Monday, May 13, 2024

Lahore日記 The Diary on Lahore

三 パンジャブ回廊

  12  ʿAlam al-Mithal:能動的想像力の世界

 

その日はひどく疲れていた。前日から今まで経験したことがないことの連続で神経がまいっていたせいだろうか。モヘンジョダロの遺跡を見るためDokri駅のRetiring Roomで夜が明けるのを待ち、辺りが明るくなってから駅舎を出て歩き始めた。片側に木立が並ぶ真っ直ぐの地方道だった。早朝の道には人の姿はなく、周囲には建物の影もない。しばらく行くと進行方向の遥か先にこちらへ向かって来るものの気配がある。最初は黒い点のようなものだったのが見る間に二匹の犬が駆けて来ると分かった。あっという間に二匹の大型の野犬に行く手を阻まれ、いきなり吠えかかられた。獰猛な顔つきをしていた。どうしたらいいか何も考えが及ばぬそのとき、今まで気づかなかったが、駱駝が引く荷車が背後にすぐそこまでやって来ていた。動物は自分より大きい生き物を襲わないと咄嗟に考え、駱駝の歩むその脚下にぴったりと身を寄せた。駱駝の蹴りは強烈だと聞いていたので恐る恐る身を寄せ、駱駝の歩調に合わせてゆっくり前進した。犬たちは牙を剥き出し、唸り声を立てるだけでそれ以上近づこうとしない。仰ぎ見ると駱駝の御者がこちらに向かってにやりと笑みを放っている。これで助かったと思った。パキスタンでは乳幼児が野犬に食べられるという事例があることを知っていたからである。犬たちは私を追うのをやめて駅の方に走り去って行った。

それから早朝のモヘンジョダロ遺跡を見て廻った。早朝とはいえすでに陽は高く、さらには遺跡の乾いた泥が陽射しを反射し、天からも地からも強烈な陽射しに苛まれる。他に遺跡を見て廻る人影はなく、辺りは不気味な静寂に包まれていた。「Mohenjo-daro」とは「死者の丘」という意味であるのを想い出した。有名なストゥーパが立つ丘に向かって歩き始めるといきなり頭上から鳥に襲われた。カラスのように嘴が大きく鋭い鳥である。丘に向かって歩み出すとまた襲って来る。それも顔というか目を狙って襲い来る。執拗な威嚇を感じ、それ以上前に進むのを断念せざるをえなかった。強い陽射しのせいで何かしらの抵抗をする気力も萎えていた。

陽射しを避けるようにして付属する博物館に逃げ込み、展示物を観て回った後、待合のリキシャに乗ってDokri駅に戻った。もう午後になっていた。それからどう時間を潰したか覚えがないが、夕方六時、Shahbaz QalandarUrs(祭礼)に行くという巡礼者たちに誘われて一緒に台座だけの貨物列車に乗り込み、Dokriを発ってSehwanに向かった。無賃乗車だった。すぐに陽は沈み、夜の闇に晒された。夜風に直に煽られ、停車すればどっと全身から汗が吹き出る。それでもUrsに行くというのでみな一様に陽気な声を上げ続け、その雰囲気に易々と自分も呑まれていった。Sehwanの駅に到着したのは真夜中だった。宿が見当たらないので駅前の道端で寝ることにする。大方の巡礼者は聖廟のある方へ行くようだが、西も東も分からず、道端で横になる人もいるのでそうすることにした。真夜中も過ぎてやや冷えた砂混じりの風が吹き抜け、しかし地面は昼間の熱射で暖まっている。寝心地は悪くない。その後も巡礼者が続々と駅から吐き出されて来るのを地べたから眺めつつ、熟睡を避けるようにして眠った。

夜が明け、砂混じりになった体を起こすと、巡礼者がひっきりなしに目の前を通って行った。駅前の茶店が開いたのでチャイを飲んで人心地つき、それからLal Shahbaz Qalandarの聖廟へ向かった。狭く込み入った市場を抜けると行く手に聖廟の大きなドームが輝くのが見えてきた。参道はすでに巡礼者でごった返している。聖廟の敷地内に入り、聖廟の建物に通じる回廊に足を踏み入れると、若い女たちが衆人の前で恥ずかしげもなく踊っている。狂ったように踊り続け、踊りながらエクスタシー状態に陥っているようだ。その様子を立ち止まって見る術もなく、人から押されまた人を押し込むようにして廟の内部に入ると、それっきり身動きがとれなくなった。ただ人波の動くままに聖廟内を移動した。墓を納めた格子状の構造物まではとても行き着けそうにない。その構造物の脇に人波が打ち寄せ、人で盛り上がっているところがある。見ると、高い天井から吊るされたものに触れようと誰も彼もが腕を伸ばしている。銀色に輝くもので、「qalb」と発する人声からそれが「心臓」であると知った。人みな聖者の心臓に触れようとありったけの力で腕を伸ばし、それでそこだけ人波が盛り上がっているのである。その光景を私は呆然と見つめるばかりで、実際それがはたして何なのか近づいて確かめようとする気すら起こらなかった。

