえる」ことができるといいます。
「沈む」の表現は最初「長須鯨(1972)」に現われ、その「体位が決定的な意味を完成したのは白桃房活動の後半」(同上)であるといいます。「沈む」とは、たとえば蟹股の体位であり、具体的には膝を開き、腰をやや落とし、その結果、足の裏の外側で立つことで成り立つ空間提示をいいます。それは踊り手の下半身に不自然な負担がかかるという意味で、安定した体位ではありません。しかるに、そうした「沈む」の不安定な体位による空間提示があって、そこから反対効果として作用する、「沈みながら浮く」ことによる、「浮く」の空間提示があるのです。「浮く」の体位がもたらす浮遊感覚は、「白桃房」の舞台表現に独自の方向をもたらすことになりました。
「暗黒舞踏には左右への際立った動きがない。これまでに見受けられたのは<揺れる>ぐらいである。その振幅もごくわずかで、<立つ>のヴァリエーションのようにも思われるが、足の裏の支点を移動するという秘やかな作業は、肉体に意外な表情や空間にも変化をもたらす。当然のことながら、これらの表情や変化は、沈む、浮くの体位が守られ、不安定でありながら、最大の自由を肉体がもっているからだ」(同上)。「漂う」の動きは、こうした「浮遊する体位の優秀さを生かし、動きを拡大しようと意図しているかのように」(同上)現れてきたといいます。踊り手がもたらす浮遊感覚の拡がりは「白桃房」の舞台特有の表現となり、そこに潜む不安定さと自在性は舞踏独自の型として見出されたのでしょう。
「現われ」は、「すべての登場人物は一歩前に出るとき、その一歩に寸前までの時空間を持ち込んで来た」(同上)、その空間提示をいいます。踊り手の人物形体が前へ出る動きと共に、そこに時空間をも伴わせているのです。そして「消える」は、「顕われると対照して後退する意味」(同上)であり、踊り手の後退する動きと共に、その人物形体が存在する感覚を背後の空間へと散逸させることになります。こうした「現われ」と「消える」の空間提示には極めて絵画的な特徴があると思います。前提として踊り手の形体が空間に嵌め込まれていると考えられ、そのように踊り手の形体を嵌め込んだ空間を舞台という区切られた構造平面上に見立てて成り立つ表現があるからです。こうした見立てを基点として、舞踏の「動き」の軸となるものへと技術的に一歩進めることになったのが、「歩行」の表現であるように思います。この「歩行」は通常の意味での歩行ではありません。それは舞踏符として、いくつかの言葉によって条件づけされている「動き」です。たとえば、「寸法となって歩行する」、「歩くのではなく、移行する」、「見る速度より映る速度の方が迅い」「足裏にカミソリの刃」、「頭上の水盤」、「歩きたいという願いが先行して、形が後から追いすがる」、「すでに眼は見ることを止め、足は歩むことを止めるだろう、そこに在ることが歩む眼、歩む足となるだろう」、「歩みが途切れ途切れの不連続を要請し、空間の拡がりを促す」(以上、三上賀代「器としての身体」より)といった条件づけがなされています。これらの条件づけは、その内容を通じて感覚作用を介入させることで、結果的に踊り手の歩こうとする意識と歩く運動神経とを分離させることになります。その「歩く」動きには、周囲の空間と共に舞台の構造平面上に配置された人物形体の動きそのものによって、その動きと空間とを繋ごうとする働きが意図されているように思います。ここに「歩行」の発見があるだろうと考えます。舞台という構造平面に配置されて「歩行」の空間提示をする人物形体は、空間に嵌め込まれていながらもなお浮遊感をもたらしているのです。「歩行」が動きだからです。そして、動きでありながらも、踊り手の神経の運動軸よりも感覚軸により焦点が当てられているせいでそこに空間感覚がもたらされ、絵画的な効果をもたらす形体となっているわけです。舞台を見る者は、まず舞台という構造平面として区切られた空間に際立たせられた人物形体を見、その動きを感覚し、翻ってその動きによって際立たせられた周囲の空間を触感し、さらにまた人物形体の内なる空間を感じるといった触感的ともいえる視覚を介して、踊り手をめぐる舞台の動勢を経験することになるのです。その動きを注視するにつれておのずと反復と差異を生むこうした動勢は、舞台を見る者のからだに力となって働き、舞台上の人物形体の「象形化」を解体させ、「象形化」に留まることのないようにさせているわけです。
 そして、さらに特徴的なものに踊り手の表情があります。それは意図的に歪曲されています。その歪曲はあまりに強く、あたかもクローズ・アップのような効果をもたらしていますが、言い換えれば、そこには舞踏符の言葉によって踊り手に働く感覚作用が表情形体とせめぎ合う、そうした力の歪曲が作用する場が錐点となって噴き出しているように感じられます。こうした表現は近距離感をもった表現に可能なもので、絵画的と言えるでしょう。
「白桃房」の舞台において、<ひとがた>すなわち人物形体をめぐる土方独自の空間表現が完成されたのです。そこには、舞台平面というカンバスに踊り手を画材にして絵を描くように作品演出をする土方のすがたが浮かんできます。ただし、この演出家はこのとき自身のからだをカンバスとして絵を描く作業をも同時にしているのです。表現する者が自ら表現対象となり、振付ける者が作品の主体であるという点において、「白桃房」作品はそれ以前の土方の舞台表現と変わりはないと思われます。表現に際して感覚の実現は演出する側にあり、それを作品へと移し替える作業があることから作品すべてにわたって統御することになったのでしょうが、その移し替え作業にはかなり込み入った過程があると考えます。

 絵画と舞踏符
「私は、セザンヌというのはあるかないかのものをむしっている画家じゃないんで、あなた(対談相手の中西夏之)もよくご存知のとおり、まあ、光の本能をつくっているという自信をもっている。ゆえに、やたらに事実や、自分のモーションも含めて、そこに命名していくというタイプの画家だと思うのです。その命名行為というものは何かというと、今いるところが、とても今いるところから解釈が始まっているとは思えないものだから、どんどん描きかけ風の絵を送り出している、という画家だと思うんですよ」 (「土方巽全集Ⅱ」所収「白いテーブルクロスにふれて…」)
 これが、土方がセザンヌの絵を見る見方です。絵の内容を見るというよりも、あたかもカンバスに痕づけられている力の歪曲が作用する場から画家の感覚作用の移調/変調を嗅ぎ分け、画家がいったい何をしているのかを感覚しようとしているようです。土方は踊りをつくる際に、主に絵画を素材にして自身の踊りの骨格となる舞踏符—舞踏譜を編み出していきましたが、そこには土方が絵画に向けるこうした嗅覚ともいえる視線があるからでしょう。そしてさらに、こうした視線が、絵画に痕跡する力の歪曲、その源泉となる画家の感覚作用の移調/変調を、自らの表現としてからだに取り込むことのできる要因となっていったからではないかと思います。絵画を見るものは絵画に見られることになる。絵画を素材にする舞踏符の方法は、いわば見る者が見られる者となるような視線と共に展開されたのです。
 こうした視線の展開を孕む舞踏符の方法には際立った特徴があると思います。それは、事前的に踊りを振付ける側が踊りの対象となっているのであり、それゆえ、踊り手を振付けるその始まりにおいて振付ける側が踊りの主体となっているという点です。それゆえ、舞踏符の方法によって踊り手に移し替える作業があるわけですが、それは次のようなプロセスを踏んでいるでしょう。舞踏符を振付ける際には振付ける側にその素材に関する主客の逆転があり、そのため、いわゆる「肉体の闇」という、意識がからだに関わることで差異が展開される領域が際立っています。こうした「識別不可能な地帯」を自ら操作することにおいて、そのことは実際には、踊り手のからだを言葉と動きによって振付け、その応答としての踊り手の動きとその神経配列を見ることなのですが、そうした操作において、翻って振付ける側に何らかの論理が働くことになるのだと考えられます。いっぽう、踊りを振付けられる側にあっては、振付ける側の言葉を介してその「識別不可能な地帯」に関わろうとする感覚を働かせることになり、その感覚の作動としての神経配列、すなわちからだのアレンジメントとしての応答があるわけです。その際に、主客を逸脱するような感覚作用がからだの神経配列において何らかの力の歪曲として作用することになりますが、そのように力が作用する場が、マキュラーなあらわれとして踊り手の動きに伴うことになるのです。そのとき、振付ける側は、踊り手のからだにあらわれるものを自らの表現対象として採集するのです。踊り手のからだの神経配列もマキュラーなあらわれも見ることができるのは振付け側においてでしかありません。喩えていえば、この作業は踊り手のからだをカンバスにして絵を描く行為に通ずるのです。ただし、踊り手のからだに描かれるものは次々と流れ去り、そこには力の歪曲についての印象が残されるだけです。そこでは、踊り手が何を感覚しているかということなど微塵も見られることがないでしょう。
 土方はベーコンのいくつかの絵画から舞踏符をつくり出していますが、たとえば「ゴッホ図」を前にして、次のような言葉が抽出されています。
「觸()覚と粒子で出来ている人/枝が頭蓋にいっぱいつまっている/頭の小枝が折れる/コメカミから鳥が飛ぶ/のびる首/背すじをはう(背筋を這う)なめくじ/飛ぶバッタ/棒/ひまわり/額/足の裏の水たまり/空間の昆蟲()/ア()シュビッツのかまどで溶けたもの/青ざめる草」(「土方全集二」・〈舞踏のためのスクラップ・ブック集〉より)。  ()内は筆者補足。
 非現実的だが、いかにも即物的な感覚を伴う言葉が採集されています。この感覚は土方のものであり、こうした土方独自の感覚を伴う言葉が一転して踊り手を条件づけるわけです。すなわち、踊り手は与えられた感覚を条件づけとして自らのからだに課すことになるのです。それは、いわば捏造された感覚作用として働くわけですが、そうした蓋然的な感覚作用の働きによっても必然的にからだの神経配列は作動するのであり、結果的に踊り手のからだにも「識別不可能な地帯」を生み出すことになるのです。というよりは、偽の感覚作用であることで、かえって言葉が喚起するものが踊り手の何かしらの記憶作用をそこに介在させることになり、その「識別不可能な地帯」は生まれているのでしょう。そして、偽の感覚作用が連れ出すことになる誰のものとも知れない記憶をめぐる神経の働き、そうした働きが踊り手の形体およびその動きとせめぎ合うようにして、力の歪曲が作用する場となってからだに表出するわけです。その表出の一つ一つを、土方は採集するのです。
