Monday, May 14, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 二 闇の原理 

2. 肉体史という暗い背景           

 それ自身における差異が際立つとき、際立つものはその暗い背景をおのれと共に引きずってゆかざるをえない。差異が際立つことで、差異そのものが縁を絶つその暗い背景の方は、際立つものと縁を結び続けるからである。「差異と反復」の第一章で、ジル・ドゥルーズはそう語っています。これにならって言えば、「肉体の闇」が際立つそのときに、「肉体の闇」という図柄を際立たせる地のようにして浮かびくるものがある。それが、土方が示そうとする「肉体史」です。図柄と地といっても、それはあたかも闇夜にまぎれる黒牛の群れが闇を腑分けする、そのように捉え難い現象なのですが、その背後の闇を、暗い背景という形式において考えることができるように思います。もしも「肉体の闇」により自覚的であれば、たとえば「稲妻が走るその闇黒の背景」、その背景の暗さを少なくともイメージできるはずです。ちなみに、背景の暗さは、思考不可能なものであるから「暗い」のではありません。ドゥルーズが語るように、それについて考えるには、それは怪物すぎるかもしれないからなのです。「肉体史の領域をのぞける人は、肉体の領域そのものであるような人非人であろう」、土方はあらかじめそう忠告しています。
「肉体の闇」が際立つそのときに、その闇黒の背景であるまま浮かびくるものがあり、それが「肉体史」という名で土方には考えられています。その暗さゆえに示すことができそうにないにもかかわらず、土方が「肉体史」を示そうとするのは、「肉体の闇」という経験にとどまることなく、その差異的な経験からさらに遡行するようにして、からだに記し記されたそのことが「肉体の闇」を構成しようとする働きとして浮かびくる局面を、からだにより際立たせようとするからだと思われます。「肉体の闇」は、「肉体に眺められた」視線それ自身における差異として際立つ主客の不明な事態と経験され、それゆえ自己からはぐれているわけですが、「肉体の闇」として構成されようとするそのことによって、それはみずからの出自を結果的に隠しているとみなされています。したがって、その構成には、出自をそこに隠しながら構成するという原理がおのずと働いている、そう考えることができます。その原理のうちに、「肉体史」と呼ばれるものが闇黒の背景のまま浮かびくる、そう土方はみなしているようですが、では、それはなぜ「肉体史」と呼ばれるのでしょうか。
「肉体史」の「史」は、何よりもからだに記し記された事態を示唆しています。目前のからだを身体として成り立たせ、同時にその身体に「私」と記させるもの、すなわち私たちのからだにまつわる歴史性という事実が知られるゆえに、「肉体史」という言葉が用いられていると考えられるのです。からだにまつわるその歴史性とは、私たちの身体が歴史的に堆積するものを基にして構成され、かつ表されているという事実を示しています。しかしそればかりでなく、身体の歴史性とは、その歴史的堆積物を示しながらも、それ以上に、その堆積を形成するにいたった、たとえば褶曲、隆起、浸食といった作用の記録を介して、つねに変動する地層のあり方をも示している、そう考えることができます。それらの形成作用は、形成されたものが形成過程の記録であるかぎりその作用は形成されたものの中にあるという仕方で、現在もなお私たちの身体を変動する地層として成り立たせている、そう考えられるわけです。そうした、褶曲、隆起、浸食といった形成作用を抱えて変動する地層としての身体が、「肉体史」という、からだをめぐる歴史—記述性を土方が語ろうとする際に考えられているように思われます。「肉体の闇」という経験は、記憶のように逐一イメージとしてそこに定着し、堆積されているようなものではけっしてなく、それは地層の変動がそのままあらわれを構成しようとするものと知られ、それゆえその構成の内に隠れているような働きが見定められようとしているわけです。したがって、語ることのできない「肉体史」のようなものを通じて土方のからだに際立たせられる局面がどういうものかについていえば、「肉体の闇」という経験の変動に関わることにより、そこに構成作用としてあらわれてくる現象をふたたび跡づけようとする視線としてまずとらえられている、そう見当づけることができるように思うのです。その視線に、からだが語ることの表現を決定づけるものが隠されている、そう土方は考えたかもしれません。そのことを、土方の文章に沿ってみることにします。
 その前に確認しておけば、暗黒舞踏が周知された作品、「四季のための二十七晩」の舞台は、通常の劇場ではなく、<アートシアター新宿文化>のスクリーン・ステージを舞台に仕立て上げ、毎夜、映画興行がひけた後の午後九時半という時間に開演されるというものでした。新宿の夜という、混乱をそのまま抱えるような空気が暗黒舞踏公演の追い風になった、そう伝えられています。ところが、打って変わって翌年発表された「静かな家」(1973)の舞台は、新装の<西武劇場>で、しかもマチネーありの公演がなされています。名実共に兼ね備えた暗黒舞踏として、当時としては最先端の劇場空間に迎えられた土方は、このとき今までとは異質な視線を内蔵するその劇場空間に挑戦するべく、舞踏の確かな方法論を必要としていたはずなのです。そのことを示すかのように、その翌年に書かれたと思われる「人を泣かせるようなからだの入れ換えが、私達の先祖から伝わっている」という文章からは、土方が舞踏の方法に肉迫しようとする異様な雰囲気がうかがわれます。そのテキストの中で土方は、「肉体の闇」という経験の変動にみずから関わるその様相を追いかけている、というよりは、みずからが関わるその様相をみずからが尾行する、というような作業をしているのです。そして、その尾行の航跡を示すことで、「肉体史」について何ら明らかにされることはなく、それは「埋没史」と言い換えられることになります。先にことわっておけば、「埋没」とは「ある」ことが「ない」ことへと埋没する、いわば、現象しながらもそのとき対象を構成しないような事態を示しています。そして、「埋没史」とはおそらく「肉体という埋没史」なのであり、それゆえ「肉体史」として示されようとするものは、最初から土方には未生のものと自覚されている、そのように考えられます。そのいっぽうで、「肉体史」から「埋没史」へといたるその航跡は、外に向かうベクトルがそのままみずからの内に没入するといった線を示しており、その過程において土方のからだに何かしらの採集がなされている、そんなふうにみえます。その様相を、脚が萎えて立てないでいるような、不思議な文体で綴られたテキストに沿ってみてみようと思います。ちなみに尾行とは、相手に気づかれないようにしてその背後をつける、そのことをいいます。
 まず土方は、人間のかたちの由来について奇妙な風に語っています。