廟の外に出ると猛烈な暑さになっていた。人波に押され続けてからだは火照り、喉もからからだ。耐えがたい暑さの中でも次から次へと押し寄せる巡礼者で混雑する聖廟の敷地から逃れ出て、人気のない崩れかけた旧城砦の荒地を通り抜けると知らず知らずのうちにインダス河の河岸に出たようだった。猛烈に喉が乾いていた。渡しの上から小さな水流を下に見ながら歩いていると、人が河の水を汲んで飲んだらいいと言う。その声に素直に従い、河縁に降りて流水を手で掬いそのまま飲んだ。インダス河の水は黴臭く鼻についたが、喉にすっと通り、たちまち喉の渇きが癒された。その人影のことがいまでも気にかかる。いまでは定かでないが、それは人だったのか人影だったか、それとも河面に映る影だったか。

 

イスラーム世界で「偉大なる導師(Shaikh al-Akbar)」と呼ばれるIbn ‘Arabi(11651240)は、その主著

Al-Futuhat al-Makkiyya(メッカ巡礼)」の中でKhidrに出会った体験を述べている。一度は北アフリカのチュニスに滞在していた時のことである。満月の明かりが照らす暖かい夜だった。Ibn ‘Arabiは港に係留された小船の船室に行って休もうとした。真夜中に何かしらの不安が彼を眠れなくさせていたのである。船の舳先に行くと船員はまだぐっすり眠り込んでいた。すると、海上の方から何かこちらにやって来るものが見えた。水の上を靴も濡らさずに何者かが彼に近づき、少しのあいだ話をした。そしてすぐに引き返し、山側の洞穴の方に去って行った。そこは港から数マイルも距離がある遠いところだった。翌日チュニスの街で見知らぬ聖人がIbn ‘Arabiに話しかけてきた。「やあ、昨夜はKhidrと何かあったかい」と。

Khidrとは水に縁がある謎の人物である。<人物>と言っていいか分からないが、預言者エリアと共に描かれた細密画では人の姿で描かれている。またクラーンのSura章ではモーゼのガイドとして語られているという。Ibn ‘ArabiはこのKhidrの弟子であることを自覚していた。

もう一つの機会はイラク北部のティグリス河沿いの町Mosulでのことだった。バグダッドに束の間滞在した後、Ibn ‘Arabiはスーフィーの師である‘Ali ibn Jami’の評判に魅せられてMosulまで足を伸ばした。師はKhidrから「khirqa」、すなわちスーフィーのマントを<直接に>与えられたというのである。師はMosul郊外に所有する庭園に住んでいて、そこで彼の師であるQadib Albanの同席する前でKhidrが彼にマントを与えたという。実にKhidrとの共同作業と言っていい出来事が、‘Ali ibn Jami’の身に起きたのである。そして、まさにその場所で、Khidr‘Ali ibn Jami’にしたようにして、今度は‘Ali ibn Jami’が同じ作法でIbn ‘Arabiにそのマントを与えたのだという。Ibn ‘Arabiによれば、彼にとってこうした機会は初めてのことではなかった。それ以前にも間接的に、すなわちその祖父がエジプトでKhidrからマントを与えられたという友人からそのマントを与えられたことがあったのである。こうした<間接的>なマント授与であっても、Khidrとの関係をIbn ‘Arabiはとても貴重なことだと考えていたようだ。「このマントは我々同じ志をもつ者にとってのまさにシンボルであり、我々が同じ霊的文化を共有し、同じ精神の実践を共有していることの徴なのである」と記している。このようにマントの授与儀礼はそれがKhidrの手から直接授与されたか間接的に授与されたかに関係なく、Khidrという霊的存在と関係をもち、Khidrの霊的状態と一致するという効果をもたらすと考えられていたのである。

Khidrが何がしかの霊力をもった存在であることははっきりしている。このKhidrをめぐって、上に述べたようなその独特な存在形態についてアンリ・コルバンは「Alone with the alone(1998)」の中で検討している。「もしKhidrを元型(archetype)と呼ぶならば、Khidrはそのリアリティを失い、知性による産物ではないにしても、それは空想の産物になってしまいかねない。そしてもしKhidrを実際の人物として語るならば、Khidrとその弟子との関係と地上の他の霊的人物がKhidrともち得る関係との間における構造的差異を私たちはもはや特徴づけることができなくなるだろう。この場合Khidrは数的に一つのものであるが、一人一人が協力してその熱烈な感情を共有することが困難な関係をもつ複数の弟子たちと向き合っているのである。…Khidrという人物は単なる元型の図式へと解消されはしないけれども、(弟子たちにとって)Khidrという人物の存在はKhidrを元型へと変容する関係において体験されているのである。もしこの関係自体を現象学的に示そうとするならば、<元型>と<人>という二つの基本的な語に一致する状況が求められるだろう。このような関係は、Khidrが同時に元型であり人であるものとして体験されることを意味している。というのも、Khidrは元型であり、そしてKhidrという人物と一体でありまた(その霊的状態と)一致しているということは、(弟子たちが)代わる代わるKhidrである者において自分自身を例示するという複数性と矛盾しないからである。…Khidrの各々の弟子たちとの関係は元型がもたらす関係であり、もしくは元型化がなされる人物において成立する元型化された関係なのである。こうした関係が同時にその人物と元型であることを可能にさせ、各人にとって師である人物が同一でありまた別人であるということを可能にさせるのである。というのも、その師である人物は弟子をもつ度に何度も自らを元型化し、その役割はといえば、各々の弟子に彼自らの弟子であることを明らかにすることだからである」。

