Tuesday, November 03, 2015

土方巽研究 三 <土方巽と日本人>


   四 「からだが抱える抽象力」について

 歌舞伎の女形は男性でありながら女性を専門的に演じます。江戸期の女形はそのために日常的にも女性に似せて生活しました。厳しい身分制度のなかで男性でありながら女性に似せて(偽せて)生きることは男性としての個人の生を逸脱させ、そのことによってからだに何らかの抽象力を抱えさせることになっただろうと思われます。売色が目的であれば、それは金銭目当てであるから逸脱的な生にことさら執する必要はなかったと思われますが、女形にはあくまでも身体表現という前提があって、からだが否応なく自己と質の異なるものを抱えざるをえない事態に注意が向けられていたでしょう。具体的にいえば、男性というかたちがまずあって、そこに女性という異質な内容を取り込もうとするわけです。女性であろうとする意識が男性としてのからだにことさら関わることによって、ことに身体表現の場において、意識それ自身における差異の働きが生じることになったと思われます。それは意識がかたちを逸脱しようとするような事態であって、そこに特異な表現が見出され、そうした状況があってこそ、逸脱的な条件を身に課すことの女形の方法が採集されたのではないかと思います。「女形というもの、たとへ四十すぎても若女形といふ名有り。ただ女形とばかりもいふべきを、若といふ字のそはりたるにて、花やかなる心のぬけぬようにすべし」(「あやめぐさ」)。こうして、女形のからだが抱える抽象力は転換期の官能的身体に由来する<若さ>として価値づけられたのであり、それ特有の身体表現をすることのできた女形の存在なしには、おそらく江戸期の歌舞伎表現は成り立たなかったのではないかと思います。
 転換期以前の中世に遡れば、<能>の時空間を創造するに際して世阿弥はことさら死者を演じましたが、ことに女性の死者に関わり、さらには女性の死者を演ずるシテをめぐって複雑な設定を編み出し、それらを自ら演じました。その表現は後に「夢幻能」と呼ばれるような明確な様式をもっていましたが、その内容にあってはつねに自己と質の異なるものをからだに抱えようとする流動的な試みがあったと思われます。たとえば、死はケガレであり、そのため古代には死者によるケガレを払う様々な儀礼や詳細な取り決めがありました。いっぽう、(殺人を職業とする)武士が台頭する中世になると、ケガレをめぐる環境に変化があります。ケガレをみずから吸収してもなお立つことのできる力(呪力)を持つとみなされる人々が現れたのです。時宗を出自とする「阿弥」号の人たちがそうですが、ケガレとしての死を扱うのに勧進の場で「往生」を提示する語り物芸をした人たちもそうといえるでしょう。ケガレを吸収することで逆に立つような「芸能」がここに成立したのです。そのときケガレを吸収するのに、演技における表の身振りと共に、裏の心の動きが重要な役割を果たしていたのではないでしょうか。世阿弥の、「心を十分に動かして身を七分に動かせ」(「花鏡」)という教えからすれば、シテをめぐる複雑な設定によって必要となる意識の働きを重要視していたことがわかります。この意識の働きは女性や死者に関わることによるものであり、世阿弥の身体表現は、自己とは質の異なるものに関わることによって内に抱えることになるものにことさら目を向けていたのです。それはおそらく、ケガレという強い働きを、からだが抱える抽象力へと変換するための作業ではなかったかと思われます。こうしたことから考えれば、死者を導入する世阿弥の<能>の表現には、それまでの猿楽による物真似芸とは異なり、<内面>的なものの発生があることになるでしょう。そうした<内面>は、歌の世界でいえばたとえば「幽玄」のようにすでに共通認識となっていましたが、身体表現にあってはその<内面>は新たに提示されたのであり、新たなものとしてのその<内面>は、おそらく身振りへと表へ「裏返し」されて現われてくるものとして意識されたのではないでしょうか。何よりも演技を「花」に喩えて評価することがそのことを示しています。<内面>とはまだ個人的なそれではありません。それは命が花びらのようにめくられ、「裏返し」されて現れてくるものなのであり、こうした「裏返し」の意識が、江戸期において物真似から演技へと展開されるその方法の核になっているように思います。この「裏返し」感覚がないと、演技は<表象>の域にとどまってしまいがちになります。
