Sunday, May 20, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 三 舞踏のテクネー 

4. 自明でない自己          

 舞踏表現として「立つこと」の新たな様相を、「四季のための二十七晩」そして「静かな家」の舞台と土方は立て続けに、みずからのからだで実現させようとしました。しかし、この短い期間のうちに稲妻のごとく一瞬垣間見せたかと思いきや、死者をおのれのうちに立ちあがらせようとするその表現はそれっきり立ち往生してしまいます。いっぽう、「裸である」ことの新たな様相をからだに切り開こうとする舞踏符の手法は、他者のからだを借りてその後のアスベスト館連続公演において縦横無尽に展開されることになりました。その結果、未生なものの変動する神経に操作された身体による舞踏は、かつてないほどユニークな、西洋のものでも東洋のものでもない、独自の身体表現を提示するものとなったのです。舞踏符に条件づけられたからだを素材にして、舞台空間というキャンバスに展開されたそのマニエリスム的な舞台は、そのとき、舞踏符という技法の性格上、図像になる寸前のイメージ身体というようなものの群を生み出しています。そのイメージ身体群は、未生なものの変動する神経に支えられて、生き生きとした装飾的な光景として見る者を魅了しました。しかし、その光景自体は、土方の意図するものではなかったように思われます。あくまでも土方は、舞踏符の技法によってからだに切り開かれ、むすばれることでそこにあらわれるものを見つめていた、そう考えられるからです。舞踏符は、踊り手の神経操作によって際立たせられた途方もない身体空間を提出するとともに、踊り手の肉体の闇という「内部」を表現するかのような技法として確立されるにいたったのですが、そのことに土方は満足しなかったように思われます。その後も土方は、舞踏する主体について新たな考えをめぐらしているからです。
 ここでふたたび、「包まれた病芯」の時点に戻ろうと思います。この文章の中で土方は、「病芯」を語ることから、一転して自己を問題にしているからです。土方が自己を問題にするのは、「裸である」ことを身体化しているのが自己だからです。つまり、このからだは社会的な生としてすでに条件づけられている、すなわち身体化されているけれども、「裸である」ことで、自己とは異質である「内部」という素材をあらわにすることになる、そう土方には確認されているからです。たとえば、土方はかつて、おのれの身体が犬のからだに敗北感を感じたことを告白しています。動物には自己がない。それは「想像の肉」をもたない裸のからだをしているのです。土方が自己をとりあげるのは、自己というものが、一方的に仕つけられたような主体を形成するばかりでなく、否応なく私たちのからだにまとわりつき、その果てに「想像の肉」をつくりあげるものでもあるからです。
 すでに述べたように、舞踏符は、自己という同一化を駆り立てるものに裂け目を入れようとするばかりでなく、自己を不明にするような神経を操作させることになります。そこで土方は、「自明でない自己というもの」に注意を向けています。注意を向けながら、「自明でない自己というもの」が個体をようようまとめあげるようにして「外側からとりおさえていく時間」、その時間をとらまえようと試みているのです。例のごとく土方は、自己を扱うのに自己の側からではなく、自己というものが生まれるその起原とされる側から、もしくは自己という皮膚を生み出す「疼き」(それは事物として見出されていた)の方から、自己を問題にしようとしています。けれども、この問題をめくろうとする土方の思弁が土方の肉体から剥がし難くあり、それゆえ、すぐに「自己を懐かしがる」という言い方に解消されてしまっているかのようです。とはいえ、その「自己を懐かしがる」事例、すなわち「自己を懐かしがる」時間を採り上げてゆくその作業によって、自己の起原というものに相対しようとしているようにもみえます。その作業の身振りを支える衝動を推測すれば、おそらく土方は、からだに根付いてしまっている自己というものと、からだに事物として見出される時間とを相対させようとしているのです。そのとき、自己の起源に近づこうとするものは何だろうか。