 ここには問題もあります。たとえば、「どうしても動きの展開がパターン化する。神経の様子さがそうなってゆくと、別種のボキャブラリーの対比でのみ括られてゆくおそれがある」、といった指摘が余白に書き留められています。それは舞踏符への踊り手の対応に原因するらしく、舞踏符の言葉が、踊り手の感覚作用によってそのつどそこに現前するからだの神経配列を作動させるはずなのが、おそらく踊り手が感覚作用が働く手順を省き、他の舞踏符の言葉との対比として扱う、すなわち形体なり動きなりの技巧として捉えがちになることによる、と考えられているのでしょう。土方はといえば、振付ける自身の記憶も含めて、感覚作用が連れ出す未規定な記憶をめぐって踊り手のからだにそのつど現われる微細な「物体の密度」に注目しているのであり、そのように変動し、変動するものの方向性を見定めようとして舞踏符の言葉を投げかけていると思われます。それゆえ、舞踏符を「短く」こなさなければいけないという注意書きがありますが、それは時間を短くするというよりも、個々の舞踏符にこだわることなく、舞踏符が連れ出す未規定な記憶が踊り手のからだに現すことになる「物体の密度」、すなわち神経配列の変動性を示すだけでいいということなのでしょう。こうしたことから、舞踏符が条件づけとして示す感覚作用は、踊り手のからだに現われ示されるものを求めるためにだけ働くのではないと考えられます。そこには変動というか、方向性というか、踊り手の未規定な記憶がかたちになろうとする、そうした志向的なものが求められているのであり、舞踏符による形式的条件づけにこだわらず、感覚作用はそうした意図において、振付ける側と踊り手の両者に一貫して働くのではないでしょうか。それが、舞踏符の方法における感覚作用の要件ではないかと考えます。
 こうした舞踏符における感覚作用の役割を前提として、土方が舞踏符を採集する様を検討してみることにします。まず「フランシス・ベーコン展」のカタログに付せられた「舞踏譜<ベーコン初稿>」と題された土方のメモをみてみましょう。おそらくベーコンの画を基にして弟子たちに稽古をつけながら書き留められたものと考えられ、それは舞台のための台本を用意するためというよりも、舞台の準備作業的な段階での覚書のようです。番号と共に、線で区切られた欄ごとに言葉が記されています。番号の周囲には赤字で、<人物>、<怪物>、<表情>、<肉塊>、<動物>などと、分類のためと思われる語が記されています。たとえば、
13大僧正 頭部を失い顔半分から下がしっ喰(漆喰)の状となる  僧衣のヒダ()
        鼻の上の振り子 <男の顔>―4.5の展開   ()内は筆者捕捉、以下同様
とあるわけですが、これは「頭部Ⅵ 1949」と題された、ベラスケスの「法王イノセント十世」の肖像画を基に画かれた作品を参照しているようです。ドゥルーズが言う「頭部の獣肉」は土方には「漆喰の状態」と感覚され、ドゥルーズの「遮蔽カーテン」の筆のタッチが「鼻の上の振り子」として触感され、「僧衣の襞」と共に注目されているのがわかります。また、
「                 牛の気化
17 肉塊 ベーコン的肉塊―ブレ(ぶれ)                     肉片
             あるく(歩く) 照準のブレタ(ぶれた)肉塊のプロセス 解剖
     向かって左の人物―顔から始まり背中へ 前身へ      ヒタイ()の輪 
         右の人物 足本()の粘土状のものから差し出す手      ←
                          ひく(引く)手の途中から顔へ↑」
とあります。
 参照されているベーコン画を特定できませんが、おそらく三枚組画に描かれた人物形体が、「照準のぶれた肉塊のプロセス」、すなわち力の歪曲の場を感覚させるプロセスとして捉えられているようです。左側の人物について、「顔から始まり背中へ 前身へ」と記されているように、力の歪曲が顔に源を発して、背中へ、前身部へと渦巻くようにして溶けていくプロセスがからだで辿られようとしています。ちなみに「牛の気化」とは、「牛」という、牛の力強い歩みを摸した舞踏符があり、なおかつ動物特有の濡れた肌をもった肉塊を表しています。「気化」とはおそらく、そうした肉塊としての輪郭を解くことにあるのでしょう。土方はベーコン画の人物形体の肉塊を、その輪郭を解いて見ているのであり、むしろ肉塊における力の歪曲を見ているのでしょう。こうした力の歪曲は、「寝ポーズ 44 顔の部分の溶けかかりを展げら()るからだ、注射」、においても注目されています。この覚書は、「皮下注射器のある横たわる人物 1963」を参照にしていると思われますが、「寝ポーズ」、すなわち横たわる体位として分類され、顔の部分に孕む力の歪曲が展開されてからだとなっている、といった内容の条件が指示されているわけです。そうした条件づけでさらに、伸ばした腕に注射器が射されているのが感覚されるのです。この「寝ポーズ」については、「ポーズ発展 28 溶けた粘土状の理解で、その溶け方の顔の部分 挙げ 上げられるもも()と足の部分 女寝ポーズ フラマン 解剖」、という覚書がそれ以前にあり、物語性の濃い「フラマン」の踊りを感覚的に補完するものとなっているようです。
21動物      木の上 ベーコン的な状況の設定    文
        頭部をはっきり捉えアゴのあたりから先―腰のあたりから羽化
        吠える
 (ムンクの少女に叫びがある、吠えるものと叫ぶものとを統一してみる必要がる)(「狒狒のエチュード 1953」より)
「叫び」はドゥルーズが示しているように、ベーコン画の本質であると考えられますが、ベーコン初期の動物画に、土方は「吠える」と「叫び」を綜合させて、「ベーコン的な状況」として、ベーコン画における感覚作用の変調/移調に触れようとしていると思われます。「叫び」自体は感覚作用であるよりも、その表現にはむしろ感覚作用の変調/移調を示唆する力の歪曲が現れているわけです。
「 カミソリ          鏡に映った人物への移体 
  新聞            新聞をみているうちに日がかげった
                立っている脚から背中へ―新聞へ」(「男の背中の三枚のエチュード 1970」より)
 画の物語性を読み取ろうとしているようですが、そうではないでしょう。「鏡に映った人物への移体」、「新聞をみているうちに日がかげった」、「立っている脚から背中へ―新聞へ」といった言葉のうちには、明らかに感覚作用の移動があるからです。
 さて、「ベーコン初稿 3」のノートの余白に、「動きによって記録されたものの方が重要であり、結局同じことになるであろう、それは始めからわかっていることでもあることの意で考察せよ」、と注意書きされています。ちなみに、この「ベーコン初稿」ノートにはまだ既定の舞踏符の引用が見られないことから、それは舞踏符の方法を確立しようとする時期の舞台、おそらく「四季のための二十七晩(1972)」を用意する作業ではないかと考えられます。当時は舞踏符の方法の試行錯誤の時期にあり、絵画を前にして感覚されるものと、それを実際にからだで模写した神経配列とのあいだにずれが見られたのではないかと思われます。感覚にこだわらない「動き」の方が重視されていたようです。大舞台での舞踏作品を制作するにあたって、ある程度の動きが必要とされていたからではないでしょうか。いっぽうで、この時期の土方の踊りは極端に動きの少ないものとなっています。人の動き一般には、感覚作用がその裏に貼り付くようにして作動しています。言い換えれば、或る感覚作用は、微細なものであるけれども何かしらの動きを生み出しているのです。そして、その動きにはそれ固有の視線があり、その視線は自己に向かう観察/評価をも含んでいます。こう考えるとすれば、かりに感覚作用を主体にした動きとその評価とのやりとりを自身に課した踊りをするとすれば、それは極めて動きの少ないものとなるでしょう。
 総じて「ベーコン初稿」ノートでは、<表情>が<人物>形体から分離して扱われているのがわかります。<表情>は力の歪曲が作用する場として捉えられ、そこからからだへと展開する流れの源泉として採集されているようですが、<人物>形体は、どちらかといえば感覚作用を設定するための用例として採集されているようです。また人物形体としての<肉塊>への注目があり、ことに<肉塊>における感覚作用の移動が取り上げられています。さらに画における感覚作用の移調/変調へ、<動物>において接近を図る、といった特徴がみてとれます。
 絵画から抽出されてノートに覚書された感覚作用のその内容が踊り手の表現となって現われる、そうしたものが採集されるのではありません。振付ける側は、感覚作用のその内容にではなく、感覚作用が連れ出してくる潜在的なものに注目しているからです。感覚作用が捏造されることでかえって記憶として連れ出されてくるものがあります。感覚が外部世界との「接触」ではなく、内部作用として働くことによるその空回りを埋めるような現象があるのでしょう。こうした誰のものとも知れない記憶は明確なかたちをとることがありません。そのとき、土方がその「識別不可能な地帯」に見ようとするのは、力の歪曲や歪曲が作用する場をもたらす感覚作用の変調/移調も含めた、踊り手のからだに感触される潜在的な能力の様々な水準といったものでしょう。「感覚の論理」によれば、それら潜在的な能力の水準は、そこに表象されるものとは独立して他の水準へと通じる流れをもつのであり、感覚に付随して感受されはするものの表象されることのない力、そうした力の流れが実在感覚として私たちのからだに際立つことになります。そうしたことからすれば、踊り手の感覚作用のその内容はからだの神経配列を介して未規定な記憶としての力の流れに取って代わられ、おそらく踊り手のからだにはそうした力の流れが孕む志向性といったものが示されるだけなのです。こうした、からだに感触される潜在的な能力に相対するとき、「可視的身体が一個の闘士として不可視の潜勢力に立ち向かうとき、身体はそれら不可視の力に自らの可視性以外の可視性を与えることはできない。そしてまさにこうした可視性そのものにおいて身体は積極的に闘うのであり…」とドゥルーズが言うような、身体による闘いがあるはずなのです。土方のからだが潜在的なものに関わろうとするとき、「不可視の力に自らの可視性以外の可視性を与えることはできない」ところにとどまり、そこに変動するものをみてとるような闘い方があるのだと思われます。その変動するものが目に見える動きを生むと共に、誰のものとも知れぬ記憶がかたちになろうとする力の流れとして触感されるのです。こうして、舞踏符の方法において、感覚作用が「識別不可能な地帯」として連れ出してくる誰のものでもない記憶にその焦点が定められることになるのだと考えます。
