Sunday, May 13, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 二 闇の原理 

1. 肉体の闇              

 現在はふつうに舞踏といいますが、以前は「暗黒舞踏」という呼称が一般的でした。土方巽がみずから舞台に立ち、舞踏の形式が初めて世に打ち出された「四季のための二十七晩」(1972)は、「第二次暗黒舞踏派結束記念公演」と名打たれています。この一ヶ月というロングランにわたって大好評を博した舞台により、舞踏はまず「暗黒舞踏」として広く認知されたのです。当時、「暗黒」の語と舞踏の表現形式とは切り離すことのできないものでした。とはいえ、この「暗黒」の語は、もとより「暗黒思想」や「暗黒文学」といったように、そのロマン主義的な思潮をヨーロッパ異端思想の衣装に包んで表明しようとしていたものとみられますが、そうした思潮に触れながら、それとは異なる姿勢において切り離せないものだったのです。
「暗黒舞踏派」は、すでに1963年に宣言されています。以来、土方は暗黒を喧伝し、それに比類する考えをことあるごとに表明してきました。たとえば「肉体の闇をむしる…」(1968)という対談で、土方は次のように語っています。

 ぼくは、暗闇でものを食うとおいしいと思うんですね。いまだに寝床にまんじゅうなど引き入れては暗闇で食うんですよ。形は見えないけれども、味覚は倍加するわけです。あらゆる光線がいかがわしいと思うことがありますね。

 対談の相手である澁澤龍彦から、「アングラであること」について問われた際の返答ですが、土方自身は、みずから主催する暗黒舞踏の活動をそのようには考えていないことがうかがわれます。暗黒舞踏はアングラという反体制の表明にすぎないのでなく、それは本物だ。光に対して暗闇を打ち出し、そう切り返しているのです。暗闇すなわち暗黒は、光の反語ではない。暗闇には視界がなくすべては一つであるが、光は視覚を与えることでそこに距離をつくりだしてしまう。光ではなく闇こそが、私たちの充実した生の感覚を直にこの肉体にもたらしている起原そのものなのである、という土方の主張が聞こえてくるようです。一見して、土俗的で異端的な身振りによる表現が暗黒なのではなく、暗黒舞踏の表現形式に欠かせずそれを支えていたものは、闇それ自体が肉体表現に生の充実をもたらしているような、そうした闇そのものの内容なのです。
 闇すなわち暗黒と言いましたが、正しくはそうではないでしょう。暗黒には拡張するイメージが伴いますが、逆に闇には凝縮するイメージが付き添っています。その差は明瞭な結果となっているようです。後に暗黒の語が、舞踏がその表現を内に深さと美を湛えたものに練成させてゆくにつれて宙吊り状態にいたり、時代の推移に耐ええずついに看板から剥落したのに比べて、いっぽうの闇はいよいよ凝縮して立ちあがり、絶えることなく舞踏の内容を支え続けたのです。
 この闇について、土方は好んで語っています。しかし、闇について幾度も語られてきたわけですが、それがどのようなものであるかは、土方の口から詳らかにされてはいません。その発言によって、かえって相手をはぐらかそうとしているのではないかとさえ感じるほどです。しかし、それだからこそ闇は土方の舞踏の核心を占めている、そう思わせるふしがあります。

 私は、私の体のなかにひとりの姉を住まわせている。私が舞踊作品を作るべく熱中するとき、私の体のなかの闇黒をむしって、彼女はそれを必要以上に食べてしまうのだ。彼女が私の体の中で立ち上がると、私は思わず座り込んでしまう。私が転ぶことは彼女が転ぶことである。というかかわりあい以上のものが、そこにはある。(「犬の静脈に嫉妬することから」)

