Saturday, May 02, 2020

Lahore日記 The Diary on Lahore


Lahoreの友人 三

  LahoreManto 上
 
 ウルドゥー語作家Saadat Hasan Manto(19121955)Lahoreにやって来たのは1948年のことである。もともとパンジャブ州の出身だが、ボンベイで映画脚本家として名を馳せた。映画会社〈Bombay Talkies〉時代の名優Ashok Kumarと親しくし、他にも多くの俳優や映画製作者たちと付き合った。良き時代だった。しかし、1947年の〈印パ分離〉後、ボンベイで頻発するヒンドゥー教徒とムスリムとの間の暴力的な対立を目の当たりにし、インドに住むムスリムとして将来に不安を感じてパキスタンに逃れて来たのである。
 LahoreMantoは、MallLaxmi Chawk()にあるLaxmiマンションで家族と共に住んだ。新市街の一角で、近辺には商業施設が並ぶ一等地である。そこで亡くなるまでの八年間を過した。
 彼は〈印パ独立〉以前からウルドゥー語で作品を発表してきた短編作家である。ことにボンベイの映画界や売春街などを題材にした作品があり、様々な階層の女性を現実的な眼で描いた作家として定評がある。その短い生涯に250余の短編を書いたが、その中から「冷たい肉 (Thanda Gosht)」をウルドゥー語から訳出してみた。

               ※

 イシュワル・シンがホテルの部屋に入って来るやいなやクルワント・カウルはすばやくベッドから起き上がった。そして凄い目つきで男を睨みつけながら、扉の閂を下ろした。もう夜の十二時を回っていた。街から離れた人気のないその場所は、夜の底知れぬ静けさのうちに沈み込んでいた。
 クルワント・カウルはベッドに戻り胡座をかいて座った。イシュワル・シンは見たところばらばらになった思考のうちにとらわれ、思考のそのもつれを解こうとしているかのようだった。手にクリパン(※三日月刀)を握りしめ、部屋の一偶に立ちつくしたままだった。少しの間そんなふうにして二人共に黙り合ったまま時が過ぎた。しばらくしてクルワント・カウルは自分の胡座座りに飽き、両方の脚をベッドから垂らして揺らしはじめた。イシュワル・シンはそれでも何も言わなかった。
 クルワント・カウルはふくよかな腕と脚をした女だった。さらには大きくて丸々とした尻、弛んで揺れるほどの肉からはちきれんばかりの乳房が張り出していた。そして人を射抜くようなその眼、生娘のようにいらだちの翳りを遺したままの上唇、その顎のつくりからして、彼女が容易く扱えるような女ではないことが見てとれた。
 イシュワル・シンはうつむきながら部屋の一隅で一言も口にせず立っているばかりだった。その頭にきつく締め上げられているはずのターバンが緩んでいた。クリパンを握りしめているその手が微かに震えている。とはいえ、その背丈や体つきから知れるのは、彼がクルワント・カウルのような女と最も釣り合う男であるということだった。
 二人とも黙り込んだままさらなる時間が過ぎると、クルワント・カウルがとうとう我慢できなくなった。だが、その眼差しを踊らせるようにしてイシュワル・シンを睨みつけながらも、彼女はただ、「ねえ、イシュワル…」としか声をかけることができなかった。
 イシュワル・シンは頭をもたげて一瞬クルワント・カウルの方を見た。しかしその視線に生気はなく、顔を別の方へ背けてしまった。
 クルワント・カウルは大きな声で「イシュワル!」と言い、すぐにその声を押し殺した。そしてベッドから立ち上がって自分の連れ合いの方に近寄りながら問い詰めるようにして言った。「何処へ行ってたの、あんた。今の今まで…」。
 イシュワル・シンは、その干からびた唇から言葉を濁すようにして答えた。「分からない…」。
 それを聞いていっきにクルワント・カウルは取り乱し、男を罵った。「何てこと、この畜生が…。それが返事ってわけ…」。