 こうした過程をめぐって、ベーコン画の「自転車に乗るジョルジュ・ダイヤーの肖像画 1966」にも関連づけられている「飴とは何か」という問いを検討してみたいと思います。この問いは、「四季のための二十七晩」の一演目である「なだれ飴」の頃から考察されてきた、土方にとって重要な問いです。「自転車に乗るジョルジュ・ダイヤーの肖像画」は、飴のように溶けかかった人物形体を示しています。画の背景を指して、輪郭を解く意味と思われる「気化」という覚書があります。その余白には、「ベッコー飴—女 平らな鳥」と記されています。飴とは鼈甲飴であり、その溶ける形体をめぐって少年時の記憶が問われているのでしょう。というのも、「飴」について、「病める舞姫」の中で次のように語られているからです。場面はもう秋も深まった頃です。
「そばに薄青い煎餅の顔をした女の人がすまなそうに動いていた。性病でも煩った男か、鵞鳥のように足をもつれさせて裏口から出ていく。こういう人達は私の頭のなかに逃げていったきり、長いこと捕まらなかったが、いま黄色い紐のようなものにするするっとひきずられて、頭のなかから出てきた。ところがこの人物達はすぐに眼の前でとろけていって、そこに待ち伏せしていたような昔ふうの風に冷やかされてしまった。私の記憶のなかに少々空洞のできた部分もあるが、こんな疾病めいた記憶や混乱を大ざっぱに練り上げて、いろんな鼈甲飴のようなものを作り上げることが私にはできる。犬の遠吠え飴、移り気飴、めっかち飴、丙の字飴、焼飴、腹話術飴、金盥飴、また何かしらの限界飴と、まあこういうところだ」。
「ベーコン初稿」ノートには、「肉体の輪郭を失いつつ」、「上半身のとろけるプロセス」、「内蔵の骨格」、「ぶれた肉塊」、「ぶれた犬」、「ぶれた表情」、「ゼリー状」など、ベーコン画の形体をめぐって、その溶けかかったからだに注目する言葉が頻出しますが、こうしたベーコン画の形体に痕づけられている力の歪曲の場を採集する作業と、少年時の記憶がかたちになった途端に変動するといった現象に関わる作業とを重ね合わせることができるでしょう。未規定な記憶がかたちになったと思った途端に目の前でくずれてしまうのは、冷えれば固まり温められればとろける飴に似ているからです。要するに、現在の土方が少年時の未規定な記憶を扱おうとするときに、そこに否応なく働く力が見定められようとしているのです。それは、「不可視の力に自らの可視性以外の可視性を与えることはできない」ことに直面し、新たな方法を模索している土方の闘いなのです。
 いっぽう、「飴」に対する別種の扱い方も同じ景の後の部分で語られています。
「もがいている私の口の端に大好物の黒飴が一度に三つ、四つもねじ込まれていた。私はこういう飴を愛していた。こんな飴に助けられているようなところがあったのだ。ねじ込んだその人は、まるで変な片付け物を後ろに置いていくように私の前をスタスタとすました顔で歩いていった。ひらっとしたり、さっと薄暗くなったりする身ごなしの人のからだが残していった跡が、私をくすぐったり、つねったりしながら私の冥いからだにひっついてしまっているようだ。あの頃見たさまざまな黄色い神経も、生菓子の霞ませかたも、道端で遊んでいたふらふらした縄も、どこかしら気の毒ないろいろな目に会っていた。しかしみんな鼈甲飴に吸いついていって、今はもう誰も訪れてくれなくてもいいと言いたげな幸福な飴色に溶けかかっている。だが、ゆらゆら水汲みをやりながら私が啜っていた黒飴と刺し違えるような心象の刃物は、この話のなかに含まれていない」。
 ここでは「いろんな鼈甲飴のようなもの」というのではもはやなく、「幸福な飴色」としての「鼈甲飴」が特定されています。この「鼈甲飴」は、土方にとって少年期の記憶としてからだというカンバスに事前するものなのでしょう。それは明確なものではない。それは未規定なものであり、むしろ未規定であるがゆえに感覚的なものとして喚起され続けているのだと考えられます。そして土方にとって、この「幸福な飴色」の感覚を喚起する絵画が、ターナーのそれなのです。
 光と色彩と空気の画家、ターナー。ジョウゼフ・MW・ターナーの絵画には様々な面があります。「対象を欠く純粋な力、荒れ狂う波、噴出する水や蒸気、台風の眼」、といったスペクタクル性のある絵画があるいっぽうで、「ターナーの後期の水彩画は、すでに印象主義のあらゆる力を我が物としているだけではなく、輪郭を形成しない爆発的な線の潜在力獲得している。そしてその線が絵画そのものを並びない破局としている」(「感覚の論理」)
 ターナーの絵画には、眼がもつ光覚的機能を逸脱させるような光の空間が広がり、見る者をカンバスの奥へと連れて行こうとするのです。いっぽう、人物形体は遠景にあって、スペクタクルのうちに包み込まれているようです。
「なだれ飴」の舞台に、土方はターナーの絵画を用意しています。「なだれ飴」のためのスクラップには、「鏡のまえの女 1830」、「光と色彩—洪水の翌朝 1843」、「影と闇—洪水の日の夕べ 1843」、といった絵画があり、ことにあとの二つの絵画については光に関する短い覚書がいくつも記されています。さらに、ターナーの絵画は、「白桃房」の舞台においても用意されました。「白桃房」作品のためと考えられる「舞踏に関する覚書」(「土方巽全集Ⅱ」所収)に稽古ノートの一部が掲載されていますが、そこに「ターナーの光」という項目がみえます。その中の「ターナーの世界で仕上げられるもの」という覚書は、ターナーの光の中において初めて仕上げられる人物形体のことを指しているのでしょう。そうした形体は、その後の「光の壁に塗り込められた狐の深淵図」と、より明細化、もしくは歪曲されていったようです。さらに「剥製と光」、「光の壁・光の虹」、「光と仮面」、「山羊と光」、「ベッコウ飴の材質、ベッコウ飴の種類」、といった覚書がみえます。次に「ターナー」という項目がありますが、「膿の山羊」、「光の壁」、「光の渦」、「ベッコウ飴の中から出て来る人物は即ちターナーの世界に入る」、「ベッコウ飴の震度」、「いろいろなベッコウ飴が出来上がる その光の肉より」、と書き留められています。さらに、覚書の中の「光の壁」の語が一項目となって、「<光の壁に塗り込められる>深淵」、「濃い光の壁が旋回し、ずるずると光の渦になだれ入る」。「鼈甲飴のにぶい光」、「嵐の去った跡は鼈甲飴かもしれない」(「光と色彩—洪水の翌朝」の絵のことか)、などと、動きがそこに今しも生まれるような覚書がされています。一通り見ると、前半の「ターナーの光」が、言葉として「ベッコウ飴」に入れ替わっているのがみてとれます。それは、絵画に未規定な記憶を重ねながら見る土方独自の視線が、逆に絵画を感覚作用としてからだに取り込む仕方を示しているように思います。
 採集された言葉のなかでことに「膿の山羊」に関していえば、たとえば「白桃房」作品の舞台美術を担当した吉江庄蔵が次のように語っています。「ジョゼフ・ターナーの<海の息吹>や<岸辺に近づくヨット>の絵のそばには、<膿>、<皮膚>、<原爆>などと記されて、『海は時化るんですね!』、『傷が化膿して膿が出るでしょう。痒いでしょう。掻くでしょう、また膿むでしょう。掻きむしるんですね、体中の光に向かって…』などと、ターナーが決して覗くことのなかった世界に降りていって、もうひとつの体に潜む闇の言葉を採集するという具合だった」(「土方巽の舞踏」所収「美術家が見た土方巽」)
 ターナーの絵画の光を前にして、土方には(飴色をした)膿が感覚されているのです。少年期の未規定な記憶が、「ターナーの光」が感覚されると共に現前的なものとなって連れ出されてくるからです。そのとき、「ターナーの光」と飴色をした「膿」の記憶は、土方に感覚作用の移調/変調を起こして、「体中の光に向かって…」作動するのです。そこには、「感覚の作用は、或る水準から他の水準へと降下しながら、落下によって展開する」といった、からだのめくるめくような感覚が吐露されているのがわかります。ターナーの絵画が孕む空間は単なる空間ではありません。その空間は、色彩によって描かれた光と空気が視覚に触感される空間なのです。カンバスの表面にあってなお内部から照らし出すものを目が触感する空間なのです。土方にあっては、その表面から内部へと向かおうとする触感的視覚がカンバスの平面をさまようといった、その無限的ともいえる感覚作用が、「飴」よりもいっそうからだに関わる「膿」への移調/変調をもたらしているのでしょう。
 こうしたところに舞踏符が生まれてくるのであれば、はたして個々の舞踏符がからだで習熟される仕方は、「膿が出るでしょう。痒いでしょう。掻くでしょう、また膿むでしょう。掻きむしるんですね、体中の光に向かって…」という言い方に示されるような、切羽詰まったものなのではないでしょうか。その切迫性は感覚作用の変調/移調と共にあり、そうしたからだの切迫性における感覚作用の優位にこそ舞踏符の方法は注意を向けているのです。そうであれば、舞踏符の論理的展開、すなわち舞踏譜は、感覚作用が連れ出す未規定な記憶によって方向づけられるからだの態勢に深く関わろうとするものなのです。そこに舞踏の個々の動きが生まれるのでしょう。したがって、こうした関わり方は、振付ける側の未規定な記憶が舞踏符を介して自らと同時に踊り手のからだにおいてもかたちになろうとするといった過程を抱え込んでいく、そうした手法でもあると思われます。切迫性をもったその過程において、振付ける側と踊り手の両者の間に交わされるという仕方でからだに感触される潜在的な能力が働くと推測されるのですが、そうした能力、すなわちからだに実感される力の流れは、「不可視の力に自らの可視性以外の可視性を与えることはできない」という闘いの条件からすれば、実際にはからだの神経配列とその変動、その変動の行方を見つめる態勢として互いに見定められようとする、と考えられるわけです。とはいえ、こうしたものを見つめる視線は可視的なものを見る通常の視線ではありえません。神経配列の変動のようなものに向けられる視線とは、むしろ「舞踏の主観性」にみられるような「裏返し」の論理をその本質としているでしょう。それは「物質の密度」から見るような視線として想定できるかもしれません。それは視る行為であり、感覚作用の物質性による混沌へと減じるような「落下」なのです。