Khidrは現実の存在ではない。かといってKhidrに関わる人たちがみな夢を見るようにしてKhidrに関わっているというわけでもないようだ。Khidrの存在は各人において現実に知覚されている。とはいえ、元型として知覚されているのだという。正確には、「元型へと変容する関係(元型化される関係)において体験されて」いる。言い換えれば、Khidrは現実に存在する人物ではないが、Khidrに自らが抱く元型化作用において関わる人たちには、各人にとって様々に知覚されるような仕方で存在しているのである。その際に明確なのは、Khidrというその存在の知覚は各人がKhidrの弟子であることを望む状況から生じているということである。そして、Khidrの存在を知覚する際に重要な要素の一つが、ここではマントという道具である。それが「Khidrの弟子」であることを実際に証する物品であるからである。それゆえ、そのマントの授与に関してはKhidrからの<直接的授与>か<間接的授与>であるかは問題になっていない。Khidrが授与したマントという物品を介してKhidrにまつわる霊的状態を共有することができるとされている。Ibn ‘Arabiが語っているように、一つの物品が複数の信者に霊的関係を生じさせる<徴>となっているのである。したがって、まずKhidrのマントという物品をめぐる特別の知覚があり、そこに付随するようにしてKhidrという存在の知覚が生じるという経過があることになる。言い換えれば、マントという聖なる物品を知覚することでKhidrをめぐって「元型化される関係」の体験が生じ、「Khidrの弟子」であることを改めて自覚することになる。そして、この「Khidrの弟子」であると自覚することがKhidrという存在を知覚する、それと同等な体験として示されている。

現象学的分析としながらも非常におかしな状態に言及しているが、それはもっぱら中世の文献を現代的な方法を介して分析しているからに他ならないと思われるけれども、それのみでなく、アンリ・コルバンがこの地点から、Ibn ‘Arabiが唱導する「'alam al-mithal」に言及しようとしているからであるように思う。「'alam al-mithal」とは文字通りには「想像(イメージ)界」もしくは「<象徴>界」と訳されるが、コルバンによればそれは「能動的(創造する)想像力の世界」を意味する。

 

この'alam al-mithalについて、アンリ・コルバンは「Mundus Imaginalis or the Imaginary and the Imaginal(1964)」の中で、「アラビア語で<'alam al-mithal>と名付けられているその用語は、おそらく<元型の世界>と訳すこともできる。そうすれば曖昧さが避けられるだろう。というのも、それはアラビア語でプラトンのイデア(ゾロアスター教の天使学に関するSuhrawardiによる解釈)を指示するために使われるのと同じ語であるからである」と述べている。とはいえ、「この語がプラトン的イデアを示すとき、それはほとんどいつもイデアの正確な資格を伴っている。すなわち<プラトン的光の元型(mothol iflatuniya nuraniya)>をである。いっぽう、この語が(天上の)第八番目の層の世界を示すとき、それは個人もしくは単独のモノの元型的イメージを専門的に指示している」という。Ibn ‘Arabiが「'alam al-mithal」の語を使用するとき、それはプラトン的イデアというよりも、「個人もしくは単独のモノの元型的イメージ」を体験する世界のことを示しているようだ。その点についてKhidrの体験を例にとって改めて考えてみたい。ちなみに「元型」とはカール・ユングが提唱した分析心理学の概念で、人間の集合的無意識に存在する普遍的で代々受け継がれた考えや思考パターン、もしくはイメージ等の形成過程に関して言い表す用語である。心理学的に「本能」に対応させたこの「元型」は、異なる文化や社会を横断して様々な物語や神話、夢等に現れる、人類に多くの共通するテーマやシンボルの基礎となるものと考えられているが、正確にはその在り方は、「元型は、その定義からすれば、心的要素を一定の(元型と呼ぶべき)イメージに、ただしつねに結果から初めて認識することができるあり方で秩序づけようとする要因とモチーフである。前意識的に存在し、おそらく心一般の構造的支配者であり、母液の中に結晶格子が目に見えない形で潜在的に存在しているのに例えることができる」(カール・ユング「心理学と宗教」1989)とされる。要するに、「元型」と呼ぶべきイメージがあるのではなく、それはイメージの形成過程から遡って初めて認識される心的機構を指し示しているのである。

