Wednesday, December 14, 2022

Lahore日記 The Diary on Lahore

 三 パンジャブ回廊

 7 Padmasambhavaの宗教 二

 

前にも述べたように、ガンダーラ地方からいくつかのHariti(訶梨帝母/鬼子母神)の石像が発掘されてきた。Haritiは仏教の文脈で語られるが、それはもともとYakshiであったという。Yakshiとは古代インド世界にみられるYaksha(精霊)の女性形で、アーリア人にとってYakshaは異質なもの、すなわち外来のアーリア人からすれば土着的で敵対的な存在であり、Vedaの神々を讃えるアーリア人にとってみれば未開なものと考えられた。そうした敵対的で未開的とみなされた出自が「子供を食らう」というHaritiの在り方を暗に正当化したのではないかと考えられる。しかしそうではなく、もともと母神的な存在であったのが仏教者によって見下され、精霊的な存在へと格下げして区分されたとも考えられる。アーリア人の侵入以前から、すなわちハラッパ文明にまで遡る古代インド世界では地母神的であり精霊的存在でもあるという未分化な存在/力が認められていた。それがVeda信仰や仏教といった新たな信仰のうちにYakshiと名付けられて精霊として取り込まれた、それゆえそうした仕方で遺る存在となった、そう考えることもできるだろう。そうとすれば逆に、Hariti/Yakshiはもともと精霊/地母神的な存在であり、古来よりそれ自体で独自にインド世界に広範した存在だったと考えることができるだろう。具体的に言えばそれは、ハラッパ文明の印章に特異な女性像が刻まれたものがあり、そうした存在と繋がりがあると考えられる。たとえば、印章に描かれたその女性像には樹の精霊であったものが段階を経て野獣の虎と身体的に合体し、最終的に頭部に角をつけた姿で表現されるという変遷が見られる。すなわち、そこには女性精霊的な力から地母神的な力へと女性の力の広がりを示すような過程がすでに見られるのである。

精霊とは一般に、草木や動物、また無生物や人工物を問わず、それらのひとつひとつに宿っているとされる超自然的な存在である。Yakshiは森林などに現れるとされる精霊であり、そこで財宝を守る役割をする、それゆえ豊穣をもたらす存在/力と考えられるようになっていた。森には様々な貴重な植物が存在していた。例えばAshoka(菩提樹)Yakshiと密接に関連する樹とみなされるが、その樹はハラッパ文明の印章に刻まれ、さらにはその樹が女性精霊に崇拝されている画を刻んだ印章もある。Ashoka樹は当時から特別な扱いをされていた樹であったことは確かである。その詳細は分からないが、ハラッパ文明では聖樹と一体化した女性精霊が何らかの理由ですでに信仰されていたようだ。

Hariti像の中でもことにSwat出土の像には様々な意匠のものがあるが、それらはYakshi像としてはインド的な表現と異なるものである。インド的表現は女性の多産性を強調し、裸形でエロス的な面を際立たせているが、Swatのものはこう言ってよければ慎み深く、その地方の様々な衣装に身を包まれている。そうしたHaritiの意匠はギリシアの女神Tycheとの類似を示していると言われる。Tycheは都市の繁栄と運命を司る女神であり、ギリシア美術ではコルノコピアを持ち、子供を抱いた姿で描かれる。おそらくそうしたTycheの意匠がギリシア的仏教文化の影響によって北西インドに伝えられたのだろう。Haritiの名は「Hara/奪う」に由来すると思われ、言うまでもなくその名は「子供を奪う」という文脈で仏教に取り入れたことから来るもので、また女神として子供を抱えた像が多くあるのもそのためである。とはいえ、その像の表現の多様性からして、Haritiという存在をめぐって様々な信仰と文化がその周縁を取り巻いているという状況が伺われる。すなわち、Yakshiという精霊的な力を保持したままの地母神的な存在を経由してHariti女神へと展開されるに至った、そう考えられるのである。言い換えれば、Swatにおける仏教信仰によって精霊であり母神であるHaritiをめぐってその深層的な内容が逆説的なかたちで取り込まれることになったのではないかと考えられる。つまり、精霊から地母神へと展開されるベクトルがありその逆はありえないが、地母神的なものは精霊的なものを抱えながら広範な地母神的な存在となっている。そこに精霊的なものの質的な変化があることは否めないが、地母神という全体的なものは、そこに精霊的な力という微細な運動をつねに含んでいることを見落としてはならないだろう。

 

Kushan帝国時代のガンダーラ地方はHariti信仰の中心地だった。Kushan帝国は貨幣経済を推し進めたが、その時代にMaitreya(弥勒)信仰やAmitabha(阿弥陀)信仰などの<救済>信仰が北西インドに広く流布するようになった。貨幣経済の推進と<救済>信仰の出現は重なっている。そして、Hariti信仰もその流れに同調するようにして生じたようだ。七世紀にガンダーラ地方を訪れた義浄(635713)は仏教寺院に据え付けられたHariti像に食物が供されるのを見てその由来を聞き、そのとき説明された内容を書き記している。それによれば、「ある母親が前世で何らかの理由によりRajagrihaの全ての赤児を貪り食うという誓いを立てた。その邪悪な誓いの結果、彼女は自身の生を失い、Yakshiに生まれ変わった。そして500人の子供を産んだ。毎日彼女がRajagrihaの赤児を貪り食ったので、仏陀にそのことを知らせる者がいた。仏陀は彼女が最愛の子供と呼ぶそのうちの一人を連れ出して隠した。彼女は悲しみ方々を探したが、とうとう仏陀のもとでその子を見出した。仏陀は<あなたは最愛の子を失ったためにそれほど悲しんでいるのか。それも五百人のうち一人を失っただけで。あなたの立てた無慈悲な誓いによってたった一人や二人の子供を失ったものはどれほど嘆き悲しんだか>と言った。たちまち仏陀によって彼女は改宗し、五つの教えを受け、在家信者となった。<これから私の五百人の子供はどう生きればよいでしょうか>と彼女が尋ねると、仏陀は<尼僧が住む全ての寺院で、あなたの子供たちは尼僧たちが毎日供する十分な食事を共にすることができます>と答えた。こうした訳で、Hariti像がインドの全ての仏教寺院の入り口もしくは食堂の一角に立てられている。その像は腕に子供を抱きしめ、膝の周りに三〜五人の子供がいる姿で描かれている。毎日、たくさんの食物がこの像の前に供えられている。Haritiは天界の四人の王の従者の一人である。彼女は富を与える力をもつ。もしその体の弱さのために子供を産めない女が祈りを捧げ、食物を供えれば、その願いはつねに叶えられるだろう」(「南海寄帰内法伝」)という。また玄奘(七世紀)は、Peshawar北方のSare-Makhe-Dheriのストゥーパが悪名高いYakshi母が改宗したことを記念して建てられたと記している。

義浄によるHaritiの仏教改宗話から読み取れることがある。かつて地母神による生産性とそれに関連するカニバリズムがあり、それが一転して<富>を与える力へ、さらには女性の不妊を解消する信仰対象へと変化している。<富>は原始的生産性の基盤となる大地に代わるものであり、そこには貨幣的ニュアンスが忍び込ませられているようだ。Hariti信仰が興隆した時期に貨幣経済が交換経済に取って代わり、商品をあたかも食うかのように消費するようになった。またカニバリズムとYakshiの関係はアーリア人侵入以前の原住民が肉食であったことを思わせるが、<赤児を食う>という表現には何よりも死産や赤児が直面する飢饉や感染症などといった悲惨な状況が見てとれるだろう。そして、女性の不妊解消は女性の社会的立場に関わるものであり、すなわち不妊の解消により女性が置かれる社会的立場は安定し、そして女性としての象徴的な役割も一変することが読みとれる。またインド世界ではコレラや疱瘡等の感染病の名をもつ女神が現在に至るまで遺されているが、死をもたらす病が女神に託されていることがどういう意味をもつのかを考えさせる余地もここにはある。

次のような神話がある。「地下世界に住んでいた64人のヨギ(女性ヨガ行者)が月経時に海で沐浴していた。鷹の影がその経血に落ちると女の子が生まれた。ヨギたちはその子に男たちを食料として与えた。しかし、男たちはそのとき竹の空洞の中に不死の水を持っていたので女の子が食べた後も生き返ることができた。女の子がまたお腹が空くと、64人のヨギをMahadeoのところに行かせた。Mahadeoが不死の水を盗んだので、この世界に死がもたらされた」(Verrier ElwinMyths of Middle India1949)。インド中央部はハラッパ文明の衰退によって逃れて来た民族が移動してきた場所とも考えられ、森林地帯に住む部族の中にはハラッパ文明と共通する表現をもつものがあることが指摘されている。いずれにしても、この神話は女系社会が中央インドにあったことを物語っている。そして特に重要なのは、女性がこの世に<死>がもたらされることの契機となっているという点だ。このことは、女性は子を産むことによって<死>に触れていると考えられたからではないだろうか。「Mahosadha Jataka」には、「女が子供の体を洗おうと池に連れて行った。しかし、邪悪なYakshiがその子を盗んで食べてしまった」とある。むろん現在もそうであるが、かつては出産、赤児、死は、極めて明白な連鎖した現象と考えられていただろう。妊娠はめでたいことであるが、出産には母子の生命がかかっている。そして、そのことはもっぱら女性の心身を軸とする女性特有の事態なのである。

