闇の歴史
五. 枠物語の効用
十九世紀にポーランド人貴族によって書かれた「サラゴサ手稿」は奇書と言われる。その「手稿」はナポレオン戦争(1803〜1815)の際にスペインのサラゴサで発見されたスペイン語の遺稿をフランス語に訳したものという設定になっており、そこには様々な身分の人たちによって語られる物語が記されている。そこで語られるのは「山賊盗賊、更には降神の術、魔術に長けるカバリストの輩の縦横無尽の所業」といった内容で、一つの語りの中にさらにまたいくつもの語りが嵌め込まれるようにして語られ、時代は古代エジプト時代からナポレオン戦争まで幅広く、また地理的にもヨーロッパ全体を含んでいる。こうした内容からして「千一夜物語」のような枠物語として扱われているが、しかしそうとは言えない。というのも、誰がつくり出したかも知れぬ多くの口承話を誰が編纂したかも分からぬ「千一夜物語」とは異なり、「サラゴサ手稿」は一人の作者による意識的に書かれた枠物語であるからである。どちらかと言えば舞台がイベリア半島南部ということからして、「サラゴサ手稿」は「ドン・キホーテ(前編/1605・後編/1615)」を念頭において書かれたのではないだろうか。イベリア半島南部はイスラーム文化の影響が色濃く、どちらの作品にも枠物語の中でムスリムたちとの交流が描写されている。「サラゴサ手稿」の中の物語が語られる主要舞台は山賊や追剥ぎが出没するシエラ・モレナ山中で、その荒涼とした山地は「ドン・キホーテ」にも登場する。二つの作品の共通点については後述する。
作者は啓蒙時代を代表する総合文化人と評されるヤン・ポトツキで、八カ国語に通じていたという。ポーランド人であるが広くヨーロッパを旅行し、それから「1784年、イスタンブールのカフェで職業的語り手の実演を見聞し、東方風の手法を用いていくつかの話を試作した後、1791年、モロッコでアラビアン・ナイトの写本を探したが、これは不成功に終わった。当地で出回っている唯一の物語集が『三百五十四の夜』であることは分かった…。モロッコよりの帰途、スペインを通ったポトツキは、アンダルシア地方に残るイスラーム文化の痕跡を目の当たりにし、盗賊が出没する辺鄙なシエラ・モレナを越えてマドリッドに至った」(ロバート・アーウィン「必携 アラビアン・ナイト(1994)」)とある。少なくとも「千一夜物語」は意識されていたようだ。しかし、「千一夜物語」に代表される枠物語にはそれ以前の口承伝統との深い繋がりがあり、こうした古代から中世にかけて形成された形式をそのまま近代にもってくることには意味がない。そこで枠物語とは何かをまず考えてみたい。
枠物語とは、導入部の物語を外枠として、その中に複数の物語を嵌め込んでいくといった入れ子構造の物語形式である。口頭で物語が語られながら一連の出来事を描いてゆくもので、そこでは枠物語の中の一人もしくは多数の登場人物が嵌め込まれた物語の中の語り手となり、新たに物語を語ることになる。このように物語中に嵌め込まれた物語がその物語に登場する語り手によってさらに別の物語を呼び込む表現であることからすれば、枠物語の発生とその構造には当時の口承伝統が深く関係していると考えられている。そして、それまで口承で伝えられてきた物語を文芸としての表現というかたちにするために筆記したとすれば、そこには何かしらの意思が働いているだろう。そのいっぽうで、語りという話芸の技術には伝統的に「枠づけされた語り」という仕掛け、すなわち物語の中に別の物語を語るというスタイルがいつとは知れず受け継がれていたのではないかと考えられる。
枠物語を代表する「千一夜物語(Alf Laylah wa Laylah)」の基になる作品は九世紀頃にはある程度の文芸書のかたちを成していたと考えられている。その後の成立過程においては無名の多数の人の手がかかっており、また新たに物語が付け加えられたりして複数の版がつくられ、十五世紀にはアントワーヌ・ガラン(1646〜1715)が翻訳することになる「千一夜物語」の版がシリアで出来ていたと考えられている。枠物語としては他に十一世紀にカシミールで編纂されたインド古典説話集「Kathasaritsagara(物語の大海)」があるが、これはソーマデヴァ一人の手による編纂であり、それに比べれば「千一夜物語」という枠物語の成立過程は特異なものであり、その形式と内容は格別なものである。何よりもまず「千一夜物語」と成ることは文字にして記されることであった。すなわち、シェヘラザードが王に語るに至る経緯について語られる物語枠と最も初期に知られたいくつかの物語は別の言葉からアラビア語に翻訳されたのであり、そしてそれらの物語は「千一夜物語」全体の一部に過ぎない。というのも枠物語という独特の形式ゆえに後から物語が次々と追加され嵌め込まれ書き足されて「千一夜」という量にまでなったのであり、それゆえ「千一夜物語」とは「作者のいない本」なのである。
「千一夜物語」という枠物語の様相は次のようである。まず最初に誰かがたとえば冒険語りを述べると、その中に登場する人物が自ら体験した奇妙な話を物語り、その中で語られている人がさらに自身の数奇な体験話をすると、その中の登場人物がさらに自身の話を語り…といった具合にいくつもの層を形成するようにして語り続けられていくのである。したがって、「千一夜物語」とはそのように誰のものとも知れぬ多層な時空に貫かれたテキストということになる。たとえば、マルドゥリュス版「千一夜物語」の二十四夜から三十二夜にかけての話で、バグダッドに代わってカイロが隆盛を極めた十三世紀頃の、「せむしの男および仕立屋とキリスト教徒の仲買人と御用係とユダヤ人の医者との物語」がある。それはシェヘラザードが語る物語枠の中でシナの回教王国での話が語られるのだが、登場するのは仲買人や御用係や医者や仕立屋といった王国城内の人たちで、彼らが順に物語を語ってゆく。さらにはそれぞれの物語の中で共通して身体の一部を切断された若者が登場し、自身に起きた数奇な出来事を順に物語ってゆくというものである。仲買人も御用係も医者も仕立屋も身に降りかかった死刑から逃れようとして王の面前で世にも稀なる話を語るのだが、この状況はシェヘラザードが物語を語る状況と同じくしている。死から逃れるための方策として稀有な物語を語ろうとするのは「千一夜物語」に通底する語りの条件である。