 Khidrがマントと共に語られていることからすれば、マントという物を知覚するのと同じようにしてKhidrは知覚されているはずだ。そうさせるのは、彼らがKhidrに対する熱烈な信仰を抱いているからに他ならない。信仰は時には通常の感覚を超えて知覚を発揮するが、それでもそれは感覚と共にある。というのも、人は現実をめぐる感覚を駆使することによってしか現実を超えた感覚世界を知覚することができないし、そうした体験もありえないからである。信仰深い者には、あくまでも感覚を通じて、現実を超えた感覚世界を知覚する体験が意図せずに起きるのである。言い換えれば、彼らにあっては感覚を処理する知覚の在り方が変容しているのである。熱烈な信仰が通常の感覚を超えるようにして知覚作用を発揮するのは、それが個人的な意識から解き放たれた状態の知覚を呼び起こしているからにちがいない。彼らはつねづね個人的な意識から解放されようとして<元型的イメージ>に触れているのである。そしてそのことが、現実を超えるようにして感覚世界を知覚し、すなわち<元型的イメージ>に向けてより能動的な想像力が呼び起こされ、それによって知覚は変容し、そこに広がる知覚と超感覚的な世界に生きるようにさせるのではないだろうか。ここでは特定的に言えば、「元型へと変容する関係」の世界に生きようとさせるのである。そのとき、彼らにとってマントは<元型的関係>を呼び起こす具体的な物であり、マントに顕れる聖なるイメージとKhidrの弟子であるという認識が結びつき、そこに<元型的イメージ>が超感覚的に知覚されることになる。このことは、元型を<像>という言葉で説明するのは、元型そのものは力動作用としてに現れるのであり、意識は、作用の結果生じる心の変化を認識できるだけで、元型そのものは意識できないためである。元型が心に作用すると、しばしばパターン化された<イメージ>または<像>が認識される」(Wikipedia)という現象に沿っている。こうしたことから、Khidrの弟子であるという認識が「心」に能動的な想像力としての「力動作用」が現れる、いわば'alam al-mithal(能動的想像力の世界)を駆動する一つの条件になっている、そう言っていいかもしれない。

とはいえ「元型」は近代的概念であり、<元型的イメージ>をめぐって能動的な想像力が働くことによってのみ'alam al-mithal」を説明できるわけではない。'alam al-mithal」の世界は例えば次のように述べられている。「それは一方では八番目の層の東方地域であるJabalqaの町について述べている。そこでは三つのイメージが、前から存在し、感覚世界以前に定められて残っている。しかし他方では、この語は、自然の地上世界にいた後そこで聖霊が見出される世界もしくは<間世界>としての西方地域であるJabarsaの町について、そこでは私たちの思考、私たちの欲望、私たちの予感、私たちの振る舞いといった達成された仕事すべてのかたちが存在している世界としての西方地域であるJabarsaの町について述べている。'alam al-mithalを構成するのはこうした構造である」(Mundus Imaginalis or the Imaginary and the Imaginal)と。それは私たち現代人の認識とはあまりにかけ離れたヴィジョナリーな世界なのである。彼らにおいては感覚作用や本能を処理する知覚が現代人とは全く異なる仕方で機能している、そう考えた方がいいだろう。例えば、「mundus imaginalis(想像力の世界すなわち'alam al-mithal)におけるかたちと様態は、この身体世界における経験的現実と同じ仕方では存在しないことを知っておくべきだ。そうでなければ誰にでもそれは知覚されることになる。それは純然たる知性によってのみ理解できる世界では存在しえないことも記しておかなければならない。というのも、それらは延長と次元、そしてまた感覚世界のそれと関連してはいるが、実際にはそれら独自の<身体性>と空間性である<非物質的>な物質性をもつからである」(同上)と言われる。その世界を知覚するにあたっては独自の対物質感覚が働くだけでなく、その知覚をもたらす様態さえも異なっているのである。すなわち、「その世界は<微細な身体>の世界であり、そうした考えはもし人が純粋な霊と物質的な身体と間の関連を表現したいと思うならば不可欠であることが分かるだろう。その様態が<宙吊りになっている>と言われているのはこのことを指す。すなわち、イメージもしくはかたちがそれ自らによるそれ自身の<事態>であるがゆえに、そこに出来事の仕方で内在するいかなる基層からも独立しているという様態である」(同上)