 イシュワル・シンは持っていたクリパンを傍に放り投げ、ゆっくりとベッドにその身を横たえた。その動作があたかもここのところ病気に罹っている人のように見えた。クルワント・カウルはベッドの方に視線を向けるや、イシュワル・シンへの想いでいっぱいになった。彼女の胸のうちに思いやりの情が溢れてきた。すなわちベッドに近づいて男の額にその手を置き、愛情の籠った声で尋ねた。「ねえ、何があったの…」。
 イシュワル・シンは天井を見つめているばかりだったが、その視線を逸らして、その手を女の親密な顔の方へと探り寄せながらつぶやいた。「クルワント…」。
 その声に言い知れぬ苦悩が表れていた。クルワント・カウルは身も心も凝縮させ、溢れる情が唇の間からつい声になって出た。「何、あんた…」と言い、その唇を噛み締めた。
 イシュワル・シンはターバンを脱ぎ、助けを求めるような視線でクルワント・カウルを見つめた。それから肉づきのいい女の尻を強く叩き、それと同時に痙攣したようにその頭を振り動かしながら自分で自分を責めるようにして言った。「この糞ったれめが、とうとう頭がおかしくなったか…」。
 頭を強く振り動かしたので結われた髷が解けてばらばらになり、その髪をクルワント・カウルが五本の指で梳かしはじめた。髪を梳かしながら彼女は愛情籠めて尋ねた。「イシュワルったら、どこにいたの。今の今まで」。
「悪い女のいる家だ…」、そう言いながらイシュワル・シンは顔を顰めてクルワント・カウルを見た。そして突然、その両の手で彼女の盛り上がった乳房を揉みはじめた。「グルの名に誓って言うが、お前はたいした女だよ」。
 クルワント・カウルは思わせぶりな媚態とともにその手を払いのけ、もう一度尋ねた。「私に誓って言って。どこに行ってたの…。街へ行ってたの」。
 イシュワル・シンは先ほどまでしていたのと同じ布に自身の髷をまとめ上げながら言葉を返した。「行っていない…」。
 クルワント・カウルはむっとして言った。「何言ってんの。あんたきっと街に行ったんだわ…。街で大金を盗んで、そのお金を私に隠しているだろ」。
「何を言う。お前に嘘をついたら、俺は畜生ってことになるぜ…」。
 クルワント・カウルはしばらくのあいだ黙っていたが、いきなり抑えていた怒りを爆発させた。「そんなんじゃあまったく分からないよ、あの晩あんたに何があったのか…。私といっしょに気分よくベッドに寝てただろ。あんた私の前に装飾品をどっさり置いてさ、それはあんたが街で強盗して持って来たものじゃないか。甘い言葉を言ってさ…。ところがその後すぐにどうしたかあんた覚えてる。ベッドから起き上がって服を着てさ、外に出て行ってしまったじゃないか」。
 イシュワル・シンの顔からすっと血の気が引いた。クルワント・カウルはその変わり様を見逃すことなく畳み掛けるようにして言った。「それ見ろ、顔が青くなっているじゃないか。イシュワル、グルの名にかけて言うけど、あんた私にきっと隠し事をしてるよ」。
「いや、お前に誓って言うが、俺はしていない…」。
 イシュワル・シンの声に生気が失せていた。いっぽう、クルワント・カウルの声はさらに強まってきた。上唇を締め、一語一語はっきりと口に出すようにして彼女は迫った。「イシュワル、あんたどうかしちゃったの。八日前のあんたとは違うって言うの」。
 イシュワル・シンはその瞬間はっとして、誰かから攻撃されたかのように身を起こした。咄嗟にクルワント・カウルを自分の頑健な腕の中に抱えみ込み、あるったけの力で振り廻そうとした。「何てこと言いやがる。俺は俺だ…。こうやって、お前のからだの中で熱を冷ましてるだろ…」。
 クルワント・カウルは何の抵抗もしなかったが、イシュワルに問い続けた。
「あんた、あの晩どうなっちゃったの…」。
「悪い女にはまったんだ」。
「どうしても話さないと言うの」。
「話すことがあれば話すさ」。
「嘘をつくなら、あんた。私をその手でひと思いに殺ってよ」。