最後に仕立屋が話をするのだが、その中に跛の若者が出て来て話をするが、さらにその話の中に床屋が出て来て話をするというのが興味深い。アラブ社会でも床屋は「血を取る」仕事を請け負っていたようだ。「私の職業はと申すと、頭や髭を剃り、腿や脚に亂刺術を施し、折れたる骨を整え、吸い玉と蛭を当てること」だとある。そう言って何をするにも持参するアストロラーベを使ってその場の処方の吉兆を割り出している。床屋といえばどんな社会にあってもおしゃべりと決まっており、それは刃物をもって客に接するからであるが、とすれば人に危害を与えそうな者が物語を語るという、シェヘラザードが命を賭して語る「千一夜物語」の前提とは逆の立場にいる者であることが分かる。床屋という職業は両義的な役割をもっていたのであり、聴衆はそのことをよく弁えていたし、語りの中で床屋が登場すればすぐさま何か面白いことが起きると期待しただろう。
シェヘラザードが命を賭して物語を語るという物語枠の性格からすれば、「千一夜物語」の多くは命と引き換えの「身代金話」でもある。そのとき語り手は自分の命が助かるようにと話をことさら奇妙なものへと凝らしていることになる。それゆえ、「せむし男の話」の中で仕立屋、仲買人、御用係、そして医者がそこそこ不思議でしかない物語しか話さないのでそこに死の危険が匂わされているが、しかるに、その後を引き継いだ床屋が長々と物語を語り、死刑を宣告されるすんでのところで彼らすべてを助けることになる。その床屋が語るすべての物語には身体の一部を切断された若者が登場するが、これは奇妙な符号ではある。けれども、彼らすべてが不幸な状況における犠牲者であり、罪がないにもかかわらず彼らは罪人とされ、相応の罰を科された者たちであることから、それは仕立屋と仲買人と御用係そして医者が、自らに科されるだろう刑罰のイメージも含めて、陥っている状況そのものをも示していることになる。このとき、そうした状況にあってさえ語り手はといえば、煌くばかりの御屋敷やそこで催される華やかな宴、そして人物の華麗な衣装や宝飾品等といったその視覚的に優れた事物の細部や、またその場での官能的な振る舞いを語るのを楽しんでいるように思われる。自身の死を恐れ、他の語り手と容赦なく競い合っている場面であってさえもそうである。これは「千一夜物語」では人物の評価を行為が規定しているため、話の中に新たに登場した人物は聴衆を魅了し珍奇で稀有な話を自ら語ることでそこに居場所を得ることになるからである。物語ることがまさに彼らの命を左右するのであるから、稀有な物語を語ることで死を逃れるという展開は「千一夜物語」という枠物語の理によく適っているのである。「千一夜物語」では登場人物の存在は物語を巧妙に語ることの出来る能力にかかっている。物語に挿入される様々な詩歌は語り芸の名残であり、本来は読むよりも聴いてその語感を楽しむものであるが、いっぽうこれらの詩歌の内容と技巧はそれを吟じる人物の評価を定めるものとなっているのである。
前述の床屋が兄の話をするのだが、その兄が昼の陽中のバザールで店を開きながら白昼夢を見るその夢想の内容が語られる。またもうひとりの兄の話ではそこにないものをあるように想像しながら動作をするパントマイムのような身振りがこと細かく語られる。こうした現実に起こっているのではないことを語る際には、むろん物語のすべての内容は想像上のことであるが、それとは区別してこうした抽象的な内容を示すためには語り手も巧みな身振りを混じえて話す必要があったのではないか。「千一夜物語」とは何よりも聴衆一般もしくは読者一般に向けて、その感覚の働きを想像的に豊かなものにする刺激と共に進行する物語である。それらの物語は総じて人間の感情、行為の動機、それに対する反応の機微といった人間の心理的な展開等によって構築されてはいない。そうではなく、物語の狙いは登場人物のみならず聴衆や読者の感情、そして心理状態が重要でないような<公の場>を創り出すことにある。それは庭園、建物、衣装、顔つき、ことに目鼻立ちの世界であり、またそれは月のような、龍涎香のような、真珠のようななどと描写される、他より秀でた対象世界で出来ている。それらはすべて読者や聴衆の想像力を刺激する力をもっており、また登場人物のみならず読者や聴衆によっても触感できる冒険的な体験を提供しようとしているのである。「千一夜物語」はそのように想像力による富が展開する世界であり、そしてその富はといえば、比喩の積み重ねとその繰り返しによって豊かにあるいはむしろ繁殖的になっていく。登場するすべての少年少女たちは驚くべき若さであり、誰よりも美しく、また優雅さと弁に長け、各々が稀有なものの中の稀有なものである。とはいえ、その存在は言葉の比喩によって成り立ち、彼らの行動を左右するのは欲望もしくは信仰心のどちらかであり、その姿はといえば周囲の事物を通じて屈折されている。読み進むにつれてそれぞれの物語は他の物語に反映し、もしくは他の物語に似るかその枠組みが繰り返されることになるが、中身の表現に置いて稀有なものの中の稀有なものは絶えずそれ自身を上回り、そしてまた引き続く物語によって増幅されてゆく。そして物語のほとんどは決まって思いがけない出来事によって終わりを告げるが、それでも後続の話が展開されるその仕方はそのつど驚くほど洗練されてゆき、さらにはそれらの物語の枠組みが繰り返されることで多層な重なりとなって現われ、表現の機能においてより複雑になっているのが分かる。そこには単なる反復でない反復があり、そのおかげで読者もしくは聴衆は次にはどんな趣向が凝らされるのかと思って読みまた聴くのを中途でやめることができない。こうした反復を優れた仕方で許容するその表現機能が「千一夜物語」の魅力ではないだろうか。
