闇の歴史
吸血鬼幻想
ヨーロッパには吸血鬼物語を語らせる何かしらの衝動が働いているようだ。ジョン・ポリドリの「吸血鬼(1819)」をはじめとして小説の多くは十九世紀のロマン派によるものであるが、それ以外にもモーパッサンによる吸血鬼風の物語「オルラ(1887)」やA. K. トルストイの「吸血鬼の家族(1884)」があり、二十世紀の大戦後にはM. エリアーデの「令嬢クリスティーナ(1978)」がある。また十九世紀には上層階級の間でいわゆる吸血鬼話が流行し、「吸血鬼」というタイトルでいくつもの演目がパリをはじめとする都市の劇場で上演された。そして、映画が発明されて以来ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ(1897)」を下敷きにした作品が次々と製作されたが、中には初期カール・ドライヤーが撮影技法を駆使した秀作「吸血鬼(1932)」や、レ・ファニュの小説「吸血鬼カーミラ(1872)」を下敷きにしたロジェ・ヴァディムの「血と薔薇(1960)」といった異色作品もあり、そして野性味溢れるヴェルナー・ヘルツォークの「ノスフェラトゥ(1979)」がある。「Nosferatu」は古ルーマニア語で「吸血鬼」と同義で、F. W. ムルナウが最初に「Nosferatu(1922)」というタイトルで吸血鬼映画を撮っている。ちなみにトルコ映画に「Dracula in Istanbul(1953)」があり、ドラキュラ伯爵が牙を生やしている最初の映画であるという。有名なハンガリー人ドラキュラ俳優ベラ・ルゴシが出る「魔人ドラキュラ(1931)」を見ると、なるほど牙を生やしていない。続編の「吸血鬼蘇る(1943)」もベラ・ルゴシが主演の映画だが、吸血鬼の手下として狼男が出てくるのが興味深い。イスタンブールになぜドラキュラが現われるのか、おそらくトルコ映画界がイスタンブールの都会性を西欧並みに強調したかったからではないか。
吸血鬼物語や吸血鬼映画の内容はブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」がそうであるように、概ね主人公がルーマニアの辺境やスラブ地方に赴き、そこで吸血鬼に遭遇するという怪奇な体験を基に展開されている。つまり、吸血鬼の源は東欧にあるというのが西欧社会の一般的な考えだったのである。自身の外部に想定された吸血鬼という存在がなぜそれほど西欧社会の人々を惹きつけ、また作家たちを表現に向かわせたのか。当時の西欧からすればトルコ文化の影響が色濃い東欧に対する心理的環境がその衝動に影響しているのだろうか。ギリシア人やボスニアのトルコ系の人がラテンの土地に埋葬されると吸血鬼になる、そうまことしやかに信じられていた時代である。
十九世紀に西欧の文学作品の中で吸血鬼像が形になる以前に、東欧のスラブ社会では吸血鬼伝承が知られていた。さらにそれよりも古くから伝承が知られていたのがギリシアである。それは何らかの理由があって埋葬された遺体が生き返るというものである。死して埋葬された者が夜になって村をうろつき、他の遺体の肉を食べたり、生者の生き血を吸ったりすると考えられていた。ギリシア語の「vrykolakas」が生き返った死者を指す言葉として知られている。その死者というより亡霊は、「一口の血を啜れば生ける者の機能が与えられ、(肉を)貪り喰らえば英雄と対話するだけの力が出る」と考えられていた。たとえば「オデュッセイア」の中で、冥界の亡霊は実体的な姿を有しないので生者にはその声が聴き難い。それで血を飲ませずには亡霊たちと意志疎通ができないから、オデュッセウスは冥界に旅したとき、亡霊がそこで血を飲み、意思疎通ができるよう羊と山羊を犠牲に捧げたという。死者の声を聴くには生きた血が必要だと考えられていたのである。
「vrykolakas」はブルガリア語の「varkolak」に由来するといわれるが、この語はスラブ民話では「狼人間(werewolf)」を言い表し、そこには吸血鬼と狼人間とを区別しがたい状況が見えてくる。スラブ世界では生きて狼人間であった者が死後に吸血鬼となるともいわれ、十世紀頃のギリシアではvrykolakasは狼人間を指す語でもあったという。また昏睡状態で夜に出歩き、人に害を与える者もそう呼ばれたという。しかし、もともとギリシアでは蘇生した屍体のことをvrykolakasと言い、スラブ文化の影響がない十八世紀のクレタ島では「katakhanades(破壊者の意)」の語が吸血鬼を指していたという。吸血鬼を指す言葉のこうした入り混じりは、ビザンツ帝国時代の七世紀にスラブ人がギリシアに大量に入り込み、ギリシアはスラブ化され、もしくはスラブ人がギリシア化したという経緯から推測されている。スラブ語で吸血鬼を表す語は「upior」で、これがvampireの語源である。
伝承によれば、Living Dead、すなわち死なずに生きている屍体というか死者が吸血鬼である。それは死の界に行ってはいない。そのため吸血鬼には居場所がなく、生者の世界を彷徨うしかない。そうした意味において、吸血鬼は一般的な生者と死者の関係に反している存在なのである。ルーマニアの民話に「ストリゴイ(strigoi)」という亡霊があり、それは墓から出てきて人に害を加えたり、獣に姿を変えたり、姿を見えなくしたり、人の血を吸って活力を得たりするという。このストリゴイにもLiving Deadという死者の界にも生者の界にも属さない吸血鬼同様の存在が考えられている。
