Wednesday, December 14, 2022

Lahore日記 The Diary on Lahore

 三 パンジャブ回廊

 7 Padmasambhavaの宗教 二

 

前にも述べたように、ガンダーラ地方からいくつかのHariti(訶梨帝母/鬼子母神)の石像が発掘されてきた。Haritiは仏教の文脈で語られるが、それはもともとYakshiであったという。Yakshiとは古代インド世界にみられるYaksha(精霊)の女性形で、アーリア人にとってYakshaは異質なもの、すなわち外来のアーリア人からすれば土着的で敵対的な存在であり、Vedaの神々を讃えるアーリア人にとってみれば未開なものと考えられた。そうした敵対的で未開的とみなされた出自が「子供を食らう」というHaritiの在り方を暗に正当化したのではないかと考えられる。しかしそうではなく、もともと母神的な存在であったのが仏教者によって見下され、精霊的な存在へと格下げして区分されたとも考えられる。アーリア人の侵入以前から、すなわちハラッパ文明にまで遡る古代インド世界では地母神的であり精霊的存在でもあるという未分化な存在/力が認められていた。それがVeda信仰や仏教といった新たな信仰のうちにYakshiと名付けられて精霊として取り込まれた、それゆえそうした仕方で遺る存在となった、そう考えることもできるだろう。そうとすれば逆に、Hariti/Yakshiはもともと精霊/地母神的な存在であり、古来よりそれ自体で独自にインド世界に広範した存在だったと考えることができるだろう。具体的に言えばそれは、ハラッパ文明の印章に特異な女性像が刻まれたものがあり、そうした存在と繋がりがあると考えられる。たとえば、印章に描かれたその女性像には樹の精霊であったものが段階を経て野獣の虎と身体的に合体し、最終的に頭部に角をつけた姿で表現されるという変遷が見られる。すなわち、そこには女性精霊的な力から地母神的な力へと女性の力の広がりを示すような過程がすでに見られるのである。

精霊とは一般に、草木や動物、また無生物や人工物を問わず、それらのひとつひとつに宿っているとされる超自然的な存在である。Yakshiは森林などに現れるとされる精霊であり、そこで財宝を守る役割をする、それゆえ豊穣をもたらす存在/力と考えられるようになっていた。森には様々な貴重な植物が存在していた。例えばAshoka(菩提樹)Yakshiと密接に関連する樹とみなされるが、その樹はハラッパ文明の印章に刻まれ、さらにはその樹が女性精霊に崇拝されている画を刻んだ印章もある。Ashoka樹は当時から特別な扱いをされていた樹であったことは確かである。その詳細は分からないが、ハラッパ文明では聖樹と一体化した女性精霊が何らかの理由ですでに信仰されていたようだ。

Hariti像の中でもことにSwat出土の像には様々な意匠のものがあるが、それらはYakshi像としてはインド的な表現と異なるものである。インド的表現は女性の多産性を強調し、裸形でエロス的な面を際立たせているが、Swatのものはこう言ってよければ慎み深く、その地方の様々な衣装に身を包まれている。そうしたHaritiの意匠はギリシアの女神Tycheとの類似を示していると言われる。Tycheは都市の繁栄と運命を司る女神であり、ギリシア美術ではコルノコピアを持ち、子供を抱いた姿で描かれる。おそらくそうしたTycheの意匠がギリシア的仏教文化の影響によって北西インドに伝えられたのだろう。Haritiの名は「Hara/奪う」に由来すると思われ、言うまでもなくその名は「子供を奪う」という文脈で仏教に取り入れたことから来るもので、また女神として子供を抱えた像が多くあるのもそのためである。とはいえ、その像の表現の多様性からして、Haritiという存在をめぐって様々な信仰と文化がその周縁を取り巻いているという状況が伺われる。すなわち、Yakshiという精霊的な力を保持したままの地母神的な存在を経由してHariti女神へと展開されるに至った、そう考えられるのである。言い換えれば、Swatにおける仏教信仰によって精霊であり母神であるHaritiをめぐってその深層的な内容が逆説的なかたちで取り込まれることになったのではないかと考えられる。つまり、精霊から地母神へと展開されるベクトルがありその逆はありえないが、地母神的なものは精霊的なものを抱えながら広範な地母神的な存在となっている。そこに精霊的なものの質的な変化があることは否めないが、地母神という全体的なものは、そこに精霊的な力という微細な運動をつねに含んでいることを見落としてはならないだろう。