シェラザードがペルシア王に語る話の枠の中で「千一夜物語」全編が語られるわけであるが、この設定では多くの枠づけられた物語が枠物語と時代的に逆転することになる。こうした時代錯誤を許容しているということからすれば、「千一夜物語」の物語枠は時系列に関係なく物語を取り込める超時間的なものだということになる。物語枠は空間的にばかりでなく時間的にも特別な効力を発揮しているのである。枠物語におけるこうした時間の流れもしくは在り方はまた口承伝統と文芸の伝統との間のやりとりをも示しているだろう。どんな物語における話運びにもいくつもの異なる時間の枠が課されていていることになり、それゆえ枠づけの層が増えれば増えるほど物語られている時間との関係の複雑さは増してくる。第三十夜の「せむし男の話」の中で仕立屋の話を介して床屋が彼の兄弟の話を語るとき、聴衆はそれがシェヘラザードが話す物語枠を頭に思い浮かべるとすれば、同時に四つの文脈(シェヘラザード/シナの回教国に住む仲買人・御用係・医者/仕立屋/床屋)が層となっている語りを経験することになる。とはいえ、おそらく話芸と聴衆という関係の中ではそうした時間の層の重なりが意識されているのだろうが、本を読むという個人的な体験の中ではそうした時間の層に関する認識は希薄になっていることも確かだ。本を読めば登場人物の様々な声が聞こえてくるが、そのすべてがシェヘラザードによって、すなわちシェヘラザードの声で語られているとは本を読みながらどうしても思えない。しかし実際はそうであるはずなのである。それなのに、そうとは思えないという認識との間に絶えずずれが生じている。語り手のシェヘラザードの存在を否応なく知らされるのは、夜が明けようとする薄明の時間帯に彼女が物語を中途にして口を噤むその時でしかない。このようにシェヘラザードという存在は物語を本で体験する者からすれば、その声を聞きながらも感知していないといった逆説的な位置にある。このことは物語に次々と登場する人物が多層化された物語枠の中で次々と物語を供給する、そのことがシェヘラザードをまさに死から免れさせている、そのような機能を果たしているということになるのだが、とはいえ、そのことは枠物語の背後で主物語枠を司る、いやすべての物語を語っているはずであるシェヘラザードの存在を逆に覆い隠すことになっているようだ。
したがって、おそらく話芸においてはその様相は異なっていたのにちがいない。話芸では語り芸人が聴衆に向けて語るのであり、シェヘラザードが王に語るのではない。つまり、必ずしもシェヘラザードの声が聞こえなくてもいいのである。物語のすべては語り芸人が統括するのであり、聴衆はその芸の力に左右されることになる。とはいえ枠物語の特性として、読者と聴衆共々に物語が提供することになる共通した局面はある。一連の物語の中でそれぞれの登場人物が物語を語るので、そのつど語り手は聴衆もしくは読者にその前の一連の物語を想い出させることになる。想い出させられることで、物語枠の中の時間はそれぞれの登場人物の行動がそれ以前のものを繰り返すようにしてなされるのでどちらかといえば物語を体験する時間は循環的になっていると感じられる。語られる内容はまったく異なるけれども、そこでは語りの状況そのものが繰り返されるからである。そうであるからして、おそらく伝統的な語りの形式も物語が依拠する時間枠と同じように循環的なものであったにちがいない。しかしながら、枠物語の特質としてつねにそのとき語られているレベルより外部の枠レベルがあり、そこで働いているもう一つの時間システムがあることになる。読者もしくは聴衆は結果もしくはある種の解決へと向かっているが、そこに達するためにはいくつもの語りが嵌め込まれた物語によって表わされる反復的な時間を経なければならない。そして反復的時間を通過するこの直線的な時間パターンは一般的な文芸的物語の基準というよりも、枠物語独特のものであるようみえるのだ。そこには時間に関する二つの相対立する概念が存在するからである。枠物語の直線的時間を伴う語りは、嵌め込まれた物語の反復を収めるためにそのつど時間の滞留を伴わずにはいられない。同様の展開が同様の結果を伴って繰り返されることになるからである。しかしそれとは逆に、嵌め込まれた物語は物語枠の直線的時間の力によって引っ張られている。こうして読者もしくは聴衆のうちに必ずしも意識的にはならないが、この二つの時間のせいで物語のうちに緊張感が生じているはずなのである。二重の時間感覚を伴うこうした現象が中世の時期に枠物語が広まった一つの理由であると考えられている。しかし旧来の語りの時間についての概念が変化するにつれて、物語は聴衆が枠の外部の現実世界において常々対処している考えをまさに示すものとなっていった。そのようにしてより文学的な要素が増してゆく社会にとって、また直線的時間のより強い概念をますます伴ってゆく社会と共に、物語はすぐさまそうした新たな考えを肯定するようになっていったが、そうした状況になっても「千一夜物語」は馴染み深い伝統的な語りの世界にいまだ窓を開いていたようだ。それは口承伝統と枠物語の間には親密な関係があり、そのような関係の中からまさに「千一夜物語」は生まれて来たからである。
実際、「千一夜物語」は独特な過程を経て成立し、また伝統的に特別な仕方で読まれてきたという。その全貌は解らないが、アラブ人たちはまず様々な物語をアラブ語に翻訳した。そして話術の達人たちはそれを洗練させ、入念に練り上げ、巧みな語りの中で内容においてそれまでと同じものをつくり上げた。こうした素材から纏められた「千一夜物語」の写本の多くは朗読用に書かれたらしく、一般人もしくは職業的語り手たちがこれを使用したという。最も早い文献から、「千一夜物語」の基になるテキストが、語り手もしくは聴衆の好みにしたがって付け加えたり省略したりすることのできる朗読職人の材料となり、また文学的素養のある人たちによって書き直しされる生の素材であったことが知られている。朗読職人や書き手は自身もしくは聴衆の好みに応じて改作し、独自の写本さえ流通させてもいたのである。こうした経緯は枠物語という形式であればこそ可能であり、それゆえそのあり方は、例えて言えば<公の書斎>であり、それに接するあらゆる人に何かしらを提供する情報源としてあったとも言われる。いっぽう、こうした過程において写本は粗雑に扱われ、破れ、失われ、娯楽や流行のために部分のみが売られたり、また再構成されて書き直されたりもした。実際、「千一夜物語」集は貸し出しされており、十八世紀のアレッポの貸本屋によれば、回し読みにされて本がすり切れてくれば新しい話を挟み込み、ときにはそれが新しい版になっていることもあったという。こうしたことは「千一夜物語」に誰か作者がいるのではなく、そうした点からしても利用者がもてあそぶことが許容されていたからである。またテキストはそれ自体で価値をもたず、その価値は基本的に朗読のパフォーマンスに結びついていたようだ。「千一夜物語」は文芸的な関心に干渉されもしくは影響されながら作品として形となったが、実質的には大衆娯楽品の集成なのである。
