Sunday, December 20, 2015

土方巽研究 三 <土方巽と日本人>


 五 「人を泣かせるようなからだの入れ換えが私たちの先祖から伝わっている」ことについて

 歴史を遡ることにはそれなりの意義と価値があると思います。ただしそのことは、何らかの出発点を定めることのないよう、遡行において無限なものでなければならないだろう、と考えます。つまり、すでに定められた出発点があれば、それを踏み抜くような作業でなければいけないのです。出発点という底板を踏み抜き、その「無底」の底から吹き上げる風に吹かれるのです。
 たとえば、言葉という形式があります。それは、最初は音声(による指示)であったものが文字へと拘束されて言葉というかたちになったものです。言葉はそうした転換の歴史と共にあります。文字による拘束によって音声は表記され、表記から漏れる音声があれば新たに文字がつくりだされることになり、またこの方が多いと考えますが、音声の方が文字に沿って修正されていく場合もあるわけです。書き言葉には接続詞が案出され、その音声に内容はないのですが、それは書き言葉の展開を大きく左右することになります。そうした仕方で、音声(による指示)であるもともとの<内容>は言葉という形式と一体化してそこから離れられないようになったのです。とはいえ、音声のその<内容>は「消えるからかたちが遺る」仕方で伝わるのであって、そのことは今も変わらないはずです。それゆえ、音声が指示するその<内容>は言葉という形式と共にありながらも、その形式から脱しようとする傾向をつねに抱えていることも確かなのです。そうした宙吊り状態のところに文学(とくに詩)という表現も成立しています。土方の言葉による表現が特異であるのは、音声が文字に拘束される現場に身をおくようにして、言葉の形式性を脱しようとしているからです。言い換えれば、土方は言葉の形式を踏み抜こうとしているのです。そうして、形式を踏み抜くところに立ち現われるものを自らの表現<内容>とすることを意図しているように思います。土方の文章は、詩のように接続詞が少ないのが特徴です。
 形式とは、その都度、その時代毎に、出発点として「いつもすでに」私たちに与えられているものです。しかし、<内容>はそうではありません。<内容>とは歴史を遡行する作業のさなかで無限なものとして見出されるものではないか、と考えます。その作業には、歴史に向き合う仕方と、遡行の仕方があります。

 1 要点と解釈
 最後に、土方の<舞踏の表現>期の文章である、「人を泣かせるようなからだの入れ換えが、私達の先祖から伝わっている」、を考察することにしたいと思います。この文章は大駱駝艦の季刊新聞「激しい季節」(19702)に掲載されたものですが、もともとタイトルはありません。タイトルはないけれども、タイトルとして掲げられている文章の意味について先にいっておけば、それは、<内面>がからだの表面へと転換されるような「からだの入れ換え」が私たちの先祖から連綿と伝わっている、そうしたからだをめぐる歴史がある、というものです。いわば、土方は「舞踏」の表現を志向するにあたって、自らのからだをめぐる歴史を遡行しようとしているのです。文章は難解ですが、ここには「土方巽と日本人」(196810)の後に土方が打ち出すことになる「舞踏」の青写真といったものが提示されているのがわかります。土方が文章を綴っていくその手つきには荒縄を綯うような野性的で繊細な趣があります。難解なのは、そこに様々な線が綯い込まれているからです。この文章を四つの部分に分け、その要点と解釈をまず述べることにします。その際に、できるかぎり文章の段落をそのままにして述べることにします。
一) 冒頭から「廃墟ではよく背中を叩かれて驚いた経験がある。」までの部分で、話の前提として、出発点とその「地点」を踏み抜いた<歪曲面>に立ち現われるものの一端が語られています。
 寝床に入って眠りに落ちかかるとき、「過去となることなく続いている」光景が立ち現われる。それが「始まり」の地点であるが、出発点というよりもそれは「過去との距離を取り払う」地点となっている。
 そのとき「過去との距離」が取り払われる手続きは、1)自らに強いている「出生の管理」が過去との距離をつくりだしているのでそれを追い払う。2)過去の風物への対応は過去の対象となることなく現在のからだに神経アレンジメントとして遺っている、という感触がある。3)記憶というよりも神経アレンジメントが育っているという感覚がある。4)そしてたとえば、湯気に手を入れ、笊の中の金を盗む、といった過去の神経アレンジメントについていえば、それを入眠の際の「自明でない自己」が幾度経験しても縮減することはないが、いっぽうでそうした仕組みにおける経済的「愚かさ」には深みがある、といったふうに展開されていきます。(ただし、「過去の神経アレンジメント」の語は舞踏符の方法と共に見出されるはずのものですから以後は使用しないことにします。ここではからだに記されているという意味で、<からだの記憶>と言い換えます。「自明でない自己」についても同様で、それは自己という地点を踏み抜いている場という意味で、以後は<歪曲面>と言い換えます)。付言すれば、「出生の管理」とは人に自己同一性をもたらすための反復作業であり、いっぽうで<からだの記憶>に関わることがそうした反復をさせないようにするわけです。<からだの記憶>は幾度反復しても自己同一性をもたらすものではないのです。そのことは自己に利益も剰余ももたらさないけれども、その代わりに自己に関して「無底」の深みを感知させるのです。