吸血鬼現象は中世より東欧で多く報告され、また記録されている。それらのほとんどは曰く付きの人が死に、その後夜に徘徊して人に危害を加えたり、血を吸ったりするので墓を暴いたらあたかも生きたような状態だったというものである。そうした報告がローマ教会にまで届いて記録されているが、実際に吸血鬼が人の血を吸っている現場を押さえたという記録はない。事後に墓を暴いたら吸血鬼だった、そう認められているケースが多いようだ。そこには人の死をめぐる異常な事態と、伝承と判別がつかないような人々の妄念があるだけのようだ。したがって、吸血鬼現象と吸血鬼伝承、そして吸血鬼物語とは分けて考えなければならない。つまり、まず吸血鬼伝承があって、それに沿った吸血鬼現象が報告され、そして吸血鬼物語が語られる、といったプロセスがある。伝承と現象そして物語はそれぞれ異なる環境で語られ、テキスト化されている。そして、吸血鬼が人の生き血を吸う場面が初めて描かれるのは映画によってであり、映像イメージから遡行して過去の記録、すなわち伝承や現象をイメージする傾向があるが、それはまちがっていることになる。
伝承や現象と物語を区別する観点からすれば、吸血鬼物語はスラブ世界のものではない。その物語は西欧世界が作り出したものである。そうした物語に特徴的なのは、吸血鬼をめぐる血とエロティシズムの表現である。吸血鬼物語はM. プラーツが示唆するようにロマン派のエロティシズムを逸脱している。すなわち、そこには屍体でありながら生き生きした存在をめぐって過度の情動を伴った想像力が働いている。死者でありながら皮膚は新鮮で血色がよく、爪が長く生え、唇は異様に赤い、そのように死者でありながら死とは相反する邪悪な生のイメージが西欧の想像力のうちに生み出されている。その物語に触れる者は内なる情動を誘い出そうとする力に抵抗できない。逸脱した強度としてのエロティシズム、それこそ吸血鬼物語がもたらすものなのである。
一説には吸血鬼イメージは十八世紀の啓蒙主義を経験した西欧が、(吸血鬼をめぐる)説話や伝承を非合理的なものとして廃し、そのことによって新たにイメージ形成の表現領域へと移行していったことに因る産物であると考えられている。迷信という心身的に深く根づいていたものを廃したおかげで、その心性はイメージといういつでも取り替え可能なものを内に導入することができたのである。そしてその際に、死や血のイメージを伴うエロティシズムの表現、言い換えれば、あらゆるマイナス強度が吸血鬼の周囲に際限なく集約されていった。なぜそんなことが起きるのだろうか。ことにブラム・ストーカーの「ドラキュラ」が発表されるやいなや、そのイメージが核となってあらゆる邪悪な局面がそこに集まってゆくようにみえる。そうしたマイナス・イメージを次々と懐胎し、そして形態化させてゆく思考の力とは何だろうか。それは何かしら刺激的なイメージを生み出そうとする思考の罠に陥っているだけなのか。肝心なのは何がそうさせているかである。
吸血鬼のイメージが形態化される際に最も威力を発揮したのがブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」である。ドラキュラとはいったい何か。ブラム・ストーカーは創作メモの中で、「ドラキュラとは悪魔を意味する。ワラキア人は勇気、残虐行為、狡猾さで目立つ者の姓に、この名を与える慣習があった」、そう書いている。当時は「ワラキア(Wallachia)」という語で語られていたようだが、現在のルーマニア南部地方のことである。このワラキアと北部のトランシルヴァニアとモルダヴィアの一部が合わさって1866年にオスマン帝国から独立して現在に至るルーマニアが出来た(トランシルヴァニアはその後一時、オーストリア・ハンガリー帝国に編入される)。ストーカーは東欧に行ったことがなく、東欧とトルコの関係についてもよく知らなかったようだ。ブダペスト大学の東洋語の教授(作中のヘルシング教授のモデル)からトランシルヴァニア地方に遺っている吸血鬼伝承を聞いて「ドラキュラ」物語を構想したという。
1453年にビザンツ帝国の首府コンスタンチノープルがオスマン帝国軍によって陥落したその三年後、ワラキアの王位についたのがヴラド・ツェペシュ(Vlad Tepes)である。彼はワラキア公、ヴラド・ドラクール(Vlad Dracul)の第二子であり、その姓の「Dracul」は中世ルーマニア語で「ドラゴン」を意味し、それゆえ彼は「Draculの息子」を意味する「Dracula」と呼ばれた。「Dracula」は「ドラクーラ」と発音するようだが、おそらくその名が西欧で「ドラキュラ」に転化したのである。したがって、「ドラキュラ」とはワラキア王のヴラド・ツェペシュを指す。
ヴラド・ツェペシュはその残虐性によって西欧に知られた。たとえば乞食同然の多数の貧民たちを宴会に招いてその闌に火を放って焼き殺し、また何千というトルコ兵を串刺しにして野に晒したという。とはいえ、ドナウ河南岸まで攻め入ってきたオスマン帝国軍に対峙したヴラド・ツェペシュにとってトルコ兵の串刺しは戦略的なものであったにちがいない。敵に恐怖を与えて戦意を挫くためである。彼は戦いに際しては勇敢にして狡猾であったようだ。トルコ兵の侵攻経路の井戸に毒を投げ込み、収穫物を焼き払い、家畜を殺すよう命令した。また伝染病に罹った市民たちに敵の兵隊と混ざるよう唆し、国内の罪人を解放してトルコ兵を攻撃するよう仕向けた。(これは現在、ロシアがウクライナ戦線で行なっていることで、かつて実際に行われたことを参照している可能性がある)。また彼は自国経済の発展に力を入れ、それゆえ乞食稼業をする者、すなわち非生産者を毛嫌いしていた。
