Friday, August 17, 2012

土方巽研究 二 <舞踏の表現形式について>


 二 物語・写真・配列

 舞踏家・芦川羊子は、「火気厳禁体として」(「現代詩手帖」1987年4月号所収)という文章で次のように語っています。

 何が舞踏的かと言いますと、踊りは踊るだけでは、なかなか外からからだが見えにくいので、土方巽は舞踏家が踊り始めると消えてしまう物語を、幾つも組み立てて踊りを作ってきました。一枚の写真を手に取る時も、この物語の側からの眼ざしで見ない写真は一枚もありませんでした。その時写真は舞台の記憶を離れて、幾つかの意匠を写し出した物語として出現します。その写真を一枚一枚丁寧に並べてゆくのは、もう一度踊るのと似て、楽しい作業です。こうして踊るときに消えた物語が再び組み立てられ、配列が決まると、また物語の意匠が消えて、写真の意匠がはっきりと見えます。このようにしてこの文章を組み立てました。

 ここに取り出したのは文章の最終部分であり、文章のほとんどは土方巽の言葉によって組み立てられています。土方の言葉とは、その多くが、土方が踊りの稽古をつける際に発した指導言語と言っていいものです。芦川はそれらの言葉の内容を扱うのではなく、かつて土方が発した言葉を新たに自身で組み立て、そうすることで、土方の発した言葉を支えているものをふたたびそこに立ち現させる仕方について、最後にいっきょに説明しているわけです。文章を組み立てる作業に伴うものがあって、それが「舞踏的」と言い表されているわけですが、それは踊ることとは異なり、反省的にしか示すことができない性格のものであるからでしょう。とはいえ、「舞踏的」と言われているように、ここには舞踏表現の成立過程といったものが示されているように思います。
 引用文を基にして、以下のような手順を考えることができます。

一)踊りだけでは、からだ(のアレンジメント)が外から見えにくい。
二)それゆえ、踊りをつくる際には、踊り手が踊り始めると消えてしまう物語を用意する。
三)たとえば、一枚の写真と共に物語が用意される。
四)その写真は、舞台の記憶を離れた現在においても、幾つかの意匠を写し出す物語として立ち現われる。
五)それらの写真を並べるのは、もう一度踊る作業に似ている。
六)こうして、踊るときに消えた物語がふたたび組み立てられ、からだの配列(アレンジメント)が決まる。
七)からだの配列(アレンジメント)が決まると、踊りを踊るときのように物語の意匠が消えて、写真の意匠がはっきりとそこに立ち現れてくる。
八)そうした仕方で、土方の指導言語を組み立てることができる。