 イシュワル・シンは腕を女の首に廻し、その唇を女の唇に押し付けた。男の口髭が女の鼻孔をこすると、女がくしゃみをしたので思わず二人は笑い出した。
 イシュワル・シンは上着を脱ぎ、みだらな目つきでクルワント・カウルを見て言った。「さあ、カード遊びで一戦交えようぜ」。
 クルワント・カウルの上唇に汗粒がぷつぷつと吹き出していた。その瞳を思わせぶりにぎょろつかせ、それから言った。「何さ、ひどい目にあいたいの」。
 イシュワル・シンは女の大きな尻を指でぎゅっとつねった。女は身悶えしてからだを一方に躱した。「そんなことしないで、イシュワルったら。痛いわ」。
 イシュワル・シンはクルワント・カウルの方にからだを寄せ、自分の歯の間に女の上唇を押し付けてきしきしと咬みはじめた。それだけで女のからだは蕩けたようになった。イシュワル・シンはシャツを脱いで放り投げた。そして言った。「それ、カードを混ぜようぜ…」。
 クルワント・カウルは上唇をぶるぶるさせ始めた。イシュワル・シンは両手で女のブラウスの裾を掴み、羊の皮を剥ぐようにしていっきに脱がし、傍に放った。男は半裸になった女のからだをふたたび舐めるように見つめ、それから女の腕の肉を強くつねりながら言った。「クルワント、グルの名に誓って言うが、本当にお前はいいからだをしているぜ」。
 クルワント・カウルはその腕が腫れて紅くなっているのを見て言った。「酷いわ、イシュワルったら…」。
 イシュワル・シンはその濃い口髭の中でにやりと笑った。そして、「今夜は俺がどれだけ酷い男か見てみるんだな」、そう言いながらさらなる酷さの中へと突き進んでいった。男の歯が女の上唇をきしきしと咬んだ。それから女の耳朶を噛み、興奮して盛り上がる乳房を揉みしだき、膨れ上がる尻をその音が響くほど叩いた。それから男は女の両の頬を口いっぱいに含んでキスをし、両頬を口で吸いながら女の胸を男の唾液でべたべたにした。クルワント・カウルのからだは強い炎で焚かれた土器のように沸騰した。しかし、イシュワル・シンはあらゆる戦略を凝らしつつも、自身のうちに興奮の熱を生み出すことができなかった。自分が知る限りの技巧をどれだけ凝らしても、ただ打ち負かされているだけのレスラーが駆使するかのように何の効果もなかった。クルワント・カウルはそのからだをぴんと張りつめた糸が震えるかのように自ずと鳴り響かせていたが、求めていない愛撫に苛立ってつい口にした。「イシュワルったら、ねえ、もう十分カードを混ぜたでしょ。早くカードを配って…」。
 その言葉を耳にするやいなや、イシュワル・シンの手からカードの束すべてが滑り落ちた。荒い息を吐きながら彼はクルワント・カウルの傍に崩れるように横になった。その額から冷たい汗がびっしょり滲み出ていた。クルワント・カウルは男をふたたび熱くしようと必死になったが、少しも上手くいかなかった。今までであれば口に出さなくともすべてが成るように成っていったものだった。けれども、性急な欲望に突き動かされたからだが容赦なくその期待を裏切られると、クルワント・カウルはかっとなってベッドからいきなり飛び降りた。目の前の壁の掛け釘にショールが掛かっていた。それを取ってすばやくからだを覆い、怒りを露にして男に食ってかかるように言った。「イシュワル、いったい何て奴、その売女は。あんたそいつと一日中懇ろにしてここにやって来ただろ。それであんたそいつに精を使い果たしてしまったのかい…」。
 イシュワル・シンはベッドに横たわったまま喘ぎ続けるだけで一言も言葉を返さなかった。
 クルワント・カウルは怒りを抑え切れずに男を詰った。「聞いているんだよ、いったい誰、その売女は…。誰なの、懇ろの相手は…。その盗人女は誰なんだよ…」。
 イシュワル・シンは疲れきった口調で言葉を返した。「誰でもない、クルワント。誰でもないんだ…」。