ヴラド・ツェペシュに関する歴史記録を読めば、総じて彼が南のオスマン帝国や西のマジャール人のハンガリー王国からワラキアの国を守るために全力を注いだ人物であることが分かってくる。それに対して彼について書かれた物語は異なっている。事実が意図的に歪められているようだ。当時ワラキアの一部にサクソン人が移住していたが、彼らを通してドイツでの物語はヴラド・ツェペシュの残酷さが誇張されているか、もしくはでっち上げられているという。十五世紀末に書かれた「ドラクーラ物語(ドイツ語版)」によれば、ヴラドは「銅製の大釜を造らせ、その上に穴の開いた木製の蓋を置き、そして大釜の中に罪人を入れてその頭を蓋の穴をくぐらせるようにして出させて窯に繋ぎ止めた。それから窯に水を満たし、底で火を焚き、罪人を泣き叫ばせ、彼らが煮え死にするまでそうさせた」という。また彼は女性に対して残虐性を振るったとされ、ことに夫に忠実でない女性や結婚前に不貞を働いた女性に対して、「母親と乳飲み子を一緒に一つの杭に串刺しするよう命令した」という。これに対してスラブ版の「ドラクーラ物語」では、ブラドの残虐性はワラキアの国を強固にするためであったと強調されている。たとえば泉にある誰も盗もうとしない金杯について伝えられている。なぜ誰も金杯を盗まないかといえば、ヴラドが「窃盗行為を激しく嫌ったので、何らかの悪事もしくは強奪を引き起こすものは(厳しく罰せられて)長くは生きられない」とされ、厳格な社会規制と過酷な刑罰によって公衆秩序が奨励されたのだという。またドイツ語の物語ではオスマン帝国へのヴラドの遠征に際して行われた残虐行為が強調されているが、スラブ語の物語では彼の外交手腕が「悪賢い(zlomudry)」ものと評されているだけである。またヴラドは多くの拷問の方法を編み出し、何千もの人々を殺したのは確かであるが、それについても研究者たちによれば、事実が誇張され、彼を恐れる者たちや彼の評判を傷つけようとする敵対勢力が仕組んだ可能性があると注意している。
十五世紀の東欧諸侯国の力関係は複雑で、オスマン帝国の侵攻という危機的事態がそれに輪をかけて複雑にしていた。中欧の諸王国はヴラドをオスマン帝国の侵攻を防ぐ盾にしようと考えたようだ。こうしたことから、ブラド・ツェペシュは歴史的にはコンスタンチノープル陥落後のオスマン帝国の侵攻に対して勇敢に戦ったキリスト教徒とみなされている。しかし当時の政治状況からするならば、オスマン帝国侵攻の前哨地であるワラキアの統治者として周囲の諸侯国からそうせざるを得ない立場に立たされたという考えが支配的である。少年時代にワラキアの宗主国であったオスマン帝国に人質として過ごしたブラド・ツェペシュの立場は心理的にも地政学的に複雑なものだった。時にビザンチン帝国が消滅してオスマン帝国による威圧下にあるワラキアは西側に接するハンガリー王国ともトランシルヴァニアめぐる確執を抱えていた。ワラキアの王となったヴラド・ツェペシュは自身の生地である北部トランシルヴァニアをも支配しようとその影響力を強めていたからである。彼はことに黒海とハンガリー両方面への経由地点であるブラショブ(Brasov)の支配に努めた。ブラショブはドイツ移民系の商人が力をもつ商業都市で、ハンガリーにも影響力をもっており、そのためワラキアの支配下に入ることに反発していた。こうした状況にあって、ブラド・ツェペシュによる貧民虐待、残虐な刑罰、トルコ兵の串刺しといった事例が西欧によってことさら取り上げられることになったようだ。1464年のローマ法王への報告によれば、彼は四万人の様々な国籍と年齢の男女を虐殺したという。また1475年のカソリック司教の報告によれば、十万人の処刑を認可したという。こうした誇張の背後にあるのは、おそらく西欧が東欧に抱く不条理な心性ではなかったろうか。とはいえ、総じてスラブ文化圏自体が民族と歴史が複雑に入り組む状態を呈し、資料によって必ずしも中世東欧の歴史的事実が明確になることはない。
スラブ世界の歴史は複雑だ。ルーマニアはスラブ世界にありながらもともとはロマンス語系の言葉を話すラテン民族の国であるが、しかしビザンツ教会に属する。モルダヴィアとワラキアに分かれていた時代が長く、国家が成立したのも前述したように十九世紀になってからである。また旧ユーゴスラヴィアを構成していた諸国家は同じスラブ系でありながらも部族が異なり、ローマ教会とビザンツ教会に挟まれて文字は異なり、オスマン帝国による支配の間にイスラーム教に改宗した者もおり、宗教的にはパッチワーク状態になっている。ルーマニアはドナウ河口を擁し、西は民族的に異質なマジャール人のハンガリーに接し、しかるにその流れは西欧に通じているが、ハンガリー北側のチェコ(ボヘミア)は神聖ローマ帝国の一部でありながらも独自のスラブ文化を守ってきた。また十世紀になるとドイツ人(サクソン人)の「東方植民」があり、東欧の各地に拠点を築いてドイツ人による交易を活発化させてきた。そのためドイツでは東欧はゲルマン民族の「レーベンスラウム(生活圏)」であるという考えがあり、ドイツ人にとってバルカン半島も含めた東欧は自分たちの裏庭という意識があるようだ。東欧にナチスが浸透したのもこうした背景があるからだろう。そして大戦後の東欧諸国がソ連圏となり、独裁政権に支配されたことは衆知のことである。