 土方は、踊りの構成要素となる舞踏符をつくるに際して、まず素材を用意しました。そのうちの一つが「写真」です(それは様々な絵画作品の写真を含んでいます)。ここでは、最初はその写真が「幾つかの意匠を写し出した物語として出現する」が、「配列が決まると」、「物語の意匠が消えて写真の意匠がはっきりと」立ち現れる、と言い表されています。このことを、舞踏符がつくられ、そして振付けられるにいたる現場に沿って言えば、最初は、すなわち舞踏符をつくる際には、写真は「物語」としてそこに立ち現れているのですが、最終的に、すなわち振付けられた舞踏符を踊る際には、踊り手にとって「物語の意匠」と「写真の意匠」とが区別されている、ということになります。このことは、「意匠」をめぐるある種の変換過程がそこにあるとみなされているからではないかと思われますが、その変換の契機となる「配列」を、ここでは「からだのアレンジメント」と解釈しました。「からだのアレンジメント」とは、土方が舞踏符を振付ける際に、踊り手のからだに滲み入るようにして発せられる指導言語に応じて、踊り手のからだに具体化される神経の配列—関係設定というべきものがあるわけですが、そのことを指し示すこととします。
 何らかの「物語」を介して「写真—絵画」に立ち現れている意匠が、土方の言葉によって踊り手のからだに伝えられ、指導されると、踊り手のからだに配列—アレンジメントとしての意匠が立ち現れるのです。言葉を介して、「写真—絵画」から踊り手のからだへと移植されるような、「意匠」をめぐるある種の変換過程が舞踏符を振付ける現場で起きていると考えられますが、芦川の説明によれば、それはそれほど単純な過程ではありません。
 説明を繰り返しますと、まず「幾つかの意匠を写し出した物語として出現」する写真が目前にあり、その写真を並べることで「物語が再び組み立てられ」る。「意匠」はまだ目前にあります。このとき「配列—アレンジメント」を介することで(実際には舞踏符が振付けられ、舞踏符を踊ることで)、「物語の意匠」が消えて「写真の意匠」がそこに立ち現れる。このとき「意匠」は、踊り手において(むろん振付ける側においても)、両者へと差異化されていることになります。
 この「意匠」とは何か。辞書を繰れば、「意匠」とは「デザイン」であり、「工夫をめぐらすこと」とあります。それは何らかのかたちにおいて見えるものですが、その実、かたちとしてであると同時に、思考もしくは線として立ち現れているものでもあるのです。いわば、具体物のかたちを支えることにおいて際立つ抽象と言えるようなものでしょう。
「意匠」をめぐるこうした現象を、舞踏符が振付けられる現場に適用するならば、事情はかなりはっきりするのではないでしょうか。要するに、踊り手において「物語の意匠」と「写真の意匠」とが差異化されるとき、その「意匠」は抽象でもあり具体物でもあるものとして知られることになるのです。舞踏表現、すなわち踊りの内容として具体的に示されることになるのは、最後にはっきりと立ち現れるところの「写真の意匠」であり、それゆえ「写真の意匠」とは他でもない、舞踏者のからだにおいて具体的に際立つものであります。「写真の意匠」がからだにおいて際立つとすれば、すなわち、からだのアレンジメントとして立ち現れるのだとすれば、いっぽうの「物語の意匠」はある種の思考の線として踊り手のうちに際立っていることになります。そして、そのとき「写真の意匠」は、踊り手が個人として関わるところの単なる「配列—アレンジメント」ではなくなっているのです。それは「物語の意匠」が消えると共に立ち現れると言われていますが、その実それは、抽象ともいえる思考の線となった「物語の意匠」に支えられることで、踊り手の自己を解きほぐすようにして、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるのです。そうでなければ、舞踏表現は成立しないでしょう。
 こうして、最終的に踊り手のからだに際立つことになる「写真の意匠」、すなわち幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくるその線は、「物語の意匠」である踊り手の思考の線と重なり合いながらも、その次元がはっきりと区別されることになるのです。踊り手はつねにそうした二重の線に立ち会っているわけです。言い換えれば、「線が線に似てくる」と言われているような、自らの線が他者(死者)の線と重なり、おのずと差異化してゆくところで、踊りは成り立つことになるのです。
 それでは、最初は目の前にあった「写真の意匠」、すなわちその対象—線は、具体的にどのようにして、幾重にも抽象的な意味が付与された線となって踊り手のからだにおいて主体化されることになるのでしょうか。このことについて考える前に、舞踏符を実現するためにここで取り上げられている三つの要素、すなわち「写真」、「物語」、「配列—アレンジメント」について簡単に述べておきます。
 まず「写真」とは素材のことです。それは通常の写真であり、また絵画作品等を撮影した写真も含められますが、そうした写真が、舞踏符をつくる際に素材として利用されるわけです。素材となった「写真」は、たとえば「土方巽全集二」に掲載されている、土方の手になる「スクラップ・ブック」のうちに見ることができます。そこでは一つの素材を介して様々な言葉が抽出され、舞踏符を振付ける際の指導言語となっています。たとえば「火気厳禁体として」の文章には、

 粉の身体、腹に目玉、粉の平面で見たことのない馬を描いた少女、色彩が通過する粉体としての色、きりや、かすみや、もやや、けむりの身体。ぶれる、なだれる、ずれる、ぼやける、にじむ、かすむ、霧の酔っぱらいが、霧のなかを抜けきれない状態、非常に急速な吸気性の怪

といった土方の言葉が記されています。こうした言葉の内容に沿って、素材のかたちや質感等、ひいては素材から抽象される「意匠」が、からだで模写されようとするのですが、このことから、写真はそのまま素材となって恣意的に模写されるのではなく、いったん土方の眼を通すことで素材となっていることがわかります。
 次に「物語」とは、「一枚の写真を手に取る時も、物語の側からの眼ざしで見ない写真は一枚もありませんでした」と語られているように、それは素材を見る土方の眼ざしのうちにすでにあるものと言えるでしょう。それは素材を具体的な表現へと組み立て、かつ表現の内容を支えることになるものと考えられますが、踊りを支えるものでありながらも踊りにおいてはその「意匠」は「消えて」見えることがありません。たとえば「火気厳禁体として」の文章では、