 一般的な立ち位置に対して<歪曲>としての地点が成立する。それは「いかなる地点をもからだの中に迷い込ませる」地点であり、出発点として定められたものを踏み抜く地点としてある。そこから<歪曲>を「商い」とする「始まり」がある。
「口を濯いでしゃべる地形(地点)に立つ」とは「口を濯ぎながらしゃべる」ことだと考えられますが、それは今話した内容がたちまち口で濯がれるようにして「からだの中に迷い込む」、そんな風にして次から次へと語ることです。実際、この文章で土方が語る仕方がそうなのです。こうした語り方は、テレビのそれとは鋭く対立している。
 自己が中心となって「からだに命令を下す」ような踊りはすでに困難である。逆に「舞踏にからだを貸す」のであり、その際に自己は<歪曲面>の方から責められる、といった手続がある。
「二本脚」が迷いの原点である。「もともと脚は一本」と考えれば、からだの由来、言葉の由来が知れる。脚を重ねれば脚の由来が知れる。
 一つの光景が立ち現われてすぐさまその光景が濯がれると、その後には「血球一つ落ちていない」光景が展開します。そのとき前の話の内容は「からだの中に迷い込む」仕方で後に継続していくのでしょう。「蚊柱にたかられたような着物をまとって大勢のガキがむらがって走っていく」や「老婆のスピードのある石合戦」は、一旦はからだの中に折り畳まれるけれども、「飢饉」となってふたたび現われるのです。「飢饉」から「凶作」へと話は継がれて、人が「廃墟」になっているような光景が一瞬現れたかと思うとまたからだの中に迷い込んでしまう。この段落では、前の段落で言及された、話している内容がたちまち濯がれるようにして「からだの中に迷い込む」話し方が例示されているようです。
 少年・少女期の<からだの記憶>が「廃墟」となってそのときの手応えを今も遺している、そんな経験を誰もが一度はしている。土方は戦後の廃墟を東京で経験しているのでしょう。その大きな廃墟を個人的な記憶に絡ませて「廃墟」としているようです。田圃の光景とは異なり、「廃墟にはとにかく物がある」。この「廃墟にある物」はそこにすでにないものをめぐる記憶を連れ出してくるわけですが、そうした仕方で<からだの記憶>に向き合うことになる、ということです。確かに少年・少女期の記憶が物質的に把握されることがありますが、そこには記憶を物質化しようとする<歪曲>もあるでしょう。「行ったきり戻らない脚がどこで暮らしているか大方の見当がわたくしにはついている」。この「行ったきり戻らない脚」とは、後に語られる「いづめ」に容れられ萎えてしまった赤子の脚のことですが、赤子の<からだの記憶>というようなものは「廃墟」を体験する以前の記憶であって、それが「廃墟」として埋没しているというのは<歪曲>作用であり、その<歪曲>作用はむしろ<現在>という個人的で身体的な形式を基にしているのであるから、したがって土方の<現在>において「行ったきり戻らない脚」が<内容>として求められている、ということを意味していると思います。
<からだの記憶>をただからだに折り畳ませた状態にしていては何も生育しない。からだに折り畳ませるままにしておくのは制度からそう強いられるからである。「廃墟」としての<からだの記憶>に向き合っていると、主客転倒という思いがけないことが起きる。
 以上、まとまりがないけれども、これからの話の前提となっています。
二) 「人を泣かせるようなからだの入れ換えが、私達の先祖から伝わっている。」から「舞踏にからだを貸し出そうと言い寄ってくるのである。」までの部分で、からだをめぐる歴史を遡行しようとするために必要な理論としての「からだの入れ換え」、その理論を展開する際の核となる「印鑑体」や「埋没史」といった要素、そしてさらに「廃墟」から「風化」への転換が語られます。
 まず田圃の畔を滑らないようにして歩いて来る蟹股姿勢が「印鑑体」の例としてあげられます。それは二本脚で歩くというよりも、四本の脚によってからだが「運ばれていく」。そのからだが「契約書を持っていない」のは印鑑のように型づけられているからである。それは一神教徒のからだの歴史に対立させてもいるのでしょう。そこには、「人を泣かせるようなからだの入れ換えが先祖から伝わっている」。「人を泣かせる」というのは、夢にうなされて悲鳴をあげるというニュアンスに近いと考えられますが、それは「印鑑体」が「死体」となって、自己を踏み抜いた<歪曲面>の「無底」から<現在>に迫ってくるからです。そこには、底が抜けて、その「無底」の底から現われ出るものに遭遇したような感覚が示されていると思います。
「印鑑体」である蟹股姿勢は、<からだの記憶>が表面に「綻び」現われ出ようとするのを印づけるようにしてある。それは、からだとして<現在>に現れているものの「起源」を押さえている姿なのである。そのような、<からだの記憶>がからだの表面—かたちへと入れ換えられる仕組みさえわかれば、そこにこそ「舞踏」の立ち位置がある。「見たものを忘語のように語るからだと金輪際夢見られない肉が併合される」というのは、物質としてのからだに意識が触れることはとうていできないが、「廃墟」としての<からだの記憶>が皮膚表面上へと入れ換えられる仕掛けを通じてその一端を理解することができる、と考えることができます。この「併合体」、すなわち「からだの入れ換え」という仕掛けにおいて、<からだの記憶>と物質としてのからだがお互いを主客転倒させて、宙吊り状態を生じさせるほどお互いが入り組み合っているのがわかる。周囲の環境(物質)に注意を向けることはすべて<からだの記憶>となっているから、もともと環境(物質)と<からだの記憶>は対立しないし、それゆえ<からだの記憶>が主体となるはずのものである。ところが、そこに主体としての意識が(誤って)立つことで、<からだの記憶>は「巨大な埋没史になって肉の中に霧散して」しまっている。そこで、この「霧散した挙動が一人歩きすると」、主体としての意識に亀裂が入る。
