Saturday, May 26, 2007

土方巽研究 一<舞踏の欲望>

 五 新しいモデル 

1. 衰弱体を採集する         

 ともかくも「病める舞姫」において、土方がかつて「聖なる土地」と呼んだものがその性質上内容として示されるのではなく、「染まるだけ」の表現として展開されたわけです。言葉によるその表現は、極度の緊張状態に染め上げられています。しかしその反面、1969年の「肉体の叛乱」の表現の時点から振り返って眺めた場合、他者の肉体を介することで肉体の闇を差異化し微分化する舞踏符の技法を確立し、闇があらわすものをいっそう充実させ、そして「病める舞姫」という言葉にしてあらためて表現されるにいたって、おそらく舞踏家として土方がからだに関わる視線は、差異そのものが極度に差異化させられているような事態となって大きく膨れあがっている、そうみえるのです。そのため土方は、舞台で踊れなくなっている自分自身を見出しているようです。「肥大化していって自分で自分の重みを支えきれなくなってしまった」(「極端な豪奢」)、そう土方は晩年に語っています。それゆえ、土方が舞踏の表現体として最後に掲げた「衰弱体」についてみる前に、「衰弱体」を語るにいたる、その前提としての土方がからだに関わる視線(認識)についてみておこうと思います。
 土方唯一の独舞作品「肉体の叛乱」は、その正式なタイトルを「土方巽と日本人」といいます。その衝撃的な舞台印象を独文学者の種村季弘が言い表したのが、そのまま通称となっているようです。この「肉体の叛乱」という賛辞がいかなる光景を言い表しているかは、記録されたわずかながらの舞台映像からもはっきりと知れます。肉体という器に叛旗を翻すかのようにして肉体を暴力的な支配下におくことで、その肉体をめぐって迸るものがある。その戴冠せるアナーキー…。いっぽう、「土方巽と日本人」というタイトルは舞台タイトルとしては散文的すぎ、またどちらかといえば正統的な響きが感じられます。そもそも土方の意図は、「土方巽」と「日本人」を繋げる「と」にあったと思われます。しかし、その意図を舞台内容から振り返ると、この「と」はたちまち異様な響きに変わってしまうでしょう。「土方巽」はその反西洋的な姿勢をもってして、「土方巽」を背負い、そして「土方巽」へと収斂させようとしている「日本人」をこそ、大きく逸脱させようと試みているかのようにみえてしまうからです。それゆえ土方は、この「土方巽と日本人」というタイトルを捨てて、パフォーマンスの後からという奇妙な事例ではありますが、この作品に「肉体の叛乱」というタイトルを採用したと思われます。このとき「肉体」という言葉は、その意味を変えていると思います。舞台を観る者は、暴力的な支配下におかれた目の前の肉体が表すものをそのように形容したのでしょうが、そのように見える肉体を舞台で操る者には、その肉体は、あくまでも肉体を扱う視線として捉えられているだろうからです。つまり、このとき土方は、みずからの肉体を扱う視線へと回帰しているのです。みずからの肉体に批判的に接近しようとする、この視線の回帰にこそ、おのずと「日本人」が立ち上がってくる、そう考えられます。したがって、土方が採用した「肉体の叛乱」とは肉体そのものが叛乱するわけではなく、縛められた肉体を凝視しようとする、肉体を扱う視線における叛乱でなければならないでしょう。
「肉体の叛乱」以前、土方がまだ実験的なパフォーマンスを試みていた段階にあっては、肉であるからだにほのめくような「中の素材」を示そうとして、土方は「肉体」の語をことさら強調しています。「肉体」という言葉は生活上あまり使われません。ふつう「からだ」や「身体」という言葉で言い表されている対象が流通し、土方はそうした対象の流通に抗するようにして、肉であるからだに知られる暗い感覚や認識により手ごたえを感じていたからだと思われます。このことは、最初から土方が言及する「肉体」が、肉体そのもの、つまり即物的な肉ではないことを示しています。土方が「肉体」と言うとき、その「肉体」は肉体という対象ではありません。肉体とはまず、肉であるからだに関わることの視線なのであり、それは舞台表現に際して初めて、肉体に関わるその視線が肉においてあらわしてみせるモノ、土方の言葉で言えば「叫び」として示されることになるものであると言えるでしょう。
 いっぽう、弟子たちに舞踏の稽古をつける際には、土方は終始「からだ」という言葉を使っているようです。それは他者のからだを扱うようになって、目の前のからだが肉体に関わる視線である以上に、それはまず肉であることの感覚を示し、そしてその肉であることの感覚が肉を染めあげ、そのとき魂のようにみえるものが肉に重なり合う、そうした包摂的なものとして捉えられるようになったからだと思われます。舞踏符が指示するものによって、目の前に切り開かれるようにして語るからだはそうしたものとして見えてくるわけです。また「身体」についても同様に考えられ、それは身体であると共に身体をめぐる意識であって、身体組織や身体機能として対象化されるものを言うのではありません。犬のからだは身体ではありませんが、人のからだはすでにからだに記し記された事態と意識されていることで、身体なのです。その身体が幼年期に記し記されていることで、いつもすでに、言葉に一歩遅れたまま凍結されているような事態として知られることになるわけですが、そうした事情があるゆえにこそ、逆に言葉によってからだが亀裂に見舞われる、そうした経験が知られることになるのです。少なくとも、土方にはそう考えられているように思います。
 そこで、「病める舞姫」という言葉による表現をも土方の舞踏表現とみなすとすれば、土方が自身の肉体に関わる視線を扱うからだがそこにも示されている、そう考えられます。それは前の章で述べたように、肉体に関わる視線が際立ち、そこに構成されようとしている肉体の闇をめぐる現場として示されているのです。その肉体の闇は、最初から特異な現場として提示されています。その特異な現場が言葉へと断続的に中継されることで、そこに構成されるものが異常に膨れあがっているのがわかります。土方が肥大化して自分の重みを支えきれないでいるそれとは、「病める舞姫」において明度を異常に増している、この肉体の闇のことにほかならない思われます。それはからだ(肉体の闇)というよりも、むしろ言葉が織り成す空間へと等質化されていくことで、おのずと膨れ上がっているもののようにみえます。肉体に関わるその特異な視線があたかもインフレを起こして、自身のからだで表現的に扱えない状態にある、そのことを土方は告白しているように思われます。新たな表現モデルとしての「衰弱体」を示すことで、土方はこのインフレ状態にあるからだに応答しているかにみえます。その衰弱体とは、いかなるからだであるのか。

