闇の歴史
三 錬金術と東方世界
錬金術とは「鉱物を熟させ、金属を純化する技術である」(M. エリアーデ)といわれる。「純化された金属」とは金(Au)のことであり、鉱物から精錬される(熟される)金属は成分的に余分なものを含み、それを取り除いて純粋な金属にすれば<金>になると考えられていた。ラテン語で錬金術を「alchemia」といい、それはアラビア語の「al-kimia」から来ている。この「al-kimia」の語は古代エジプト人が不死薬を調合する際の言葉として知られてきたとされ、「kimia」はコプト語の「khem」、すなわちナイル・デルタの豊穣な黒土を示唆する語であったという。ナイル・デルタでは農地を灌漑することなく、毎年の氾濫効果によって堆積した黒土には肥料をやることなく作物を栽培し収穫することができるほど自然の養分が含まれていたようだ。人為を施さなくても毎年決まったように作物が収穫される土壌、こうしたことからそこに「不死」というイメージが重ねられたのだろう。いっぽう、al-kimyaの語はギリシア語圏となった古代エジプトで「汁」を意味し、植物からエキスを搾り出す、すなわち本質的なものを取り出す技術を示すという説もある。他にも説があり、語の起源は定まらないが、いずれにしてもその語は古代エジプトを起源としている。そしてその通り、錬金術自体は紀元前のアレキサンドリアで培われた技術と思想がイスラーム世界に伝わり、イスラーム錬金術の書がラテン語に翻訳されて西洋世界で研究されるようになったことは広く事実とみなされている。また中世西洋においても錬金術は東方起源の技術として知られていたのである。つまり、中世西洋の錬金術は、意識的であろうと意識的でなかろうと東方世界と深く関わるものであった。
西洋中世には著名な錬金術研究者としてスコラ学者のアルベルトゥス・マグナス(1200頃〜1280)や出版業者のニコラ・フラメル(1330〜1418)、そして医師パラケルスス(1493〜1541)等が挙げられているが、市井には「純粋な金属」を得ようと様々な錬金術師たちが実験に傾注していたのであり、またその思想を研究する者たちが少なからずいた。ピーター・ブリューゲル(父)の版画下絵に錬金術師の仕事場を描いたものがあり、十六世紀の市井の錬金術工房の一端を伺うことができる。都市の民家の一隅で導師が書見台に開かれた錬金術書に目を通しながら職人たちに指図し、その周囲には床で鞴を操る者たち、机上で物質を調合したり、液体が入った容器を炉にかける者が仕事に精を出している。そして、部屋のいたるところには様々な器具と様々な形をした容器が散乱している。
西洋では錬金術における最大の目標は「賢者の石」を創り出すことにあった。それは非金属を金などの貴金属に変え、また人間を不老不死にすることができる究極の物質と考えられていたからである。エリアーデは錬金術について、それは「自然の活動に協同すること、永遠に増加する速度で産出するように自然を援けること、物質の形体を変化させること」と言うが、というのも、「ヨーロッパでは大地の胎内にあるすべてのものは懐妊の状態にあると考えられていた。鉱石はある意味で胎児であり、地下の鉱脈は植物や動物とは異なる時間のスケールとリズムに則ってであるけれども、地中で樹木のように生い茂り生長し続けていると信じられていた」(山本義隆「十六世文化革命」)からである。
具体的には錬金術とは、物質の変成を支配している自然原理を主に実験と観察を通して解読し、そこから得た知見に基づいて加熱、蒸留、溶解、沈殿、濾過、発酵といった物理学的かつ化学的手段を用いてこの変成過程を人為的に促進させ、自然の活動に協同するようにして不完全なものを完全ならしめ、最終的に純粋で有用な成分を分離抽出するまでの一連の技術を指していた。錬金術の達人たちは、蒸留や濾過の仕掛けをより効率の良いものへと改良しつつ作業を繰り返し、目の前の化学変化のプロセスを実に正確に記録した。錬金術はもともと自然哲学を土台にしており、世界を説明することを第一目的としていたからである。そうして、「錬金術がそれまでに開発してきた夥しいテクニックが近代化学と近代技術の財産目録に加えられていったのは、十六世紀の実際的な職人や技術者の努力による。技術者による錬金術技術の継承というワン・クッションを置いてはじめて、錬金術の知識と技術が十七世紀の化学者の手に届いたことになる」(同上)という。すなわち、西洋において錬金術の展開は近代化学を準備したのである。
しかしこうした錬金術の方法は、中世西洋におけるアカデミズム世界では実験や観察によって得られる認識は低く見られていたために、当時は何ら重要視されていなかった。大学ではもっぱら古代の書物の知識から得られる認識がまかり通っていたのである。それに対して実験を基にした自然研究である錬金術はあくまでも経験を重視する<知>としてその形をとり始めたのであり、言い換えれば、試行し観察する、そして新たな条件でまた試行するといった一連の過程が要請する<知>こそが近代に通じる新たな方法(科学)を用意したのである。