 

Kushan帝国時代のガンダーラ地方はHariti信仰の中心地だった。Kushan帝国は貨幣経済を推し進めたが、その時代にMaitreya(弥勒)信仰やAmitabha(阿弥陀)信仰などの<救済>信仰が北西インドに広く流布するようになった。貨幣経済の推進と<救済>信仰の出現は重なっている。そして、Hariti信仰もその流れに同調するようにして生じたようだ。七世紀にガンダーラ地方を訪れた義浄(635713)は仏教寺院に据え付けられたHariti像に食物が供されるのを見てその由来を聞き、そのとき説明された内容を書き記している。それによれば、「ある母親が前世で何らかの理由によりRajagrihaの全ての赤児を貪り食うという誓いを立てた。その邪悪な誓いの結果、彼女は自身の生を失い、Yakshiに生まれ変わった。そして500人の子供を産んだ。毎日彼女がRajagrihaの赤児を貪り食ったので、仏陀にそのことを知らせる者がいた。仏陀は彼女が最愛の子供と呼ぶそのうちの一人を連れ出して隠した。彼女は悲しみ方々を探したが、とうとう仏陀のもとでその子を見出した。仏陀は<あなたは最愛の子を失ったためにそれほど悲しんでいるのか。それも五百人のうち一人を失っただけで。あなたの立てた無慈悲な誓いによってたった一人や二人の子供を失ったものはどれほど嘆き悲しんだか>と言った。たちまち仏陀によって彼女は改宗し、五つの教えを受け、在家信者となった。<これから私の五百人の子供はどう生きればよいでしょうか>と彼女が尋ねると、仏陀は<尼僧が住む全ての寺院で、あなたの子供たちは尼僧たちが毎日供する十分な食事を共にすることができます>と答えた。こうした訳で、Hariti像がインドの全ての仏教寺院の入り口もしくは食堂の一角に立てられている。その像は腕に子供を抱きしめ、膝の周りに三〜五人の子供がいる姿で描かれている。毎日、たくさんの食物がこの像の前に供えられている。Haritiは天界の四人の王の従者の一人である。彼女は富を与える力をもつ。もしその体の弱さのために子供を産めない女が祈りを捧げ、食物を供えれば、その願いはつねに叶えられるだろう」(「南海寄帰内法伝」)という。また玄奘(七世紀)は、Peshawar北方のSare-Makhe-Dheriのストゥーパが悪名高いYakshi母が改宗したことを記念して建てられたと記している。

義浄によるHaritiの仏教改宗話から読み取れることがある。かつて地母神による生産性とそれに関連するカニバリズムがあり、それが一転して<富>を与える力へ、さらには女性の不妊を解消する信仰対象へと変化している。<富>は原始的生産性の基盤となる大地に代わるものであり、そこには貨幣的ニュアンスが忍び込ませられているようだ。Hariti信仰が興隆した時期に貨幣経済が交換経済に取って代わり、商品をあたかも食うかのように消費するようになった。またカニバリズムとYakshiの関係はアーリア人侵入以前の原住民が肉食であったことを思わせるが、<赤児を食う>という表現には何よりも死産や赤児が直面する飢饉や感染症などといった悲惨な状況が見てとれるだろう。そして、女性の不妊解消は女性の社会的立場に関わるものであり、すなわち不妊の解消により女性が置かれる社会的立場は安定し、そして女性としての象徴的な役割も一変することが読みとれる。またインド世界ではコレラや疱瘡等の感染病の名をもつ女神が現在に至るまで遺されているが、死をもたらす病が女神に託されていることがどういう意味をもつのかを考えさせる余地もここにはある。

