Tuesday, February 20, 2024

Lahore日記 The Diary on Lahore

 パンジャブ回廊

 11 BadakhshanNasir Khusraw

 

  Badakhshanは現在のアフガニスタン北東部の一州名である。ほとんどが山岳地域で、北部にはパミール高原が張り出し、南部にはヒンドゥークシ山脈が横切っている。また東部には中国新疆に延びるWakhan渓谷があり、Wakhan渓谷の南側はパキスタンのChitral地方やGilgit地方と接している。Oxus河の支流で、Badakhshan州の中央を南北に流れるKokcha河渓谷の右岸には古代よりラピスラズリやルビーの鉱床があることで知られ、Kokcha河沿いの州都Faizabad辺りにはきわめて古い時代から鉱石を扱う交易地があったようだ。一説には紀元前四千年の第二半期頃には唯一知られていた鉱床からラピスラズリが採掘されていたという。私はついぞ知らなかったが、イラン出土の、おそらくハラッパ文明の地で制作されたと思われるラピスラズリ製の印章が大英博物館に収蔵されているようだ。メソポタミアでも円筒形のラピスラズリ製の印章が出土している。またエジプトのツタンカーメン王の墓のマスクの一部がラピスラズリで装飾されているのはよく知られている。そのどれもがBadakhshan地方に由来するものである。そのため、後世にはシルクロードが分岐して通過する地域としてもBadakhshanは広く知られていたようだ。現在Badakhshanはアフガニスタンの一州名であるが、そもそもアフガニスタンと接するタジキスタン東部の山岳地帯パミール高原一帯も「Gorno(山の)Badakhshan」と呼ばれており、かつてはアフガニスタンのBadakhshan州と共に「大Badakhshan」を構成していた。この「Badakhshan」の名はペルシア語でササーン朝時代の称号「badaxs」に由来し、すなわち「badaxsと称される人物に属する土地」を意味する。したがってGandharaと共に世紀前から西アジア一帯でよく知られた古い地名ということになる。ササーン朝以来「大Badakhshan」にはイラン系の人々が住み続け、彼らの間には現在でも東部イラン系の様々な言葉が生き残っている。

このBadakhshan地方一帯にイスラームの教えを広めたのがNasir Khusraw(10041072もしくは1088)であると言われる。Nasir Khusrawイスマーイール派の哲学者にして詩人であり、なおかつイスマーイール派の「da’i(伝教師)」であった。現在アフガニスタンのBalkh近郊で地主の家系に生まれ、Kokcha河渓谷の上流地Yumganでその生涯を閉じた。Ibn Sina(9801037)Al Biruni(9731050)と同時代の人であり、またIbn SinaBukhara近郊に生まれ、Al BiruniKhwarazmに生まれたことからすれば、三人とも同時代の中央アジア出身者ということになる。Nasir Khusrawは若い頃から語学力に優れ、アラビア語、トルコ語、ギリシア語、シンド語に通じていたという。そのためクラーン解釈のみでなく、ギリシア自然哲学や医学、数学に精通していたようだ。最初ガズナ朝の地方政権に仕えていたが、セルジューク朝の侵略によってガズナ朝が崩壊すると財務官としてセルジューク朝に仕えた。自らの旅について記した「Safar-Namah(旅行記)」によれば、四十代の初め、夢の中で飲酒癖を問われ、さらなる叡智を求める道を進むよう促す声を聞き、優雅な官僚生活を捨ててメッカに巡礼したという。そして1047年にファーティマ朝のカイロを訪れ、そこでイスマーイール派の教義に深い影響を受けた。(一説にはNasir Khusrawはもともとイスマーイール派の教義に関心を示し、それが目的でカイロへの旅行を思い立ったといわれる。つまりメッカ巡礼は方便であることになる)。カイロでイスマーイール派伝教師になるための教育を受け、その後1052年に伝教師としてKhurasanの任地へ赴いた。しかし、当地でセルジューク朝のウラマーに敵視され、スンニー派による迫害を受けると、最終的に生まれ故郷に近いBadakhshanYumganに逃れざるをえなくなった。Yumganの地方支配者が早期にイスマーイール派に改宗していたため、その庇護のもとにNasir Khusrawは当地でイスマーイール派の教えを広めることに成功したと考えられている。このYumganの地から東へ山岳地帯を100km行けばもうパキスタンのChitral地方である。現在でもChitral地方からGilgit地方にかけて、そしてHunza地方にはイスマーイール派の信徒が多い。私は当地を訪れたことがあるが、ことにHunzaの人々はイスマーイール派であると自ら宣べ、Aga Khanの門徒であることを誇りに思うと語っていた。またChitralにはNasir Khusrawに因む聖廟があり、聖者としてのNasir Khusrawの話が今も伝えられている。とはいえ、Nasir KhusrawBadakhshanでイスマーイール派の教義を広め、イスマーイール派の共同体を創始したとされるがその点については今もって確証されていない。十一世紀のBadakhshanにおけるイスマーイール派の伝播状況と現在のイスマーイール派の浸透との間には断絶があると考えられ、Nasir Khusrawの思想がどれだけ現在の大Badakhshanとその周辺地域に伝わっているかは不明である。どちらかといえばNasir Khusrawの時代から現在までのイスマーイール派の継続的な信仰は疑問視されている。

イスマーイール派はシーア派の分派であり、イスラームの中でも特異な思考を創り上げた宗派として知られる。シーア派の第六代イマーム、Isma’il ibn Jafar(719/722765/775)を信奉するのでそう呼ばれ、正統派のウマイヤ朝からアッバース朝へとカリフ交代が起きた動乱期に勢力を拡大し、十世紀に入るとカイロを首府としてファーティマ朝を興した。パンジャブ地方のMultanに信徒を送り出し、東方におけるイスマーイール派の拠点としたのもこの頃の事である。イスラーム圏・非イスラーム圏を問わず各地に「da’i」と呼ばれるイスマーイール派の教えを広めるための<伝教師>を派遣し、Nasir Khusrawもその役目を務めることになったわけである。