Haritiが一方で多産性を示し、同時に一方で赤児に死を与えるというのは、女性の心身を軸とする出産・赤児・死という明暗の現象をよく示している。しかし、仏教はHaritiを改宗させ、女神として扱うことで、Yakshi的な局面を封じ込めてしまったようだ。すなわち、YakshiとしてのHaritiに内在していた女性の心身をめぐる土着に根差した力強い象徴表現を封じ込めてしまったのである。とはいえ、Hariti像をめぐる多様な表現は、そうした封じ込めを半ば逃れているかのようだ。あくまでもYakshiとしてのHaritiは、女神としての仏教的倫理性とYakshiとしての精霊的な力という二重性を背負っている。二重性というよりは、そこには仏教的な観点からすれば、倫理をめぐる観念的な世界と、生と死の繋がりを喚起する微細な力の世界という次元の不一致性を抱えている、そう言っていいかもしれない。この不一致性をめぐる、あるいは対立からもたらされる感情/力が、Haritiを古代Sapta-Matrika(七地母神)と比較することを要請するのである。ガンダーラ地方のTakht-e-Bahiの南に位置するSahri-Bahlol出土のHariti像は特異なもので、三叉の槍を持ち四本腕である。Shakti()を表すその意匠からして、それはSapta-Matrika信仰と関係があるのではないかと考えられている。Sapta-Matrikaの表現はKushan朝からGupta朝にかけて確立されたといわれるが、その存在/力はすでにハラッパ文明の印章に萌しているとても古いもので、それはもともと原始農業と関係する大地母神信仰であったと考えられる。こうしたことからみても、Haritiは仏教に改宗したという文脈に取り入れられはしたが、それにもかかわらず、それ以前からの潜在的な力を有するイメージを人々に提供し続けたのは間違いない。

 

 Padmasambhavaがイラン系の出自であるとすれば、子を抱くギリシア母神のTyche像を当然知っていたと思われる。そしてその像が示す都市の繁栄・運命という象徴にも通じていただろう。イラン東部の中央アジアにはいくつものギリシア都市が建設されていたからである。またPadmasambhavaSwatの地と結び付けられていることから、Padmasambhavaが一時的にもSwatに滞在していたのは確実であり、そのとき仏教寺院のHariti像を見て、その表現様式がTycheのものでありながらもその内実は異なるものであることに関心を寄せたかもしれない。そしておそらく、Yakshi(精霊)であった地母神Haritiにまつわる生死の深層世界に触れたのではないだろうか。Haritiの改宗物語から読み取れることは、自然の力と深く関わる精霊が半ば超越的な母神となるが、その一方で自らの子の生死の局面に関わることで、子との関係をより深くする存在がそこに示されていることである。

 キリスト教では神の子キリストを懐胎したマリアの存在をめぐって論争がなされたが、西方世界に広まるにつれてマリア崇拝の根は信仰の土台として定着していった。いっぽう、異端とされ、東方に広がったネストリウス派はイエスの神性は受肉によって人性に統合されたと考え、マリアは「神の母」でないことが強調され、それゆえ教えにおいて超越的な母子関係という特殊性は希薄になっている。男性原理の強いグノーシス思想の影響下にあるマニ教では母子関係はソフィアの影に隠されていて語られない。こうした当時の母子関係をめぐる思想傾向にPadmasambhavaはよく通じていたと思われる。

 こうしたことから推測するならば、SwatPadmasambhavaHariti女神の伝承に触れることで、子と生死の関係にある母の世界を見出し、その関係の深層を探ることによって、<中間平面>としての子の位相と<下位平面>としての母の位相との関係という概念を生み出したのではないだろうか。母子関係の希薄な信仰環境からやって来て母子関係の概念を構築するには何らかの契機がなければならない。Swatには多様な信仰と文化がその周縁を取り巻くようにして母子関係が表現されたHariti信仰が伝えられていた。そして、Padmasambhavaはその信仰のうちに母子関係をめぐる歴史的深層を見ることができた。それゆえ、前述した<下位平面>としての母と<中間平面>としての子をめぐる世界観は、PadmasambhavaSwat仏教文化の環境に触れ、Hariti信仰を成り立たせている生死をめぐる母と子の関係という歴史的深層から影響を受けて展開されたと考えることができると思うのである。Hariti女神は超越的な存在でありながらも生と死に触れている精霊的な力を強烈に抱えている。言い換えれば、現象世界に浸りながらもそれを超越する要素として示されているのである。いっぽう、Padmasambhavaの三層世界では母と子の関係は相補的なものとして考えられている。その内容を繰り返せば、「存在は壊れることのない全体的なものであるが/それは全体的なものの散逸と開示と呼ばれるもの(sangs-ryas)についての認識である/それが意味するところは、母と子が不可分であることは根源的な散逸・開示(ye-sangs-rgyas)であるということにある」と「sNang-srid kha-sbyor(現象世界との結合)」に言われる。ここで「母と子の不可分性」について認識することは、人の方向性を示す根源的なヴィジョンであると考えられる。そしてその相補性は、母を母とするのは子であり、子を子とするのは母であるという共に不可欠な一体化を意味し、「全体的なもの」が現象世界の闇が散逸するところに開示される<中間平面>はつねに<下位平面>としての現象世界と一体であるという考えがそこに強調されている。そうとはいえ、母と子のこうした関係においてはあくまでも成長プロセスにある子が主体であるが、その主体は母という深層平面、すなわち子と生死の関係をもつ平面に支えられている、という考えにおいて相補的なのである。それゆえ、子という存在は母という深層平面を栄養にして育ってゆくのである。ちなみにPadmasambhavaは父と母と子の関係について次のように述べている。「思考の思考(sems-nyid)は原型的な父の仕方でそこにあり/始原のときよりそれは論証不可能である/思考・意味を生み出すもの(chos-nyid)は原型的な母の仕方でそこにあり/未生、未分割はその唯一の子として生まれる。未分割は根源的に不活発・闇・無知である」(sNang-srid kha-sbyor)と。人間の思考とその意味を生み出すものは母の平面においてであるが、そこに子は<未生>として生まれる。<未生>はそれだけでは「根源的に不活発・闇・無知」であると言われる。子は「母と子の不可分性」を認識することで、<未生>の闇が散逸し、子において人の方向性が開示されるのである。

 

しかし、こうした「母と子の不可分性」の認識に託された三層からなる世界観に対して、Padmasambhava「カンド・ニンティク」の内容はかなり異なっている。この点に関して、「カンド・ニンティク」という体験的成就に関しては詳細を述べることはできないが、ここでは「カンド・ニンティク」に関して、Padmasambhavaの「Ma-mo gsang-ba las-ki-thig-le(女性的なるものの秘密の行為の心滴)」という短く簡潔な作品を参照したい。この書はPadmasambhavaがチベットの首府ラサの南東に位置するサムエでチベットで最初の仏教寺院の建立に尽力した後にサムエ近くの修行場で著したといわれる。それによれば、はじめに「(空間性の原基である)<広がり>と<原初的知性>とが一体である68種類のダーキニーの最高者である、世界を快楽と共に進む女性の御心を、本性と方便と顕現からとらえることができる。本性とは菩提の精髄という意味であり、ブッダと有情共々の母であり、大楽と原初的知性とが生ずる場所をあらわし、(これを)女性的なるものの御心の心滴と言う」(「女性的なるものの秘密の行為、その心滴」中沢新一訳・セム第二号/1998より。以下同じ)とある。まず「ダーキニーの最高者である女性の御心」が「大楽と原初的知性とが生ずる場所」と捉えられている。そのことは、「思考・意味を生み出すもの(chos-nyid)は原型的な母の仕方でそこにある」(sNang-srid kha-sbyor)、と言われるのと意味するところは同じであるが、ここでさらに「(空間性の原基である)<広がり(dbyngs)>と<原初的知性>とが一体である」と言われるのは、それが「dbyngs()」を示しているからである。その<場>が「(空間性の原基である)広がり」と補足的に訳されているのは、<場>が「klong()」の状態にあると考えられているからである。<渦>とは渦巻的運動の意で、それは思考・意味を生み出す際の体験の強度を暗示し、そうした空間意識的な<広がり>を示すものである。すなわち、あらゆる現象がありのままにある状態から渦巻くようにして思考・意味というかたちを担ってくる運動がそこに働いていることを示している。したがって、「女性的なるものの御心の心滴」とは、そうした思考・意味を生み出す運動と、その運動以前のあるがままの状態を共に示し、それらは一体となっていることを意味していると考えられる。「dbyngs」とはそうした体験的な強度を示す<場>であり、具体的には<(渦巻的運動をする)広がり>を意味する。そして、そうした「klong()」の<場>に心/意識作用のエネルギーを融解していくための瞑想方法が次に説かれていく。その瞑想は、「(ここでの)方法は自身の身体と心に備わる五種類のエネルギーを、五族の憤怒の女神を瞑想しながら、上昇・下降・静止させるヨーガの技術によって、守るのである」と言われるように、ヨーガによる呼吸法が軸になっている。まず、「程度(tsad)と言われるのは、能力と(瞑想の)拠り所のことで、能力には上・中・下の三つあり、それぞれ一呼吸の間に、16回・8回・4回の上昇下降静止の呼吸法を行う。拠り所としては、三種類の透明さを用いるが(それらは)(女性神の)姿の観想・(真言の)発声・(三昧状態の)心に、透明さを生み出すのである」。身体を貫く呼吸管を上昇、下降、そして静止させる呼吸法を駆使しながら、マントラを唱え、女神の観想をすると、曇りのない意識状態がそこに生まれる。そうした<透明/輝き(gsal-ba)>状態にある意識作用を土台にして、「本行の瞑想の次第は、プラーナ=意識(rlung sems)を落ち着けることと、プラーナ=意識を統御することと、ツンモ(gtum-mo)の火を(脈管の)道に持ち上げることからなる」。「ツンモの火」については、H. Guentherの「The life and teaching of Naropa(1963)に、Naropa(10161100)の師であるTilopa(9881069)の教えとして、「神秘の熱であるお前の心の鏡を覗いてみよ、それこそダーキニーの在り処である」とある。それは意識の<鏡/透明状態>に立ち現れる<神秘の熱>であることが分かる。その<熱>は特にダーキニーに深く関連づけられている。次に、「プラーナ=意識を統御するのには二種があって、脈管(rtsa)とプラーナ(rlung)を本来の状態にもたらすことと、リクパ(rig-pa)(脈管の)道に入れることである」とあり、「ツンモの火」と同じであるが、「リクパ」が「脈管」に引き入れられる。つまり、「ツンモの火」はダーキニーの在り処であり、「リクパ」はダーキニーの顕れである、と考えられる。「脈管(rtsa)」については、「六つの<輪(hkhor-lo)>を重ねてできた三本の生命樹は、樹木のようにして成長し、上と下とに伸びていくことによって、身体のエネルギーを保つことを行うので、まさにこれが脈管そのものである」と言われる。「プラーナ(rlung)」については、「(これを)自在に扱えるようにすることと、(その力を)強く大きくすることと、鎮静化することと、圧縮することと、回転させること(この三つがプラーナと意識の結合をつくりだす)(プラーナを)滞留させないことが、プラーナを本来の状態に収める働きをする」と言われる。そして先ほどの「ツンモの火を道に持ち上げる」方法としては、「プラーナの輪から(心滴を放出させるのであるが、そのために)、ドルジェ(金剛)を包み込む赤い包みを弓として、これを激しく打って、知恵であり原初的知性である火の先端部から、出現した九つの心滴を勢いよく放つのである」。そして、「ツンモの火」を道に上昇させることの「必要は、勇気に満ちた五部族の、ダーキニーの集合するマンダラにおいて、原初より存在する真実そのものが、自ら燃え上がるのである」。その火は、「ヘールカの御心から、(自利の大慈悲が)変成したところの文字<フーム>として立ち上がり、<フーム>字は輪廻する有情たちの煩悩を浄化するが、これが他利を表している」。「ヘールカ」は憤怒の相をした神格イメージで、不壊の空性、大慈悲、大楽の一体化を示す。つまり、菩提心の頂点を示している。かくして「すべてのダーキニーの集合の、測り知れない海のように大きな心連続の全ての深遠な思考を集めた秘密の精髄が、(こうして)菩提心の埋蔵として隠されたのである」、と終えられる。