 この亀裂に乗じて現れてきたのが「印鑑体」である。それは、過酷な農作業による疲労がもうからだを動かしたくない、その動かしたくないという想いが逆にからだを動かしているといった、ある種の「没入」がからだに印づけられた「ぎりぎりの姿」なのである。そこには、働く振りをすることで想いが埋没へと「打込まれていく」からだが連綿と伝えられている。
 ここで、「廃墟を過ぎて、風化である」というもう一つの転換が掲げられます(「からだの入れ換え」といういわば歴史的な転換があって、そこにもう一つ、表現上の転換が重ねられることになるわけです)。<からだの記憶>へと遡行するに際して、「廃墟」は<からだの記憶>を物として相手にすることを前提にしています。それに対して「風化」は、<現在>のからだに関わる意識に自ずと起こる現象をいうようです。たとえば、「とりすがってくる風化現象を、逆に働き者として仕立ててやり、素早く便乗させて、からだの中に巣喰わせる」。要するに、「廃墟」から「風化」への転換とは、一つには主客を転倒させることであり、もう一つは、「風化」を「からだの中に巣喰わせる」といわれるように、その主客の転倒状態に留まることであると考えられます。すると、物としての<からだの記憶>との対等な関係において大仰に名前をつけて「呼びあう怪しげな生活が始められる」。その特異な状態は、「小鳥一羽飛ばすにも、働き者である風化野郎との相談ずくでの命令がいる」とか、「物と風化とは一つのもので、その生命の行き来は、たとえば走っている人間を眺めても、何年も前の物のようにその速度を選んでしまう」、といいます。つまり、主客の転倒状態でも何らかの「命令」によって行動することができるのであり、そのときそこには積み重ねの上に選択されてきた行動が見出される、という認識が語られているわけです。そこに、身振りが受動的に選択されてきた事実と、身振りを選択させているのは実は<からだの記憶>であり、それゆえ逆に身振りを<からだの記憶>へと帰納していく作業とが重ねられる、という身体表現のための「肉体観」が生まれてくる。そうした「肉体観」に拠ることで、私たちのからだに「肉の中に溶けてしまった埋没史」が連綿と受け継がれているのがわかる。土方は、舞踏の表現の根拠をそうしたからだに見出そうとしています。
 以上、歴史的転換と表現的転換という、<からだの記憶>をめぐる二つの転換を経て、土方が「舞踏」の根拠を見出そうとしているのがわかります。
三) 「幼い神聖な暴力に見舞われて」から「怪物のきしみを、監視し続けていかなければならないのだ。」までで、言葉によって「舞踏」の表現に関わろうとする実験的な作業と、「舞踏」のテーゼ化が試みられています。それは三つの話に分かれ、1)母親との関係をめぐる<からだの記憶>の話、2)「風化」に見舞われた人の話、3)「いづめ」の話、という順で語られ、手順を踏むことで<からだの記憶>を探るその深度を深めていっているようです。そのとき<からだの記憶>をめぐって、母親 → 切羽詰まったように立っている人(死者) → 「いづめ」の赤子(少年)、という対象展開がなされているのに注目したいと思います。
 まず少年時代の「廃墟」の経験が母親の記憶と絡み合わされます。「廃墟」とは記憶の物質化に関わることですが、その手続には暴力と恐怖(すなわち「無知」)が介在しています。
 次いで、「風化現象」を呼び込もうとするのか、「妖精が立ち止って他の精霊を呼び寄せるような」手順で、かなりの手間を要した後に母親について語られることになりますが、それは「角巻劇場」といわれるように具体的な場面に満ちています。その一つ一つの光景にはここでは触れませんが、おそらく土方が実際に経験したことを基にして語られています。
 そして、母親との関係をめぐる<からだの記憶>が語り終えられ、この「角巻劇場」を経た後の「無智と悲惨こそが、今は身仕度の主眼となっている」、そう強調されています。いわばここが話の入り口なのでしょう。
 大風の中で「棒杭」のように、「塔」のように立っている人の姿、死に面して切羽詰まったぎりぎり状態で立っている人の姿があり、その光景の分析をすると共に、立っている人の傍に、瘡蓋のようにかさかさとした赤児の笑いが聞こえてくる。この話は、<からだの記憶>を<現在>に引き寄せようとするその文体が、後の「病める舞姫」を想起させるものとなっています。
