Wednesday, May 30, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>    

 六 舞踏の欲望  

2. 肉体はレジスタンスする    
 
 土方が舞踏表現を開始したそのとき、土方の「闇」が抗するものとされた資本制社会は、それから一時も休むことなく飢え続け、今や新たな段階に達しています。状況は、規律社会から管理社会へと移行しています。「指令のメカニズムが市民たちの脳と身体のすみずみにまで行われている」(「帝国」)ような、社会的な生のあらゆる局面が人工的なものとみなされる、そうした実質的な管理社会へと包摂されようとしているのです。社会の諸制度は、今やあからさまに規律を求めようとはしません。規律に服するよう求められないことで、からだが記し記されているというそのことは曖昧となり、いっぽう、管理されている状況にあるがゆえにますます自己が不明瞭であるという、自己に関して一種の幻想にさらされているかのようです。それというのも、規律に服する、もしくは規律に抗することで主体性を自覚するというよりも、目前の身体に実際に傷を記すことで主体を確認しようとする現象が広く伝播しているからです。こうした現象には、主体をめぐる倒錯があるように思われます。こうした状況下にあって、土方が、「闇」という別種の認識活動を目前の肉体で語らせようとして暗黒舞踏という表現形式が開始したものは、その前提からして、現在もはや機能しなくなっているかにみえます。
「この異常な明るさは光じゃありませんよ、もう闇ですよ、昼間だって闇なんですから。…夢の中まで光が差し込んできてね、闇はもうすっかり食いつぶされて、光の方が闇に進入してきている時代ですから…」。(「極端な豪奢」)このように土方は、何ものかに抗するようにして主体が形成されるのではなく、外部の光が一方的に差し込んでくることでつくられているような主体をめぐる状況を語っています。こうした主体をめぐる新たな環境が、あらゆるメディアを包み込む情報のネットワークとして私たちの目の前にあらわれているものであるわけです。この情報のネットワークは、生産された物でありながら同時に社会的生を生産するという、社会的生産の同時性を実現しようとするものとして私たちの目前にあらわれているのです。こうした環境が一方的に、私たちのからだをめぐる暗く特異な視線を、そしてその視線の逸脱を、それゆえ非等質であるものの見知らぬ局面を切り開く明晰であるはずの視線を、その光で消してゆくようにみえます。最初に、私たちの生は何よりも社会的な生であるけれどもむろんそれのみではないと言いましたが、今や簡単にそう言うことはできません。社会的な生産物にめぐまれた社会においては、社会的な生産と人間の生とは、見る見るうちに一致してゆく傾向にあるからです。「生産はたんに主体のために対象を生産するだけではなく、対象のために主体をも生産する」(「経済学批判要綱」木前利秋訳)という、芸術作品を例にあげて肯定的に語るマルクスの言葉が、今や反転して不気味に響いてくるのです。権力が、自身が何よりもまず生産する現象であることをわきまえているいっぽうで、人はただ自然を欲望しているだけにみえます。そのため、情報のネットワークがその欲望を権力の生産に都合のいい対象へと入れ換えることで、絶えず相対的な人間を生産しようとしているわけです。そこで、そのように対になった生産と欲望に抗し、あらかじめ与えられている視線の形式を際立たせることによってそれから逸脱し、そして視線を入れ換える、そうした視線の変容こそが、舞踏が欲望するものとして知られなければならないように思われます。具体的には、現在、情報のネットワークという「環境・媒体」に否応なく直面する私たちのからだが知られることになるわけですが、社会的生産形態がいかなる段階にあろうとも、身体経験として反復し反復されるようにして連綿と受け継がれるアジールとしての視線を身体的次元においてはっきりと自覚する、そのようにして生が欲望するものに関わるという意味において、肉体がレジスタンスする、そうした事態を想定してみたいと思います。土方はかつて「肉体の叛乱」の舞台上で、自身のからだに批判的に接近しようとして、おのずと肉体を扱う視線へと回帰してみせました。そのように、肉体はレジスタンスする、そう言っていいでしょうか。