この短い教えの中に、そしてそれを実践したならば、身体と意識作用、それを繋ぐところの呼吸作用をめぐってそこに微細な運動がひしめいていることが分かるだろう。上昇、下降、静止、圧縮、回転、結合という運動、さらには脈管の<樹木>的成長、プラーナの<風>、ツンモの<火>、チャクラの<心滴>といった原物質の微細な運動が際立たせられている。とにかく瞑想においては、こうした心身をめぐる微細な運動を滞留させないことが大事なのだ。そうした微細な運動で渦巻く<場>をダーキニーが住処としているからである。

中沢新一の解説によれば、Padmasambhavaはサムエ近くのチンプの洞窟の中で「sGyu-‘phrul-drwa-ba(幻化網/Mayajala)」タントラ群の重要な書である「gSan-ba’i-snying-po(秘密精髄タントラ/Guhyagarbha-tantra)」に関連した様々な教えを行ったと伝えられているという。そして、この時期に著された「女性的なるものの秘密の行為の心滴)」という女神をめぐるこの教えの中で、「dbyings(dhatu)/場」の語に大きな意味を与えているという。ちなみにこの教えはMahayogaのクラスに属する教えであるとされ、つまりそれは「gSan-ba’i-snying-po」と同じ存在思想を表現しているという。「Ma-mo()dbyingsを住処にして、それと一体であり、しかもこのdbyingsは原初的知性とも一体である、と教える。パドマサンバヴァは、女性性という側面に焦点を合わせて、存在の本質について語り出そうとしている。dbyingsは空間性の原基をなすもの、何重にも広がりをもつもの、存在を包み入れ受容するもの、などという意味がはらまれている。人間の意識の働きが、それを三次元の空間とか時間の流れなどとして、意識の中で構成してしまう以前の、時空の連続体であり、主体によって客体として分離されてしまう以前に体験されている、存在の示す場所性のようなものを、この概念は示そうとしている」(セム第二号)という。そしてさらに、「dbyingsには後に空間の広がりとして体験されるような<広がりとしての界>という語感がはらまれている。この言葉を、パドマサンバヴァは空間性をあらわすもうひとつの言葉である<klong>とも関連づけようとしている。klongには、渦を巻いて運動をするダイナミックな力動をはらんだ空間性という意味があるから、この力動的な言葉と結合されることによって、dbyingsという言葉は、<内包的な強度をはらんだ場所性>というような意味をはらんだ、極めて強力な概念につくりあげられることになる。この力動的な内包空間こそが<母>の本質である、とパドマサンバヴァはこの著作の中で語るのだ」(同上)。要するに、体験的な意味を含む「dbyings」というその概念が存在の「母」として説かれ、この「母の界(yum-gi-dbyings)」へ自ら心/意識作用のエネルギーを溶け込ませ、そしてそこから産出する、そうした在り方をする存在の、その本性が説明されているのだという。

こうしてみると、こうしたヨーガの実践は、<中間平面>としての子が<下位平面>としての母の支えによって成長するという世界観と逆方向になっている感がある。子は成長して始原のときより論証不可能な<上位平面>の父の世界に向かうのではなく、いわば「母の界」に溶け込むのである。Padmasambhavaは考え方を変えたのだろうか。

 

PadmasambhavaはチベットでPadma Salという娘にニンティクの教えを授けたが、そのPadma Salは一度死に、Padmasambhavaの力によって蘇ったという話が伝えられている。つまり、娘は死後体験をしていることになり、それゆえ「カンドゥ・ニンティク」は死後体験と関係があると言われる。それ以前にPadmasambhavaHariti信仰を介して、母の<界>をめぐる死と生の相に通じていたと思われるが、いずれにしてもPadmasambhavaカンドゥ・ニンティク」を相承したということは、女性の心身を軸とする生死の現象に深く関わったことを示しているだろう。そうした関わりにおいて、死を含む「母なる空間」の思想があらためて生み出されたのではないだろうか。Padmasambhavaはもともと中東の大地母神信仰やマリア像について知っていたと思われるが、SwatHariti像はマリアがキリストを抱える像と似ているようだがその意味はまったく異なっていることを見てとったに違いない。そこには中東思想とは異なる他の要素が色濃く反映されていたのである。PadmasambhavaHaritiに、精霊という生と死の自然力をも含む「母の世界」という、そうした「全体性のヴィジョン」が重要視されているのを見てとったのではないだろうか。この「全体性のヴィジョン」に関して、H. Guentherは次のように述べている。「自然力であり気持ちを高める力としてのカンドゥマ(mkha'-'gro-ma)は精神的かつ物質的である生命力の表現である。このことは<水(精神的なものと本能的なものの二重の流れをもつ雨)>と<火(私たちの知覚と単に再現前的思考の慣習的パターンが積み重なった不純物を焼き尽くす)>の象徴性によってよく知られている。<水>も<火>も共に等しく目に見えるものという性質がある。<水>は比喩的に言えば、存在におけるいまだ差異化されていない全ての潜在力の源であり、<火>は差異化されない状態との繋がりを保持した差異化されたものにおける潜在力である。<目に見えるもの>、それを私たちがどんな仕方で考えようとも、それ理解するためには<目に見えないもの>を必要としている。このことは、私たちが人間になる一押しの際にエネルギー化する力として働く<風>の象徴によって与えられる。このエネルギー化する力は脅えとして『感じられる』。というのも、それはありとあらゆる自己満足に死をもたらすからである」(The Teaching of Padmasambhava)

水や火や風、そして光の運動は精霊力の源である。水や火や風の運動が重層的に現象するところに精霊がその力を顕す。水は雨となり、大気中の微細な分子となって渦巻いている。火は生きとし生けるものの内部に必ずやエネルギーとなって渦巻き、燃えている。風は微細な水の渦と火の渦を貫き通し、そこに重層した新たな運動を生じさせる。そして光は重層的に運動する分子状態のうちに虹のような超自然的な現象をもたらすのである。Padmasambhavaの示したヨーガの実践によれば、瞑想状態の<渦>が<滞留>させられることで人間による主客の世界が形成されるのだった。それに対して、微細な分子が重層的に渦巻く事態、それが精霊という力が展開される世界ではないだろうか。森の精霊は森という環境、すなわち森特有の水と火と風と光が連動して運動する環境によって生じる。山の精霊も山特有の水と火と風と光の連動する環境によって生じる。精霊とは、空気の流れや温度変化、光の強弱によって感覚に変化が起き、目の前に思念が具体化されるような現象が起きる、そのことである。例えば柳の下の幽霊がある。柳は水場を好み、そのため木陰に水分子が渦巻き、その樹下に立っただけで冷やっとする。夏の夜であれば風がもたらす枝葉の微妙な揺れ具合に誘われて薄暗がりに幽霊が忽然と姿を顕すことになる。心に不安を抱える者の目の前にそれに相応した像が現れるのである。このように、精霊とは人の心的表象力が周囲の微細な分子運動と交感するようにして生み出されるもののことである。そのため、精霊の方からすれば、外部を遮断した人の内部だけでの完結を否定することになる。それゆえ内部だけでの完結に執拗にこだわる者には死の恐怖をもたらすのである。精霊は人に死の恐怖をもたらすいっぽうで、周囲の微細な分子運動と交感することで自己完結を解いた慈悲深い人に<富>を与えるのである。