 さて、ここから、土方巽の舞踏表現における最終局面に入ることになります。「病める舞姫」執筆後、土方は様々な舞踏手による舞踏作品を、構成・演出するというかたちで手がけていますが、待望されていた土方自身が全面的に表に立つような機会はついにありませんでした。おそらく、最後に土方が自身を際立たせることになる機会は、死の前年の二月、「衰弱体の採集」と題して初めて観客を前にしてなされた講演であったろうと思います。この講演は、日本文化財団が主催する「舞踏フェスティバル八五」(1985)において、土方が「舞踏懺悔録集成—七人の季節と城」の舞台を構成した際に、その前夜祭というかたちでなされています。舞踏を日本が生み出した独自の芸術表現として広く認知させようと企画されたこの催しは、土方を中心とした舞踏イヴェントであるにもかかわらず、例外的に、土方みずからが核となって実現されたものではありませんでした。
 このとき、講演の冒頭で語られているように、体調をくずしていたせいで、土方が当初意図した「衰弱体の採集」という題目については多く語られなかったようです。とはいえ、講演記録を読むかぎり(「衰弱体の採集」は声の記録も残っている)、そこには土方が舞踏表現をめぐって鍛え上げてきたテーマが縦横に語られていることがわかります。「病める舞姫」の執筆を終えて以来、土方がまともに文章を書いた形跡はありません。みずから構成・演出する舞踏公演のチラシに掲載された檄文以外は、対談やインタビューに答えるかたちで活字になっているものはすべて語りからおこされています。「病める舞姫」後の土方は、みずから文章表現を禁じ、語りの表現へと意図的に移っていったかのように思われます。この年の十一月にも、すなわち死の二ヶ月前、「土方巽舞踏行脚・其の一」と名打って、全国五つの場所を巡って講演を行っています。その際、前に引用した「鼬の話」と共に、多少異なったニュアンスの部分がありはしますが、「風だるま」というタイトルのもとに、「衰弱体の採集」とほぼ同じ内容が繰り返し語られています。こうしたことから、最初の「衰弱体の採集」の講演で、土方は衰弱体について可能なかぎり語り尽くしていると考えられます。土方が語るその語りの意匠をみると、あたかも自身で自身に振りつけた踊りを踊るかのごとく、自家薬籠中の表現と化しているのがわかります。「衰弱体の採集」は講演であり、それゆえ「病める舞姫」のようなテキストと異なり、そこにいかなる修正も加えられることがないし、その場で構成し直すこともできません。とはいえ、語りがおのずと紡ぎ出すその構成は、テキストの雰囲気にかなり通じているようです。土方の語りがそもそもパフォーマンス的なのであって、おそらく語りのポジションを守るようにして、逆に土方のテキストは構成されているのでしょう。土方の語る言葉は意味を示すというよりは、事物を連れ出してきます。夢という現象がそうであるように、土方は事物を立ち上がらせることで、言葉が意味するものの剰余を逆に言葉で操っていくのです。ですから、「衰弱体の採集」に耳を傾ける際には、語るその内容に注意を向けるだけでなく、言葉を介してそこに言葉とは非等質なものとしてあらわれようとする、土方のからだがおのずと表現するものにこそ注目したいと思います。