 二本脚で立っているので、右にしようか左にしようか迷ってしまう。迷いだけが争って、野ざらしになるのはわたくしのからだなのだ。もともと脚は一本なので、こうして脚の上に乗っている骨盤も一つ。ぐるりと身体をそり曲げれば、身体の極限の口腔の中で舌を転ばしているだけの舌の由来、脚の上に脚を重ねてみれば脚の由来が知れよう。

 二本脚であることの由来が、二本脚が一本脚に抱いている、ある郷愁のような地点から語られているように思います。どういうことかといえば、一本脚であることによって、それまで左右対称を原理としていた身体は筒状となり、また一直線状と化します。すると左右対称という空間認識に代わって、身体の両先端の舌と足とが感覚器特有の鋭敏さを帯び、ベクトルの矢のように「ぐるりと」伸張しようとします。そこに人間のかたちや人間であることのイメージはもはやありません。代わりに、限りなく人間からはぐれる身体のようなものに近づこうとする強度だけが示されることになります。これがもともとの「脚の由来」であると説く土方は、明らかに人間からはぐれている身体を起源とみなし、郷愁しているのです。また、この一本脚の身体が強度を抱えたものとして示されていることから、ここでは二本脚であることの形の対称性に代わる、言うならば純粋な対称性のようなものへと、失われた対称性の回復がなされようとしているかにみえます。この対称性を回復しようとする目論見が、おのずと視線の逸脱を目論むものとなっているようです。肉体を眺める視線に注目しながらその視線の形式を逸れた途端、肉体を眺めるものは肉体から眺められる。このとき眺められるという、視線が「入れ換え」られた事態は、一本脚の強度が逆にこの現在の肉体を由来づけることになるという、新たな事態へと転換されているのです。
 こうした、形式の逸脱に伴う「入れ換え」はわかりづらいものですが、たとえば、「食べる」という行為を具体的な咀嚼行為とみなすのではなく、対象あるいは環境を主体の内に構成しようとする作用として、目前の肉体感覚すべてが働かせている事態とみなすことができれば、そのとき具体的にからだに際立ってくるもののように思われます。たとえば、背中で「食べる」という作業を試みるのです。このとき、「食べる」という働きは咀嚼行為のように働かせることができないで、それは背中の神経を介してただ対象(環境)を主体の内に構成しようとして、錯誤として働こうとします。錯誤ではありますが、「食べる」ことでそこに構成しようとする事態があるわけですし、その構成しようとする作用が錯誤するために、その作用は主客の不明な事態をより際立たせることになるはずです。というのも、背中が対象(環境)を食べようとすればするほど、このとき主客を転倒しようとするその作用ばかりが空回りするようにして、「食べる」という事態のうちに際立たせられることになるからです。そのとき、このからだが空回るような事態を見つめる視線があるとすれば、それは、主客の転倒を裏側から見るような事態に連れ出すことになりはしないでしょうか。すなわち、主客の転倒そのものが対象とされ、そのことによって私たちのからだ(肉体の闇のことですが)は、絶えず主客の転倒が起きている界面のようなものとみなされることになるのです。私たちは、そのからだをあたかも外部を内部へと転倒させているインターフェイスのようなものとして、かつそうしたインターフェイスとしての働きを通してからだが認知されるという経験にさらされるのです。この界面で浸食が起き、主客が転倒され、この界面で堆積し、私が記し記されているのです。言うならば土方は、この「肉体の闇」という界面において、外部(環境)が内部(主体)へと変動するままの現象を、そしてそのとき「肉体史」という暗い背景が浮かびそして隠れる局面を、そうと悟られないように、つまり主客を整理することのないように尾行するのです。