次のような神話がある。「地下世界に住んでいた64人のヨギ(女性ヨガ行者)が月経時に海で沐浴していた。鷹の影がその経血に落ちると女の子が生まれた。ヨギたちはその子に男たちを食料として与えた。しかし、男たちはそのとき竹の空洞の中に不死の水を持っていたので女の子が食べた後も生き返ることができた。女の子がまたお腹が空くと、64人のヨギをMahadeoのところに行かせた。Mahadeoが不死の水を盗んだので、この世界に死がもたらされた」(Verrier ElwinMyths of Middle India1949)。インド中央部はハラッパ文明の衰退によって逃れて来た民族が移動してきた場所とも考えられ、森林地帯に住む部族の中にはハラッパ文明と共通する表現をもつものがあることが指摘されている。いずれにしても、この神話は女系社会が中央インドにあったことを物語っている。そして特に重要なのは、女性がこの世に<死>がもたらされることの契機となっているという点だ。このことは、女性は子を産むことによって<死>に触れていると考えられたからではないだろうか。「Mahosadha Jataka」には、「女が子供の体を洗おうと池に連れて行った。しかし、邪悪なYakshiがその子を盗んで食べてしまった」とある。むろん現在もそうであるが、かつては出産、赤児、死は、極めて明白な連鎖した現象と考えられていただろう。妊娠はめでたいことであるが、出産には母子の生命がかかっている。そして、そのことはもっぱら女性の心身を軸とする女性特有の事態なのである。

Haritiが一方で多産性を示し、同時に一方で赤児に死を与えるというのは、女性の心身を軸とする出産・赤児・死という明暗の現象をよく示している。しかし、仏教はHaritiを改宗させ、女神として扱うことで、Yakshi的な局面を封じ込めてしまったようだ。すなわち、YakshiとしてのHaritiに内在していた女性の心身をめぐる土着に根差した力強い象徴表現を封じ込めてしまったのである。とはいえ、Hariti像をめぐる多様な表現は、そうした封じ込めを半ば逃れているかのようだ。あくまでもYakshiとしてのHaritiは、女神としての仏教的倫理性とYakshiとしての精霊的な力という二重性を背負っている。二重性というよりは、そこには仏教的な観点からすれば、倫理をめぐる観念的な世界と、生と死の繋がりを喚起する微細な力の世界という次元の不一致性を抱えている、そう言っていいかもしれない。この不一致性をめぐる、あるいは対立からもたらされる感情/力が、Haritiを古代Sapta-Matrika(七地母神)と比較することを要請するのである。ガンダーラ地方のTakht-e-Bahiの南に位置するSahri-Bahlol出土のHariti像は特異なもので、三叉の槍を持ち四本腕である。Shakti()を表すその意匠からして、それはSapta-Matrika信仰と関係があるのではないかと考えられている。Sapta-Matrikaの表現はKushan朝からGupta朝にかけて確立されたといわれるが、その存在/力はすでにハラッパ文明の印章に萌しているとても古いもので、それはもともと原始農業と関係する大地母神信仰であったと考えられる。こうしたことからみても、Haritiは仏教に改宗したという文脈に取り入れられはしたが、それにもかかわらず、それ以前からの潜在的な力を有するイメージを人々に提供し続けたのは間違いない。

 

 Padmasambhavaがイラン系の出自であるとすれば、子を抱くギリシア母神のTyche像を当然知っていたと思われる。そしてその像が示す都市の繁栄・運命という象徴にも通じていただろう。イラン東部の中央アジアにはいくつものギリシア都市が建設されていたからである。またPadmasambhavaSwatの地と結び付けられていることから、Padmasambhavaが一時的にもSwatに滞在していたのは確実であり、そのとき仏教寺院のHariti像を見て、その表現様式がTycheのものでありながらもその内実は異なるものであることに関心を寄せたかもしれない。そしておそらく、Yakshi(精霊)であった地母神Haritiにまつわる生死の深層世界に触れたのではないだろうか。Haritiの改宗物語から読み取れることは、自然の力と深く関わる精霊が半ば超越的な母神となるが、その一方で自らの子の生死の局面に関わることで、子との関係をより深くする存在がそこに示されていることである。

 キリスト教では神の子キリストを懐胎したマリアの存在をめぐって論争がなされたが、西方世界に広まるにつれてマリア崇拝の根は信仰の土台として定着していった。いっぽう、異端とされ、東方に広がったネストリウス派はイエスの神性は受肉によって人性に統合されたと考え、マリアは「神の母」でないことが強調され、それゆえ教えにおいて超越的な母子関係という特殊性は希薄になっている。男性原理の強いグノーシス思想の影響下にあるマニ教では母子関係はソフィアの影に隠されていて語られない。こうした当時の母子関係をめぐる思想傾向にPadmasambhavaはよく通じていたと思われる。