こうして「千一夜物語」は二つの世界、すなわち語り手側の世界と聴衆側の世界との間から生まれて、文芸書として形となった。まずは書かれたものとして生まれ、その後、語り芸人や朗唱者や聴衆が協力し合うことで歴史的に存在するようになったのである。そのいっぽうで、文芸書としての「千一夜物語」がアラブ世界でその価値を一時は下げ、また価値を失いそうになりはしたが、ふたたび様々な情報源を通じて復活したであろうという事実は、「千一夜物語」の内容の豊かさとその成立過程における生命力をも物語っている。物語の多くは明らかにイスラーム起源ではない。アラビア語に翻訳されて、アラブ化もしくはイスラーム化しているのである。たとえば登場人物にはアラビア語の名前がついているし、物語の舞台はバグダッドやダマスクスやカイロになっている。しかし多くの場合、物語の構造やそもそもの着想はアラブ世界とは異なるどこか他の場所に源があったと考えられている。しかし多くの聴衆や読者にとって、そんなことはどうでもいいのである。
さて、ここで「サラゴサ手稿」に戻ることにする。「サラゴサ手稿」では様々な人物が登場して様々な物語が語られ、その物語の時代と場所は多岐にわたり、それぞれ独自の展開が語られるが、それらを語る人物たちは物語枠に沿ってイベリア半島南部のシエラ・モレナ山中にある隠れ家的な場所に現われ、そこで彼らの物語を語ることになる。それゆえ「千夜一夜物語」のシェヘラザードが王の寝間で語り続けるように、語りの場所は移動せず停滞したままにある。そして「ドン・キホーテ」にもそうした傾向がある。ことに前編にかぎって言えば、ドン・キホーテとサンチョ・パンサは村から数日離れた場所とその周辺からあまり動くことがない。次々と事件が起こって話が混み入り、移動がなされないのである。話の内容の多様さと語り手の場所の停滞というこの対比には何か意味があるのだろうか。
「ドン・キホーテ」という作品は、一次的な作者がいてセルバンテスがその記録を利用するという設定になっている。すなわち、シデ・ハメーテ・ベネンヘーリというイスラーム教徒の歴史家がアラビア語で記した原稿を見つけて、それを翻訳して紹介しているだけだという体裁をとっている。「サラゴサ手稿」もこれと同様の手法をとっていることは冒頭で述べた。「ドン・キホーテ」ではそのため、ときおり作者のセルバンテスが物語の中に顔を出すという事態が生じている。また前編と後編とでは執筆意図が異なるようで、前編では登場人物に長い体験話を語らせたり、小説とされる話を嵌め込ませたりして、物語枠の二重三重の層が認められるが、後編は前編の続編というよりも、前編を批判的に見るという視点を抱えており、ことに物語を嵌め込むという前編の手法は批判され、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの二人が体験する話を全面的に打ち出している。こうしたことからすると、セルバンテスは枠物語の形式を試みながらもそれには満足しなかったようだ。後編は前編の十年後に出版されているが、その執筆意図の違いは明白に見てとれる。後編は作品と作者との明確な差異を提示する一方で、小説としては完全ではなく、どちらかといえば破綻しているように見える。こうした小説という形式をめぐる不安定な要素を見てとってカフカは次のように語っている。「ドン・キホーテのもっとも重要な事績の一つは、風車との戦いよりももっと厄介なもので、それは自殺である。死せるドン・キホーテが死せるドン・キホーテを殺そうとする。しかし殺すためには生きている立場が必要なわけで、彼は剣の尖でこの立場を探すが、いくら探しても見つからない。こういうことに夢中になって、二人の亡者は、もつれ合ったまま威勢よくとんぼ返りを打ちながら、世紀から世紀へところがっていく」(マルト・ロベール「ドン・キホーテについて(1967)」より)と。ここでカフカが「ドン・キホーテ」を評して言う「自殺」とは、セルバンテスが自作品を自作品の中で対象化することによって「ロマン(小説)」が死に至っているということを言うのだろう。カフカは小説世界をそれ自体で守っていた。「(殺すためには)生きている立場が必要」だと考えていたし、「カフカは、<世界を高めて、真の、純粋な、不易なものの中にいれること>に成功しないかぎり、書くことの幸福は見出しえないと告白する」(同上)、そう考えていたようだからである。そうした点において、マルト・ロベールの言う「理論家」のセルバンテスとドン・キホーテの<死>との間に理論と表現の相克があるのは確かである。「ドン・キホーテ」は偉大な作品である。しかし、近代小説に連なる作品としては十九世紀から二十世紀にかけてのヨーロッパにおいて評価されることになったのである。十八世紀後半から十九世紀初めに生きたヤン・ポトツキについては「ドン・キホーテ」のこうした近代的評価は知る由もなかったにちがいない。とはいえ両者にとってのイベリア半島南部の世界とイスラーム世界との繋がりは注目に値する。「ドン・キホーテ」という作品設定自体がイスラーム教徒の原稿をもとに書かれたというものであり、それはセルバンテスがオスマン・トルコとの戦争に従軍していた経験からしてイスラーム世界をよく知っていたからである。そしていっぽうの「サラゴサ手稿」の中では、イスラームの秘教的一派による主人公への執拗な働きかけが最後まで通底音となって響いている。