Padmasambhavaの「カンドゥ・ニンティク」を完成させたLonchen Rabjampa(13081364)は、瞑想中にあらゆるダーキニー族の女神が出現するという体験をしたといい、それを貴重なものとしている。このダーキニーの顕れは周囲の微細な分子運動が精霊となって顕れたものであり、それはすなわちLonchen Rabjampaの心身エネルギーと交感するようにして顕れたヴィジョンではないかと思う。母なる<界>という女性原理への注目が、外部の自然の微細なエネルギーである精霊力を身心的なものの内に映し出すのである。Lonchen RabjampaPadmasambhavaの言う「母の界」について知っていた。それゆえ、その源泉が自身の心身エネルギーであり、女性原理としてのその顕れを喜んだのである。いっぽう、中国で密教・真言乗を習得した空海(774835)Padmasambhavaと同時代でありながら女性原理に注目することがなかった。帰国後、高野山に籠もって修行し、地・水・火・風の自然の四元素のエネルギーに触れていながら、ことさら女性原理に注目した跡が窺われないのは、当時の中国世界に女性原理について考えさせる思想的土台がなかったせいだろうか。それに対してPadmasambhavaが女性原理をその信仰の核とすることができたのは、青年期に東西の思想が交わる都市的な自由な環境で知識を得たことに由るのに違いない。そしてSwatを経由することでインド世界の女性原理をめぐる生死の局面を受け継ぎ、精霊のエネルギーが溢れるチベット高原でその教えを理論化させることができたのである。Padmasambhavaは考えを変えたわけではない。自身の心身のうちに「母なる空間」を見出したのだ。仮定の積み重ねではあるが、Hariti女神の起源を遡ることでYakshiの精霊性、自然の運動力に辿りついたと考えることで、Padmasambhava母なる<下位平面>を子の内部へと、すなわち現象世界全体としての外部を内部に映し出すことで、その教えを体験的に深め、その理論化を果たすことができたのではないか、そう私は考えるのである。

 

インドのデリーに滞在した最初の夏に、ヒマラヤ山岳地帯であるHimachal Pradesh州のKeylangに行った。保養地Manaliからバスに乗ってRohtang(3980m)を越え、Chenab河渓谷にかかる橋を渡るとKeylangの集落がある。パキスタンのパンジャブ地方を流れるChenab河にこんなところで出会うとは思いもしなかった。KeylangChenab河に流れ込む支流Bhaga河に沿ってできた道路沿いに並ぶバザールがあるだけの小さな集落だった。しかし、その周囲の小丘にはいくつもの小さなGompa(瞑想所)があった。とても良い香りがして、噛むとスパイシーな味がする草がある」。茎の皮をむいて食べるのだそうだ。そう教えてくれるKeylangの人の顔つきは、インド人とチベット人の血が混ざり、血の混じり具合によって顔つきが異なり、かなり混沌としている。「これは何ですか」をLahaul語で「Dwu thi shu」と言う。私の耳にはそれがパキスタンの山岳地帯に通ずる言葉に聞こえた。道路沿いの深いBhaga河渓谷の向こう側に立つKardan Gompaに向かった。まず道なき道をいっきに下り、渓谷の底にかかる吊り橋を渡る。そこから岩だらけの急な坂を上るがジグザグ道で距離があり、道のないところをいっきにGompaまで上がることにする。渓谷の落差は五十メートルは優にあると思われた。乾燥した気候のせいか喉はからからになり、また空気がやや薄いせいで心臓はどくどくと破裂しそうだ。ようようGompaの建物に至り、正面に立ってしばし手を合わせて黙祷する。心臓が高鳴り続け、いっきに心が放たれるような感覚に襲われる。どこからか尼僧が現れてGompaの扉の鍵を開けてくれる。中に入って参拝してもいいようだ。建物の内部に入った途端、壁面いっぱいに描かれた極彩色のマンダラとバター・ランプの匂いに触れていっきにからだ中に生暖かい感覚が押し寄せて来る。マンダラのねばつくような赤色のせいだろうか、血の流れるどくどくとした生暖かさだ。この血の流れるような生暖かさに私は生け捕りにされてしまった。身体に胎児のイメージが重なって、私はそのイメージのうちに溶けてしまうようだった。しばしの間血の生暖かさの体験に浸った後、扉を開けてそのままGompaの外に出る。目の前の渓谷をふたたび見下ろすと、周囲の乾いた外気がきらきら光るのが目に飛び込んで来る。光り輝く大気の粒子がひゅるひゅると運動し、光の粒子が渦を巻いているようだ。いまし方の血の生暖かさの体験が私の目に光の粒子となって顕れているのが私には分かった。尼僧を探したがどこにも見当たらない。昨日訪れたShasur Gompaにも尼僧がいたが、Gompaは尼僧が管理するものなのだろうか。目の前の坂道を下り始め、先ほどは渓谷をいっきに底まで下り、そしていっきに上がって来たが、ふたたびいっきに下って行く。そしてまた部落まで上がって行く急傾斜の道がある。不思議と足取りが軽く、身体が解けたようになって疲れはいつの間にかなくなっているが、ただからだが熱を帯び、火照ったようになって、その火照りがいつまでもおさまらない。

いま振り返れば、(精霊という)自然エネルギーの顕れと瞑想所内部との関係は、いわば身体の内に外を<映し出す>ようにしてその関係が設定され、そうしたプランによって瞑想所内部がつくられていたのではないかと思う。

Sunday, July 24, 2022

Lahore日記 The Diary on Lahore

三 パンジャブ回廊

六 Padmasambhavaの宗教 一

 

 Swatはガンダーラ地方北側の山地に広がる渓谷地帯である。雪解け水が流れるSwat河沿いを深い森林が覆い、渓谷にはSwat河に注ぐいくつもの支流によって小さな谷が無数にできている。それらの谷には小さな湖も点在し、湖畔にはムスリム聖者の廟が建てられているところもあった。「Swat」はサンスクリット語で「良き住地(Su-Vastu)」の意で、その名の通り素晴らしい土地である。標高1000mほどの高地で夏の酷暑を避けるには絶好の場所だった。ガンダーラ平野からバスでMalakand峠を越えて初めてSwatの谷に入ったときの印象を私は忘れることができない。目に飛び込んできたのは石灰岩の白い岩肌と緑の山並み、渓谷を流れる透き通るような小川の水で、街に到れば市場には葡萄やkharbuza(メロン)が山となって売られていた。そして住民の肌の白さと金髪がかった髪、中には青い瞳の少女もいた。二千年以上も前の遠い過去にギリシア人が住んでいた痕跡を目の当たりにしたと私は思った。

 前二世紀頃の仏教遺跡があるButkaraに考古学博物館が併設されていた。いま想い出そうとしても記憶が定かでないが、たしか建物の中に展示されていた横長の石碑に記されている文字を英訳の説明で読み、その内容を私は日本語と英語でノートに書き留めたのだ。「八世紀のSwat magicianUdegramPadmasambhava。インド亜大陸にある四つのTantric Centerの一つとしての<uddiyana pitha(最高乗の地)>がUddiyanaとなる。Indrabhuti王が書き記す」。そのとき初めて私はPadmasambhavaの名を知り、その人物について何の知識もなく、ただ「magician」という説明に心惹かれたのだった。

Swatには前三世紀から十世紀頃までの仏教遺跡が知られ、この地がかつて仏教の中心地であったことが分かる。ガンダーラからインダス河渓谷に沿って北東に向かい、高山地帯のBaltistanやさらにはチベットへと仏教が広められたほどで、Swatはその中枢的な位置を占めていたのである。北にヒンドゥクシュ山脈とカラコルム山脈を背負い、南はガンダーラ平原に開かれたその地形的に要衝の地が、渓谷を交易者や外来征服者、そして仏教徒にとって魅力的なものにしていたのだろう。交易のみならず仏教文化にとっても重要な中心地となり、インド平原からはもとより中央アジアや中国からも多くの巡礼者や学僧が訪れる仏教の聖地として栄えた。中国僧の宋雲とその従者たちが520年にSwat渓谷を訪れ、Uddyanaの王に謁見した。「宋雲行紀」はUddyanaの鮮やかな光景を伝えている。快適な気候、豊富な農産物、多くの仏教僧院から夕方に鳴り響く鐘の音、季節が変わるごとにいたるところに様々な色の花が咲き、土地は恵みをもたらし、人々は仏陀に捧げる…。しかし、一世紀後に訪れた玄奘(602664)が見たUddyanaはそうではなかった。農産物は少なく、僧院は衰微し、わずかばかりの僧は教義の本当の意味を理解することなく、もっぱら魔術や呪術に関わっていたという。

Padmasambhavaという稀有な存在について私が知るようになったのは後のインド滞在時のことである。ヒマラヤ山麓に住むチベット系の民衆にとってPadmasambhavaが絶大な信仰対象となっているのを目の当たりにした。チベットでは「Guru rinpoche」と尊称されるようにPadmasambhavaはもっぱらインド出身のグル(導師)とみなされてきたが、その出自がSwatであるかどうかは確証されていない。それよりも、Padmasambhavaはインド人ではなくイラン系の人物ではないかという説が有力である。Herbert GuentherThe Teachings of Padmasambhava(1996)」によれば、Padmasambhava(蓮の花から生まれた)という名前でさえ語の常識から言って正しい名前でなく、象徴的な意味を込めた形容語であるという。すなわちそれは、母胎から生まれたのではなく化生(sambhava)を示唆する語なのである。Padmasambhavaを描いたタンカ(チベット仏画)を見れば分かるように、その相貌はインド人のそれではない。どの画を見ても肌は白く、眼光が異様なほど鋭く描かれている。Padmasambhavaとはいったい何者なのか。その謎は出生地とされるUddyana(チベット語でUrgyan)がどこにあったのかという問題によってさらに深められているようだ。Uddyanaがどこであったかは、同じ地の出身であるとされるもう一人の謎めいた人物に関わりがある。それはゾクチェン思想を初めて説いたとされるGarab Dorje(六世紀?)で、その人物伝は明らかにモーゼやキリストの出生に関する際立った特徴を合成したもののようにみえる。つまりそのことは、Uddyanaという地にすでに中東の影響が見られるということを意味する。Padmasambhavaの出生地に関してはこのGarab Dorjeの出生伝説を模したものと考えられ、確たる証拠はない。Uddyanaという名については、中央アジアのSogdianaFerghanaMargianaのように語尾に「ana」を付けて土地を呼ぶ仕方に共通する名であって、それに倣ってUddyana Swatにではなくかつて中央アジアの交易路にあった地域に比定する説もある。