 土方が続けて、「わたくしの家の前を飢饉さんが歩いていた」と語るとき、この「飢饉さん」の表現は、「飢え」さえも対象とされ、からだという界面に「飢え」が隆起するような事態が注目されて、そのことを報告しようとするものにほかなりません。このように報告することのできる新たな視線は、もはや誰のものでもありません。それゆえその視線は、起源とされるからだ、すなわち一本脚として仮構されたからだから眺められようとしているはずなのです。起源とされるからだが一本脚であることで、それが人間の身体からはぐれていることが強調されるのは、人間であることからはぐれることで、からだに記し記された事態を脱臼させるようにして、死産児のようなもはや系譜を欲することのないかたちにしてからだで捉えようとするからなのでしょう。そしてまた、人間の身体をはぐれるとは、起源(初心)から逸脱していることでからだに記し記された事態そのことが隠されているゆえに、人間としてのからだをめぐる事実が私たちには見えなくなっている、そうした事情をも示唆していると考えられます。一本脚の提示に次いで、土方が自身の「廃墟」の体験をまず指摘するのは、この見えなくなった事情に関わろうとする、そのとっかかり作業にみえます。

 廃墟は、十四、五歳のからだに一度は見舞うものだ。爆弾が残していった廃墟を原点にしている人達は、廃墟というものを見染めたところに帰っていくらしい。この廃墟は、今日どのように大きく育っているのだろうか。廃墟にはとにもかくにも物がある。

 ここで語られている、子供のからだに見舞う廃墟の体験とは、からだに「爆弾」を落とされて、「感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつく」(「病める舞姫」)ことを余儀なくさせられる、そんな体験を示唆していると思われます。その廃墟では、人間的な感情が多彩に色づけられたり、その内容が豊かに育まれることなどなく、感情でさえ物のようにからだからむしったりむしられたりするのです。人間的感情となるはずのものは「行ったきり戻らない脚」となって、そのとき本能的に土方の少年の「からだの中にもぐり込ませ」られることになるのです。すなわち、行方不明としてからだに記し記されるのです。そして、この感情となるはずのものとしてからだに記されているそのことの現在の行方こそ、土方のからだがまず後追いしようとするものにほかなりません。この後すぐさま、感情を物のように扱うというのには確かな理由があって、何かが自分に強いていたんじゃないだろうか、そう土方は告白しています。廃墟を語りながら、とりわけ廃墟において肉体が物と交わす感覚に注目しながら、そしてその注目する視線を逸れた途端に、自身の肉体感覚から逆に挨拶されるような思いも寄らぬ体験を報告しているのです。廃墟を見つめるものは廃墟に見つめられる。このとき、この廃墟という「肉体の闇」においては、外部のモノと交わす肉体感覚のその手ごたえは誰にも手をつけられることなく、そのときのモノのままであり続けている、そうみなされているようです。
 そして唐突に、先祖から伝わっているという「からだの入れ換え」が告げられます。すなわち、「貧相な印鑑体」が風葬にさらされたからだのようになって、その死体が生きたようになって、子供たちの目の前に迫ってくることがある、そう語っています。この「貧相な印鑑体」とは、からだに記し記されたそのままのような大人たちのすがたなのですが、その「印鑑体」に「からだの入れ換え」が起きて、子供たちの目の前に死体が生きたようになって迫ってくるというのです。この恐ろしく迫ってくる大人たちのすがたとは、土方が少年時代に見たとされる光景で、具体的には、田んぼの畦に足をすべらせないようにして、足下の堆い泥土を踏みしめ踏みしめやって来る蟹股の歩行です。この大人たちが蟹股を運ぶすがたが、特異な雰囲気をまとったものとなって、現在の土方には見えてくるのです。そのすがたは、周囲の物をからだに通過させるようにしてそこに記し記されるだけのからだとは異なり、周囲の物をからだに通過させる際に「からだの綻びを押える」ようにして、からだに記し記されるそのことの「起源」を押さえている、といいます。そして、そのように語るとき、「入れ換え」を見つめるものが「入れ換え」られようとしているわけです。