 通常、具体的なフォルムと名づけられているものでも、裏返しされてそこにあるという世界ならば、ぬきさしならぬ時間ともどもに一種のサインとして、既に配列されている事物にすぎない。また、空間と呼ばれているものが時間そのものと化して「私」なる存在になっている︱そういうことも起こりうるだろう。そういう仕ぐさや身振りによって浮かびあがってくる現象は、想うことが即座に征服されるように体に行き届き、それを解読した時間に体が結ばれ、また即座に解かれるように、溶解した現実の内側から内部の自己と連れ合って出てくる一種のよみがえりとしてあらわれてくる姿に違いない。こういう姿のまわりには「無」ですらちぎられるような熱気が漂っているものだ。どんな幻想も、極端にいえばこのような肉体を離れることはできない。感覚的な事柄の一例をあげれば、食事の際には食事の記憶というものが、咀嚼行為自体のなかに溶解しているのだなと気づいたりする。そしてそれも夢にしゃぶられて漂流している姿のように思えてくる。名づけえぬものに私たちが最終的に同化する際、私たちを襲うものは、見慣れぬものだ。それが自分の体のなかに入ってくるとき、私は微笑としてあらわされた存在になっている。この微笑は、目論まれた表情ではない。しかしそこにも時間は介入している。このぬきさしならぬ時間に自己を重ねることが最大の難関事であると思う。

 土方は食事という行為を例にあげて、自己(という幻想)をめぐるものとからだとが持ち合っている時間について語っています。食事をするという行為、それはモノを咀嚼する行為なのですが、そのとき食事の記憶が、その「咀嚼行為自体のなかに溶解している」ことに、まず注目しています。この注目は、注目することで、行為のかたちとその行為にあらわれるものを見分けているのではありません。それは、行為しながら、しかも行為の中断のさなかに行為させるものを見分けていると言っていいような、自身の行為に向けられた特異な注目なのです。そうした行為の中断のさなかに、言い換えれば、主客を見分ける自己の働きが中断されるような事態に、咀嚼の記憶、すなわち咀嚼をさせるものが「配列されている事物」として浮かび上がってくる、そう言います。このとき土方は、事物が浮かび上がってくるその時間にこそ注目しているようです。そうすることで、行為のさなかに行為を中断することで事物として浮かび上がってくるそのことを自覚する、そうした自己(という幻想)とは無縁であるような別種の認識を示そうとしているかのようです。こうした別種の認識が、自己の起源をめぐる「ぬきさしならぬ時間」、そう言い換えられています。そのときその時間は「裏返しされてそこにある」、あるいはまた、「空間と呼ばれるものが時間そのものと化してなる私という存在」とも言い表されています。言い表された、その内容をみてみましょう。
 咀嚼行為は生物本能にしたがっている、そう私たちは考えます。しかし、土方はそうした理性の規定にはしたがいません。理性が本能を扱う際には、錯覚が働くからです。私たちは右手で右手を握れないのです。また土方は、咀嚼行為を機械とも呼んでいません。機械という生命システムではなく、人間的な見地からすればこそ、「食べる」という行為のさなかに行為を中断して、今しているその行為に注目し、その行為をさせるものを際立たせようとする、そんな特異な内省があるはずなのです。そのとき、行為のさなかに行為が中断されることで浮かびくる、「自明でない自己」があるとされているのです。それは、行為の中断のさなかで、記憶として配列されている事物が、幻想し「漂流している」自己のすがたよりも先行しているという意味で、「自明でない自己」なのです。事物が自己より先行するというこの「裏返し」された視線において、「見慣れぬもの」、すなわち「自明でない自己」が自己を襲うことになるわけです。この「自明でない自己」がかりそめの主体となるとき、そこに「よみがえりとしてあらわれてくるすがた」がある、そう語られています。この「微笑」と言い表されたあらわれは、もはや事物でもなく、また空間でもありません。それは裂け目でもなく、ただ「時間」と示されているように、連続するもの、止まることのないようなもの、そう考えられるようなものです。このぬきさしならぬ連続するものに「自己を重ねること」、つまり、そうした「時間」を仲介するような自己が無私の経験として見出されること、そのことが知られなければならない、そう土方には考えられているのです。仮にもし「自明でない自己」という経験の場にも時間が流れるとすれば、それが「微笑」と呼ばれる、そこに不意にすがたをあらわす、連続し、止まることなく、明滅しているはずの現在というすがたであるのでしょう。その目論まれたものではない「微笑」という現在を仲介するような、見慣れぬものとしての自己が見出されること、土方はそうした作用をするものとしての、舞踏する主体を見出そうとしているかのようです。