 こうしたことから推測するならば、SwatPadmasambhavaHariti女神の伝承に触れることで、子と生死の関係にある母の世界を見出し、その関係の深層を探ることによって、<中間平面>としての子の位相と<下位平面>としての母の位相との関係という概念を生み出したのではないだろうか。母子関係の希薄な信仰環境からやって来て母子関係の概念を構築するには何らかの契機がなければならない。Swatには多様な信仰と文化がその周縁を取り巻くようにして母子関係が表現されたHariti信仰が伝えられていた。そして、Padmasambhavaはその信仰のうちに母子関係をめぐる歴史的深層を見ることができた。それゆえ、前述した<下位平面>としての母と<中間平面>としての子をめぐる世界観は、PadmasambhavaSwat仏教文化の環境に触れ、Hariti信仰を成り立たせている生死をめぐる母と子の関係という歴史的深層から影響を受けて展開されたと考えることができると思うのである。Hariti女神は超越的な存在でありながらも生と死に触れている精霊的な力を強烈に抱えている。言い換えれば、現象世界に浸りながらもそれを超越する要素として示されているのである。いっぽう、Padmasambhavaの三層世界では母と子の関係は相補的なものとして考えられている。その内容を繰り返せば、「存在は壊れることのない全体的なものであるが/それは全体的なものの散逸と開示と呼ばれるもの(sangs-ryas)についての認識である/それが意味するところは、母と子が不可分であることは根源的な散逸・開示(ye-sangs-rgyas)であるということにある」と「sNang-srid kha-sbyor(現象世界との結合)」に言われる。ここで「母と子の不可分性」について認識することは、人の方向性を示す根源的なヴィジョンであると考えられる。そしてその相補性は、母を母とするのは子であり、子を子とするのは母であるという共に不可欠な一体化を意味し、「全体的なもの」が現象世界の闇が散逸するところに開示される<中間平面>はつねに<下位平面>としての現象世界と一体であるという考えがそこに強調されている。そうとはいえ、母と子のこうした関係においてはあくまでも成長プロセスにある子が主体であるが、その主体は母という深層平面、すなわち子と生死の関係をもつ平面に支えられている、という考えにおいて相補的なのである。それゆえ、子という存在は母という深層平面を栄養にして育ってゆくのである。ちなみにPadmasambhavaは父と母と子の関係について次のように述べている。「思考の思考(sems-nyid)は原型的な父の仕方でそこにあり/始原のときよりそれは論証不可能である/思考・意味を生み出すもの(chos-nyid)は原型的な母の仕方でそこにあり/未生、未分割はその唯一の子として生まれる。未分割は根源的に不活発・闇・無知である」(sNang-srid kha-sbyor)と。人間の思考とその意味を生み出すものは母の平面においてであるが、そこに子は<未生>として生まれる。<未生>はそれだけでは「根源的に不活発・闇・無知」であると言われる。子は「母と子の不可分性」を認識することで、<未生>の闇が散逸し、子において人の方向性が開示されるのである。

 