 この「私の体の中の姉」について、土方は繰り返し語っています。この「姉」は土方の実の姉であり、また死んだ姉のことです。「私の体」を軸にして、「私」とその死者としての「姉」とがからみ合うように言い表されているこの美しい文章表現には、舞踏家のからだをめぐって立ちあがる妖しい論理のようなものが示されているように思われてなりません。前に「肉体の闇」と名打たれていたように、ここでも闇は、「体の中の闇」と言い表されています。また「闇黒をむしって」と、「むしる」という所作が付き従っているのも同様です。この「体の中の闇をむしる」という言いまわしは、土方が闇を語る際に繰り返し使われた表現でした。この「私の中の姉」をめぐる文章では、その姉が、「私の体の中の闇をむしって」、そして食べてしまうとされています。この「食べる」という所作も、闇が語られる際に頻繁に付き従っています。土方が示そうとする「肉体の闇」とは、それを「むしり」、また「食べる」ことで、肉体において逆に際立ってくるものなのです。土方はここで、「私」と「私の体の中の姉」とのあいだのその限定することの不可能な関係を通じて、舞踏作品を生み出す際に欠かせない、舞踏者のからだに知られる緊張の高まりを由来づけるようなものについて語ろうとしていると思われますが、闇は少なくとも、そうした肉体がはらむテンションのようなものに関わるのだと考えられます。
 このように、闇は光に先行し、それが何かというよりも、むしろからだに緊張の高まりとして感じられるような経験を示そうとして語られている、そう考えられるわけです。それゆえそれは、言葉で明らかにされることのないもののようにして示されているわけです。とはいえ、闇について土方が明かそうとしている、数少ない文章もまた見出すことができます。言葉使いは例のごとく異形ではありますが、「肉体の闇」が際立ってくるその構造について、土方なりに語っているのが見てとれるでしょう。

 内部も外部もあるものかといわれれば、そういう意味での初心とはいったい何か、そういう設定の発想で肉体がなくなるものではない。初心は飢えており、それは満たされる願望体としてすでに表現的に成立しているものだから、満たされた欠乏も、満たされぬ欲望もすでに初心の肉と化しており、その肉が肉体から眺められているのである。こういう初心こそむしりとらねばならないのに、いつもむしりとり喰べられるのは肉体の闇で、初心はそれをすでに喰べてしまっている。だから初心は統一で薄められた感じがする。この闇は肉体の各部分にある。肉体の闇が訴えるのではない。そう思えば混乱は整理されてしまうだろう。もともと苦しまぎれのエネルギーについては信ずるも信じないもない。その点でも肉体について書かれ過ぎてきたと思う。闇自体は、いかなる対立もない聖なる土地を持っていると、わたしは思う。結局、混乱も初心も肉体から眺められて暮らしているのである。

 抜粋したのは、「肉体に眺められた肉体学」(1969)と題した文章からです。この中で土方は終始、タイトルにも掲げられた「肉体に眺められた」というときの、肉体によるその視腺を際立たせようとしています。ふつう私たちがからだの感覚を捉え、そしてすぐさまそのことを視覚的に認識するような仕方で自身のからだを眺めるのではなく、からだに最初から知られているはずのものの方からからだを眺めようとする、そうした視線を際立たせようとするのです。したがって、その視線は特異なものです。この文章が犯罪者、狂人、子供を素材にしているのはそうした理由からですし、土方はその視線を「人間として語ることが不可能のような気もする」、とさえ前置きしています。そのように特異な視線から看破された「肉体学」や「肉体史」というものを論じることはできないが、「夢の中で叫ぶ子供の恐怖のように、肉体を眺めることが多い」、そう言って土方は、からだが視覚で認められないにもかかわらず、からだをめぐる認識を、逆にからだにすでに知られているものの方から要請される、その局面をまず示そうとするのです。前提としてこの「夢の中で叫ぶ子供」には、基体であるようなからだがすでに知られていることになります。それは、からだが空間として知られていることではありません。

