Wednesday, May 16, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 二 闇の原理 

4. 闇と病芯                

「静かな家」を最後に、土方はみずから舞台に立つことはありませんでした。けれども、その後の土方は、舞台に立つことがないとはいえ、からだに「肉体の闇」として際立たせられる差異を要請し続けていたのです。そして、差異を自身のからだに要請すると同時に、一転してその要請が、他者のからだに集中して向けられることになりました。土方は、他者のからだに差異として見出されたその雑多なあらわれを、自身の眼を通して一つずつ整理し、そして名づけていったのです。その雑多なあらわれは、土方が舞踏作品を制作するに際して見事な素材に磨き上げられ、転じて肉体を操る差異そのものとして、踊り手のからだに再現されることになったわけです。
 この頃、すなわち、1974年から1976年にかけてアスベスト館で連続上演された舞踏作品は、ほぼ一ヶ月おきに新たな作品という驚異的なペースでつくられています。途切れることなく続けられたその創造活動のさなかに譫妄が、衝動というよりも譫妄が、差異を見出す土方の活動の中心軸に据えられていったようですが、この譫妄を芯にして、おのずと差異もまた鍛え直されていったと思われます。譫妄とは、病の一症状です。「肉体の闇」という、それ自身における差異としての肉体認識を引き継ぎながら、新たな段階を得て語られるのが、「病」です。新たな段階とは、それまでみずからのからだで表現していた土方が、他者のからだを介して舞踏表現に専念している、そのことです。
「肉体の闇」が、犯罪的もしくは病的な暗い視線と共に知られるものとして示されていることから、病と闇とは近しい関係にある、そう言えなくもありません。共に自身を正当な光の中で語らない。そして、病もまた闇と同じようにからだに巣食うものです。しかし、病と闇とは同じものではありません。病は、闇よりも現実的に、そして具体的に、からだの感覚がおのれに見出す差異として体験され、私たちのからだに明白に知られるものだといえるでしょう。要するに、近しい関係にありながら、病は闇よりもアクチュアルなものなのです。土方が好むような語法で言えば、「やまい」とは、「やみ」に帰ろうとして動詞になりかけている、そんなすがたをしているのです。
 この病について、土方は、「包まれている病芯」という文章の冒頭で語っています。白桃房によるアスベスト館での連続公演を終えた時期、すなわち1977年に書かれた文章です。その前の年に、白桃房連続公演の最終演目である「鯨線上の奥方」が発表されましたが、その舞台は、多彩にして繊細な舞踏符群によってつくり上げられた作品としてつとに名高いものです。この頃の土方は、舞踏符によって肉体が開き、閉じるもののことを熟知していたようです。その熟知の一端が、この文章から読み取ることができます。その中心に、「病芯」が据えられています。

「でんぐり」という紙製のおもちゃがある。肉体で、たとえば花を、そのおもちゃのめくられてゆく花弁が包み込んでいるようにも、包み込まれているものが包み込んでいるようにも描写した場合、すでに内部に病気が巣を作っている。包むものが包まれているような花弁は、かりそめの皮膚として、その動きは視覚に訴えるものよりも、肌合いを感じさせるもの程良い。こういう状態は、みずから動くというよりは、こういう状態に属する生として存在する、と言ったほうがいい。内臓が皮膚に、皮膚が内臓になるという裏返された連続性のなかにこそ、さまざまな思い出の蘇生が始源の姿を鮮明に保ち得ているとも考えられる。こういう状態を私は病体とよんでいるが、この病体の疼きのなかには病芯ともいえるものがあって、この病芯がめくられていく花弁の構造を促しているのであろう。この病芯に導き促されてくるものは、みるようにめくられ、みられるように包まれる、そんな関係のねらいつけの前には姿をあらわさず、その人の根底がふるえているような状態のとき姿をあらわしてくるのである。