〈千畳敷きの畳の上で、大の字になって死にたい。無一物の世界へ入居せよ。それは今、現実から遙かに遠い聖地であり、楽園なのだ、私はそこに棲むべき人間だ。〉

といった短い「物語」が挿入されています。ここで語られている「物語」は、踊りを支えるものとして留意されながらも、決して踊りの内容として示されるものではないのです。
 最後に「配列—アレンジメント」とは、実際的に踊りを成り立たせている、踊り手のからだの全神経による配列—関係設定です。それは、舞踏符による振付け、すなわち素材から抽出された言葉による指導や、素材の「意匠」を模写すること等によって生じています。それは、外見的なかたちや動きを伴って私たちの眼に見えるものですが、実際にはからだの内部で瞬時に起きている粗大にして微細な現象なのであり、そのような二重性として見えてくるものです。「火気厳禁体として」の文章では、

 眼でしゃべる/耳の側の口でしゃべる/放物線、額の口でしゃべる/掌の口、首の後ろの口でしゃべる

と記されている箇所がありますが、ここには「配列が決まる」、すなわちからだにすでに了解されている「神経配列」が、さらに、そうした「神経配列」をさせる要因が、具体的に示されているわけです。ここでは「配列」として眼に見えるものを示すことはできませんが、というのも、「配列」させる要因は一定のものとして与えられるのに対して、その帰結としての「配列」は多様であるからです。とはいえ、「配列が決まる」という了解は恣意的なものではありません。それは、要因から帰結へと導く確かな過程としてもたらされているのです。
 こうして三つの要素を取り出してみると、「火気厳禁体として」の文章では、まず「配列」が決まり、次いで「写真」の意匠が示され、「物語」の意匠が示される、という順で導入部の文章が組み立てられていることがわかります。つまり事の次第が反省的に言い表されているわけですが、しかし、踊りをつくる際には、実際には土方の側から素材が用意されるわけであり、それはすでに「物語の側からの眼ざし」で特異化されていると考えられることから、まず「物語」がある、そう考えなければいけないでしょう。
 まず「物語」がある。「物語」とはいえ、それは通常の物語と異なり、そこには例で示したような、無時間的な、と言っていい内容が用意されています。いっぽう、踊りを踊る際には、「物語の意匠」は踊りの内容としては消えつつも、それは何よりも踊りを支える思考の線として欠かせないものであると考えられることから、そこには何らかの時間性があるだろう。というよりは、それが無時間性の「物語」であるとはいえ、「物語の意匠」には、思考の線の際立ちが連続するという意味で、ある種の「持続」がある、と考えられます。「物語」と「物語の意匠」とでは、その次元が当然異なっているはずです。それは、踊りを構想するのと実際に踊りを踊るのとでは次元がまったく異なるのと同じです。
 この「物語の意匠」とは何か。ある種の「持続」と言いましたが、このことに関連して考えられるものに、土方の「肉体の闇」という動的概念があります。それは概念というよりも、からだの現前性に向き合うことで際立つ「それ自身における差異」、そう言い換えることができる内容を指し示しています。すなわちそれは、からだに関わる視線がその視線とは異質なものを絶えずそこに内包する現象であり、そのように思考と体験へと分岐する線に同時に立ち会おうとする状態とその内容、そう言っていいものなのです。それは私たちにとって通常の視線を逸脱するものではありますが、とはいえ、たとえばそれは、日常私たちが夢の中で体験する強い気分のような、からだにある種の主題として立ち現れてくるようにして経験される思考のようなものに似ているかもしれません。夢に立ち現れるそうした主題—線は、夢として立ち現れるがゆえにそれは未生であり、また絶えずそれは変動していますが、いっぽうそれは夢という現象を一貫した体験として制御しているのです。そのように「持続」するものとしてからだに際立とうとする主題—線を、「物語の意匠」に比べることのできるものとして理解できるように思います。むろん、その主題—線を言葉にして表そうとするや否や、すぐさまそこに「物語」が紡がれることになります。言葉になろうとする手前で、夢がそうであるように、未生にして変動する思考の働きがある種の一貫性としてからだにおいて示してみせるような、そのように主体的に立ち現れる線を、「物語の意匠」を考える際に、私たちはそれに類するものとして想像することができるのではないでしょうか。それゆえそれは、夢と同じように、何よりも自己とは無縁の働きなのです。私たちは、ある種の夢の体験のさなかで、自己が不明であるところにこそ、様々な抽象力を具体的なかたちにして捕獲してみせます。そのとき、(夢見る者にとって)自己であるはずのものが次々と変動するに応じて目の前の対象をも変動させてゆくその線は、そこに決して具体物を生み出しているのではないけれど、あくまでも具体的な感覚を伴って示してみせるのです。
 踊りを踊る際には、言葉にすれば矛盾することになりますが、そうした未生にして具体的な思考の線が少なくとも必要とされているように思います。芦川羊子は、自ら踊るその踊りの主題をめぐって次のように語ってみせます。