 見たものを忘語のように語るからだと金輪際夢見られない肉が併合されると、意外に宝物を発見する。この併合体はお互いに喰べ合ってしきりにもったいながっているのだ。

「見たものを忘語のように語るからだ」とは、からだが周囲の物と交感するそのからだに記し記される事態にあっては、おのずと錯誤の形成をからだに現象させている、そのことを示しているのでしょう。そして、「金輪際夢見られない肉」とは、「想像の肉」に与することなく、「飢え」を際立たせているからだのことを示しているのでしょう。両者の「併合体」が、「お互いに喰べ合ってしきりにもったいながっている」関係を抱握しながら、目の前の風葬されたからだとなって実現されているというのです。この「お互いに喰べ合う」という作用には、現象の質が異なる両者が、いっぽうが他方を内に採り込むようにしておのれを際立たせようとする、相互に作用し合って拮抗する関係、そしてそのことによる緊張が示されています。しかも、そうした関係において「しきりにもったいながる」とは、お互いに相手に「煽動されたり責められたり」して、この際立ち合う関係を強化していることを示しています。そして、この際立ち合う関係のさなかに発見された「宝物」とは、後に報告されているのですが、「廃墟を体験できない感性の粒子」が誰の手もつけられずに「肉の中に霧散して」いて、それがたとえば蟹股の身振りを介して一人歩きしている、そのように土方のからだに知られているものを指している、そう考えられます。そしてそれは、いっぽうで「先祖から伝わる」と言い表されていることから、おそらく、すでにこの世にいない者たちによって伝えられているものが、かつてと同じように今も反復された身振りとなって知られている、そうした死者の記録として捉えられているような「宝物」であると推測されます。つまり、その連綿と伝承されている死者の記録が現在のからだを使って一人歩きしているそのすがたが、蟹股を運んだ印鑑体と入れ代わってそこに、すなわち土方の目前にあらわれ、恐ろしく迫ってくるというわけです。
 こうした光景を見ていると同時に、このとき土方は、印鑑体に「からだの入れ換え」が起こって併合体となる、目の前のその変動に注目しているわけです。それがすなわち「宝物」なのであり、要するに土方は、感情に到らずに粒子のままで「肉の中に霧散した」ものが蟹股の身振りを介して一人歩きしているそのとき、死者という、(土方の)からだに際立たせられた暗い背景のようなものを連れ添ってくるその仕掛けに注目しているはずなのです。そのように注目する視線は、前の併合体を捉える土方の視線から推測すれば、「巨大な埋没史となって肉の中に霧散して」いるものが身振りを介して際立ってくるその「からだの入れ換え」が、からだに記された事態がおのずと錯誤を形成する現象をどう通過してくるのかという、(土方のからだの)その仕掛けに関わることの視線であるはずです。というのも、繰り返し言えば、土方の視線は目前の光景に向けられていながら、その視線はまた土方が自身のからだに、すなわち「肉体の闇」の変動のうちに見出そうとしているものでもあるからです。田んぼの畦を移動して来る人たちの蟹股の身振りが、極度のからだの疲労によってからだを動かしたくないことがからだを動かしているような身振りであることを、土方は身にしみるほどわきまえています。それゆえ、そうした光景が「入れ換え」られるさなか、そのとき変動するその変動にとりすがるようにして自身のからだに記し記されたその内容を尾行しようとする土方は、その場に止まることなく、すばやく「廃墟を過ぎて風化」へと、からだに錯誤を形成させる現象の方へと、注目するその視線を転換してゆくのです。ちなみに「廃墟」の体験に見つめられることで見出された未成熟な感性の粒子と呼ばれるものは、からだにしつけられないままにあるがゆえに、それは大きな潜在力を孕んだ「埋没史となって」からだに潜んでいる、そう土方には考えられているようです。