しかし、こうした「母と子の不可分性」の認識に託された三層からなる世界観に対して、Padmasambhava「カンド・ニンティク」の内容はかなり異なっている。この点に関して、「カンド・ニンティク」という体験的成就に関しては詳細を述べることはできないが、ここでは「カンド・ニンティク」に関して、Padmasambhavaの「Ma-mo gsang-ba las-ki-thig-le(女性的なるものの秘密の行為の心滴)」という短く簡潔な作品を参照したい。この書はPadmasambhavaがチベットの首府ラサの南東に位置するサムエでチベットで最初の仏教寺院の建立に尽力した後にサムエ近くの修行場で著したといわれる。それによれば、はじめに「(空間性の原基である)<広がり>と<原初的知性>とが一体である68種類のダーキニーの最高者である、世界を快楽と共に進む女性の御心を、本性と方便と顕現からとらえることができる。本性とは菩提の精髄という意味であり、ブッダと有情共々の母であり、大楽と原初的知性とが生ずる場所をあらわし、(これを)女性的なるものの御心の心滴と言う」(「女性的なるものの秘密の行為、その心滴」中沢新一訳・セム第二号/1998より。以下同じ)とある。まず「ダーキニーの最高者である女性の御心」が「大楽と原初的知性とが生ずる場所」と捉えられている。そのことは、「思考・意味を生み出すもの(chos-nyid)は原型的な母の仕方でそこにある」(sNang-srid kha-sbyor)、と言われるのと意味するところは同じであるが、ここでさらに「(空間性の原基である)<広がり(dbyngs)>と<原初的知性>とが一体である」と言われるのは、それが「dbyngs()」を示しているからである。その<場>が「(空間性の原基である)広がり」と補足的に訳されているのは、<場>が「klong()」の状態にあると考えられているからである。<渦>とは渦巻的運動の意で、それは思考・意味を生み出す際の体験の強度を暗示し、そうした空間意識的な<広がり>を示すものである。すなわち、あらゆる現象がありのままにある状態から渦巻くようにして思考・意味というかたちを担ってくる運動がそこに働いていることを示している。したがって、「女性的なるものの御心の心滴」とは、そうした思考・意味を生み出す運動と、その運動以前のあるがままの状態を共に示し、それらは一体となっていることを意味していると考えられる。「dbyngs」とはそうした体験的な強度を示す<場>であり、具体的には<(渦巻的運動をする)広がり>を意味する。そして、そうした「klong()」の<場>に心/意識作用のエネルギーを融解していくための瞑想方法が次に説かれていく。その瞑想は、「(ここでの)方法は自身の身体と心に備わる五種類のエネルギーを、五族の憤怒の女神を瞑想しながら、上昇・下降・静止させるヨーガの技術によって、守るのである」と言われるように、ヨーガによる呼吸法が軸になっている。まず、「程度(tsad)と言われるのは、能力と(瞑想の)拠り所のことで、能力には上・中・下の三つあり、それぞれ一呼吸の間に、16回・8回・4回の上昇下降静止の呼吸法を行う。拠り所としては、三種類の透明さを用いるが(それらは)(女性神の)姿の観想・(真言の)発声・(三昧状態の)心に、透明さを生み出すのである」。身体を貫く呼吸管を上昇、下降、そして静止させる呼吸法を駆使しながら、マントラを唱え、女神の観想をすると、曇りのない意識状態がそこに生まれる。そうした<透明/輝き(gsal-ba)>状態にある意識作用を土台にして、「本行の瞑想の次第は、プラーナ=意識(rlung sems)を落ち着けることと、プラーナ=意識を統御することと、ツンモ(gtum-mo)の火を(脈管の)道に持ち上げることからなる」。「ツンモの火」については、H. Guentherの「The life and teaching of Naropa(1963)に、Naropa(10161100)の師であるTilopa(9881069)の教えとして、「神秘の熱であるお前の心の鏡を覗いてみよ、それこそダーキニーの在り処である」とある。それは意識の<鏡/透明状態>に立ち現れる<神秘の熱>であることが分かる。その<熱>は特にダーキニーに深く関連づけられている。次に、「プラーナ=意識を統御するのには二種があって、脈管(rtsa)とプラーナ(rlung)を本来の状態にもたらすことと、リクパ(rig-pa)(脈管の)道に入れることである」とあり、「ツンモの火」と同じであるが、「リクパ」が「脈管」に引き入れられる。つまり、「ツンモの火」はダーキニーの在り処であり、「リクパ」はダーキニーの顕れである、と考えられる。「脈管(rtsa)」については、「六つの<輪(hkhor-lo)>を重ねてできた三本の生命樹は、樹木のようにして成長し、上と下とに伸びていくことによって、身体のエネルギーを保つことを行うので、まさにこれが脈管そのものである」と言われる。「プラーナ(rlung)」については、「(これを)自在に扱えるようにすることと、(その力を)強く大きくすることと、鎮静化することと、圧縮することと、回転させること(この三つがプラーナと意識の結合をつくりだす)(プラーナを)滞留させないことが、プラーナを本来の状態に収める働きをする」と言われる。そして先ほどの「ツンモの火を道に持ち上げる」方法としては、「プラーナの輪から(心滴を放出させるのであるが、そのために)、ドルジェ(金剛)を包み込む赤い包みを弓として、これを激しく打って、知恵であり原初的知性である火の先端部から、出現した九つの心滴を勢いよく放つのである」。そして、「ツンモの火」を道に上昇させることの「必要は、勇気に満ちた五部族の、ダーキニーの集合するマンダラにおいて、原初より存在する真実そのものが、自ら燃え上がるのである」。その火は、「ヘールカの御心から、(自利の大慈悲が)変成したところの文字<フーム>として立ち上がり、<フーム>字は輪廻する有情たちの煩悩を浄化するが、これが他利を表している」。「ヘールカ」は憤怒の相をした神格イメージで、不壊の空性、大慈悲、大楽の一体化を示す。つまり、菩提心の頂点を示している。かくして「すべてのダーキニーの集合の、測り知れない海のように大きな心連続の全ての深遠な思考を集めた秘密の精髄が、(こうして)菩提心の埋蔵として隠されたのである」、と終えられる。