 世阿弥や女形が自己と異質なものを抱えようとする方法とその表現は、おそらく猿楽者や役者がケガレに通じる卑賤身分であればこそもたらされたのではないかと考えられます。ケガレに通じる賤民は社会の成員とは異質であることで社会制度から逸脱した存在であり、それゆえ他の身分が否応なく自己同一性へと閉じようとするのとは異なり、そうした制約を逃れているからです。その自己の帰属の不確定性にあって逆に目前のからだの領域に関わることへと注意が向けられ、そこに立ち現われる差異—抽象力が、彼らにとっての身体表現上の価値として占有的に継承されてきたのではないかと考えます。中世の芸能は白拍子や遊女等といった古代の女性芸能者に由来すると考えられますが、白拍子は男装の女性芸能者であり、遊女は制度の外部にいました。遊女とは「遊行女婦」の略で、もともとは遊行する女性のことです。その芸には、当座の興を呼び起こす即興性が要求されたといわれます。彼女たちは、古来より自由であるところの女性のかたちが制度に捉えられようとするのに抗して、時代の制約から脱しようとするかのように異装をまとい、「舞い=狂う」芸を生み出したのです。その逸脱性が孕むものが「からだが抱える抽象力」として価値づけられ、そのはじまりからもたらされていた<内面>が中世の芸能者によって次第に表現的なものに展開されていったのではないでしょうか。

 土方は「舞踏」の表現を掲げて以来、その表現に「無知と悲惨」が不可欠であることを強調しています。そのことは、自己の帰属を、歴史として認められようとしない歴史的現実の中に求めようとしている、そう考えることができるでしょう。要するに土方は、「飯詰め」や「飢饉」の背景である歴史的に不明な事態(とはいえ歴史的現実であるもの)へとそのからだを開こうとしているのです。さらにいえば、その「行ったきり戻らない」といわれる、歴史的に行方不明になったからだにこそ「敏捷な構造」が感知されているわけです。そのことに、土方は私たちのからだに関するラディカルな意味を提示していると思います。そして、こうした姿勢が、土方の舞踏の表現を日本の伝統芸能の方へと、言い換えれば、日本人のからだの歴史を遡るようにして開いているのではないかと考えます。とはいえ、伝統芸能へと開かれるといっても、現在ある伝統芸能のかたちを模倣するわけではありません。むしろ伝統芸能のその発生現場に向けてからだを開こうとするのです。むろん、芸能者を規定していた身分制度はすでにありませんから、そのからだが歴史を遡るようにして開くといっても、その仕方は近代的かつ個人的になされなければなりません。そこに問題がありますが、身分制度がないとはいえ、近代においてからだはつねに国家制度に拘束されてきました。多くの人が否応なしに制度によってからだを強いられてきましたが、中には自ら進んで制度が求めるかたちに嵌まる人もいます。そのいっぽうで、からだはむしろ保守的であり、基本的な身振りは連綿と保持されようとします。そうしたからだ自体による拘束性によって、幼少期に見たり聞いたりした思いがけなく古い身振りが消えることなく(神経アレンジメントとして)遺されているということもあるわけです。からだをめぐる状況は複雑で、それはからだがつねに社会制度や環境によってかたちへと拘束されようとするいっぽうで、自らの拘束性によって古い神経アレンジメントに基づいて外部の拘束に抗するような働きがからだにあることに起因するのではないかと思います。からだの拘束をめぐって、つまり、からだが制度的なかたちへと拘束されるか、からだ自らの<内容>をもってして自らを拘束するかをめぐって、つねに私たちはいわば宙吊り状態にあるのだといえるでしょう。からだに関するこうした視点から、近代人が伝統芸能の発生現場に向けてからだを開くという問題に対応するのに、「からだが抱える抽象力」という主題を軸にして考えてみたいと思います。というのも、「からだが抱える抽象力」に意識的に関わろうとする姿勢は、からだが制度的なかたちへと拘束されるのに抗しつつからだの宙吊り状態を求めようとする状況を際立たせることになる、そう思われるからです。これまでみてきたことからすれば、この「からだが抱える抽象力」は、1)からだに異質なものを抱えることによる<内面>として立ち現れ、2)それはかたちを逸脱しようとする志向をもち、それゆえ、3)自己の帰属の不明性をその土台とする、といった局面をもっています。そして、これらの局面は、土方が提示してきた「舞踏」の表現内容を基礎づけているものとして考えることができると思います。まずは、土方にあってそれがどのように機能しているかをみてみることにします。
1) 土方は、「土方巽と日本人」を契機にして女性的なものに関わり、その結果、「私は私のからだの中に一人の姉を住まわせている」、と語っています。姉は女性でありかつ死者であることで、土方の自己とは異質なものです。この死者としての姉の姿が具体的に語られることはありません。むしろ、その異質なものは土方の<少年>と深く関係しています。土方の<少年>は「自明でない自己」とも言い換えられるべきものですが、自己と異質なものである姉とこの「自明でない自己」とが織り成す宙吊り状態において、これまで見たように土方の記憶と神経アレンジメントに関わる複雑な機構が働くことになるわけです。また土方は姉をからだに住まわせるのみでなく、姉の身振りをからだに採集しているとも語っています。姉は異質なものであるとはいえ、その身振りは土方の記憶に関わるものなのです。その記憶は土方が少年時代に実際に見聞きしたものなのでしょう。そうであるにも関わらず、土方は「自明でない自己」としての<少年>を呼び込み、そうして実際の姉であるよりも、かつての神経アレンジメントに関わるものとしての死者である姉を捉えようとして、その姉の身振りも<少年>との関係においてからだに抱えようとしているようです。そうした特異な関係において、少年時代の記憶がかつての神経アレンジメントに実際に関わりつつ錯綜とした機構が働くところに、「敏捷な構造」としての<内面>が生まれているわけです。このように、実際の記憶から逸脱していますが、からだにおいて差異を生み出し続けるものである<内面>を支えるために、土方は死者としての姉をからだに住まわせ、そしてその身振りを採集しているようです。
