Friday, May 18, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 三 舞踏のテクネー 

2. 舞踏のエロティシズム       

 土方巽が初めて世に問うた舞踊作品「禁色」(1959)の舞台は、三島由紀夫の小説からとられたそのタイトルからもうかがわれるように、バタイユのエロティシズム思想の色濃い影響下にあったと考えられます。性愛という主題、供儀としての舞台、半裸のすがたなどから、そうと知れます。そしてさらに、土方が土方巽となるべく初めて挑んだ独舞公演「土方巽と日本人」(1968)の舞台は、その内容においていっそうエロティシズムに捧げられているかにみえます。祭儀としての舞台空間、あまりの暴力性に満ちた肉体の身振り、そして肉体の聖性は文字通りの「肉体の叛乱」として示されたのです。このように、土方の舞踏表現は、その始まりにおいてエロティシズムの思想に支えられていたかのようです。そのことを証すかのように、「刑務所へ」(1961)という文章のなかで土方は、舞踏のヴィジョンをバタイユに代弁してもらっています。

「裸体は閉ざされた状態、つまり非連続の生存状態に対立する」とジョルジュ・バタイユが言っている、「裸体は交流状態であって、それによって存在の可能な連続性の探索が明るみに出る。肉体は猥褻の感情を抱かせるこの秘かな行為によって、連続性に道をひらく。裸にすることは、それが十分な意味をもつ文明のなかで考察されるならば、死刑とひとしい」—このバタイユの言葉は、裸体が孤独であると同時に、存在の連続性、つまり死によって始めて達成される人間の連帯への、ぎりぎりの接近であるように思われる。そのような悲劇の舞台、裸体と死刑とが不可分に結びついたドラマの舞台をぼくは刑務所に見る。

「エロティシズム」から引用されてはいますが、原文のこの部分は「性愛行為」の文脈のなかで語られており、死刑への言及はありません。明らかに土方は、その内容を違う意味に捉えているのです。むろん、そのとき翻訳を伝えられた経緯に誤りがあるのでしょうが、この誤読は逆に、土方の舞踏のヴィジョンを活気づけているように思います。
 土方は裸体であることの孤独を感じている、語り伝えられている「禁色」の舞台には、そのことがよくあらわれています。だから、その孤独な裸体が実は存在が交流状態に開かれる瞬間であるという、バタイユの思想を迎え入れているのです。そして、その瞬間にあらわになる連続性、バタイユによれば死にぎりぎりに接近することで知られる「存在」への溶解ですが、その連続性を人間同士のありうべき連帯を開始するものと誤読して、そのことによって土方は、裸体から死刑の連想へと連れ出されているのです。死刑は、死の意識によって人間の存在を裸にし、無防備なモノにすることで、存在同士の交流状態へと開かせる「非劇の舞台」だからです。誤読ではありますが、それはエロティシズム思想の正しい解釈であると思います。

 エロティシズムとは、存在が意識的に自分を揺るがす不安定さのことなのである。ある意味では、存在は客観的に(客体として)滅んでゆく。だがこのとき主体は滅んでゆく客体と合体している。だから必要とあらば、こう言うこともできよう。すなわちエロティシズムのなかで私は私自身を滅ぼしている、と。(「エロティシズム」)