十九世紀に中欧に多民族国家のオーストリア・ハンガリー帝国が成立し(1867〜1918)、ゲルマン人とマジャール人によって一部のスラブ国家は支配されることになった。その際にトランシルヴァニアが帝国に編入されたことは、おそらく「ドラキュラ」の読者に影響を与えたと思われる。たとえばドラキュラ伯爵がヴィクトリア朝のイギリスへやって来ることは異質な領域からの侵入、もしくは人種汚染に対する恐怖の投影として読まれうるという。どういうことかと言えば、帝国の辺境の地であるトランシルヴァニアの吸血鬼がイギリスに侵入し、住民の生き血を吸って国内秩序を乱す。それによって人種を弱体化させる異質な侵入者はアングロ・サクソン人種の純度を弱め、その恐怖を描写した「ドラキュラ」は辺境地による<逆植民地化>の事例となるというのだ。また「ドラキュラ」物語はことに西欧でのユダヤ人に対する固定観念に結びつけられ、その吸血鬼描写が十九世紀末のイギリスへの東欧系ユダヤ人の流入と関係づけられている。オーストリア・ハンガリー帝国下で反ユダヤ法やポグロム(大虐殺)から逃れて来たユダヤ人の数がイギリスでは急激に増えていた。古風な格式と金銭の富、血を吸うことで同族を増やし、種族の反映のみを図り国家への忠誠心に欠けたドラキュラ伯爵の描写は、反ユダヤ主義的概念が描写するユダヤ人そのものだというのである。ヴィクトリア朝文学ではユダヤ人を寄生虫のように描写することが多く、ことにユダヤ人が血液の病気を広めているのではないかという恐怖が存在したようだ。こうした漠然とした嫌悪感の背景には、他の列強国の台頭による大英帝国の衰退、帝国植民地における道徳性を疑問視する国民の不安の高まりがあったとされる。さらにはドラキュラ伯爵がロマ人を手懐けて幼子を誘拐させるのはロマ人が子供を誘拐するという噂話や昔からの伝承を想起させ、また狼人間のごとく変身する能力もロマ人が動物的だからという流民嫌悪症と関連づけられた。ロマ人は動物と共に暮らす生活慣習のために<汚れた肉>を好むとされ、市民による迫害対象となっていたのである。こうしたユダヤ人やロマ人への迫害とわけもなく結び付けられるドラキュラ伯爵は、それゆえその周囲にあらゆる悪の要素を集約させることのできるイメージ(像)となっている。むろん作家が意識的にそのようなドラキュラ像を作り出したのではないが、それを読む者が無意識的に悪の要素を付け加えることになるのである。その背後にはすでに述べたような社会状況がある。ことに「ドラキュラ」は書簡文で構成されているので、そのぶん読者のイメージを喚起しやすい表現になっている。ストーカーは大学時代に「小説における扇情と社会」という論文を書いているので、ひょっとして世間を煽ることが出来る小説を書くという潜在的な意図があったのかもしれないが…。
こうしたことから、西欧で流布した「ドラキュラ」という名の吸血鬼は、東欧に実在した「ドラクーラ」と呼ばれたブラド・ツェペシュ王とはまったく無関係なのである。それは西欧でまったく独立して想像されたイメージ(像)であり、そしてその内容はといえば、東欧で一般的に知られていた吸血鬼伝承とはまったく別物なのである。こうした現象はなぜ起きてきたのだろうか。
十八世紀以前のヨーロッパでは人々は吸血鬼に怯えていた。というのも、もし吸血鬼が疑われる事例に関わっていたり、それに触れていたならば、死後に天国にいく機会を不可能にさせると信じていたからである。啓蒙の時代となって以来、伝承される吸血鬼の身体特徴や具体性が客観的に観察され、述べられ、そして分析されている。そうした特徴は、早すぎる埋葬、土壌による正常ではない腐敗の遅れ、伝染病といった見地から科学的に論議された。それゆえ現象や伝承が現実のものであるという見方は次第に消えていったが、とはいえ人々はそのぶん吸血鬼イメージに魅了されるようになり、その吸血鬼イメージは人々の心理的/内面的な場を支配するようになったのである。そのことは、吸血鬼イメージに触発されるものを人々がいまだ心の奥深くに抱えているという現実があったからにちがいない。要するに、迷信による内面支配が終わった後も、吸血鬼イメージは文化的レベルで存在する恐怖というよりも、個々人の心理に深く潜む情動を恐怖として表象するものへと変容することができたのである。
当時、流行小説が提示する表象は人々の意識に特別な影響を与えていたようだ。語り伝えられる話に耳を貸すのではなく、人はプライベートな時空をつくって小説本に面と向かってその字面を読むようになる。迷信から解き放たれてはいるが、いっぽうでは吸血鬼表象が個人の内面に強烈なイメージと化して侵入する。その体験はそれ以前にはなかった新たなもので、そのような体験こそが読書の魅力となった。こうしたタイプの体験を誘発する吸血鬼物語は疑いなくロマン派の時代に由来する。十八世から十九世紀のロマン派の文学期は、吸血鬼を私たちが現在知るような創造物へと変容させたことに大いに影響を与えている。というのも、ロマン派による吸血鬼イメージは血みどろの表現から離れて、代わりに性的魅力と情欲の表現という近代の産物となったからである。すなわち、吸血鬼は人間の姿をしていてその獣性は稀薄になり、代わりに永遠に飢え、永遠に孤独な存在という、思考する上でも近づきやすいものと化した。それは死ぬこともできずに地上をあてどなく彷徨い、安らぐ場所のないその空虚な魂を近代特有の悪の要素である性や富や暴力といった力によって満たすことで生きるものとなったのである。