「衰弱体」について、土方は「衰弱態」でもよいとしています。これまでも土方は、…体という語を頻繁につくり出し、その時々に応じて、からだについての様々な原理のようなものを示そうとしてきました。たとえば、童貞体、願望体、印鑑体、併合体、人形体、記憶体、病体、朦朧体、剥製体といったものがあります。おそらく死体も、この部類に入るものだろうと思います。こうした表現が何を示しているかは、一概に言うことができません。すでにみた例でいえば、たとえば童貞体は、未生のものにこだわり、現実の個体性に反してからだに記し記されたそのことの未熟性をからだに要請するものとして示されている、そう言っていいと思います。印鑑体は、記し記されたからだそのものを示す際に使われているようです。また併合体は、からだに記し記された事態が錯誤を形成する働きと、そのとき主客へと構成されないままにあるものとが際立ち合うような、そうしたからだを示すものとして考えられています。そして死体には、からだに記し記されたその内容を風化させると共にオブジェクト化するような、死体であることの技法が言い表されていると考えられます。こうした解釈からすれば、…体という表現によって、からだに記し記された事態というものを素材として扱おうとする、土方の姿勢をうかがうことができるように思います。
 ところが、衰弱体は衰弱態でもあることで、他の…体が、からだに記し記された事態を素材として扱おうとする際に方法的に与えられるにすぎないと考えられるのに対して、衰弱という、からだが具体的に関わる態勢を示しつつ、かつそのことが具体的に表現を伴ってくる、そうした様態として考えられているふしがあります。たとえば、衰弱体としての具体的なすがたを、土方は少年期に見たとされる「風だるま」のすがたを借りて語り、かつ「風だるま」のすがたをみずから演じています。そのとき土方は、衰弱体とは、からだに記し記された経験へと遡ろうとするからだがそのまま表現するすがたとなる、そう考え、そう語り演じようとしているかにみえるのです。
 衰弱の様態をこうして考えてみると、舞踏符の技法による表現の頂点に立つ「鯨線上の奥方」を最後に白桃房の活動をいったん中断した後、土方は、衰弱によって立ちあらわれるもの、および衰弱によって立ちあらわれることのプロセスへと、その関心をみずからの衰弱へといっそう深めているのがあらためてわかります。おそらく「病める舞姫」を執筆する際に、衰弱と共に立ちあらわれるもの、およびその手順を、自己の衰弱を手がかりにして土方は逐一みているのだろうと思います。テキストに向き合うパフォーマンスのさなかで、衰弱によって立ちあらわれる「見慣れぬもの」を模写するようにして自己をめぐる声へと中継する、そうした「自明でない自己」を土方は体験しているのです。この「自明でない自己」が「見慣れぬもの」を中継するというその体験が、土方に衰弱体を語らせ、そして演じさせているように思われるのです。その際に、手がつけられないほど言語化し、それゆえ肥大するものがあるのですが、そのことを自覚しつつ、ふたたび肉体の闇を扱う作業に、というよりは肉体の闇を中継する作業に、土方のからだは新たな戦略をもって挑戦しているかにみえるのです。
「衰弱体」の「衰弱」とは、「自己を不明にする」事態であるとまず考えられますが、むろんそのことが目的とされているわけではありません。衰弱の企みとして、土方は次のように語っています。「私は何か、衰弱というメートル原基でもって、人間というのを、柔かすぎる生の寸法を計ってみたい」。ここで「メートル原基(器)」を持ち出しているのは、土方が、衰弱に対して健康というメートル原器を想定しているからです。健康とは病を遠ざけている状態ですが、そのことよりも、むしろここでは都会における市民社会(すなわち管理社会)的な原理を示唆しているように思われます。土方が既定のメートル原器を疑い、自分なりのメートル原器を持ち出してくるのには、土方なりの戦略があるからです。土方は衰弱を提示することで、それと換算されることになるもう一方の健康というものの、その原器性を曖昧にさせようと企んでいるわけです。土方は衰弱というメートル原器を提示することで、市民と呼ばれる人のかたちを棚上げにすることからまず始めているのです。土方の考えからすれば、市民とは、目の前に想像の肉が用意されている人のかたちにほかなりません。その市民による社会が、みずから生み出しているはずの犯罪の暗さを嫌い、その暗闇を堕胎児のようにして隠滅しようとするのです。というのも、健康という死を繰り延べする原理こそが、市民社会が用意する存在についての最強のメートル原器となっているからだ、そう考えるのです。こうした状況に抗するかのように土方は、「自分の健康を衰弱させて、衰弱した物差で健康と称するものの幻想をじっと測って」みる、そう語っています。このとき土方のからだを現実的な衰弱が襲っている、そのことがそうさせているのは疑いありません。が、そうであると共に、衰弱それ自体は「自己を不明にする」という解体的な事態でありながらも、それは「柔らかすぎる生の寸法を計る」という、健康という幻想に抗するための、生を肯定的に捉えようとする事態として企てられているはずなのです。たとえば、「病める舞姫」の表現を通じて、私たちの目の前に明らかにされたことがあるように思います。それは、病の不安(暗さ)が自己の危機を呼び込み、それゆえ自己の外に向けてコミュニケートするよう自己に関わりなく生(明るさ)が強く要請する、というものです。おそらく、「闇の歴史」が示そうとしている死の体験というものも、そうしたもののように思われます。病にあってこそ、むしろ生の事物性が泡立ち、それゆえ衰弱自体が人と人とを事物的に繋げることになる、そうした考えを土方は抱いているようにさえみえるのです。
 さらに土方は、「衰弱」は古典芸能における「翁」のようなすがたとは何の関係もない、そうあらかじめ断わっています。というのも、「衰弱」はからだの構えであるような身体表現の形式に関わるのではなく、自己を衰弱させることで、からだという包摂的なものがみずから表現するその内容に関わろうとする、そうした方法的な経験として考えられているからだと思われます。こうした方法的な経験として自己を衰弱させることのうちに、「柔らかすぎる生」と言い表されるものが目前に中継されることになるのでしょう。そのとき、その中継するものを介して、目前の生が自己という幻想に関わることなく表現するものであることを見定める方へと向かうのです。この「柔らかすぎる生」とは、具体的には、「病める舞姫」のポリフォニーとして歌われていたそのことを示唆していると考えられますが、「衰弱体の採集」とは歌うのではなく、そのとき生の「寸法を計る」もの、すなわち、自己とは非等質であるものを仲介するその翻訳する働きに注目し、また翻訳するその作業に止まることのようにみえます。
 衰弱体を示そうとして、土方が演ずる「衰弱体の採集」の大部分は、かつて幾度も語られてきた土方の少年期にまつわる話が繰り返されています。冒頭の「風だるま」の話も少年期に見たとされる光景で、それが衰弱体に関わる体験であることが示唆されながら、まずその具体的な様態から語り始められています。その後、今まで何度も語られてきた少年期の話が、一見とりとめもなく、しかも幾度も折れ曲がるようにして語られていますが、実のところ、その神経は真っ直ぐに貫かれているのです。