2) こうした<内面>であるところの、記憶がかつての神経アレンジメントに関わろうとするところ、すなわち意識とからだ(神経組織)が交わる機構を、土方は舞踏符の方法を使ってあらわにしようとしました。そこには二つの面が立ち現れてきます。
 一つは、舞踏符の方法が、舞踏符の指示言語に関わる者のからだに抽象力を抱える経験をもたらすことです。言い換えれば、その方法は、かたちを逸脱しようとする何らかの志向をからだにもたらすことになるのです。たとえば、舞踏符によって自身の手をモノとして扱おうとするだけで、その神経組織に何らかの抽象力が孕むのがわかります。手は自身の一部でありながらモノとして自己を脱しようとするからです。神経アレンジメントとは私たちが日常的に構成している神経組織による綜合的な関係設定のことをいいますが、舞踏符の方法は、からだをめぐる現実的で日常的なかたち(制度的なかたち)をもたらそうとする神経アレンジメントにあえて虚構の神経アレンジメントを嵌め込ませることで、からだにある種の宙吊り状態をもたらすことになるのです。「感覚の論理」が、そうした<歪曲>の場をよく示しています。そこには行為を果てしなく中断させるような神経の流れが介入することになります。<歪曲>とはそのように力の作用する場であり、神経流による抵抗によって「からだが抱える抽象力」を強く打ち出す場となるのです。
 こうした経験が一方にあって、他方では、舞踏符の指示言語に関わる者のからだに神経アレンジメントがかたちを脱するようにして立ち現れてくる、というか、そういうふうに見える、といった客観的な面があります。ただし、その客観的な現われは「敏捷な構造」のうちにあり、それはたとえば皮膚に浮き出す痣のようなマキュラーな現れであり、すぐに消えてしまう、といったものです。そうとはいえ、それは意識が交わることで設定される神経アレンジメントであるところの<内面>として、あるいはそのように内部が「裏返し」されたものとして、見えてくるわけです。ただし、そのように見えてくるという判断には前提として、人のからだをめぐる原理としての何らかのかたちが考えられていなければならないと思います。そうでなければ、いかなる神経アレンジメントも、一瞬たりともそれが表面にとどまるのを見出されることなく、それは散逸してしまうでしょう。こうした、かたちを脱するようにして立ち現われるという経験とその客観性において、むろんそこには主観と客観という相違はあるけれども、これら二つの面において舞踏符の指示言語に関わる者とその状態を見る者とは、舞踏符の経験を一つのものとして共有することができるのです。
 ことを単純にしていえば、舞踏符の指示は、脳のアレンジメント(記憶)がからだ(神経)のアレンジメントに指令するその関係において、指令する脳のアレンジメント(記憶)よりも、実際に動きをもたらすからだ(神経)のアレンジメントの優位を要求する、ということになるでしょう。そして、そこに具体的に示されるからだの動きと共に、からだ(神経)のアレンジメントの優位のうちにもたらされる<現前性>体験を捉えることに重要性がある、といえます。そのときからだ(神経)のアレンジメントの優位における「自明でない自己」の持続という状況において、からだが何らかの抽象力を抱えることになるからです。そしてこのことは、弟子を指導するという客観的な立場にあってさえ、当の土方においても同様に経験されていたのです。それが、指導者としての土方の特異な点です。
3) 「からだが抱える抽象力」が自己の帰属の不明性をその土台とするという点については、土方は「無知と悲惨」を強調することで歴史的に不明となった歴史的現実へとからだを開こうとしている、そう最初に述べた通りですが、土方の場合、そこに<日本人>が浮上してきます。その<日本人>の「からだには鍵がかかっていない」、といわれます。舞踏符の方法は、詩や絵画(写真)等の素材に基づいていますが、それらは洋の東西を問うことなく用いられ、そこにはいかなる制約もありません。これらの素材が<日本人>のからだに向けて舞踏符の指示となって与えられ、その結果、<日本人>の神経アレンジメントを働かせることになるのです。そして、土方はそこに立ち現われるものを見ているのです。この<日本人>は、国民としての「日本人」という概念ではありません。