 こうした「'alam al-mithal(想像力の世界)」を最初に提示したのはイラン人で照明学派(Ishraqiyun)の祖であり、いわゆる「東方神智学(Hikmat al-Sharq)」を唱導したShihab al Din Yahya ibn Habash Suhrawardi(11541191)であると言われる。新プラトン派の思想やザラスシュトラの思想に通じていたSuhrawardiは、「第一に純粋叡智体の世界が存在する。これがJabarutの世界である」という。Jabarutはいわば神的な世界であるが、その下にMalakutの世界があり、これが'alam al-mithal(想像力の世界)」に相当する。それは純粋な光の諸存在による叡智的な世界と感覚的世界との中間に位置しており、この世界を認識する固有の器官/心的機構が能動的想像力(khayal f’aal)であるとされる。またこの<世界>は西方の哲学概念であるプラトン的イデアの世界とはその成り立ちが異なり、それは諸形相と「吊るされた」諸イマージュ()の世界であると言われる。このことは、これらのイマージュ()が、例えば黒い色が黒い物体に内在するように物質的な基体中に内在するのではなく、それらが鏡に映る、いわばアラビア語固有の表現である「吊された(mu’allaqah)」映像のように、自らの姿をあらわす<鏡>である「神的顕現の場(mazahir)」と共にある、ということを意味している。つまり、その世界では諸形相は鏡に映る像のようにして顕れると同時に、そこには神的作用が顕現する<場>が生起している、と考えられているのである。それゆえ、その<場>は人知を超えた感覚のあらゆる豊かさと多様性を見出しうる世界であり、天上の霊魂と人間の魂の世界であるMalakutの扉にあたる、現存し自立する精妙な形相とイマージュ()の世界であるとされる。Suhrawardiによれば、天上の霊魂は形相を得るべく地上の人間の想像力に向かって旅し、その結果、形相は人の想像のうちに現れるのだという。そうした意味において、「吊された」ないし「懸けられた」形相の世界、あるいは精妙な形相ないしは「'alam al-mithal(想像力の世界)」とも呼ばれるこの仲介的世界は、感覚的世界と原型(prototype)の世界(天上世界)との中間に位置づけられている。このようにSuhrawardiは、私たち現代人にしてみればいわば本能と感覚と知覚とが総動員されたヴィジョナリーな(中間)世界をイスラーム世界に初めて明確なかたちで提示したのであった。

Ibn 'ArabiはこのSuhrawardi の学説をシリアからアナトリアにかけて巡礼した際に聴き知っており、それ以前のKhidr体験と通底するその学説を自らのものとしたと考えられる。というのも、Ibn 'Arabiは偉大なるスーフィーの導師として生きたが、むしろこの'alam al-mithalと呼ばれる<中間世界>の只中で生きようとした人であるからである。すなわち、不断に創造する神顕現の<場>に関わることで、自らに立ち上がる能動的(創造的)想像力を体験し、その体験を吟味するようにして生きたのである。こうした'alam al-mithalと呼ばれる<中間世界>に立つ観点からすれば、Khidrの弟子を自覚するIbn 'Arabiとその同胞にあっては、Khidrは鏡に映し出されるようにしてその<場>に「吊された」形相として知覚されていた、と考えられる。とはいえ、繰り返しになるが、鏡もしくは金属という物質的な実体はイマージュ()がそこに出来事として在るというイマージュをもたらす実体ではなく、それは単にイマージュ()が見える場にすぎない。それゆえ、これらのイマージュ()は物質的な基体中に内在するのではなく、それらが鏡に映る、いわば「吊るされた」映像のようにして自らの姿をあらわす神的顕現の<場>をそこに生じさせていたということになる。すなわち、そこではKhidrの弟子たちの創造的想像力を介してKhidrのイマージュ()が顕現する<場>が共有されていた、そう考えることができるだろう。このことはイマージュ()がどうあるかというよりもむしろ、「mazhar(神顕現の場と顕現形態)」という考えについて注意を向けさせる。

 

この「神顕現の場と顕現形態(mazhar)」という考えは、'alam al-mithal(能動的想像力の世界)がシーア派の独特な考え方を反映していることをも示している。シーア派の思考が目的とするのは、神的な啓示が孕むすべての隠れた意味、その精神的意味が十全に顕示されることにある。そのことを代表するのがイマームである。イマームは神的顕現そのものに他ならない。そしてその顕現形態をめぐっては、mazharの語がたえず鏡の現象との比較に立ち返っているように、顕現の形態と<場>を重要視している。つまり、鏡の中に現れる像は決して鏡の本体中に具現するものとはみなされない。それは鏡の本体に内在するものではないからであるが、しかしそこには「tajalli(神の顕現)」があり、自らの姿をあらわす神的顕現の場(mazahir)を生じさせている、という顕現形態をである。イマームにおいてもそのような仕方で神的顕現が起きているのである。tajalli」の語は、神の顕れ、隠れたものの開示を意味し、何よりもそこに開示される仕方の明確さ、明確な手続きを言い表している。神が自らを具体的なかたちで明らかにする、そのプロセスを示している。言い換えれば、隠蔽された状態もしくは潜在力の状態から、輝き、明白に明らかにされる状態へといった顕現が展開される在り方を示している。そこに神による不断の創造行為がある、創造行為が顕れている、そう考えるのがシーア派の思考である。そして、その<場>に働くのは人の「始源的な想像力の活動である。相関的に言えば、私たちの内部にその同じ想像力、それは<空想>といった世俗的な感覚における想像力ではなく能動的想像力(quwwat al-khayal)もしくはImaginatrixであり、もしその力がないとしたら、私たちが自身を示すものの何もかもが明らかにならないだろう。ここで私たちは、回帰性の創造、すなわち瞬間から瞬間へと更新される運動と、止まることのない神顕現的な想像力、言い換えれば存在の持続的な継続をもたらす神顕現が継続しているという考え(tajalliyat)との間の繋がりに遭遇する。この想像力は、覆われ続けることによって隠れたものを明らかにすることができるがゆえに二つの可能性に従っている。それは蔽いである。この蔽いは不透明になり、私たちを閉じ込め、偶像崇拝の罠に捉えることになる。しかし、それはまたますます透明になることもあり得る。というのも、その唯一の目的は神秘家にありのままの存在に関する知識を得させることである。すなわち、救済のグノーシスであるゆえに届けられる知識を得させることである」(Mundus Imaginalis or the Imaginary and the Imaginal)