 まず「日本霊異記」に記されている話から、作者である僧景戒が、自分が死んで、自分の死体を自身で火葬するという夢の話を土方はとりあげています。火葬されて、自分の死体が骨もろともばらばらになって焼け落ちてしまうのを目にして、思わず景戒は参列者に向かって大声で叫んでしまいます。ところが自分は死んでいるので、いくら声を出しても他の人には自分の叫び声が聞こえない。そして、死者の魂には声がないから、自分の叫ぶ声も人には聞こえないのだろうと思った、そう記されているといいます。そんな話にこれから語る主題を重ねながら、土方はその話の内容に異を唱えているのです。何が不満かと言えば、そこに時間のずれがあるじゃないか、というのです。自分が死んでいる光景を夢で見たときと、それを記したときにはすでに時間のずれがある、というわけです。そして、そうではなくて、「風だるま」にはそうしたずれがない、土方はまずそう言いたいのです。

 …その風だるまは自分の体を風葬してる、魂を。風葬と火葬だ、それがいっしょくたになって何とかして叫ぼうと思うけれども、その声は風の哭き声と混ざっちゃうんですね。風だるまが叫んでるんだか、風が哭いているのか混ざっちゃって、ムクムクと大きくなっちゃって、やっと私の家の玄関にたどりついたのです。どんな思いでたどり着いたのか? 今喋った坊さんの話と風だるまが合体して、そこに非常に妖しい風だるまの有様がひそんでいるのです。風だるまは座敷にあがって来ても、余り物を喋らない。囲炉裏端にペタッと座っている。そうすると家の者が炭を、これもまた何も聞かないで、長いこと継いでいるんですね、私は子供の時にそういう人を見て、何と不思議なんだろう、何となく薄気味悪いけど親しみが持てないわけでもないし、一体何が起ったんだろうかと思いました。すると、よくこういうことがあるでしょう。最初に荷物がチッキで届いて後から手紙が来る、そんなふうに自分の身の上に起ったことを、喋るんですよ、雪ダルマは。
 おーおーてーはー。
 (ああ、「おおっ」てあんたが叫んだんだね。)
 ビュービュー。
 (ああ、って風吹いていたのか。)
 すると「おーおてー」、「びゅうーびうてー」、「はー」と、そこでそのうちわけがちょっとわかるわけですね。どんなにひどかったのか、そしてその顔は何か、死んだ後の異界をのぞいて来た顔なんですね。お面みたいになってるわけです。生身の身体でもないし、虚構を表現するために、物語を語るために、何かの役に扮しているのでもなくて、身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった人なんです。