 (内と外とを区別する空間認識以外に)、内部も外部もないと言われれば、そうした空間認識において、「初心」とはいったい何を意味するのか、(何も意味しない)。そうした空間を認識する仕方で、目前のからだを打ち消すことなどできない。「初心」のからだはもともと「飢えて」おり、それはおのずと願望を満たす仕掛けのうちに、からだをすでに表現的なものに成り立たせてしまっている。だから(そのようにしてイメージされたからだは)、空間を認識する働きが、転倒した欠乏と転倒した欲望となってつくりあげた想像の肉をつけただけの、「初心の肉」と化してあるにすぎない。それゆえ私たちは、その想像の肉を肉体の方から眺めるという、(からだに関して倒錯していることになるだろう)。私たちは、この「初心」のからだについた肉を「むしりとり」、「初心」のからだが「飢えて」いるすがたをこそ際立たせねばならないのに、いつも際立たせられるのは「肉体の闇」で、「初心」のからだはすでに「肉体の闇」を構成し、おのれが構成したものによって隠されている。だから、「初心」のからだは想像的に「統一」されているがゆえに、「薄められた感じがする」のである。こうした、(「初心」を隠し、「肉体の闇」を際立たせる)闇の構造は、肉体のどんな細部の感覚にも知られている。けれども、「肉体の闇」それ自体が訴えるわけではない。もし「肉体の闇」それ自体が訴えると考え、その存在を承認するならば、闇に関わろうとするこうした認識の「混乱」は整理されてしまうだろう。もとより切羽詰まった肉体の経験に知られる闇の構造については、そこにあるとしか言いようがない。この経験に知られるものからすれば、肉体という概念だけが語られすぎているように思う。闇そのものは、いかなる否定も生み出すことがない。それは主客を超えた、いまだ未開の場であるだろう。(闇という「聖なる」場を想定すれば)、闇に関わろうとする認識の「混乱」も、基体としての「初心」のからだも、肉体から眺められた視線に見出されている、そう知られているはずだ。

 その内容をまず明らかにしようと、土方が語る言葉が失効するのは承知で、比較的理解しやすい言葉に翻訳してみたわけですが、その内容を補完するべく、内容に沿った解釈をつけ加えました。「初心」、「闇」、「肉体の闇」が見出されている闇をめぐる構造、その構造に関わろうとする認識自体が「混乱」とされているようですが、少なくともその構造が示されようとしているのがみてとれるように思います。
 土方によれば、「初心」とは、最初から「荷物がチッキで届いて」いるような、そうした基体としてのからだがあることだと考えられているわけですが、そのからだは容易に手の届かないものとみなされているようです。いっぽう、こうした考えは、すでにからだに際立たせられている「肉体の闇」という経験から遡行してなされているわけです。おそらく、「肉体の闇」を際立たせる闇というものの構造が、「肉体の闇」を際立たせると同時に、「肉体の闇」がその局面であるような基体としての「初心」のからだを知らせることになる、そう土方には見当づけられているからだと思われます。こうした、「初心」、「闇」、「肉体の闇」の相互関係は必ずしも明確ではありませんが、土方が独自に使用する一連の動詞、すなわち「飢える」、「むしる」、「食べる」といった作用によって、その関係が少なからず示されているように思います。
 まず「初心は飢えて」いる。「飢え」というのは非常に即物的な感覚であって、人は誰しもそれをからだで知っています。というよりは、「飢え」によって、私たちは往々にしてからだが何であるかを知らされることになるのです。しかし、それが何であるかという問いとその答えは極限的なものです。それが何であるかを知るよりも、目前の「飢え」を満たすために「食べる」という行為が、私たちにとってつねに先決問題としてあるからです。そして、この「食べる」という行為は「飢え」と異なり、なかなか複雑な事態を抱えているわけです。「食べる」という行為には、大きな飛躍が隠されているのです。私たちは、「食べる」ことで、そのとき食べられるものが私たちの肉に触れて一瞬際立たせられることを知っていますが、その食べられたものはたちまちかたちを変えてそのまま「食べる」私たちのからだを構成するという、そのとき動的な経験を抱え込むことにもなるはずです。