「フサ 死ぬときの夢」というのは、「フサ」という人物が、死ぬ間際に見た泣いている杭だとか、食べたかった果物、底光りのする青いゴム長靴、まあ、あの世の淵に立っているいろいろな人や物と交感していくというようなものです。
                           (「新劇」 1987年12月号所収)

 踊りに際して「フサ」を主題とするとはいえ、芦川は「フサ」その人を踊るのではありません。「フサ」という変動する線がからだに抱握され、その変動に立ち会いつつ、踊るのです。そうしたことができるのも、ここで見られるように、「フサ」をめぐる「物語の意匠」が、私たちの思考の線に沿うことのできる、あくまでも具体性をもったものとして抽出されているからではないでしょうか。
 いっぽう、「物語」の具体性に対して(「物語」にも抽象性はありますが)、素材としての「写真—絵画」には抽象性が孕まれています。というよりは、人の手によって描写された「写真—絵画」には、目前の具体物を介して抽象を取引するという意味で、抽象性を交換した跡が示されている、と言っていいでしょう。それゆえ、抽象性を交換する場としての素材、というものを考えることができます。そして、その抽象性を交換する場においてこそ「意匠を写し出した物語」として立ち現れてくるものがあり、またそれを見出す視線も存在することになるでしょう。土方には、素材としての「写真—絵画」を、抽象性を交換する場とみなす感覚がつねに働いているように思われます。そして、「踊りの場合は、本能をつくろうとした少年体そのものがカンヴァスなわけです」と言われるように、おそらく、抽象性を交換する場に注目する感覚というのはきわめて身体的な感覚なのです。そうであれば、そこに「意匠を写し出した物語」が立ち現れてくるとき、すでにからだに「写真の意匠」が萌芽しているのです。というよりは、「物語の側からの眼ざし」でもって抽象性を交換する場に立ち会うとき、からだにはもう抽象的諸力が渦巻くようにして張り詰めている、そう言っていいでしょう。したがって、そのときにはもう、「物語の意匠」の線が重ねられるだけで、踊りを用意する者のからだに抽象的諸力が主体化される準備はすでにできていることになります。「意匠を写し出した物語」が「物語の意匠」へと展開されてゆくという手順があるのではなく、まず「物語の意匠」があり、「物語の意匠」を介することで、抽象的諸力が多様なものを帯びて、具体的に素材から捕獲されようとするわけです。
 しかしながら、「写真の意匠」は最終的に踊り手のからだに際立つものです。多様なものとして抽象力を孕んだ「物語の意匠」が初めから土方のものであるのに対して、「写真の意匠」は踊り手のからだにおいて主体的に立ち現れるのでなければなりません。「火気厳禁体として」ではこのあいだの事情は語られていませんが、そのことはどうなっているでしょうか。要するに、土方の思考の線から踊り手のからだへと、「物語の意匠」が「写真の意匠」として主体化されるその移植はどのようになされるのでしょうか。
 舞踏符を振付けることでからだに生じる「配列—アレンジメント」が移植の手続きとしてある、と考えられます。「物語の意匠」に支えられて「写真—絵画」から抽出された指導言語が踊り手のからだと突き合わせられるとき、そこにおのずと「配列—アレンジメント」が生じます。その「配列—アレンジメント」は、踊り手のかたちや動きに伴うものとして見えると同時に、かたちや動きの要因となるものでもあります。つまり、「配列—アレンジメント」とは、からだのアレンジメントとして「配列される」のであると同時に、「配列する」ことなのです。それゆえ、目の前の素材としての「写真—絵画」を「物語の意匠」に沿って配列することは、踊り手のからだにそうした要因を想起させることになり、それは「もう一度踊る作業に似ている」と言われています。そこに、いったん「配列が決まる」。すると、「物語の意匠」は消え、「写真の意匠」が具体的なアレンジメントとしてからだに際立つことになり、ここに移植が成立しています。
 とはいえ、「配列が決まる」というだけで移植を成立させることにはならないでしょう。それは、それほど単純な過程ではありません。しかも、このとき「物語の意匠」が「消える」のはなぜでしょうか。「消える」ことの意味、あるいは「消す」ことの操作のうちに、「配列が決まる」ことによる、移植をめぐる重要な手続きがあるように思われます。