アンリ・コルバンによれば、「若年のイマーム、イスマーイールの周囲に集まった熱狂的な信奉者たちの傾向は、シーア派グノーシス説の諸前提から極端な結論、つまりイマーム学における神的顕現、あるいは外的、非秘教的なものに対する、内的、秘教的真実の照応の確実性、さらにはシャリーア、儀礼の遵守を犠牲にしてまでも精神的復活を強調すること等を描き出している点において、過激なシーア派と呼ぶことができる」(「イスラーム哲学史」)という。さらには、「古代のグノーシス主義者たちは、神的深淵と根源から派生したものとの同化を避けるために、不可知なもの、名付けえぬもの、表現しえぬもの、超えられぬ深淵、といった純粋に否定的な名称に依拠した。そして、これらの名称と等質のものは、イスマーイール派の述語中にも存在する。<始源>あるいは<始源者(mubdi’)>、<神秘の神秘(ghayb-l-ghuyub)>、<思考の奔放さが到達しえぬもの>等がこれである。そしてそれには、いかなる名辞、属性、称号をも与ええないし、存在、非存在をもってしてもそれは説明されえない。<始源>は超越的存在であり、それは存在するのではなく、むしろ存在させるのであって、存在させるものと言いうる。…イスマーイール派の形而上学は、存在させるものという次元の問題を追求していると言える。存在の以前に、存在を強いること、つまり<存れ(kun)>と言う始源者が存在するのである」(同上)という。ここでは「イスラーム哲学史」に沿った慎重な言い回しがなされているが、要するにイスマーイール派は一面において古代グノーシス思想を引き継ぎ、「存在させるもの」と「存在」とを明確に区別し、「存在させるもの」と「私たちという存在」との関係を規定するような存在論を構築しようとしたのである。そしてそのことは何よりも「私たちという存在」のうちに隠されている「存在させるもの」に関わる認識(グノーシス)、いわば「神智(irfan)」が現在においてもイマームに開示されている、そのイマームの在り方を追求することにあった。こうした<イマーム学>はシーア派に起源をもつが、イスマーイール派はそのことを人間−宇宙論的な局面、すなわち宇宙創成と最初の人間との関係をめぐる神智学にまで展開させたのである。そこには新プラトン主義のみでなく、マズダー教やその分派であるズルワーン教、さらにはマニ教等の影響が伺われるが、イスマーイール派思想の巨匠と目される人物のほとんどがイラン人であると言われる点は、こうした古代イラン世界を参照することができる能力に関係していると思われる。こうしたイスマーイール派における秘教的側面は自らの集団を「da’wah」、すなわち「秘教的tawhid(一化の原理)のための<召集>」と呼ぶ点にも表れており、この<召集(もしくは布告・告知)>を呼びかける者を「da’i(伝教師)」というである。この<召集>の意味するところは後に述べるが、それは「天界において<時>の誕生する以前に<第一叡智体>が大天使的プレローマのあらゆる光の諸形相に訴えた<呼びかけ>を再開している」(同上)ことに相応すると言われ、da’iに選任されたNasir Khusrawもおそらくこうした秘教的使命を担っていたはずであり、迫害の憂き目にあってさえ使命を果たすべく辺境の地Badakhshanに赴いたのであった。

シーア派に由来するイマーム学は秘教的側面を体現するイマームの在り方を追求するものであるが、その際に「ta’wil」という独自の手法を基にして議論を展開させている。それは<霊的解釈>と訳していいような方法であり、例えば「それ(ta’wil)は、あるものを、その起源に送り返すという意味である。したがって、ta’wilに従事する者とは、記述をその皮相な外見(zahir)から引き離し、それを真理(haqiqa)に立ち返らせる者である」(Kalam-i pir)と言われ、また、「肉体の誕生がtanzil(顕教的学問)の世界で起きているとするならば、精神の誕生(wilada ruhaniya)ta’wilの世界で起きる」(同上)とも言われる。この霊的解釈においては、その前提として例えばクラーンのような聖典を人の精神のみによって著された人為的な構築物とみなすのではなく、その表現は音や色彩に関する知覚と同じように非還元的なもので、そこには本源的な<認識>が含まれているとみなさなければならない。この本源的<認識>に関して、ことにイスマーイール派の思想家は信仰における「外的、非秘教的なもの(zahir)」と「内的、秘教的真実(batin)」の次元をはっきりと識別するが、そのことについてNasir Khusrawは次のように言っている。「宗教の現実面(shari’ah)は宗教的理念(haqiqah)の外的様相であり、宗教的理念は宗教の現実面の秘教的様相である。また宗教の現実面は象徴(mithal)であり、宗教的理念は象徴されるもの(mamthul)である。秘教的でないものは現世の周期的、時間的変遷に応じて変動絶え間ないが、秘教的なものは生成の世界に身を委ねることのない一つの神的エネルギーなのである」(二叡智の集合)と。Nasir Khusrawにとって、ta’wilの方法こそ宇宙の「内的、秘教的真実(batin)」が孕む力を「私たちという存在」に開示する方法であった。彼はta’wilを、事物をその形而上学的起源へと「立ち戻らせること」と定義しているが、上述のような意味においてta’wilの方法は「起源へと戻る」というのではなく、そこには「起源へと前に進む」といった感覚がある。その「ta’wil」に相対するのは「tanzil」で、Nasir Khusrawはそれを、霊的リアリティをその起源から感覚的象徴や寓話に「下ろすこと」とする。このtanzilta’wilの概念は象徴するものと象徴されるものといった関係で互いに対をなしているとされるが、このとき<象徴(mithal)>とは、それによって象徴作用が成立し、そこに意味される真実が立ち現れる、そうした在り方についての唯一可能な表現としてあるという。言い換えれば、こうした<象徴>についての認識は、目の前の感覚しうる、字義通りの直接的データを変質させ、何よりもそれを透明にするのである。そこにはあたかも「神を認識する(グノーシス)こと、それは神の表現である」と言われるような、意識主体をめぐる逆転現象があるだろう。