 自身の死体を見る自分とそれを言い表す自分にずれがない、というのが「風だるま」です。その「風だるま」を説明するのに土方は、「最初に荷物がチッキで届いて後から手紙が来る」という、あえて転倒した譬えを引き合いに出しています。ふつうは荷物が届くという手紙が郵便で先に届けられて、その後で手紙が指示するものと一致する荷物がチッキで届くのですが、ときにはその逆で、手紙という言表なしに先に荷物であるモノが届き、その後を追うようにして知らせが来ることがあると。この二つの郵便システムのずれとして示そうとされるのが、土方が提唱する、からだは初めから知られているという認識であり、目の前の「風だるま」があらわにしているものなのです。その「風だるま」とは、大風に見舞われて身も心も風葬された人であり、「座敷にあがって来て…、囲炉裏端にペタッと座っている」だけだといいます。そして、風葬されたその身に起こったことを、すぐさま後追いして言い表すのです。いっぽうの景戒が自分の死体を表現する仕方は、そこにすでにない死体を思い起こし、死体であることの記憶として、さらにその記憶の構成として言い表していますが、それは土方からすれば、先に手紙で知らされた荷物を受け取るとされるような、からだとその認識の手順が逆さまなのです。それだからこそ、自身が発したはずの叫び声さえ自身で抹殺しているのです。「風だるま」は記憶を構成することなく、からだに記し記されている事態をそのまま後追いして自身の現在を言い表そうとしている、つまり自身を表現しているのです。その「風だるま」が現在を表現する有様に、実に妖しいものが潜んでいる、そう土方は言います。現在を表現するその言葉といえば、まったく「もうそれはドブドブ」で、意味をなすかなさない寸前の声なのだ。そして表現しているのだから、むろん「風だるま」は生体だ。ところがその有様といったら、まるで「身体がその場で再生された」死者だ、そう言うのです。これが「風だるま」だ、このような「風だるま」の有様が「それだけで舞踏だ」、そう土方は言うのです。その「風だるま」のすがたは、それは生身の身体ではなく、風葬されてばらばらになった「身体がその場で再生されて、生きた身体の中に棲んでしまった」すがたが物を言うという有様なのですが、要するにそれは、死者が再生されるという仲介を施されてそこに生きた現在を表現しているような、そうしたすがたをしているのです。
 そしてさらに、「これはまだいい方です。一緒に入って来るのがいるんですね。おーおーてビュービューってェー、と言って入って来る」。このとき「風だるま」が発する声、すなわち「風だるま」の現在の表現は、後追いではなく、もうほとんど死者が再生されるのと同時なのです。
 こうした、からだとそれを告知する手紙とが同時に配達されているような表現は、むろん「風だるま」のすがたにあらわれているものなのですが、むしろ土方が自身のからだに際立たせようとするその視線において起こっている、そう考えられます。というのも、現在を表現することと死体であることとが併合される、いわばエロティシズム論理であるような、死が生に棲みつくことで生を際立たせようとする形式に則った身体表現が、土方によってこれまで執拗に試みられてきたからです。とはいえ、土方がみずから衰弱体というものを語り演じようとするこのとき、この語ることの表現は、それまでの「死体であること」の試みを引き継ぎながらも、何かしら別のすがたを示唆するもののようにしてあらわれているように思われてなりません。そのことについて知るためにも、土方が語る話の流れをざっとみてみなければならないでしょう。
 冒頭の「風だるま」の話は、その有様が「それだけで舞踏だ」と土方が言うように、土方自身が舞踏の原点的光景に向けて「深く潜行する」、そのことの開始のようにして語られていると思われます。その土方が語るすがたは、あたかも「風だるま」のすがたと重なり合うがごとく、死者であることで生きた現在を表現するかのような、ある種の力に染め上げられているようにみえます。言い換えれば、「風だるま」のすがたに孕まれた力を借りて土方は、死者に関与されることで自己の不明となる経験のうちに際立たせられるような、衰弱態というまぎれもなく抽象力を帯びたからだからその語りを開始しようとしている、そんなふうにみえるのです。自身に起きている衰弱とも重ね合わせれば、その抽象力はけっして幻想性に陥ることがない、そうした考えが働いているかもしれません。
 こうして、「風だるま」といっしょくたになって吹く妖しい風に吹かれて、この後土方は、語りのその内容を微塵も内省することなく、話をすばやく風に移していきます。風に吹かれるままに、土方はずんずんと少年期の記憶に触れ、それをすばやくかたちにしたかと思うと、またすばやく消してゆくのです。そのとき、またしても土方の四季が背後から浮かび上がり、忍び寄ってくるのです。季節は冬から春となり、「病める舞姫」でも季節の最初に語られた、春先に泥の餌食になった話が語られます。泥の中に転がってくる赤子の頭が、次いで幼児がからだをまるでモノのようにあつかう話が、そしてからだをどんどん景色に拡張させる遊びが、近所の人たちの身振り立ち居振る舞いを盗み見ている少年時代が…。