 感覚作用に欠けた舞踏の動きは技巧にすぎないでしょう。そうした動きは定型化するのです。土方は、こうした「動きの展開がパターン化する」問題への対処として、複数の舞踏符を重ねて同時に行なうという手法を試みています。たとえば或る舞踏符の何%に別の舞踏符を何%加えてといった具合に、舞踏符をブレンドするのです。こうして、舞踏符の言葉による指示を複合的で微細なものにすることで、おそらく舞踏符が踊り手に課す感覚作用を微細な力の流れとしていっきに取り出し、そうすることで踊り手の動きにおける「物体の密度」、その変動をつねに実現させようとしたのではないかと考えられます。そして、そうした複合的な舞踏符の一つ一つにも名前がつけられていきました。こうした舞踏符の方法は、「今いるところが、とても今いるところから解釈が始まっているとは思えないものだから、どんどん描きかけ風の絵を送り出している」といった土方の視点からすれば、セザンヌの表現を習っているのでしょう。その土台には、人は未規定な記憶の分岐を経験しながら現在を生きている、という考え方があるようです。

 絡み合う神経系
 ここまで舞踏符の言葉に込められた感覚作用を強調してきたわけですが、それは「感覚の論理」にならって、感覚作用がもたらす力の流れに焦点を当てようとしてきたからです。いっぽう、舞踏符には動きの指示があります。かたちや動きの指示と感覚作用を指示する言葉があって、一つの舞踏符となっているわけです。ただし、これまで見てきたように、動きは感覚作用に支えられるようにして舞踏の動きとなっているのです。感覚作用によって動きは力の歪曲を孕み、人物形体とその周囲に舞踏特有の空間感覚をもたらすことになるからです。しかし、舞踏の動きを独自なものにしているのが感覚作用であるとはいえ、当然ながら動きがあって舞踏の表現となり得るわけです。したがって、動きと感覚作用とを分けて考えることはそもそもできないのであり、それゆえ、動きだけを取り出して舞踏の表現を評価することもまたできないのにちがいありません。
 また、こうも言えます。「第二のからだの神経配列化」は、感覚作用を土台にした力の要因があって実現されると考えられますが、その表面としての動きには、舞踏符が指示する感覚作用の内容のいっさいが消えているわけです。「歩行」の例を見れば分かるように、その動きを見る者はいくつかある条件付けを想像さえできないのです。感覚作用は力として動きにもたらされ、感覚作用のその内容が表面としての動きとして現れることがないからです。舞踏符が指示する感覚作用の具体的な内容が動きに直接的に反映されないのはそのためです。言い換えれば、感覚作用が触媒となって連れ出されてくるものが動きに関わることになるのです。
 そこで、動きとは運動神経の働きであり、感覚作用は感覚神経の働きであるというように、動きと感覚作用とを共に神経の働きへと還元するならば、問題は解消されるでしょう。そして、動きと感覚作用はそれ自体として取り出せないのですから、運動神経の働きと感覚神経の働きとは絡み合っているのです。こうして、舞踏符がもたらすからだの神経配列は、運動神経系に感覚神経系が絡み合ってもたらされていると考えることができるわけです。むろん神経の働きとはいえ、運動機能と感覚機能は異なる相として働くのですから、感覚神経系が運動神経系と絡み合って作動するいくつかの局面について検討する余地があるでしょう。そしてまた、そこに未規定な記憶という異なる相がどうして連れ出されてくるのかという現象についても考えてみる必要があります。
 私たちの神経系は自律神経も含めて多様であり、意識が関与できない働きがほとんどです。また性的な衝動を軸にした神経系の働きがあり、それが動物的な生と死の本能を司っているのをみても私たちの神経系は多層であり、その働きを容易に統御することができません。とはいえ、そうした多様で多層な神経系の働きが抱握する広がりは、自己が構成される以前の神経の働きに通じているのではないでしょうか。自己が構成される限りにおいて、自己が編成する記憶は自己の構成をかえって強化するといったサイバネスティックなシステムがあります。そうした意味で、自己は自らを構成する以前と構成以後とを分ける一つの境界として働くのです。舞踏符が意図する運動神経系と感覚神経系との絡み合いにおいて、自己という境界が記憶をめぐる指標としてつねに見定められることになりますが、その境界を突破することができるものとして、感覚の通常的ではない作動が舞踏符の方法に用いられているのではないか、そう考えることができます。感覚作用の変調/移調は有機体としての生を逸脱しようとする「器官なき身体」に起こり、そうしたからだにおいて感覚作用の実現としての力の流れがもたらされるといわれます。とはいえ、「器官なき身体」でなくとも、自己の構成が曖昧な幼年時代には外部と内部とのフィードバック現象が神経系において機能し、たとえば外部を内部に取り込み、内部を外部に投じるといったような感覚神経が頻繁に働いていると考えられます。こうしたことの例は土方の話しぶりからいくらでもあげることができます。そこに働く感覚神経は有機体としての生を半ば逸脱しているのです。ある程度の自己が構成されるときに外部へとフィードバックしない機能が確立するのであり、土方の「少年」機能は、神経系におけるこうした個体と外部世界とのフィードバック機能の回復にあるのではないかと思うのです。そこには自己の境界を突破し、空間的にも時間的にも自己以前の広がり(「死者」)へと通ずるような未規定な記憶と共に、感覚作用の実現としての力の流れが経験されようとしているのではないでしょうか。また、こうした有機体としての生の逸脱は、人が老いると共にその隙を窺うようにして記憶に関わってくることにもなります。感覚作用における「物体の密度」的状態を足場にして、そうした分子密度の状態から任意に結合して記憶は連れ出され、また離散して消えるようになるのです。主体の意図とは関係なしに生じては消えるといった波のような力の流れを、いつしか人は感じ取るようになるのです。
 さて、すでに述べたように、舞踏符の方法において、運動神経系を軸にした動きに感覚神経系を軸にした感覚作用を絡み合わせるようにして、踊り手のからだに舞踏特有の神経配列がもたらされることになります。絡み合う神経の働きなしに舞踏符はないのです。その際に、感覚神経は自己の構成を逸脱させるような働きをするのです。そのことが運動神経に未規定な記憶を反映させ、そこに力の歪曲を生む条件となるのでしょう。こうした観点から、「感覚の論理」の最終章「眼と手」にならって、運動神経と感覚神経との力関係を念頭におくことで、すでに見てきたからだにおける諸能力をその局面において区別することができるでしょう。それらは、「動き」、「からだの神経配列/アレンジメント」、「力の歪曲」、そして次元は異なりますが、「感覚作用の変調/移調」です。これらの局面は、いっぽうの極に運動神経を主にした働きがあり、そして運動神経系と感覚神経系が絡み合うようにして生じる局面がどちらかの優位性によって異なる局面としてもたらされ、さらに感覚神経が主として働く局面としての「感覚作用の変調/移調」がある、というふうになります。
 まず「動き」は目に見えるものであり、それは主として運動神経の働きによってもたらされます。その働きは反復可能であり、反復によって目的に適った「動き」を実現することができるのです。そのように運動神経の働きを反復させること、すなわち訓練は、記憶作用が関わらなくともつねに目的に適った「動き」を実現しようとするためになされるわけです。目的に適った「動き」とは、感覚作用が影響するに及んでも差異を孕む余地のない「動き」です。
 運動神経系に感覚神経系が絡み合うことで、からだにそれ特有の「神経配列/アレンジメント」が構成されることになります。それは「動き」のように具体的に目に見えるのではなく、人物形体やその「動き」と共にその内部に作動する神経の配列として感じられるのです。その絡み合いにおいて、運動神経系が優位にある神経配列と、感覚神経系が優位にある神経配列とがあることになります。どちらの場合にも、感覚作用が作動することによるマキュラーなあらわれが、人物形体や「動き」の表面に付随しています。感覚神経の働きが絡み合うことで運動神経の働きが差異を孕み、その反復を避けるからだと思われます。「からだの神経配列」は、そうしたマキュラーなあらわれから感じることができるのです。
「力の歪曲」は目に見えるというよりも、目に触感されるでしょう。それは両神経系が絡み合う「神経配列」に未規定な記憶が連れ出されるからだにおいて作用するわけですが、そのことによって感覚神経の働きが加速化し、感覚作用の強度として触感されるものです。この「力の歪曲」は、「変形でも分解でもなく、力の作用する場」としてあるわけですが、舞踏の表現における「第二の神経配列化」は、この「力の作用する場」を浮き彫りにしようとするのです。
「感覚作用の変調/移調」を目で見ることはできません。それは感覚作用の通常的ではない働きが感覚神経系に働きかけるその状態を指し、主として感覚神経が作動する局面であると考えられます。そうした局面は人物形体や「動き」に「力の歪曲」が作用する場をもたらすのであり、いっぽう、踊り手においては、力の流れとして経験されているでしょう。
 当然、純粋な「動き」がないのと同様に、純粋な「感覚作用の変調/移調」もありません。これら四つの局面は舞踏符を基にして重層的に働き、その一つの局面だけに収束することはないのです。これら四つの局面が絡み合いながら多様に作動し、神経系の多層な働きへと接近する表現を生み出すことになるわけです。ことに舞踏符による捏造された感覚作用が進入することで未規定な記憶が連れ出される余地が生まれ、その潜在的な能力が運動神経系に反映されるとき、からだに力の作用する場が生じることになるでしょう。そして、そうした力の作用する場が、からだに表面効果を生むのです。絵画において、「動勢は一種の表面効果であり、その効果は、その動勢を生み出す独自の力を示唆すると同時に、この力の下で分解され再構成される多様な諸構成要素をも示唆する」ように、マキュラーなあらわれも一種の表面効果ですが、その効果は、そのあらわれを生み出す感覚作用の力を示唆すると共に、この感覚作用の下で変動する未規定なものをも示唆するものなのです。またそのようにして、「神経配列」も「動き」に付随して、「動き」のうちにあるものを示しているわけです。さらに「力の歪曲」は、「動き」に付随する「神経配列」が「動き」とせめぎ合うところにおいて力の作用する場として感じられることになります。そうした「力の歪曲」を孕んだ「動き」は、人物形体が嵌め込まれた空間に時空の広がりをもたらすことになるでしょう。「感覚作用の変調/移調」は、こうした力の作用する場を提供する力の流れです。その力の流れに関わることが、舞踏の「行為・出来事」であるといってもいいでしょう。