このとき、食べられるものがすぐさまかたちを変え、そして自身のからだを構成することになる経験が私たちにとって不明でありがちなために、こうした事態の不明さを不明さにあるまま伝えようとして、その経験が「肉体の闇」と言い表されている、そう考えることができます。しかし、そうした不明さにあるいっぽうで、この「肉体の闇」が際立たせられている経験とは、土方にとってみれば、「初心」の「飢え」が満たされ、そして隠されたことに気づいていることの経験でもあるわけです。したがって、この「肉体の闇」の経験を介さなければ、「飢え」は満たされると同時に隠れ、そして「食べる」ことの飛躍は不明であるままになってしまうことになるでしょう。そして、「むしる」には土方独自の経験が重ねられてその働きが示されていますが、「瘡蓋をむしる」という言いまわしにみられるように、それは塞がった傷をめぐって、つまり満たされたはずの「飢え」をめぐって「肉体の闇」をむしるという、飛躍という事実が後になって「肉体の闇」の経験として知られるがゆえに、それ以前に遡って「飢え」を際立たせようとする行為であるでしょう。そして、ふたたび「飢え」が際立たせられようとするまさにこの局面で、「闇」というものが見当づけられているわけです。
 ところで、こうした闇をめぐる構造は、翻訳し、分節されたその内容を理解するというよりも、むしろ闇というものの構造に関わろうとする特異な認識を際立たせようとして、土方独特の言葉で語られているはずなのです。こうした認識が際立ちながらも、あくまでもそれは「混乱」している、そう強調されているからです。「混乱」とは、おそらく主客認識の混乱だと考えられますが、こうした「混乱」が際立たせられている経験こそが、「肉体に眺められた」視線のうちに知られているのであり、闇の構造は、実はこの視線のうち以外にあらわれていないのです。したがって、闇をめぐる構造を分析し、その内容を手に入れるというよりも、そうした内容を経験として際立たせるためには、「混乱」とされるその視線にこそまず関わってみなければならないと思います。
 この肉体に眺められる視線、それは「素朴な肉感主義者」を自認する土方が主張する、即物的な肉体感覚をからだに受容していることによるまなざしです。それも認識の特異な形式でありますが、ここでは主客の整理されない認識という意味で、認識に代えて視線と記すことにします。この視線に知られるものは、「いつもむしりとり喰べられるのは肉体の闇で」といわれているように、おそらく「肉体の闇」という経験以外にありません。「初心はそれをすでに喰べてしまっている」という想定はすでに述べたように、この「肉体の闇」という経験からなされており、そこから遡って逆に「初心」という、初めから知られているはずなのに隠されているからだが見当づけられているわけです。この「初心」のからだが最初から「飢えている」と性格づけられ、空間と知られないのに対して、いっぽうの「肉体の闇」はそうではありません。それは、少なくとも私たちの視線が関わることのできるような「内部」と知られているのです。
 この「肉体の闇」とは、いかなる出自をもつものなのでしょうか。ふたたび文章に戻ってみることにすると、まず「初心の肉」、すなわち空間を認知する働きが繰り返されることでつくり上げられた想像の肉が、土方の即物的な肉体感覚から眺められています。しかし、この視線自体は、「初心」のからだ、いわば起原と知られるはずのからだを見出せないでいます。なぜなら、「初心」のからだはすでに飢えを満たして空間をめぐる働きそのものと化し、それゆえ、いまやその視線に反復されるのは「肉体の闇」ばかりで、この「肉体の闇」が「初心」のからだを覆い隠しているとされているからです。このとき土方の視線は、この「肉体の闇」という経験の場を際立たせつつも、「初心」を隠して反復される、その「肉体の闇」の成り立ちにこそ根深い疑いの目を向けています。いっぽう、逆にこうした視線から比べると、ふつう私たちが自身のからだに関わるような視線は、すでにからだを「私」の空間へと転倒させた、「想像の肉」に向けられているだけだということになります。