 

 Nasir Khusrawは落ち延びたYumganの地でイスマーイール派の思想をいくつかの著作にしてかたちにしたが、彼がYumganという深い渓谷奥の、険しい山々によって三方塞がれた孤立した地でどれほどイスマーイール派の教えを広めたのかは実証されていない。とはいえ、彼がYumganの地で著した作品によって当時のイスマーイール派の思想が現在でも知られることになった。それらは、Rawshana’i-nama(覚醒の書)」、「Sargudhasht (自叙伝)」、「Gusha’ish wa rahaish(知識と解放の書)」、「Zadu’l musafirin(旅人の糧)」、「Jami al-hikmatayn(二叡智の集合)」といった作品であり、そして詩集「Diwan-i hujjat」がある。この中の「知識と解放の書」は、宇宙創成論、存在論、物理学、神学、弁神論の章から成る綜合的な著作で、冒頭の宇宙創成論は次のような問いかけで始まっている。

「同胞諸君! あなたがたは創造するもの(afaridagar)と創造されたもの(afarida)についてお尋ねになる。また創造するものは創造されるものに先んじているのは当然だと言う。しかしながらあなたがたは、創造するものと創造されるものとの間に時間(zaman)があったかどうか知りたいと言う…」。この「創造するもの」と「創造されるもの」という区別は、前に引用したような、<存れ(kun)>と言う始源者である「存在させるもの」と「私たちという存在」の区別に相応し、その間には「私たちという存在」からすれば言いようのない距離がある。そして、ここではまだ述べられていないが、「創造するもの」と「創造されるもの」の媒介となる創造(現象)が<時間>を介しているのかどうかという、<時間>をめぐる議論へと展開されていく。

「…その存在の(生成の)間に時間がない二つの実体について、一方がその相手に先んじているかどうかお尋ねになる。もし二つの実体の間に時間がないのなら、それらは共に永遠(dahr)か、もしくは生成されたものであるという道理に従ってあなたは述べているようだ。(しかし)、永遠と生成されたものとの違いは、時間において前者が後者に先んじているということである。それは例えば、永遠と仮にみなされる樹とそこに成る実を引き合いに出すならば、樹が実に先んじているのと同じである。…(したがって)、時間なしでどうやって先行性と後行性(を考えること)が可能であるのか、そのことの真実について完全に知る必要がある。…創造するものと創造(現象)の間には時間は必要とされない。また創造するものは創造(現象)にいかなる時間もなしに先行する。もし創造するものが創造(現象)をめぐって先行性もしくは優先性をもつのが時間によると考えるならば、その時間の最後が創造(現象)の起源となるだろう。そしてもしその時間の終わるところが知られるならば、その時間の始まりもまた必然的に確証される。そのとき時間の始まりは永遠という存在の始まりとなるだろう。そしてまた、(そのように)永遠の始まりが確証されるならば、永遠という(創造するものの地位)は終わり、それは生成されたものとなるだろう…」。しかし、<永遠>は生成されたものではないという。存在が生成される際にはその生成<時間>があるはずだが、そのとき<永遠>と<生成されたもの>は明確に区別され、創造するものも創造(現象)も<永遠>に属し、そこに<時間>はなく、いっぽう<時間>は<生成されたもの>に属しているとされるからである。その<生成されたもの>に関して、「期間(waqt)というのは二つの時間の間という状態を意味することを知りなさい。(言い換えれば)、誰かが<今(aknun)>と言うとき、この<今>は期間のことであり、時間から過ぎ去ったものと今後に時間から現れつつあるものとの間を指し示している、ということを意味している。<今>という状態はこうした二つの時間を中継しているのである。そのことの実際はと言えば、時間そのものは私たちの身体の状態における変化(を測るもの)なのである。…私たちに身体がなければ時間はないだろう。…二つの時間の間、すなわち過去と未来の間の<期間>は二直線の間の空間(gushadagi)のごとくであり、そのうちのどちらかが(空間を)限定する境界線である。しかし、もし直線が一本であれば、事物を限定する境界線でありえない。というのも、この空間すなわち表面(sath)と呼ばれるものは、二直線なしには存在しないからである。()の一が境界でないように、直線の両側にあるものの分量を知ることは不可能である。そして、二つが一つと一つ(から成る)として述べられるのと同じようには誰もがその相貌を述べることができない。(要するに)…世界はそれを創造するものの後に、その間にいかなる時間もなしに現れたのである。そして、世界の創造以前には時間がなかったことを確証している。…<期間>そのものは世界の創造の結果として存在するようになったわけである」。

創造するものは<時間>なしに創造する。創造(現象)の<時間>に関しては創造(現象)が<永遠>に属しているからそこに<時間>はありえない。<永遠>には始まりも終わりもなく、その一端を限定することができないからである。それに対して<時間>は<生成されたもの>である。私たちが日常的に感じる<時間>は「二つの時間を中継している」<waqt(期間)>と言ってよく、その実際は「私たちの身体状態における変化」によって測られているものである。それは「zaman-behaqiqat(真でない時間)」であり、「zaman-haqiqat(真の時間)」ではない。「zaman-haqiqat(真の時間)」とは<永遠>のことであり、「身体がなければ時間はない」ように、身体を通じて現れる人間の<時間>は「真の時間」ではなく、したがって「私たちという存在」は<永遠>に属していないのである。