このように神顕現的な<場>に働く能動的想像力は両義的な力であり、それは透明性を伴う力でなければならない。そうでなければ人は偶像崇拝やファンタジーに陥り、かたちの世界の内に閉じ込められてしまうからである。透明であるということは個人的意識から解放されることで霊的なものを呼び込む状態にあることであり、そうであることによって古代から連綿と説き続けられてきた「ありのままの存在に関する知識(グノーシス)」がその<場>に開示されることになる。そのイマージュ()が「鏡に映し出された」ようにという例えは、能動的想像力が非物質的で霊的なものを映し出すその透明性を示しているだろう。さらに言うならば、能動的想像力は知性のみが関わる力ではない。それは<心臓(qalb)>という霊的器官を介して発揮される。言い換えればその想像力は、「心臓に映し出された」神の創造行為の顕現なのである。「もし創造が神聖なる神顕現的な想像力として理解されるならば、神秘家は想像力という組織器官を通じて世界ともしくは中間世界とどのようにコミュニケートするのか。能動的想像力によって知覚される出来事とは何なのか。それはどのように存在を創造するのか、いわば存在をはっきりと示すのか。こうした疑問は<微妙な生理学>のモティーフを導入する。その中心は<心臓>である。<心臓>はそこに創造的で精神的なエネルギー、すなわち神顕現的なエネルギーが集中される焦点である。そこでは想像力自体がその組織器官なのである」(同上)

脳はもっぱら意識による対象化作用として機能する。それに対して心臓は血流を身体の隅々にまで送る生命作用として機能している。そうした意味で心臓は生命の中心器官であると言える。心臓は脳のように意識作用として働かないが、血流と私たちの感情には密接なつながりがある。例えば不安の感情は心臓を高鳴らせる。こうした知見から、東洋世界では<心>は瞑想する際に体感される生命エネルギーの中枢点(chakra)として考えられてきた。その中枢点は実際の心臓という臓器と照応するわけではないが、あくまでも生命の中枢器官として体感されている。そうした意味で、<心臓(qalb)>は中枢点に実際にあるわけではないが、中枢点として映し出されるmirror器官であると言えるだろう。この<心臓>は「latifah nuraniyah(光でできた精妙な器官)」とも呼ばれ、あらゆる認識可能なものの精神的真実(haqiqah)をそこに集める本性的能力をもっているとされる。心臓はmirror器官であると同時に感情を統御する生理機能であり、さらにはそこに真実の蒐集能力があるというという観点から、Ibn ‘Arabiは「himma」を強調している。それは心臓に神経集中することで発揮されるヴィジョン力であると言われる。

こうしたことから、qalb(心臓)>はいわば、人の生命エネルギーを能動的想像力という心的機構へと供給する架空のポンプである、そう考えることができる。コルバンが言う「Imaginatrix」というのはそのような意味であろう。そしてそのImaginatrixは、<心臓>という「光でできた精妙な器官」において働くがゆえに愛で満たされている。愛こそ、対象化する働きである脳とは異なり、<心臓>から発する不滅のエネルギーである。宇宙のすべてを包摂する愛のエネルギーを基盤にした能動的想像力は、愛が十全に供給されることによってますます透明性へと開かれたものとなる。'alam al-mithalの世界は感覚作用を基盤にするその成り立ちからして人の欲望を土台にして出来上がっていると考えることができるが、そこには個人の欲望という局面は極度に薄れている。というのも、そこには神への愛、愛を供給する<心臓>の力、すなわち個人の欲望を個人の限界を超えて拡張させようとする力が働いているからである。それゆえ、Khidrの弟子であることを自覚する<場>は神への愛で満たされているはずなのだ。