 そういうふうな動きの身振りが私の身体の中にバラバラになって、浮かれいかだですね、バラバラになったいかだになって浮いているんです。ところが時々そのいかだが集まって、何か物を言ったりするんです、身体の中で。そして私の身体の中の一番貴重な食べ物を闇を食ったりする。或る時にはその身体の中に採集した身振りや手振りが私の手に繋がって、表へ出て来ることがある。私が物をつかもうとすると、つかもうとする手にまた次の手がすがって、手が手を追って手ボケになってしまってなかなか物に到達しない。

 ときおり、こうした自身の話を自身で解説する時間が挿み込まれています。このことは、少年期に深く潜行する土方と共に、それを同時に語りとして表現する土方があることで、そのとき両者を翻訳するような土方が、組まれた「いかだ」と知られている、語るにつれてそこに同時進行するものに注目している、そう考えられるのです。このとき土方のからだに、いわば、相異なる局面となる視線が混有しているわけです。たとえば、少年期に潜行するというのは、衰弱態という抽象力を帯びた、土方のからだに緊張をもたらすような視線をあらわしています。そして翻訳する土方は、翻訳することで、ここで語られているような、ばらばらになった身体がその場で再生されるという、いわば少年期の記憶が形成される、まさに自身の「闇が食われる」その局面(視線)を示すことになります。そして表現する土方は、そうした抽象力を帯びたからだと「闇が食われる」局面とを、まるごとの現在として語ろうとする視線を駆使しているわけです。こうした複数の視線を抱えたからだの事情をまるごと示そうとすることで、言葉による表現に拍車がかかることなく、おのずと制御がかかることになる、そう考えられます。
 たとえば続けて、抽象力を帯びた土方のからだに、夏という季節が忍び寄って、蚕が葉を噛む音として再現されます。その蚕が葉をジャリジャリ噛む音に眠っている男がギリギリ歯ぎしりする音が繋げられて、その男の着ている浴衣が、今脱皮したばかりの成虫の翅ように青ざめているという、そんな話が語られます。そんな幻想に火が点くすれすれの光景を前にして、こんなふうになれば「踊りの稽古なんかいらないんじゃないか」、そうすばやく土方は解説するのです。こうした幻想の制御によって、かえってこの眠っていた男が、どうやら今、土方のからだでばらばらだったものが再生されて立ち上がった、かつての死者の身振りのようにしてみえることになります。

 こういうことは私の身体の中で死んだ身振り、それをもう一回死なせてみたい、死んだ人をまるで死んでる様にもう一回やらせてみたい、ということなんですね。一度死んだ人が私の身体の中で何度死んでもいい。それにですね、私が死を知らなくたってあっちが私を知ってるからね。