この短い教えの中に、そしてそれを実践したならば、身体と意識作用、それを繋ぐところの呼吸作用をめぐってそこに微細な運動がひしめいていることが分かるだろう。上昇、下降、静止、圧縮、回転、結合という運動、さらには脈管の<樹木>的成長、プラーナの<風>、ツンモの<火>、チャクラの<心滴>といった原物質の微細な運動が際立たせられている。とにかく瞑想においては、こうした心身をめぐる微細な運動を滞留させないことが大事なのだ。そうした微細な運動で渦巻く<場>をダーキニーが住処としているからである。

中沢新一の解説によれば、Padmasambhavaはサムエ近くのチンプの洞窟の中で「sGyu-‘phrul-drwa-ba(幻化網/Mayajala)」タントラ群の重要な書である「gSan-ba’i-snying-po(秘密精髄タントラ/Guhyagarbha-tantra)」に関連した様々な教えを行ったと伝えられているという。そして、この時期に著された「女性的なるものの秘密の行為の心滴)」という女神をめぐるこの教えの中で、「dbyings(dhatu)/場」の語に大きな意味を与えているという。ちなみにこの教えはMahayogaのクラスに属する教えであるとされ、つまりそれは「gSan-ba’i-snying-po」と同じ存在思想を表現しているという。「Ma-mo()dbyingsを住処にして、それと一体であり、しかもこのdbyingsは原初的知性とも一体である、と教える。パドマサンバヴァは、女性性という側面に焦点を合わせて、存在の本質について語り出そうとしている。dbyingsは空間性の原基をなすもの、何重にも広がりをもつもの、存在を包み入れ受容するもの、などという意味がはらまれている。人間の意識の働きが、それを三次元の空間とか時間の流れなどとして、意識の中で構成してしまう以前の、時空の連続体であり、主体によって客体として分離されてしまう以前に体験されている、存在の示す場所性のようなものを、この概念は示そうとしている」(セム第二号)という。そしてさらに、「dbyingsには後に空間の広がりとして体験されるような<広がりとしての界>という語感がはらまれている。この言葉を、パドマサンバヴァは空間性をあらわすもうひとつの言葉である<klong>とも関連づけようとしている。klongには、渦を巻いて運動をするダイナミックな力動をはらんだ空間性という意味があるから、この力動的な言葉と結合されることによって、dbyingsという言葉は、<内包的な強度をはらんだ場所性>というような意味をはらんだ、極めて強力な概念につくりあげられることになる。この力動的な内包空間こそが<母>の本質である、とパドマサンバヴァはこの著作の中で語るのだ」(同上)。要するに、体験的な意味を含む「dbyings」というその概念が存在の「母」として説かれ、この「母の界(yum-gi-dbyings)」へ自ら心/意識作用のエネルギーを溶け込ませ、そしてそこから産出する、そうした在り方をする存在の、その本性が説明されているのだという。

こうしてみると、こうしたヨーガの実践は、<中間平面>としての子が<下位平面>としての母の支えによって成長するという世界観と逆方向になっている感がある。子は成長して始原のときより論証不可能な<上位平面>の父の世界に向かうのではなく、いわば「母の界」に溶け込むのである。Padmasambhavaは考え方を変えたのだろうか。

 