 この頃、その極みにあったと考えられる舞踏符の技法についてあらかじめ述べておけば、その技法は、かたちだけでなく、モノの質感や空間、ときには時間感覚をも伴わせつつ、神経全体を総動員して肉体を条件づけすることによって為される、肉体による描写を基本とした作業です。いっぽう、あくまでも描写であることから、条件づけする際には、虚構の感覚が保たれていなければなりません。この虚構の感覚が保たれていることによって、舞踏符を用いて描写することが目的とされているのではなく、描写することのうちに肉体にあらわれるものを示そうとする、そうした技法であることがわかります。そうであるにもかかわらず、神経を総動員して肉体を条件づけすることが舞踏符による第一段階の作業である、そのことに変わりありません。
 舞踏を振り付ける際には、言葉による舞踏符の指示が、からだの条件づけを進行させてゆきます。つまり、踊り手の肉体とその神経は、次々に異なった舞踏符の指示によって条件づけされてゆくわけです。そこに進行してゆく、条件づけによって変化するからだ(空間)の過程、あるいは踊り手の神経の変動がもたらす(時間の)意匠といったものが、私たちが舞踏表現として目にするものではあります。むろん、その条件づけは言葉が指示するものから一転して、踊り手が肉体を操る差異として展開されていなければなりません。
 しかし、おそらく土方は、舞踏を進行してゆく過程、あるいは展開される過程とは見ていないにちがいありません。少なくともこの文章を読むかぎり、土方は別のものを見ているようです。最初に、「でんぐり」という、開いたり閉じたりする紙製のおもちゃを提示しながら、そのあり様を、肉体で「めくられてゆく花弁が包み込んでいるようにも、包み込まれているものが包み込んでいるようにも」描写するとき、土方はそこに皮膚を見ています。それは「かりそめの皮膚」と言われているように、その皮膚は、内部を外部からへだてる役目をしているようなもののことではありません。それは、内部と表面とが「裏返された連続性の(さ)なか」としてある、そう表現されています。つまり、めくられたと同時に包み込むものがあって、そのとき内部があらわになったと思いきや、すぐに内部は退くと同時に、内部があらわれることで包み込むものが一瞬にしてそこに表面化する、そのことの途切れがないこと、その連続のことを言っているのです。その連続性のさなかとしてあらわれるアンフラマンスなものが、皮膚と言い表されているもののことです。
 内部と外部の転倒、もしくは入れ換えを介したこの独特なあらわれに関する形式は、土方がしばしば語っている瘡蓋の喩えを考えてみれば理解しやすいかもしれません。からだにぱっくりと口を開けた傷がみずからを塞ごうとして、みずからの傷表面、つまり膿ですが、その膿を素材にして瘡蓋がつくられる。そのように傷自体の素材、すなわち内部の素材によって内部と連続する表面を外部として形成する瘡蓋のこと、それが「かりそめの皮膚」というわけです。しかし、瘡蓋はそのまま放っておけば本物の皮膚となり、内部と外部をさえぎるものとなってしまいます。だから、この「かりそめの皮膚」を維持するには、ひたすら瘡蓋をむしり、膿を出し続けなければならないのです。
 土方が、「肉体の闇をむしる」という言いまわしによって示そうとするのは、舞踏表現に関わるこうした傷をめぐる認識でもあります。「肉体の闇」とは、「私」という認識で覆われた皮膚に見出される傷なのであり、その傷は、「私」という認識の皮膚を構成する以前の、起源である闇そのものを際立たせようとするのです。そして、闇とは、傷表面の膿をかきむしり、瘡蓋をむしりとり、また膿をかきむしりというようにして、むしることによって際立ち、そしてむしり続けることでそこに懐胎されている、言い換えれば、すでに構成された事態をめぐってあらたに構成されようとするものが、構成されないままでそこに際立たせられようとする、そのことの連続的な反復のうちにあらわになるものとして知られるわけです。
 そのことを、目前のからだがあらわしてみせる局面が、ここでは「かりそめの皮膚」と言い表されており、したがって、「肉体の闇をむしる」というよりは、むしろ、そのあらわれを他者のからだに見出している土方の視線があることがはっきりと示されています。こうした視線からもわかるように、土方は、「めくられ、包み込む」ものによって舞踏の実現を技術的に支えるとされる舞踏符による表現形式について、ここで新たに語り示そうとしていると思われます。
 舞踏符による肉体の条件づけは、(身体化した)からだに裂け目を入れるようにして、踊り手のからだに傷口を開かせます。そうやってめくられた傷口は、たちまちのうちに内部という素材によって塞がれようとする、つまり包み込まれようとするのです。そのとき、土方の目の前に踊り手の「皮膚」があらわれるのです。その「皮膚」は、踊り手のからだが記し記されているという、その「始源の姿」をありありと保蔵しているものである、そう土方には考えられているようです。このとき土方は、その「皮膚」としてあらわれるものの瞬きを見ていると思われます。「かりそめの皮膚」としてあらわれ、そこにふるえているものを見ている、そう言っていいでしょうか。それは進行し、展開されるというよりも、ときに強く感じられたり、弱く感じられたりするような変動であり、土方が「肌合い」と呼ぶ、ときに暖かく、また冷たくふるえているような、「生として存在する」もののことです。それはそのように肉体に明滅としてあらわれている、そうしたもののようです。