Padmasambhavaは八世紀の人物とされる。この時期にはアラブ・イスラームはすでに北西インドにまで進出している。イランを支配していたササーン朝は七世紀にアラブ・イスラーム勢力によって滅され、それによってさらにイスラーム勢力が中央アジアにまで進出することで、シルクロード交易を掌握していたソグド人やトカラ人の交易者ばかりでなく、キリスト教徒、グノーシス主義者、マニ教徒等が東トゥルキスタンやチベットへと逃れることを余儀なくされた。そうした時代背景からすれば、またPadmasambhavaをイラン系の人物と考えるならば、イスラーム勢力の圧力によって中方アジアから北西インドへと逃れ来て、インダス河に沿ってチベットへ達した人物と考えることもできる。こうした想定ができるのも、後に述べるようにPadmasambhavaの思想にはグノーシス主義の要素が色濃く遺されているからである。中央アジアからSwatを経由してチベットへ向かうルートはすでに仏教徒やマニ教徒によって切り開かれ、その旅程情報はたやすく得られたと考えられる。

Padmasambhava767年頃にチベットにやって来て、Lhasaの南東のツァンポー河のほとりにあるサムエ寺院の建立に際して尽力し、チベットにVajrayana(金剛乗)をもたらしたと言われる。そのため、チベット仏教ニンマ派では「第二の仏陀」と言われるほどの尊敬と地位を得ている。その知性的かつ実践的な洞察力のゆえにPadmasambhavaという存在は突出し、Urgyanから来た「卓越した導師(slob-dpon chen-po)」、あるいはUrgyanから来た「賢者(mkhas-pa)」と呼ばれた。私たちはUrgyan(Uddyana)の言葉、もしくはPadmasambhavaの母語が何であったか知らないし、Urgyanの言葉で記された文献ももたらされていないが、それが古典サンスクリット語ではないことは確かなようだ。Padmasambhavaが仏教用語を解釈する仕方は全てチベット語訳に由来し、サンスクリット語やプラクリット語を一切参照していないことがその著作から窺われるからである。こうしたことも含めて、これから述べることは全てHerbert Guentherの「The Teachings of Padmasambhava」に負っている。それによれば、Padmasambhavaのすべての著作は「翻訳・編集者」であるsKa-ba dpal-brtsegs(カワ・ぺルツェグ)によって最終的に形にされ、王の承認を得たが、そこには、「極秘」、「秘密」、「要保管」といった指令が記されているという。「bDud-rtsi bcud-thigs(甘露の精髄)」や「sNang-gsal spu-gri(現象生起の剃刀)」のような二、三の著作には「今は(この著作を)広める時期ではない」と付せられている。では、これらの著作がいつ公開されるようになったかについては、「Nyi-zla’i snying-po(太陽と月のエネルギー)」と「sNang-gsal spu-gri」に奥書があり、それらは「rNying-ma rgyud-‘bum(ニンマ派全集)」の編集の際に、すなわち十三世紀か次の世紀に付せられたと考えることができるという。これらPadmasambhavaの著作の一群が秘密として広められていたことは、Padmasambhavaの考えがあまりに非正統的であったという事実に由る、そうGuentherは考えている。もしくは、中国やインド外来の様々な仏教学派と土着の非仏教徒(ボン教)派との間の敵対感情が高じて緊張状態にあった当時のチベットにおいて、おそらくPadmasambhavaの教えはそのどちらのものでもなく、むしろそれは異国から乱入した者の教えである、そう考えられたことに由るのではないかとも推測されている。そのいっぽうで、Padmasambhavaをめぐって当時チベット人による「一大大衆文学が発達している」(D. SnellgroveA Cultural History of Tibet(1967))といわれる。かなり荒唐無稽な内容ではあるが、奇跡譚を含む聖者伝説が無数に語られたようだ。異国人といえども民衆にはPadmasambhavaの活動が大いに支持されたことが分かる。

 

チベット仏教のニンマ派にはゾクチェン思想が連綿と伝えられており、その相承系譜にPadmasambhavaも連ねられている。中でもsnying-thig(ニン・ティク)の教えはPadmasambhavaVimalamitra(八世紀)によってチベットに初めて伝えられたという。Padmasambhavaのものを「mKha’‘gro snying-thi」と言い、Vimalamitraのものを「Vima snying-thig」と言う。両者は共にShri Simha(七〜八世紀?)の弟子であった。Sri Simha中国系の人物であると言われ、おそらく東トゥルキスタンに点在した仏教修行地を中心に活動していたと思われる。このsnying-thigの教えは「lhun-gtub(ルントゥブ/根源的に純粋で、自ずと自己完成を遂げている)」の状態を目指し、主に「thek-chod(テクチュー)」と「thod-gal(トーカル)」という二つの瞑想実践から成っている。修行者はthod-galの実践を通じて目前の意識作用を媒体として観想する。thod-galは「直接の」の意であり、一つの場から他の場へ直ちに、即座に移動するという感覚をもつ。そこには何らかの介入する間がないので「thod-gal(直接の)」と言われる。そのとき観想は観想が展開されるというのでなく、そこで働く意識作用を含む全体的なもののプロセスとして体験されるという。まずthek-chod (「束を紐解く」の意)の実践と共に修行者は意識の「束を紐解く」ようにして意識作用を超えた<直接性>へと移動する。心身が解かれた状態からまったく新たな(裸の)体制へといっきに移行するのである。そして、thod-gal の実践と共にこの<直接性>に留まり続ける。このとき、意識作用によって創造される観想状態よりもむしろ目前のプロセスとの一体感が大切であると言われる。というのも、このプロセスにおいては不純な現象を純粋な現象へと変容するという人為が一切ないからである。また現象が感覚にはっきりと示すものは何であれそれらはそのままで完全である、そう考えるからである。それらが自ずと完全(lhun-rdzogs)であるのは、それらが意識作用そのものの在り方を明らかにするもの(sems-nyid kyi snang-ba)であるからであり、すなわち「意識作用本来の無尽蔵なエネルギー(rtsal)」と言われる潜在力に触れているからである。このように初期ゾクチェンにおけるsnying-thigの教えはプロセスとしての瞑想実践にあると言われる。

Shri Simhaの師がGarab Dorje(Prahevajra)で、Garab Dorjeのものとされる遺言がある。「Tshig gsum gnad du brdeg-pa(要点を打つ三つの声明/三つの急所)」と言い、「自分の本性に直接対面する/この無比の境地に決住する/解脱に信をもって直接触れ続ける(ngo rang thog tu sprad/thag gchig thog tub cad/gdeng grol thog tu bca’)」とある。もしくは、「心に生じたものは如何なるものであっても空にかかる雲のようにそれは妨げにならない。あらゆる現象の全き在り方の意味を(空性である本質という観点から)理解し、そしてそれらの現象に従うことなく人がこの(瞑想状態)に留まるとき、それが真の瞑想である」(John M. ReynoldsThe Golden Letters(1996))と解釈されている。まだthek-chod thod-gal といった技術用語は示されていないが、snying-thigの教えの起源はここにあるとされる。

仏教はその後のタントラ(密教)も含めて意識作用の不必要な展開から逃れることを目的として意識作用を分析し、意識作用の変容に関わり、意識作用に沿うようにして瞑想技術を展開させてきた。またSutraの展開においては、内在する仏性である「Tathagatagarbha(如来蔵)」が意識作用の基底であるものとして説かれるようになった。「如来蔵」は可能性としての仏性を表すのみとされるが、それを実現するための<道>が追い求められたのである。snying-thigの教えはそれらとは異なっている。<あるがまま>とか<自然体>といった概念は老荘思想の影響を受けた禅宗に馴染む者には親しみやすいものだが、しかしその意味するところはrtsalという意識作用本来の潜在力を肯定する点でまったく異なるのである。あえて疑問を提議すれば、こうした仏陀と仏教の考え方とは異なる初期snying-thigの発想はどこに由来するのだろうか。一つ考えられるのは、ハラッパ文明に由来すると考えられる「yoga(周囲の自然と一体化する)」の技法である。修行者と思われる座した人物を中心に虎や犀、象といった森の野獣たちが磁石に惹きつけられるように周囲に集まっている。辺りには静寂な空気がぴんと張り詰めている。この様子を刻んだ印章画から、環境と一体化した人間の精神状態が実現されていたことが想像される。ハラッパ文明がパンジャブ山麓地にまで広がり、「周囲の自然と一体化する」するyogaの技法が一部の修行者に連綿と影響を与えていたとすれば、何らかの方法が継続的に伝えられたと考えることもできるだろう。むろんyogaはインド世界において「Yoga Sutra」に結実しているが、それは理論化されてその内容は根本的な変質を遂げている。「周囲の自然と一体化する」をそのまま無媒介の内容とする実践は、Garab Dorje の教え以外にないように思われる。

Garab Dorjeの<無努力>の教えを学び伝えたとされる弟子Manjushrimitra(七〜八世紀?)は瑜伽行者派に属する学者であったと言われ、その著作「Byan-chub-sems rdo la gser-zhun(鉱石から精錬された金)」は瑜伽行者派もしくは唯識派の観点からその語彙を用いて書かれ、そこには初期ゾクチェンの思想が言い表されている。すなわち、心の<始原状態>を提示するのに仏教の側からアプローチされたのである。いわば、そのとき「lhun-gtub(根源的に純粋で、自ずと自己完成を遂げている)」の教えが仏教化されたと考えることもできるだろう。