その場合、「肉体の闇」という認識の「混乱」は整理されてしまい、整理されてこそはじめて相対的な想像世界として知られ、そのように把握されるようになり、その結果、概念として定着してゆく傾向にあるのではないでしょうか。すると、たちまちその視線の差は歴然とするでしょう。土方が示そうとする「肉体の闇」とは、起源として知られるはずの「初心」のからだが執拗に「肉体に眺められ」ようとすることで初めて「肉体の闇」としてからだに際立たせられるような事態がある、そうした経験をこそ示しているといえます。言い換えれば、「肉体の闇」とは、私たちがからだを「私」の空間とみなす視線にではなく、起源と知られるはずのからだを執拗に求めようとしてからだに向けられる、おそらく犯罪者や狂人や子供といった「人非人」が見出しているような、あたかも自分のからだを自分のものでないように繰り返し眺めるといった、肉体による(意識的な)視線の反復のうちにのみ見出される、特異な認識をはらんだ事態なのです。「肉体の闇」とは、こうした視線の反復のうちにもたらされる暗い緊張(もしくは「内部」)を伴って、肉体に関わろうとする誰のものともされない認識それ自身のうちに際立たせられる、いわば差異的な性格のものなのであって、そうであるからこそ、それ自体ではけっして「訴える」ことがない、ということになるでしょう。
 とはいえ、こうした、私のからだでないようにして眺める視線がからだに執拗に関わろうとする事態とは、私たちが私の肉体を見つめ、そして私の肉体を考えるといった、主客の整理された一般的な事情とは異なり、判断のつかない暗さに終始することになりはしないでしょうか。ともすれば、そうした視線の反復は妄想を生み、あるいは理性を踏み外すような事態として忌避されるべきものであるかもしれません。それはそうなのであって、実はこの暗さという「内部」に終始するような経験にこそ土方の視線はまず向けられている、と思います。というのも、からだという私たちの認識を条件づけているものに関わるには、「私」を素通りするようにしてその暗さ(内部)をまず見つめる必要があるのですし、こうした暗さ(内部)に終始する視線の反復が、認識の「混乱」とされるような、あるいは主客の不明な事態とされるような自己の見知らぬ局面を、そのときその視線自体のうちに逆に際立たせることになる、そう考えられるからです。あたかも目眩ましに見舞われているかのような、同一的であるとされる「私」に切り開かれた裂け目のような経験として「肉体の闇」はまず見出されている、そう考えることができると思います。からだに知られるこうした怪しげな経験も含めて、私たちはからだの感覚の変調をつねに「私」の認識の側から捉えることで、主客を脱するようにしてそこに過剰に際立つものを「混乱」と疎んじる傾向にありますが、ここで注目したいのは、肉体による(意識的な)視線のうちに見出されている土方の「肉体の闇」は、その経験が認識の「混乱」とされながらも、それは光に対立する闇の混沌としてではなく、逆に闇をめぐる構造のうちに配置されることで、たとえば暗闇に引き入れた饅頭を食う経験に充実感を見出しているような、闇そのものの充実に触れているような経験として示されていることです。それはすでに述べたように、暗さに終始する視線の反復が土方のからだに何よりも優先されているからであり、そのような地点から眺めれば、光線があてられて主客が見分けられているような「いかがわしい」安定をはなから望まない、そうした土方の強情な肉体認識に由来しているのです。