二十世紀の大戦後にM. エリアーデによって書かれた「令嬢クリスティーナ1978)」はそこら辺の事情を鑑み、スラブ伝承に基づく吸血鬼物語が意識的に語られているようだ。舞台は二十世紀初頭のルーマニアで吸血鬼伝承のいわば本場である。とはいえトランシルヴァニアの山中ではなく、ドナウ河の土の匂いがするワラキア南部の平原に建つ旧地主の広大な邸である。1907年の土地貸借制度をめぐる大農民暴動という歴史的背景が示唆されているが、それはその際の鎮圧に軍隊が出動し、犠牲者が一万人を超えたという血腥いものである。令嬢クリスティーナは残虐性と性的放縦という性格において描かれ、性的関係にあった同じく残虐な差配人によって農民暴動の際に射殺された。しかし、その屍体はきちんと埋葬されていなかった。村人は令嬢クリスティーナが幽霊になったと噂している。次々と家畜が死に、子供たちも死して亡霊となる。不貞な女性はキリスト教のモラルに反し、なおかつ悲惨な死に方をしたことでその死は呪われたものとなった。つまり、死者であってもなお生きている存在となった。これが伝承における吸血鬼の条件である。主人公は令嬢クリスティーナに向かって、「あなたは死んでいる。あなたは自分が死んだことを知っている」、そう吸血鬼の本性を突きつける。しかし、吸血鬼は生者との繋がりを維持するために生きた血を求めざるを得ない。過去を生き続けるその死者が生者である主人公の思考を制御しようとするというのが「令嬢クリスティーナ」の主題になっている。そこに嫌な感じがある。死者に制御された生者の思考は生気のない自らの過去の光景を繰り返し眼前に映し出すことになるからだ。それはもう生きた死者と同じ状態と言えるだろう。
こうした吸血鬼物語自体は実際にあったとされる吸血鬼現象には直接的には繋がらない。かろうじて吸血鬼伝承を想い起こさせるだけだ。吸血鬼物語は西欧の啓蒙主義による近代意識が作り出したものであるからそういうことになるのだろうが、それ以前の吸血鬼現象もしくは吸血鬼伝承とはいったいどんなものだったのか。意識が啓かれたからといって物語を物語の枠内だけで考えるのでは不十分である。吸血鬼現象もしくは伝承を考慮してこそ、物語に通底する何かしらを知ることができるにちがいない。
吸血鬼現象についていえば、それは考古学的発掘からも推測されている。たとえばギリシアのレスボス島ではオスマン帝国時代からのトルコ人墓地から、首と骨盤、それに両脚を二十センチの釘で留められた大人の隔離された墓が見つかった。同島の同じ頃のもう一つの墓には六十才の男性が入れられていたが、その骨に三本の曲がった十六センチの大釘が混じっていた。また教会の特別地下室の二つの墓地には中年の男性が埋められ、二つとも首、鼠蹊部、踝に二十センチの大釘と共に埋められていたが、それらは「蘇る者」と疑われた者に対するバルカン地方の典型的な埋葬の仕方だったという。また「National Geographic」(2012)によれば、数千年前の墓から、杭を打ち込まれたり縛られたりした遺骨がいくつも見つかっているという。うつ伏せや首を切断された状態で埋葬される場合もあり、それらはいずれも死者が墓から出て襲って来ないようにするためであったという。 また十二~十四世紀のブルガリアでは異教のボゴミール派信仰が広がり、現世で悪行を働いた人間は死後に吸血鬼となって蘇ると考えられ、吸血鬼になるのを防ぐために埋葬時に遺体に鉄の棒などを打ち込んだという。そして東欧で根深く広まっていた吸血鬼信仰は十六世紀頃から西欧にも浸透していったようだ。吸血鬼と疑われて口をレンガでふさがれた十六世紀の女性の骨がベネチアで発掘されたという。
こうした埋葬形態は、とりわけ死して蘇る者に周囲の者が警戒したという事実を知らせてくれる。発掘例はまだまだ少ないが、それに対して吸血鬼伝承は広範囲に渡っている。しかしその内容は多岐にわたり今ひとつ明瞭さに欠ける。
スラブの吸血鬼伝承ではvrykolakasは生肉を食べる。血を飲むよりもことに肝臓を好むという。肝臓は血液を満たした臓器である。動物は獲物の肝臓を真っ先に食べる。varkolakはもともと「狼人間(werewolf)」の意で、近代スラブ語およびルーマニア語ではそうした意味をいまだにもっているようだ。生肉を食べるという伝承には狼人間的な要素が色濃いことを示している。しかしバルカン地方についていえば、vrykolakasはクロアチアやモンテネグロの伝承の中で「吸血鬼」の意味に使われるようになったという。いっぽう、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア、ブルガリアでは「vampir」の語が共通語となっている。スラブ地方では吸血鬼と狼人間の概念が混じり合っているが、もともとトゥルク系のブルガリアでは一般にvarkolakを狼人間のような姿ではなく、吸血鬼の亜種として描写しているという。民間信仰によれば、狼人間への変身はスラブ人の中では人が獣的に変容する一般的な形態とみなされている。その概念は古代のもので、すべてのスラブ人の中で様々な程度に顕れるが、ベラルース人、ポーランド人、ウクライナ人の間で最も詳しく記録されているという。それに対して南スラブの伝承は狼人間と吸血鬼とを合成していることになる。その合成というのは、吸血鬼現象だけをみれば、前に述べたようにバルカン半島もしくはギリシア世界にスラブ人が混合して両者の世界を見分けつきにくくしていることを理由としていると考えられる。