PadmasambhavaShri Simhaからsnying-thigの教えを受けたとされるが、しかしPadmasambhavaの著作とされるものを読むと、そこには様々な異質な要素が入り組んでいて一筋縄ではいかない内容になっている。いっぽう、Padmasambhavaが相承するsnying-thigは「mKha’‘gro snying-thig(カンド・ニンティク)」と呼ばれるが、その教義の伝統はPadmasambhavaによってチベット王Tisong Detsanの娘であるLhacham Padma-salに伝えられたとされる。彼女は八歳で死に、そのときイエスがラザロを蘇らせたようにPadmasambhavaはその奇跡的な力によって彼女の意識(rnam-she)を身体へと呼び戻し、生き返らせたという。Padmasambhavaは彼女に「mKha’‘gro snying-thig」の教義を授け、王妃Yeshe Tsogyalと共にそのテキストを隠したと言われる。この王妃は後にPadma Letrel-tsal(1291-1315)として生まれ変わり、彼が二十三の時にダキニが乗り移り、南チベットのDwagpoにある隠し場所からテキストを取り出した。それが、「mKha’‘gro snying-thig/ダキニの心滴」として伝えられるゾクチェンsnying-thigの教えである。

こうして見るとGarab Dorjeの思想は純粋にインド的(ハラッパ文明的)なものであると考えられるが、Padmasambhavaの思想はそうでないようだ。その内容の一端をこれから見ていこうと思うが、それは仏教を超えた<Padmasambhava教>と言っていいようなものである。Padmasambhavaはチベットに五十五年間滞在し、その間に全ての神々(lha)と有害な悪魔(klu)を仏教に改宗させ、一帯の野蛮な土地と山岳地を人が住むことが可能な地域にし、精神的で物質的な性質を有した莫大な宝を埋蔵したという。その著作は二つのグループに分けられる。一つはその並外れたヴィジョンと体験を豊かな象徴言語によって表すものであり、そこで提出されている主題は、「私たちは何者か、私たちが失ったものは何か、私たちはどうなっていくのか」という不変の問いである。師と弟子との対話のかたちで展開され、それが為される場は全くの超越に近似する精神現象的な領域である。このグループは、Padmasambhavaとチベット人「翻訳者/編集者」sKa-ba dpal-brtsegsとの努力が結びついたものであるという。もう一つのグループもヴィジョンの体験を扱うものであるが、そのヴィジョンの内容はむしろ想像的かつ心理的なもので、ある種の偉大な神秘の顕現であると言われる。このグループは性格においてより<インド的>であり、その「翻訳者/編集者」はVairotsana(八世紀)である。

 

Herbert Guentherの「The Teachings of Padmasambhava」にはPadmasambhavaの思想がコンパクトにまとめられているが、最初にことわっておけば、その内容はどちらかといえばPadmabambhavaの思想背景をあぶり出そうとするものである。著作は「三層に分かれた宇宙」、「世界参入、世界を超えて」、「象徴:存在をめぐる明快な言葉、直喩:存在への解釈的指標」という三つの章から構成され、それぞれPadmasambhavaの説く(意識)世界の構造、現実世界における実践、Padmasambhavaの言語表現を主題にしている。

Padmasambhavaの思考の特徴の一つは、いかなる理論にも先行する直接的な生のプロセスとしての<体験>に基づいて展開されている点にある。それゆえそれは政治権力を補完する宗教ではありえず、大衆の上に身を置き大衆の心を教化するという傾向において当時のチベットにおいては非正統派であったと考えられる。こうした理由でその教えは<反体制的>とみなされ、それゆえ秘密にしておいた方がいいと考えられたようだ。生のプロセスとしての<体験>についていえば、私たちの体験に伴う意識現象が<空>であるという仏教の考えは体験が<プロセス>であるとみなされればそこに何も問題はなく、広く大衆に受け入れられるように思われる。サンスクリット語の「anitya(無常)」という(否定)語が、体験に伴う意識現象は対象と化して留まることはない、すなわち<空>であることを示そうとしてはいるが、そこに意識作用の不必要な展開から逃れるという受動的な面があることは否めない。いっぽう意識現象を<プロセス>という能動的なものとする考えには、意識現象の方向性とその方向性をもたらす潜在力が示唆されている。そのように意識現象がまさに生にとっての潜在力を秘めているという視点から、Padmasambhavaは仏教語の「anitya」を説くよりも、<プロセス>としての体験に意識作用を一体化させることを主唱してきたのである。この直接的な<生のプロセス>としての<体験>は、人を自身であると共に自身を包み込む世界でもあると感じさせるもので、体験されたこの世界がそのまま体験者としての存在でもある、そのように<体験>が世界と体験者のうちで絡み合っているような状況をつくりだすものだという。すなわちGuentherによれば、「Padmasambhavaの思考はまさに特別な意味において人間-宇宙的なのである」。こうした点がグノーシス主義思想と共通点をもつことを表しているだろう。しかし、Padmasambhavaによれば人間は神やデミウルゴスによって創造されたのではなく、人間は自身であることの可能性を自身の力で進化させてきたのであり、その可能性を推進するさなかに自身を形成する<象徴>のうちに自らを表現してきた、すなわち「<神秘の顕現(brda’)>の中に自らを表現してきたのだ」という。この<顕現>は体験者個人の意識に浮上する意味やイメージという範型にではなく、それに先行するような<体験>のうちに立ち顕れるものとして理解されなければならない。それゆえこの<顕現>は体験者の自我もしくは意識作用と一致しないし、一致可能なものではない。その<顕現>はより大きな全体の中に立ち現れた、体験者その人の<生>以外の何ものにも還元されえない特異な現象であるからである。このように感じられる<人間-宇宙的>な力に、Padmasambhavaは「snying-po(核心)」という名を与えたのである。それは、名が与えられる以前からすでにそこに働いている人の<核心>となる創造する力であるという意味において、「純粋なる強度/個体化を特徴づけるエネルギー」と訳すことができるとGuentherは言う。「Nyi-zla’i snying-po(太陽と月のエネルギー)」の中でPadmasambhavaは、「この強度/エネルギーには名がなく、それには境界もなく、それは知性による散漫さの領域ではない(snying-po ming med mtha’-grol‘di/ blo-yi spyod-yul ma-yin te)」と述べている。

こうした<人間-宇宙的>な存在に潜在する力をめぐって、Padmasambhavaは三層構造のコスモスを考えている。「上位平面には太陽と月という光の二つの源がある。それらは天空の本質であるがゆえに(場のような)次元に自らの輝きとして生じており、また(この次元の)もとよりの認識態として機能しているがゆえにそれらは宇宙全体を照らし出すことができる」(Kun-tu bzang-mo klong-gsal/Samantabhadri(始原母仏)の明澄空間」)。そして、「この平面の最も深い奥底に隠されて広大な宮殿が立っている。それは純粋に光り輝くマンダラであり、この平面とそこに立ち現れる宮殿を鮮やかに輝かせている。…この広大な宮殿に、この平面の原型的父と原型的母が住んでいる。原型的父は原人間であり、その傾向は輝くことであり、それは全てにわたって励起しかつ励起する可能性であり、<幻影の主('phrul-rje-btsan)>と呼ばれる。原型的母は幻影の主の妃であり、活気に満ちた明快さをもつ姿をした素晴らしい女性で、<輝きの炎(gsal-ba’i‘bar)>と呼ばれる。あらゆる二元性を消し去る父と母の結合による興奮と夢中が相互する後に、宇宙的な火が急に燃え上がり、この世界システムのあらゆる領域をその炎で燃やしてしまう。その世界システムは三層宇宙の中間平面として輝かしき平面であったが、その存在はいまや無となった。この炎によって、知性が自明なものとしていた現象世界のあらゆる特定的な実在物は萎れ、ついには焼け尽くされ、また情動的なもの全てが再起不能なまでに粉砕された。特定的な実在物からありとあらゆるものを構成していた灰は見えるものの中に、すなわち因果関係の説明と最終決着する努力を切望する知性によって自明とされたものの中に、また見えないものの中に要約され、宇宙の風にそっくりそのまま放たれた。現象世界、すなわちそこに立ち現れるもの、主客や愛憎によって解釈されるものはなんであろうと何も残されなかった。ありとあらゆるものが宇宙の風に持ち去られ、そこには完全な空虚があった。この完全な空虚のうちに、宇宙の中間平面に立ち現れているものの輝きそのものである王座に、そこにまさに立ち現れるものとして鮮やかに光りを放つ純粋な輝きであるマンダラから光を輝き放つ月が生じた。月が生じるのと同時に、人の本能的な不活発さである全ての抑圧的な陰鬱と暗闇、さらには人の有機組織的<プログラム>と知性的で精神的な覆いと目隠しは、消失した。そして豊さと貴重さに馴染んだ五つの光り輝くものが、<lumen naturale(自然の光)>の輝きのゼロ点エネルギーから前に飛び出てくる。それは、前に飛び出た瞬間に勃発したエネルギーのうちに溶解するという仕方で起こる。いわば、光り輝くもの自らの最も類まれな照明する能力が<lumen naturale>の輝きである一方、光となる傾向を示すその立ち現れはそうした能力ではないということである。こうした体験を達成する幸運な者は、そのことによって、これらの象徴を通じてその立ち現れを知らせる存在である神秘が何であるか薄々知ることになるだろうが、これらの象徴の現れが意味するものを理解したとき、その人は覚醒し、生と死を超えたものとなり、輪廻に彷徨うことがないだろう。すなわち、揺るぎなく真正であると身体的に感じられる者となる」(Nyi-zla’i snying-po)