<心臓>は神顕現としてのイマージュ()が映し出される受動器官である。そして、人の受動は神の能動である。それゆえ、<心臓>によるヴィジョンはその体験を対象化するのではなく、ヴィジョンの受動者はそれを世界()と一体化されたものとして体験することになる。そのようにして、ヴィジョンは自身を世界に対して開く働きをしているのである。そしてそのような意味で、能動的想像力は魂が霊的なものに向かう乗り物なのである。それと同時に、そこには<微妙な身体>を感覚するための統合された身体生理機構が働いていることも忘れてはならない。そうでなければ、Khidrのイマージュ()を人の具体的な知覚の産物として映し出すことができないからである。

 

初期キリスト教の中にはキリストの霊的な面を強調する派がいくつかあった。「キリスト仮現説(Docetism)とは、その種の一派が説くイエスの身体性を否定する教説を言う。つまり、イエスの人としての誕生、その行動、そしてその死は、人間の目にそのように見えただけであったという見解である。こうした見解からすれば、イエスの周囲では、使徒たちがキリストの姿を、行った奇跡を、磔にされたその死を、鏡に映るイマージュ()を見るようにしてその<場>を共有していたということになるだろうか。イエスとイエスをめぐる奇跡の<場>、そうした神顕現の<場>を使徒たちは能動的想像力を働かせて共有していた、そう考えることもできるだろう。おそらく神的なものが顕れる<場>の共有現象が様々な形態で古代にはあったと考えられる。例えば「gveda」の神々を讃えたsihたちの現象がある。神々が顕れる<場>の共有という形態がなければ、「gveda」として遺された詩の朗唱の<場>も成り立たなかったはずだ。こうした共有現象に特徴的なのは、天上的なものと地上の物質的なものとは全く性質が異なるという考えがそこに反映されていることである。古代中東世界ではことにグノーシス主義が説く霊魂論が広範していた。グノーシス主義では物質的(肉体的)なものと霊的なものとが対立的に捉えられており、前者は悪と考えられ、両者は相容れない存在であると考えられていた。 このような考えからすれば、イエスが神であるならば、神が悪である肉体をまとうはずがない、すなわち<受肉>することはない、という教えが生まれることになっても当然である。そうした教えからすれば、神的なものは地上に形をもち得ないがゆえに、その顕現の<場>が能動的想像力を駆使する者の間で共有される、という形態へと展開されていったにちがいない。

しかし、神的なものが人々の前に顕現する<場>があるというこうした教えはカソリック教会の設立によって強く否定された。そして、キリストに関する全ての教えは教会制度のうちに一元化され、それ以外の教えは異端とし論駁されたのである。カソリック教会によれば、神はキリストに<受肉>した。そのことを説明するのに神と神の子と聖霊をめぐる複雑な論理が駆使されたが、一方ではそれ以来地上での神の顕現の<場>という考えは抑圧されてきたのである。

ここまで述べてきたように、イスラーム世界では神顕現説とヴィジョナリーな想像力の<場>は密接に結びついている。天上的()人間は決して地上に<受肉>しない。それは神顕現的な姿でもって地上に開示される。それをもたらすのは信仰者による能動的(熱烈な)想像力なのである。キリスト教において三位一体の理論と共に葬られたのは、この能動的想像力の<場>に他ならない。

'alam al-mithal(能動的想像力の世界)」とは、神顕現の知覚が能動的想像力という心身生理機構を駆使して達成される<中間世界>である。西洋では失われてしまったこの世界は、イスラーム世界では天使と魂がsyzygy()的な関係にあることを説くIbn Sinaの考えによっても保持されてきた。Ibn Sinaは、天使(=純粋知性)の<照明>なしには人間の知性は能動的に認識することができないとさえ説いた。こうした天上世界と地上世界の<対>概念は古くはマズダー教のダエーナーのヴィジョンによって知られるものである。この天上的なものと地上的なものとの繋がりは、人間に天界と地上界を結ぶ垂直的な方向性があるという構想を要求し続けてきた。それに従うのが能動的想像力という心身生理機構の働きなのである。それゆえそれは、歴史的(水平的)時間に沿って機能するのではない。