 最後の「いづめ」の話は、前の話で「大風」と「赤児」が呼び出されるのを受けて語られていますが、「いづめ」の話は土方が実際に経験したことなのかどうかわかりません。赤児という対象ははっきり捉えられていますが、それよりもどちらかといえば、赤児という<からだの記憶>に「埋没」しているものに迫ろうとする姿勢が際立っているからです。赤児が「埋没」させているものに接近できるとはとうてい考えられません。その「埋没」しているものに照準を合わせていく展開は、「廃墟から風化へ」と転換する際に見舞われる主客転倒の手順を思わせます。まず、「飯詰め」に入れられて、その泣声が「泥田で働いている大人達には最初から届かない約束の仕掛け」に嵌まっている赤児は、自身のからだを玩具にする。そのとき、「掌は握ったり離したりするためのものではなく、からだの闇を歩いてむしっている」。ここにもう主客の転倒があります。「からだの闇」というのは、むしろ土方の<現在>のからだに起きている現象だからです。そして、「むしる」という行為がふたたび赤子に返されて、その「赤子は涙の皮をむしる」ことで「かさぶたとキャラメルを取り替えるような智恵」がそこに生まれる。その「智恵」から、前の話から埋もれたままで継続している、「ひび割れ」のような「笑い」もしくは「笑い」のような「ひび割れ」が土方の<現在>のからだにおいて取り出されることになります。それは、「笑いの起源」として見出される。すなわち、「笑い」という地点を踏み抜いたところの「無底」の底からやって来るような「ひび割れ」でしょうか。土方はそこに「快感が制作される」といい、その「状態を笑いの起源としてからだに登録している」のだといいます。この宙吊り状態のような「登録」地点には<歪曲>があります。それは、「起ったことと、これから起ることとの間にはさまった笑いは、一個の物質凝視である。だからまわりの気配すらただの挙動に置き換えられていく」。そこに、赤子という物質から凝視される手応えを土方は感じているのです。そこに「舞踏」の始まる「地点」が芽生えているのでしょう。「舞踏家の目玉がどこについているのかという問題があっさりと解かれていく」。そして、そのとき土方のからだが関わる対象は、「人格としてからまっている糸のようなものは、ぷっつりと切れている」。さらに、「しつらえられた玩具体も年若い怪奇さも、皆この赤児体からわたくしの場合は始まって来ている。世界の舞踊はまず立つところから始まっている。ところがわたくしは立てないところから始めたのである。わたくしは切羽つまっていたのだ」と、いっきにこの文章の頂点にさしかかっていきます。そしてそこから、「いざりの子供を囲んで立っている大人たち、こんな宗教画が一枚刷り上る前に縛られた虫や印鑑体や蟹股やらの敏捷な構造はすでにそこから掻き消えている」と、「物質凝視をからだに登録した」(すなわち赤子の<からだの記憶>に触れた)という<観点>から「敏捷な構造」として把握されるものがあり、そして息継ぐひまもなく、「踊りとは命掛けで突っ立った死体である」と「舞踏」の命題が語られます。そして最後に、「勿体ながって生きているその事」、すなわち、つねに生の宙吊り状態に身をおくこと、そうした姿勢が「舞踏そのものではないか」といい、その生の宙吊り状態とは自己を踏み抜いた<歪曲面>に立ち現れるが、そうしたところにこそからだが物質であることの手応えを得る機会もある、そう結んでいます。
 以上、三つの話は手順として切り離せないでしょう。それぞれの地点にそれ自身における差異が際立ち、土方は段階的にそれらの位相を経つつ「舞踏」の表現に迫ろうとしているようです。
四) 「からだの管理を造形的に扱う人達は皆絵姿として肉化する訓練を日頃から受けている。」から最後までで、当時の表現状況をふまえた身体批判が語られます。
「からだの管理を造形的に扱う人達」とは「出生の管理」の場合と同じで、からだを自己同一的なものとして疑うことなく、自己が命令を下すことによってからだを造形的に表現する人たちのことです。しかし、「肉は既に絵姿としてそこにあるものだから、私達はすでに現実というものに縛られている」のに、なぜそうする必要があるのだろうか。その表現は、「絵姿の一人歩き、つまり肉の虚像化に外ならない」。いっぽう、「ただの一度も、肉はそこにあるものを名差したことがない。肉はただこのように暗い」。つまり、からだは意識にとって扱い難いものであるばかりでなく、意識とからだの関係はいまだに未知の領域でさえある。主体としての自己意識が立ってからだに命令するのではなく、自己意識が<歪曲>し、自己意識を踏み外したところに立ち現われるもののためにこそ、土方はからだのことを逆に考えているのだといいます。
 身体表現をすればそこにからだが存在と共に示される、空間表現がなされる、という状況に土方は危惧を抱いています。からだそれ自体は明白なものである。それは無名の物質である。いっぽうで、私たちにとって個人的かつ身体的な形式である「現実」がある。たとえば食事の最中に、「神経の変調がじつは食物を口に運んでいる元凶なのだということに気づけば、その変調のエネルギーがどこから来たのかということを探したくなる」。要するに、この身体に具体的な行為をさせるもの、そしてその実感とは何かという問いです。それに対する土方の答えは、「この神経の変調が直感の砂漠に結合されて、はじめて『痛いぞ』という妄想言語を構成する。そういうところに、現実が作男のようにのそっと立っている」、というものです。「現実」とは個人的かつ身体的な形式ですが、そこに満たされる<内容>があってこそ自ら「痛いぞ」と主張できるものでもあります。そのためには、ここでは「直観の砂漠」といわれていますが、それはこれまで述べてきた「からだの入れ換え」に関する茫漠たる理論を短く言い換えたものだと考えられますが、具体的な行為をその「直観の砂漠」に繋げられることが望ましい、そう考えられています。