 ようようのことで鎌を使ったり花火を見上げたりしている人が騙されるのは、相手がじつは人ではなく、からだと向き合って苦しんでいたからだ、というわたくしの注目である。風化に対決した苦しみという場所でのみこの問題を括らないで、とりすがってくる風化現象を、逆に働き者として仕立ててやり、素早く便乗させて、からだの中に巣喰わせる。こうして扱われた風化を貧相な土の上にばらまいてやっているのだ。

 錯誤を形成させる風化現象をこのように肯定的に捉えることが可能なのは、一本脚の身体が抱える強度が、土方のからだの原理として強力に働いているからなのでしょう。ここでは、前の人間的感情となるはずのものについてもあっさりと解かれています。「廃墟を体験できない感性の粒子」は、土方にとって人間的感情へと育まれる「相手」ではなく、未成熟のままからだに霧散しているにすぎません。感情となるはずのものは、それは無理矢理しつけられるのではなく、自然現象と同様に物質の粒子運動を享受しているのです。そのことに注意を払いさえすれば、自身の挙動に騙されることもなく、また悩むこともないわけです。土方はそれにならって、しばしば自らの少年が馬鹿みたいに自然を模写する様子を報告しています。そして、懸案の身振りを介して一人歩きするものについていえば、とりすがってくる風化現象を、「感性の粒子」のままからだに霧散しているその動きに「素早く便乗させて、からだの中に巣喰わせる」、そうしたプロセスを通過させることであらわれる、そういいます。ただし、このプロセスを意識的に働かせることはできません。「風化は亡霊のようにあっちからこっちからやってくる」のであり、「小鳥一羽飛ばすにも、働き者である風化野郎との相談ずくでの命令がいる」からです。つまり、

 この構造は、物と風化とは一つのもので、その生命の行き来は、たとえば走っている人間を眺めても、何年も前の物のようにその速度を選んでしまうのである。つまり選ばされたということと、それを選ばしたはぐれたからだに帰してやる作業とが併合された、肉体観なのである。

 風化、すなわち錯誤を形成させる現象は、からだに「選ばされている」、つまりそれは、からだに否応なく再現されるのです。そして、錯誤することで「はぐれたからだ」となっている目前の肉体に、錯誤という風化現象をあらためて再生させる新たな作業がなされることで、初めて物と風化というその質的に異なる両者が際立ち合うという、併合体の構造があるとされるのです。からだに錯誤が再現されるというこの風化現象は、自己をはぐれるというよりも、あるいは同じことですが、現在において過去が「選ばされる」という、時間にはぐれることの経験とされています。このとき、からだに過去が再現される仕方が、ある身振りを介してモノのように一人歩きして際立たせられるには、そうした仕方でそのまま再現されようとするわけではありません。過去が再現されるかのような、身振りと共に際立たせられるその表現の構造は、からだに今再現させられている経験が今もう一度肉体とやりとりするという新たな作業を介して、あくまでも現在そのものがこのからだに際立つような事態を捉えようとするものなのです。そうした事態が、たとえば「異様な叫び」というような、経験の現在という意識さえ欠いた、言うならば超現在であるようなモノによって示されようとするのです。この超現在であるようなモノの証については、そのときからだが発する「痛いぞ」という声にあらわれるような、からだという「怪物のきしみ」にある、そう語られています。
「肉体の闇」という変動するあらわれ、その構成に隠れている現象を尾行する作業は、ここでいったん終えられています。続けて、錯誤がからだに風化現象として再現される光景が、例をあげて示されています。その光景はしかし、私たちがふつうに物を観察する仕方で捉えられるようなものではありません。「肉体の闇」という界面では、からだはあたかも時間の光線で透かし見られているかのようです。