時間(zaman)は<永遠(dahr)>と<(通常の)時間>すなわち<期間(waqt)>とに区別されている。Nasir Khusrawは、<(通常の)時間>は「作用者による作用(karkard-i karkun)」と呼ぶものに原因する出来事であり、それゆえ<(通常の)時間>は作用者から独立して存在し得ないし、それは作用者による作用と共に立ち現れる出来事であると説明している。したがって、こうした<時間>を二つの実体の間に、すなわち創造するものと創造(現象)との間に仮定することはできない。<時間>は出来事(作用)の次元にあり、実体ではないからである。

こうした<時間>をめぐる区別はNasir Khusrawによる独自の考えではなく、すでにイラン人哲学者Abu Bakr Muhammad bin Zakarya Razi(865925)によって説かれている。「時間というのは<絶対時間(zaman mutlaq)>と<限定された時間(zaman mahsur)>とを含んでいる。<絶対時間>は永遠の持続(dahr)であり、決して遅れることなく永遠に動いているものである。<限定された時間>は天体の運動、太陽や星辰の運行によって存在する時間である」(アンリ・コルバン・「マズダー教およびイスマーイール派における巡回する時間」)と。さらにはRaziの師でもあり、古代イラン思想の哲学者であるAbul al-Abbas Iranshahri(九世紀)は、<時間>、<持続>あるいは<永遠>という言葉を、二つの位相のもとで考えられたただ一つの同じものを指示する三つの名とみなしていた。二つの位相とは、天の運動によって<量られた時間>と天の運動から独立した<量られない時間>とである。そして<量られない時間>は人間の<魂>よりも優れた叡智的宇宙の地平とも呼ばれているから、<魂>から独立したものと考えられていた。Nasir KhusrawIranshahriの考えを讃美しているので、<時間>についてもIranshahriによる、ただ一つのものである<永遠>があり、そこに<量られない時間>と<量られた時間>の二つの位相があるいう考えに沿ってその宇宙創成論を著しているのである。イスマーイール派の宇宙創成論においてこうした<時間>の区別が考えられ続けてきたのには理由がある。そこには複雑に込み入った展開があり、それゆえここからはアンリ・コルバンの「マズダー教およびイスマーイール派における巡回する時間」を参照しながら話を進めることにする。

ギリシア哲学とイスマーイール派哲学との統合を試みる著作「二叡智の集合」で、Nasir Khusrawは永遠(dahr)の観念と時間(zaman)の観念を対比しながら、「<時間>は日、夜、月、年と言われる天の諸運動によって量られた永遠に属している。<永遠>は始めも終わりもない、量られぬ時である。それは終わりのない持続、すなわち絶対持続の時である」(「マズダー教およびイスマーイール派における巡回する時間」)としている。<時間>は<永遠>という絶対持続のうちに属しているとし、<時間>に対する<永遠>の優位性を表明しているのである。というのも、この<永遠>という絶対持続の原因は神の最初のプレローマ(流出)である<第一叡智体(‘Aql awwal)>あるいは<原初的大天使>であり、それゆえ<永遠>はこの<叡智体>の地平にあるとされ、このとき<永遠>から派生するのが<時間>であり、その原因は世界の<魂>であるとされる。とはいえ、<魂>それ自体もプレローマの最初の位格である大天使の地平にあり、それゆえ<魂>は<時間>のなかにあるのではなく、逆に<時間>が<魂>の地平に、<魂>の道具として「魂の幻影」なる死すべき生きものの持続のうちに在るのだという。それに対して、<永遠>は不死の生きものの持続、すなわち<叡智体>や<魂>の持続と考えられている。つまり、<第一叡智体>の地平に<永遠>、そして<時間>の原因となる世界の<魂>も属しているが、<時間>はそうした地平から派生するという、二次的な局面とみなされているのである。

創造するものと創造されるものとの間にはプレローマの幾つもの位格(hudd)が考えられており、その最初のものが<第一叡智体>である。Nasir Khusrawは<第一叡智体>が<永遠>の持続と一体であり、なおかつ<第一叡智体>の地平から<時間>が派生すると言い表すことによって、そこにイスマーイール派による宇宙創成論の奥義をめぐる微妙な面をも言い表しているようだ。この<永遠>の局面についてアンリ・コルバンは、「大天使の諸位格からかたち造られた<ibda(永遠の存在化=創出)>のプレローマによる<永遠>の誕生は、諸位格のなかの第一のものから始まる。この世界は感覚的なもののはかなさと好対照をなす不動不易な世界ではない。天のなかに諸出来事がある。そして、元型的出来事がものの<創造>に先行するのであり、これらは存在の起源そのものなのである。この存在論的秘儀を、ナーシル・ホスローは(azalazaliyatazali)三語で限定している。…<能動化を指す言葉>のような永遠に在る者(創出者/azal)があり、行動を指す言葉のような存在の永遠の現働化(創出/azaliyat)があり、<受動者を指す言葉>のような永遠に存在を強いられたもの(創出されるもの/azali)がある」(同上)と説明している。「azal」は<永遠>の意であり、その語が変化することで<存在の永遠の現働化>や<永遠に存在を強いられたもの>といった意味を成すに至る。言葉上そこに時間が働く余地はない。その一方で、<永遠>について三つの言葉にして言い表すことによってNasir Khusrawは、<永遠に在るもの(azal)>、<永遠化の現働化(azaliyat)>、そして<永遠に存在を強いられたもの(azali)>という、<永遠>と存在をめぐるもの(それは創造するものと創造されたものをめぐると言ってもいいが)の間の差異を明確にすることで、<永遠>についてのギリシア哲学者による唯一的な概念を解体し、三位一体的な差異を孕むものとして再構築したのである。