枠物語という観点からすれば「ドン・キホーテ」はそれから逃れているという点でも近代的作品であり、いっぽうの「サラゴサ手稿」の方は枠物語の形をとってはいるがその物語枠は曖昧で、「発見された遺稿」という設定もその効果はほとんど生じていない。語られる物語は時代も場所も様々であるが、それらの物語の間に反復性は一切見られない。その代わりに、一つの事件が別々の人物から別々の視点で語られたり、語りと語りの関係が複雑に交錯するあまりに語り手に明らかな間違いを指摘させるケースさえ語られている。こうした意識的な手法は枠物語が抱える二つの対立する時間性に反している。「サラゴサ手稿」は「千一夜物語」の方に目を向けているのではなく、「ドン・キホーテ」の方を気にしているのではないだろうか。シエラ・モレナ山地のカルスト地形と神秘的な泉、そこではかつて銀や水銀が採掘されて、イベリア半島に留まったイスマーイール派の一分派が黄金を秘蔵する隠れ拠点であったという結末は、「ドン・キホーテ」の後編でドン・キホーテが夢見るモンテシーノスの洞窟の底なし穴の光景に通じる話でもある。「サラゴサ手稿」にはむろん「ドン・キホーテ」のように騎士物語への批判といった脱時代的な面はないが、その四方散乱的な内容をくまなく見わたせば、そこにはヨーロッパにおける不確かな啓蒙時代の姿が垣間見られるように思われる。この「不確かな時代」こそ、ポトツキが秘かに抱える主題ではなかったか。彼は晩年に自国であるポーランド・リトアニア共和国の崩壊に遭遇して時代の不確かさを痛感しているはずだ。それが原因でポトツキは自殺した(1815)とも考えられるのである。
さて長編にせよ短編にせよ、ヨーロッパの小説は「千一夜物語」やその他諸々のアラビア語作品や民話に極めて多くを負いながら発達したという考えがある。アラビアの学問、文学、娯楽作品がアラビア語から次々と翻訳されて中世ヨーロッパに伝えられたのは主にスペインやシチリア島だった。本格的に翻訳事業が行われたのは十二世紀以降のことであり、その中心地の一つが「ドン・キホーテ」の舞台であるラ・マンチャ州、その州都トレドであった。そのため「デカメロン(14c)」や「カンタベリー物語(14c)」といった中世の枠物語のみならず、近代に入ってヴォルテールやコールリッジの小説作品もその内容からして「千一夜物語」から多大に影響を受けたとされる。ことにウィリアム・ベックフォードの「ヴァテック(1786)」は「千一夜物語」の影響色濃い作品とされるが、その内容は「<オリエント>という考えと一般的に結びついた驚異と嫌悪と無慈悲にしてグロテスク等の混合物」であるとマリオ・プラーツが述べるように、それはベックフォードという異様な人物が夢想した極めて個人的な世界を描いた作品である。ゴシック小説「ヴァテック」はそうした意味で、「千一夜物語」の影響を受けながらも「千一夜物語」とはかけ離れた作品であると言える。とにかくヨーロッパではそれほど「千一夜物語」が読まれてきたのであり、それというのも、いまだ東方世界を見慣れぬ目と耳にはその描写は実に触感的で官能的なものであったからにちがいない。とはいえ、ゴシック派やロマン派の小説家は「千一夜物語」の何たるかを知ろうとせず、もっぱらそれを素材として取り込んだに過ぎなかったようだ。その枠物語としての核心は知られぬままであったろう。ヨーロッパ世界とは異なり、大量の物質が溢れる富の世界を介してあたかも触感することのできるような夢想の「オリエント世界」に彼らは翻弄され、かつ自らを翻弄していたと言える。
さて、数ある「千一夜物語」の映画化作品の中でも最も評価の高い作品にピエル・パオロ・パゾリーニの「アラビアン・ナイト(原題は「千一夜の花」/1974)」がある。「千一夜物語」という比喩で満たされた豊かな世界を映像化する場合、背景にどんな贅を尽くした美術を凝らしてもその実写化には幻滅するはずだ。それは人の感覚と想像力に訴えるようにして語られてきたのであり、決して形態化されるような作品ではない。それで「千一夜物語」の中でも「シンドバッドの冒険」や「アリババと四十人の盗賊」といったスペクタクルの物語が単独で取り上げられて映画化されてきたが、パゾリーニの「アラビアン・ナイト」は独自に枠物語形式を取り入れ、一部の物語(第百七夜から第百三十六夜にかけての物語「アジズとアジザと美わしき王冠太子の物語」)をかなり単純化して映像にしている。しかし、物語が形態化されたといった印象はまったくない。おそらく映画は自らの論理によって登場人物の心性も含めて物語を描いているからだろう。冒頭のエピグラフでパゾリーニは、「真実は一つの夢にではなく、複数の夢に現われる」と述べている。夢の強度は一つのかたちへと収斂されるわけではない。夢の強度は複数の夢として現われながらその強度を保っているのである。この見方は枠物語にも当てはまるだろうか。
市場での取引から始まるこの映画に登場するのは稀有なものの中の稀有なものではなく、ローカルな人物とその唯一無比な表情、それにローカルな衣装を身に付けたローカルな身体、そして唯一無比なるその身振りだ。映し出されるのはありのままのアラビア半島やアジア世界で、物語はあたかもいくつかの夢を見るようにして展開してゆく。パゾリーニは、「『千一夜物語』のあらゆる物語は、不合理が発生することでそれとわかる<運命の出現>で始まり、一つの不合理が必ず新たな不合理を生み出していく。こうして不合理の鎖が出来上がる。鎖の環がきっちりと筋の通ったつなぎ方になっていれば、それだけ物語も美しくなる。<美しい>という言葉で私が表したいのは、精気に溢れ、恍惚として、身震いするほどに高揚した状態だ。不合理の鎖は、絶えず常態に戻ろうとする。『千一夜物語』のあらゆる物語では話が終局へと至るや運命が<消滅>し、平々凡々たるけだるい日常が戻ってくる…物語の主人公は、実は運命そのものなのだ」(「必携 アラビアン・ナイト」より)と解釈している。映画の内容はまさにこうした考えを反映するものであるが、しかし、この<運命>の指摘は近代人的感覚であり、「千一夜物語」に<運命>の力などまったく似つかわしくない。<運命>は物語を語る者の手中にあるのにすぎない。この言葉はおそらくパゾリーニ自身の心性を映し出しているのではないかと思う。それよりも彼が見出したのは、枠物語の形式と彼が提示する自由間接話法的ショットの方法との親近性ではなかったか。パゾリーニ映画では場面と場面の繋ぎに独特の仕方があって、彼はそれを「(映像の)自由間接話法」と呼ぶ。「自由間接話法」とはむろん文学技法であり、登場人物の一人称の思考を三人称の語り手の視点で描写する、三人称語りの要素と一人称直接話法の本質を融合させた文章スタイルである。そこに挟み込まれるのは<語り>という形式を保持したままで書かれた文章である。すなわち、三人称の文体に一人称形式で独白部分が入り込むことになり、そうすることで同一文中に語り手と作中人物、両者の視点が混在する、というのが自由間接話法の最大の特徴である。直接話法では語り手とその話の主体は一致している。間接話法では誰かがこう言ったという形式になっているから語り手と話される内容の主体は別々であるが同一文中にあるにもかかわらず少なくとも誰が話をしたのかは示される。それに対して自由間接話法では語り手はその話の内容の主体とは別であり、そのうえ誰が話しているかは明言されずに話の内容が引用されていることもある。こうした機能は文章上ではある程度までは明確になりうるが、映像の場合はどうなっているのだろうか。自由間接話法の立ち位置が必ずしも明確であるとは限らないし、第一に映像の話法とは何だろうか。