 裸体であることは、その人を不安にさせるのです。裸体は、目の前の肉がおのれの肉体認識を揺るがすという、暗い不安を人に突きつけるのです。それは、裸体が、想像の肉をつくりあげている「私」という瘡蓋を、否応なくむしりとろうとするからです。土方が考えるこうした裸体は、自然としての裸体というよりも、人間という「存在」を問いに付すものとしての裸体が考えられているわけです。エロティシズムの思想は、その裸体が人間の疎外された状況を示すのではなく、肉であるそのことを際立たせることで、逆に存在を連続性へと「合体」させるその契機となる、そう説くのです。
 その裸体は、バタイユのエロティシズム思想においては、何よりも性愛行為を開始するものとして見出されています。それゆえ、裸体は禁止され、禁止されていることで、その侵犯において人を恍惚状態へと脱せしめる契機となるものと考えられているのです。いっぽう、土方はエロティシズムについて、誤読もしくは逸脱を重ねているように思います。土方は、裸体であることで、からだが侵犯するものこそをエロティシズムの名においてとり出そうとしているふうですが、エロティシズム思想の核心である、裸体を介した禁止と侵犯の躍動する次元に関わることなく、エロティシズムが示そうとする、裸体による存在の連続性をめぐる主題に関わるにとどまっています。しかし、そのことで土方は、かえってエロティシズム思想が継承しようとする、「深く遠い文化層」であるような核心的主題を受け継いでいるようにみえるのです。というのは、土方がエロティシズムというものを、解体し懐胎される場として継承しようとしている、そう考えられるからです。「裸体である」ことで「私」の身体を解体し、そこに交流状態が懐胎されるという、私たちの身体が数千年にわたって欲望しているような場としてその身に引き受けようとしている、そう考えられるのです。そのことは、土方がエロティシズムの力を借りることで、自身の肉体を見舞う非連続の感覚、すなわちからだが亀裂に見舞われる事態に、正々堂々と「交流状態」を充電しようとする企みにはっきりとみてとれます。舞踏表現に際して、「ひびが入って形成されたからだ」に「闇がこぼれる」事態を土方が見出そうとするその論拠が、解体し懐胎される場を設定することで、まさに見出されると思います。
 エロティシズムの思想は、「私」である「個体の存在を引き裂くことに、死の危機に放り込むことに本質がある」(酒井健「バタイユ入門」)のですが、そのことはすなわち、肉であるからだを「私」が体験するのに伴う、ある過剰な力を示そうとしていると考えられます。ところが、こうしたエロティシズムの思想は、土方が肉体の表現に関わる際に見事に変換されているようです。舞踏のエロティシズムが示すのは、肉であるからだに伴う、「私」を脱するような恍惚体験の明示ではありません。舞踏のエロティシズム、すなわち存在の「交流状態」は、「私」を解体させることで肉体に懐胎される事態があり、そのことによっておのずと生が自己表現する仕掛けがこの肉体に知られるという、あくまでも肉体認識を肉体が扱うことに伴う局面として示されることになります。ここに恍惚体験はありません。肉体表現に際しても、文章表現に際しても、土方の舞踏表現において恍惚体験は意識的に避けられています。恍惚状態は、「死者の世界への旅」に先立つようにして体験されるものでしたが、そのときその恍惚状態は「零度の身体的体験」へと転釈されることで、身体というものの明晰なヴィジョン、ひいては生が自己表現する仕掛けそのものとしてよみがえることになる、そう示唆されているものです。エロティシズム思想を誤読するいっぽうで、土方がエロティシズムを解体し懐胎される場として継承しているとは、こうした意味においてなのですが、それは、土方の視線が、エロティシズム思想が示そうとする生の直接感覚というよりも、生が身体的体験として身を落とそうとする、そのように自己表現する際の、生が錯誤するその力の方により向けられているからだと思われます。
 土方は、エロティシズムの思想から、何よりも裸体が「交流状態」にあることを採集しています。その「交流状態」を舞台上の肉体にもたらそうとする際に、脱衣から着衣になる過程があるのがわかります。「裸体である」ことで与えられた「交流状態」のヴィジョンを実際の舞台で試行錯誤するにしたがって、舞踏者が裸体から着衣になっていく過程が見られるのです。土方はこの過程で、裸体もまた衣裳であると認めたわけですが、逆に着衣でありながら「裸体である」ことをも見出したのでした。この着衣でありながら「裸体である」ことを舞台表現上のあらわれに沿って言えば、亀裂に見舞われた肉体に知られるような「闇がこぼれる」事態である、そう言えるかもしれません。その肉体においては存在が無防備で、まさに裸になっているからです。しかし、こうした主観的な眼に頼るだけでは肉体による表現にいたらないものがあります。それゆえ、「裸体である」ことを舞踏のエロティシズムの内容として執拗に追求することで、新たな様相をした裸体が見出されることになったのです。それが、「濡れてささくれだった」人のからだに絵を描こうとする作業によって見出されたからだなのです。舞踏符の技法は、人を着衣のまま裸にする。それは肉体に亀裂を開かせ、めくられると同時に「かりそめの皮膚」に包まれる、そうした舞踏手の生の明滅をあらわにさせるという様相において、「裸である」のです。