それよりも、歴史上この列島に生きた人々の具体的なかたちとその<内容>を示そうとしているでしょう。そのかたちははっきりしているけれども、その<内容>には「鍵がかかっていない」のです。たとえば、土方は舞台で大髷を結い、西洋のアリアを背にして踊っています。大髷は姉のかたちですけれども、その踊りの<内容>を支える素材は西洋絵画です。そして、そのときそこに連れ出されてくるようにして見えてくるものは、「無知と悲惨」を抽象力として抱える<日本人>のすがたです。さらにいえば、土方の演出で芦川羊子はほとんどの舞台で髷をつけて踊り、最終的にその髷を対象化してみせようとさえしました。<内容>に向き合うのに、かたちの重さを際立たせるようにしてそのことを示そうとしたのです。そのように重いかたちを意識しつつ、<内容>としての「鍵がかかっていない」<日本人>が考えられているのでしょう。この<日本人>は、かたちの重さに向き合うことで抽象力となってその<内容>を際立たせることになるのです。「鍵がかかっていない」とは開け閉め自由なことであり(この点については、たとえば一神教徒と比較することができる)、それが<日本人>のからだをめぐる環境なのであり、そうしたからだをめぐる自由さが私たち日本人のからだには今もって潜在する、そう考えられているのです。こうした私たちのからだをめぐるラディカルな視点を、土方は「舞踏」の表現によって示そうとしたのではないかと思います。からだに潜在するというのは、<死者>に関わることによって神経アレンジメントとしてそのことが感知され得るということです。そして、<死者>とは自己とは異質なものとして自己を差異化する働きをするものであるいうことからすれば、<死者>に関わることは自己の帰属の不明性をさらに駆り立てることになるでしょう。

 女性的なものに関わることによる「敏捷な構造」としての<内面>の提示、舞踏符の方法による<内面>としての「からだが抱える抽象力」の具現化、からだに潜在する<日本人>の<内容>を際立たせようとする表現、こうした一連の手続によって、土方の「舞踏」の表現は、私たち近代人のからだが歴史を遡るようにして開くことを可能にしていると思います。そればかりでなく、ことに舞踏符の方法が練られることで、「からだが抱える抽象力」をめぐって、(あくまでも土方独自の視点ではあるが)何が実在か何が虚構かを微細に検討することが可能となり、そのことによって近代的な主題群に対処することのできる身体表現へと切り開くことができたのだと考えます。いわば、土方は歴史を遡るようにして前進したのです。
 たとえば、<内面>を「からだが抱える抽象力」として表面へと裏返しする働きをする神経アレンジメントについていえば、それはかたちを脱するようにして立ち現われる、あるいはそう見えるという性格、そしてすぐに消えてしまうといった曖昧さがあります。そして、そうした現れを連続させることで表現が方法化されています。そうした曖昧さの連続という手法を逆手にとって、たとえば、粒子空間、その粒子速度、異なる空間の重層化、空間のうちに籠る時間、時間のうちに伸縮拡大する空間といったような、様々な近代概念を舞踏符の方法に応用し、そうすることで土方は舞台表現の奥行を拡げることができたのです。また<内面>は記憶に関わることから、何らかの時間性を帯びて<内面>となっています。その時間性は個人的なものではありません。つまり、制度によって与えられたものではないのです。その時間性は<日本人>のものであるのでしょうが、それは「敏捷な構造」のうちにあってよくわからないものです。土方は、「時間は動かない。動くのは空間だ」、そう語っています。また「空間が歴史だ」とも言っています。<内面>が時間性を帯びていることは<能>や女形舞踊の表現においてもそうであり、そのことは日本の芸能史において連綿と意識され続けているということでもあると考えられますが、それを時間性と意識し、そのうえに空間表現が成り立っているという認識は近代的なものです。身体表現にはもともと時間性が欠かせないのです。おそらく、土方にとってその時間性は「からだが抱える抽象力」と同じ次元に現象するものであると考えられているように思います。そこには、「『無』ですらちぎられるような熱気が漂っている」(「包まれている病芯」)のです。
 空間表現を支えるような時間性が意識されているから、表現としてのひとのかたちは絵画の形象のように崩壊することはありません。とはいえ、そのかたちはからだの拘束性をめぐって宙吊り状態を際立たせられ、そして歪曲するのです。その<歪曲>において、<内容>がかたちから脱しようとする「からだが抱える抽象力」が感知されてきました。そうした経験がtranslateされてtransferされ、transformしてここまで伝わってきたのです。つまり、その経験は別の器に翻訳されるようにして移され、翻って変容するという仕方で保持され、そのようにして横断的に受け継がれてきたわけです。はっきりと目には見えないけれども、そのような翻訳と移動と変容の仕方がこれからもあるのでしょう。