マルチン・ルター(1483〜1546)と同時代を生きたパラケルススは医師であり、錬金術師ではないが、医療行為に従事するに伴い錬金術(化学)を包括的に捉えていた人物である。当時はいくつもの<知>がそれぞれ特定の成員にだけ伝授されるかたちで外部に開示されることなく並存して営まれていたが、パラケルススはアカデミズムを含むそうした閉鎖的な<知>のシステムを公然と批判し、自然研究に際しては徹底して経験主義者であらねばならないことを主唱した。すなわち、自らの経験を基にして医療行為をするにあたり、伝統医学に従うよりも症状を観察することで積極的に民間医療も導入しながら治療を行ったのである。しかも彼は死刑執行人、理髪外科医、羊飼い、ユダヤ人、ジプシー、産婆、占い師等、社会の周辺的な人たちと交流し、学識者のみならずあらゆるところから有用な情報を収集したという。そうした情報を基に、治療のための薬剤を自然成分から自ら創り出しさえした。さらにはその考えを書物にして著し、当時の新技術である活版印刷によって出版した。こうした行動からしてパラケルススは当時から特異な人物として知られていたようだ。身分的な制限上、自ら医療行為ための場を構えることなく、生涯を通じて放浪の医師として過ごし、「私は医学博士たちのもとだけではなく、理髪師や浴湯師のもとにも、学識ある内科医のもとにも、産婆や呪術師のところへも、治療の術を行う者ならどこへでも出かけた。錬金術師や修道院の僧のもとへも、貴族にも賤しい身分の者のところにも、熟練した者のところへも俗人のところへも行った」とその著作「大外科学」の中で述べている。これには少し説明を要するが、当時、農村や山岳地帯はもとより、都市の大部分の住民にとってさえ、医療は理髪外科医や薬種商や助産婦、公衆浴場で吸角や瀉血といった療法に従事する浴湯主、経験豊かな古老や薬草師や呪術師たちによって営まれていたという。ことに都市に店を構える理髪師という職は事実上外科医の仕事を担っていたようだ。理髪屋が外科医を兼ねていたのは彼らが日常的に鋏や剃刀を使って仕事をしたからだと思われる。彼らは整髪や顔剃りだけでなく、切開手術やヘルニアの整復から抜歯、果ては梅毒の治療までこなす理髪外科医であった。「外科医」とは器具を使って自らの手で治療する医療職人を指していたが、理髪外科医はこうした外科医のさらに下級の職人とみなされていた。彼らは正規の医師とは異なり、手を汚す作業全般を引き受け、たとえば病院では外科医の監督下で行う切開や四肢切断の手術、また簡単な傷の手当てといった治療まで任されていたという。また彼ら職人外科医は戦争に従軍し、戦場で負傷者を治療することで多くの経験を積んでいった。当時、頻発するようになった火器による戦争はこうした実践的な外科医の需要を促し、パラケルススも従軍を経験した実践的外科医の一人であった。
医学的観点からすれば、彼の著書「大外科学」は、人体そのものに備わる自然治癒力に信頼を寄せ、ことに戦争の現場で培った創傷治療については、衛生観念の乏しい当時は通常行われていた不潔で危険な処置をできるだけ避け、傷口を清潔に保つように注意している点で現代においても高く評価されているという。彼は一般的な常識を考慮に入れながら治療現場で観察することの価値を強調し(「患者は教本だ。病床は学習場だ」)、医療改革のいくつかの面においてパイオニアとして知られる。パラケルススは伝染病を治療する独自の療法に成功したと言われる。深刻な感染病に対する効果的な薬剤は十九世紀を待たねばできなかったことからすれば、パラケルススが感染症状を観察することで調合薬を見出したことはこの時代にとび抜けた偉業であった。彼の多くの療法には名高い「解毒薬」が含まれているが、熱を伴う感染病に少なくとも一時的な安静を与えるのに発汗剤や強壮剤を処方するのは一般的なことだったが、彼は痛みを緩和させるのに阿片(Laudanumと彼は名付けている)を用いた。また水銀含有塩の使用が梅毒に最も効果的な治療であることを見出したことでも知られている。こうしたパラケルススによる薬剤に特徴的なのは、彼は古代から用いられていた牛糞や蛇の脂肪、鳥の羽といった有機材料を薬学的に調合する方法とは対照的に、不純物を取り除いた(精製した)無機物化合物を、それぞれを特定の病気を対象にして使用した点にあるだろう。
パラケルススがこうした薬剤を主に鉱物成分を化学的に調整して創り出すことが出来たのは、スイスの山村に生まれた彼が地域の病院に通う医師である父に同伴して鉱山での怪我や鉱山特有の毒素による鉱山病を知るようになり、その際に精錬工から錬金術(鉱物変成術)の考えを耳にし、不純物から余分なものを取り除いて純粋物へと変容させる技術について学んだからであるという。後に彼はチロル地方の鉱山地帯を訪れた際に鉱山や精錬所の危険で劣悪な労働環境と、そこで働く労働者が施す応急処置について知った。「職人たちはふだん使っている道具で処置していた。鋳掛屋は銅のスラグ(鉱滓)で止血し、化膿した傷口をもそれで乾かし、鍛冶屋は火星のクローカスと呼ばれる焼いた鉄粉(酸化鉄)で傷を治療し、陶工は銀密陀と金密陀(一酸化鉛)で同じようにやっている」(「大外科学」)と書き留めている。また彼は鉱夫の慢性呼吸器疾患としてその症状を記録し、原因を塵肺および砒素や水銀や鉛の蒸気によるものであると特定した。後に化学的に調整された医薬の優れた効能を確信し、ことに鉱物成分による薬剤を重視するパラケルスス医療は、このように鉱山地帯で鉱夫たちと交流した経験に基づいている。無機物化学の分野でパラケルススは、ビスマス(蒼鉛)、アンチモン、亜鉛、そして砒素を識別した。砒素についてはおそらく成分の形で取り出したのは最初であるという。彼の主要作品「鉱夫病と他の病気」には、鉱夫の病気の観察と様々な鉱物や金属がもつ人体組織への効能が書かれている。こうした医薬品の開発、水銀や硫黄、亜鉛等の鉱物成分の分析を通じて、あくまでも経験主義者の立場からパラケルススは錬金術に接しており、自身で工房を構えて錬金術による鉱物変成の研究に精を出すというようなことはしなかったが、彼の錬金術理論は壮大なコスモロジーを土台にしたもので、錬金術というものを大きな視野から捉えているのが分かる。根っからの経験主義者がそのような理論的局面を説くのは何故だろうか。それゆえ以下、その理論を簡単に検討したい。