ギリシア人は、伝統的に人が破門されたり、浄められていない場所に埋葬されたり、狼もしくは狼人間によって傷つけられた羊の肉を食べたりといった冒涜的な行為が理由で死ぬと、その人はvrykolakasになると信じていた。殺された後に狼人間が強力な吸血鬼になり、狼のような牙と毛深い手の平をした上に、人を釘付けにする爛々とした眼をもつようになると信ずる者もいる。バルカン地方の伝承ではvrykolakasの屍体は吸血鬼の屍体と同様の際立った性格をしている。それは腐敗しない。それは(吸血して)膨張し、「太鼓のような」大きなものになりさえする。肌は血色が良く、報告によれば、「肌は紅潮し新しい血で満腹になっている」。vrykolakasの行動は墓から出て来て人家を彷徨うといったことから、ポルターガイストのような行動をしたり、共同体に疫病を広めるといったことに至るまで、人に害を及ぼすものである。吸血鬼が夜に彷徨い歩く町や村には必ず腐臭が広がり、疫病の発生を見ると伝えられている。おそらくそれは血液による伝染性を示していると考えられるが、吸血鬼伝承におけるこの伝染性は興味深い。
伝承は、vrykolakasは放って置いたらますますその力を増してくるのでその屍体を打ち砕いてしまわなければいけないとしている。その仕方は様々で、最も普通なのは屍体を祓い清めること、屍体に杭を打ち込むこと、頭を切り落とすこと、屍体をバラバラにすることである。また特別な仕方として、疑いのある屍体を焼却することもある。そうすれば生者は生きた死者から解放されて安全に暮らすことができるとされた。ギリシアでは1941年から1942年にかけての大飢饉の際におよそ三十万人のギリシア人が餓死した。墓地は満杯になり、多くの家族が遺体を墓地の外に埋葬せざるを得なかった。餓死者が大量に出たため、当時の敵方協力者による政府(Hellenic State)は遺体を集め、共同墓地をつくって投棄した。浄められていない地に埋葬された者は生きてvrykolakasとなって彷徨い、戻って来ると信じられていたので、この可能性が教会の墓地に死者を埋葬することができなかった家族を悩ませる原因となった。ある家族は最愛の者がvrykolakasになるのを防ぐために、遺体の首を切り離すという予防的な手段をとったという。
生きたままの死者という忌まわしい状態に抱く恐怖は知れるが、伝染性について言われながら吸血の現象があまり伝えられていないのはなぜだろうか。屍体が腐敗していないように見えた、肌は血色のよいままだったということから、生きた人の血を吸って生きていると推測されたようだが、吸血鬼による疫病の広がりから、吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になるという伝染性が異なる文脈によって強調されるようになったのだろうか。吸血鬼物語では、ことに吸血鬼になる伝染性が読者に言いようのない恐怖を与えている。
トルコ人の吸血鬼という例があるにはあるが、一般的に吸血鬼はキリスト教社会に特有の現象である。吸血鬼は十字架を避け、教会内部のような聖なる空間へ入ることはできない。吸血鬼はその存在のあり方ゆえにその魂は決して超越しない。それは永遠にその容器、すなわち身体に繋がれ、天国に行くこともできないし、生きている者の生活に飢えて満足することなく地上を彷徨うことを強いられている。とはいえ、こうした条件はいつしか吸血鬼の伝承に色づけされてきたものであるにちがいない。
血は命であり、血統を示すものであるが、伝染性があり、それゆえ忌むべきものである。また血は生命であり、血を受け取ることは生命を受け取ることでもある。死者の魂は生きることを欲し、それゆえ血を渇望する。この血の主題を基にスラブ世界の吸血鬼が伝承されているのは確実である。それは血の両義性を伝えるといったような血への信仰の成せるものなのか。だとしたら吸血鬼現象とは何か。いったい吸血鬼を生み出す血への信仰の<光源>はどこにあるのだろうか。血は生命であり、そこには力と同時に不浄さが籠められている。不浄さは血によって病原が伝染するからであるが、いっぽう血が力であるとは、血は生命の源であるからである。しかし、血が力であるとは別の局面においてあるようだ。
前に述べたように、「オデュッセイア」の中で、亡霊は実体的な姿をもたず生者にはその声が聴き難いので血を飲ませないでは意志の疎通ができないとある。それでオデュッセウスは冥界に旅するとき、亡霊がそこで血を飲み、意思疎通ができるよう犠牲を捧げたという。死者と意思疎通を試みるというその背景には、死者は生者には知られないことを知っている、といった伝承がおそらくあったからにちがいない。そこには次々に現われる死者たちが犠牲獣の血を飲み、オデュッセウスに<真実>を語るという展開がある。
「オデュッセイア」によれば、オデュッセウスはトロイア戦争に勝利し、故郷のイタケーに戻る航海も中盤の頃、魔女キルケーの助力によって冥界に行く。そして「死者の国」の章でオデュッセウスの船は、キンメリア人が住むという、太陽が決して輝くことなく一日中霧に包まれた「大洋の河」が流れるところに停泊する。乗員たちは冥府に足を踏み入れるのにびくびくしながら松明を手にして下船するが、オデュッセウスは緊張しながらも断固とした心構えで進んで行く。彼はある地点で止まり、穴を掘り出す。そこは生贄の動物を潔斎させておいたところだ。オデュッセウスは腰の剣を引き抜き、前腕の長さと深さの穴を掘った。そしてその周囲に、すべての死者のために神酒を注いだ。最初は乳と蜂蜜と一緒に、そして熟したワインと共に、そして水を、最後に真っ白な大麦を撒いた。そしてそこに実在しない死者のために祈り、誓いを立てた。私はイタケーに戻ったら宮殿で自分が所有する中でも一番良い牛を屠るだろう。そして予言者ティレシアスには別に、宝物と一緒に薪を積み、肉付きの良い黒い子羊を捧げるだろうと。