 この翻訳は明快です。ここで語られている、からだの中で死んだ身振りをもう一回「死なせる」というのは、ただ「死なせる」ことではありません。逆にそれは、「生かす」ことを示唆しています。「死なせる」ことで、「生かす」ことが言い表されているのです。そう考えられるのは、エロティシズム論理を通じてであるよりも、土方がさらに独自に考えを進めて、「ある」ことが「ない」ことへと埋没する「あらない」について、次のように書き記しているからです。
「日本語では存在を示す動詞『ある』の反対語は、『ない』という形容詞になっているから、非在感が、はっきりしないのです。非在感がはっきりしないから、存在自体もあいまいになるという人もいる。そうだと思いますよ。『ない』という言葉を用いる時でも『ある』の反対は本来『あらない』であるとたえず意識していなければならないのだと。この『あらない』という構造のなかに、舞踏がひそんでいるのです。つまり、存在の根源は存在そのものだということの解析です。あらわれているも、押し出されてくるのは、表現でなく表現のための技術でなくということも、この存在論のはなしの中に含まれているはずです。」(土方巽全集二「舞踏に関する覚え書き」)
 死んだ身振りを死んでいる様にもう一度死なせるということには、ここで言われている「あらない」という構造のうちに押し出されてくるものに関わりがあります。「ある」ことが「ない」ことへと埋没するとき、「ある」と「ない」とがそこに「喰べ合う」ようにして際立たせられる「あらない」事態が、存在に対して「非在感」であると言われています。この非在感が際立つことで、存在も際立つとされるのです。土方はその非在に伴って際立ち、あらわれる仕掛けを指して、それを「あらない」という構造として示しているわけです。もともとからだの中の死んだ身振りには、「ない」ものが「ある」という非在感が付き添っています。その非在感を身体表現としてもたらす際には、そうした非在として「ある」ものを、「ない」ことへともう一度切断させることで際立たせられることになるのです。すなわち、死んだ身振りとしてからだに記し記されているものをもう一度「死なせる」ことで際立たせる、そうした仕方が要請されるというのです。要するに、からだに記し記された事態を(死んだ)素材として(死んでいるように)扱うことで、その素材として働く力だけをからだに取り戻すことができる、すなわち「生かす」ことになるのです。たとえば、具体的な表現に則して言えば、あらわれは、あらわれると共にかたちを求め、そのときかたちが消してくれることで、そこに非在としてあらわれている、ということになります。(「ない」が形容詞であるのも、形容詞とは、それ自体で存立しえないものだからです。それは、発せられた途端に必ず背景を連れてくるのです。)
 この「あらない」の構造は、続けて「私のからだの中の姉」の話が語られる際にも、繰り返されることになります。いつもと同じ調子で語られた姉の話に、次のような文言が付け加えられているのが注目されます。「お前が踊りだの表現だの無我夢中になってやってるけれど、表現できるものは、何か表現しないことによってあらわれてくるんじゃないのかい」、そう死者であり、かつからだに棲みつく姉が言うというのです。ここにはっきりと「あらない」の構造が示されているのがわかります。土方が考える舞踏表現とは、「あらない」という仕方で、非在を際立たせることで存在を際立たせようとするものなのです。そうであれば、存在を「ある」もののようにして問うことそれ自体は、氷解するでしょう。表現に関して言えば、「存在は非存在の衰弱体」なのです。
 こうして土方は、「死者は私の舞踏教師なんです」と死者を称え、「死者を身近に寄せて、それと暮らさなきゃならない。今はもう光ばっかりでしょ。光を背負うと、光を背負って来たのは私たちの闇の背中じゃないですか」と語り、死者が教える「あらない」の構造が、闇に繋がるものであることを示唆しています。
 そして、最後にこの闇は、土方に「飯詰めの話」を語らせています。「飯詰めの話」ほど、土方によって語られてきた話はありませんが、ここで語られる「飯詰めの話」は、今まで土方が語ってきた断片をすべてとりそろえた、いわば「飯詰めの話」完全版といったものになっています。その話は省略しますが、この「飯詰めの話」を語る地点が、土方が期して最後に行き着くところのように思われてなりません。そこには、土方が抱え込んでいるからだの秘密が隠されているのであり、それゆえそれは、土方の舞踏が生まれ、そして潜む場所でもあるはずなのです。

 子供は最初から泣き声の届かない仕掛けの中に置かれている。そこで自分の身体を玩具にして遊ぶことを覚える、闇をむしって食うことを覚える。

 飯詰めに入れられたまま、秋の田んぼにぽつんと日がな一日放って置かれ、火のついたように泣く幼児の泣き声は、土方にとって、ただ泣くという仕掛けにあるものをあらわしています。幼児にはその泣いているからだが開かれた傷口のようにして知られるのみならず、このとき幼児は、泣くというその仕掛けをからだと知るのです。すると、幼児は泣くことをあきらめて、代わりに「涙をむしって食う」といいます。そのとき、幼児はからだの外へと向かうようにして「闇をむしり」、それを「食う」ことでそのままからだの内へと入り込んでしまうのです。おそらく、このとき幼児が飯詰めの外に出て歩こうと熱望する、その「飢え」が熱烈に夢見る足の行方が、ここに非在しているのです。からだに記し記されている、言葉で語ろうとしてもとうてい語りえぬからだをめぐるこの埋没が、土方の言う純粋な意味での「あらない」の構造を示しているように思います。そして、こうした埋没においてこそ「存在そのもの」が際立つ、すなわち、からだが語るとされるのです。
 この飯詰めの体験が、土方のからだに実際に記されているかどうかという問題については、本稿の冒頭で「土方の少年」について述べたとおりです。この体験は実際の身体感覚というよりも、むしろ仮構されたからだとして、とはいえそれは「病める舞姫」の「少年」のように無意識的次元にまで深められているわけですが、そうした、いわば東北の無意識的次元として戦略的に強調されているのです。この仮構は、錯誤を起させるべく仮構である、そう言ってもいいようなものなのです。記憶をめぐる錯誤、そしてその反復こそが、からだがはぐれるような非在感をその反復の内に連れて来るからです。そして、仮構されたからだであればこそ、からだに記し記されているという事態に批判的に面接することのできる、またそれにとって代わることのできる、言うならば、つねにそこに復権させることのできるようなイコンのようなからだとして内に抱え込まれるものとなるわけです。そうであれば、身がちぎれるような熱烈さでもって非在をあらわにするその幼児の特異なからだは、最初は舞踏を喧伝する土方の戦略によって示されたもののようでありますが、最終局面において、からだが語ることの原理を示すすがたとして、それはむしろ誰にでも受け入れることのできるような事態として語られていることになるでしょう。そして、それゆえにこそ、土方は「少年体」について、次のように打ち明けることができるのです。「踊りの場合は、本能をつくろうとした少年体そのものがカンヴァスなわけです。それで、ときどき、そのカンヴァスを見失うわけです。」(土方巽全集二「白いテーブルクロスがふれて」)
 いっぽう、土方の少年時代を想像してみると、やり場のないからだをもてあましている子供を思い浮かべることができます。そのすがたはといえば、「生まれ変わりの途中の虫」という、いまだ生の途上にあるもののすがたとして「病める舞姫」の冒頭で語られていました。この生の途上にあるとは、生をわざと遅らせているような実感であり、そうした遅延を意識した「からだのくもらし方」で、子供はからだを、すなわちその存在をもてあましているのです。秋田の冬は暗く、寒い。風は冷たく、からだは寒さに「しばれる」。大人はみな頬っかぶりして労働せざるをえませんが、子供のからだは寒さの中に縮こまって、空虚な時間をやり過ごすだけなのです。そうやって子供は、寒さに身を隠すようにして熱烈に「飢え」、幻想を「食べる」からだをつくり上げることになるのです。土方が東北という風土によってあらわそうとする経験とは、そのことにしかないように思われます。そして、そうした子供の経験はそれだけですでに、非在をそのからだから「むしり」とろうとする、どんな子供のからだにも通ずる素地となっているわけです。土方が「飢え」を主張するとき、それはかつての東北の飢饉を訴えているのではありません。それは、からだが「ある」ことの拠り所のなさを端的に示しているのです。どんな生命も、「飢え」ていることに変わりありません。こうした言いまわしによって、言葉がからだを扱う仕方を土方は示そうとしています。「食べる」は、からだが「ある」ことのその飛躍的なあり様を示しています。そして「むしる」は、その「ある」ことをめぐって非在をあらわそうとする、すなわちからだが表現するそのことをこそ示しているでしょう。
 こうして、土方の語りは飯詰めの場面にいたって、ライトが溶断されるようにして終えられることになります。