 クルワント・カウルは自分の大きく張りつめた尻に手を置いて身構え、決心したように言った。「イシュワル、今日という今日は本当か嘘かはっきりさせようじゃないか…。グルの名に誓って…、このことの裏に誰か女がいるんじゃないかい…」。
 イシュワル・シンは何か言いたげだったが、クルワント・カウルはそれを許さなかった。「あんたが誓って言う前に、私もサルダール・ニハール・シンの娘だっていうことを思い出しな…。もしも嘘をついたら、あんたのからだをばらばらに切り刻んでやるよ。さあ、グルの名に誓って言いな…。このことの裏に誰か女がいるんじゃないかい」。
 イシュワル・シンは苦しみ悶えながら承認の首を振った。その途端、クルワント・カウルは取り返しのつかない狂乱状態に陥った。部屋の隅に突進し、クリパンを手に取った。その鞘をバナナの皮を剥くように外して放り投げ、イシュワル・シンに襲いかかった。その瞬間、血が泉のように噴き出した。それでもクルワント・カウルの怒りは治まらなかった。女は山猫のように爪を剥き出しにして、男の髪を引き毟りはじめた。そうすると同時に、自分の知らない恋敵に向かって悪態という悪態を浴びせかけた。そうこうするうちにイシュワル・シンが衰弱しきった様子で懇願した。「許してくれ、クルワント。もう、それでよしにしてくれ…」。
 その声は何かしら不吉な苦しみを訴えていた。思わずクルワント・カウルは後ずさりした。
 血がイシュワル・シンの首からどくどく流れ出し、その口髭を濡らしていた。彼はぶるぶる震える自分の唇を開いた。そして、クルワント・カウルの方を感謝と非難の入り混じったような目つきで見た。
「お前って奴は…、手が早すぎるぜ…。だが、こう成ったのも上等だ…」。
 クルワント・カウルの妬みの炎がまた焚きつけられた。「だったら、誰なんだよ。あんたの色女は…」。
 血の流れがイシュワル・シンの舌にまで達した。彼はそれを味わうようにして呑み込むやからだを身震いさせた。そして先を急ぐようにして言った。
「それで俺は…、これで、女や六人の男を殺しちまった…。それがこのクリパンだ…」。
 クルワント・カウルの頭の中はただ色女のことしかなかった。「私は聞いているんだよ。誰なんだい、その売女は」。
 イシュワル・シンの両の眼から光が失せつつあったが、一瞬そこにわずかな輝きが生まれた。彼はクルワント・カウルに言った。「罵るのをやめてくれ、このヒモの俺に…」。
 クルワント・カウルが金切り声を上げた。「私は聞いているんだよ、それが誰かって…」。
 喉の奥でイシュワル・シンの声がくぐもった。「言うよ…」。そう言って彼は自分の首に手を伸ばした。そしてそこに自分の生きた血が流れるのを見てにやりとした。「人間…、いや、俺というのも奇妙なものだ…」。
 男の返答を待ち望んでいたクルワント・カウルは迫るように言った。「イシュワル、あんたってば、もっと意味のあること言ってよ」。
 イシュワル・シンの冷笑が、流れる血をさらに口髭いっぱいに広がらせた。「…意味のあることを言っている…俺は…。俺は首が切れているんだ、俺の首が…。いまゆっくり、ゆっくりとすべて話す…」。彼が話をし始めると、その額に冷たい汗がびっしょり吹き出して来た。「クルワント、お前に話そうと思うが、俺に何が起きたかお前に上手く話せない…。人間、この糞の山っていうやつも奇妙なものだ…。街で強盗をやらかした…、夢中になった…。どこでやってもそこで俺は自分の取り分を得た。が、一つだけお前に話さなかったことがある…」。イシュワル・シンは傷に刺すような痛みを感じ、思わずうめき声をあげ始めた。クルワント・カウルはそんなことに注意を払わなかった。そしてたいそう無慈悲な調子で尋ねた。「いったい何の事…」。
 イシュワル・シンは口髭に溜った血をぷっと吹きやり、血沫を飛び散らせながら言った。「あの家で…、俺が襲撃したと言ったあの家で…そこに七人…、そこに七人がいた。…六人を、俺は殺った。お前が俺をやったこのクリパンで…。まあ、いい…。聞け…。女が一人いた。上玉の…。俺はそいつを抱え上げ、外に連れ出した」。