 こうして、舞踏符が意図する運動神経系と感覚神経系との絡み合いにおいて、感覚神経は運動神経に直接的に力の影響を与えることはないけれども、その働きは人物形体や「動き」において内部から差異を紡ぎ出す、といった表現方法が確立されたわけです。言ってみれば、感覚神経は人物形体や「動き」の表面に差異の影を差すのです。踊りを見る者は、そこに大きな違いがあらわれるのを見ることになります。

 アスベスト館での作品制作を外部的な圧力で終了せざるをえなくなった後、土方はいっときアスベスト館を出て、三百人劇場で弟子たちの舞台を演出しています。その前年には、第一生命ホールで大野一雄の「ラ・アルヘンチーナ頌(1977)」を演出しています。その後、プランBでの「景色へ一瓲の髪型(1983)」があり、ふたたびアスベスト館に戻って製作された、どちらかといえば抽象的な内容の作品等があります。こうした経過には、いっぽうに、「白桃房」の絵画的な舞台を脱して、踊り手の「動き」がもたらすものが舞台という構造平面の枠から外へと拡張されようとする表現と、他方に、「白桃房」の濃密な空間を白紙に戻し、踊り手の「動き」のうちに力の歪曲とその散逸を示そうとする表現といった、二つの方向性が見てとれると思います。その二つの方向性からは、舞踏の絵画的表現から脱するという土方の意図が感じられます。
 一つの方向を示すものとして、三百人劇場での公演があります。三百人劇場の舞台はアスベスト館の舞台よりも高さ幅共に二倍の広さがあります。仁村桃子の「最初の花(1978)」の公演では、舞台奥全面にパネルが二段組で立てられ、それを背景にして踊り手はほとんど立ち姿で踊ったと記憶しています。それは、踊り手が額縁の中から外へと抜け出そうと試みるかのような、息を潜めつつ静かに燃焼するような踊りで構成された舞台でした。「最初の花」の舞台について、芦川羊子は次のような評価をしています。「いままで、わたしの踊りなんかでも、一つの表情が、あるはっきりとした形をもって、それがお客さんに伝える手がかりになったりしましたでしょう。そうじゃなくて、その裏に、踊り手がドラマの中に投げ込まれている感情として刻々に変わっていくものが、大きな舞台という衣装の中に一枚一枚あらわれてくるような、動きを包むドラマが、彼女(仁村桃子)の舞台にも感じられて、わたしの舞台もそうありたいと望みましたね。だから、彼女の動きは確かに何かに遭遇しているというふうに感じました。今回の彼女の舞台は、先生としてもかけがあったと思うし、そのかけが成功したことを見ていて、わたしはすごくうれしかったです」(「新劇・1978 12)
 形体から動きへという移行を見つめる視線が明確に示されていますが、「動きは確かに何かに遭遇している」と語られているその「動き」に注目したいと思います。「動き」が遭遇するものをここではっきりさせることはできませんが、おそらく、踊り手の「動き」が土方の操作から離れて、踊り手個人のものとなっているということが指摘されているのではないかと思います。踊り手は、その「動き」がもたらす周囲の空間を舞台という構造平面に閉じ込めることなく、自らの存在を独自に主張しようとするのです。 
 もう一つの方向を示す表現として、土方が数年ぶりに芦川羊子を振付けた「景色へ一瓲の髪型」の舞台があります。その表現では、「白桃房」の舞台形式、その絵画的な様式はいっきに反転された感があります。感覚神経の働きを核とした絵画的表現である「鯨線上の奥方」を裏返すと、「景色へ一瓲の髪型」の表現となるのではないでしょうか。舞台の構造を強く打ち出していた背景は取り去られ、舞台には人物形体の動きだけがあり、その人物形体の動きの内にすべてが封じ込まれる。すべて動勢は人物形体に収束され、なおかつ人物形体において散逸するという回路が提出されたのです。さらに、舞踏符の言葉がプロンプターによって踊り手の要求に応じて逐次大声で与えられ、そのため、踊り手の切迫と変動が裸になって現われている。そこには、舞踏符から舞踏譜へと構成される連続性があちこちで断ち切られ、潜在するものの真の連続性を見出そうとする作業があるようにみえました。その結果、舞台上には、茫漠たるものを抱える人物形体が出現したのです。
 その後、額縁を脱しながらもなおかつすべての力の流れが人物形体の内部に収束し散逸するといった、二つの方向性を共に適えるような表現はついに実現しなかったようですが、ここで述べた舞踏をめぐる「感覚の論理」についていえば、舞踏符の方法があるかぎり、それは実現するだろうと考えます。
                         (「舞踏の表現形式について」了)

Monday, December 16, 2013

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


   七. 「感覚の論理」

 この夏(2013)、豊田市美術館で「フランシス・ベーコン展」を見ました。その後すぐに、ジル・ドゥルーズの「感覚の論理」を再読しました。この著作はベーコンの絵画を基にして、ドゥルーズによる絵画理論、すなわち絵画表現を一貫する感覚作用の論理を展開したものです。ドゥルーズはベーコンという画家を、「ヴァン・ゴッホやゴーガン以来の最も偉大な色彩画家の一人である」、と評価しています。ちなみに「感覚の論理」の「感覚」は、ポウル・セザンヌの用語を前提としています。たとえば、ジョアシャン・ガスケの「セザンヌ」には、「自然にならって絵を描くことは対象を模写することではない。いくつかの感覚を実現させることです」、というセザンヌの言葉が記録されています。このように、絵画表現において「感覚の実現」が目指されているからこそ、「感覚の論理」について語ることができるのでしょう。言い換えれば、感覚の実現は画家であるベーコンの側にあり、その実現は絵画を前にしたドゥルーズの思考に反響し、ドゥルーズに感覚の論理を語らせるのです。
 ドゥルーズによれば、ベーコンの絵画は以下のような過程を経て成立しています。
「蓋然的な視覚的総体(第一の象形化)が自在な手覚的表現によって破壊され、歪曲された。そしてこの表現が総体の中に再び導入され、非蓋然的な視覚的形体を生み出すことになる(第二の象形化)。画く行為、それはそうした自在な手覚的表現と、その反作用との、つまり視覚的総体へのそうした表現の再導入との統一である。そうした表現行為を経験して、再発見され、再創造された象形化は、出発点の象形化とは別ものである」。
 ここで視覚や手覚といった感覚作用が言われていますが、ドゥルーズは視覚を広い意味で捉えており、その感覚作用には「触感的感覚機能」も含まれています。「触感的感覚機能」とは、触覚のみでなく嗅覚や聴覚をも綜合させて働く機能であり、おそらく無意識レベルの作動、あるいは記憶として残留するものをも取り込んで働くと考えられます。その結果もたらされるのが「視覚的総体」であり、それは連係した感覚作用が展開するものの反映だといえるでしょう。いっぽうの「手覚」もまた、手に関わる運動神経の働きを抱握した触感覚であり、神経系の連係的な展開がもたらす事態であるといえます。もっとも、単に視覚といった一感覚の純粋な働きを示すことは経験的に難しく、私たちの日常世界は連係した感覚作用によってもたらされているわけです。
「象形化」とは、記憶などの意識的あるいは無意識的作用を反映させた「視覚的総体」がもたらされることをいいます。まず「第一の象形化」の作用があります。すなわち、「第一に象形的所与が存在する。象形化の作用は現実に存在する。それは既成の事実であり、その作用は絵画に先行しさえしている。われわれは、説明する写真、物語る新聞、そして映画のイメージ、テレビのイメージに包囲されている。生理的であると共に心理的でもある紋切り型、全く既成の認識、想い出や幻想が存在する。そこには、画家にとって極めて重要な一種の試練が存在している。というのも、<紋切り型>と呼ぶべきあらゆる範疇の事象が、作業開始以前にすでにカンバスを占領しているからである。それは劇的で、深刻である。…カンバスの上には、つねに―すでに、紋切り型が存在している」。
 こうした「蓋然的な視覚的総体(第一の象形化)」が、絵画表現特有の技巧を伴った「自在な手覚的表現によって破壊され、歪曲され」る。そして、そうした「破壊・歪曲」行為を介して、ふたたび「絵画は…形体を勝ち取らねばならない」。それが、「非蓋然的な視覚的形体を生み出すことになる」「第二の象形化」の作業です。
「第二の象形化」にこそ、個々の表現者それ自体の道があるでしょう。たとえば、「形体化へと向かう道に関しては、セザンヌはそれに、感覚(の作用)という、簡潔な名前を与えている。形体、それは感覚の作用へともたらされた感覚可能な形体である。それは、肉に所属する神経系統に直接に働きかける」。
「第二の象形化」として、ベーコンの絵画における形体が、それを見る者の「肉に所属する神経系統に直接に働きかける」形体として挙げられています。こうした象形化には、表現者独自の「感覚の論理」が働いているのです。たとえば、「ベーコンは、感覚に結びつけられた形態(形体)、それは再現描写している(象形化作用)とみなされる対象に結びつけられる形態(形体)とは別のものであると主張」し、画く行為において自らの「感覚の論理」を優位に保っているといいます。
 ベーコンの絵画が成立するこうした過程には、最終的に次のような意味と価値が見出されています。「そこにおいてこそ絵画は、自らの奥底に自分なりの仕方で、一種の純粋論理に関する問題を、行為の可能性から行為そのものへの移行の問題を見出す」。言い換えれば、ベーコンの絵画には、「形体あるいは絵画的行為がまさしく純粋状態で生誕する」のです。
 土方の舞踏表現は、「第一の象形化」に比されるべき「第一のからだの神経配列(アレンジメント)化」を「破壊・歪曲」し、そうして「死体」となったからだから命がけで突っ立ってくる「第二の神経配列化」を実現する表現であると考えられます。何よりもこの点において、土方の舞踏表現は、ドゥルーズが「感覚の論理」を基に示そうとする表現過程に通底すると思われるのです。またベーコンの絵画については、その表現、すなわち絵画に痕跡する画く過程の神経を、土方が舞踏符としてからだに取り込んだという経緯もあり、そうした土方の視点を考えるうえでも、「感覚の論理」に立ち入る必要があると考えます。
 土方が絵画に向ける関心は特徴的です。それは土方が早い時期に画家たちと接触をもったせいもあるでしょうが、たとえば残された「舞踏符ノート」の書き込みを見れば、絵画に接近する土方独特な視線をうかがい知ることができます。また、自らの「少年体」をカンバスに見立てたり、「濡れてささくれだった板に」絵を描く少年期の行為を大事そうに語ったりして、舞踏の表現、とりわけ舞踏符の方法が絵画に深く関係していることを匂わせています。