 その土方の視線を重ねてみれば、闇をめぐる構造に関わろうとする認識の「混乱」にあって、「肉体の闇」がどんな仕掛けのうちに立ちあらわれているかみえてくるでしょう。「飢え」、それは欠乏というよりは、むしろ闇として示されているような、対象を強く志向しつつもそこに何も構成しない事態であり、構成しないことで、「飢え」という欲望し、緊張するものを知らしめている。「食べる」、それは対象を一瞬際立たせるやいなや、次にすばやく対象を主体のうちに採り込み、そのままその対象を主体として構成することで、その契機である「飢え」、すなわち欲望を主体の内に抱え込むことになる。そして「むしる」、それは構成されるにいたった事態を際立たせると同時に、目前のその構成をめぐって、「飢え」という欲望するものを、それが隠されているがゆえに、むしろ別のすがたで捉えようとすることでより際立たせようとする。この野蛮が繊細さを抱えた一連の作用のうちの、欲望が主体の内へと転換させられる「食べる」をめぐって、「肉体の闇」は際立たせられていることになるわけです。肝腎なのは、この「食べる」ことの飛躍において主客は転倒し、それゆえ一瞬、主客が見分けられなくなっている事態があるはずだ、ということです。この主客が不明であるような事態こそ、あの「掴むものは掴まれる」といった、感覚と認識がないまぜになったような経験によって知られるものでもあるわけです。「自分がはぐれているような」、その主客の不明な経験のさなかに差異的なものとして際立ち、なおかつ闇そのものの充実に触れているがゆえに「肉体の闇」は、からだ、すなわち生がおのずと欲し、そして語るその素材として、土方の視線のうちに注目されることになる、そう考えることができるように思います。
 この「肉体に眺められた肉体学」の文章が書かれた前年に、土方はいわゆる「肉体の叛乱」(1968)の衝撃的な舞台を成功させています。その後、1970年の三島由起夫割腹事件をはさんで、1972年の「四季のための二十七晩」まで、いっとき潜伏期間のような状態にありました。弟子たちを舞踏演出する「幻獣舎」を発足させ、小規模の舞台作品を構成し、またみずから数本の映画に出演してはいますが、どちらかといえば、「肉体の叛乱」の舞台を経てからだにはっきりと自覚されたものに劇場作品的なかたちを与えようと、暗黒舞踏の表現形式を試行錯誤していた時期であったと考えられます。そうした試行錯誤と並行して、こうした特異な肉体論が練り上げられ、そして書かれたのではないかと推測することができます。仮にそうだとすれば、ここで語られているような、闇というものを見当づけるべく、「肉体の闇」という経験の性格とその相貌を「肉体に眺められた」ものとして採り押さえることで、以後に展開される土方の舞踏の表現形式に確かな指針が与えられることになった、そう考えることもできるでしょう。そしてそのことは当然、からだはいかに語るのかという問いから発せられているはずなのです。
 土方はここで、「初心は飢えており、それは満たされる願望体としてすでに表現的に成立している」と、からだに記し記された事態というものを的確に言い表しています。またそのこと以上に、もともと私たちのからだが記されたがっているから記し記されているのだという指摘がなされています。このとき、からだに記し記された事態というものを土方が認知する、その自己から「はぐれる」ことの視線に、それ自身における差異的な意識、すなわち「肉体の闇」という「内部」としての緊張がすでに孕まれているでしょう。その緊張が、認識という視線の形式を逸れるようにして肉体にもたらされるそのとき、土方のからだはいよいよ具体的なテンションを帯びてくるようです。前の文章に続けて土方は言います。

 この肉体からの眺めをそれた異様な叫びは、もはや異様でなく、すでに死んでいる肉体として見なされたものになる。…死産児には系譜がない。完全なかたちにはトラブルが起きないが、そのために道づれにされるのは、私共の肉体である。いのちがけで突っ立っている死体は私達のもので、彼方なるものは肉体の中にある。

 差異的なものとして際立つ「肉体の闇」は、自他を想定する視線の反復という形式を逸れることで、一転してからだにモノ的な現象として連れ出されてくることになります。すなわち、具体的なテンションである「異様な叫び」が、「もはや異様でなく、すでに死んでいる肉体」とみなされていることに注目したいのです。この「すでに死んでいる肉体」とは矛盾をはらむ表現ではありますが、それは系譜をもたない死産児ではないことから、からだに系譜をもっている、しかし、それはすでに死んでいる。要するに、からだに記し記されたそのことを、土方のからだがモノのように対象化して把握する仕方を述べているわけです。