そのように、創造するものと創造されたもの、そして創造(現象)という宇宙創成の局面を、宇宙創成局面に相応するようにして<永遠>と存在をめぐるものの間の三位一体的な関係として言い換えることで、Nasir Khusrawは宇宙創成局面から存在論的位相へといっきに導いているのである。<永遠に在るもの>は永遠に在ることによって、まさに自らの生成であり存在を時間の介入なしに<現働化>する。そしてこの<永遠に在るもの>、すなわち言い表しえない最高の神格が自らの存在を現働化することによって、「それを啓示することによって永遠に<存在するもの>は、大天使の第一位格であり、またその永遠のペルソナ化、自己同一性そのもの、永遠に啓示される<唯一性>である」(同上)ことを存在に示すのである。このとき存在の位相は、「<受動の意味>として指示されたものである。それは能動が成就される(<受動者を指す言葉(azali))位相である。そこではまさに<能動>が成就されることによって、もはや<受動>と区別されない。なぜなら受動は能動の出来事そのものであるから」(同上)という。このことについて補足すれば、Nasir Khusrawは、「<受動者を指す言葉(azali)>の<受動の意味>は自己のうちで成就される能動者の行動そのものを内容としている」(「二叡智の集合」)と言っている。こうしたことから、この能動−受動の運動(出来事)を言い換えるならば、創造するものは<能動>として自らを表現し、現働化は表現そのものであり、存在を強いられるもののうちに神は<受動>として表現されるとすれば、その一連の運動(表現)の間には様態の変化はありながらも区別はされえない。さらには、存在を強いられるもののうちには創造するものが自らの表現を再表現しているとも言えるだろう。存在の位相に関して受動−能動の出来事(表現)とするこうした認識のうちにも、神を認識する(グノーシス)そのこと自体が神の表現であるというグノーシス主義的な考えが示唆されている。

さて、この宇宙創成の局面と存在論的位相が交わるところでイスマーイール派の思考は古代イラン思想へと遡り、独特な展開がなされる分水嶺といった様相を呈している。まず、「原初的な神顕現である大天使は、永遠の存在の変貌がきわまる終極のようであり、神の永遠の<能動>あるいは作用として、また神の永遠の<受難>として現れる。永遠に存在を強いられたものとして、大天使は神の永遠の過去である。このかぎりでは、そのペルソナのうちで、存在を生み出す行為、すなわち永遠の存在のこの能動的位相は存在を想起し、それに従って大天使の存在本質を次々に発出する」(「マズダー教およびイスマーイール派における巡回する時間」)と言われている。神の永遠の<能動>は<受難>として現れ、プレローマの最初の位相である大天使は<永遠の過去>となり、そしてそのペルソナのうちで<永遠の存在の能動的位相>は存在を<想起する>。アンリ・コルバンが使用せざるをえない<受難>、<永遠の過去>、<想起>などの語から、イスマーイール派の思考が論理的な局面から想像力の次元へと踏み込んでいるのがよく分かる。そして、「このような諸前提がなければ、イスマーイール派の宇宙的ドラマトゥルギーの原理を理解することは不可能である。したがって、天使ズルワーンの役割を果たす天使の過ちの帰結は、<遅延>として、すなわち乗り越えられ後退した位階の<退行>として記述されるであろう。実際のところ、もしそうであるならば、充満(preloma)が生まれる原初的大天使の永遠の存在化(ibda)は、存在の永遠の現働化であり、またそれは永遠に到来すべきもの、永遠の出現であるからである。それは過去とならない。過去に置かれないのである。それは過去が時間の中に埋没すると言われるように、徐々に過ぎ去った過去に埋没することはない。しかしそのとき、めまいが、幻のなかでその存在の現働化である天使を襲うであろう。このめまいは、天使をこの存在の永遠の現働化から、永遠の出現から切り離すであろう。この懐疑はそれだけで天使をとらえ、そこから天使を過去に置くのである。この過去への下降によって、自分の位階が乗り越えられる(ここでもまた空間は<時間>から生まれる)。そこから、<時間化された>(あるいは限定された)時間が生まれる。そこには、はるかな時が、もはや永遠でない過去、もはや存在しない過去があるのである」(同上)。<永遠>の持続のなかで、神の永遠の過去は永遠に現実化される。それは<存在しない>時として過ぎ去っていく過去へと陥ることはない。あくまでも<永遠>が存在し、<(時間化された)時間>は存在しないはずなのである。しかしそのとき、「存在の現働化である天使」の<めまい>がその現働化に支障をきたし、天使を過去へと下降させ、下降によって自身の位階が乗り越えられることで<時間>が生まれるという。ここで「めまい」と表現されているが、それはプレローマ第三位格にある大天使の<下降>による<遅延>に原因している。<遅延>とは、<永遠()の過去(azal)>を永遠に<現在>へと現働化する<永遠>の未来を解消してしまうことである。そしてこのとき生まれた<時間次元>は、天使という存在の条件である純粋な光のうちに不透明性として現れる異質な次元を導入してしまうことになる。これが<めまい>と表現されている天使の<時空>の変貌である。

ここで補足しておくならば、この第三位格の大天使は人類の天使であり、それゆえ<霊的アダム>の位階であり、またグノーシス思想における原人間(アントロポス)の位階でもある。ここで言われる<天使ズルワーン>もこの位階に当てはまる。そして、この第三天使の過ち(遅延)を改める作業こそがイスマーイール派の霊的解釈(ta’wil)なのであり、その始源に立ち戻る作業によって大天使としての<永遠()の過去(azal)>が現実化されるとするのである。したがって、<霊的解釈>とは天上の<天使のための戦い>なのであり、そして天使の<回心>を自身のうちで、そのイマージュに帰せられる存在のなかで成就しようとする使命がイスマーイール派の「召集(da’wah)」であり、それを呼びかける者が「伝教師(da’i)」なのである。