 土方が舞踏表現の技術化に専念した時期に「白桃房」の公演があります。その表現は、アスベスト館の額縁的な舞台に繊細な照明操作によって変幻自在に浮かび上がる背景画、その前に立つ色鮮やかな衣裳を身につけた踊り手、その微細な動きなどから、いかにも絵画的な特徴があるように思われます。そのあまりに視覚に訴える表現は、「視線の快楽」とさえ言われました。この時期の土方の舞踏表現は、舞踏符の方法と絵画表現との根深い繋がりの上に成り立っているように思われます。
 むろん舞踏の表現と絵画表現とでは、その性格はまったく異なっています。端的にいえば、絵画表現はその表現が事物として残り、いっぽう舞踏表現は人物の動きであり、時が過ぎれば消えてしまうわけです。そこには大きな隔たりがあります。とはいえ、いかなる表現も、表現に向けてあらかじめ抱かれた意図、その意図を実現するための現在的な行為、そして行為を介して表現された目の前の対象、それらのあいだにずれを抱えていると考えられます。そうしたずれを抱え込んだ表現過程があるわけです。ベーコンという特定の画家の表現に迫ろうとするドゥルーズの「感覚の論理」も、むろんこうしたずれを前提としています。そして、舞踏の表現もそのずれを知っているのです。このずれはむしろ、表現という行為に伴う意味と価値の豊かさを生み出しているように思われます。結果的に残された作品そのものよりも、表現過程の次元に目を向ければそのことがよくわかるでしょう。舞踏の表現はパフォーマンスにおいてずれをいっきに一致させようとする意図を始まりからもっていると考えられますが、ここで検討するのはそうした一致の局面ではありません。「感覚の論理」が絵画表現のずれに一致をもたらそうとするものとして取り上げるのが感覚作用ですが、はたして舞踏符の方法にもそうした感覚作用の役割を適用できるだろうか、という点を見てみたいと思いました。

  1. 感覚の実現と形体化

  感覚の実現
 表現において、その意図、表現する行為、表現される対象にはずれがあります。そして、セザンヌは絵画表現に際して、それら意図、行為、対象を貫き通しているのが「感覚の作用」である、そう考えていたのではないでしょうか。セザンヌは次のように語っています。
「高すぎたり、低すぎたりすれば、すべてぶち壊しだ。ふるいの目がひとつでも甘ければ、その穴から、感情も、光も、真実もこぼれ落ちてしまう。いいかね、私は、どの絵でも、全体を同時に進める。同じ勢い、同じ信念によって、散らばっているものすべてを近づける…。私たちが見ているもの一切は、散り散りになり、消え去ってしまうではないか。自然はいつも同じだが、自然のなかで私たちが目にするものは、すべて移り変わる。絵画芸術は、自然がそのもろもろの要素とともに震えながら持続するさまを、あらゆる変化を示すその外観を描き出さなくてはならない。絵画芸術は、私たちに自然の永遠性を味わわせなくてはならない。自然の外観の下には何があるのか。何もないかもしれない。すべてがあるかもしれない。すべてだ。わかるかね。だから私は、自然のさまよう手を手で掴む…。右から、左から、こちらも、あちらも、あらゆる部分でその色調、色彩、濃淡を定着させ、近づける…。それらの色は線を生み出す。私が思案するまでもなく、それらは対象、岩や木となる。それらには量感がある。色価がある。それらの量感や色価が、私の画布の上、私の感受性の中で、この目の前にある面とか色斑に一致すれば、そう! 私の画布は手で手を掴む。その画布は揺るがない。高すぎたり、低すぎたりしない。真実で、充実したものになる…。しかし、もし私がほんの少しでも気をそらしたり、少しでも集中をとぎらすと、特に、一日でも過剰に解釈したり、昨日までの理論と矛盾する理論に今日心を動かしたり、描きながら考えたりすれば、つまりに私が介入しようものなら、バタン! すべて台無しだ」(ダニエル・ユイレとジャン=マリー・ストローブ 映画「セザンヌ」)
 ここでセザンヌは、「いくつかの感覚を実現させること」、そのあるべき手順を語っているようです。セザンヌは、様々に変化する自然の外観が、量感や色価となって画布の上で、すなわち「私の感受性の中で、この目の前にある面とか色斑に一致すれば」、「私の画布は手で手を掴む」、すなわち「感覚」は実現されるというのです。それは感情、感覚作用、表現意図を含めた、「全体を同時に進める」作業であるわけですが、このとき感覚作用はといえば、それはまず、自然の外観と表現する者とが接触するところ、言い換えれば、自然という物質世界と個体という物質世界との接触面/インターフェイスとして働く、そう考えられているように思います。要するに、セザンヌの表現において、絵画にはそうした「接触」をあらわにする意図があり、画く行為はおのずとそのような「接触」であり、そうした「接触」を痕づけた作品となって目の前に残ることになるのです。この場合はセザンヌという一表現者としての考えですが、世界と個との接触面は認識や知覚ではないという明瞭な前提がみてとれます。その接触面は、「散らばっているものすべてを近づける」感覚作用の働きにあるのです。こうしたことから、セザンヌの「感覚の作用」を引き合いに出す「感覚の論理」もまた、認識や知覚以前にすべてを「接触」させている感覚作用を念頭に置いていると考えられます。けれども、その論理は世界と個との接触面に注意を向けるのではなく、もっぱら表現する個体の方へ、表現を介して新たな主体となるものに照準を合わせていくような、そうした表現主体をめぐる組立作業となっているようです。それゆえ、その論理は、個体という事象へと、その内部へと、感覚作用の働きそのものを捉えようとする展開となっています。「感覚の作用は、主体(神経系、生命的動き、本能、体質等)へと向かう側面と客体(事実、場、出来事)へと向かう側面をもつ。…それは分かち難く存在する二つの事象である。…すなわち、感覚の作用においては、私は成ると同時に、感覚の作用によって何ものかが達する。両者は共に感覚の作用において成り、感覚の作用によって達する。そして極限において、感覚を惹起すると共にまた感覚を受容するのは同一の身体であり、またこの同一の身体こそが客体であると同時にまた主体となる」。
 感覚作用によって、主客は分かち難いものとしてそれ自体へと達する。それが達するものの基盤はあくまでも身体です。私たちは身体を基盤にして世界と「接触」するのですが、その際に感覚作用は主客の両者をもたらしながらも、なおかつ主客の両者を分かち難く貫いているのです。それに対して、主客の区分を明確にしようとする認識の働きは、その基盤が身体にあることを忘れさせ、なおかつ感覚作用がもたらす主客の一貫した状態を見失わせることになるのです。
 あらかじめ述べておけば、身体を基盤とする感覚作用はいっきに主客を分けた認識作用をもたらすのではありません。たとえば、仏教のアビダルマ理論では、意識作用を構成する要素のうちの第一の契機となるものを「触(phassa)」とし、「接触・衝突」の意に解しています。「その本来の特徴は触れることである。それ特有の属性もしくは持ち味は衝突である。衝突の契機は、三つの要素(感覚器官、感覚対象、感覚作用)の集まりである。それは、その軌道に入るどんな対象にも土台もしくは足場を提供している」。「触(phassa)は、(意識作用を構成する第二の契機である)感触の受容(vedana)の誘因となり、感触の受容を生じさせる」(Attasalini)
「触」は、意識を用意する以前の感覚相におけるあらゆるものの接触を示しています。その対象は、私たちが物質的なものと精神的なものとに分けているものの全範囲を網羅しています。それゆえ、私たちの意識作用へのプロセスとその生成のための足場を提供する最初の段階として「触」は示されているのです。
 物質から構成されている個体という領野において、物質の上に精神的なものが直接打ち立てられて人という地層を成しているのではありません。まず「接触」があり、その未だ誰のものでもない感覚作用を主体的に組織する、感覚の事後的な作用が認識の働きなのです。その組織化の過程にはいまだ曖昧な領域があります。たとえば、私たちが認識を組織する働きへと漸近する作用を、哲学者 A. N. ホワイトヘッドは、「フィーリング(感じ)」と言っています。
 こうした考えを前提として「感覚の論理」は、「感覚を惹起すると共にまた感覚を受容する身体」を基盤としながら、自らを感覚作用それ自身へと開いていこうとするのです。「感覚が存在するのは、肉体を離れた自在な光や色の戯れ(印象)の内においてではない。反対に、感覚はからだの内に、たとえそれがリンゴのからだであれ、とにかくからだの内に存在する。色彩は物体の内にあり、感覚は身体の内にある。空中にあるのではない。感覚、それは画かれてあるものである。絵の中に画かれてあるもの、それこそがからだである。それも対象として再現描写されている限りにおいてではなく、或る感覚を経験するものとして生きられる限りにおいてそうなのである」。
 感覚作用によって主客は分かち難いものとしてそれ自体へと達するのであれば、感覚作用は、画かれてある形体と画く行為の両者を貫くものでもあるのです。感覚作用がからだの作用であるのは自明なことですが、ここでは表現行為と表現された形体の両者において感覚作用が貫いていることで、その形体を見る者においても経験されうるからだの作用として捉えることができるというのです。それがどういう事態かといえば、「第二の象形化」である形体は「肉に所属する神経系統に直接に働きかける」、といったことから推測されるでしょう。
 事実として感覚作用とはまず、からだの隅々まで張りめぐらされた神経系統による働きです。動物の神経系統のうちの自律神経系は有機体を成り立たせ、その有機体が、自らを維持するために感覚器官系を世界との接触面としてもっているのです。ところで、その「感覚器官系の彼方」、すなわち諸感覚器官の組織を逸脱する方向において、そこになお私たちの経験として際立つような身体の極限があるといいます。「器官なき身体」、それは神経系統のうちの無数の感覚神経がその働きを逸脱して、感覚作用の様々なレベルにおいて共鳴し反響するところに見出されるからだなのです。たとえばそれは、「一種の波がその身体を経巡り、その波の振幅の変化に応じて、様々な水準あるいは様々な閾が身体の内に描き出される。身体はそれゆえ、器官はもたないがしかし閾や水準はもつ。感覚の作用は質的なものでも、また固有の資質を与えられたものでもないから、徹底した実在性しかもたず、この実在性が感覚の内に引き起こすのはもはや表象的所与ではなく、同質異形的変異である」、と描写されています。