パゾリーニの「ポエジーとしての映画(1965)」では、自由間接話法とは「直接話法とも間接話法とも異なって、人物の発言や思念をシームレスに(※途切れることなく)地の文に紛れ込ませる話法」とされる。パゾリーニは人物の行為を三人称的に捉える客観的なショットでもなく、人物の視点とカメラが一体化した主観ショットでもなく、人物や世界を外から捉えつつその人物の主観的ヴィジョンが反映された第三者的な視点のショットを自由間接話法として考えており、そこに映画表現の新たな可能性を見出しているというのである。というのも、こうした第三者的視点のショットにおいて映画作家は人物主観的ヴィジョンを借りて作家自身の表現主義的美学を実現することができるからだという。映像の話法とはショットに左右されるものであり、そのショットに主観的でも客観的でもない第三者的視点が実現する余地があるらしい。この第三者的視点についてジル・ドゥルーズは、「映画作家と被写体とが交流し、生成変化することで、支配者/被支配者のヒエラルキーが解体する」。そして「自由間接的であるとき、言語行為は、仮構作用の政治的行為、おとぎ話の道徳的行為、伝説の超歴史的行為となる」(「シネマ(1985)」)という。この「物語の行為であったり、神話の行為であったりするパゾリーニにおける言語行為」は「アラビアン・ナイト」にも適用されるのだと言う。つまり、外部からの視点に登場人物の主観的ヴィジョンが反映されたこの第三者的な視点のショットとは個人の視点ではなく、広く社会的(政治的・道徳的・超歴史的)な視点に還元されうるということになる。こうしたことからすれば、映像表現における自由間接話法では物語の流れの中に物語の<外部の>とされる第三者的存在が自ずと入り込んでくる余地があるのであり、そこには物語と物語を統括しながら物語からは(見えない)枠物語の形式との関連が考えられはしないだろうか。夢を見ることは、意識的でない意識が働くその強度を感知することでもある。
ルーマニア語の「千一夜物語」が遅くとも十七世紀までには出来ていたことを示す証拠があるという。このルーマニア語版はギリシア語版から翻訳され、そのギリシア語版はシリア語版から、シリア語版はペルシア語をアラビア語訳したものから翻訳されたのだという。ルーマニア語は民衆ラテン語やダキア・トラキア語などを起源にもつバルカン・ロマンス語の一方言がスラブ諸語などの強い影響を受けて早くも中世には成立していたようだ。いっぽうのルーマニアという国家の成立は十九世紀で新しく、それでも言語が早くから形成されていたのならばルーマニア語はそれ自体で外来文学を導入するほどの体裁を整えていたことに疑問の余地はない。もしそうであれば、フランスやイギリスよりも先に「千一夜物語」の一部の話が東欧に広まっていた可能性がある。つまり、一部の話が大衆に読み継がれ、語り継がれていた可能性がある。
ルーマニア人作家ミルチャ・エリアーデの「ムントゥリャサ通りで(1968)」は枠物語ではないが、訳者の「あとがき」によれば、「物語の構成そのものが、ファルマという元小学校校長が秘密警察に提出する供述書、あるいは取り調べの際の話という形になっており、一種の枠物語なので、アラビアン・ナイト的な雰囲気を濃厚にただよわせている」とある。ブカレストのムントゥリャサ通りにある小学校で校長をやっていたファルマという人物は老人で、秘密警察に目をつけられて取り調べを受けるのだが、その話が縦横無尽で、天に放った矢の行方をめぐる話、ある家の地下室の水中深くに潜って二度と戻らなかった少年の話、お告げによって婚約者を求めて山の麓へ行き、そこで乱行騒ぎを繰り広げる巨体美女の話、結婚式の場で見た手品に魅了されて婚約が破談になった男の話、いなくなった友人を探して付近の家々の地下室を訪ねては玄関先で詩を吟じる男の話などが語られる。歴史的事件や民話、さたには神話的な物語といったそれらお互いに繋がりのない幻想的な話が次々と繰り出されるその連なりは、今語っていることを説明するには次のことを語る必要があり、そしてその話が進むと、その話を続けるにはまた別の話を語る必要があるといったふうに、今語っている話の中に別の話が挿入されながら延々と語られてゆく。そのため話が進むにつれて時間の進行が入り乱れ、登場人物の相互関係も入り組み複雑になってゆく。しかしそれでも秘密警察官は老人の荒唐無稽な話から都合よく体制内部の対立派分子を嗅ぎ分け、そして最終的に政府高官が権力闘争に巻き込まれてしまうという話である。
老人はかつて小学校の校長であり、いわば体制内で職に就いていた。秘密警察での取り調べという事態を受けて、ここでは自身に関わる疑念を払拭しようとして物語を語るという「千一夜物語」的な設定になっている。しかるに、こうした筋立てから「ムントゥリャサ通りで」に想定されている物語枠をあえて推測するならば、それはルーマニアにおける社会主義下の独裁体制であり、見えないその物語枠を炙り出そうとしてエリアーデはこの小説を書いたのではないだろうか。枠物語においては物語枠の存在は希薄であり、物語が切り替わる際にのみ語り手が顔を出す。そして物語の枠内では時間的な推移に制限されることなくどんな話でも語ることができる。物語枠内の時間の多層性による緊張感と反復による直線的時間のこの希薄さは「千一夜物語」のものである。とすれば、こうした枠物語の構造をエリアーデは逆手に取っているのだ。すなわち、社会主義独裁体制という見えない主物語枠を示唆しようとして、直線的時間の希薄な出来事を延々と物語っているのである。むろんエリアーデは「千一夜物語」を熟知していただろう。いわゆるエリアーデの幻想小説には直線的な時間感覚が欠け、時間の流れを無視した反復が多用されているのが特徴的であるが、おそらく東欧全域にわたる政治的かつ宗教的歴史の複雑さがそうした表現を推し出しているのにちがいない。