パラケルススの医学思想は、哲学(自然哲学)、占星術(天文学)、錬金術(医化学)、徳(医療倫理)という四つの柱を基本とする体系をなしている。すなわち、「第一の柱は土と水に関するすべての哲学である(自然哲学)。第二の柱は天文学と占星術で、これが二つの元素すなわち空気と火の完全な知識へと導く。第三の柱は錬金術(化学)であり、特性(を知ること)、(精製)技術、調剤によって四元素を支配する。第四の柱は徳であり、これは死にいたるまで医学のなかに留まり、他の三つの柱を包み支える。医師はこの学問の奥深くに立ち入り、四つの柱を知らねばならぬ」(「奇蹟の医の糧」)。そのうちの一つである錬金術については、それは人の身体の健康や病気は人間という小宇宙と自然という大宇宙との調和に左右されているという考えが土台となっている。すなわち、人間は身体中の鉱物成分が調和のとれた状態にあらなければいけないという観点がまずあり、それに対して身体におけるある種の病気はそれを治すことができる自然の化学的治療力を人はもっているという観点があり、そして宇宙というマクロコスモスはミクロコスモスとしてのあらゆる人間のうちに顕われているはずであるから、宇宙ことに惑星の力が人間の身体中の鉱物成分の調和に影響を及ぼしている、そう考えられた。「人間の中には天空があり、その天空には体の惑星や星の力強い運行が行われている」(「奇蹟の医書」)。このことは当時の医学理論、すなわち身体の健康は四つの体液、黒色の胆汁(鬱/悲しみ)、黄色の胆汁(短気/怒り)、血(多血質/陽気)、粘液(粘液質/冷静)の適切なバランスに左右されているという考えとは異なるもので、ここで説かれる性格的な四つの体液のバランスに対して、パラケルススが説く<調和>という概念は、金(Au)はその成分が最も調和のとれた金属であるという意味で錬金術のものなのである。彼にとって医療行為とは、あたかも錬金術が鉱物を純化する技術であるように、身体の症状を仔細に観察し、不純なものを薬剤で除去もしくは中和させながら、あくまでも身体内の成分が調和する状態へと回復させる技術に他ならないと考えられていた。つまりパラケルススにとって医者であることは、身体をもたらしている物質成分が最もバランスのとれた状態へと自然治癒力を促すことだったのである。それは、「我々は自分の中に錬金術師をもっており、…それが我々が不利益を被らないように毒を体のためになるものから選別してくれる」(「奇蹟の医書」)からである。ところが、「体内の錬金術師の力が弱く、完全な精巧なやり方で毒が体に良いものから分けられることなく、毒と良いものが一つになった腐敗が生じ、腐敗的な消化が続いて行われる場合」は、「ある器官にその毒が留まり、その器官を劣化損傷させ病気が生じる」(同上)。こうしたことから、医師パラケルススにとって錬金術は、薬剤成分の中にそれぞれどのような効力があるのかを研究し、器官ごとに毒を除去するための医薬を化学的に調合するための技術として切り開かれていったようだ。そしてパラケルスス独自の思考のうちでは、その究極において<星界の力>を媒介する霊薬と考えられていた「Arcana(秘薬)」を精製抽出するという奥義が志向されていった。この<星界の力>とはパラケルススとって錬金術理論の核となるものであり、かくして「医師はまずもって占星術師でなければならない」のであり、同時に「医師はまた錬金術師であることをも必要とされる」のである。<星界の力>をめぐってこうした考えが唱えられるのは、医師にとって必要とされるこの占星術と錬金術に通底する知と技術の形態が、他でもない十六世紀の自然魔術として認められるといった状況があったからである。「天の力を媒体に引き入れ、その媒体の中で天の働きを発揮させる術が魔術(magica)である。ここに媒体とは中心のことであり、中心とは人間を指す。…魔術師は星辰の力をおのれが指示した物体に移し入れることができる」(「大天文学あるいは大宇宙と小宇宙に関する知の哲学」)とある。
当時はフィチーノ(1433〜1499)やピコ・デラ・ミランドラ(1463〜1494)が示した世界観である、ルネサンスの中心となったヘルメス主義や新プラトン主義、ピタゴラス派の思想が自然魔術の思想を支えていた。フィチーノとピコは占星術を批判的に見ていたようだが、それでもマクロコスモスとミクロコスモスの照応という考えに基づく占星術はパラケルススの医療の重要な部分を占めていたのであり、当時のヨーロッパの大学で訓練を受け、働いていた多くの医療者と同様に、彼は実践的占星術師であったという。「医術は星の意思次第であり、星によって手ほどきされ指導される。すなわち脳に属するのは月によって頭脳へと導かれ、脾臓に属するのは土星によって脾臓へと導かれ、心臓に属するものは太陽によって心臓へと導かれる。同様に腎臓へは金星によって、肝臓へは木星によって、胆嚢へは火星によって導かれる」(「奇蹟の医の糧」)とある。こうしてパラケルススと共に、錬金術の範囲は金属の変成と精製物抽出に限られることなく、それは広い意味ではどんな物質の中にも<星辰>による隠れた可能性と利点を展開させる技術として考えられたのである。そして、この<星辰>による「目に見えぬ影響(たとえば磁力や重力)」を理解しようとするいわば当時の自然科学すなわち自然魔術こそ、この時代において科学思想の先駆けであったのである。パラケルススのような経験主義者はおそらく経験主義者であるがゆえに、外部の見えない情報に対してもつねに心身的に開かれていたのにちがいない。すなわち、知覚・感覚的に開放状態にあったのだ。そのように開かれた状態においてこそ、自然に内在する<科学>は、自らに霊感をもたらす直感がその人のうちに照らし出されるようにして、その働きを明らかにするのである。