「物語の意匠」は踊り手のうちに「持続」する主題—線となるものと考えられますが、その内容は、からだに渦巻く抽象的諸力を多様なものとして具体的に捕獲しようとする際に、思考の働き、あるいは思考のダイナミズムと言っていいでしょうか、そうした思考の力を代表するものと考えられます。それに対して、「写真の意匠」として立ち現れようとする幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントは、代表としての思考の線が「消える」ことで、あたかも代表を失って喪に服するかのように、有象無象の群れとしてからだに立ち現れることになるのです。線が(他者の)線と重なり合い、差異をおのずと示す場にあっては、からだに縁を結ぼうとするものの方がかえってはっきりと立ち現れてくるのです。そしてそのとき、差異を示す場を操作する仕方、実践する仕方が、「配列が決まる」という能動的な契機のうちにありはしないでしょうか。すなわち、「配列が決まる」とは、思考の力動の高まりをその高まりにおいて「消す」ことで、背後に渦巻く抽象的諸力をからだのアレンジメントにおいて実現させる、そうしたある種の技能なのではないでしょうか。そのとき、「物語の意匠」という代表するものは潜在化することで、土方の言葉で言えばそこに「あらない」という仕方で、抽象的諸力の具体化に身を捧げることになるのです。そうした仕組みにおいて、幾重にも意味が付与された抽象力をからだのアレンジメントとして供給することができるのではないでしょうか。このように、「写真の意匠」と「物語の意匠」とは、一方によって他方を多様なものとして相互に際立たせ合う、といった仕方で密接に重なり合っているのです。両者は思考による扱いにおいて差異化されることになるとはいえ、からだの現前性に向き合う局面にあっては分ち難いものと知られているのではないかと思います。そして、そうした位置取りにおいて「配列」を操作する技能があり、技能を駆使することでそこに立ち現れるアレンジメントの連続、すなわち踊りは、各自において主体化される、そう考えることができるのではないでしょうか。
 舞踏の表現においては、「写真の意匠」こそ、からだのアレンジメントとして踊りの主体となるものです。それは単なるアレンジメントではなく、「物語の意匠」に沿って「配列」を操作する技能により、幾重にも抽象的な意味が付与されたアレンジメントとして立ち現れてくることになります。それゆえ、注目すべきは、踊りが成立するときには「物語の意匠」は「消えて」いるという指摘です。すなわち、このとき「物語の意匠」がアレンジメントを支え、アレンジメントに幾重にも意味を供給しているにもかかわらず、それを実体とみなしてはならないのです。というのも、舞踏の表現において、からだのアレンジメントが多様なものとして変動しうるのは「物語の意匠」が変動するからなのであり、したがって「物語の意匠」が実体化されるや、変動するからだのアレンジメントを支えられなくなってしまうからです。
 言い換えれば、舞踏符の連続によるからだのアレンジメントの構築は「物語の意匠」に支えられているわけですが、その「物語の意匠」はといえば、からだのアレンジメントを支えるとはいえ、踊り手自らの抽象的諸力を描写するものとなるために、あらかじめ捏造されたものなのです。この捏造は、舞踏表現の手続きにおいて重要な役目を果たしていると思われます。というのも、思考の線としての「物語の意匠」を手だてにしてそれに沿った「配列」を操作する技能が能動的に駆使されるのは、「物語の意匠」が捏造であることで、逆に踊り手のからだを素材にして、いかなる抽象的諸力をも扱うことが可能となるからです。そして、一転してその内容が潜在化することで、幾重にも抽象的な意味を付されたアレンジメントが、それがいかなる内容であれ、踊り手のからだにおいて主体化されることになるわけです。「物語の意匠」が捏造であろうとも、個々のからだが表現するものは踊り手のもの、すなわち表現者による具体的な所産であるからです。このように、移植の手はずを考えることができます。