ここで<めまい>という大天使の<時空変貌>という状況を考えてみると、逆に<めまい>が生じない状況についても考えてみることができる。それは「行為でありかつ<受動>、隠すヴェールでありかつ命名し開示する名、讃美するもの(現働化する始源として)でありかつ讃美されるもの(開示されたものから)である第一叡智体は、同時性によってその存在を構成されている」(同上)と言われるように、<創造(現象)>をめぐる<同時性>である。この<同時性>こそが、大天使という存在の透明性を条件づけ、それとともに、「その存在から全ての光の存在、大天使の諸存在が流出する能力を条件づけている」のである。<めまい>という<時空変貌>は、創造をめぐる<同時性>を逸脱して起きているのである。

 

「天使ズルワーン」とはゾロアスター教の分派であるズルワーン教の神・ズルワーンにおける天使位格のことである。「ズルワーン(zervan)」の語は<時間>を意味し、ズルワーン神とは<時間>もしくは<永遠>の人格化であるとされる。またズルワーンはゾロアスター教の善神Ahura Mazdaとその敵である悪神のAngra Mainyury両方の父であると言われ、Ahura Mazdaの上に位置付けられている。五世紀頃のササーン朝ペルシアの国教であったゾロアスター教のズルワーン主義思想を伝えるとされる、ペルシア語で書かれたマズダー教の小冊子「Ulama-ye Islam」には、「ザルトシュトの教えにはこう明らかにされている。時間以外の全ては創造されたものである。創造者とは時間である。時間は無限であり、始源も終焉も無い。常にあったし、常にあるであろう。叡智を持つ者は誰であれ時間の由来を語らない。だが、これら全ての嘗てあった偉大さにもかかわらず、彼を創造者と呼ぶ者はいない。何故か。それは、それが創造している訳ではないからである」(「ウラマー・イェ・イスラーム」)とある。この書はイスラーム学者との論争を書き記したもので、マズダー教の立場からすれば<時間>が創造者であることは否定されている。とはいえ、世界の存在しない<時間>があったという考えが当時あったことを窺わせる内容でもある。ズルワーン教では、「何も存在しない前、天も地もなければどんな創造もなされていない前に、ズルワーンが存在した」と言われていたからである。

ザラスシュトラが説いた教えがAhura Mazdaを崇める一神教的なものであるのと異なり、マズダー教はペルシアの多神教的世界を背景としつつAhura Mazdaを主神として善悪の対立を説いた宗教である。「ゾロアスター教」と呼ばれ、その分派としてズルワーン教がある。そのマズダー教の宇宙創生論においても<時間>が二つの位相をもっていることが知られる。それらは「岸辺のない始源なき時間(zervan-i akanark)」すなわち<永遠の時>と、「有限時間あるいは長期支配の時間(zervan-i derany xvatai)」、いわゆる<アイオーン>である。そして、「(マズダー教では)時間そのものがそれぞれの位相のもとで定義された特色をもつ<ペルソナ>として理解される。…もし時間が一つのペルソナとして理解されるならば、それは時間がいわゆる抽象的観念であるどころか、<元型ペルソナ>であるからである」(「マズダー教およびイスマーイール派における巡回する時間」)という。マズダー教は善悪の対立を<光>と<闇>の対立に還元して説く二元論を軸にしているが、このうちの<光の>次元という概念が天上の世界を指し示し、そこに<元型ペルソナ>、すなわち<元型的次元>と言っていい相貌を与えている。その次元は<永遠>であり、そこでは諸存在は永遠に自身に先行するもう一つの<自己>として造られる。そのいっぽうで、私たちの<(通常の)時間>は地上の存在次元として、そこに自らの時間次元以外の次元を顕すという機能が与えられている。すなわち<かたち>と<意味>を与える<光>の次元を地上の存在次元に顕すことができるのである。それゆえマズダー教の二つの<時間>は天上の次元と地上の次元とに見事に照応しつつ、なおかつそこに、存在に先行する<元型>とそれを顕す存在という対を生み出している。さらには、「<光>の高さあるいは深さは、<永遠の時>として示される。そして、<光>の空間のなかで、この<光>の思考を実在化する光る諸存在が目覚める。この空間はそのような<永遠の時>から永遠に生まれる」(同上)と言われるように、<永遠の時>は、高次の諸存在の空間、すなわち存在に先行する<元型的次元>を永遠に生み出しているのである。

天上次元と地上次元の照応は<対(syzygy)>をなし、それぞれが<元型>あるいは天使、そして諸存在とに照応する。こうしたことから、地上のすべての存在を通して、存在によって<元型ペルソナ>を透視することができるはずなのである。このことは逆にまた、存在を天上のペルソナとしてあるいはそのなかでとらえることができるとも考えられ、このとき、こうしたペルソナとの関係が諸存在自らの元型的次元を構成するとされる。したがって、「すべての実在を一つのペルソナとしてのみならず、このペルソナを超越的な天上的なものとして視覚化することは、本質的にいかなる場合においても、天使との関係によって構成されたこの元型的次元に依存している。そしてこの<光の高み>の次元は、マズダー教的存在論の全ての構造を決定している」(同上)のである。