こうした前科学の時代には結局、いっぽうに医療的な観察と治療の試みといった経験優先の作業があり、そしてもういっぽうにはプロセスを方法へと理論的に高める作業がまたあり、両者はこの時代に(魔術的に)絡み合っていたので、おそらくそのどちらかを抜きにしては何も理解されなかった時代であったのである。そう考えることで、パラケルススの言葉もやや明瞭になってくる気がする。パラケルススによる錬金術の仕様書としては「錬金術師のための宝の中の宝(The Treasure of Treasures for Alchemist)」がある。
「(水銀の原鉱である)辰砂を以下の仕方で準備せよ。石の容器に入れて雨水で三時間加熱せよ。それから注意深く精製して王水(Aqua Regia/貴金属を溶解する液体)に入れて溶解させよ。王水は硫酸、硝石、そして塩化アンモニウムを調合してできる。ただし硫酸、硝石、明礬、塩を調合してもできる。これを蒸留器(alembic/二つの容器を管で接続した蒸留器)に入れて蒸留せよ。繰り返し注ぎ、不純物から純粋物を注意深く分離させよ。そしてそれを馬糞の中で一ヶ月発酵させる。それから次の仕方で(目的の)成分を分離させよ。それが徴候を萌したら、蒸留器を用いて最初の程度の火で蒸留を開始せよ。水と空気が上昇し、火と土が底に溜まる。その後、それらを再び一緒にし、ゆっくりと灰と共に処理をせよ。すると水と空気は再び上昇し、その後、火の成分が上昇するが、それは熟練の職人だけが認めるものである。土は器の底に残り、これが徐々に溜まっていく。それは多くの人が求めるものであるがわずかな者しか見出せない。反射炉の中のこの生気のない土を、(錬金)技術の規程にしたがって準備するように。その後、最初の程度の火を五昼夜加えよ。時が過ぎたら、二番目の程度の加熱を同じように五昼夜の間加えなければいけない。そして、(錬金)技術にしたがって共に封入した物質と一緒に続行するように。長時間にわたって薄いアルカリのような、火と土のアストラム(星辰)をそれ自体の内に含んだ揮発性の塩を見出すだろう。これを保存された二つの成分、水と土で混ぜよ。そして再びそれを灰の上に八昼夜にわたり置いたままにせよ。すると、多くの(錬金)技術者によって無視されてきたものを見出すだろう。これを経験にしたがって分離し、すなわちSpagyricの技術(発酵、蒸留、洗浄、灰化、結合という過程をへてエキスを抽出する)の規定にしたがって白い土を得るだろう。というのも色彩がそこから取り除かれているからである。アルカリ化した土に火と塩の成分を加えよ。成分を抽出するためにペリカン型の蒸留器の中で分解せよ。そうすると新たな土が傍に沈殿するだろう。その後、ペリカン型蒸留器の中の最初にも見出された獅子(硫酸鉄)を取り、その色合いを見ると、いわばそれは水と空気と土よりもはるかに優れた火の成分である。それを粉砕して沈殿物から分離せよ。かくして真のAurum potabile(飲薬用金)が得られる…(以下省略)」。
繰り返しの実験と観察の成果である加熱の塩梅や発酵にかかる日数、容器の中に見出される物質の正確な描写、そこに様々な器具を駆使しつつ、変成する物質が入った容器を注意深く見つめるパラケルススの顔つきがちらりと見えてくるではないか。
実験はすべて試行錯誤のプロセスであり、科学用語はまだ確立されていない。硫酸鉄を「緑の獅子」と呼ぶように、様々な局面で錬金術特有の象徴言語が使われていた。というのも、それは単なる化学実験ではなかったからである。物質の内に最高の<調和>を取り戻す、そうした理念がまずあって着手される実験なのである。こうした実験活動の支えとなるものはおそらく壮大なコスモロジーしかない。パラケルススの言葉はまさにそうした意味において自然の多様な資質に言及するものであるが、それらの用語は自然を観察する際にそこに差異を見分けるためのものというよりも、絶対的な創造者が創造物に付与した無数の霊的要素を見出すためのものであると言えるだろう。このようにして、<錬金術>とは目の前の現象とそれに呼応する心性の一致を求める探索なのであり、そうした意味での人間をめぐる全体性を維持しようとする探索が、自然物質を扱う応用技術に注意を向けさせたのである。そうすることで、意識的でない意識を、物質の変成過程に深く関わらせることができたのである。そのとき物質を<純化>する作業がことさら肝要であるのは、そこに宇宙という全体運動を自覚するに至る行程が働いているからである。