セルビアの作家ミロラド・パヴィッチの「ハザール事典(1984)」は奇書の中の奇書であり、また綺想の書でもある。<事典>といった体裁をとっているが物語として読めないこともない。キリスト教の書、イスラーム教の書、そしてユダヤ教の書と三つの書に分けて書かれており、それは歴史的に存在した「ハザール王国」の盛衰の一端を三つの宗教の視点から物語ろうとしているからである。それぞれの書は事典の体裁をとっているにもかかわらず、その項目の内容は事典には似つかわしくない綺想的な話で埋め尽くされている。
「ハザール王国」はハザール人の国で、その白色トゥルク系の遊牧民族が七世紀頃にカスピ海とアゾフ海の間のボルガ川流域に築いた強力な遊牧国家は、一時は周辺の民族ブルガール人やペチェネグ人をも支配下に置いた。そのため「ハザール帝国」と呼ばれることもある。九世紀頃の支配者層がユダヤ教に改宗したことでよく知られているが、その経緯と実態は謎に包まれている。「ハザール汗国」とも呼ばれ、十世紀に滅亡して歴史の舞台から姿を消した。このようにわずかな期間に歴史上存在したハザール王国を前提として、「ハザール事典」は「1692年に破棄されたダウプマンヌス版を再構成し、最新資料を加えた改訂版」として書かれている。すなわち作者パヴィッチは<事典>の編纂者の名前をあげて自身は作品から距離をとり、そしてあたかも<事典>の形式を物語枠としつつ、それゆえ自身が語る<事典>の中身の枠物語は空間的にも時間的にも制約されずに語ることができるよう意図しているように思われる。これは変形された枠物語なのだ。それは「千一夜物語」のような枠物語とちがって、<事典>形式にして書かれたこの枠物語はその内容を平面的に通覧することができるというものになっている。語られた物語が次々と過ぎ去っていく枠内物語とは異なり、この中で語られる枠内物語は項目を検索してページをめくればいつでも呼び出されてくるのである。その内容は、ハザール王国の宮廷でキリスト教(ギリシア正教)、イスラーム教、ユダヤ教の神学をそれぞれ代表する者が可汗の前で優劣を競って議論したという(歴史的)事件「ハザール論争」をめぐって展開するが、項目に書かれた一つ一つの物語は史実を混じえながらもそれとは関係なくあちこちへと進行する。また物語の中に様々な文献が挟み込まれてそこで別の物語が語られるが、それらの文献の真偽は不明である。さらには一つの項目が三つの宗教の視点から別々に語られるのでその内容は三重に多面的な様相を帯びてくる。そうした中でも、使節の男の全身に刺青によって隈なく描き込まれるハザール王国の歴史と地図、どの指もそろって同じ長さのウード弾きの名手、ハザール語には文法上の性が七つあること、嫁入り前はモーラ(人の屍を食べる女)だったのが結婚後は魔女となり死んだ後では三年のあいだ吸血鬼になると言われた女等といった記述はただ奇を衒うためだけに語られているのかもしれないが注目に値する。というのも、こうした記述はあえて<事典>の概念に反するものであるからである。
パヴィッチはベオグラード大学で文学教授を務めるほどの学者であるからして当然「千一夜物語」を熟知している。「ハザール事典」の中にも「千一夜物語」の語は出てくる。とすれば変形枠物語としてのこの「ハザール事典」は枠物語の枠を解体しようとする枠物語の流れの一つと考えられはしないだろうか。というのも、その内容における極度の綺想趣味のために<事典>の形式としての物語枠は解体し、その代わりにその枠物語の中には多民族と接し多言語を解するのを常とするあたかも国境のない世界、歴史的に多文化的な世界が立ち現われて来るからである。ああ、食屍鬼であり魔女であり吸血鬼である女!こうした表現においてパヴィッチの小説は東欧文学が駆使する想像力の産物と言える。その想像力は相対的な観点によって異なる文化を受け入れることを可能にしているからである。そのことはもともと存在しなかった国境を横断するという精神が色濃く残る多文化的なバルカン半島の状況に依拠しているだろう。とはいえ、実生活においてパヴィッチはセルビア民族主義者として知られていたようだ。その小説は彼の民族主義的感情を表現していると言われる。そうであるならば、影も形もなくなったハザール王国の悲劇的な運命は現代セルビアの比喩として、すなわち旧ユーゴスラビアの盟主であったセルビアの比喩として考えられてもおかしくない。しかし、「ハザール事典」には一元的な思考が働いている寸分の影もない。これは小説ではない。言ってみれば綺想物語を意図的に詰め込み、自ら規定した<事典>の形式をあえて解体しようとする反<事典>なのである。このような文学的な試みは、おそらく(ユーゴスラビア)解体寸前の多様な破片の集積というヴィジョンによって促されているのにちがいない。
東欧文学はまた偉大なアルバニア作家イスマイル・カダレを生み出している。彼は政治的に不安定なバルカン半島の小国家が抱えてきた歴史について次のように自虐的に述べている。「アルバニアの位置は、二つの世界、すなわちローマ教会世界とビザンチン教会世界との間で締めつけられるようにして、西方と東方の間にある。二世界の衝突は不可避的にぞっとするような混乱をもたらしてきた。そのたびにアルバニアは自らを守るための新たな方策を見出さなければならない。すなわち、アルバニアはその法を、その行政を、その監獄を、その裁判所を、そのすべてを変えなければならない。それらを変えて外部の世界と関係を断ち、それから嵐が近づくにつれ、男たちの中に強い結びつきをもたらすことになるだろう。こうしたことをしなければいけないのであり、さもなければ地球の表面から消し去られることだろう」(1988)と。
