Monday, May 21, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 四「病める舞姫」と差異的意識 

1.「病める舞姫」というパフォーマンス

 土方巽著「病める舞姫」(1983)は、かつて前例のない、そう言っていいような日本語のテキストです。内容においてもそうですが、文字による表現そのことが、他には見られない特異な形式に貫かれています。その特異性は、テキストが執筆される時点からすでに際立っていたようです。
 土方が「病める舞姫」を執筆する経緯に関しては、様々な証言があります。たとえば、土方はこの作品をまず口述筆記させたということですが、それも部屋の押入れの中に炬燵を持ち込み、その暗がりの中に弟子の筆記者と共に入り、口述筆記させたというものです。その真偽はわかりませんが、土方が「病める舞姫」という特異なテキストを生み出す、その現場の雰囲気が妙に伝わってくる話です。土方が、夫人や身辺の世話をする人たちに口述筆記させたのは事実です。が、テキストのすべてにわたってであるかどうかはわかりません。また土方は当時、執筆場所にしていたアパートの部屋に複数の机を配置し、一つの机で執筆するのではなく、気が乗るままに手元の机を選び執筆していた、そんな証言もあります。さらに他の証言によれば、口述筆記させた文章を部分ごとに並べ、あるいは弟子に並べさせ、つぎはぎのようにして一つの章にまとめあげていったといいます。いわばカットアップの手法をとったわけです。しかし、どちらかといえばこの手法は、まず断片としてつくり上げられた踊りを、最終的に一編の踊りに構成し上げる作業に似ているような気がします。とはいえ、この手法が一貫して用いられたのかどうかはわかりません。が、そのつぎはぎの形跡は、テキストにはっきりとみてとれます。そうしてできたひとまとめの文章を、今度は詩人の三好豊一郎の目を通してチェックさせたといいます。ここからは事実です。三好は、文章の主語を定めるのに苦労したと証言しています。書かれた文章に主客の不明な部分が数カ所にわたってあったのですが、それについて土方に確認しようにも、土方本人が戸惑っていたそうです。これは重要な証言で、意識のオートマティックな状態で口述されたかのような文章には、頻繁に主客の逸脱があったのです。それは現在残るテキストにも、そうした箇所がいくつか見られるとおりです。
 こうして雑誌「新劇」に、1977年四月から翌年の三月までの一年間のあいだ、十回にわたって連載されました。連載は十月号の時点までは規則的になされていますが、その後やや変則的になされています。その理由については後で述べることにします。そして、1983年に単行本にして出す際には、今度は鶴岡善久に手を入れさせています。鶴岡は、以前にも土方の依頼によって、「犬の静脈に嫉妬することから」を編集しています。鶴岡の手によって、このときテキストの冗長な表現や繰り返しの部分が取り除かれています。土方は、この鶴岡の手になる修正作業にいっさい口を挟まなかったといいます。鶴岡に全幅の信頼を寄せていたのでしょうか。そうでもあるでしょうが、どちらかといえばこのことには、いったん自動記述された自分の声にあらためて自分の手が入ることを断固として排除したという、土方の強い姿勢がうかがわれます。つまりそれは、こういうことなのではないでしょうか。舞台で踊りを踊る現場では、私には私が踊るからだを人が見るようにして見ることはできません。だからそのとき、踊りながらその踊るからだに自分で手を入れられるはずがないのです。それと同じようにして、いったん声にしてあらわしてみせたテキストをあらためて作品として世に出すに際して、声を発している現在以外の時点からその声の主でないようにして自分が手をつけることはできないとされたのでしょう。