こうした錬金術思想があるそのいっぽうで、同時期に冶金術に関する書「ピロテクニア」を出版したビリングッチョ(1480〜1539)は、鉱山採掘に関わる知識を広く知らしめることを重視し、そうした点から錬金術特有の象徴用語の表現や職人組合の秘密主義から脱していた。この時代は出版技術が確立したこともあり、職人がその技術を書物によって広く公開した時代である。その背景には手工業が急速的に資本主義的経営に移行し、技術者自身が自立して生産・経営する環境が整ったことにある。そのためには何よりも精密な情報が必要とされ、錬金術から神秘性を取り除き、数値や正確な図面を開示して経済的合理性の獲得に努めることが肝要であった。しかしそのことによって錬金術はその核心である神秘主義という片翼を捨て去り、確かな生産技術に取って代わられたのである。おそらくこのとき、壮大なコスモロジーに支えられた、いわば「魂の錬金術」が見失われたのである。
したがって、資本が台頭し、経済的合理性が瞬く間に押し寄せる西洋中世後期においても、パラケルススはまだ魂中心の世界観を保持し続けていたのだと言える。彼は神的な宇宙に向き合いつつも物質分析の合理性にしたがって化学的発見に努めたが、言ってみればそのような仕方で宇宙の神秘のただなかにいることを望み続けたのである。
しかしここまで述べてきたようなことは、若年時より科学的な考察の教育を受けている私たちには実際のところ何も理解できていないにちがいない。とはいえ、こと化学(alchemy)に関する限り、実際には錬金術によるマクロコスモス的な観点があってこそ、近代に受け継がれる分析的な化学の手法を展開させることを可能にしたのである。すなわち、それまで神の創造に任せるだけの状況であったのが、独自のコスモロジーに支えながら手狭な工房での実験による観察を繰り返すことによって物質に対する分析的な思考を可能にさせたのである。そして結果的にそのことは、今ふり返ってみれば、私たちはそのとき全体的な思考が分岐する機会に直面したということ、そしてその際にどちらかといえば合理的な方法を選択する道が与えられることになった、ということではないだろうか。錬金術には霊的な要素に関わろうとする東方の思考が垣間見られるが、しかし西欧においては錬金術の展開は科学技術への道という確かな選択をもたらしたのである。それに対して、錬金術の東方的局面であるイスラーム錬金術の思考とはどのようなものであったのか、そのことについて考えてみたい。
アラビア数学はギリシア数学やインド数学の影響を受けて発展したものであり、中でもアラビア数字の簡潔さは記号による数式の使用によって代数学(al-gebra)を発展させ、そのことはヨーロッパでもローマ数字がアラビア数字に取って替わられることで後の代数学の圧倒的な展開に寄与したのである。代数学によって様々な値を数式計算によって求めることができるようになり、その正確な数値は冶金分析に従事する技術者や錬金術職人の間でもとりわけ重要視された。こうしたことによっておそらく、錬金術とその周辺技術は西洋と東方とで<共通感覚>をもつ職人技術であっただろう。イスラーム錬金術の主要目的は、ありふれた金属を他の貴金属、特に金や銀に変容させることにあった。この目的を達成するために錬金術師はelixir(al-iksir)もしくは「哲学者の石(hajar al-falasifa)」と呼ばれる神秘的な物質を必要とし、それゆえイスラーム世界では錬金術は一部の人たちの間で伝授される技術として伝えられたようだ。そうしたこともあり、アラブ・イスラーム錬金術に特徴的なのはスーフィズムと強い親近性を保持していることで、錬金術の専門書は、al-Hassan al-Basri(〜728)、Dhul-Nun al-Misri(〜861)、al-Junayd(〜910)、Abu Hamid al-Ghazzali(1111)といった権威あるスーフィーに帰せられている。それゆえスーフィーの中には自身の体験を述べるのに錬金術の用語を使う者がいたという。
前述の「ピロテクニア」にはイスラーム伝来の蒸留法が詳しく語られているという。おそらく西洋の錬金術(化学)はイスラームの成分精製技術にその多くを負っていたのである。Jabir ibn Hayyan(721頃〜806-816)はゲーベルの名で中世西洋に知られていた錬金術の師であり、その「ジャービル文献」と呼ばれる著作群は膨大なもので、その内容も多岐にわたり、その中に金属の変成について書かれた「Kitab al-Kimya(黒き地の書)」がある。彼の業績は化学や薬学の分野でめざましく、塩酸、硝酸、硫酸の精製と結晶化法は彼に帰せられている。金などの貴金属を融かすことのできる王水(aqua regia)の発明や、クエン酸、酢酸、酒石酸などの有機化合物を発見したとされる。その業績は化学器具にも及び、彼が工夫した蒸留装置はアランビック(al-‘anbiq)として現在でも使われている。化学にとって重要なアルカリの概念も彼によって生み出されたという。また西洋錬金術でことさら取り上げられる、硫黄と水銀の比率で金属の性質が変わるという説も彼によるものである。さらにジャービルに帰せられる業績には、化学物質に関する最も古く知られる分類体系や、有機物質(植物、血液、毛髪)から無機化合物(塩化アンモニウム)を化学的方法によって推定する最も古く知られる指示書があるという。おそらくこうした知識を、成分精製を行う際にはパラケルススも参照したにちがいない。そして、おそらくそこには彼が説く<調和>の概念も伝えられていたはずなのである。