彼の最初の小説「死者の軍隊の将軍(1963)」は、第二次世界大戦後に戦死した自国兵の遺骨回収のためにアルバニアを訪れたイタリア人の将軍と司祭の体験を描いている。彼らはアルバニア人をあたかもアフガニスタン人であるかのように見ているが、それはアルバニア人であるカダレが描くものである。小説は枠物語の形式とは無縁だが、読み進むにつれて、戦没兵が残した日記やかつて彼らが人に語り告げたこと、さらには現地の村の人々の語る往時の記憶などが<物語>のように綴られてゆく。そしてそれらの証言が積み重なってイタリア人将軍の意気を沈めていき、やがては死せる兵隊たちが生ける将軍の行動を強く縛ってゆくようになる。アルバニアの風景、山岳地帯の降りしきる雨と泥濘、余所者を拒む口を閉ざしたままの山岳民、生者を圧倒する死者たち、「生きている人間が過去の亡霊から逃れられないという構図はカダレが繰り返し語るテーマである」。こうしたことによって、そこには<歴史/記憶>という見えない物語枠が浮かび上がってくる。戦争中、森林や洞窟で過ごして戦った山岳パルチザンの一人が歌った歌があり、「歌が古くからあるのは切り株のようなものだ。それでも枝や花びらは若々しいのだ」と歌われる。この<歌>が意味するのは、<歴史>というか数千年にわたる人々の記憶のことにちがいない。この小説の重要な局面は歴史責任を負うことにある。個人的にも、そして国家としても責任を負うことにある。しかし、自身の過去と戦争で犯した残虐さに悩まされる将軍は現在の権力を守るために歪められた過去をつくり出そうとする。物語は政治目的を永続するためにいかに過去が武器化されるか、いかに個人が自ら始めたのではない歴史的出来事によって罠に陥るかを強調している。こうした主題は<歴史>をディストピア的なものに陥らせるが、いっぽうのパルチザンの<歌>は、連綿と受け継がれる民衆の記憶をいつでも<若々しく>花開かせるものとなっている。「死者の軍隊の将軍」は西欧より早く1966年のブルガリア語、ついでセルビア・クロアチア語やトルコ語などに訳された。西欧ではようやく1970年になってフランス語に訳された。東欧と西欧の間にはむろん歴史認識に大きな開きがある。
カダレの「夢宮殿(1990)」にも描かれ、またダニロ・キシュの「死者の百科事典(1983)」でも描かれるが、一人の人間に関する逐一の調書や、人の一生を逐一記録する回想的描写ということにどんな意味があるのだろうか。アルバニアとセルビアで同様に経験された独裁政権下で意味があるとすれば、そのような仕方でしか一人一人の生の意味を回復できないということを示そうとしているのだろうか。それほどの権力が人々を圧していたということなのか。東欧は西と東からつねに力を加えられてきたが、自らが自らを圧してきた世界でもある。それゆえ、東欧という存在はそれ自体によって創造されるというよりも、その存在は相対的なものを助けにして自らを発露してきたのにちがいない。また語りを聞くのと書物になったものを読むのでは、一方では語り手の声によって他者の存在を容易に感じられるが、他方では自身の想像力のうちで済ましてしまうといった大きな違いがある。この問題にどう対処するかという点に後世の枠物語の形式があるのかもしれない。その点において近代小説が見落としているものがある。東欧文学には他者の存在が生々しく感じられる。他者とはむろん<大きな他者>をも含む。
最後に2025年のノーベル賞作家でハンガリー人クラスナホルカイ・ラースローの「サタンタンゴ(1985)」について述べておきたい。クラスナホルカイの文体は特異でその文章は「うねるように長く続く」。段落が一切なく一つの章を読み切るまで余白に出会うことがないので「章の終わりでしか一息つけない」。さらには時間軸に沿って進行しない登場人物の語りや同じ出来事が異なる視点から繰り返し語られて話は行きつ戻りつしつつそのため読む方にしてみれば薄暗闇の中を手探りで進んでいくといった感じがある。それでも「サタンタンゴ」では「すべてを徹底的に観察し、継続して記録する」医者の存在が一種の物語枠になっているようにみえる。冒頭の医者の意識の流れが最後にふたたび繰り返されているからである。医者以外のすべての登場人物は「それなら、むしろここで待っていて会えない方がまし」(カフカ「城」から引用された「サタンタンゴ」のエピグラフ)といった人たちばかりでカフカの「城」の主人公の想いと一致させられているような人々である。「城」では主人公の測量技師Kは雇われて城のある村に出かけるがいつまでたっても城内に入れない。しかし城の長官に会えそうにないと解ってもその場で待ち続けることを選ぶのであった。「サタンタンゴ」に登場する人物もそのような人たちである。彼らのみならずそのような彼らを監視する独裁体制の当局も最終的には物語枠に繰り込まれているようだ。医者だけが例外なのはそれが作者と同型であるからだろう。こうした物語の構造はともかくとしてとにかく物語枠(社会主義独裁政権)に封じられてその中で今にも爆発しそうなテンションをもった意識の流れの描写が圧倒的である。人の意識の流れを描写するのに作者は様々な次元を含む状態を同時間の内に包括して表現しようとしているようにみえる。様々な異質な局面を即時性において抱え込もうとしているから脈絡はなく叙述が進むにつれて今にも爆発しそうな緊張を抱え込んでゆく。そのテンションはやがて物語枠を粉砕してしまうだろう。「短い文章は自然ではない」とクラスナホルカイは考えている。物語枠を粉砕した後の小説世界を考えるとすればそれはあたかもジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」的表現へと開かれるのか。いや、そうではないだろう。
東方世界(Orient)と西洋世界は歴史的にずっと対立してきたし、現在も対立している。そして西欧と東欧には中世以来優劣感が厳然と存在している。それでは東方世界と東欧世界にはどのような関係が続いているのだろうか。東方世界に対して東欧世界は一枚岩となってきたわけではないが、そこには見知らぬ繋がりが様々なあり方でもって異民族移動の時代から続いていたのではないかと考えられる。しかし、必ずやあったはずの多様な繋がりは今もって歴史の闇の中に埋もれているばかりだ。とはいえ、その闇を見つめれば闇は少なくとも次のようなことを現代の私たちに知らせてくれるのではないだろうか。現在、人は誰しもが物語枠の何たるかを知らないでその中で語られる枠物語を生きている。その見知らぬ物語枠を知るためには文学の力でそれを炙り出すか、それとも意識の流れを爆発しそうなほど昂めて物語枠を粉砕し、その向こう側を一瞬でも感知しようとするか、そのどちらかではないかと。