 生の表現に関わることは、「欲しないものを欲するという過剰な深淵を、長い間喘ぎつづけて来たので、欲することなく同居しているものを、肉体の中に発見してしまった」。それで意識がからだ関わる<現在>に今一度触れるのにどうしていいかわからなかったのが、土方の場合は「悲惨が一個残っている」。「悲惨」とは、近代が置き去りにしたものに他なりません。

 繰り返しになるのを承知で、以上の展開をまとめてみたいと思います。
一) まず、最初のパートで、「立っている地点」すなわち出発点について語られますが、それを寝床に譬え、入眠時の自己の不明な状態において「過去との距離」が取り払われる地点としています。土方はその地点に、「過去となることなく続いている」光景を呼び込んできます。自己の不明な状態がその光景を現在のものとして扱うことを可能にするのです。その状態にあっては、記憶が反復されてコンパクトなかたちにして管理されることがありません。その状態は、「いかなる地点をもからだの中に迷い込ませている」のです。それは主客さえも不分明な状態で、そこに「廃墟」という指標が導入されます。たとえば、幼児期から少年・少女期に至る記憶をめぐっては、漠然としか想起できないものから物質的に想起できるものへと変わる時点がありますが、「廃墟」とはそうした転換地点を指すもので、過去の神経アレンジメントを現在のものとして把握しようとする作業と共にあると考えられます。それは記憶に関する物質的な手応えに関わるものなのでしょう。たとえば、「行ったきり戻らない脚」は「廃墟」以前の記憶であるにもかかわらず、土方はその記憶を<現在>へともたらす仕方を嗅ぎつけているようですが、それは「廃墟」を指標にしてそれ以前の記憶を「行ったきり戻らない脚」とする、すなわちそこにないものを想起できる「廃墟」という指標を通してそれ以前の記憶にアプローチすることができる、ということを示そうとしているのでしょう。
 こうした展開に並行して、「過去となることなく続いている」光景が「口を濯ぎながら話す」ようにして語られますが、その語り方は、話の<内容>を「からだの中に迷い込ませる」実例となっています。そのように、「消えるからかたちが遺る」仕方で語られるのは、語ることで「消え」、そうして「からだに迷い込んだ」ものが後になっていきなり表面に現われてきたりすることに必然があるからです。結果的にこうした語り方が<内容>の「敏捷な構造」を照らし出すことになり、ひいては土方が舞台構成する方法に強く影響していると考えます。
二) 次に「からだの入れ換え」が語られますが、歴史的転換そして表現的転換という二つの転換が重ねられたところに「舞踏」の表現の根拠が見出されようとします。
 最初の転換は蟹股の姿勢である「印鑑体」を軸にして語られ、それは土方が少年期に実際に目にした農作業の光景を基にしています。その姿勢は歴史的なものです。というのも、蟹股姿勢とは、過去の神経アレンジメントが「巨大な埋没史になって肉の中に霧散して」しまって、その「からだの中に迷い込む」ものがからだの表面へと型づけられた姿であると考えられるからです。前のパートで語られた「からだの中に迷い込む」仕方が、「埋没史」へと敷衍されているわけです。その姿は「人を泣かせる」、つまり、人の姿に関する認識の底が抜けて、その「無底」の底から現われ出るものに遭遇したような感覚に襲われるといいます。この「印鑑体」のようにして過去の神経アレンジメントが皮膚表面と入れ換えられるその仕組みがわかれば、そこにこそ「舞踏」の表現の立ち位置があるとされます。さらに土方は、この「からだの入れ換え」という仕掛けにおいて、過去の神経アレンジメントと物質としてのからだがお互いを主客転倒させるようにして宙吊り状態を生じさせている、そう考察しています。
 そうした考察を基にして、その主客が転倒した宙吊り状態にさらなる表現上の転換が重ねられるわけです。「廃墟を過ぎて、風化である」。「廃墟」が記憶をめぐる物質的な手応えを扱うのだとすれば、「風化」は<現在>のからだ(に関わる意識)に自ずと起こる現象をいうと考えられます。そこで、物質を扱う意図的な局面とからだに関わる(意識)現象という意図なき局面とが、主客転倒するという状態が軸となってくるわけです。「風化」とはおそらく自己の不明な状態に接近することでしょう。とはいえ、それはもう寝床で寝ている状態ではありません。というのも、自己の不明な状態が命令を発して行動できる場合もあり、そのとき身振りがいかに受動的に選択されてきたかを認識することになるからです。身振りを選択させているのは過去の神経アレンジメントであり、それゆえ、逆に身振りを過去の神経アレンジメントへと帰納する方法を採用すれば、「肉の中に溶けてしまった埋没史」がからだに連綿と受け継がれているのが実際にわかることになるといいます。そこに「舞踏」の表現の根拠があります。付言すれば、ここで「風化」が果たす機能は、後に主体意識の「衰弱」として語られるものと同じであると考えられます。
三) そして、「舞踏」の表現の応用として、言葉によって「舞踏」の表現に関わろうとする実験的な作業、さらに「舞踏」のテーゼが語られることになります。その際に三つの話が語られますが、過去の神経アレンジメントを探っていくのに土方はその話を、母親→死者→赤子という順で構成しています。それはおそらく、そうでなければいけない手順なのでしょう。三つの話それぞれの<内容>に関わる際にそれ自身の差異が際立ち、土方は段階的にそれらの位相を経ることで「舞踏」の表現に迫ろうとしているようです。