 そうだとすれば、土方が(自動)口述筆記の方法をとり、またなぜカットアップのような手法をとったのかおのずと腑に落ちてきます。土方は、みずから踊りを踊る神経で語り、すぐさまおのれの声を、踊りの舞台と同じようにおのれで構成してみせようとしたのです。むろん「病める舞姫」はテキストという形式で残されており、それは踊りではありません。が、このテキストは通常のテキストと呼べるような代物ではありません。その読みづらさには格別なものがあります。だからむしろ、土方のからだに経験されている何かしらの変動が声として文字に跡づけられ、その個々の変動を抱える声が舞台を構成するごとく構成されてテキストとして残されている、そうした異例の形式に貫かれた表現と考えた方がよいと思われます。そう考えれば、テキストの字面をそのまま理解しようという試みに伴う問題も氷解するのです。「病める舞姫」に記された言葉は文字というよりも、土方のからだに経験されている変動を示すような声なのです。その声は声ゆえにすぐさま変動し、その声を聞くことで内省し、剰余を生み出すような展開は何も示されません。したがって、主客が明らかでない部分が頻出する理由も明白となるでしょう。土方にとって、主客を明確にして、語る現在から遠のくようにして定着する光景を残すことが求められていたのではなかったからです。土方はただ、主客も定かでない薄明のからだに経験され、変動としてあらわれている、目前の生き生きとしたものを掴むことしか念頭になかったのです。夢に限りなく近い意識の薄明状態のまま、土方はからだに梯子を降ろし、からだの起源であるはずの闇というものの構造に向かって降りてゆく。そのとき土方のからだは闇というよりも、からだに記し記されているものが止まることなく変動するような、肉体の闇という界面現象として経験されているかのようです。その変動するあらわれを、声というモノに中継させることで掴もうとする。土方が目前にする、生きた現在を掴もうとするその声を、実際に私たちはテキストを通して聞くことができるのです。録音されたライブパフォーマンスのように、聞くことができるのです。こうしたパフォーマンスはすでに、「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」(1976)において実験済みです。したがって、「病める舞姫」は文字に表されているとはいえ、そもそもこのテキストは音であり、一読すればわかるように、音の要素を強く引きずるものとなっています。音ばかりではありません。いたるところに敏捷な身振りさえみてとれるのです。さらに暗転があり、溶明があり、素早い舞台転換があります。視線を着換えるための小さな場面の挿入もあります。土方は明らかに、テキストと向き合うパフォーマンスを目論んだのです。
 そのことは、「病める舞姫」というタイトルにも見てとれないことはありません。この時期の土方は、舞踏家と称しながらもう長い間舞台に立つことがなく、周囲では土方はもう踊れないのではないかとまで噂されていました。そうした自身をめぐる状況を逆手にとって、自分は病という事物に絶えずこうして踊られているじゃないか、そのような衰弱したすがたが、土方自身によって「病める舞姫」と名づけられている、そう考えることもできるでしょう。しかし、その命名は、みずから舞踏する事態を象徴的に示そうとしているだけではないでしょう。それは、土方にパフォーマンスの疼きをもたらす、その病芯をも言い表そうとしていると考えられます。たとえば、「病める舞姫」らしき像が、テキストの冒頭の章にかぎって、二箇所にわたって描写されています。が、冒頭にわずか二回しか描写されていないとはいえ、「病める」女性像に関していえば、彼女たちはテキスト全編にわたって間欠泉のごとく繰り返し登場しています。また「舞姫」に関していえば、最終景で二人の女が舞踏する情景が劇的に語られています。こうした内容をみれば、「病める舞姫」という潜在的なヴィジョンのようなものが、土方がパフォーマンスするその病芯として、不可視ではあるがテキストの舞台全体に臨在しているのがわかると思います。そのヴィジョンは病の床に伏せったまま、けっして立つことがない、そう配慮されているのです。すでに述べたように、土方は「病」の語に闇を受け継がせているようです。肉体の闇とは、肉体に関わる認識がそれ自身に見出しているような差異的な経験でしたが、土方が自身の「内部」を差異として見出そうとする志向性は、この「病める舞姫」を語る作業において著しいものがあります。そのことからすれば、奇妙にもといいましょうか、むしろ土方の意図するとおりといいましょうか、この「病める」というタイトルには両義的な意味合いが示されているように思います。それは、いっぽうでは踊れない状況にある土方の衰弱を示し、他方では自身の「内部」を差異として見出すからだの疼きとして、積極的に機能するものとなっていることです。この両義性はそのまま、テキストに向き合うパフォーマンスが目論んでいるもののようです。すなわち、衰弱は衰弱のままでそのすがたを損なうことなく、その衰弱のうちに差異が見出されているというような現在の明晰な仕掛けがおのずと際立たせられる、そのように土方がパフォーマンスするすがたとしてあらわれてくるものを目論んでいる、そう考えられるのです。