キリスト教の<受肉>の思考は神的存在が人類の歴史に参入してきたことを意味するが、それに対してシーア派が神顕現の思考を微細にわたりかつ慎重に論理展開させているのは、神の<受肉>の思考がもたらす歴史性(水平性)に陥らないようにするためでもある。例えば予言者ムハンマドという存在と永遠の<ムハンマド的真実>、つまり予言者その人をその顕現の<場>とするような(神的)人間との関係についてシーア派は、それがキリスト教の<受肉>の思想が示しているような神的なものの歴史への参入もしくは具体化ではありえないと主張している。それは、「顕現的機能(mazhariya)、すなわち<受肉>の作用をもたずイマージュ()を映す鏡の働きとする考えは、顕現によって示されたイマージュ()がつねに、心のためにしかなされぬ永遠のhaqiqa(真実)の諸属性と、信者たると否とを問わず全ての人々にとって可視的である外見的な諸属性とを区別することにある」(「イスラーム哲学史」)からである。したがって、神的顕現の諸形態の認識に基礎をもつ、現世の起源や終末に関するシーア派の構想は、一定の時に神が<受肉>し歴史の中に現れるとするキリスト教の降臨説と固く結ばれた到来観をもつ<歴史意識>とは完全に異なっている。このことに関して、仮にムハンマドが、七世紀ペルシアに存続していたキリストの本性(ピュシス)は神性と人性とに区別されるというネストリウス派の思考を知っていたと考えるならば、天と地上を結ぶ垂直性を表すキリストというこの観点は、ムハンマドにイスラームの唱導によってキリスト教による<歴史意識>に対抗して垂直的な方向性の構想を改めて掲げさせ、世界を天界と地上界の繋がりを要請する方向へとふたたび揺り戻そうとしたと考えることもできるだろう。実際、シーア派の思考形態はそのta’wilの方法と共にその時間概念は垂直性を軸にしてつねに始源へと遡ろうとするものである。またその分派であるイスマーイール派の時間概念がマズダー教的な巡回的なものであることは前章で述べた。

現代に生きる私たちは歴史的出来事を評価するに際して一定間隔の量的時間なしではやっていけない事態に置かれている。しかし、魂の出来事そのものは、その特徴的な時間は、質的に評価されるべきものである。というのは、歴史的時間においては過去と未来の<同時性>は不可能であると考えられているが、魂の世界、もしくは「'alam al-mithal(象徴世界)」における<個々の時間>においては可能であると考えられているからである。このことが、それが何世紀も離れても、年代的に<過去である>にすぎない師の同時的で直接的な弟子であることが可能であることを説明してくれる。Khidrの状態との一体感による同胞関係は歴史的時間に沿っているのではなく、目に見えるものと見えないものを繋ぐ垂直方向、言い換えれば地上と天上との垂直方向において達成されている。こうした同胞関係は、歴史的に連続する、歴史的に世代が継続する、歴史的に事象が関連するといった水平的な構想を、あえて地上と天上との垂直方向に向かう構想へと超えていくことを意味しているだろう。この垂直方向に向かう構想はおそらくあらゆる社会的絆や慣習を超え、さらには歴史的時間をも超えて神的な世界と直接的に関わろうとしているのであり、その意義はいわば超歴史的なままにあると言える。

中世の中央アジアではこうした超歴史的な意義を示そうとする神顕現の<場>はまだ生きていた。Nasir Khusrawの思想やIbn Sinaの天使論がそうである。Ibn Sinaの天使論は神顕現の<場>を土台にしている。この世界が創造主によって生み出された幻影であれば、それを解釈することが幻影の現象を乗り越える力となる。その力はactive imaginalis(能動的想像力)にある。能動的想像力があるからta’wil(霊的解釈)することができ、ta’wilがあるから<象徴>が生起する。<象徴>が生起するから人は目の前の世界(幻影)とは別に<象徴>世界の次元をもつことができる。この<象徴>世界はもう一つの次元(天界)を繋ぐ軸となり、そのことによって、感覚世界と叡智体の世界との「中間(世界)」、すなわち<天使>の存在を知ることになるのである。

イスラームに特徴的なこうした<仮現主義>はキリスト教の<受肉>主義に相対する考えなのである。けれども、南アジアにヨーロッパ勢力が進出し、その地に住む人々と社会を支配するようになって以来、<受肉>主義の考えがシーア派やスーフィーの<仮現主義>を貶めていったのではないだろうか。歴史意識と生産性を信条にして異民族社会を支配したキリスト教植民地主義者によってこの地域から<仮現主義>は一掃されてしまったようだ。二十世紀になってパキスタンというイスラーム国家が建設されたが、スーフィーが志向する<仮現主義>は形式的なものに堕し、その志向は現在行き場を失っているようにみえる。

「言葉は神がキリストにおいて、<ことば>として顕現したものである」、そうルターは言った。十六世紀の彼にはまだ神顕現の感覚があったようだ。十七世紀のヤーコブ・ベーメは自らが体験した神秘的ヴィジョンを基に思考を重ね、いくつかの書物を著し、その論理は後にヘーゲルをも注目させた。E. スウェデンボルグはイエス・キリストに関わる神秘体験をし、その体験について書き表した。カントは「視霊者の夢」の中で、「スヴェーデンボリの考え方はこの点において崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である」と評している。その後、「近代」という概念が、個人の内面に開示されるヴィジョナリーな世界を全面的に失わせてしまった。西欧社会にとって十九世紀は境目である。ボードレールは「近代性(modernity)」について、「時間的に先立つものの忘却あるいは抑圧」であると評した。資本制社会の到来が過去を忘却させたのである。