「同質異形的変異」とは、その現象を説明すればそれも表象となってしまいますが、ここでは、身体を同質の身体のままで歪曲しようと働く見知らぬ力の感覚、その実在感覚そのものを指すための用語なのでしょう。なぜ歪曲する力が働くのでしょうか。それは、有機体の逸脱である「器官なき身体」が、通常とは異なる感覚作用の様々な水準や閾を、その通路を、からだに開くからです。とはいえ、その歪曲する力の感覚を表象することなく、あくまでも力と感覚作用の関係として捉えようとすれば、「力は感覚の作用と緊密な関係にある。感覚が生じるためには、力が身体、すなわち波動の或る部分へと向かい、そこで作用する必要がある」、というように、歪曲する力が働くところに生じる感覚作用に注目すべし、といった堂々巡りになるでしょう。けれども、「力が感覚の作用の条件であるとはいえ、感じ取られるのは実際のところ力ではない。なぜなら、感覚は それ自らを条件づける様々な力から出発して、しかも全く別のものをもたらすからである」。
 感覚作用は力を足場にしているにも関わらず、それは表象として捉えられがちです。そうではなく、感覚作用に付随するもののなお表象されない力がその足許にあるとみなすべきなのです。それゆえ、「いかにして感覚作用は十全にそれ自らへと向かい、弛緩あるいは緊縮することで、その感覚作用がわれわれにもたらすものによってもたらされていない力を捉え、かくて感じ取ることのできない力を感じ取らせ、しかも感覚作用に固有の状態にまで自身を高めることができるのだろうか」といった問いが、ベーコンの画、すなわち画く行為と画かれた形体とが貫かれている様態をめぐって立てられることになるわけです。
 認識の働きをもってして感覚作用に伴う力を把捉するにはどうしても曖昧さが伴う、という前提があるわけです。しかるに、ベーコン画を前にして手がかりとされるのは、「器官なき身体」における感覚作用がもたらす諸水準といった局面です。たとえば、ベーコン画における、「口はもはや特殊な一器官ではなく、身体全体がそこから逃れ出る穴であり、人肉がそこから生まれ下りる穴となる」、といった形体を手がかりとして、私たちは感覚作用がもたらす諸水準といった局面へと分け入っていくことができるだろうというわけです。ところが、ベーコンは、「感覚(の作用)、それは或る<次元>から他の次元へ、或る<水準>から他の水準へ、或る<領野>から他の領野へと移り行くものである」、と主張しています。ベーコンにとって感覚作用が示すものは、「器官なき身体」が例とするような、感覚作用が開く様々な水準や通路によって際限なくそこに生まれるものにではなく、画く行為のさなかに生じる感覚作用の移調/変調といった局面に関わっているのです。それゆえ、「異なった次元の複数の感覚が存在するのではなく、唯一で同一の感覚の異なった次元が存在する。異なった構成的水準、複数の構成する領野を包み込むこと、それこそが感覚の仕事である」。
 どういうことかといえば、感覚作用がもたらす諸水準とは、相互に感覚機能が異なった器官に通じることで開かれる様々な感覚領野といったものです。それら各々の水準もしくは領野は、そこに表象されるものとは独立して、他の水準もしくは領野へと通じる流れをもっているのです。そのように感覚に付随して感受されはするものの表象されることのない力の流れが、諸感覚が構成する内容、すなわち色彩、触感、匂い、重さ、ざわめきといった複数の感覚内容のあいだに存在するのであり、その存在が実在感覚として私たちのからだに際立つことになるというのです。
 したがって、「異なった構成的水準あるいは複数の構成する領野を包み込む」といった感覚作用の働きによって、ベーコンが主張するような感覚作用の移調/変調があるのですが、その移調/変調のあり方は、単に身体が同一の身体のまま異形となるといった内容での感覚の実現ではないのです。それは力の流れに達しているという意味で、実在的感覚の実現なのです。すなわち、感覚作用の移調/変調は、「異質な諸要素を直接結合させる。そして、それら諸要素間にまさしく際限のない結合の可能性を導入するが、この導入は、そのあらゆる瞬間が実在的で感覚的であるような、有限のレベルあるいは現在の場において行なわれる」のです。感覚作用が異なる水準、複数の領野を貫いて力の流れとして実現し、それが実在的に抱握されるのが、この身体という現前するものの場に他なりません。
 さて、ベーコンが主張する感覚作用の移調/変調、すなわち感覚作用が、感覚の水準の、次元の、領野の差異を内包して、或る水準から他の水準に移行するということについては、「もし一時的で臨時的な複数器官の存在という系列全体を考察するならば、<器官なき身体>によってそのことは説明される。或る水準で口となるものが、他の水準では、あるいは同一水準の他の諸力の作用の下では肛門となる。こうした系列全体こそ身体のヒステリー的現実である」からだといいます。
「身体のヒステリー的現実」とは病であり、それは組織体の逸脱に他なりません。とはいえ、ことに表現行為に関わるこうした「身体のヒステリー的現実」においてこそ、感覚作用に貫かれた行為と形体の生まれる契機があるというわけです。「身体のヒステリー的現実」とはいえ、画く行為における感覚作用は単なる類推に関わるのではないからです。その感覚作用は移調/変調に関わっているという意味で、「歪曲の愛人、身体の歪曲を司る者」であると形容されています。感覚作用の変調/移調と力の歪曲との親密な支配関係を言い当てているわけですが、こうした意味において、ベーコンは画く行為において力の歪曲に関わっているのです。感覚作用の移調/変調はそれ自身を示すことができないけれども、力の歪曲が作用する場において、それは経験されるからです。画く行為において力の歪曲に関わるとは、例えば、目で形体に集中すればするほど形体の拡散を誘発するような手に働く感覚作用があります。そして、からだに関わる意識がとめどもなく主客の逸脱を生む「肉体の闇」に、それと似た働きがあるように思います。
 このように、感覚作用→力の歪曲→感覚作用の移調/変調への方向に従うことは、画く行為に際して、見える力から見えない力へと通路を開いていくことにもなるわけです。「歪曲はつねに身体のそれであり、それは静態的であり、その場で即興的に実現される。それは力に動きを従わせるが、しかしまた形体に抽象を従わせる。拭い去られた部分に或る力が作用するとき、この力は抽象的形態を生誕させるのでもなければ、いわんや感性的諸形態を力動的に結合するのでもない。反対に力は、いずれにも還元し難い、多様な形態に共通する一種の識別不可能な地帯とする。そして、力が生み出す力線は、その明晰さそのものによって、またその歪曲する正確さによって、いかなる形態をも免れている」。
 力の歪曲に関わることは、感覚作用を通じて、いわば<生命の線>に関わろうとすることなのでしょう。そこには、感覚作用に貫かれた行為と形体とが機能することになるような、感覚作用の実現への方途が示されているのです。

  画く行為
 画く行為には、先行性の現象、事後性の現象、履歴現象として起こる局面があるといいます。すなわち、「絵がまだ始まっていない内に起こること—先行性の現象、しかしまた同じく後になってから起こること—事後性の現象、毎回仕事をやめさせ、象形的流れを中断させ、それでいて後になってから再び始めさせることになる履歴現象(ヒステレシス)…」があるのです。
「ヒステレシス」とは、或るシステムの状態がそれまで自身がたどってきた経過に依存しているために、外部から加えられる物理的効果がその原因に対して遅れて現れる現象をいいます。それゆえ、「ヒステレシス」をもつシステムでは、システムの状態を見ることにより、過去に加えられた力をある程度推定することができるのです。このため、「ヒステレシス」を「履歴現象」というのです。現在が過去の履歴として現われてくるこうした局面とはうって変わって、感覚の実現に向かって画く行為は力の流れとしての現在を見出そうとする意図を抱いています。そのため、「画く行為はつねに位相をずらされ、絶えず事前性と事後性との間を揺れ動く。それは画くヒステリーである」。
 画く行為に際しては、事前性と事後性との間を揺れ動くものに敏感にならざるをえない、そうした「身体のヒステリー的現実」があるわけです。それゆえ、わずかな感覚作用の移調/変調にもからだを差し出すことになるのです。さらにいえば、履歴現象はシステムの閉鎖において知られ、つねに変化する外部世界と「接触」する現在とは相容れることがありません。それゆえ、画く行為においては、外部世界と「接触」する現在と履歴現象とのあいだでつねに葛藤するものがあるはずなのです。画く行為において、ベーコンが感覚作用の動勢や、その移調/変調に積極的に反応せざるをえないのはこうした点にもあるのでしょう。
 さて、ドゥルーズは、ベーコン画をデジタル的な抽象画と区別して、アナログ的言語活動であるといいます。どういうことかといえば、デジタル的フィルターはデータを無限に集積するけれども、その操作が感覚可能となるには何らかの変換装置を通して翻訳される必要があります。いっぽう、アナログ的フィルターは異質な諸要素を直に結合させます。そして、それはあくまでも現在の場において実行され、その瞬間に感覚可能となるからです。さらに、「アナログ的フィルターは多くの場合、周波数の減算(除去)によって作動する。その結果、様々なフィルターによって加算されるもの、それは集約的減算である。減算的加算こそが、落下としての変調や感覚作用の動きを構成する」からだといいます。
 そうで<ある>ものがフィルターを通して仮想的に無限に集積される、そのように、そうで<ある>ものに限定された領域よりも、そうで<ない>ものをもフィルターによって加えられる、そうした限定されないものの領域の方がはるかに拡がりがあるのです。そして、そのように限定されないものの領域にこそ、各々の水準の異質性を結合し、その差異を内包することで通路を開く、感覚作用の移調/変調する次元があるのです。こうした意味で、画く行為におけるベーコンの感覚作用は「接触・衝突」であるよりも、「減算的加算」によって構成される「落下」としての移調/変調なのです。「落下」とは、綜合としての意識作用が再び感覚作用の物質性による混沌へと減じることでもあるわけです。その「落下」には加速が伴います。そのように、画く行為において、「感覚の作用は、或る水準から他の水準へと降下しながら、落下によって展開する」、というのです。画く行為のさなかに、力の歪曲する作用とその場は、物質性へと減じつつ加速度的力を伴う「落下」として捉えられるのです。それが、「落下がもつ特有の実在感、すなわち神経系への直接の働きかけ」なのです。さらに、「ベーコンの場合優先権は下降に与えられている。奇妙にも、能動的なものは、下降するもの、倒れるものである。能動的なもの、それは落下である。しかしそれは必ずしも空間における下降、拡張としての降下ではない。それは感覚作用の移行としての、感覚作用の内に含まれる水準の差異としての下降である」、といわれます。土方はまず「立たない」ところから踊りを始めたといいますが、そのからだは、こうした感覚作用の移行を抱えていたのではないでしょうか。