そして、そうした把握の仕方が、一転して土方のからだに記されたそのことを死産児という完全なかたちへと道連れすることになる、つまり、死産児というもはや系譜を欲することのないかたちへと向かわせることになるのです。そしてすばやく、こうした複雑な事態がまるごと、「いのちがけで突っ立っている死体は私達のもので」と、からだが語ることの方法へと言い換えられているわけです。この「死体」については後に述べますが、それは舞踏表現上の身体技法と考えられるとだけ今は言っておきます。むしろここでは、「肉体の闇」という経験が、からだが語ることへとどう展開されていくのかをみるとすれば、たとえば、「夢の中で叫ぶ子供の恐怖」が、傍目にはうなされる子供のからだの捩じれとなってあらわれているように、声にならない「叫び」が、声よりも先にかたちになろうとして発せられている、そうしたからだが注目されます。このとき、からだの捩じれとなって目の前にあらわれているテンションは、言葉になる以前の「叫び」がいっきにかたちになろうとするものであることで、その子供のからだに記し記された事態が、子供の自己をやすやすとはぐれてあらわれているモノのようにして傍から見当づけられることになります。要するに、「肉体の闇」が際立たせられているその視線をもってしては、それ自体からだが語ることにはならないのですが、私たちが夢の中で経験するように、自他を想定した視線の反復という形式を逸れることで、その「肉体の闇」が、「叫び」というモノ的な現象としてからだに連れ出されてくるとき、そこにからだがあるというだけでなく、そのからだは、言葉にして反復し反復される以前の、声にならない「叫び」が欲するままのかたちを示すことになるのです。そして、土方はそのかたちを、からだみずからが、そのからだに記し記された事態に関わるような仕方で語っている、そうしたすがたとして採り上げようとしているのです。
 こうした、からだみずからが語るような事態をもたらすことのできる表現体があるとされているわけです。たとえば「肉体の叛乱」の映像記録から、私たちはそうした表現体をめぐる土方の試みを垣間みることもできるでしょう。このとき土方は終始、既製のステップをはずし、既製の反復から逸れるようにして舞踏しています。反復し反復されるものをからだで意識しつつ、それから逸れ、そして捩じられるその鋭い身振りに、あたかも「夢の中で叫ぶ」からだが表現されています。こうした「吃音的身体構造」といった表現体が、「肉体の闇」という経験を軸にしてどのように展開されていったのか、そしてまた「肉体の闇」という経験のその内容についても、順を追って示そうと思います。今は、「肉体の闇」として際立たせられた主客の不明であるような経験が、からだにモノ的に際立つ「叫び」としてもたらされることで、目前の肉体が抱える「彼方なるもの」、いわば生の基体に接近することのできるような事態とみなされることになる、そうした考えを認めておきたいと思うのです。そうであればこそ、からだが語ることの表現に関わる者からすれば、主客の不明であるような経験は、からだに記し記されている事態へと遡行し、そしてその遡行の過程を自覚することで、生の豊穣さを内蔵させている「内部」とみなすことができるようになるのです。というのも、からだに記し記された事態とは、それにかりに触れることができるのであれば、それは生の活動そのものとして見出されるようなものだからです。そうした、無限の差異を見出し得るような機会が一人一人のからだに最初から与えられているはずだ、そう土方は考えたのです。