 舞踏符の技法によるこの新たな様相をした裸体への移行は、それ以前に裸体が、前に述べた「死体であること」の技法を通過しなければ説明されえないもののように思います。土方が舞踏の方法として用いる「死体」は、舞踏のエロティシズムを貫く「裸体である」ことの変容としてまずもたらされている、そう考えられるのです。前に見たように、「死体」は「生々しい」生を際立たせる肉体として、舞踏の表現上必然的な技法として実践されることになりましたが、それは「立つこと」の新たな様相を実現し、さらにからだの事物性を際立たせる技法であることで、それ以前の「裸体である」ことによる解体と懐胎という事態、そして「裸体である」ことによる交流状態のその事物性をそのまま受け継ぐものなのです。この「裸体である」ことのエロティシズムを連続させるようにして、裸体が新たな様相をした裸体の技法である「死体であること」へと変容を遂げることで、「死体であること」に伴う誰のものでもない身振りが「からだに描かれた絵」として見出されることになった、そう考えられるわけです。そして、そのように見出されることで、「死体」は単に「裸である」のみでなく、風化の事態として時間にはぐれることで、様々な未生にして変動するものを呼び込むことのできるからだと知られるようになるのです。舞踏符が条件づけるそのからだは、前提として、そうした「死体であること」の裸性により、初めてからだの事物性が変動するような場として見出されることになるのです。そのからだのあらわれが、土方の目の前で、具体的に肉体のどのような仕組みを通じてなされているかは前に述べたとおりであり、そのことをさらにこれから詳しくみてみるつもりです。ここではそのことにいたる経緯が、舞踏のエロティシズムに貫かれていることを強調したいと思います。
 さらに、もうひとつのことを示しておきたいと思います。土方には、「存在」を亀裂において見ようとする傾向があります。たとえば、土方は皿を割るようにして空を割り、水瓶の水に鎌を突き立て、馬の胴体を鋸で切ってみせるのです。すべてが裂け目を開くよう欲望するのです。それは、「裸体である」ことがエロティシズム思想でいうところの連続性の開始であるのと同じように、亀裂によってそこにむすぶものがあるからだ、そう言うのです。土方は実にそのことを、からだに本能的な感覚としてもち続けているようです。たとえば、土方が晩年に語った「鼬の話」(1985)は、鼬が鶏を襲撃する凄惨な現場を捉えて、土方と鼬とを貫く生の連帯を示そうとして語られています。夜明け前、バサバサッと物音を耳にするや寝床から裸同然のすがたで鶏小屋に駆けつけると、目の前にむしられた無数の鶏の羽が舞い上がり、血肉が無惨にも散乱している。夜とからだと生が亀裂するような光景を目前にして、「鼬は私の頭をかじり、私は柱をかじり…」、そこに舞踏が実現されようとしていた、そう語っています。すでにすがたを消してそこにいない鼬によって切り裂かれた光景を目前にして、土方と鼬の生がむすばれているのです。「存在」が裂け目を開き、目の前の光景が裸にされることで、そこにむすぶものがある。そのむすぶことの現場に、何かしら生の渦巻くような感覚が与えられているのです。舞踏表現とは、こうした、かつてむすばれた現場に生としてもたらされたものをふたたびからだに内包し、その非在のまま展開させる、そうした肉体表現として土方には考えられているようです。かつての渦巻くような生の感覚が、肉に切断されるようにして何度でもむしられようとする。そこにめくられ、包まれるからだにこそ、実に様々な未生にして変動する現象が見出されているのです。そして、そうした未生にして変動する現象こそが、事物であるものの確かな感覚を、からだの表現それ自体にもたらしているかにみえるのです。
 以下にみるように、舞踏符の技法は怪物的なものとしてつくりあげられています。が、それは展開されてゆくにしたがって、最終的には、始まりとは異なった局面にいたっているようです。その到達された局面において、人間であることの原型と、それが私たちのからだに形態的にあらわにするものとの関係を見定めようとしているかにみえますが、いっぽう、逸脱としてのからだの表現を操ることにおいて、そこに何ものかを誘い出そうする意図は手放されていないように思います。