この三層世界は仏教の極楽・衆生界・地獄という三界と似ているようで非なるものである。それが仏教の世界観と同様に人の意識構造を三界構造と重ね合わせたもので、意識が展開される体験を宇宙的に表現しているものであることが分かるが、Padmasambhavaの<人間-宇宙的>な観点からすれば、そこには三層、すなわち三つが重なる構造をしたコスモスのその重なりについての認識がとても大切であるように思われるからである。<上位平面>と<下位平面>があり、その間に<中間平面>が考えられているが、<下位平面>とはこの現象世界であり、この<下位平面>に重なる<中間平面>を意識することが<人間−宇宙>を実現させるプロセスにとってたいへん重要であると考えられている。また<中間平面>と<上位平面>との重なり方は、<上位平面>と同じく私たちの意識作用の地平に触れている<中間平面>もまた広範囲にわたる存在を示唆する強度の光をめぐる想像的な世界であり、「この平面の最も深い奥底に隠されて立つ広大な宮殿」はそれ自身が生命の神秘を開示しようとする<中間平面>における<象徴>であると考えられている。H. Guentherによれば、「広大な宮殿が不活性な構造物ではなく、生きたプロセス的構造であるという事実は、<現れてくるものを照らし出す/照明する>と描写されるものを視覚的にかつ感情的に訴えることで暗に示されている。この広大な宮殿という<体験>を土台にした文脈において、<照明>自体は<中間平面>に固有の作動原理(thabs/方便)に注意を向けるように<感じられ>、<照明の放射>は評価の原理(shes-rab/般若)に注意を向けるように<感じられ>る。これら二つの原理の統一を育成することは、この広大な宮殿を強大な思考実験として語らせる。それがPadmasambhavaの言う内容なのである」。

この純粋な光である広大な宮殿に原型的父、人間(khye’u)、そして原型的母が住んでいる。「khye’u」の語は文字通りに訳せば「童子」もしくは「若者」の意であるという。すなわち、そこには成熟した存在ではなく、方向性を抱える存在が示唆されているのである。この三層世界において人間(khye’u)は決して成熟した存在ではない。

繰り返し述べるが、こうした<上位平面>のヴィジョンは体験における個人的に構成された現象というよりも、個人を超えた始原的地層の<顕れ>であるから、光り輝くものとして述べられるのである。Padmasambhavaによるこの<光の人間>のイメージには、グノーシス派やマニ教による<光>や<光の人間>の強調が反映していると考えられる。この<光の人間>の輝きは、広大な宮殿を描写する言葉、すなわち「snang(照明)」や照明の「gsal(放射)」の語で描写されることで何度も強調されている。この場合、それは人間の<照明>であり、すなわちその<照明の放射>が人間自らによる<照明>であり<放射>であること、さらには人間自身にその原動力がありその効果であることを示すために「rang(それ自身の)」の語が付け加えられることでそのことは確かなものとされている。<光の人間>とそこに住んでいる広大な宮殿に同じ言葉が使われているのは、それは人間<自身の>光における現象であること、なおかつ人間<自身の>光り輝く世界であることを示しているのである。そうとはいえ、こうした輝きはいずれにしても理念化された輝きには違いない。<光の人間>として理念化され、<広大な宮殿>として理念化されているのである。けれどもそれはそのように理念化された輝きとして、光の体験として、私たちの内奥の(始原的)地層が発するものであることを示唆しているのである。逆に言えば、私たちのうちに何かしら明確に輝くものが実体化されるような感覚を誘い出すのはこの<光の人間>なのである。そして、その感覚は最終的には、私たちが目前にする生きた身体の、その励起する(神経現象)に触れるものである。<光の人間>を描写するのに、「ngang-dangs」と「kun-rig」の語が使われているが、それぞれ「その性質において光り輝くこと」、そして「全てにわたって励起している」と解釈されている。Guentherによれば、「この<身体(人の物質的図式・配置/ゲシュタルト(形態形成)>は輝いたものとなって自らを超えて放射する傾向がある。この輝きは励起の現象と結びついている、もしくはより正確には全体的なものの励起性と結びついている。…Padmasambhavaの思考において全体的なものは宇宙的であろうと個人的であろうと<認識的>であるがゆえに、この全ての励起および励起性は、(宇宙人類的な)全体的なものが超意識的な脱時的強度へと向かう成長である」とされ、Padmasambhavaが<認識力>の励起によって人間の進化的展開を考えていたと説いている。すなわち、身体感覚に基づいた<光り輝く>感覚、すなわち神経生理の励起感覚、そしてそうした感覚を認識することには人間の方向性が明確に示されているのだと主張する。

こうした人間の方向性を示唆するという意味において、Padmasambhavaが説く三層世界はまたプロセスに伴う何らかの時間的な地平を表しているとも考えられる。たとえばPadmasambhavaは、「非存在の<始まり/最も上の水平線>は原型的父の仕方でそこにあり、非存在の<終わり/最も下の水平線>は原型的母の仕方でそこにある。非存在からの分離もしくは非存在の排除は、<始まり/最も上の水平線>であるものと<終わり/最も下の水平線>であるものとが不確実であることを解決する唯一の息子である」(sNang-srid kha-sbyor/「現象世界との結合」)、と述べている。<始まり>や<終わり>の語は時間的な意味合いをもっているが、それに対応するチベット語「thog-ma」や「mtha’-ma」の語は、「最も上の」水平線とか「最も下の」水平線といった空間的な意味合い、もしくは強度の持続する領域の意味合いをももっているようだ。つまり、「thog-ma」や「mtha’-ma」といった時間を示す語は、時空的な強度を孕む概念を示しているのである。そのことは、「始まり」や「終わり」という時間概念を示そうとするよりも、その<中間平面>、始まりと終わりの間にある時空的な平面には強度、すなわち方向を孕む運動があることをつねに認識することを要請しているように思われる。Padmasambhavaのような生の<プロセス>に関心を向ける思想家にとって、<プロセス>には始まりも終わりもない。宇宙の始まりと終わりに関する疑問よりも、「私たちはどこから来てどこへ行くのか」という、<プロセス>というよりも、<プロセス>を意味づける現在の方向性、その方向性を働きかけている力が重要な主題であったのである。この主題はおそらくザラスシュトラの思想にまで遡るとても古いものである。

宇宙という全体であるものと人間との関係は、全体と一部という関係でなく、<人間−宇宙的>な<プロセス>を意味づける者が<人間−宇宙>を体験するという意味で、相補的なものとして考えられている。それゆえ<観察者>が<プロセス>の体験者としてこのプロセス構造に不可欠な局面となっている。<観察者>とは生の<プロセス>を観る(感じる)者である。<観察者>は息子(人間/khye’u)であり、全体であるものの強度としての原型的父、その無限の子供として自身を<感じて>おり、そしてまた、全体であるものの拡張として原型的母、その無限の可能性の子供として自身を<感じている>。こうした三位一体的内容は前に述べたような強度の光をめぐるヴィジョン的体験によるものであるが、それはグノーシス主義における一神論への還元的傾向と異なり、Padmasambhavaの方向性を孕む進化的思考は、三位一体のヴィジョンを生の<プロセス>に伴うものとして観るのに、三者各々が各々と絡み合って成立しているという相補性の原理にその土台を置いているのである。

(上位平面)と母(下位平面/現象世界)があって、父と母から子が生まれるということは、現象世界が<上位平面>をヴィジョンにもつことで<中間平面>を考えることができると言うことである。この三つ組はそうした機能によって三者相補的なのである。この父と母と息子(人間/khye’u)の三つ組については次のようにも言い換えられている。「無始の時よりそこにある全体的なものの最も類い稀な力能は原型的父の仕方で今そこにあることであり、無始の時よりそこにある全体的なものの全てを包み込む偏在性は原型的母の仕方で今そこにある。原型的父母の放射する輝きは思考・意味を生み出す輝きであり、それは唯一の息子としていま生まれている」(sNang-srid kha-sbyor)。ここで注目すべきは無始の時よりそこにあるものが現在働いているということが強調されている点である。すなわち、この三つ組構造の基で働く純粋な潜在力は前存在的なものであり、それゆえ<非存在(med/でない)>として語られ、この<非存在性>がいかに私たち自身の前活動的な現実としてあるかを理解することができるのである。例えば、ここで語られている「放射する輝き(‘od-gsal)」は、全体であるものの「輝き(’od)」がまさに「放射する(gsal)」ところであるという意味で、未だ仮想の放射なのである。それは<世界>として解釈される輝きが何であれ、未だそこに存在すると感じさせるものの<放射>ではない。これと同様にして、「思考と意味を生み出すもの(chos-nyid/dharmaのチベット語訳)」は潜在力もしくは可能性であり、そのことはすなわち、「思考と意味を生み出すもの」がそこで思考・意味が存在理由をもつことにおいてそれ自身を構成する「場(dbyings)」としてあるということである。こうした意味において<場>とは<象徴>を懐胎する次元なのであり、そこにも<非存在(med/でない)>の考えが通底している。このようにPadmasambhavaの父と母と息子による三位一体的イメージはグノーシス派やキリスト教の救済的な考えである聖三位一体を彷彿とさせるが、その構造は<非存在>をめぐるものであり、それゆえそこには救済的な考え方を一切欠いている。それに対して、実践者自身の最も類い稀な能力であり、<それ自身になる能力(rang-bzhin)>による<象徴>の具体化に言及されているように、実践者としての<体験>がその人を通じてその人の内部で<象徴>が働くための役割を果たし、進化の方向付けをすることになるのである。この場合、「象徴(ka-dag)」とは意味が懐胎される<純粋>相を言い、それはそうした意味で<非存在(med/でない)>の現象なのである。この「ka-dag(純粋な)」は「lhun-grub(根源的に純粋で、自ずと自己完成を遂げている)」と分離できないものと言われている

また「非存在である<始まり/最も上の水平線>は全体的なものの開示と表出を続けさせ、非存在である<終わり/最も下の水平線>は全体的なものの力動的な働きに伴う誤った同一性から刺を取り去り、そして非存在からの分離・排除は意味を普遍的な連関として輝かせる」(sNang-srid kha-sbyor)という三つ組の<非存在>の主張と共に、Padmasambhavaは結果として起きるこの世界プロセスを因果の連鎖という実質的な現象の連なりとして捉えるのではなく、現象世界は人間にとって想像的で体験的な能力を提示(開示・表出)するものであり、そうした提示の力動性を感覚することにおいて、人間にとって<人間−宇宙>になるプロセスとしての「(意味の)普遍的な連関」、すなわち<世界/中間平面>が立ち現れるとみなしているようだ。このように<中間平面>は、非存在の<上位平面>と<下位平面>との重なりを認識することによってその<プロセス>的な意義が浮かび上がらされているのである。そのため、<中間平面>には後に述べるように<ラマ(bla-ma/倫理的債務)>という指標が与えられている。