 土方が舞踏する主体についてこうした考えをめぐらすのは、自身のからだに闇を立ち上がらせることのないまま抱えている、そうした断絶についての切迫した認識があるからだと思われます。おのれの肉体表現と劇場表現との齟齬と断絶を抱えたまま、土方のからだは、舞台キャンバスを見つめるその視線をひるがえって踊り手の踊る状態へと喰い入らせ、踊り手の身体空間に見合った舞踏する主体の時間を捕獲しようとする、そうした活路を要請しているのです。
 この時点で土方は、舞踏の表現についてことさら謎めかして語るわけではなく、新たな語彙を駆使しつつ、かえってその手の内を明かしているように思います。ここで語られているその航跡から、二つのポイントを押さえておきたいと思います。一つは、「包まれた病芯」を語ることで、自己の起源に接近しようとする作業によって知られるプロセス、その航跡が、同時に舞踏する主体の原理のようなものとして示されるはずなのでしょうが、それは航跡として示すことができるとはいえ、それ以外のものとして示すわけにはいかないことを、土方はこの折り畳まれてゆくような文体に託しながら示そうとしていることです。まず、「病芯」として疼くものが主体ならざる主体として見当づけられ、さらに熱を帯びた肉体を先行させて自己を懐かせしめる、その「裏返し」された事態にあらわれるぬきさしならぬ時間、そこに異質なものを仲介する「見慣れぬ」自己を見出すこと、そうした舞踏する主体があるだろう、そう考えられている自己の解体を示すようなそのプロセスは、航跡として示すことができるとはいえ、けっして形式に還元することができないないものであるわけです。視線を絶えず入れ換え、そうすることで自己とは非等質であるものを内包しつつ、そして視線を切断し、埋没させることで、その内包を非在として表そうとするその航跡、すなわち土方の身振りは、最終的に時間を示すことになります。そしてその時間もまたすぐさま「包まれ」るのであり、けっしてあらわなかたちで捕獲されているわけではありません。最終的に、土方がこうした仕方で踊り手の時間を際立たせようとするそのことは、裏返せば、舞踏する主体は自己を足場にしては見出せないことの表明であると考えられます。むろん、どんな身体技芸にあっても、表現する主体はそのつど形式をすり抜けていくものですが、舞踏の場合、それはたとえば病の事物性に見出されているような、生というものの闇として絶えず見当づけられているはずのものなのです。そして、そのように示唆することで、からだを条件づけることでそこに立ちあらわれるものを尾行する舞踏符の技法は、からだという非等質であるものをまるごと包摂する事実に関わることの技法へと、その役割が換えられているように思います。すなわち土方は、舞踏符という、肉体の闇を差異化し、微分化することで、結果として幻想性を生み出してしまう技法から脱しようとしている。これが二つめです。
 こうして土方は、最終的に、「今のところ私の日常は、…一時しのぎの薬局派タイプよりも、地味な夜尿症的タイプを嗅ぎ分ける作業に力を入れている」ことを明らかにしています。舞踏符が次々と指示する言葉の作用は、踊り手の神経を差異化し、微分化することによる、病に向けられた対処療法的な技法であるよりも、むしろその技法は、踊り手を自己の不明である事態、すなわち「自明でない自己」の経験へと導き、そこに不意にすがたを漏らすものを踊り手みずからが嗅ぎ出すことにあるとされるのでしょう。舞踏符という技法によって肉体を操作する踊り手は、その自己の不明な事態にあってけっして認識不明であるのではなく、舞踏符の言葉が示す外部を次々と内部へと「食べる」ことでもたらされるようなヴァーチャルな「内部」がもたらすテンション、すなわち、自己に先行するような事物性を、事物性のままに見出していることになるのです。「時間」と呼ばれる、そのヴァーチャルな事物のはじけるような微笑性が、この時点では強調されているわけです。
 こうした考えは、土方が舞踏する主体をめぐる最終地点、すなわち「衰弱体の採集」まであと一歩となっているようです。その「衰弱体」は、土方が断絶させたまま抱えている、自身のからだに闇を立ち上がらせようとして展開させてきた「死体であること」の技法を、土方自身が新たなかたちで引き継ごうとするすがたとみることもできます。しかし、そこにいたる前に土方は、自己をめぐる作業のうちに立ちあらわれるものを、舞踏の内容そのものとしてみずから表そうとしています。「病める舞姫」の執筆です。舞台による表現ではなく、言葉による表現に賭けるその経緯は、やむにやまれぬものであったらしい。