PadmasambhavaはチベットでPadma Salという娘にニンティクの教えを授けたが、そのPadma Salは一度死に、Padmasambhavaの力によって蘇ったという話が伝えられている。つまり、娘は死後体験をしていることになり、それゆえ「カンドゥ・ニンティク」は死後体験と関係があると言われる。それ以前にPadmasambhavaHariti信仰を介して、母の<界>をめぐる死と生の相に通じていたと思われるが、いずれにしてもPadmasambhavaカンドゥ・ニンティク」を相承したということは、女性の心身を軸とする生死の現象に深く関わったことを示しているだろう。そうした関わりにおいて、死を含む「母なる空間」の思想があらためて生み出されたのではないだろうか。Padmasambhavaはもともと中東の大地母神信仰やマリア像について知っていたと思われるが、SwatHariti像はマリアがキリストを抱える像と似ているようだがその意味はまったく異なっていることを見てとったに違いない。そこには中東思想とは異なる他の要素が色濃く反映されていたのである。PadmasambhavaHaritiに、精霊という生と死の自然力をも含む「母の世界」という、そうした「全体性のヴィジョン」が重要視されているのを見てとったのではないだろうか。この「全体性のヴィジョン」に関して、H. Guentherは次のように述べている。「自然力であり気持ちを高める力としてのカンドゥマ(mkha'-'gro-ma)は精神的かつ物質的である生命力の表現である。このことは<水(精神的なものと本能的なものの二重の流れをもつ雨)>と<火(私たちの知覚と単に再現前的思考の慣習的パターンが積み重なった不純物を焼き尽くす)>の象徴性によってよく知られている。<水>も<火>も共に等しく目に見えるものという性質がある。<水>は比喩的に言えば、存在におけるいまだ差異化されていない全ての潜在力の源であり、<火>は差異化されない状態との繋がりを保持した差異化されたものにおける潜在力である。<目に見えるもの>、それを私たちがどんな仕方で考えようとも、それ理解するためには<目に見えないもの>を必要としている。このことは、私たちが人間になる一押しの際にエネルギー化する力として働く<風>の象徴によって与えられる。このエネルギー化する力は脅えとして『感じられる』。というのも、それはありとあらゆる自己満足に死をもたらすからである」(The Teaching of Padmasambhava)

水や火や風、そして光の運動は精霊力の源である。水や火や風の運動が重層的に現象するところに精霊がその力を顕す。水は雨となり、大気中の微細な分子となって渦巻いている。火は生きとし生けるものの内部に必ずやエネルギーとなって渦巻き、燃えている。風は微細な水の渦と火の渦を貫き通し、そこに重層した新たな運動を生じさせる。そして光は重層的に運動する分子状態のうちに虹のような超自然的な現象をもたらすのである。Padmasambhavaの示したヨーガの実践によれば、瞑想状態の<渦>が<滞留>させられることで人間による主客の世界が形成されるのだった。それに対して、微細な分子が重層的に渦巻く事態、それが精霊という力が展開される世界ではないだろうか。森の精霊は森という環境、すなわち森特有の水と火と風と光が連動して運動する環境によって生じる。山の精霊も山特有の水と火と風と光の連動する環境によって生じる。精霊とは、空気の流れや温度変化、光の強弱によって感覚に変化が起き、目の前に思念が具体化されるような現象が起きる、そのことである。例えば柳の下の幽霊がある。柳は水場を好み、そのため木陰に水分子が渦巻き、その樹下に立っただけで冷やっとする。夏の夜であれば風がもたらす枝葉の微妙な揺れ具合に誘われて薄暗がりに幽霊が忽然と姿を顕すことになる。心に不安を抱える者の目の前にそれに相応した像が現れるのである。このように、精霊とは人の心的表象力が周囲の微細な分子運動と交感するようにして生み出されるもののことである。そのため、精霊の方からすれば、外部を遮断した人の内部だけでの完結を否定することになる。それゆえ内部だけでの完結に執拗にこだわる者には死の恐怖をもたらすのである。精霊は人に死の恐怖をもたらすいっぽうで、周囲の微細な分子運動と交感することで自己完結を解いた慈悲深い人に<富>を与えるのである。

Padmasambhavaの「カンドゥ・ニンティク」を完成させたLonchen Rabjampa(13081364)は、瞑想中にあらゆるダーキニー族の女神が出現するという体験をしたといい、それを貴重なものとしている。このダーキニーの顕れは周囲の微細な分子運動が精霊となって顕れたものであり、それはすなわちLonchen Rabjampaの心身エネルギーと交感するようにして顕れたヴィジョンではないかと思う。母なる<界>という女性原理への注目が、外部の自然の微細なエネルギーである精霊力を身心的なものの内に映し出すのである。Lonchen RabjampaPadmasambhavaの言う「母の界」について知っていた。それゆえ、その源泉が自身の心身エネルギーであり、女性原理としてのその顕れを喜んだのである。いっぽう、中国で密教・真言乗を習得した空海(774835)Padmasambhavaと同時代でありながら女性原理に注目することがなかった。帰国後、高野山に籠もって修行し、地・水・火・風の自然の四元素のエネルギーに触れていながら、ことさら女性原理に注目した跡が窺われないのは、当時の中国世界に女性原理について考えさせる思想的土台がなかったせいだろうか。それに対してPadmasambhavaが女性原理をその信仰の核とすることができたのは、青年期に東西の思想が交わる都市的な自由な環境で知識を得たことに由るのに違いない。そしてSwatを経由することでインド世界の女性原理をめぐる生死の局面を受け継ぎ、精霊のエネルギーが溢れるチベット高原でその教えを理論化させることができたのである。Padmasambhavaは考えを変えたわけではない。自身の心身のうちに「母なる空間」を見出したのだ。仮定の積み重ねではあるが、Hariti女神の起源を遡ることでYakshiの精霊性、自然の運動力に辿りついたと考えることで、Padmasambhava母なる<下位平面>を子の内部へと、すなわち現象世界全体としての外部を内部に映し出すことで、その教えを体験的に深め、その理論化を果たすことができたのではないか、そう私は考えるのである。