 クルワント・カウルは黙って聞いていた。イシュワル・シンはふたたび一吹きして口髭から血溜まりを飛ばした。「クルワント、俺はお前にどう言ったらいいか、…そいつがどれだけ美人だったか。…俺はその女も殺っちまうことができた。が、俺の欲ってやつが囁いた。『いや、イシュワル・シン。お前はクルワントとは毎日お楽しみだ。この果実も味わってみろ』、と」。
 クルワント・カウルは「そう…」とただ呟くだけだった。
「俺は女を肩に背負い、その場を立ち去った。…途中で…。…俺は何を言ってたっけ…。ああ、途中でだ…。…途中で、用水路の堤にさしかかり、サボテンの茂みの蔭にそいつを下ろした。…まずはカードを混ぜないといけないなと思った。だが…、そうじゃない、俺は思い直した」。…そう言いながら、イシュワルの舌は乾きでからからになった。
 クルワント・カウルは唾を呑み込み、その喉を濡らして聞いた。「それで、どうなったの」。
 イシュワル・シンの喉からやっとのことで言葉が発せられた。「俺は…、カードを配った。…だが…。…だが…」。その言葉はしだいにかき消えていった。
 クルワント・カウルは男のからだを掴んで揺すった。「それで、どうなったの」。
 イシュワル・シンはその閉じた眼をふたたび開き、クルワント・カウルのからだの方へその視線を向けた。その肉が生き生きと脈打っていた。「…そいつは死んでいた…。もう死体だった。…まったくの冷たい肉に…。…クルワント、…お前の手を、俺に…」。
 クルワント・カウルはその手をイシュワル・シンの手に置いた。その手はすでに氷のように冷たくなっていた。

                ※

「冷たい肉」は1950年の三月にパキスタンの文学雑誌に発表された。その後〈Sang-e-Meel〉出版社から本が出版されたが、その性的な描写によってMantoは猥褻罪で訴えられることになる。そこでこの作品の背後に横たわる状況についてまず説明しておかなければならない。
 Mantoはわざわざ書いていないが、この作品の舞台は〈印パ分離〉直後のインドのパンジャブ州のとある町であることに間違いない。そして登場人物の男女二人は共にシーク教徒であり、夫婦の間柄ではない。最初に「ホテルの部屋」という表現が出て来るが、パンジャブ地方で「ホテル」と言えば、概ね街道沿いにあり、地階に飲食するための店が構えられ、その階上の部屋を貸している二、三階建ての建物を指す。二人はその種の部屋を借り、おそらく女はそこで売春をしており、男には定職がなく、女を守りながら女の稼ぎを当てにしている「ヒモ」のような存在であることが分かる。こうした男女の依存関係は、どこか別の地方から移動して来た他所者同士にとって別段特別なものではないが、ひょっとして〈印パ分離〉に伴う不穏な状勢が男女を結びつける契機になっているのかもしれない。そして、決まった稼ぎのないシーク教徒のイシュワル・シンが街で襲撃し、その手で惨殺されるのはムスリム一家の人たちである。おそらく裕福な商家の人たちであったろう。当時〈印パ分離〉が進行する状況にあって、シーク教徒がムスリム商家を襲撃するという忌まわしい事件がインド側のパンジャブで頻発していた。というのも、一方のパキスタン側ではシーク教徒の商家がことごとくムスリムに襲撃されていたからである。その報復として、シーク教徒はムスリムへの襲撃や虐殺を正当化していた。ヒンドゥー教、イスラーム教に次ぐ第三の宗教勢力であったシーク教はそれでも少数派であったがために、インドからの英帝国撤退に際してムスリムが国をもったのに対して、彼らは自分たちが国をもつことができなかったことに強烈な不満を抱いていた。この作品の中で際立っている〈クリパン〉は、シーク教徒の男が伝統的に身に携えている三日月形の短剣である。