ゲーベルもしくはジャービルその人については不明な点が多いが、彼の思考についてアンリ・コルバンが語るところによれば、「ジャービルの<量的>科学は、われわれが今日科学という言葉から理解するものの前史の一章をなすばかりでなく、一つの世界観なのである。秤の学は、人間知識の問題とすべきあらゆるものを包括しようとする。…秤の科学の目的は、個々の物体の中に、外に現われた者と内に秘められたもの(非秘教的なものと秘教的なもの)との関係を見出すことであった。このように錬金術的操作は、ターウィル(ta’wil)の、つまり明らかなものを隠し、隠れたものを顕わにする最上の例として登場する。…一つのものの自然的本性(熱さ、冷たさ、湿気、乾燥)を計ることは、世界霊魂がそれに自らを順応させる量、つまり物質の中に下降する際の世界霊魂の欲望の強度を計ることに他ならない。この欲望は、諸々の秤(mawazin)の根元にある原理が派生する諸元素に対する世界霊魂の欲望なのである。したがってそれは、物体の変質を条件づけようとする世界霊魂自身に回帰する世界霊魂の変質であるともいえよう。この際、世界霊魂は、この変質の場そのものなのである。したがって錬金術的操作は、自らをとりわけ精神的心的操作でもあるとする。ただし錬金術の文書が<世界霊魂の寓意>であるというわけではなく、具体的に存在する物質の上に具体的に実現された錬金術的操作の諸位相が、世界霊魂の自己帰還の位相と符合するということなのである」(「イスラーム哲学史」)という。この中でコルバンが言う世界霊魂とは、人に霊的=叡智的な世界を受け入れられる心性があるかどうかでその理解を左右することになるが、それは唯一神に触れながら唯一神の下位に広がる次元であり、その次元が人にも影響を与えている霊魂(ruh)の充溢した世界ないし場である。イスラーム世界、ことに神秘主義を奉じる者たちの間ではこうした考えは絶対的なものであり、それゆえその(霊魂)世界は実体的なものとして考えられていた。したがって、コルバンはジャービルの「量的化学」は「秤」すなわち「均衡状態(mizan)」を軸にして物質の霊魂と世界霊魂とを対応させていると考えている。とすれば、ここには絶対神に起因するコスモロジーがあって初めて展開できる「量的科学」があることになる。こうした作業は、「世界霊魂自身に回帰する世界霊魂の変質」の場、その場こそ霊魂の充溢する世界であるが、それについて知ることにあっただろう。それゆえ、ジャービルの錬金術(化学)は自らの「精神的心的操作」でもあることになり、さらには「具体的に存在する物質の上に具体的に実現された錬金術的操作の諸位相が、世界霊魂の自己帰還の位相と符合する」という仕方で、いわばマクロコスモスとミクロコスモスの照応が考えられていることになる。
自然の出来事につねに関心を抱いていたジャービルは、自然世界の事実をその象徴的で霊的な内容から分離しなかったのである。彼が重要視する「均衡状態」を目指す量的科学は、それゆえ近代的な意味で自然の対象を量化する試みではなかった。そうではなく、自然を介して世界霊魂の性向を測るものだったのである。彼が数と文字の象徴主義(<文字の秤>)やあらゆる自然現象が世界霊魂による決定であること、またとりわけ錬金術の象徴に熱中していたことは、そのすべてが自然現象の内的意味を理解するためにジャービルがターウィルのプロセスを適用していたことを物語っている。
いっぽう、Abu Bakr al-Razi(864頃〜925/935)は医師であり、アリストテレスに遡るペリパトス派の哲学者であることで預言やターウィルの方法を拒否し、それゆえ自然研究にその方法を適用することも拒否した。そうすることで、彼はジャービルの錬金術を化学に変えたと言われる。ジャービルは事物の究極の原因を発見しようと探求していたが、ラージーはペリパトス派の見解にしたがって、そうした<可能性>が存在することを公然と否定していたのである。ラージーは、鉱物が硫黄と水銀とで構成されているというジャービル派の成分構成的な見解にしたがわず、それらは物体(jasad)と霊(ruh)と魂(nafs)でできていると信じていた。彼はカテゴリー論に従っていたのである。そのため、ラージーの著作には鉱物物質、化学プロセス、実験器具等についての記述と分類が見られるが、こうした仕事は近代化学の用語にたやすく翻訳できるものであるという。また彼は錬金術の象徴的な側面、魂の変容の象徴としての金属やその変容に関する論議には何ら関心を払っていない。錬金術の世界観に特徴的な自然世界と霊的世界の間の照応は姿を消している。ターウィルの方法は、自然に適用する際にはそこに隠れているヌーメン(神性)を見出すために自然現象を(垂直に)貫くことを意味する。その垂直性は、事実を象徴もしくは自然というヴィジョンすなわち霊的世界を覆うものとしてではなく、それを明らかにするものとしてのヴィジョンへと変容することを意味する。そしてイスラーム錬金術はまさにそのような自然科学であったのである。それに対して、西洋に医師ラゼスとして知られたラージーという人物は、錬金術に関して科学への道に通じる分岐点として西洋に考えさせることを可能にした化学研究者だった、そう言っていいかもしれない。
伝統的な錬金術師は、仕事場の窓を通して霊的世界の光が自然の領域を輝き照らす、そんなふうにして作業に努めるのだという。彼の目的は純粋に物理学・化学的な観点から完全に純粋な物質を得るために働くことではない。それは燃焼炉の仕事である。彼は自然を原初の完全さに戻すために自然を変容させることを目的としているのである。自然を真実のうちにある天国的な至福へと変容させるために。