 そこに「皮膚」としてあらわれる生の明滅は、「内部」という素材を感じさせるものほどよい、そう土方は言います。このとき、「内部」という素材をあらわれへと導くもの、それが「包まれている病芯」と知られているわけです。誤解のないようにいえば、この「病芯」とは、「病芯」としてあるもののことではありません。「病が巣をつくっている」と示されているように、それは病が本来そうであるような、潜勢的なものとして見当づけられているだけなのです。またそれの「出入口はない」とされているように、本来それはそれとして語られないものなのです。「病芯」とはあるものなのではなく、「めくられ、包み込む」ことの仕掛けにおいて、「内部」の素材に病の熱を帯びさせるもののことなのです。言い換えればそれは、ヴァーチャルな「肉体の闇」に疼きを覚えさせることによって、「肉体の闇」の変動が抱える豊饒な埋蔵物を「めくられ、包み込む」ようにしてあらわになる皮膚として、肉体によるアクチュアルなあらわれへと促すもののことを示しているでしょう。要するに、暗い背景を現働化するものとして働いていた奇怪な衝動が、より事物性を帯びた疼きをからだに覚えさせる、「病芯」と呼ばれるようになったと思われます。
「包まれている」内部そのものが、「内部」という素材をあらわれへと導くことになる。舞踏符を振りつけられて、肉体という自然はそのようなことを行なってみせるのであり、そのいっぽうで、土方は肉体を条件づけすることにより、肉体がめくられ、包み込むようにして「皮膚」としてあらわれる、その生の明滅を見ているわけです。そして、そのことを促している「内部」の潜勢力のことを「病芯」と呼んで、舞踏という技芸の性格を特徴づけているように思われます。
 このように、「病芯」という病の熱を帯びさせるものが闇に替わって語られているのは、このころ舞踏符の技法が確立されて、今述べてきたようなからだがあらわしてみせるものの性格がかなり現実性を帯び、土方の目の前で明らかになりつつあったからなのでしょう。そして、そのことを語るに際して、闇よりも、病の疼きというものの経験的性格が注目されたのだと考えられます。病の疼きは何をおいても、幼少の頃より「私」にとって異質なものであることで、私たちに馴染み深いものであるからです。しかし、この異質感は、病が生を「喰らう」という現象において、生にとって底知れないものでもあります。それゆえ私たちは、病を病という主体として認めようとはしません。病は私たちの健康に相対してのみ認められる、否定的なものなのです。この病はしきりに肉体感覚の差異を訴えるのです。健康であるとは、こうした肉体感覚の差異と無縁になることです。だから病は、ふつう取り除かれねばならないとされています。病をそれと認める場合がありますが、それは、それを取り除くという目的が第一にあるからです。いっぽう、病が取り除かれずにそこにある場合は、「疼き」という、からだに見舞う混沌として言い表されることになります。それは、生がどうしようもなく抱える、「私」にとって異質であることの熱なのです。病とはそうした意味で、身体感覚というよりは、それは熱という、からだが表そうとする確かな事物を示唆していることになるでしょう。堂々巡りをしているようですが、この病にもきわめて明瞭な点があることを示そうと思うからです。それは、「疼き」という混沌であることで、逆に身体に事物としての確かな手ごたえをもたらしているという特徴です。病の「疼き」とは、「私」に無関係なものがただひたすら訴えるそのことの事物性を、私たちの身体に明瞭に示すものなのです。

 最後に言い添えれば、土方がこの「病芯」を語る段階において、ある断絶が隠されているように思います。かつて「疱瘡譚」(「四季のための二十七晩」第一部)の舞台で、土方はみずから病者を踊っています。天上からの圧力に必死に抗しつつ、崩れることを知りながら執拗に立ち上がろうとする、今みてきた舞踏符による表現とは別種の力の表現がそこにまざまざとあらわれていました。いっぽう、この時期の舞踏表現は他者のからだを介することで、土方のからだが意図するものに沿ってというよりは、むしろ舞台を構成するためのマニエリスム的手法において完成されているようにみえます。個々の踊り手の舞踏表現はそれぞれ色彩のようにあらわれ、それらの色彩が絶妙に構成されることで、舞台空間というキャンバスに強度をもたらすものとして扱われているようにみえるのです。「病芯」がもたらすものは、土方のからだにおいてはなく、土方の目に集中する感覚において取り扱われているのです。そこには、自身のからだで闇を扱う視線を断絶することと引き換えにして、舞踏符の形式による舞踏を完成させた土方がいる、そう思われてなりません。土方のからだは、このとき他者のからだを見つめることで、逆に何ものかに見つめられているようです。