 すなわち、Mantoがこの作品で主題にしているのは、〈印パ分離〉という未曾有の規模の国家分裂によって否応なく人々が陥ることになった〈悲惨〉な状況である。かねがねMantoは男女の関係の日常、ことにその関係の機微を描写するのに性的な表現を駆使していた。Mantoはその性的表現によって男女関係の機微を、その日常生活のうちに具体的な光景として据え置くことができたのである。この「冷たい肉」においてもそうした表現になっているが、しかし、ここでの性的表現は男女関係の機微というよりも、結果的にはそれは、彼らが踏み込むことになった〈悲惨〉な状況のその〈闇〉の内へとさらに食い込もうとするものであり、例えばそれは、〈印パ分離〉に伴う個々の人々が被った現実的かつ精神的な影響の深さを暗に示そうとするものに他ならないだろう。ちなみにパンジャブ州の東西分割によって1000万人以上の人が住み慣れた土地からの移動を余儀なくされ、またその数は今もって定かでないが、最低でも20万人以上の人が宗教対立によって殺されたと言われている。
 インド独立が〈印パ分離〉を伴うものであることをボンベイのMantoは気づいていたにちがいない。〈印パ分離〉発表以前の1946年の八月にはすでにカルカッタで大規模な宗教対立による暴動が勃発し、主に多くのヒンドゥー教徒がムスリムによって虐殺されている。Mantoはそれについて報道で知っていたにちがいない。が、それはまだ新聞文字やラジオ音声、ニュース映像といった情報レベルの段階にあっただろう。それからすぐにボンベイでも〈印パ分離〉に伴うムスリムとヒンドゥー教徒による相互の報復的な襲撃が目に見えるものとなり、その影響が自らの生活近辺にまで及んできたことで、次第に少数派であるムスリムのMantoにとって身の危険を感じざるをえない状況となっていった。急速に転回するその敵対状況は予測のつかないものであったにちがいない。Mantoの親友で映画俳優のSyamが、大規模な暴動が起きたパンジャブ州のRawalpindiから逃れてボンベイ郊外に身を寄せた知人のシーク教徒家族を見舞った。MantoSyamに同行し、彼らが体験したムスリムによる襲撃の話を聞いた。それはMantoにとって恐ろしいほど凄惨な内容だった。そのとき親友のSyamでさえ、Mantoの面前でムスリムへの敵意を剥き出しにしたのである。
 ボンベイからカラチ経由でLahoreにやって来たMantoは、Lahoreの状況をつぶさに見て、〈印パ分離〉に伴う現実、その状況変化の大きな渦にいっきに巻き込まれていったのにちがいない。そのとき、Mantoにとって世界は一変したのである。Lahoreにはインド側で迫害を受けたムスリム難民が殺到していた。しかも、Lahoreまで移動する途中で多くのムスリムが武装したシーク教徒の襲撃にあった。ボンベイのMantoは、ムスリムの襲撃によってシーク教徒やヒンドゥー教徒が虐殺された話を聞いたが、その際にムスリムであるMantoは自分の内にいわれのない加害者的意識が浮上してくるのを抑えることができなかったろう。そして、そうした意識に悩まされながら話を聞いたのではないかと思われるが、LahoreMantoはそれとは逆の立場になっていた。LahoreMantoは困難な状況に陥った様々な人を目の当たりにした。Lahore駅近くに出来た難民キャンプでは彼らから直接に話も聞いたにちがいない。しかし、Mantoは〈パンジャブ分離〉に伴う〈悲惨〉を主題にして話を書くとき、決してムスリム側につくことはしない。加害者であれ被害者であれ、その立場を問わず、そうした〈悲惨〉な事態へと追い込まれた際にそこに開かれてくる人間の〈裂け目〉のようなものを見つめようとしているようだ。「冷たい肉」では、加害者として語る人物が死んでゆくという極端な状況を設定しているが、そこにはこの〈悲惨〉な現実を、〈悲惨〉な現実に伴う人間の〈裂け目〉のようなものが開かれる瞬間を、あたかもスローモーションのようにして捉える効果があるように思われる。そして、そこに〈裂け目〉が立ち現われることで初めて、その性的表現が日常的な生き生きとした生を言い表そうとするものであることが分かる。