イスラーム世界で「偉大なる導師」と呼ばれるイブン・アラビー(1165〜1240)は、その主著「メッカ啓示(Al-Futuhat al-Makkiyya)」で、「事物の存在は、そこに内在する原因である霊的現実(その垂直性)のそれ自身によって存在するという資質と、病であり、外に明らかにしようと現われる傾向(その水平性)との連携による」と述べている。黄金は完全さという資質をもった垂直性を帯びた金属である。それはまた差異化されていない潜在能力であり、諸段階を進むことでそれ自身の達成に至る。その達成もしくは実現が<黄金性>と言われる。黄金は完全なる現われであり、それゆえそれは均衡状態のうちにある。それに対して、均衡状態を逸脱し、特定的な性格を帯びたものは特定の金属となる。イブン・アラビーは錬金術師ではないが、彼が提示する錬金術に関する二つの方法、すなわち除去と原物復帰は、彼の出生地であるアンダルシア地方の二人の師から受けた霊的教えにおける二つの方法に相応するという。それらは、「自身の魂に自身を関わらせよ(欠陥を取り除け)」と「自身を神のみに関わらせよ(原物形成)」である。こうしたことからも知れるように、イブン・アラビーの錬金術による観点は、物質変成に関わるというよりも、人間を完全性へと復帰させる道に関わっている。イブン・アラビーによる錬金術の小冊子があり、そのタイトルを「人間の幸福の錬金術(fi ma’rifat kimiya’ al-sa’ada)」という。このタイトルの「幸福」とは、その状態が完全(純化)を示すからであるという。この完全さとは最も高度な段階に達し、それと合流することを意味する。すなわちそれは起源と同じ姿のものとして想定されているのである。本質的に霊はつねに調和と均衡状態にあると考えられるが、そのことも私たちの身体との関係を通じてそう理解される。それゆえ人の幸福は完全さにあるといえども、それは相対的な世界に関わり、そこでは均衡状態と不均衡状態とが共にあることになる。身体を診る医者が病を治し、自然の均衡状態を回復させるように、魂の不均衡を治すのが、イブン・アラビーが考える聖なる医師(錬金術師)の仕事なのである。
試みに、「人間の幸福の錬金術」の英訳文(「The Alchemy of Human Happiness」Stephen Hirtenstein)から、核心的と思われる部分を抜粋して訳出する。
「錬金術のElixirは、存在の領域で改めたり置き換えたりできるものを示す明らかな証拠である/もし敵が神の恩寵のelixirを適切なバランスの基準に向けたならば/彼はその敵意を判断と布告の力をもってして友情の段階にまでやがてきっと移り変わらせることになるだろう/我らに啓示された秤を用いて重さを正せ。任務につけ/錬金術とは確定した基準の科学である。形あるこの世界にどれだけの(測るべき)姿があるか/熟考する者ならば、透明な観察力から欲望を取り除かないことがないよう注意せよ/さすれば、純粋な天使の段階に進むことを認められ、単なる人間の世界を超えた地位へと上昇できるだろう/
(中略)
錬金術の科学はelixirについての知識であるが、それには活動において二つの部分がある。一つは、金鉱石を元に回復させる。もう一つは、錬金術で自然金と同等とみなされる黄金をつくるようにして、欠陥を除去する。これは、均衡状態の探求において、この世界ともう一つの世界とによる展開があるということと同じである。
すべての鉱物が一つの根本的な起源に由来することを知れ。そして、その内在的自然による起源的なものはつねに完全な成就と充実なる位階との一体を求めている。それが<黄金性>である。しかしながら、聖なる名の効果のゆえに、起源的なるものが自然世界によって条件づけられるようになって以来、様々なその特性と共に諸段階を進むその行程において、夏の暑さ、冬の寒さ、秋の乾燥、春の湿気といった時間の大きな変化のゆえに、また鉱床の熱や冷えといった場所の性質における変化のゆえに、そこに病と欠陥が降りかかった。
一つの周期特性から他の周期特性に向かうようにして一つの展開段階から他の展開段階へと発展するその行程の間に、これらの欠陥の一つが起源的なるものにおいて優位的になり、その新たに住する場の力がその場のうちに統合されると、その場のうちに起源的なるものの実体をかたちという現実に変換するためのかたちが現われる。このかたちが硫黄もしくは水銀と呼ばれる。これらは二つの創始者と知られている。というのも、いっぽうでは、成果をもたらすことのできる確かな欠陥の結果として他の金属がそれら二つのものの結合から現われるからであり、もういっぽうでは、これら二つのものは一緒になり、構成において完全な最も崇高な実体、すなわち黄金と呼ばれる、合体することで二つの創始者がより高められたものを生み出すような仕方でお互いに結合するからである。これが、それぞれがそれ自身の鉱物性という観点から求めるところの位階である。その起源的なるものは聖なる領域における<呼吸>であり、自然界における<水蒸気>である。同様にして、二つの創始者は霊的原理と自然要素を兼ね備えるものである。
(中略)