「象徴(ka-dag)」は意味が懐胎され、そこには全く汚染がないという意味で<純粋な>相のことを言うが、その心理現象は<中間平面>特有の働きとして具体的には私たちの神経生理現象に及ぶものであるとも考えられる。というのも、例えば「ye-shes(始原的認識)」の「ye」は始原の時を意味するが、そのことは必ずしも時間的に始原という意味ではなく、ヴィジョンの体験において象徴が懐胎される、比喩的に<始原的−純粋>な働きと考えることもできる。同様にして、「ka-dag(象徴懐胎)」は根源的に純粋という意味で、人の神経生理が現象する域と言ってもいいだろう。その体験は視覚的なものであるのみならずそれが感覚的なものであるのは、神経生理に及ぶ働きであるからである。つまり、心身的な働きを土台にした心身的な現象なのであり、それは単に理念的/精神的なものではない。そしてヴィジョンは<象徴>に固有の純粋さという意味で全体的なものを顕し、人の心身的な全てを解放(kun-grol)するのである。かつてそして今も、宇宙すなわち私たちの身の周りの環境世界はこうした<象徴>を生む条件に満ちあふれている。真っ青な空、光り輝く太陽や月、キラキラ光る水晶玉のように、それらのうちに示されるものはすべて、善いものとして解釈される輝きであろうと悪いものとして解釈される輝きであろうと、薬であろうと毒であろうと、そこに存在し、存在するのをやめようとはしないが、それ自身における全体性は意味が生まれている次元という意味で<象徴>に固有の純粋であるままにあるのである。だから、全体であるものの強度/エネルギーもまた<象徴懐胎>する原動力のうちに固有の純粋なままにあり、それはいまだ私たち人間の五つの原型構造(五つの始原の仏陀)による美へと高められることがないし、また私たち人間を阻止する五毒によって堕落することもない。精神的に無知という汚染なしで、また精神的な始原的認識モードなしで、全体であるものの強度/エネルギーは<象徴>に固有の純粋であるままにある。このとき、自ら<照明>するものを<解釈する>ことで体験者/観察者が重要な役割を果たしている実際の現実(提示)において、現象世界として体験されるものにおける全体的なものが自動的に提示されていることにもっと特別な注意が払われるべきなのである。全体であるものの自動提示を人間自らの原動力の<照明>として語ることは、<光の資質>をもって体験される心身的プロセスについて、いわば神経現象学的に描写されることになるだろう。その<光の資質>は、存在にとっての潜在力をそこに伴い、その可能性を分配することで自らを表現する前存在的な光について私たちが観察することができる貴重な一面なのである。というのも、そこに<中間平面>があるからである。

ka-dag」や「kun-grol」の語は名詞を修飾する形容詞でなく、むしろそれらは副詞により近いと言われる。それゆえ、そこには体験行為から抽象化され得ないベクトル的な感情の調子を伴っている。それらの語は生の体験そのものから離れては意味がない。そのプロセス的な性格のゆえに、<体験>は徹底的にダイナミックなものであるのだから。例えば「kun-grol(解放)」についていえば、その意味は体験プロセスそれ自体から抽象することはできないと言われる。全体が閉塞されることで課されている制限が何かしら倒壊すると感じられる全体(kun)の解放(grol)は、束縛から解放され、それゆえ体験者を支配するものが緩められるように感じられるという。この解放される感じと体験者を支配するもの全てが緩められる感じは次のような発言に集約されている。「(1) 緩められの頂点と体験者による現象世界の溶解は、そこから意味が生まれる輝き、その純粋な次元の達成である。(2) 緩められの頂点と体験者による現象世界認識の溶解は、未生である究極的な<象徴の懐胎>の達成である。(3) 緩められの頂点と体験者の精神的基盤の溶解は、無である究極的な深さと広がりの達成である」。「kun-grol(緩められ)」による現象世界の溶解に伴ってそこには現象世界についてのいかなる認識もない。というのも、「未生である究極的な<象徴懐胎>の達成」に伴って、体験者の精神的基盤は計り知れない深さと広がりのうちに溶解するからである。こうした体験が何らかの意味として抽象化されることはあり得ない。そこには「深さと広がり」というベクトル的な感覚/感情があるばかりだろう。

 Padmasambhavaが使用する仏教用語はPadmasambhava自身によってそれらの意味が詩的に唱えられているが、それら意味と意味の要素は用語間で互いに絡まり合っている。言い換えれば、「ka-dag」と「lhun-grub」が分離できないように、その言葉たちは前理解へと誘い出し、人の潜在力に焦点を当てようとするものであって、何かしらの意味を限定するものではないようだ。「ming-med」は「名前がない」という意であるが、それについては、「何かが生まれる前、そこに始まりがある。/この名前のないところから、全体的なものが自らとそして全てと一致する、(そのような)全体的なものの公平さがある。/(いっぽう)理解の光線としての機能性の分岐が輝く/が、(それらは)休息する場を見出せないで自らの土台である存在の渦のうちに身を沈める。/存在の理解を通じて確信する人は/この始原的な存在の散逸と開示(sang-rgyas/仏陀)の状態にある」(sNang-srid kha-sbyor)と言われている。名はそれだけで存在を与える働きをする。その存在は自らの土台である<存在>の渦のうちに解消される性格のものであり、そこに名前の次元はない。とはいえ、「私たちの実存的現実としての全体的なもののエネルギーは/それはこれであると指摘できる何らかの対象物ではないが/それは直喩の仕方(説明的な事例)で指摘出来るだろう(snying-po don-gyi gnas-lugs de mtshon-pa'i yul-du ma-gyur kyang re-zhig dpe-yi sgo-nas mtshon)(sNang-srid kha-sbyor)。「現実そのもの」や「私たちがそうである現実」という二重の意味をもつ「don」に強調を置くこの一節は、「Nyi-zla'i snying-po」の中では三つ組を伴うものとして以下のように詳しく説明されている。それらは、「1) その深さと広大さにおいて決して何ものとしても存在していない私たちの人間性の<前構造であるもの(chos-sku)>、2) この前構造が<光り輝く(ngang-dangs)>ものとなり、自ら始まりとなり、輝き続けるそうした配置展開、3) この前構造が自ら輝き<光の童子(khye'u-chung)>として私たちが象徴的にイメージするものであり」、それは光の宮殿の中にあり光の宮殿と分かち難くあり、意味が生まれ、意味が立ち現れるのに輝く全体次元である。「ming-med」は<中間平面>にあってそうした「ka-dag」の<純粋>相に焦点を当てることになるのである。そして次の段階において「gsang ngag(mantra/真言)」の実践が、意味の立ち現れに輝く「象徴的にイメージされる」体験を実現させようとするのである。

このように、Padmasambhavaは三層世界を提示することによって、<下位平面/現象平面>に<上位平面>を対照させることで<中間平面>を提出し、その新たな平面の意義を描き出している。それによって<人間−宇宙的>なプロセス過程である<中間平面>において「bla-ma(ラマ/倫理的債務)」が<上部平面>からの要請として機能し、また人は 「ming-med(名がない)」の認識から「gsang ngag(mantra/真言)」によってその要請内容を<中間平面>における「ka-dag(象徴懐胎)」作用によって実現させるのである。このとき<象徴懐胎>は、<人間-宇宙的>なプロセスを生きるという観点からすれば、外部世界は人間内部特有のベクトル的強度(潜在力)を抱えている、そう解釈されていることが分かる。

 グノーシス主義−マニ教では罪の観念と罪を犯すことによる堕落の状態が唱えられてきたが、Padmasambhavaによればそれは理解の仕方によって生じる状態であると考えられたようだ。したがって、理解から前理解へ、名付けることもない状態へと向かうことで、グノーシス主義−マニ教特有の二元的な問題を解消しようとする姿勢がそこに垣間見える。仏教においては輪廻と涅槃という現実が感じられるのは理解と無理解による。無理解は輪廻のうちにあるが、自らのうちに存在を認識するという理解があるとき、人は理解を通じて確信(前理解)を感じることで輪廻の道に迷うことはない。それゆえ、「存在は壊れることのない全体的なものであるが/それは全体的なものの散逸と開示と呼ばれるもの(sangs-ryas)についての認識である/それが意味するところは、母と子が不可分であることは根源的な散逸・開示(ye-sangs-rgyas)であるということにある」(sNang-srid kha-sbyor)。この「sangs-ryas」についての認識はその「散逸・開示」という意味からして前理解的な認識に他ならない。そうした認識を条件にして、Padmasambhavaはここで<母と子の不可分性>について、存在におけるはっきりとした人間的な局面を与えている。それは言うならば、私たちがそうであるところの存在であり、私たちが今体験しているところの存在である。<母と子の不可分性>とは、母を母とするのは子であり、子を子とするのは母であるという、相補的で共に不可欠な一体化を意味する。<中間平面>はつねに<下位平面>としての現象世界と一体であるという考えがそこに強調されている。

 

    チベット文字はサンスクリット語を表記するDevanagari文字を参考にしてつくられたが、そのチベット文字をローマ式アルファベットで表記(Wylie方式)する際にはその発音はアルファベット表記に準じないことを述べておく。例えば、「sems-nyid(心そのもの)」は「セム・ニィー」、「cho-nyid(存在そのもの)」は「チュー・ニィー」、「sangs-rgyas(仏陀/散逸・開示)」は「サン・ギェ」と発音する。