マズダー教では天上の元型でありかつ同時に人間の<守護天使>であるものとして<フラワルティ(fravarti)>という存在が考えられているが、そのフラワルティの働きが天上の元型と人間の魂とがsyzygyとなる契機を生み出すことになる。「オフルマズド(Ahura Mazda)は人間のフラワルティたちを自由な選択の前に置いた。そこからかれらの<運命>(すなわちかれらの時間、かれらのアイオーン)が生まれる。すなわちアフリマンの世界にとどまるか、それとも下降して物質的身体のうちに受肉し、地上の世界でアフリマンと闘うか。フラワルティたちは地上に下降し闘うという提案に対し<然り>と答えた。そのとき分裂のようなものが生じる。受肉したフラワルティたちは、ついに魂と同一視される。しかしながら、魂は元型的次元をもつことがゆるされない。元型であることが魂の天上的条件であったからである。この魂は事実において、ひとつのペルソナ、すなわち全体の地上的部分にすぎない。これと天上のペルソナとが、すなわちもう一つの<魂自身>とが対をなしている。この魂はその(地上の魂の)<運命>であり、<魂なる天使>であり、死後、(選別者の橋)で出会う<天上の自己>である。このような理由からそれは、テクストが<途上の魂>と呼んでいる魂である。またそれ自身ダエーナーと命名された魂である」(同上)。天上の元型と人間の魂がsyzygyであるという考えを生み出すマズダー教のドラマトゥルギーは「自由な選択」から始まっている。とはいえ、その選択は容赦ないものである。そしてその結果、天上的存在であるフラワルティは地上で受肉し、魂となって元型的次元を失ってしまう。しかしここから<対>の考えがもたらされるのであるから、このように何かしら危機を孕む契機なしにはドラマトゥルギーは成り立たない。人間にとって、この元型的次元を失うことは文字通り天使をもたなくなることであり、魂が死ぬように死ぬことである。それは天上の伴侶(対となるもの)に応答しないことであり、この伴侶はそのときもはや地上の魂に応答することができない。言うならば、こうした危機の意識が人をしてその道を進ませることになるのである。

天上の伴侶である<ダエーナー>をめぐる感動的な挿話についてはずっと前に述べたが(ザラスシュトラの教えとウパニシャッド」の章)、このダエーナーをめぐるイマージュはマズダー教の<天使>論の原理となっているようだ。それはもともと古い時代の聖職者の意識層に属するイマージュにちがいない。それは地上的人間(getik)にあってその者を天上的実在(menok)と対をなすことができるようにする仕組みである。また、「一方において、ソフィアなるダエーナーはオフルマズドの衣であり<永遠の時>である。他方において、彼女は女性の天使のすがたで、忠実に闘ったマズダー教の魂に、死後現れて、この魂に天上的<自己>、<光の自己>を告知するものである。…天使とのかかわりは元型的次元であり、これによって有限時間の各要素に、<光>の深さあるいは高さにおける次元、すなわち永遠時間の次元が与えられるのである。このような理由から、地上の時間サイクルを終えた<光る人間存在>の天上の対は、自らに天使の<かたち>を現すことができるのである。そしてその名(ダエーナー)のもとに、われわれは永遠時間を透視したのである。天使がその魂に、<私はあなたのダエーナーである>と知らせるというのは、<私はあなたの永遠であり、あなたの永遠時間である>と言うことに帰着する」(同上)。地上的存在に<永遠>との繋がりを示すことがここでも重要視されている。そこには天上界と地上界が<対>をなすという感覚が基盤になっている。人の魂が磨かれて美しい少女のすがたをした霊に純化し、そして死に際してその美しい少女の霊が感謝ともいえる言葉を投げかけてくれるという展開は、syzygyの考えからすれば必然的なのである。死の際に投げかけられる言葉は自らが自らに向けて発せられるのであるからそこに<時間>が介入する余地はなく、それゆえそのとき<永遠>を透視するに等しいだろう。

そしてここからさらに古い層へと進むならば、「xvarnah」の概念に行き着くだろう。「フヴァルナ(xvarnah)」はAvesta語で「栄光/輝き」を意味するが、ゾロアスター教の概念では特に、「天上の恩恵を示す輝かしき徴であり、神々によって与えられた力、さらには生命に存在を付与し、輝かしき繁栄を象徴する生命力の内在的作用」を示すとされる。天の栄光の輝きという概念と個人の生命を左右する運勢の概念を合わせもつというこの概念は、すでにゾロアスター教の書の中のPahlavi語でxvarnahを表すアラム語の表意文字にその内容が含意されており、Pahlavi語のxvarnahはアラム語の「gaddeh」、すなわち「運命・運勢」を意味する文字によって表されているという。この<栄光−運命>のイメージはバクトリア貨幣にも見られ、男性であり女性でもある姿によってその特徴が示されているいっぽうで、<栄光−運命>を示す象徴としてその姿は肩から立ち上がる光輪と炎を帯びて表されている。「このような仕方で、xvarnahはそれ自体<光>の微妙なる世界に属するものの一つとして、yazatas(崇敬に値するもの)の一つとして理解されている。…マズダー教の天使学における擬人化のように、xvarnahはそれぞれの個体化のうちに完全に存在できるものである。その個体化は物質世界(getik)に表明された世界に関わり、しかも精神世界(menok)に属する位格であることをやめないものである。それは天上的姿をもちながらなおかつ同時に物質世界に属する存在において注ぎ込まれ、展開されるエネルギーなのである」。物質的にはこの世に在りながら同時に<楽園>にある在り方がある。こうしたxvarnahという天上界と物質世界を同時に行き交うエネルギー的な力という概念がまずあることによって、天上界と地上界とのsyzygy()の概念が形成されることになったのではないだろうか。

 