 手順としてまず「廃墟」に関わります。それは母親をめぐる記憶に関わるためであり、ここでは土方が実際に経験したことを基にして語られています。次いで「風化」に関わり、過去の神経アレンジメントを<現在>に引き寄せようとします。そして、「いづめ」の話をすることで「廃墟から風化」への転換が手順をもって実践され、赤子をめぐる「埋没史」が土方の<現在>のからだに見出されようとします。赤子にすでに「埋没」があるという点が逆説的であり、それゆえ「いづめ」の話は土方の経験を基にしているのではなく、それは<土方巽という観点>を構築する作業であって、この点でそれまでとは別の次元に入っているように思われます。
 その転換は、赤子という「埋没」を抱える対象と土方の<現在>とを行ったり来たりしながらなされますが、赤子の表情に浮かぶ「ひび割れ」のような「笑い」もしくは「笑い」のよう「なひび割れ」が土方のからだに「笑いの起源」として「登録」されるあたりからいっきに速度を増して、その跡が辿れなくなってしまいます。それも当然であり、すべては「消えるからかたちが遺る」仕方で展開し、そうした「敏捷な構造」のうちにあってからだに埋没しているものを精確に扱おうとしているからでしょう。自己を踏み抜いて底が抜けたその宙吊り状態のような「登録」地点において、土方は赤子という物質から凝視される手応えを感じています。土方のその<現在>の感覚にこそ「舞踏」の始まりが芽生えていると思います。「踊りとは命掛けで突っ立った死体である」。生の宙吊り状態ともいうべき「死体であること」の表現は、自己を踏み抜いた<歪曲面>に立ち現れるものを示そうとしていますが、そうしたところにこそ、からだが物質であることの手応えを得る機会もあるのだといいます。
 この赤子の凝視について付言すれば、それは「病める舞姫」の中で、春先の泥に転んで泥に身を包まれる際に出て来る赤子と比較できると思います。それは、「目を醒ましていながら眠っているような赤子が一つの穴を見つめている」というもので、「そんなふうに自分のからだを覗き込む私は、泥溜まりの中でからだをずらしたり、しきりに泥溜まりの中で赤子の顔をいじくったりしているのだった。こんな泥の中にどうして赤子の顔が転がり込んできたのか。ともかくそれはもて遊ぶようなものではなかった」、そう語られています。ちなみに、「病める舞姫」には「いづめ」の話が出てきません。
四) 当時の表現状況をふまえた身体批判が語られます。最後に「悲惨」が強調されるように、身体批判は結局のところ近代批判に通じています。
 からだといえば意識が扱えるもののように考えられているけれども、土方はそうは考えません。意識とからだの関係はいまだ未知の領域であると認識しています。したがって、からだの表現についていえば、それはすでにそこに見えるものとしてあるのに、なぜそれをそのまま見せないといけないのか、という疑念があるわけです。(そうではなく、内部が外部へと入れ換えられる際の、意識と物質の接点を身体表現において見せないといけないと考えられているわけです)。それに対して、主体としての自己意識がからだに命令するようにしてなされる表現ではなく、自己意識が<歪曲>し、逆に自己意識の底を踏み外したところに立ち現われるものを表現するためにこそ、土方はからだについて考えているというのです。このからだに具体的な行為をさせるものその実感とは何かといえば、<現在>とは個人的かつ身体的な形式であるけれども、そこに満たされる<内容>が「からだの入れ換え」として捉えられてこそ、つまり具体的な行為でさえ個人に由来するのではなく、それは歴史的に伝えられていると感知してこそ、からだ自らが発する声を聞くことができる、というものです。意識とからだが隔てられてしまった現在、近代が置き去りにした「悲惨」なくしてからだの側に立って語れない、そう土方は最後に強調しています。

 2 土方巽の思考
 長い下準備をそのまま書き記してきましたが、<土方巽という観点>があって、そのことが主導していると思われる、この時点における土方の思考を納得のいくように取り出してみたいと思ったからです。この時点での土方が「舞踏」を志向する際の野性的かつ繊細なその表現は、後の技術的なものを意図する表現と比べると、思考というにふさわしいように思います。その思考をわかりやすくみるためには、文章を逆に辿っていくといいでしょう。
 まず身体表現について土方がどう考えているかといえば、「あらゆる光線のいかがわしさを処刑する場としての肉体をこそわたくしは考えている」、というものです。文脈からすれば、その意味するところは、主体としての自己意識がその身体を扱うのではなく、自己意識が<歪曲>し、自己を踏み外したところに立ち現われるものを表現するためにこそ身体という場を考えている、ということになります。当時の身体表現が身体を表面的に意識が扱うものだったとすれば、土方は身体表現についてそれとは逆に考えているのです。すなわち、身体のかたちや動きをありのままに示し、身体の存在感覚を見せるというのではなく、身体が抱える<内面>が入れ換えられるようにしてその表面へと立ち現れてくるものがあり、あるいは立ち現れてくるその過程があり、そうしたもののための場としての身体を見せなくてはならない、そう考えているのです。そうした場としての身体に、身体に関わろうとする(接しようとする)何らかの意識の働きが(それは神経アレンジメントということになりますが)、見えることになるからです。土方は、身体そのものを見せるのではなく、身体に<抽象力>を抱えることの表現を意図しているのです。そのために、身体の作業と共に身体に関わる思考の作業が必要なわけです。