オデュッセウスの誓いと祈りが死者の国に呼びかけると、彼は生贄の動物を捉え、穴の上でその喉を切り裂き、暗色の血を流す。するとErebus(暗黒界)から死者たちが溢れ出て来て彼のもとに群れ集まってきた。花嫁や未婚のまま死んだ若者たち、ひどく患った老人たち、悲しみに今も傷ついているかつて幸福だった娘たち、また戦いで死んだ戦士たち、銅の槍が体に突き刺ささったままで、血塗れの鎧に身を包んだ者たちだ。彼らは穴の周りをうろつき不気味な叫び声をあげる。恐怖でオデュッセウスの顔から血の気が失せた。
オデュッセウスはすぐに生贄の皮を剥ぐよう命じ、それらを燃やし、全能の死の神であり恐ろしきペルセポネーに祈るよう命じた。しかし、剣を抜いていたオデュッセウスは警戒してその場に座り込み、うろつく死者の亡霊たちを、彼が予言者ティレシアスに問いかけるまで血に近寄らないようにさせた。
しかるに、共に戦ったエルペーノールの亡霊がオデュッセウスに向かってやって来た。オデュッセウスたちは彼の屍体をキルケーの宮殿に置き去りにしたままで、彼はまだ大地の懐に埋葬されていなかった。オデュッセウスが声をかけた。「エルペーノール、お前はどうやって暗黒の世界に降りて来たのか。歩くよりも速く、さらには私の黒い船よりも速く」。それに対してエルペーノールの亡霊が恨みがましく事の顛末を語る。エルペーノールの亡霊が話し続ける最中にオデュッセウスの母親の亡霊が現われるが、またしてもオデュッセウスはティレシアスに問いかけるまで母親を血の近くまで来ないようにさせた。ようやく名高いテーベの予言者ティレシアスの亡霊がやって来た。黄金の笏を持ち、オデュッセウスをすぐに認め、語りかけてきた。「お前の剣を収め、穴から下がって立っていろ。そうすれば私は血を飲み、お前にすべての真実を語ることができる」。後に下がって剣を鞘に収めると、ティレシアスは暗色の血を飲むやいなや力のこもった言葉を辺りに響き渡るように発した。ティレシアスとの話が続き、最後にオデュッセウスは問いかけた。「もう一つ聞きたいことがあります。はっきりと話してください。私は長いこと会っていない母の亡霊をこの目で見ました。死者は黙って這うようにして血に近づき、息子である私を見るのも言葉をかけるのも耐えがたい様子でした。どうしたら私は母に私であることを知らしめることができるでしょうか」と。ティレシアスが答える。「単純な規則がある。ここではあなたはそれを学ばなければならない。あなたが血に近づけさせる亡霊は真実を語り、あなたが拒む亡霊は引き返すでしょう」と。そう言ってティレシアスは消え、母親の亡霊が近づいて血を飲むやいなや、オデュッセウスを認めて語り出す。
以上がオデュッセウスの冥府めぐりの内容の一部であるが、ここには血が力であることが明瞭に示されている。死者の亡霊は血を飲むことである程度の実体を取り戻し、それによって生者と対等になり、生者とコミュニケーションができるようになるとされているからだ。要するに、血が死者を生者に近づけ、生者に向かって<真実>を語らせるのである。
ギリシア悲劇ではエウリピデスの「ヘカベ」でアキレスの亡霊が墓の上に現れて乙女の生贄の血を飲んで欲求を満たしたとか、ソフォクレスの「オイディプス」でオイディプスが死後にテーベ人の生き血を飲むだろうと宣言したという表現がある。ギリシア世界には実際に血を飲む事例はないにしろ、「血を飲む」という表現には特別な意図が籠められていたのにちがいない。こうした言葉の表現は「オデュッセイア」の冥府めぐりの話にリアリティを与えてくれる。そして、この冥府めぐりの話がギリシアの吸血伝承の条件を満たしているのが分かる。不幸な死を遂げた者や埋葬されずにいる者の亡霊が現われ、彼(女)らは姿をもつが実体のない者とみなされ、そして生贄の血を飲むことで生者と等しく言葉を交わすことができる。これらの亡霊たちは冥府の入り口に彷徨い続け、血を飲むことで微かな実体を帯び、生者と接触できることを知っているのである。やがては地上に出て人の生血を吸う者と化してもおかしくはない存在である。おそらくホメーロスは「冥府めぐり」の話をどこかで聞き及び、「オデュッセイア」の中で書き起こしたと思われる。そうした「冥府めぐり」の基になる話が伝承されていれば、後にスラブ人によってそこに狼人間の伝承が重ねられて吸血鬼の伝承が出来上がった、すなわち<吸血鬼>という像が曖昧ながらも形をもつようになったのではないかと想像する。
死者に血を飲ませて<真実>を語らせること、血の信仰の<光源>はここにあるだろう。そのとき血は死者を生者に繋げる<霊的>な力を持っていると考えられている。そのようにして死者の言葉は過去を語る。過去の<真実>を語る。つまり、「血が<真実>を語る」のである。したがって、吸血鬼伝承における血の力とは冥界との繋がりを示すことにあり、そこには死者の世界を体験した者は<真実>を知る、もしくは何某かの力を得る、という考えに通底する要素があることになる。