 肉体はレジスタンスする。この場合のレジスタンスとはよく知られるように、第二次世界大戦中に繰り広げられた全体主義に対する抵抗運動をいいます。全体主義は、生産するというよりは、物凄い速度で社会的生をその主権力に服従させようとします。その力は、社会的生のみに及ぶのではありません。それは、いかなるアジールをも暴力的に消滅させようとするのです。それゆえレジスタンスとは、何よりもアジールを死守することの抵抗であると言えるでしょう。それゆえ、肉体がレジスタンスするとはまず、私たちのからだをめぐる暗く特異な視線が、そしてその視線の逸脱が、それゆえ非等質であるものの見知らぬ局面を切り開く明晰であるはずの視線が、からだに採集されることから始まっているはずです。それゆえ、肉と魂、死と生、言葉とからだ、社会と個体といった、非等質であるものにつねに関わるからだが見出されていることで、社会的な生産が同時に人間の生とされるような光をからだに侵入させない、そのように闇の充実を強情に守ることから始まっているはずなのです。この強情なからだは、けっして情報として伝達—指令し合うのではありません。このからだは、あくまでも事物性としてコミュニケートしようとするのです。「原子は直接的な落下を〈逸れる〉ことによって、はじめてたがいに衝突する」(マルクス「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」中山元訳)ように、私たちは自然を欲望する直線運動から逸れることで相対的な生へと落下することをまぬがれ、そのことによってはじめて社会的生という存在形式にかかわらず、事物としてコミュニケートし合うことになるのです。それゆえ、アジールとしての視線は、何よりもまず共通して数えることのできない場として採集されることになります。それぞれが特異な場であることで、からだが事物であることの普遍性が際立ち、それゆえに事物性として相互に感応し合うことになるからです。
 肉体はレジスタンスする。かつてもレジスタンスし続けてきたように、現在もなおレジスタンスする。その抵抗運動は、占領者の執拗な監視をすり抜けるようにして、日々の生活の中で淡々と物資を、また暗号を受け渡しするのです。万が一発覚した場合でさえも、拷問の苦しみに耐え、連帯への愛ゆえに、また人としての尊厳を守るために、けっして自身を情報として売り渡すことがありません。あるいはまた、インド人による対イギリス反乱前夜、農民が主食のチャパティーを大量に反乱地に向けて淡々と、かつ続々と手渡ししていったという話が伝えられています。無名の農民たちによるその抵抗運動は無言にして、それゆえ歴史の闇にまぎれる運命にありながらも、実はそのとき、手と手による途方もない連絡が交わされることになったのです。このようにレジスタンスとは、その身に強情に守るものがあるために、敵に悟られないよう抵抗することをいうのです。現在、私たちのからだが直面しているものは、いわば具体的な「普遍」と呼ばれる、それぞれの環境との関係変化をなくし、自己の成り立ちを相対化しようとする視線を無効にし、非等質であるものを見えなくしてしまう、そのような力であるでしょう。そうした「普遍」に抗するために「普遍」がけっして知ることのない、すなわち目前のからだに誰のものとも知れない生を際立たせ、それゆえ未生なままで立ちつつも、何かしら渦巻くような富を与える原理を手渡ししてゆく、そのような、肉体による「人間の自己活動」が考えられるでしょう。土方の舞踏表現とは、こうした肉体がレジスタンスすることの絶えまないプロセスなのです。土方が初期に書いた「素材」というテキストからは、そのようにレジスタンスする姿勢があふれかえるのがみてとれます。
「この素材と私の隔絶の真中に、原初体験の危機を伝統とした肉体の相互につくるめくるめき出合いの祭典が進行する。それは一切の肉体の象徴性の背後にあるものにちがいない。鮮明な標識に私と素材は殉ずる汗ばんだ投企に、様々なものを予知し乍ら、動きの処理場へ第一歩をふみ出す。戦は、私の芸術の母体である。知性はすでに縊死している。そのそばを私は走ってすぎる。直感像の最短距離に私と少年は立つ。一つの概念の前に黙して一つの現象を置く。素材が汗ばみ素材が縮まる。私は伸びる。先ず私は、一切の芸術教養を抹殺しなければならないと思う。」 (「素材」)
 こうして、土方の抵抗は開始され、そのプロセスは従来の舞踊表現からの逸脱に始まり、前衛的パフォーマンス、暗黒舞踏の宣言、舞踏符の技法化、「病める舞姫」執筆、そして「衰弱体の採集」へと、止まることなく変貌し続けたのでした。さらにその表現は、雑踏から劇場表現へ、そして劇場に内蔵された視線に抗することのために、「肉体の闇」をアクチュアルに示すことの表現へとその形態を限定させることなく試行し続け、そしてその成果は、「肉体の闇」が抱え込むテンションから、めくられ包み込む皮膚の明滅へと、さらに非在を介することによるコミュニケーションへと、より開かれたすがたへと技法化してゆくもののうちに示されることになったのです。
 人は生産し生産されるのみでなく、肉であることの素材性を内包しようとしてつねに表現しているものであるはずだ、そのことを土方はまず語り、そして舞踏表現としてあくことなく示し続けたのです。土方が「舞踏」を掲げて表現し続けたそのプロセスを、「肉体はレジスタンスする」と言い換えて、からだが語るという無言にして連絡し続けるものを示したいと思います。そしてそうしたものであることで初めて舞踏表現は、現在もなお生きた表現となるにちがいありません。
 忍び寄る管理社会に抗するようにして、土方は「私が作品だ」と言い放ったのでした。この「作品」は、ただの「作品」ではありません。それはありうべき土方巽であるという、明らかに理念的な姿勢を示すものなのです。

               土方巽研究<舞踏の欲望> 了