 死の前年、土方巽待望論に答えて土方は、「出来れば寝床のまま劇場に運ばれていって、寝床のまま帰ってきたい」(「極端な豪奢」)、そう自身の表現願望を語っています。要するに、土方の寝床では、深い潜行と翻訳と表現とが混有しており、その混有がそのまままるごと表現のかたちになることが望まれていたのです。そのことを示すように、「衰弱体の採集」を語り演じる土方のすがたには、自身のからだに緊張として見出されているものを翻訳しながら、そのまま語りとして表現しているすがたが見出されます。土方は、「風だるま」という衰弱態をからだに帯びるようにして表現を開始し、からだに肉体の闇としてあらわれる緊張を翻訳しながら、そうした事態をまるごと現在として語り演じているのです。その際に、衰弱を帯びることで自己が不明となる事態に余白として立ちあらわれ、際立つもののプロセス、すなわち「あらない」としての非在をそのまま示すことで、おのずとからだが語ることになる、そう土方は考えているようにみえます。混有をそのまま表現とし、そこに亀裂としての余白を表現しようとする仕方は、今まで見てきたことから明らかなように、土方が舞踏表現するに際しての一貫した方法となっています。衰弱に対立するとされる健康とは、この混有を整理し、余白を見えなくしてしまう理不尽な力のことなのです。幻想へと整理されることなく、衰弱体によって「柔らかすぎる生の寸法を計る」とは、混有を混有のまますがたへと中継する際に、非在感という、言葉にはとうてい還元されえない、それゆえ言葉とは非等質であるものを、からだに関わる視線へと翻訳するその翻訳の働きを見定めることなのであり、それが「衰弱体の採集」の「採集」の意味なのだと思います。したがって、衰弱体とは、自己の不明という事態をもたらしつつ、そのとき自己の不明に立ちあらわれる余白としての別種の認識(視線)であるようなものを扱うからだである、そう想定することができると考えます。
 衰弱体のこうした内容は、舞台作品やテキストという厳密に構成された表現とは異なり、衰弱体を語るというパフォーマンスであることでより明確に示されることになり、講演記録からもそのことがはっきりとみてとれるように思います。観衆を前にしたパフォーマンスであることで、「病める舞姫」にあっては次々と立ちあらわれる余白がおのずと言葉に染まり、結果的に異常に膨れ上がった肉体の闇に、このとき「採集」というかたちである種の制御が施されているのがわかります。「衰弱体の採集」にあっては、肉体の闇という差異的な経験そのことよりも、自己とは非等質であるものを内包する闇そのものが、そしてその非等質であるものと自己との関係が、さらにその関係を翻訳するという「見慣れぬもの」の作業が、まるごと注目されているからなのでしょう。