前に述べたようにルーマニアにはストリゴイの伝承がある。墓に埋葬された者が人界に出て来る亡霊で、人の生き血を吸う。映画「Strigoi(2009)」ではストリゴイは過去の真実を語る死者として描かれている。興味深い場面がある。すでにストリゴイになっている父親が息子の血を吸う。息子は血を吸うのはやめてくれと言うが、父親は、俺の血でお前は生まれて来たのだから血を吸うのは当然だと言って吸血を正当化する。現代のルーマニアの農村を舞台とする物語だが、このやりとりには古代的な感覚が示唆されているように思えてならない。胎児は母親から栄養を得て血をつくり、母親の胎内から血まみれになって出てくるのだ。血の信仰とはとりもなおさず、誰しもがその血を母親の胎内で受け継いでいるという<真実>に求められはしないか。母親の血はまたその母親の胎内からという…。
ブルガリアには墓が生贄を求めているという古い迷信があったという。そのいっぽうで大地に拒まれながら生きている死者があった。その背景には大地に受け入れられる者と大地に受け入れられない者があるという考えがあったのであり、おそらく死という現象は大いなる大地と直接結びついていたのである。吸血鬼は人の生き血を吸うことで生者に近づこうとするが、いつしか<真実>に背き、人に害を与える者となった。こうした転換は吸血鬼が死者でありながら死の世界に足を踏み入れていないから起きるのにちがいない。死の世界に足を踏み入れたならば生者の世界を彷徨うことがない。吸血鬼は大いなる大地に拒まれている。また生者の世界を彷徨いながら生者の世界にも受けいれられていない中途半端な存在だ。その中途半端な状態にこそ様々な属性が結び付けられる条件がある。
近代の吸血鬼イメージ(像)に至って、血が死者と生者との交流を妨げるものとなっている。妨げながら、そこにエロティシズムの強度を現出させている。それゆえそれは偽の強度である。近代において怪異を主題とする中で反心理の物語を語ることができるようになったせいか、吸血鬼には欲望があらゆる形をとって集約されるようになり、そのぶん血や吸血をめぐる想像力の強度を失っているようにみえる。欲望は詳細に分析されているが、それはアンチ強度的なものになっている。「悪魔はつねに人間の後を歩き、人間に先行することはない」からである。
啓蒙主義以後、西欧がそれまで怪奇なものとして東欧というスクリーンに投影していた潜在的な心性が形となっていっきに表現上に現われることになった。その表現は東欧の心性を表すものではなく、まぎれもなく西欧が抱く心性であり、西欧が抱えるマイナーな要素の集積であった。東欧に自らの不安を映し出す鏡を通じてそこに西欧は東欧を物語化していった。スラブ人にとって西欧は自分たちを物語化する存在となったのである。吸血鬼物語という<幻想>への悪魔的な要素の集約はそうした意味をもっていなかっただろうか。その底流には西欧近代の問題があると考えられる。十九世紀になって西欧では資本による社会が本格的に展開されることで、資本が産み出す商品はそれを通じて資本側の物語を社会に押し付けていった。次々と新たに生産される商品が洪水のように押し寄せてきた。それらの新たな商品は人間の欲望を次々と意識上に、もしくは目に見えるような形で<つくり出して>いったのである。そのことによって逆に意識的でない意識の働きはいわゆる<無意識>として定式化されてゆく。そこには意識的でない意識の働きから阻害されて、分裂した心性を抱えた人間がいる。そして分裂した心性は漠然とした不安を他者に向けて映し出そうとするのだ。自身の内部で人は欲望をますます活発化させているが、商品の消費者となることで欲望を自己完結させている。人はその情動を型枠に嵌め込むようにして流すだけである。そこにはのっぺりとして特徴のないゾンビ(living dead)を大々的に生み出してゆくような社会が兆しているようにも思われる。
最近では吸血鬼を<資本>のメタファーとして考える傾向もあるようだ。マルクスは、資本家は労働者の血を吸うことでのみ生きることができる吸血鬼であると述べているという。労働者がその労働を余剰価値として工場主に支払われた賃金と交換に売るとき、確かにマルクスはそのことを「彼の生命を犠牲にする」と言っている。労働者の労働から最終的に利益を蓄積するのは工場主であり、この<犠牲>の過程は、吸血鬼の犠牲者が自身から疎外されているように、労働をそれ自身の本質から疎外している。彼ら労働者の血は吸血鬼がその犠牲者から血を吸い取るのと同じ仕方で雇用主から吸い取られているからである。そしてこの吸血の仕方は伝染性をもち、やがて世界を包摂してゆくのだ。映画「デモンズ(1985)」の表現はそのことを簡潔に提示している。
資本家は<死んでいる労働者(dead labour)>だという。吸血鬼のように、生きた労働者の血を吸い取ることによってのみ生きているからである。そして生きれば生きるだけ、労働者の生き血を吸い取っていく。結果的に、このような仕方で生きた労働力を取り入れることで、資本自体が生き生きとした怪物になっていくと。資本家はこの地上において利益によってのみ動かされ、経済的吸血鬼のかたちとなって現われている<死んでいる労働者(dead labour)>なのである。いっぽう、資本家の甘言に誘惑され、すなわちネット経済やスポーツ観戦といった新たな消費文化や気晴らしによって慰められて、労働者は「自己喪失」を患い、歩く屍と化す。この行き場のないゾンビたち(living dead)の彷徨こそひょっとして資本性社会の帰結なのか、そう思うとぞっとする。
すでに世界は資本という吸血鬼の餌食と化したようだ。いっぽう、現代の吸血鬼表現の方はあたかも血を抜かれて貧血状態に陥ったようになり、総じて象徴的なものになっている。奇妙な現象だが、血が<真実>を語らせるという伝承が見失われてしまったのは確実である。もはや血の信仰を語ることは困難であるからだ。