 ひばりの塩漬を喰べていた人の話を聞いたことがあるが、そうした音の棲息している場の捉え方も、元はといえば、肉感の材質に巣喰ったばらばらの視座と風化のまなこが、同時に働いて捉えた結果であろう。わざと誤って鶏を叩く正しい計算も、偶然を飼育していた肉体がなした技であったかもしれない。こうした現象は、肉の中に溶けてしまった埋没史をちょっと揺さぶるだけで起るのである。環境と人間の賑わいが肉体の中では妄執に近い形成を遂げている。こうしてバラバラに形成されている秩序が遂に逸れてしまうような時、奇怪な祭祀が、舞踏にからだを貸し出そうと言い寄ってくるのである。

 ひばりの塩漬けをバリバリと食べる音が、それを見た光景を仲介にしただけで、小骨の歯ごたえや口の中を満たすバラバラと風化した事態として、ひばりの肉を食べたこともないのにからだにひとりでに再現されるというのです。鶏を棒で叩く身振りも、叩く人の身振りというよりも、ただ叩く形態としてからだに風化した事態がひとりでに再現されているように見えるといいます。こうした現象は、「肉の中に溶けてしまった埋没史」をはからずも胎動させるだけで際立つとされています。土方の尾行の航跡を振り返って推測すれば、それは、おそらく次のような次第を言うのでしょう。からだが外部の物と交わす感覚はおのずと働くにもかかわらず、それは否応なくからだに錯誤として再現される。この錯誤として再現されるものが、からだに霧散している未成熟なものの運動、それは未生なままで巨大な潜在力をはらんでいるわけですが、その暗い力を背後に際立たせることで、あたかも連綿と受け継がれている死者の記録のようにして、ふとからだに漏れ出、そして身振りとなってあらわれてくると。
 また、錯誤が否応なく私たちのからだに再現されているという視点からすれば、環境、いわゆる風土とは、私たちがはなから見知らぬものではないことになります。「環境と人間の賑わい」、つまり歴史がつねに、私たちのからだが物と交わす感覚の場に関わっているわけです。当然そのことは、歴史と人間との対称的な関係を意味しはしません。というのも、たとえ人間的感情となるもののその行方を見失っていたとしても、そこに純粋にからだが物と交わす感覚が働くのではないからです。働いてはいるが、気がつけば、私たちの手には違ったものが否応なく握らされているのです。この肉体においては、いつもすでに、錯誤が「妄執に近い形成を遂げている」のです。
 さらに、土方が示そうとする、死者の記録が現在のからだを使って一人歩きするような「からだの入れ換え」の構造を要約すれば、次のように言えるでしょう。外部の物との交感を介してからだに記し記される事態が錯誤を形成するその局面を、それとは質的に異なる、肉体に未然として際立たせられるような潜在力に関わらせることのできる肉体認識の「混乱」があると。土方は、こうした視線(認識)に始まり、次いで視線(認識)という形式をあくまでも逸れることで、そのことは前に述べたように一転してからだにモノ的な現象を連れ出してくることになりますが、からだが「怪物のきしみ」といわれるテンションに孕まれ、そうした身振りとして再現される機会、それを舞踏の開始とするのです。