 さらに、テキストがパフォーマンスであることは、あらかじめ構成がはっきりと決められていることからもわかります。すなわち、四季という構成です。土方はかつて、「四季のための二十七晩」の舞台で四季を構成しています。その際に四季とは、四季が一挙に舞台化されているように、まるごとの四季なのです。この四季は、土方のパフォーマンスを考える際に見逃せないものです。「病める舞姫」では、四季は以下の通りに配分されています。テキストのパートごとに掲げられた数字を、便宜的に「景」と考えることにします。
 三景 春
 四景 春または初夏
 五景・六景 夏
 七景・八景 晩夏
 九景・十景 秋
 十一景・十二景・十三景・十四景 冬
 ちなみにこのテキストの四季は、土方が現実に執筆した季節と同じくしているようです。すなわち、土方は春の景を春に記述し、冬の景を冬に記述したのです。連載が後半に変則的になっているのは、執筆時の季節とテキストの季節を合わせるように努めたからだと推測されます。このことから、夢を見るのに近いその語り口、あるいは自動口述するに際して、語るその内容が現実の季節と少なくとも一致するという環境が、土方のからだにとって重要な要件であったろうと考えられます。おそらく、現実の四季を通じてからだに変動としてあらわれる事態に、あくまでも忠実であらねばならないとされたのでしょう。
 とはいえ、その四季の配分を見てもわかるように、春は短く、冬は長い。夏はいっきに高まり、いつのまにか秋が深まります。それは、現実の四季とは異なる、土方の少年が棲まう東北の四季でもあります。が、この東北の四季は、けっして東北の現実であるとはかぎりません。夏の中に一瞬冬があらわれ、冬の中に夏が瞬く。それは、土方の少年が見るままの、いわば季節というものの重層的な光景なのです。この四季が、おのおのの光や温度、湿気や風といったものを伴ってくるのですが、そうした空気の体感は、少年のからだを通じて自在に変動しているようです。それゆえ、四季は土方の記憶というよりも、少年のからだに繰り拡げられているもののように語られています。この四季は、ただの四季ではありません。たとえば、光は一見かつて射していた自然の光のようではありますが、それは実は、土方が現在のからだに見出しているだけのどこにもない光のようです。その光はどこにもないもののように射していますが、少年のからだには確かに感じられているもののようです。このように、四季は単なる四季の光景などではなく、土方と少年のからだを行き来させることを可能にさせるような、そうした確かな時空として設定されているように思います。
 テキストの舞台の中で一貫して語られるこの「土方の少年」が、単に回想の少年ではないことは本稿の冒頭で述べたとおりです。「土方の少年」が抱える虚構性とは、土方の現在がつねに抱えている、少年という未生のままのものを示そうとする姿勢に由来するのです。その少年のすがたは記憶のすがたというよりも、土方のからだに経験されている、未生にして変動するすがたとしてあらわれているのです。この変動するすがたが土方自身と重なり、ときおり誰が何をしているのかわからなくなるという事態をつくりだしているわけです。この不明な事態は、土方と土方のからだに棲む姉との関係によく似ています。が、姉の場合は、死者としての姉であることで、自己の不明な事態を呼び起こしていましたが、「土方の少年」は死者という他者ではありません。それは、からだから自己を解こうとして土方がそのすがたにすべてを託している、土方のからだに仮構された、未生に関わろうとするもののすがたなのです。この特異な事態が、土方である「私」と、少年である「私」との差異に土方を関わらせているようです。