 そしてさらに、「肉体に眺められた」視線のうちに差異として際立たされた「肉体の闇」を介して、そしてその経験のうちに見当づけられた無尽蔵な「内部」に誘発されて、後に土方の舞踏表現に欠かすことのできない、舞踏符という、目前の肉体に関わる認識をめぐる特異な手法が見出されることになった、そう考えることもできます。差異として際立たせられている事態とは、それ自体が緊張を孕んだ意識のことなのですが、舞踏表現の際には、そのテンションは、意識—視線の反復という形式を逸れるようにして、むしろモノ—神経の反復として再現されるような事態のうちに要請されることになります。そして舞踏符とは、一見すると模写を基本としたからだで描写することの技法のようですが、その内容は後に詳しく見るように、舞踏符による言葉の指示が、踊り手自身の視線を反復させないように振る舞うことによって、踊り手の「想像の肉」をむしりとるようにしてその「想像の肉」に絶えず亀裂やずれを要請しながら、「私」のからだが切り開かれるような事態におのずと再現されるものを際立たせることの技法だからです。そして同時に、そこに際立たせられた個々の肉体にまぎれる充実をすばやく採り出すようにしながら、からだに秘められた生の志向性を肉体に復権させようとする、身体表現の技法だからです。
 ともすれば妄想あるいは理性を踏み外すような事態に、そのままのかたちを、からだでからだに与えること、そのことを土方は、「虚無に肉をつける」という言い方をしています。そして、具体的にそうした作業は、次のような契機を得て開始されたようです。

 澁澤さんという虚無の総体に触れると、私の虚無にも肉がつく。彼の作品群は、露出された高圧線に彼の真すぐな堅く黒い髪毛が流れるだけで、出来上がった物ばかりだ。しかし、その恐ろしい仕事ぶりについてしゃべり続ける人形を、私の肉体に併合させたのも彼である。(「闇の中の電流」)

 ある確かな方法意識をもって、土方は「暗黒」に命脈するものを、自身の肉体において劇的に変換しているのです。たとえば、前に引用した「私の体にすむ姉」とは、土方が熱烈に想定する「初心」のからだが、暗さに終始していた土方のからだに確かな感覚を伴って帯びたすがたであるといえるかもしれません。この姉は実の姉であり、そして死者であり、なおかつ土方の「体のなかの闇黒をむしって」必要以上に食べてしまうとされています。土方のからだの起源と知られるはずのものが、「姉」というすがたで強く意識されているのです。土方は、「肉体の闇」を際立たせながらもその成り立ちに疑いの眼を向けていましたが、「姉」はその疑いを正してくれるものであるという、土方のからだが受け継ごうとする確かな闇の系譜として見出されているように思います。言い換えれば、舞踏が担うべき「暗黒」の正統性を、土方は自身のからだに棲む「姉」という死者から、あらためて闇という構造として与えられているのです。こうして、「初心」であり、姉であり、死者であるもの等を配置することのできる闇という未生であるものの構造が確保されたことで、土方の「肉体の闇」は干涸びることなく、けっして疎外されることなく、独自の局面を生き続けることができたのにちがいありません。
 後にアスベスト館の小宇宙において見事に展開されたように、土方は舞踏符の技法によって、この見出された「肉体の闇」という境域を、豊かな埋蔵物が繰り広げられる大地と化してみせたのです。その埋蔵物は、死者や未生のものとして、ひいてはそうしたものをこの私たちの生に強く結びつけている錯誤のあらわれとして、舞踏手のからだに託して表わされたのです。その舞台は西洋にも東洋にも由来しません。ましてや日本の伝統に跪くようなものでもありません。闇はこのとき、土方のからだに全てを与えていたと思われます。しかし、舞踏の表現形式がいまだ模索されているこの段階では、純然たる闇は「いかなる対立もない聖なる土地を持っている」、そう言い表されているだけです。この聖なる地とは、いまだ未開状態のままにある、いわば肉体に見出されたアジールと呼んでいいもののように思います。この肉体に見出されたアジールを、土方は死者の記憶やエロティシズムや母性と交通させながら、あくまでも闇という未生であるもののまま内容づけてゆくのです。「肉体の闇」はそれ自体が訴えるのではないというそのことは、その埋蔵物はもとより無主でなければならないことを示しているわけです。土方は目前の肉体に危機を要請し、無主である「肉体の闇」を駆りたてる。未開の場へ遡行するに際して、闇にあって闇という指標が灯火となって足下を照らし出すという、そんな逆説的な働きをさせようとしているかのようです。