二つの創始者は、特定鉱物の自然特性そして時間の自然効果を感受する特性と共に鉱物のうちに結合する。…結果として、このことが実体を決定づける。特定的性格の現実が与えるもののせいでそれが完全さに進むのを引きとめ、それを黄金である均衡の道から逸脱させるからである。均衡の道、それは目的地であるが、それは<黄金>という高潔な都市であり、完全なる達成をもたらすものである。<黄金>に達する者はより劣る水準に導くこうした変容に、決して、また二度と従わない。特定的性格が実体を支配するとき、それは本質的な性質に変わる。そしてそれを支配するものによって、そこに鉄や銅、錫や鉛や銀といったかたちが現われる。
こうして神の御言葉をより深い意味において知るようになる。<完全に形づけられ、そして不完全に形づけられた>。言い換えれば、<完全に形づけられた>は<金>についてのみ述べ、<完全に形づけられていない>は他のすべての金属について述べている。
(中略)
そこに錬金術的な手順に精通する者が現われると、彼は自身にとって何が最も容易い作業であるか詳細に調査する。そこから逸脱した均衡の自然な進路へと戻すために、彼にとって最も簡単な作業が金属体から欠陥を取り除くことであれば、それが最初の方法である。天文学者は惑星を観察する。今は天界におけるその真の位置にある、今はそれから逸脱している、その位置の下方か上方のどちらかへ(といった具合に)。そして、錬金術師は鉄もしくはそれがどんな金属であろうとも、そうさせる原因へと戻るだろう。彼は一つの要素がその中に異なる要素の量をもつがゆえに全実体を支配しているだけであることを知っている。それで彼は多すぎるところの量を減らし、少なすぎるところの量を増やすのである。これが医業と呼ばれる。そしてこれに従事し、精通する者が医者である。
それと同じ作業を用いて、彼は鉱物実体から例えば鉄のかたちを、もしくはそれがどのようなかたちをとっていようと、それを取り除く。彼が均衡の道にそれを戻すと、それを良き健康状態で保存しようとする。そのためそれはそこに留まることになる。病が治癒されると、病後の静養をする。彼は思いやり、痛みを和らげる栄養物で対処し、また冷たいすきま風から守ってやる。かくしてそれは、実体が黄金のかたちに身を包むまで、健康の直接的な道に沿って進んで行く。そのことがそれに起こると、医者の領域や病気を超えて行く。というのも、その全き完成に達した後、それは何かに欠けている段階に後戻り出来ないからである。ましてやそれに従うこともない。たとえ医者が希望したとしても、彼はそれをそれ以前の状態に戻すことが出来ないのである。
(中略)
いっぽう、この技術の達人が<elixir>と呼ばれるエキスを創り出したいと思うとき、それを彼が取り扱おうと望む鉱物体に適用するために、彼は(治療を)受ける鉱物体の自然構成によって決定されたものにしたがってそれを置き換える。この場合、そこには唯一の治療薬があり、それがElixirである。鉱物体の中にはElixirがそれ自身の特性へともたらすことができるものがある。そのため、それはElixirの仕事をするelixirになるのである。その場合にそれは<代理人>と呼ばれる。それは他の金属体の中に生じ、Elixirそのものの権威のおかげで金属体を支配する。
(中略)
我々は、霊的な智慧がいかに<二つの方法をもつ錬金術>と呼ばれるものに結びついているかを説明するためにここまでやって来た。しかし、なぜそれは真の幸福の錬金術と呼ばれるのか。それというのも、幸福はその中に必ずや存在するからである。さらには、神の人々のある者が言うには、そこにはそれ以上に良いものはない。というのも、それは真の人間の男性に属する全き完成の段階をもたらすからである。幸福を見出した者すべてが完成と一致するわけではない。というのも、完全なる者はすべて幸福であるが、幸福な者がすべて完全ではないからである。完全さは最高の段階に達し、そこに合流することを意味する。そしてそのことは起源であるものと同じであるとみなされる。それだから、預言者が<そこには完成を成し遂げた多くの男性がいる>と言ったときのことを想像してはならない。預言者は、ふつうの人々が語るある種の完成を言い表したのであり、それはむしろここで我々が述べたものであり、それはこの世俗の世界において知るという才能に与えられるものにすぎないからである。さあ、この前置きの後は、神が望むならば、われわれは前に進むべきである。真の幸福の錬金術について語るために」。
「幸福の錬金術」とは、幸福すなわち全き完成の段階を人の存在のうちに錬成する術のことである。それは物質の変成の背後で働いている潜在力と、その力に歩調を合わせる観察者の心性との一致を目指している。背後で働く潜在力とは神の力であり、それに歩調を合わせようとするのは霊的な智慧の働きのことである。したがって、物質の成分を研究し、その変成プロセスを心血注いで観察し、目の前の自然の妙に没頭し、さらなる手順を繰り返し、自ずと意識は集中し、そして意識は広がり、そうやっていつしか意識は霊感を得る。そこに様々な圏域が展開し、様々な次元へと移行する意識がある。そのように意識が呼吸するかのように変動する、その変動のうちに浮かび上がり、そこに顕われてくるもの、それは「神の似姿(完全さ)」なのである。
イスラーム社会では神は絶対であり神の方から人間に伝えることはあるが、人間の方からは神に接近できないという神の絶対性の考えが保持されていた。そのいっぽうで、イブン・アラビーのように、「神の似姿」を人のうちに見ることができるという考えも萌芽していたのである。あらゆるコスモロジーは無限(闇)を内包している。無限は愛の唯一の対象である。この無限を内包しようとする愛の感覚が、イブン・アラビーに「神の似姿」をもたらしているのだろう。