 身体が抱える<内面>とは個人的なものではなく、それは生物学的に考えても、歴史的な重なりから成るものです。いっぽう、土方の思考が身体の歴史に向かうのは、身体の内部へと埋没するのを強いられてきたものが<内面>として私たちの身体に伝えられている、そう考えるからです。私たちの身体に埋没するその<内面>を、土方は<現在>の形式へと「入れ換え—translate」しようとするのです。それは歴史的な重なりから成る身体を前提にしていますが、自身の直観を基にした土方独特の考えです。そのことを実現するのに、今までにない観点を必要とするという意味で、思考者であり表現者としての<土方巽という観点>が主導することになったと考えられます。そして、その<土方巽という観点>に魅入られるようにして、土方の身体表現があり、思考作業がなされたのではないかと考えます。
 歴史的な重なりから成る身体というよりも、歴史的に埋没するものを抱えているという身体観があって、方法としての「からだの入れ換え—translate」が考えられているわけですが、そうしたことの表現が可能であることの根拠を示すとすれば、それは土方が経験する「物質からの凝視」という手応えです。そのことを論じる際に、土方が経験的かつ<観点>的に語ろうとする「赤子」とは、身体から意識に向けて発せられる物質性、無底性を示そうとするものです。無底性とは自己を踏み抜くところに立ち現れる自己の不明性、すなわち自己が拠って立つ足場が撤去された状態です。そうした自己の宙吊り状態を前提にして、「踊りとは命掛けで突っ立った死体である」というテーゼも成立しています。そこに表現されようとするものは歴史的に身体に埋没しているものとしての「死者」であるから、それは「死体」となって表現されるのです。とはいえ「死体」とは、「からだの入れ換え—translate」を示しているところの物質状態でもあります。言い換えれば、それは過去の神経アレンジメントとして意図せずに身体に立ち現われ、見えてくるものの綜合といっていいように思います。神経アレンジメントは、<内容>をかたちへとtranslateする表現型として見えてくるものですが、表現者側にあっては、もともとそれは<内容>をかたちへとtransformする生成型としてあるからです。したがって、「死体であること」には、物質状態(としての生成)であると共に「死者」として埋没するもの(の表現)であるという、両義的な意味が込められているのではないかと考えます。
 こうした身体表現が、自らの経験を基にした理論によって裏打ちされているわけです。「からだの入れ換え」という考えが、「印鑑体」、「廃墟」、「埋没」、「風化」等といった指標を駆使して、<抽象力>としてのその<内容>がからだの表面へとtranslateされる仕掛けが理論展開されていますが、それをここでは繰り返しません。ただ、「印鑑体」、「廃墟」、「埋没」、「風化」等といった指標はひじょうに曖昧で、というか、それに従えば錠が開かれるが、従わないままでは開かれない、といったもののように思います。言葉に対して受身になれ、ということでしょうか。
 この時期の「からだの入れ換え—translate」は、<白桃房>期になって過去の神経アレンジメントが皮膚表面において閉じるようにも開くようにもめくられる、といった実際的な身体観察へと進めることになるその前提となるものだと考えられます。ですからこの時点では、「からだの入れ換え—translate」は、舞踏符による表現を通過した後のように、<内面>が皮膚表面上にめくられてくるようなものとして把握されていません。要するに、技術的な考察へといまだ整理されていないという点で、身体に潜在的なもの—<抽象力>を抱えようとする、そのための思考がここにはあると思います。「舞踏」の方法のすべてはこの時点から構築されていったと考えられますが、それは具体的にはこれまで見てきたように、その潜在的なものが記憶と身体に関わる構造的なものとして把握されようとしているのがわかると思います。要するに、「舞踏」の<内容>は構造的に把握されることで、そう把握すること自体によって、「からだが抱える抽象力」として働くことになるだろう、という考え方があるのだと思います。「舞踏」の<内容>とは、「肉体の闇」であるとか「闇」であるとかというふうにして一元的に名指しされるようなものではありません。人の<内面>は構造的に把握され、それがそのまま身体表面へとtranslateされようとする、そうしたプロセスが始めから考えられているのです。そのことを極度に推し進めようとする作業が「病める舞姫」ですが、その手前の、思考的に実践する時点にさしかかっているのでしょう。
「病める舞姫」を口述する土方の意識状態もそうであっただろうと考えられますが、<内面>を表面へとtranslateする際には、特異な意識状態が要請されるわけです。