 そのいっぽうで、Mantoはイスラームを国教とするパキスタンにおいて性的な表現も露に執筆活動をしたことで思いもよらぬ災難に巻き込まれてしまう。猥褻罪に訴えられ、警察に家宅捜査されたり法廷に立たねばならなくなったりした。少数の文学仲間だけが彼を擁護したが、自らの表現手法に何の正当な理由もなく介入されたことで、Mantoはかなり精神的に窮地に追い込まれたようだ。結局、罪は確定されなかったが、彼は社会的圧力に耐え切れず極度のアルコール中毒に陥り、そのために幻覚状態に悩まされ、周囲の意見を受け入れて自ら精神病院に収用されることに同意する。それ以後のMantoは、自らの精神状態のうちに開かれた〈裂け目〉から逃れることができなかった。〈印パ分離〉という歴史の転換に伴う大きな〈裂け目〉が、それまで帝国の支配下で特異な表現に関わっていたMantoという個人に転移したのではないだろうか。そのいっぽうで、歴史自体はいつだって個々の〈悲惨〉を置いてき放りにし、歴史に開かれた〈裂け目〉を塞ごうとして必死に前に進もうとする。そうやって、〈裂け目〉としての傷はつねに塞がれ、歴史の〈闇〉に葬られて来たのであるが、とはいえ、個々に開かれた〈裂け目〉=〈闇〉はいつだって開かれてもいい状態にあるのだ。いったん一つの〈物語〉が出来上がるとそれは多数の者に共有されてしまうが、しかし〈現実〉はそうはいかない。〈現実〉は決して共有できない。そこには〈現実〉をめぐって相互に乱反射するようにして映し合う多形な状態があるだけだ。そのように乱反射する状態が〈裂け目〉であるとすれば、〈裂け目〉=〈闇〉を塞ぐその瘡蓋を毟り、それを食ってみれば、果たしてどれだけの〈悲惨〉が私たちのからだの内に立ち上がって来るだろうか。
 そういうわけで、〈印パ分離〉という大きな歴史転換に遭遇して、LahoreでのMantoはボンベイでのMantoとは打って変わり、その表現は孤独な戦いのうちにあった。その生活も、そして結果的にその作品内容も一変している。LahoreMantoは家族を養う生活費にも困り、新聞社に行ってまず金をもらい、その場で原稿を書いて渡すというような生活をしていた。Lahoreには小規模ながらも映画産業があり、Nur Jahanというような名高い女性歌手(Playback Singer)Mantoの知己であったにもかかわらず、MantoLahoreの映画界に関わるということは終になかった。おそらく娯楽としての映画表現に付き合うことができるほど、彼の精神は安定状態を取り戻すことができなかったのにちがいない。Mantoは〈印パ分離〉という特異な歴史状況にたまたま遭遇してしまった。そして、そこに時代の〈裂け目〉を見、それをことに自身の〈裂け目〉としても引き受け、〈裂け目〉としての文学表現を模索するような一歩をすでに踏み出してしまったからである。Lahoreで「Khol Do」がいつ書かれたのか分からないが、酷い結末を示唆するそのタイトルを私は訳せないでいる。カシミール守備兵の錯乱を描いた「Titwal ka Kutta (ティトゥワールの犬)」が1951年に書かれ、そして〈印パ分割〉後の精神病患者の帰属をめぐる「Toba Tek Singh (トバ・テク・シン)」が1955年に発表されている。これがMantoの遺作となった。歴史の〈裂け目〉を塞ごうとするその瘡蓋を毟るようにして、Mantoは独りで戦い、そして書いたのである。けれどもこうしたMantoの戦いは、今から振り返ってみれば、決して孤独なものとはなっていない。