「落下」は、実際には、画く行為と画かれた形体との関わりにおいて経験されるでしょう。「強度の差異は落下において経験される」のです。いっぽう、画かれた形体、すなわちその形体化に「落下」が検証され得るでしょう。たとえば信仰は決して「落下」でありえませんが、宗教画を絵画として画くことは「落下」なのです。そこに画かれた形体が、画く行為の「落下」を証しているのです。
 こうした「落下」は、表現行為特有の実在感覚ではないでしょうか。表現行為、すなわち、表現の意図という抽象を表現対象として物質化するその行為は身体を基盤としています。身体を基盤にした表現行為が、抽象とその物質化のあいだを貫くのです。こうした事情を考えれば、表現行為一般は、その行為が感覚作用の物質性へと減算され、いっぽうで表現意図はその過程で加速を身につけるといった、「落下」の経験として捉えられるのではないでしょうか。ましてや表現する行為は、移調/変調するもの、揺れ動くものにつねに敏感に反応しているわけです。それゆえ、「落下」を通じて、画く行為のさなかの偶発性/可能性にいっきに侵入していくこともできるのです。たとえば、ベーコン画には、画布の上に塗られた絵具をタオルで拭い、その痕跡を残すという手法があります。セザンヌは、画く行為を、そのプロセスを、画布の上に残しましたが、セザンヌはその痕跡につねに不満であったようです。いっぽうのベーコン画には、それよりも露骨に画く行為がカンバスの上に残されているのです。この偶発性は「残る」というよりも、画く行為そのもの、その可能性を示していると考えることもできるでしょう。そして、そう捉えるところに、ドゥルーズが、「手覚」や眼の「触感的機能」といったものを提出する視点があるように思います。
 はたして、人類の絵画表現は手と眼の感覚の関係作用のうちに始まるといった履歴が再認識されるのです。ドゥルーズは、「デジタルなもの、触覚的なもの、手覚的なもの、触感的なもの」を区別しなければならないといいます。そこには、画く行為における、眼と手の従属関係が考えられています。
「デジタルなもの」は、眼に対する手の従属を示し、手は純粋に視覚的なもののためにしか介在しません。手が視覚に従属させられればさせられるほど、視覚は観念的な光覚的空間を展開し、光学的コードによって形態を捉えようとします。
「触覚的なもの」は、光覚的空間になお結びついている手覚的志向対象を提示する、そのような潜在的な志向対象を指し、たとえば、奥行き、輪郭、立体感などをいいます。
「手覚的なもの」は、眼に対する手の従属が弛むことで手の不服従が介在し、視覚に展開するものが、「形態なき空間」、「休息なき動勢」となるといったように、光覚的なものが解体されて、眼と手との逆転された関係にあるものをいいます。
「触感的なもの」は、眼と手の緊密な従属関係、弛緩した従属関係、潜在的結合関係等がもはや存在しなくなるが、視覚そのものがそれ自身固有で、それ自身にしか属さず、しかも光覚的機能とは区別される「触れる」機能を自らの内に見出すようになるものをいいます。そのとき画家は眼で画くが、それもただ眼で「触れる」といった風にして画くのです。この触感的機能は、古代エジプト芸術にその頂点があるといわれます。
 こうした眼と手の従属関係の逆転、ひいては眼の機能の触感化という変様は、視覚に手の運動機能が積極的に絡み合わせられることで、感覚作用に影響を及ぼすことを示しています。感覚作用に運動機能が絡み合うとは、感覚神経系が運動神経系と絡み合って作動する状態です。その結果、運動神経によって制作された対象は、そこに感覚神経の影が差すものとなって残るのです。要するに、表現行為(出来事)とはそういうことなのでしょう。そして、そうした両神経の絡み合いが、感覚作用に新たな方向を告げるのです。ドゥルーズは視覚の新たな方向を、「第三の眼の構成」、すなわち眼の触感的機能に求めています。たとえば眼の触感的機能、いわば運動神経系が絡み合うことによる感覚作用の変様が、カンバスの上に新たな形体、すなわち「第二の象形化」を生み出すことになるのです。その形体は感覚作用に貫かれ、絵画表現独特の明晰さを実現することになります。
「『(モデル)をありのままに捉え生け捕りにする』ように、われわれは事実を捉えるだろう。しかし、ことそのもの、手から生まれたあの絵画的こと、それは第三の眼の構成であり、触感的眼、眼の触感的視覚機能の生誕である。そしてまた、それこそがかの新たな明晰さである」。
 ドゥルーズは、手感覚と共に視覚をかなり広い意味で捉えていることは最初に述べましたが、その新たな触感的機能は、皮肉にもエジプト・レリーフを見ればかなり実感できるでしょう。

  形体をもたらすベーコン画上の「動き」
 感覚の実現に向かって画く行為を介して、ベーコン画がカンバス上にもたらそうとする「第二の象形化」をめぐる「動き」があります。ベーコン画は、見る者に感覚の実現へと誘い出すような「動き」をもっているのです。まず「動き」の要件として、ベーコン画における三つの要素があげられています。
 ベーコンは、自らの絵画に関して三つの基本的要素を区別しています。「まず空間性をもたらす物質的質料的構造としての大きな平面がある。次に形体、形体群があり、そしてそれら形体の行為がある。最後に舞台すなわち円形、競技場あるいは輪郭があり、これらが形体と平面との共通の境界をなす」。
 これらの要素は、ドゥルーズによって、構造(平面)、形体、輪郭として一般化されています。具体的には、抜群の透明感ある一色塗りの色彩あるいは暗色の背景(平面)があり、うごめくような色感をもった形体があり、両者を隔離し両者に注意を向けさせる輪郭があります。
 そして、「動き」は何よりも、「ベーコンの絵の、近視点の同一画面において背景として機能する平面と形態として機能する人体との、あの絶対的近接性、相互明確性」に関わっています。たとえば、透明感ある一色塗りの背景面があってうごめく色感をもった形体があり、うごめく色感をもった形体があって透明感ある一色塗りの背景面がある、という風に、両者の絶対的な近接があって、相互的に際立たせる「動き」が実感されるのです。
 その「動き」とはすなわち、「最初の動き(「緊張」)は構造から形体へと向かう。構造はその際に一種の平面として呈示されはするが、しかしそれは、例えば円筒のように、輪郭の周りを取り巻いてゆくだろう。輪郭はその際、一種の隔離するもの、円形、楕円形、鉄棒あるいは様々な鉄棒の全体として提示される。かくて形体は輪郭の中に隔離される。…そこで第二の動き、第二の緊張が、形体から物質的質料的構造へと向かって生じる。すなわち、輪郭が変化し、洗面台や雨傘の半球体となり、また鏡の厚みとなり、形を歪めるものとして作用する。人体は緊縮しあるいは膨張し、穴を通り抜けあるいは鏡の中へと入る。一連の叫ぶ歪曲において、人体は異常な<動物—生成>を経験する。そしてそれは、それ自身平面と再結合し、最後の微笑みを残しながら構造の内へと消散(散逸)してゆく」。
「動き」は、まず透明感ある一色塗りの背景面が形体を隔離する作用として、次に輪郭の変化が形体を歪曲する作用として、最後に形体が一色塗りの背景面の内に散逸する作用として取り出されています。それらは「見えない力」として、ベーコン画がそれを見る者のからだに働きかける力なのです。
 三つの力は、一色塗り平面から形体へ、形体から一色塗り平面への「動き」に対応していますが、それらは三段階として示されています。そして、それらの段階は一方向的ではありません。まず隔離→歪曲→散逸という方向があるわけですが、そこにはすぐに散逸→歪曲という方向の「二重の動勢」があり、その反復とそこに生じる差異がベーコン画を出来事成らしめているのです。反復と差異を生むこの「二重の動勢」は、ベーコン画を見る者に、各々の「象形化」を解体させ、「象形化」に留まることのないようにさせているのです。その「動勢」は、意図に貫かれた感覚作用の諸領野をカンバス上に残すといった意味で、「見えないものを見えるようにする」という、新たな「象形化」へと誘うことになるのです。
 そのような試みは、ベーコンが中世絵画から引き継いだ形式である三枚組画において、「動勢」に独特の次元が与えられることになります。三枚組画は、ベーコン画を見る者の感覚を、たとえば視覚の触感的機能、ひいては諸感覚の絡み合いを通じて変様させるでしょう。すなわち、「異なった力の作用の下で、異なった水準を経験することが感覚の作用に属している。しかしまた、二つの感覚の作用がそれぞれ或る水準、或る部位をもちながら、しかもそれぞれの水準を相互に通じさせることで、それら感覚が互いに向かい合うということも生じる。われわれはもはや単一な振動の領野にいるのではなく、共鳴の領野にいる。かくて絡み合わされた二つの形態が生じる。あるいはむしろ、諸感覚の絡み合いこそが決定的となる」。
 ベーコン画が、それを見る者の諸感覚の「共鳴する領野」によって体験され、その「動勢」が見る者のからだに働きかける様々な力から生じるかぎり、三枚組画は、まさに一つの「動勢」であるものの力の複合を示しているのです。「そこでは三枚組絵は、絡み合いを現象として引き継ぐこともできるが、しかし他の力を用いて作用し、他の動勢を誘発することもある。一方で構造や平面と再び再結合するのはもはや形体ではなく、単一色や強烈な光を与えられた一色塗りの平面に激しく投げ出されている形体間の関係である」。けれども、さらにそこには「動勢と力に関する第三の型」である分離作用が働きかけてきます。絵画における超越性ともいえるこの分離作用において、「隔離の力とは非常に異なった仕方で形体を捉えるという結果が生じる」、といいます。そこでは、形体と平面の関係に替わっていったんは光と色の統一が支配することになるのですが、「そこからまた形体は、光と色において、分離作用の頂点に到達する」、そういわれています。
 三枚組絵に働くこうした複合的な力の原理は、ある厖大な隔たりをそこに拡げてみせることになります。最終的に示されるのは、「時間はもはや身体の彩色の内には存在せず、単彩色の永遠の中に移行している。あらゆる事象を結合する巨大な時・空が存在するが、その結合はしかし、それら事象の間にサハラ砂漠のような隔たりを、アイオーンのような数世紀を導入することで初めて可能となる」、といった茫漠たる次元です。