 土方が執着する「寝床」という出発点についていえば、入眠時の朦朧とした意識状態は夢にも似て、そこには古代人の経験に通ずる働きがあります。その状態にあっては過去の記憶が<現在>へと乱雑にもたらされるのであり、むろんそれを解釈する仕方には違いがありますが、それは今もって現代人が古代人とその働きを同じくしている状態であると考えられます。それは人類の歴史を通じて一貫した現象なのでしょう。その自己の不明な状態にあっては、そこに現象する意識内容は極度に「敏捷な構造」のうちにあります。それゆえ、その内容を後になって解釈するというよりも、その意識状態に没入することで逆に意識が働く機構を感知する方へと向かいます。すると、過去の記憶が<現在>へと乱雑にもたらされてくるその現象には、自己の不明な状態が過去の体験を意識へともたらそうとする過程と、それを意識へとかたちにする二次過程があることがわかります。この認識作用と認識対象化の区別は古代から知られているものです。認識作用それ自体は、生の働きという意味で、それは意識にとって無底です。土方はその無底の感触を「赤子の笑い」に喩えているわけです。いっぽう、認識対象となるその内容はすでに経験した形式があって初めて対象となり得るわけです。土方は「赤子の視線」を認識対象としてもってきてそこにも無底性を示そうとしていますが、それは経験的にあり得ないことだと思います。過去の記憶はどんなものであろうとそれは先行する経験内容があって対象化されるのです。したがって、土方はそのような定式を逸脱して先験的なものをそのまま<現在>において設定しようとしているのであり、したがって、その先験的なものである<内容>を表現へと「入れ換え―translate」しようとしている、ということができるでしょう。というのも、繰り返しになりますが、その「入れ換え―translate」は個人的なものとして考えられていないからです。それは<観点>的に考えられているのです。そこにはそれなりの理由があると考えます。
 ここでふたたび文章の最終部に戻れば、身体とは歴史的な重なりから成り、そうした身体の<内容>の構造的な「入れ換え―translate」に関わる視点が歴史的に受け継がれてきたとすれば、近代はそれを葬ってしまった、というのが土方の考えです。人は<内容>を個人的な経験で満たすことで自らの存在を疑うことのない代わりに、歴史的にtranslateする身体の機会を奪われて、制度の中の一個人になってしまったのです。土方の思考とはそうした近代制度に抗する思考なのです。したがって、その思考は近代批判として、日本のみでなく世界に通ずるものでもあると考えます。その立場は、あくまでも「無知と悲惨」という歴史的に埋没したものを前提としています。アジア世界にどれだけ埋没が、すなわち「行ったきり戻らない脚」の事例があるか、それを考えたら気が遠くなります。世界経済体制下にあって国家間の競争が一層激しくなり、国家の防衛のために社会が国家主義に向かう傾向のある現在、人々は総じて歴史に出発点を定めようとします。しかし、そのことが外に向かっても内に向かっても他の社会に対する非寛容の要因になっていることは否定できません。そのとき、「行ったきり戻らない脚」の事例はすべての人の経験である、という<観点>こそ必要なのではないかと思います。

 最後に唐突ながら、作家の古井由吉(1937年〜)の文章を引用してこの論考を終えることにしたいと思います。古井由吉は世界的にも優れた日本の現代作家です。土方巽と古井由吉には接点がありません。接点がないけれども、強いて共通点を探すとすれば、葛西善蔵の作品に対する評価があります。それでも接点がないことに変わりはありませんが…。
 色々あるなかで、最近作の「雨の裾」(2015)から引用します。
「徒然なるものの正体は、大もとをたずねれば幼少の頃の寒さとひもじさの、やりどころのなさではないか、と今になり思うことがある。それが高年の無為の、紛らわしようもないさびしさに引かれて、まずは身体に、幼年から遠路湧きあがってくるのではないか、と。寒さやひもじさに縁もなくすごせる時代もあり、とぼしさも知らずに育った者もあり、そういうのにかぎって余剰の徒然に苦しむ、とひややかに見ることもできるだろうが、どんな境遇であれ、存在の薄くなりがちな幼少期に、寒さやひもじさにひとしい心細さに責められて、やるかたもなく、ひとり膝を抱えこむようにして、やがては心を空に、眺めやるばかりになったことは誰にでもあり、身体の底に埋めこまれていると思われる。」(「雨の裾」p12)
「それにまた、虫の鳴くところは土の領分と感じられていた。虫が家の内に入り、やがては居間の隅でも鳴くのは、土がその領分を人の暮らしの内へ、夜ごとにひろげてきたことになる。侵入というよりは領土の回復である。もともと縁の下によって土からわずかばかり底上げされた住まいでもある。まして台所や風呂場は土に近い。子供は刻々と忍び寄る寒さに背をまるめ、腋もすくめて、膝を揃えて座りこんでいる。その腰にも陰険な冷たさが上がってくる。身の置きどころもないせつなさなのに、立とうとしない。立って寒い厠へ走り、着換えて冷えたからだを冷えた寝床の中へ、冷水に身を浸すようにして沈めて、温みの差してくるのをひっそり待つ。」(p211)
「子供は眠りの中心からはずれたところに投げ出されていることに怯えたのに違いない。いや、人は年を取っても、眠る時だけは自分を中心にして、自分の温みや匂いのする空間を結んで安息している。」(p214)
 土方巽はすでにいないけれども、ここに<日本人>が生きていると思います。何らかの仕方でtransferされているのか、それともこれは三十余年越のcoherence現象なのか…。

                              「土方巽と日本人」 了

                   これにて、<土方巽研究>を終了いたします。