土方は、「少年」という変動するすがたとしておのれにあらわれているものと、自身との差異に関わり続けているのです。その関わり方は、実に微妙なものです。土方はその変動するすがたを素直に見つめ、そのすがたを身に重ねたり、また身をずらしてみせたり、またそれから離れてみたり、さらに変動するそのすがたを命名したり、すがたを操作しようとして逆に過ちを指摘されたりといったふうに、様々な仕方でそうした差異を操ろうとしているのです。土方はこうした差異に関わりながら、関わることですぐさまそこに変動する時空をぐんぐんと身に呼び寄せていくのです。その変動は、たとえば、「生えてくるのは、ちょうど妖精が立ち止って他の精霊を呼び寄せるような症状」(「人を泣かせる…」)に見舞われて、次々と呼び寄せられてくるのです。
 土方である「私」と、少年である「私」との差異は、土方の声が文字になることで、もう一つの差異を浮かび上がらせています。このことが、土方と少年とを区別し難いものにしている原因ですが、しかしこの不明な事態にあっても、土方は実に精妙な神経を働かせています。主客の逸脱は、確信犯的な逸脱なのです。土方が少年である「私」を語るその声の調子は、最初は記憶をたどるふうにしていかにも明瞭なものなのですが、次第にその明瞭さはためらいがちとなり、暗さの中に溶け入るようにして朦朧となり始めます。この朦朧さは逆に、もう一つの差異が見出されている事態を示しているわけです。このとき土方は、「私」という主語に、少年とも土方とも見分けのつかないすがたを重ねながら、いかにも土方と少年とがぶれて重なるような「私」のすがたを示しています。ただぶれて重なるだけではなく、少年である「私」が何の手続きもなくいつのまにか土方の「私」になっていた、という事態さえ示されています。こうした文章表現に伴う差異は、そのまま精妙に見つめられる方へと展開されてゆくことになります。たとえば、朦朧とした土方の「私」が不安定な速度をもった少年を抱えながら、ときおり「私」の調子が少年に定まるかと思えば壊れ、そこに少年が定まったと思いきや次には朦朧とした土方の「私」のうちに解消される、といったような事態にあらわれています。こうした、土方の「私」が声にした途端に「私」から逸脱するようなその声の航跡は、土方がテキストに向き合うパフォーマンスをすることで密かに目論んでいる、舞踏する身振りのようにさえみえるのです。
 そしてさらに、もう一つの差異の次元が示されています。それは容易には見定めがたいのですが、「私」のからだと、「少年」のからだとの差異です。土方は、おのれのからだに経験としてあらわれては消えるもの、すなわち、からだに記し記されたものが形成するその痕跡を報告するのに最初は難儀しているようです。しかし、少年のからだに折り畳まれていたと思しき、蜘蛛の巣のように微かで巧妙な神経網に逆に自身のからだを絡みとらせるようにして、その形成するものの痕跡を自分の声にしようとするのです。その報告は、ときおり嘘をつくこともあります。が、少年のからだにあずけられた土方の願いは、あくまでも誠実なものです。少年のからだに折り畳まれていたものが拡げられたときに、そこに黴のようなものがうっすらとかかっていて、土方のからだを闇に繋ぎ止めておいて欲しいと願うときもあれば、骸骨の骨をした少年のからだに映る純粋なものを、おのれのからだにそのまま映し出したいと願うときもあります。少年のからだに託しておのれのからだに折り畳まれているものを拡げようとするその作業には、何よりも生のよみがえりに関わろうとする、土方の熱烈な身振りが示されているような気がしてなりません。冒頭、「からだの無用さを知った老人」の気配に土方の神経が関わることが、いきなり「土方の少年」を生き生きと明るく活気づけているように、そこにはひょっとして生というものの秘密が隠されているのかもしれません。
 衰弱に関わりながらも、「病める舞姫」というテキストに向き合うパフォーマンスにおいて、土方が語る声の身振りは生き生きとしています。そのぴちぴちとしたものをとらえて、私たちはこうだと解釈することはできません。が、目前のパフォーマンスに立ち会いながら、土方がおのれの差異的意識に関わろうとするそのすがたを示すことはできるはずです。目の前に浮かびくるその敏捷な身振りを、あくまでも個人的印象として示してみたいと思います。