「…この書物の楽園に存在していなかったただ一人の作家がMantoだった。彼の作品は〈エデンの園〉から完全に追放されていた。流刑に処せられ、跡形も留めることなく消されていた。以来、誰もが彼の名さえ家で口にすることがなかった。だから、次のことは人生における奇妙な事実だった。ある日偶然に、家の中の隠された場所で彼の作品を見つけ、その発見が思春期に達した少年、少女を驚かし、好奇心となったという事実は…。彼らはその作品を好奇心に駆られて読み、そして恐怖に身震いした。しかしすぐに、その作家について公言したり、その作家が秘密裡に存在してきた理由について怪しんだりすることを断念した。とはいえ、Mantoの本を〈内々に〉売るという、それまで受け継がれてきた書店の作法は彼らを惹きつけて止まなかった。書店の内部の人気から離れた片隅で神経質そうな若者が店主といっしょに座っている。その傍に、小ぎれいな半透明のプラスティック・カバーに包まれた魅惑的なペーパーバックがある。それに目を止めると、そのうちの一つがまちがいなくMantoの本なのだ」。(Manto Always Wished to SellMusadiq Sanwal/2017)
 Lahoreで私はMantoの名前をたまたま知り合いから耳にした。七十年代も終わる頃である。耳にはしたが、どんな人物か私には皆目見当がつかなかった。それに別の知人からは、彼の本は書店で手に入らないとあらかじめ釘を刺されていた。それが二十一世紀に入って此の方、インドとパキスタンの双方の国で続々とMantoの作品が評価されはじめたのである。
1980年代まで、かつてMantoが記事の中で幾度となく警告した〈脅威下にあるイスラーム〉というその誇大妄想は、何の論議もされることなく我が国を語る唯一の決定的要素として掲げられてきた。そのせいで当時私たちを苦しめていた自制症候群は、Mantoの最も不朽的主題である〈人間の状況〉へと、今やっと私たちを振り向かせることになった」。(同前)
〈人間の状況〉は容易く変わるわけではない。それは今もって多くの〈悲惨〉を抱えているはずなのだ。〈悲惨〉を抱える者は、それ自体で強く訴える生の状態にある、そう言ってもいいと思うから。

 1954年八月、Mantoは当時のインド首相であるジャワハルラル・ネールに長い手紙を書いた。1960年にインドとパキスタンの間で結ばれる予定の〈Indus Water Treaty(インダス系河川水条約)〉に抗議するのがその名目だった。Mantoのルーツはカシミール人であり、祖先がパンジャブにやって来てムスリムに改宗したのだと言う。そして、ネールもカシミール人だった。ネール(Nehru)の語は「河の堤」を意味し、いっぽうのMantoの名は「munt」の語に由来し、それは「1.5セールの錘石(1セールは 0.933kg)を意味すると、まずは共通の出自を持つ各々の家名の由来を持ち出して来て両者を比較している。ところが、話は妙なものになっていく。「私はあなたに対して不満を抱いています。というのも、あなたは私たちの国に流れる河の水を止めようとしているからです。それに、もしあなたが指示を出せば、あなたの国の首都の出版社は私の著作を私の許可も得ずにすぐにでも出版するでしょう。これは正当なことでしょうか。私はそのようなみっともない行為があなたの治世の下では犯されることがないだろうと考えています。あなたはすぐにでも調べて、デリーやラクナウ、それにジャランダルにあるどれほどの出版社が私の著作権を侵害したかを知ることができるでしょう。…私は猥褻罪で訴えられています。しかし、あなたの目と鼻の先にあるデリーでの不正を見てみなさい。出版社は私の小説を集めて『Mantoの猥褻小説集』という名で本を出しているのです。私は『Ganjye Farishtey(あからさまな天使たち)という本を著しましたが、インドの出版社はそれを「秘密の裏側」という名で出版しました。さあ、言ってください。私はどうすべきなのか」。
 Mantoは暗に政治的な主題を孕んだ短編をいくつか書くほどの政治意識の高い人物でもあった。しかし、インド首相宛のこの手紙ではMantoはかなり偏質的になっているようだ。その窮状が痛いほど解る。