 以上は、土方が「肉体の闇」という変動をみずから尾行するその航跡を、文章に沿って追った理解なのですが、しかし、こうした理解よりもはるかに重要な局面が、土方が語る内容よりも、むしろ語るその航跡の内に示されていると思います。舞踏が要請する肉体認識の「混乱」は、「肉体の闇」という経験の変動にあっては混乱というよりも、翻ってある原理に従っている、そう知れるからです。というのは、このとき身振りについてのあらゆる形成に関わると示唆されている「肉体史」が、おのずと「肉の中に溶けてしまった埋没史」となるのは、「肉体史」と仮に呼ばれるものが対象として見出されないからなのですが、いっぽうでそれは、次々と「肉体の闇」の変動を促すものとして、あるいは変動を求めるものとして作用していることがわかります。求め、視線を入れ換えさせ、そして埋没するからこそ、それは「肉体の闇」とは質的に異なるもののままで、目前の「肉体の闇」の方がその暗い背景を背負うことになるのです。要するに、「肉体の闇」という経験は次々と変動することで、それはますますそれとは質の異なるその暗い背景を内包してゆくのです。変動することで、みずからとは質の異なるものを内包し、そうすることで表現が展開されるという、「肉体の闇」とその暗い背景とが「喰べ合う」ことの原理が、「からだの入れ換え」を語る航跡の内に示されることになるわけです。もとより「肉体史」は、それはそれと規定されるものではありませんでした。それは結果的に、肉体に関わる認識の背後に跡づけられるようなものとして考えられていますが、実際には、その肉体認識が変動するさなかに浮かび寄り、そして埋没することで、かえって認識の「混乱」のうちにからだに知られるものの原理をあらわにしているのです。「肉体の闇」という界面において、「肉体という埋没史」は外に出るようにして確かな内部をもたらしている。隠れてはいるが、そうした原理によってからだに非在し、そして充実であるような現象として語られているわけです。尾行という時間を介して、「肉体の闇」とその暗い背景とが「喰べ合う」ことによって、非在するという仕方で緊張を抱え込んだからだが、このとき土方によって採集されているのです。
 そして、この「喰べ合う」ことの原理に従う「肉体の闇」においてこそ、特異な事態が起こっているのです。土方の「肉体の闇」には今見てきたように、それを跡づけようとする作業が背負うことになる暗い背景を通じて、たとえば人間的な表情からはぐれること、錯誤を働かせること、感性の粒子化、風化現象、肉の中に霧散しているものを潜在力とするといった、奇怪な衝動が次々と採集されてゆきます。「肉体の闇」が変動することで、暗い背景を背景のまま内包するという展開のさなかに、こうした「人非人」的な衝動がすばやく採り上げられることになるわけですが、それらの衝動は、暗い背景が求め、そして肉体認識とは質的に異なるままでその認識に内包されるようとして、つまり、そうした事態にすがたかたちを与えようとしてからだに採り上げられている、そんなふうにみえるのです。あるいは、この暗い背景は、「肉体の闇」という質的に異なるものとの間を具体的に行き来することのできる衝動という養分を与え合うことで、結果的に怪物的な事象と化しつつ、土方のからだに採集されている、そんなふうにみえます。土方が闇というものにつねに付き添わせている緊張を具体的に言うならば、この衝動という養分を介して立ち現われる、「肉体の闇」とその暗い背景とのすばやい関係、その動的な事態にこそ感じとることができるでしょう。
 さらに、こうした「喰べ合う」ことの事態において、土方のからだが歴史性という異質であるものへと遡行し、その徹底して暗い背景に関わることができる、そうみなされているようにも思います。たとえば、細江英公写真集「鎌鼬」(1969)には、土方が「暗黒の天空から際立つ稲妻」のごとく、暗い背景をおのれと共に引きずって瞬くような光景が見事に捕獲されています。ただしここで心得ておきたいのは、土方のからだそのものが瞬間的に稲妻のような現象を起こしているという、そのことです。その光景は、人の手で造形されたイメージではないのです。こうした光景が成り立つのは、今見てきたようなからだの「入れ換え」に肉体を意図的に関わらせることのプロセスが、土方によって試されているからだと思われます。土方は、自身を生み育てた環境、すなわち、自身のからだに歴史性を記し記された場において、時間的にはぐれることの錯誤の形成にそのからだで一瞬にして関わっているのです。土方は、故郷秋田の地にいながら同時にそこにいない存在、つまり、かつては存在したが今はいない存在であるかのように、そこで振る舞っているのです。そこに、あたかも歴史性と錯誤の形成とが「喰べ合う」ような光景としてあらわれているものが記録されています。「鎌鼬」という真空渦巻く衝動を介して、そこに切り開かれたようにして暗い背景が浮かび上がり、光景全体が錯誤の再現となって活気づいています。「田圃を背負う人」という逆説的な表現が示す光景が、そこに見事に息づいています。土方のからだはみずから時間的にはぐれ、その光景にまで錯誤としてあらわれるものをもたらしていますが、このとき錯誤を再現させてしまうもの、すなわち生がおのずと自己表現するその欲望にこそ、土方のからだは焦点をあてているのでしょう。そうしたからだの姿勢を明確にすることができるのは、そこに展開される肉体が、あくまでも仮構された一本脚の強度から眺められている、それだからにちがいありません。