 

インドのデリーに滞在した最初の夏に、ヒマラヤ山岳地帯であるHimachal Pradesh州のKeylangに行った。保養地Manaliからバスに乗ってRohtang(3980m)を越え、Chenab河渓谷にかかる橋を渡るとKeylangの集落がある。パキスタンのパンジャブ地方を流れるChenab河にこんなところで出会うとは思いもしなかった。KeylangChenab河に流れ込む支流Bhaga河に沿ってできた道路沿いに並ぶバザールがあるだけの小さな集落だった。しかし、その周囲の小丘にはいくつもの小さなGompa(瞑想所)があった。とても良い香りがして、噛むとスパイシーな味がする草がある」。茎の皮をむいて食べるのだそうだ。そう教えてくれるKeylangの人の顔つきは、インド人とチベット人の血が混ざり、血の混じり具合によって顔つきが異なり、かなり混沌としている。「これは何ですか」をLahaul語で「Dwu thi shu」と言う。私の耳にはそれがパキスタンの山岳地帯に通ずる言葉に聞こえた。道路沿いの深いBhaga河渓谷の向こう側に立つKardan Gompaに向かった。まず道なき道をいっきに下り、渓谷の底にかかる吊り橋を渡る。そこから岩だらけの急な坂を上るがジグザグ道で距離があり、道のないところをいっきにGompaまで上がることにする。渓谷の落差は五十メートルは優にあると思われた。乾燥した気候のせいか喉はからからになり、また空気がやや薄いせいで心臓はどくどくと破裂しそうだ。ようようGompaの建物に至り、正面に立ってしばし手を合わせて黙祷する。心臓が高鳴り続け、いっきに心が放たれるような感覚に襲われる。どこからか尼僧が現れてGompaの扉の鍵を開けてくれる。中に入って参拝してもいいようだ。建物の内部に入った途端、壁面いっぱいに描かれた極彩色のマンダラとバター・ランプの匂いに触れていっきにからだ中に生暖かい感覚が押し寄せて来る。マンダラのねばつくような赤色のせいだろうか、血の流れるどくどくとした生暖かさだ。この血の流れるような生暖かさに私は生け捕りにされてしまった。身体に胎児のイメージが重なって、私はそのイメージのうちに溶けてしまうようだった。しばしの間血の生暖かさの体験に浸った後、扉を開けてそのままGompaの外に出る。目の前の渓谷をふたたび見下ろすと、周囲の乾いた外気がきらきら光るのが目に飛び込んで来る。光り輝く大気の粒子がひゅるひゅると運動し、光の粒子が渦を巻いているようだ。いまし方の血の生暖かさの体験が私の目に光の粒子となって顕れているのが私には分かった。尼僧を探したがどこにも見当たらない。昨日訪れたShasur Gompaにも尼僧がいたが、Gompaは尼僧が管理するものなのだろうか。目の前の坂道を下り始め、先ほどは渓谷をいっきに底まで下り、そしていっきに上がって来たが、ふたたびいっきに下って行く。そしてまた部落まで上がって行く急傾斜の道がある。不思議と足取りが軽く、身体が解けたようになって疲れはいつの間にかなくなっているが、ただからだが熱を帯び、火照ったようになって、その火照りがいつまでもおさまらない。

いま振り返れば、(精霊という)自然エネルギーの顕れと瞑想所内部との関係は、いわば身体の内に外を<映し出す>ようにしてその関係が設定され、そうしたプランによって瞑想所内部がつくられていたのではないかと思う。