マズダー教およびズルワーン教、そしてグノーシス思想とマニ教は、善と悪、あるいは光と闇を対立させる二元論の思考で成り立っている。古代イランに属するそれらの古い思考から豊かな叡智を汲みとりながらも、この二元論を何とか解消させようとするのがイスマーイール派の考えであったように思われる。正統イスラームは厳格な一元論であるがゆえにアッラー神の絶対唯一性を説き、被創造物側から創造者へ接近する仕方を一切説いていない。そこで二元的な世界観を孕みながらも二元論を解消させる必要があるが、その際に問題となるのが創造者と被創造物との差異の感覚を明確にしながらも被創造物側から創造者へ接近する仕方を探る試みであり、その際にまず創造者と創造現象は同時であるが被創造物の世界には<時間>があるという古くからの主題に焦点が当てられたのではないだろうか。つまり、創造者の次元は<永遠>に属するが、それから派生しながらも人間の<時間>はそうではないという主題である。そこで<永遠>から発出(プレローマ)する<第一叡智体>である<天使>を媒介にして、<永遠>がイマージュのような相貌をしてそこに顕現するような<時間>概念を展開させたのである。その結果、<天使>の<元型>であるダエーナーはsyzygy(対概念)であり、それゆえ天界と地上界とを照応する働きがあるという観点から、信仰における秘教的なものと顕教的なものとを区別すると同時にta’wilという霊的解釈を通じてもたらされる<象徴>を媒介として、秘教的なものと顕教的なものとが象徴されるものと象徴する作用の表裏の両面として繋がっているという非二元論的な考えを展開させることができたのである。

その際にNasir Khusrawは古代イラン世界の宇宙創成論を参照しているが、ズルワーン教やグノーシス、またマニ教等の宇宙創成論は、当時の聖職者たちが抱いた、世界の中の人間の位置付けが曖昧であると感じる<疎外感>の顕れでもあるだろう。「人はどこから来て、どこへ行くのか」というザラスシュトラの問いかけがすでにそうした疎外感を反映している。そうした疎外感を孕んだ宇宙創成論を下敷きにしたドラマトゥルギーが二元論的な世界の在り方、すなわち善悪の戦い、もしくは光と闇の戦いを描き出しているのである。そのドラマトゥルギーは人間の想像力を刺激し、感覚に訴える。それゆえドラマトゥルギーを駆使した救済宗教が世界史上幾度も生まれてきたのである。それに対して、正統イスラームはあくまでも現実の社会生活を重視した宗教であり、神と人間の関係を厳格に規定し、そこに想像力が介入する余地をなくしている。

マズダー教の<ダエーナー>の挿話は実に生き生きとしている。死後に自身に話しかける自身の<魂の元型>が現れるというヴィジョンは当時の信者たちを本当に信じさせていたと思われる。しかし、その後の<天使>論の展開の仕方は宇宙創成論と同様の人間の<疎外感>を引きずっているような気がしてならない。そこには<光>と<闇>の対立という二元論的世界を土台にした思考が受け継がれ、天使は<めまい>を起こし、地上へ戦いに降りなければならない。イスマーイール派が<天使のための戦い>を<召集>するのは、<ダエーナー>の挿話から溢れ出ている天使の<元型>や<永遠>を回復させるためである。「私はあなたの永遠であり、あなたの永遠時間である」という声を天使のイマージュと共に聞くためである。この<始源>へ連れ戻す<時間>は宇宙と人間をめぐる解釈を十全に満たし、古代人の<疎外感>から逃れさせるだろう。この<時間>は過去を積み重ねた私たちの直線的時間の逆である。この<時間>は過ぎ去ることによって過去を解消し、それをますます大きく未来へと変貌させるからである。それは始源から離れることなく、始源へと前に延びてゆくのである。

ところで、こうしたイスマーイール派の複雑な教えがはたしてBadakhshanの地で通じただろうか。私はNasir Khusrawの教えは当時のBadakhshanの人々に十分通じたのではないかと思う。イスマーイール派はイスラームの形式的な面に対しては柔軟に対応する組織であり、その教えの内容もイスラームに沿った現実生活を重要視しているわけではない。「起源へと戻る」という単純な考えさえ受け入れることができれば辺境の地の人々にも通じたのではないだろうか。一般に知られている<時間>、すなわち無限に延びて行き、過去と未来の空漠のうちに消滅する<直線のような時間>が宇宙と人間の繋がりを考えるときそこにどんな意味ももたないことを知れば、「起源へと戻る」という考えに従う生活は時代の波に洗われる都市部でよりも山岳地帯の集落での方が容易ではなかったか。苛酷な自然環境の中では、人は宇宙との一体感なしで生きることができないように思われるからである。また当時、Badakhshanの地には古代ゾロアスター教の影響も遺っていたと考えられる。次々と異なる民族の襲来を受け、時代が不安定に変化していき、時代の変化にさらされないよう山岳地帯に逃れたイラン系の民族が大Badakhshanの様々な渓谷地帯に住んでいたからである。その中にはゾロアスター教を信じるソグド人の末裔もいた。いっとき中央アジアに広範したマズダー教やマニ教の信者たちも迫害を逃れて大Badakhshanの地にやって来ていただろう。こうしたことから、直線的な時間ではなく、つねに起源へと進む<巡回する時間>を信じつつ山村に生きる人々がいたと思われる。またそうした信仰を受け入れる基盤をもった人々がいたと思われる。こうしたところではおそらく<巡回する時間>のイマージュは祭礼や儀礼において再現され、<永遠>とは決して抽象概念ではなく、<永遠>の顕現を実際に追体験していたのではないだろうか。私がChitral奥地のMastujの集落やそのまた奥のSorLaspurの渓谷で出会った人々はそんな風な生き方をしているという印象をもった。彼らの言動は素朴で、自他共に信頼し、物質にまみれた社会からやって来た私を前にしても、物質主義の社会に沿うことなく辺境の地で生きることに十分満足しているようだった。